Paint it black   作:ゆず故障

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製材所の手前まで着くと、私はぐるりと周りを観察した。ぼんやりとした街灯がついており、見張りの兵士は数人足らずだ。

 それほど重要な施設でもないのか、彼らから緊張感がまるでない。出来るだけ、戦闘は避けたかった。

 元製材所ということもあり、身を隠しながら潜入するにはうってつけの場所だ。隠れながら進むのは、あのベトナムのジャングルで慣れっこだった。

 兵士達をやり過ごし、元は事務所と思しき建物内に侵入した。廊下に灯りは殆ど付いておらず、足元に用心しながら進まなければならなかった。

 進み続けると、黴臭い饐えた臭いに混じって、嗅ぎ慣れた鉄錆の臭いが漂ってきた。廊下の突き当りのドアを見れば、隙間からちらちらと光が漏れ出ている。

 数人の男の笑い声と、か細い悲鳴が聞こえ、全身の血液が沸騰するほどの怒りが湧いてきた。

 足音を殺して、その部屋に近づき、隙間から様子をうかがう。テーブルを数人の兵士が囲んでいた。その中央には、ぐったりと裸で横たわるアルマがいた。酷い暴行を受けたようで、呼吸が安定していない。

 これ以上は危険だった。

 

「おい、やりすぎるなよ。死んじまうぞ」

「知るかよ。こいつはあのサル共に俺達の情報を流してたんだぞ。家畜以下だ。別に死んだって構やしねぇさ」

「ハハハ。おい見ろよこいつ、魚みたいに震えてるぜ」

 

 もう聞いていられなかった。ドアを蹴破ると、アルマを囲んでいた兵士達に向けて引き金を引いた。彼らは何が起こったのか判らないままに、銃弾を頭に浴び、真っ黒な血を噴き出した。

 私はアルマに駆け寄った。片腕が折られているようで、歪に曲がっている。羽織ってきたジャケットを彼女にかけてやると、痛々しく腫れ上がった眼が薄く開いた。

 

「ごめん、なさい」

「もう大丈夫だ。心配無い」

 

 出来るだけ優しく声をかけると、彼女の眼から涙が溢れ出た。

 

「おい!貴様!」

 

 外の兵士が銃声に気付いて駆け込んできた。私は迷わず、そして正確にその胸を撃ち抜いた。彼女を部屋の隅に避難させると、外から攻撃してきた敵を迎え撃った。

 夥しい銃弾が、部屋の中に撃ちこまれ、朽ちたコンクリートの破片や粉じんが飛び散った。武器はコルトしか持ってきていなかったので、死んだ兵士のAKを拝借し、ありったけ撃ち尽くした。

 ようやく最後の一人を倒すと、私はアルマの方へ脚を向けた。

 だが彼女は、痣だらけの傷ついた身体を晒しながら、私を見つめていた。その細い腕に、真っ黒な銃を携えて。

 

「アルマ……君がそんなものを手にすることは無い」

「ごめんなさい……。でも、私には何もないの」

「君は、将来医者になるんだろう!?」

「貴方には判らない!」

 

 私の言葉に、彼女は泣き叫ぶように言い、その悲愴な声に私は声を詰まらせた。

 

「……!」

「故郷を奪われ、家族も、何もかも失った私に、残ったのは、復讐という黒い炎だけ……」

 

 彼女の手の中の黒い塊が、ゆっくりと持ち上がり、ぴたりと側頭部に宛がわれた。

 

「でも、貴方といた時間は楽しかった。ありがとう。先生……」

「やめろ!」

 

 なりふり構わず、手を伸ばしたが、遅かった。遅すぎた。パン!という破裂音とともに、全てがスローモーションのようになって、彼女の頭から真っ黒なペンキが噴き出した。

 

 崩れ落ちる彼女の体を呆然と見つめながら、私は膝をついた。

 お前は結局何がしたかったのだ?ヒーローごっこか?失われた自尊心を少しでも満たしたかったのか?不幸な身の上の少女を救うヒーローか。仲間すら救えなかったお前が。

 真っ黒な血を浴びた戦友たちが、私の耳に囁いている。いや、それは私自身の声だったのかもしれない。

 

 私は、ふらふらと彼女の手から零れ落ちた銃を取った。

 呼吸が荒くなる。

 さあ、楽になれ。自分を黒く塗りつぶせ。

 その囁きは、極上の美酒のように私には感じた。右手を持ち上げ、自らの頭にその真っ黒な銃口を当てた。

 人差し指が、震えながら引き金を引いた……はずだった。

 

 

 私は強い力で腕を取られ、あっという間に床に引き倒されていた。滲む視界に、カーキ色の野戦服を履いた足が眼に入った。

 

「よせ」

 

 低く、力強い声が、頭上から降ってきた。顔を上げると、ぼんやりとしたライトの中に、一人の男が立っている。ぼさぼさに伸びた頭にバンダナ、右目には眼帯と、海賊のような男だと思った。

 そのスカイブルーの隻眼は、気高く、何者にも従属することを許さない、獣のような眼をしていた。私は彼の雰囲気に一瞬で圧倒されていた。

 あの若い兵士が得意げに語っていた『ボス』なのだと、すぐに判った。

 

「貴方が……『ボス』……?」

「これは、お前がやったのか?」

 

 彼は、斃れた兵士達を一瞥して、私に厳しい視線を浴びせた。無言で頷くと、彼は短く、「そうか」とだけ私に言った。

 

「確か、あんたは軍病院の医者だったな」

 

 兵士達の遺体を検めながら、彼は私に言った。束の間、硝煙と血の生臭い臭いが漂う室内に、彼のブーツが床を踏みしめる音だけが響く。

 

「ベトナム帰りか。ならこの戦闘能力の高さも頷ける」

 

 いつの間にか、彼の手には私のドッグタグが握られていた。戦闘時に落としたのだろうか。

 

「……私は、救う事が出来なかった。今回も」

 

 私は何故か、ぽつぽつと取り留めのない言葉を紡いでいた。まるで堰き止められていた川が決壊したかのように、後から後から言葉が溢れ出す。

 

「ずっと、国のために戦ってきた。泥濘の中を這いずり回り、敵を殺し、時には苦しむ戦友たちを見殺しにした。だが、私に残ったのは、真っ黒な悪夢だけだ」

 

 この世界のどこにも、私の居場所は無い。

 兵士でも、医者でもなくなってしまった。

 だから、私を殺してくれ!

 

「わかった」

 

 彼が、ホルスターから銃を抜いた。奇しくも私が使っていたものと同じ銃だった。

 眼を閉じる。

 これで、終わる。漆黒のペンキが、私を塗りつぶすのだ。

 

 パン!という音が連続した。びくりと身体を震わせたが、痛みも、何もない。

 怪訝に思って眼を開けると、彼は薄く硝煙が立ち昇る銃口を、私の足元に向けていた。そこには、私のドッグタグが穴だらけになって落ちていた。

 

「医者だろうと、女だろうと、一度自ら銃を取ったのなら、そういう結末も覚悟するしかない。それが悲劇的なものだとしても」

 

 彼は静かに、厳しさの中にほんの少しの悲しみを滲ませて私に語りかけた。呆然と見つめていると、彼はゆっくりとアルマの亡骸に近づき、見開かれた眼を掌で優しく閉じさせた。

 束の間、彼は彼女の死を悼むかのように眼を閉じ、そして私を見た。

 

「だが、俺は目の前の現実から逃げようとする奴の手助けをする気はない」

 

 彼の眼が、鋭さを増した。その眼光に、私は畏怖を覚えた。

 

「俺のところへ来い」

 

 思わぬ言葉に、私は目を丸くした。

 

「しかし…私は…もう」

「俺の所にいるのは、お前と同じような境遇の奴らばかりだ。国を捨てた奴や居場所を失った奴。皆、戦場でしか居場所を見いだせない。俺達は、そういう奴らの集まりだ。生まれた国も、思想も、関係ない。かつての敵味方であろうとな」

 

 だが、無理にとは言わない。と彼は付け加えた。

 私の中に、迷いが生じた。

 終わりのない暗闇でもがき続けている中で、光が、出口が見えたような気がした。その光が彼だと信じたかった。

 

「……私は、ヒーローになりたかったわけではない。ただ純粋に、彼女を助けたかった。それだけだ。でもそれは、見捨ててきた戦友たちへの贖罪を彼女に見出していたのかもしれない……だが結局はそんなものは私自身が生み出した傲慢の産物にすぎなかった。」

 

 私の震える唇からとめどなく溢れる支離滅裂ともいえる言葉を、彼は黙って聞いていた。

 

「……私も連れて行ってくれ。頼む」

 

 私は、まっすぐに彼の隻眼を見つめた。

 

「いいのか?」

「……もう、現実から目を背けるのは辞めた。過去は清算出来ないが、その十字架を背負ったまま生きる事は出来る」

「それは……一番辛い選択だぞ」

 

 少しだけ、彼は表情を歪ませて言った。まるで、古傷がじくじくと痛み出したかのように苦しそうだった。

 

「覚悟は出来ている。それに、もう今更安穏の中に生きる事は出来ない。貴方ならわかるだろう?」

 

 自嘲気味に私が言うと、彼はそうだな。と笑った。その笑顔は、とても寂しそうに見えた。あの、アルマのように。

 彼は座り込む私に手を差し伸べると、言った。

 

「スネークだ」

「え?」

「『ボス』は此処の連中が勝手に言ってるだけだ。スネークと呼んでくれ」

 

 私は迷わずその手を取った。力強く、温かい掌だった。

 

「わかりました。『ボス』」

 

 私が言うと、スネークはちょっと不満げに眉を寄せたが、やれやれと諦めたようだ。

 

「部下が言っていたが、医療技術はかなりのものだと聞いたぞ。そんな奴が居てくれるのなら、大助かりだ。現地では満足な治療すらできない医者もどきも多いからな」

 

 あの若い兵士が、私の事を伝えていたのだろう。どうやら彼は私のことを高く買ってくれているようだった。少しくすぐったいような気になった。

 

「それに、短時間でこの場所を調べ上げたうえに、単独潜入の手際も見事だった。衛生兵にしておくには惜しいくらいだ」

「昔、グリンベレーの第2C中隊に居た事があります。貴方も、アメリカ人でしょう?」

 

 彼がアメリカ人だという事は想像がついていた。そして、かなり高度な訓練を受けた軍人だという事も。だが、彼は眉を顰めて小さく吐き捨てた。

 

「そんなもの、今の俺に意味は無いさ」

 

 スネークは、野戦服の胸ポケットから葉巻を取り出し、ナイフで豪快に吸い口を作って口に咥えた。私も勧められたが、丁重に断った。

 小さな灯りが点り、血と硝煙の臭いに混じって、葉巻の甘苦い香りが広がった。

 束の間、沈黙が部屋を支配したが、彼が何かを思い出したかのように私を見た。

 

「あ……そうだ、お前の事は、何と呼べばいい?」

「ボスの好きなように呼んでください。私は、一度死んだのですから」

 

 私は、銃弾でひしゃげたドッグタグを見せた。すると彼は難しそうな顔で唸ると、口を開いた。

 

「あー、じゃあ、メディック……でどうだ?」

 

 遠慮がちなその声に私は思わず小さく笑ってしまった。スネークは少しむっとしたように「仕方ないだろう。思いつかなかったんだから」と呟いていたのを聞いて、また少し可笑しくなってしまった。

 

「了解。『ボス』」

 

 

 

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