1940年 3月1日・・・後生の人々は終わりと始まりの日と呼んだ。
「・・・議会の一時停止命令を宣言する。現状を対処するまで選挙も停止だ。」
新しい私の書記に伝えると真っ先に国民にラジオ越しに演説をおこなった。
「・・・我々は今、ポーランドとチェコスロバキアから攻撃を受けている。我々は今再び団結し、戦争という国難を乗り越えなければならない・・・これよりドイツは部分動員を開始する。私は大統領・・・いや、国防軍最高司令官として国民に問う。勝ちたいか?なら私についてこい!!」
私はラジオ演説を終えると東プロイセンにいる雨咲を司令官としたA軍、ポーランドに張り付いていたB軍、アームストロング率いるチェコスロバキア方面防御軍のC軍をすぐに動かした。
A軍はミレニアム兵が中心の軍なのでドイツ最精鋭及び小隊単位で機械化してたため、ポーランドの先方の騎馬隊を粉砕し、そのままポーランド国内に浸透を開始させた。
B軍はⅡ号Y型戦車5000両を投入し、中央と右翼側を撃破し、残された左翼を包囲していた。
C軍は強力な要塞線で足止めを喰らっていたので地下鉄から特殊工作員を要塞内に侵入させ、破壊工作をおこなって時間を稼いだ。
〔3/3〕
秘密条約に従い、各国はポーランドとチェコスロバキアに宣戦を布告し、大陸横断同盟が結成された。
ただ、ギリシャとルーマニア、ブルガリアがポーランドとチェコスロバキアを助けるために大陸横断同盟に宣戦布告を布告した。
ドイツでは、シュトロハイム中将中心のチェコスロバキア進行軍のD軍が編成をしていた。
この軍にはⅣ号突撃戦車とⅣ号1型戦車が7000両配備された。
シュトロハイムは
「ドイツの戦車は世界一ィィイイイ!!負けることなどありえない!!」
と言葉通りに3月6日にはチェコスロバキアの要塞線をC軍と協力して突破し、ハンガリーと補給線を繋ぐことに成功した。
また、その日にはポーランドの空でも戦いがおこなわれていた。
第一次ワルシャワ制空権奪取作戦
A00 300機、A01 700機、B00 500機対ポーランド空軍約300機の戦いだった。
空軍総司令官のLは全機に無線を登載させたため、現地士官が集団戦術でポーランド空軍の機体を確実に仕留めていった。
結果ポーランド空軍は20分で壊滅し、制空権を完全にドイツが握った。
損害は3人死傷の6機撃墜だった。
〔3/8〕
イタリア軍、ギリシャ進行作戦を開始これに成功。
ギリシャは5ヵ所に強襲され、戦線は崩壊した。
〔3/9〕
ソ連の赤軍がポーランド進行を開始、首都のワルシャワ30キロ前まで前進に成功し、北部ではドイツA軍と合流した。
さらに東プロイセンと大ドイツ本国との補給線を結ぶことにも成功した。
〔3/10〕
スロバキアで革命、スロバキア共和国が成立したがドイツは無視、チェコと一緒に粉砕し、チェコはドイツの属国に、スロバキアはハンガリーに併合された。
(なんとかなりそうだな。)
ほっとしたヤマメだったが、3分後の電文で涙目になる。
《フランス、ドイツに宣戦布告》
ポーランド戦闘能力残り30%
ギリシャ戦闘能力残り60%
ブルガリア健在
ルーマニア健在
チェコスロバキア併合及び属国化