咆えろ人狼悪魔の世で   作:城縫威

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第四話 風とともに朱の葉は散りぬ

兵藤一誠は両親に両の手を握られながら長い石造りの階段を登っていた。左右を囲む新緑を宿す大木達が厳かに階段をのぼる彼らを見下ろしていた。一誠は身体こそ人間の体になり、感覚こそ色々と鈍ったが、それでも人一倍、空気中に流れる気配については敏感に感じ取ることが出来た。悲しければ冷たい空気を、楽しければ暖かい空気を、鼻の中を通る空気の湿り気、十の事を知ることが出来ずとも、五か六位なら知ることが出来る。そんな彼はこの階段の先にあるものから発せられる堅牢な気配に、一種の神聖さを感じていた。果たして、朱に染められた鳥居が、彼らを出迎えた。その奥へ足を踏み出して一歩、彼の足が領域に入る。なるほど、敏感な彼の肌に直接伝って力が走る。それは攻撃的なものではなく、あくまで様子見の圧が加えられている感じである。これは来るもの全てに加える圧に感じられた。彼はそれに従い、ただ圧を受け入れ、両親に手を引かれるままに所々古ぼけた趣のある建物の奥へと進んでいく。一つ二つ三つと建物を過ぎてゆくと、本殿が姿を表した。その前で、母娘が一緒に、紅白の巫女服を着ながら掃き掃除をしていた。ふたりとも笑顔が灯っている、仲の良い母このようだった。一誠たちを認めた巫女姿の母親はなめらかな動きでもってお辞儀をした。娘はするりと母親の後ろにハニかんで隠れる。ちろりと頭の先を出して、一誠達親子を見つめている。一誠は視線を両親に移した。ふたりともニコニコとして相手の母親と話しを交わしている。どうやら、既知の中らしい。彼の父は、彼に対して、少しあの娘と遊んできなさいと言った。それを見た相手の母親も、自分の娘に同じことを言った。彼は遊んでいいという許しに表情こそ変わらないものの心の内ではウキウキとしていた。イリナがいなくなって遊ぶ事が出来なくなった。一人遊びも出来なくはないが、ただ走り回るよりも楽しみが薄れる。彼はいつのまにやら、人間らしさという芽が芽吹いていたようだ。彼は純粋に一人でなく遊べるという事を喜んだ。トコトコと音を立てて彼女は縮こまった彼女の前に立った。ビクリと震える彼女を前に、彼はイリナにした時と同じくそっと、彼女の目の前に手を差し出した。彼女は自分の母と彼との間に視線を彷徨わせていると、そっとその背中を彼女の母が押した。小さな手が、浅黒い少し大きな手の上に乗る。彼はそれをギュッと握って走りだした。いきなりのことになんとか付いていこうとする彼女の焦った動きと、それを導く彼の動きに大人たちは頬を緩ませ、そしてお互いの話の花を咲かせた。多くの木々に囲まれているからだろうか、彼と手を惹かれる彼女には冷ややかな風が通る。その中を切り裂いて、まずはこの神社の隅々を見て回ろうとしていた彼に対して、既に彼女は軽く汗を滴らせて息も荒くなっている。流石に自らが手を引いている彼女が、足取りが乱れてきたら、その手を引く感触は若干重みを増し、左右へ揺れ幅は次第に大きくなる。流石に彼も足を止めて、後ろを振り向く。片手てを膝に付いて荒い息を肩でして、長く、後ろに纏めた黒髪は地面すれすれに垂れて揺蕩っている。一歩、彼が彼女に近づくと、彼女はハニカム余裕すら無く、薄い瞳で彼を見つめて、お願いだから休ませてと言った。彼はコクリと頷くと、彼女の枠の下と膝裏に手を差し込んですっくと横抱きにする。キャッという可愛らしい声を上げると信じられないものでも見るように見開いた目で彼を見る。彼はそれに見向きもせずにまた走りだした。暖かい汗を冷やし行く風、肌の感触を感じながらにして緑と白と何かの絵の具が混ざったような気色の経過、それを作り出している本人は何食わぬ顔で、彼女の手を引いていた時よりもずっと早く、敷地内を走り回っていた。彼にとっての冒険は休憩に入っていない。あくまで休憩しているのは彼女だけなのだ。

 

時間が悠々と過ぎてゆく。ある時、彼は背に彼女を背負って、高い御神木の上まで登ったりもした。彼女は畏れ多く、彼に対して登るのをやめるよう、努めて止めようとしたが、彼の冒険心はとどまることを知らず、腕力と脚力との組み合わせで見事登り切った。その神木の天辺での気色は彼を満足させるに十分だったらしい。感謝を述べるように彼は御神木の肌を撫でる、すると応えるように木っ端が揺らいだ。彼は内心、もしかしたら彼女がいなかったら登れなかったかもしれないと、そんなことを思いながら、そのまま飛び降りようとしたが、しようとしてやめた。軽く泣きかけている彼女がいた。改めて、イリナとは全然体力と頑丈さが違うことを理解した。背中にひしと抱きつく彼女を気にしながらなるたけゆっくりと下ってゆく。彼が地面に足をおろし、順に彼女を地面に下ろしたら、腰が抜けたのか、彼女は御神木に持たれるようにしてへたり込んでしまった。御神木のに登るという事をした故か、彼自身も少々つかれていた。深呼吸をして落ち着こうとする彼女の横に腰をおろして、そっと瞼を閉じる。数秒後にはクーと静かな寝息が聞こえてきた。同じく疲れていた彼女は、驚くのも、考えるのもやめて、彼と同じく眠った。二人は肩を寄せあって木の葉のさざめきの中でしばしの間眠った。

 

遠くで声が聴こえる。彼と彼女を探す声だ。耳の良い彼は直様それを聞き取って、パチリと目を開いて身をおこそうとする。横を見た。自分に寄りかかって眠っている彼女がいる。彼は彼女を揺すっておこそうとした。起きない。なるほど、彼は彼女をまた横抱きにして、両親の元に向かった。直ぐに両親は見つかった。彼女の母親は彼が彼女を横抱きにしていることにあらあらと何やら呟いて、眠っている彼女の耳にボソリと囁くと、弱みを刺されたような速さで彼女は目を覚ました。彼は唐突に揺れ動く腕の中の彼女にバランスを崩しそうになるが、そこは持ちこたえて、彼女を立たせてやる。自分の親、あまつさえ、彼の両親にさえ、横抱きにされていたことを見られていたと自覚した彼女は、顔に朱を差してはじめであった時のように母親の後ろに隠れてしまった。随分と仲良くなったようだねと、彼の父親が言う。綻びるような小さな笑いが親の間で広がると同時に、彼の両親は彼の両手を取って、彼女の母親に一礼をして、帰路についた。夕焼け空に遠ざかっていく神社の中に、おずおずと手を降っている彼女の姿が見えた。彼も小さく、手を降った。

 

その日から幾日が経った。端的に言うと彼は至極暇だった。物足りなさが心を締めて、何かに対する欲求が膨れていった。そこで彼はまた神社に行くことにした。彼女が入れば、一人の虚しさは減る。彼女ははにかみ屋だが、それもまた、一つの面白いところだと思えばいい。

 

彼の前に長い階段が萎びた蛇のように伸びている。カサついた空気に後押しされて、小さな足を階段の上に滑らせて、登る、上る。最初は二段飛ばしに、少し疲れて一段とばし、そのまま最後まで上りきって鳥居の先に入る。彼は首をかしげた。何だか、違う。彼は空間の雰囲気を触り感じるかのように指をすりあわせ、キョロキョロと辺を見回して鼻で匂いを探ってみたりした。違う。確かに、違う。どうやた、少し、前より、冷たく、なったみたいだ。彼は進んだ。石造りの道を歩いて響く音がやけに乾いていた。誰も人がいない。ガランとしている。進む、進んで見る。この前、母娘にあった場所に到達する。誰もいない。だが、聞こえた。彼はさめざめと溢れる涙の音に、一抹の寂しさと懐かしさを胸に抱きながら、彼は音につられてより奥に進んでいく。そこは、最後に彼女と登った御神木の元だった。膝を抱えて、あの日の姿と変わらない彼女は、肩を震わせてすすり泣いている。彼は唯、あの時と同じように彼女の横にゆったりと座った。彼女が彼の方を見る。悲しみにくしゃくしゃになった視線の先に映ったのは、遊んだ時と同じ、表情というものを表に出さないで、何処を見るでもなくボオっとしている彼の横顔だった。たったこの前あったばかりの彼、でも彼は何も言わずに横に寄り添ってくれる。すがれる、彼女は彼の袖口をキュッと掴んで、溢れないように、少しずつ、泣いた。

 

彼は困っていた。また、泣かれた。無論、泣いているのは近づいていく時点で気づいてはいたが、これでイリナと二回目だ。殊に彼女の場合、イリナとは違って長い付き合いでもない。それだのに、彼を頼って泣いている。彼にとって、こういった状況は頭の悩ませどころだ。何十年と生きてきて、紅いの涙で地を潤わせても、悲しみの涙で袖を濡らされることはなかった。さてはて、どうしたものか、どうしてないているのか、彼にはわからないことだらけだったが、自分に出来るのは寄り添うことだけだと思って、何もせずにただ彼女のするがままにしていた。そしてまた同じく、刻々と時間が過ぎてゆく。青い空が、朱に染まる時、彼女は彼に寄り添ったまま眠ってしまった。彼はそれを確認すると、彼女を横抱きにして、彼女の家を探す。それらしき所まで来て、足先で玄関を叩く。音は大きく辺に響く。誰もやっては来ない。もう一度、やってみる。結果は同じだった。仕方がない、彼は足先で扉を開く。横にスライドする扉は足先で叩くよりも大きな音を鳴らす。がらんどうとしている玄関。人の気配は何処にもなかった。靴を脱いで、木の板張りのひんやりとする廊下を進んで、適当な障子を開いて中に入る。畳の部屋はやけに広く、奇妙に狭っ苦しさを感じる。彼は一端、彼女を壁際に凭れさせて、押し入れの中から布団を一式取り出すと、部屋の真ん中に敷いて、彼女をそこに寝かせる。

 

彼は、見た目穏やかに眠っている彼女の寝顔をまじまじと見た後に、そっと音をたてぬように立ち上がり、部屋を後にしようとした。ズボンの裾が、引っ張られる感覚がする。振り返ると、薄く目を開いて、上気したように朱の差した顔で彼を見つめている。いかないで、彼女の唇はそう動いた。彼は彼女の横に座ると、彼を止めて布団の外に出た華奢な手を握った。彼女は小さく、寝息を立てた。

 

彼と彼女の不思議な関係は、一日一日を重ねながら続いていった。彼は時間が空くと神社に赴いた。そこには何時も一人寂しそうにしている彼女がいた。彼女は彼が来るとほっと安心した顔になって、彼の横に歩み寄った。そして二人は、どこともなく、神社の敷地の何処かの日当たりの良い所を見つけては其処で時間を過ごした。日が暮れたら、彼女を玄関先まで見送って、彼は帰る。その繰り返し。

 

幾度と上った石造りの階段。寂れた空気。冷ややかな圧迫感。彼はいつもの所にいた。彼女はいなかった。彼は、家の中にいるのかと思った。玄関の前に立って、戸を叩いた。返事はなかった。彼は中にはいった。気配は、あった。障子を開ける。中を覗く。いたのは彼女ではない誰かだった。黒い衣服を纏って、うつむき、悔やんでいる成人男性だった。その男性は彼を見て、君が何時も娘を励ましてくれた子か、と呟くように漏らす。感謝する、今日も又来てくれたのだろう、だが、すまない、すまないな。それは呻きに近かった。娘はいないんだ、出て行ってしまった。私を見て、罵って、叩いて、殴って、出て行った。親である私は、それをただ受け入れるしかなかった。娘は出て行った。それを追う、権利は、私には、ない。男性は虚ろを見ていた。穴を覗いてた。一人で。

 

彼は男性に言葉も態度も何も示さなかった。したところで、何処へとも知らず続いている穴の奥底に吸い込まれて消えてしまう。無意味だった。彼は家を出た。まだ外をは明るく燦爛とした光に包まれていた。彼は石造りの階段を下った。彼は、一段一段下っていく間に、彼女の顔を思い出した。服装を思い出した。髪の毛の長さ、匂いを思い出した。彼女の表情を思い出した。一つ一つ丁寧に。彼は、久しく閉じていた、口を、ほんの少しだけ開いた。

 

あけの、また、あえる、かな。

 

イリナについで姫島朱乃もまた、彼の元からいなくなった。寂しく思わないわけがない。何時か又出会いたい。その時はどうか、笑顔で。彼の顔には、僅かな悲しみが宿っていた。




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