それは、いつもの日常で   作:T・A・P

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それは、いつかの日常で

「お父さん、早くいこうよ!」

「あんまり引っ張るなよ、小雪」

「まったく、あなたはいつまでたっても変わらないわね」

 仲のよさそうな三人の家族が一軒家から出てくる姿が見えた。

 父親の手を引きながら笑顔を浮かべている三~四歳くらいの女の子と、その小さな手を引かれて困った顔をしながらもどこか嬉しそうな表情を浮かべている父親。そんな二人の様子を、少し後ろから幸せそうに眺めている母親の三人家族。

「今日はお父さんが小雪のくしを選んでくれるんでしょ! 小雪、今日の誕生日をすっごく楽しみにしてたんだから!」

 身長の半分以上もある母親と同じ黒髪を揺らしながら、キラキラした笑顔を小雪は振りまく。

「そうね、私も小雪とおそろいの櫛を買ってもらおうかしら?」

 そう母親も空いている父親の手を取り、笑顔を向けた。父親は、少し照れたような表情を浮かべ明後日の方向に目線を逸らす。本当であれば、その事を隠すように頭を掻きたいのだろうが、どうにも両手は塞がっており隠す事ができずにいた。

 その照れた表情に満足なのか、母親はいっそう幸せそうな表情になっていた。

 

 

 電車を降り、三人で少し歩くと一軒のつげ櫛専門店が見えてきた。

 その店は昔から店構えを変えず、どんなに時間が経とうとも変わることなくその場所に存在し続けるような感じを受ける。

父親が先頭で慣れたように暖簾をくぐった。

「こんにちは」

「やあ、いらっしゃい」

 迎えた店主は優しい眼を三人に向けた。いつもの作務衣を着込み、整った髭を撫でつけながら、息子夫婦が孫を連れてきた様な表情で三人を店内に通した。

「おじいちゃんこんにちは!」

「ああ、こんにちは。小雪ちゃん」

 小雪は店主に駆け寄り向日葵のような笑顔で元気な挨拶をし、店主はしゃがんで小雪の目線に合わせて頭を優しく撫でた。

「今日はね! 小雪のくしをお父さんに買ってもらえるんだ!」

 両手を上に掲げ、嬉しさを全身で表現している小雪に、そこにいた全員が自然に笑顔を浮かべていた。

「そうか、そうか」

 優しく頭を撫でた後、店主は優しい手つきで小雪を抱え上げた。

「じゃあ、櫛を見ていこうか」

「うん!」

 

 店内には所狭しと様々なつげ櫛が並べられていた。

 さて、つげ櫛とは元から静電気を防止し切れ毛や枝毛になりにくく、髪の毛を整える際に髪の汚れやほこりを取る効果がある。

それに加え、つげ櫛に椿油を充分に染み込ませることにより、髪を梳かせば梳かすほど椿油が髪の毛先まで行きとどき、艶のある綺麗な髪になる。

当然のように櫛の手入れは必要で、つげ櫛の汚れを取り椿油を染み込ませなければならないが、それに見合った効果を発揮してくれる櫛だ。

 

「これ、きれい……」

 店主に抱っこされてつげ櫛を見ていた小雪は、二つで一組のつげ櫛に目を奪われていた。その櫛を手に取ろうとしているのか、小雪は無意識に手を伸ばす。

 そのつげ櫛は、半月型の真っ白い櫛と真っ黒い櫛だった。真っ白い櫛には黒い蝶があしらっており、真っ黒い櫛には白い蝶があしらってあるシンプルなデザインなのだが、その仕上がりは美しいものだった。

「ええ、美しいわ……」

 母親の方もその櫛に目を奪われ、もう他の物は目に入っていなかった。

「その櫛は、私の息子の作品でね。ここ数年の中で一番の出来だよ。

さて、こうなってしまえば他の櫛はもう目に入らなしだろう」

 小雪を下におろし、小雪はおろされた瞬間に櫛を置いている台にかぶりつき櫛を見上げていた。店主は奥に引き込むと、すぐつげ櫛用の椿油と手入れセットを持って戻ってきた。

「櫛はお決まりかな?」

「ええ、これを貰えますか」

「ありがとうございます」

 店主は丁寧に二つの櫛をしまった。

 

 

 家に帰った小雪と母親はすぐに櫛を取りだし、父親に渡して自分の髪を梳いて貰おうとしていたが、

「油が染み込むまでお預けだ」

 と、言われて、揃って頬を膨らませていた。その後父親は、小雪からの無言の攻撃と、母親からの有言の口撃の集中砲火を浴びていた。

 

それから数週間後、しっかりと椿油が染み込んだ櫛を持った父親の前にはワクワクして待っている小雪と、ソワソワして待っている母親が並んでリビングにあるソファに座っていた。

「ったく、どんだけ楽しみにしていたんだよ」

 そんな二人の姿に苦笑しながら、父親はまず小雪に近づいた。それを感じた母親はちょっとだけムッとしていたが、そんな母親の様子に気がついた父親は頭を撫でた。

「ちゃんとやってやるから、待ってろ、雪乃」

「分かっているわ」

「お父さん、早く!」

「ああ、悪い悪い」

 今度は可愛く頬を膨らませた小雪の頭を撫でると、髪の毛をすくい上げ白い櫛をゆっくりと差し入れた。差し入れた櫛をゆっくりと下に向かって動かし、なんの抵抗も無く櫛は毛先にまで到達した。小雪の髪の毛はつげ櫛を通さずとも一本一本の手触りが滑らかで、シルクのような手触りだった。

「ふぁ~」

 気持ち良さそうな声を小雪は漏らし、そんな娘の様子を雪乃は少し羨ましそうに眺めていた。雪乃の様子に気がついていた父親だったが知らないふりをしながら、再び髪の毛をすくい上げて櫛を差し入れた。

 

「すぅ…………」

 髪を梳かれるのがそれほどに気持ち良かったのか、いつの間にか眠ってしまった小雪を抱き上げ自分たちの寝室のベッドの上に寝かして、リビングに戻ってきた。

「おまたせ」

「ええ、すごく待ったわ」

「んじゃ、始めますか」

 そう、今度は黒い櫛を持って雪乃の髪に触れた。

「これからもよろしくね、八幡」

 いつまでも変わらずそばにいてくれる八幡に見せるいつもの笑顔。

 二人、いや、三人。もしかすればこれから先、家族が増えることもあるかもしれない。だが、死が二人を分かつまで、この二人はずっとここに在り続けるだろうと思いながら、

 

 


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