咆えろ人狼悪魔の世で   作:城縫威

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第五話 その傷の理由を知らぬまま

兵藤一誠は暇を持て余していた。公園でベンチに座り、何もせずに日がな一日を過ごすことが増えた。ベンチに座って気色が移ろうのに飽きると、今度は自らの住む街を探索、といっても、知らないという所は無いと自負するくらいには地理を心得ているが、見慣れてしまった町中をぶらりぶらりと足の赴くままに進めてみたりもする。そのどれもが彼の心を躍らせることはなかった。色めく世界も、唯の独りの前には、ドロドロと滲んだ泥のように無様に映った。彼は、独りから抜けようともがいてもみた。公園で遊ぶ子供らに混じろうとした。彼らは混じろうとする彼を残して散っていった。イリナの件が後を引いているのか、単純に肌の色、無口なのが原因なのか、彼にわかろうはずもなく、離れてゆく子らを眺めながら、彼は、己に何時もつきまとう孤独というものに付いて考えてみた。前世では人狼だった。それが知られると、誰もが自分を敵視した。孤独だった。そして戦争を迎え、巻き込まれることとなると、彼は生きようとした。唯生きようとした。幾千もの屍と炎の中で、白々と淡い光を発し、戦場を駆ける戦争犬は彼の孤独をより深くした。自らの存在否定、自らをもみ消そうとする環境、彼は、もがいていた。其処に現れたのは少佐達だ。ある意味、救われた。独りでなくなった。彼は教わった。多であることを。そして、遊びを教わった。初めて、楽しいと思える純粋な遊び。闘争。彼はそれを教えられた。彼と少佐達は何時も一緒にいた。彼らは仲間であり家族であり、共に一つの夢をみた共同体だった。彼らは、純粋だった。純粋にまで昇華した悪意はいっそ清々しいものでもあった。彼は武器を与えられ、服を与えられ、位を与えられ使命を与えられ、それに従い、己の生を満喫した。駆け、打ち、撃ち、欠ける。あゝ、色褪せることなく鮮明に輝く地獄絵図、振り返る余裕など与えてはくれない脈動する時間、楽しかった。楽しかった。

 

今の世界は優しい。彼にとってとても深い愛情を注いでくれる親がいる。遊ぶ友のいた。頼ってくる者もいた。新鮮だった。こんなにも穏やかな時間を手にしたことが、随分と自分の中身を変えていったように感じる。けれども、変化が途絶えてしまった。今の状況は、かつての状況によく似ている。親の存在だけが彼を、完全な孤独にしないだけだ。肉体に精神は引っ張られる、とするなら今の彼にとって何より大切なのは遠く離れた友ではなくて近くの友のような気がする。だが、それを補える要素が、今の彼にはなかった。彼の渇望は、自らを変化させる欠片探しに向かった。それは、子が成長することと同じくらいに自然なことだった。

 

彼の中にあった冒険心は、一層危険を求めるようになった。自らを心配するであろう両親の事を考えて、限界のギリギリにとどめておくが、虫の大量にいそうなヤブの中に突っ込んで行ったり、高い木を見つけ出しては登って、怪我する手前の所で飛び降りたり、彼自身の身体能力の高さは、誰もができそうにもないようなことを簡単にやってのけてしまう強さがあるが、周りが出来ないような能力を持っていると、どうしても敬遠されてしまう、いや、表面上ですら繕ってもらえないゆえに更に質が悪いが。

 

彼は暇つぶしに、人が寄り付かないような近くの小さな森の中を歩んでいた。濡れた土に、木っ端が混じって柔らかく、空気中の湿気は土の気と共に混じって優しく彼を包んでいた。今の彼は日本語だって余裕で読むことが出来る。図書館にいってロビンソン・クルーソーを見るも良し、ガリヴァー旅行記を見るも良し、文字に言葉に文に面白みを見出すことも出来なくはないが、どうにも身体を動かすほうが性に合っているらしい。

 

ひとしきり歩いて、何やら面白みのあるものも見つからずに、はてさて、これより奥のより鬱蒼としていそうな所まではいるか否かを決めかねていた。木漏れ日より先に見える空をみた。まだ水の中に一粒青の絵の具を落としたばかりののように薄くそれでいて澄んだ明るい色をしていた。まだ潰す時間は有り余っているらしい。彼は進むことを選んだ。

 

色々な所で野鳥のなく声がする。動物の気配はつかめなかった。彼の足を守る靴は赤茶けて、土によごれて、靴底には腐葉土がベッタリとくっついている。薄い長袖の黒いシャツにはどこかで枝に引っ掛けたか、傷がついていた。森の中の空気は暖かいものではなかったが、彼の身体から発する熱は肌寒い程度では物ともしないと言うように燃えていた。彼は気づいたら走っていた。がむしゃらに走り、満々と内に秘めている欲求不満を発散しようと身体が動いていた。足に力が込められ、吐き出す域に熱が灯る。不規則に置かれた木々を避けて、時には登って飛び降りて、縦横無尽に走り廻る。鳥のように風を感じれば、犬のように匂いを嗅ぎ取り、そして人間としてそれらを楽しんだ。思いの外、森の中を走り回るというのは悪く無いと、彼が思い始めているさなか、土塊を飛ばす彼の足は不意に止まることとなる。辺に異様な空気はない。風もない。匂いもない。何も変哲もないようなそんな気色、辺と同化して、全く変わりのない、そんな気色。しかし彼は足を止めた。そこがあまりにも何も感じない場所だった。彼の動物的感覚が、其処に何かあるように感じさせた。

 

歩き寄る彼の足が枝を踏み分け、一本の木の前までたどり着いた時、体全体を一抹の違和感が包んで過ぎる。目が自然と閉じられて、開けられた時には其処にいた。黒い着崩れした、以前仲間だったシュレディンガー少尉のように、頭に耳を生やした女が、苦しそうに浅く、息を乱しながら、木に凭れて眠っていた。血はとくとくと地面を濡らし、漏れる息からは、生気が混じっているように感じた。彼女の出で立ちは、一見するに実に奇妙で、彼女の美しさをもってしても、関わらない方が得策とも思えるような異質さがあったかが、彼にとってはさして取るに足らない様なことだったらしい。彼は当たり前の様に彼女の前まで歩きより、彼女の様態をサラリと確認すると、このままでは本当に危険であることを理解し、即座に両腕を彼女の脇の下膝裏に滑りこませると、横抱きにして、ここまで来る時と同じく、疾走した。彼はあまり重さを感じなかった。腕に抱かれる彼女は、走るさなか、ちらりと下を見やった時に改めて確認したが、胸の膨らみが些か大きいものの、それ意外がほっそりとしている。それこそ思春期に入った男子ならば、それは簡単に目を奪われ凝視してしまいそうなプロポーションの良さであるが、彼からしたら(いや、彼にも女性を見る目はあるが)あまり関係のないことである。目の前で消えそうな命を前に、それを見逃すほど、この世界に転生した彼は無情ではなかった。彼が走り、森を抜けようとしている途中で、腕の中の彼女の身体が著しく軽くなっていくのに気がついた。驚いて彼が下を見ると、彼女がどんどん小さくなって一匹の猫に変わってしまった。これには流石の彼も数瞬の困惑を禁じ得なかったが、けれども考えてみれば、素性のしらない女性を連れて行くよりも猫を連れて行くほうが都合がいいではないかと思い至った。前世の記憶をありありと持つ彼にとって、人が別の何かに変わることなど瑣末なことでしかなかった。この世界でそれを見るのは初めてではあったが。

 

彼女であった黒猫がビクリと身体を揺らす、一誠はただ一心に急がねばと、身体を駆り立てはしる。抜けた。森が、道だ、コンクリートで固められた道だ、あとは下り、道を曲がり、進んで、まずは家にいかねばなるまい。どれだけの時間が残っているのか、どれだけの時間が経ったのか。日は暮れかけ、朱の空に薄っすらと群青が広がり始めている。空の果てに広がる刹那の時間を振りきって、ようやく彼は彼女であった猫を抱えて自らの玄関の前までたどり着いた。なるべく猫を揺らさないよう注意を払いながらも、扉を開けて母が居るであろう居間に行く。案の定母親は其処で女性誌を片手にテレビを見てくつろいでいた。母親は彼がドタドタと音を立ててやってきたことに多少の驚きを見せ、目の前にやってきた彼を見る。所々土と葉っぱとほつれを纏った服に、両腕に抱えているくったりとした猫、一瞬思考が止まった母親ではあったが、次の間には直ぐに懐から取り出したスマートフォンで動物病院を検索すると、其処に電話を掛けた。それを確認した彼は、動物病院に連絡をとっている母親の横で、一端テーブルの上に猫を置き、棚から救急箱を取り出して、その中からガーゼと包帯を手にとって、猫に巻きつけてゆく。母親は横目でそれを見て、どこで覚えたのだろうかと少々目を見開く程の手際の良さに舌を巻いた。

 

次いで母親は父親のところへも電話をかける。直ぐに電話はつながって、母親は事の顛末を簡潔に伝えると、電話を切って彼に向かって、さ、行くわよ、と一言言って、軽く服装を整えると、猫をかけ直した彼の背を押す。彼はそれにしたがって又外へ出た。空は一切れ光を残すにとどまって、チラホラと小さな星は輝き出していた。母親と彼は直ぐ近くの道路でタクシーを拾って、連絡をとった動物病院の所まで走らせた。程なくして病院の前に着く。ツンと鼻につく病院独特の匂いを受け入れて中に入ると、そこには既に先生が待っていた。彼は猫を先生に預けて、待合室の席で待つ。彼の隣に母親が座って、感情を表に出さなくも行動に寄って示す彼を思って、軽く肩をさすってやった。大丈夫よ、ちゃんと先生が直してくれるわ、とそう言って。

 

時間は絶えず刻々と過ぎていった。一つ目を瞑って開けてみるといつの間にか横に父親もいた。スーツ姿のままで横に。彼はちらりと時間を見る。知らぬ内にかなりの時間が過ぎていた。また、瞼が重くて目をつむる。こっくりと揺れる頭の中が、久々に感じた疲れにモヤが掛かっていた。暗い視界の沈んだ奥に、ちろりと彼は人型であった彼女の姿と、リンと涼やかになる鈴の音を聞いた気がした。そのまま、彼の意識は落ちていく。

 

船は陸地にまで到達し、漸くその身を起こす。開けた視界の先に見えたのは、何時も見る自分の部屋の天井、確認するように辺を見渡せば、あまり物を飾らない殺風景な自分の部屋だった。時計の針は朝七時を指している。さて、どうして自分が部屋に戻されているのか、多少の理由は想像できなくもないが、とりあえず、どうなったかを聞くために両親の元へ行こう、彼は自分に掛けられているブランケットをのけるとスクと立ち上がる。長時間走り続けた疲れと、同時に長時間眠ったことへの疲れとが重なって、一瞬平衡感覚を失ってふらつくが、改めてしっかりと立って、二三度頭を振ると正常な感覚が戻ってくるのを感じた。

 

彼は足早に扉を開け、廊下をあるく。居間にたどり着くと父親が新聞と珈琲でくつろぎ、奥のキッチンでは母親が朝ごはんのベーコンと玉子を焼いていた。入ってくる彼に気づいた父親は、両手に持った新聞をテーブルに置くと、彼に隣に来るように目配せする。彼はそれにしたがって、父親の直ぐ近くまで寄る。父親は彼に、あの猫の処置は上手くいったそうだ、何日か経過を病院で見るからと病院側から言われたよ、と言った。彼は頷いた。父親は加えてからかうように、今回掛かるお金はお前が大人になったら返してくれよ、と小さく笑いながら言った。彼はそれはもちろんと、二度頭を振った。父親はそれを見て満足したのか、彼の頭を軽く撫でるとまた新聞を読み解く作業に移った。その頃には母親の方も、朝ごはんが作り終わっていて、テーブルにお皿を持ってきているところだった。

 

それから何日か経った。病院から電話がかかってきた。その内容は、経過を見ていた猫が、いつの間にか逃げ出したとの事だった。その知らせを聞いた一家は無論驚いたが、電話の最中に父親がみた彼の顔は、別段悲しいというものはなく、むしろ、動けるくらいには回復したのだという安心があった。感情の機微が表情に出ること自体あまり多くない彼だが、親からすれば一目瞭然に近い。助けようとして頑張った息子が満足しているのなら、まあ良いだろうと、そう思って、病院側に何かしらの文句をいうこともなく、ただひとつ、あの猫の回復具合はどうだったかを聞いた。その問に対して病院側は、異様とも言えるほど早く回復し、見た目の上では既に全快していた、という答えが帰ってきた。それならよかったと父親は締めくくって、ずっと隣で事の成り行きを見ていた彼を連れて居間に戻った。

彼は猫、彼女の回復をちゃんと確認できなかったことに少し考える所があったが、まぁ、もとより人型になれる猫だと目の前で見たのだ、なら結構な力でも持っているのだろう、そう思って納得することにした。考えてみれば、彼が人外と出会ったのはこれが初めてだった。それをのほほんと考えるようになった自分の思考のあり方が、やはり前世と比べてずっと変わってしまったのだと、そんなことをぼんやりと考えた。

 

誰からも関わりを持たれない、独りの学校時間も終わって、ゆったりとした歩調で家路につく。あと五分くらいで家が見えるといったところで、かれはふとリンと涼やかな鈴の音がしたように感じた。周りを見渡してみる、小さな黒い靭やかな動きが視界の端に写り込んだ。彼は自分が誘われていることを感じた。感覚の赴くままに、彼は歩を進めた。家からはぐんぐんと遠ざかるが、別にいいだろうと、そう思って歩き続けた。辿り着いたそこは、彼が彼女を助けた森の入口だった。少し中にはいった奥から、猫の鳴く声がする。その場に着くとあの黒猫がこちらをじっと見つめていた。言葉を発さない彼は同じく彼女をじっと見つめた。猫は数分の後、一つあくびをすると、一瞬まばゆい光が彼の目をつく。たまらず目を瞑る。開いたそこには黒い着物を着崩している人型の彼女だった。すっかり血の気の通った顔を持った彼女は、艶めかしく笑みを作って彼に一礼する。彼女は、助けてくれてありがとうとそう言うと、するりと彼の所に近寄ってほっぺたにキスを落とす。そして彼女は固めを茶目っ気たっぷりに瞑って、お礼のキスにゃ、と言った。だが、どうだろう、彼女は一転して少し不満足そうな顔する。理由は彼が一切の感情を示さないからだった。彼女は自分のキスにドギマギとする彼を見たかったのだろう、だが彼の表情を動かすことは並大抵ではない。彼も頬にキスされたことは、それそのままお礼だとしか受け取ってない、いやそれ以上に受け取ることは出来ないだろうが、やはり殆ど枯れてしまっている彼からしたらそれ以上の妄想も湧かない。

 

彼はなんとはなしに彼女が行ったのと同じく彼女の所まで寄ると、ぽんと頭に掌を乗っけて、キスされても動かなかった顔を、薄い笑みに崩して、唯一言、治って良かった、と言った。途端に彼女はしっぽを踏まれた猫みたいに、ニャッと言ったあと、すごい速さで直ぐ近くの木の後ろに隠れてしまった。彼は何がどうしてそうなったのか分からなく首をかしげる。木の後ろに隠れる彼女の方からやけに小さな声で、い、いきなり何て卑怯にゃ……と彼にとってはよくわからないことを呟いていた。彼はどうしたのかと近づこうとするが、それより先に木からほんの一寸だけ、紅い顔を彼女が出して、出し抜けに、覚えてろにゃ!と叫んでは何処かへ行ってしまった。終始彼にとっては訳の分からない事態になってしまったが、あそこまで動けるようになったことを彼は確認できて安心した。その後はまたとぼとぼと大分暗くなってきた道の中を遠くの家まで歩いて帰った。




一ヶ月が経ってしまいましたが続きです
私としては、投稿制限のギリギリの1000字あたりのものをちまちまと書くだけの予定だったのですが、なんかキャラとの関わりを書こうと思うと流石に1,000字じゃ収まらないですね
ってか本編になかなか入れないなぁ
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