東方ギャザリング   作:roisin

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26 蓬莱の国では

 

 

 

 

 

 

 理解不能の声を上げる間も無く、俺は目の前の光景が突然変わってしまった………という事実を実感した瞬間に、固い地面へと叩きつけられる。

 情けない事この上ない。不細工なゴム人形の様に、ぎゃふん、と崩れ落ちた。

 だが、それはジェイスも同じ様で、俺のように無様にではなかったけれど、ドサリと、うつ伏せに倒れ込んだ。

 自分の事など二の次にして、慌てて体勢を建て直し、彼の元へと近寄った。

 慎重に彼の体を仰向け………ではなく、呼吸気道を確保する為、横へと傾ける。

 それが切欠になったのか、彼は咳き込みながら、血を鉛色の荒野へと吐き出した。

 まるで刑事ドラマで殉職するキャラを見ているみたいだと、今まで見た事も無い光景を記憶と照らし合わせながら、既に襤褸切れになりそうであった自分の服を破り、出血している胸部へと宛がう。

 

「ジェイス、どうしてこんな事を………」

 

 声に出して尋ねてみると、途切れ途切れになりながらも、彼がどうしてこのような行動を取ったのかが念話で伝わって来る。

 背後から貫かれ、痛みで意識が定まらなかった事。

 その後、何とか痛み以外に考えられる余裕の出来た思考で、あの場からの脱出を計った事。

 本当なら精神掌握で相手を無力化にしたかったのだが、掛かり難かった相手&傷のせいで魔法が安定せず、仕方なしに今自分の能力で来れる、最も遠い場所まで俺と一緒に転移して来た事を教えてくれた。

 

(………通りで月の国が遠くに見えると思ったよ。周りは岩だらけだし)

 

 歩きつかれた荒野の果てに、煌びやかにネオン輝くラスベガスの町並みでも見つけた旅人のような光景が連想された。

“ザ・月面”な場所に飛ばされていたので、普通の生物なら窒息で死んでるんじゃないかとは思うが、何の支障もなく生存出来ている事態に、答えてくれる者は誰も居ない。

 しかし、今はそんな事よりジェイスだ。

 再生呪文を掛けるべく、カードを思い描く。

 本来ならば、【プレインズウォーカー】である彼に、クリーチャー再生の効果を持つカードは無意味であるのだけれど、俺(プレイヤー)自身にも効果が適応されている事から、行使しても問題無いだろう、という思いはあった。

 けれど、ジェイスはこちらがカードを使うより早く、俺の行動に『待った』を掛けて来た。

 念話であっても、苦悶がこちらに伝わって来ているというのに、一体………。

 

「………そうか………俺の残りのマナは………」

 

 俺の疑問に答えるべく、搾り出すように告げられた念話に、思わず納得してしまう。

 今日を迎えてから、ジェイスの召喚で3、【死への抵抗】で1、【暴露】は【ピッチスペル】で解決したのでマナは使用していないが、使えるコストは残り2となっていた。

 カードの種類は上限が9だから、残り5枚は使えるとしても、俺の現在の切り札レパートリーの中では、最もコストが低いものでも最低2から。

 先に使用した、切り札その①【ハルク フラッシュ】は、丁度残りの条件を全て使い切る形で合致しているのだが、月の戦力相手には、呼び出すクリーチャーの特性も相まって、少し心許無い。

 とてもじゃないが、穢れを嫌う蓬莱の国の兵士が、2/2の天使クリーチャーである【霊体の先達】の【プロテクション(黒)】に引っ掛かるとは思えない。

 単体性能が未知のゾンビ、【屍肉喰らい】なら尚更戦力として考慮するのは危険。

 つまりは、後1つでも何かにマナを注ぎ込んでしまえば、俺は残り数十時間、少し汎用性があるだけの、ただの一般人に成り下がる。

 最も、現状で俺は破壊不可になっているようだが……守りが強固でも攻めが疎かであっては、とてもではないが、月の人達相手に立ち回れるとは思えない。

 この場合の攻めとは、反撃としての手段であり、侵攻の一手ではないのだ。

 縄文レベルの技術や文明ならばいざ知らず、ひと薙ぎで物質を粒子状にしてしまう武器を所持しているお方達が相手なのだから、完全無抵抗など、語るまでも無い。

 何より彼らは『フェムトファイバー』と呼ばれる、特殊な物質―――だったか―――を糸状に作り上げる技術を保有している。

 この糸は、何やら色々な説明があって詳細は覚えていないのだが、永劫劣化せず、何者にも侵食されず、ある程度の幅で纏め上げれば、決して破壊されない、とされているもの。

 月版の【ダークスティール】のようなものだろうか。

 その効果は日本の最高ランクに位置する大国主を初め、主神であるアマテラスですら対処出来ないものだった筈だ。

 俺が勝てなかった神奈子さんより、さらにグレードの高い神々が封殺されているというものを相手に、どう対処すれば良いというのだろう。

 万が一にでも、そんなものに絡め取られた日には……ガクガク。

 

 けれど、仮に惨敗したとしても、希望が無い訳ではない。

 月の地での殺生は穢れとされている事と、月の民達が高度な文明を持っているが為に、ある程度は俺の意見にも耳を傾けてくれるんじゃないかという事。

 この二つの理由で、少しだけ楽観出来る部分があるのはありがたい……と思った方が良いんだろうか。

 とりあえずは、そう思う事でメンタル低下を防ごうと思う。

 

 ただ、だからといって彼をこのままには出来ない。

 ジェイスの考えも最もだが、それが、彼を助けない理由にはしたくはないのだ。

 転生前の社会ならば『この男性の浅はかな考えが』『治療経験の無い人物が』云々と、マスメディアが挙って非難を送っていた事だろう。

 幸いな事にそんな場面ではないので、彼に向かって元気な顔を見せて、『大丈夫だ』と返事をし、マナを使わなかった、先程の【ピッチスペル】系での方法解決を模索する。

 

(色的には白か緑……【ピッチペル】で再生か回復……は……条件が……あ)

 

 そうだ。何も、その手の条件に拘り続けなくてもいいのだ。

 俺の記憶のそれ系の呪文には、ダメージ軽減カードはあれど、再生系のカードは無い。

 ならば回復だ、となるのだが、これら呪文は好きな対象を選ぶことが出来ないカードが殆どなのだ。

 使ったとしても、俺自身が回復するだけであって、ジェイスが治る訳ではない。

 そしてこのダメージ軽減が傷を癒してくれるかもしれないと一瞬考えたけれど、あれはダメージを負うのが確定している段階で、事前に発動させなければならなかった。

 だとしたら、既に傷を負ってしまった状態での治療は、効果が見込めない。

 あれならば、彼が懸念している状態にも陥らないので、予想した通りの能力が発揮されてくれたのなら、言う事なしだ。

 という事で、過去に一度試そうと思った、例の呪文系を使ってみるとしよう。

 

「ジェイス、今何とかするからな。……名前なんだったか……【薬草の湿布】召喚」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『薬草の湿布』

 0マナの、アーティファクト

 3マナを支払い、これを墓地に送る事で、対象のクリーチャー1体を再生する。

 

「傷の清めには夜明けに、同じ傷を受けないためには夕暮れにオレンジの葉を当てよ。」――― キスキンの迷信

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本来ならば、これらアーティファクトは、それに見合ったコストを注ぎ込まなければ発動しない。

 だがこの様に、コストを使用せずとも使えそうなカードは、一体どうなるのだろうか。

 例えるのなら、剣や弓、鈍器といった、そこに存在しているだけで、役目を果たしているとも言えるものは、新たにマナを使用しなくとも、効果があるのではないか、と考えた。

 

 ただ……

 

(フレーバーテキストの最後が不安要素なんだよなぁ……。何だよキスキンの“迷信”って)

 

 手元に、白い布に包まれた茶色い腐葉土っぽいものが現れたのを見ながら、そう思う。

【キスキン】とは、MTGで登場する、一メートル前後の大変小柄な、真っ白い肌を持つ人型部族の名前である。

 彼らが言うには、通常は傷薬。その他応用技で、一度傷を受けた後で、指定された葉を特定のタイミングで使うと、耐性が出来るという秘薬になる、と嬉しい限りな品物のだが、それを素直に喜べない文が最後にくっ付いていた。

 けれど、もうそんな真偽は確認する時間はないので、手早くジェイスの傷を塞ぐ行為に移る。

 何にせよ、とりあえずは治療薬なのだ。

 やらないより、やった方が良いに決まっている。

 転生前の仕事の関係上、あくまで応急処置的な知識や技術しか分からないけれど、どうせこのままでは改善の見込みは無いのだ。やれるだけの事はやっておかなければ。

 

「ちょっと我慢してくれ。多分……効く筈だ」

 

 効果を疑問に思っている俺に共感したのか、念話で苦笑されるという初めての体験をしながら、俺は彼の体へと湿布を宛がう。

 漏れる苦悶の声。歯が折れんばかりに噛み締められた口。

 それに臆して手を止める、という事はせずに、鬼手仏心の精神で作業を遂行する。

 といっても、単に布を傷口に貼り付けるだけの事なのだが、これが中々に心を磨り減らす。

 ジェイスの押し殺した意思と、指の隙間からこぼれる血液が背筋を凍らせて、俺の精神値をガリガリと削ってくれるのだから。

 

(根性見せろ俺! こんなので怖気づいてたら、ますます悪化するかもしれないんだぞ!)

 

 自分自身を叱咤しながら、前後に空いた穴を塞ぐ様に、細心の注意を払って湿布で封をする。

 それをし終えて、ゆっくりと彼を横たえてやれば、心なしか、先程よりは顔色が良さそうに見えた。

 だが、それでは全く足りないのだ、と、俺は焦りに似た感覚を抱く。

 今までこの手の再生カードを使った際には、ものの一瞬で回復していた為に、それに準じない効果だったというのは、それだけで不満の対象。

 それが世間で言うところ“普通”だとはいえ、今までMTGを基準にした“普通”を体験していただけに、この落差は如何ともし難い事態である。

 

(あぁ、やっぱりマナ注がないと能力を全て発揮される訳じゃないのか……)

 

 ダメ元でやってみたらやっぱりダメだった、という無慈悲な現実に、歯の奥でギリギリと苛立ちの音が鳴る。

 効果が無い、という訳ではないようだが、この微妙な事態は頂けない。

 深呼吸を一つ。

 混乱一歩手前の頭を冷却し、再度、考えられうる限りのカードを脳内で検索。

『こんな時こそ俺がしっかりしなければ』という、使命感と罪悪感の混合された感情に突き動かされながら、今までに無い程に頭を回転させる。

 

 ……だが、俺は侮っていた。

 今治療を行っている相手が【プレインズウォーカー】と呼ばれる存在であり、ことジェイスは、精神関係で右に出る者が居ないという事実に。

 動かすのも一苦労、と思える動作で、彼は自分の胸部に、触れるか触れないかという位置で手を添えた。

 そうして、その手が淡く光り出す。

 こちらに何も告げずに動き出した事に、一瞬驚いたものの、即座に彼がしている行為への回答が想像出来た。

 

(あっ、治癒魔法!)

 

 剣と魔法のRPGゲームのみならず、様々な作品で登場する、ホイミ、ヒール、ケアルといった名のついた、超王道魔法。

 これが無ければ物語は始まらない、とばかりに登場する魔法なのだが、そんなもの、MTGの能力を貰って連想する方が難しい。……というか、俺が出来ていなかった。

 例えるのなら、どこぞの物語で最強魔法チートを貰った主人公が『銃使うかな』と言い出した感覚だろうか。強い光にばかり目が向けられて、その陰に潜む様々なものを把握していなかった。

 目から鱗状態になりながら、何故“本来使えない”筈の魔法を使っているのかについての解答が、頭の中からこぼれ出る。

 

 ―――彼の能力の一端。それは、他者の記憶を再現する事。

 メインである精神操作とは若干異なるが、強力な能力である事には間違いない。

 東方寄りに言うのなら、旧地獄の管理人、地霊殿の主である、古明地さとりの能力が近いだろう。

 あれは相手のトラウマを再現して相手を襲っていたが、ジェイスは相手が使う魔法や技術が自身で再現可能ならば、それをいつでも行使出来る。

 ネクロマンサーや黒魔術師の呪文を使って悪夢を降臨させたり、優れた剣士の技を使用し、剣術の達人となった事もある。

 何より、今回はMTG内にて【癒し手】と呼ばれる回復術に長けた者達の魔法を再現させ、自身の回復まで行っているというのだから、『え、彼が主人公ですか?』と尋ねたくなる様なお方であった。

 ただ、一見万能チーターに見えるジェイス様にも、やはり制約はあって、それは自身の色から逸れていない【友好色】に依存する所が大きい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『友好色』

 特定の色に対して、相性の良い、別の色の事。イメージで言うのなら、陰陽やファンタジーモノRPGなどの、五行や属性関係がそれに近い。

 MTGで使用するカードには、それぞれ固有の色が付随されており、白、青、黒、赤、緑の五色からなっている(無色は除外)。そして、それら色の組み合わせが多ければ多いほど、カード性能は上昇する傾向にあるが、それらに比例して使用条件が困難になる。

 つまりは、色が混ざれば混ざるほど、強くもなり、使い難くもなる。

 しかし、【友好色】に定められている関連性を持つ色のカードは、使用する際に制約が多少軽減される場合が多い為、デッキの趣旨に合うのなら、好んで投入される。

 どのような色同士が【友好色】なのかと問われれば、理由も兼ねて、以下の説明が適切である。

 

(以下MTG wiki丸写し)

「秩序」「法律」の白の友好色は、「共生」の緑と「思考」の青。

「思考」「狡猾」の青の友好色は、「法律」の白と「邪悪」の黒。

「邪悪」「死滅」の黒の友好色は、「狡猾」の青と「混沌」の赤。

「混沌」「衝動」の赤の友好色は、「死滅」の黒と「野生」の緑。

「野生」「共生」の緑の友好色は、「衝動」の赤と「秩序」の白。

 

 これらの対義語として、【対抗色】というモノもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青のPWであるジェイスの友好色は、黒と白。

 これは青の持つ“思考や狡猾”の特徴に、“法律”の白と“邪悪”の黒の特徴がマッチしている為だ。

 これにより、他者の記憶から能力や経験を再現する力―――今回の治癒魔法―――に追い風を加える形となり、その能力を一切損ねる事なく、魔法を使っているのだと予想する。

 現にジェイスの手や口元の血行が良くなっているのが見て取れてきたので、自分の考えは外れていなかったのだと認識した。

 

(あ、あれ……何か……いつもより余計に体力が……)

 

 だが、今度は別の問題が浮上する。

 合計で使用したマナは4。

 維持中のカードも、4。

 けれどその維持には、今までに無い疲労感が襲って来ていた。

 過去4マナ相当を召喚し続けていた時には感じられなかった現象だ。

 体力もだいぶ付いてきているとはいえ、このままでは先行きが不安になってしまうのではないか、と思える疲労具合。

 原因を究明すべく思考に入る前に、俺は目の前で行われている医療行為を直視して、漠然と、何とはなしに、その理由が推測出来てしまった。

 

(もしかして、PWが使う魔法って、俺の体力からエネルギーが捻出されてる……のか?)

 

 ジェイスが永琳さんや綿月姉妹に記憶操作をしていた時には、今の様な兆候は見られなかったのに。と、やっぱり間違ってるんじゃないだろうかと思う推測を出してしまったが、今はそれを詳しく検証している時間は、残されてはいないだろう。

 

 最悪、ジェイスや勇丸をカードへ戻す事も考慮に入れながら、俺は月の大地へと横たわる。

 今出来る事は、極力体力の低下を防ぐ事と、永琳さん達を昏倒させてしまった事への対処。

 ジェイスの傷が回復し次第、戻って謝罪をし……後は野となれ山となれ。

 仮に死刑など言われようものなら、その時は、全力で抗う事にしよう。

 地上の頃の様に、誰かを治療しても良い。

 金銀財宝が欲しいのなら、文字通り一山築けそうなほどの量を出そう。

 だが、それでもダメだった場合。

 俺は、例えそれが月の人を殺める事態になったとしても、最後の最後まで地上へ帰る事を諦めない。

 ……『相手を殺してでも』、なんて物騒な思考が出てくる脳内に驚きながら、それぐらいにはテンパっているのだろうと自嘲気味に、薄く笑う。

 

(こりゃあ、別の切り札を使う場面が来るかもなぁ)

 

 大の字に寝そべって見上げた星空は、大気が存在しないせいなのか、星の光が刺すように零れ落ちている。

 月の国が、この天体の裏側に建国された都という事もあり、極寒の気温と地面がこちらの体温をみるみる奪っていく……筈なのだが、現状はせいぜい“肌寒い”程度に収まっていた。

 先程まで、極限とも言えるほどにテンパっていた頭の熱を、段々と下げてくれているのは有難いが、これら様々な疑問に複数同時に思考出来る筈も無く、それら多数の疑問を全て切り捨てて、俺はこれから起こるであろう月の国との一悶着に備えて、如何に最小限の揉め事で済ませられるかを、考える事に勤めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「対象はたった一人。不可思議な能力持ちではありますが、何も……」

「依姫君。これは、一種のパフォーマンスも兼ねている。何も殺めようなどという愚かな真似をする訳ではない」

 

 薄暗い室内に、幾人かの人影が点在している。

 10人は収容出来ようかという、会議室の様な作りの部屋には、依姫を囲むように、中年~初老と思われる男性や女性が、幾人か長テーブルに寄りかかりながら、鎮座していた。

 依姫と話した中年の男とは別に、今度は初老の男性が話し出す。

 肩や胸に掲げられた勲章が、この黒く染まった室内であっても、なお自己を主張している。

 眉間に刻まれた皺は、まるで彼女の苦難の歴史を物語るかのように、深く、そして幾筋も見て取れた。

 この部屋の中央に位置している事から、この場をまとめ切るだけの権限を持っている―――月の軍部における、最高司令官がそこには居た。

 

「然様。我らがこの月に来て幾千年。既に民達の心には、生きるという目的すら失われつつある。日々を懸命に過ごすでもなく、ただ与えられた平和を垂れ流すように安穏と貪り、そしてそれが、さも当たり前に存在するものだと誤解し始めている。教育や祭事によって抑えていはいるが、もはや目に見える形で、綻びは現れつつあるのは、君にも分かっている事だろう」

 

 月人が地上を捨て、こちらへと移り住んでから、数千万年。

 終わりの無いような寿命を持つ彼らには、命を掛ける様な出来事は存在しなかった。

 完璧に管理された社会体制には餓死者、失業者などはおらず、穢れの存在しないここでは病に掛かろう筈も無く、外傷などの怪我は、それこそ近場のドラッグストアに並んでいる薬で事足りる。

 唯一幅を利かせているのが精神科だが、それでも、全体で見れば生きていく事へのハードルは、無きにしも等しくなっていた。

 そんな中で、生き物は一体何の為に生まれてくるのだろうか。

 定期的にその手の疑問が月では様々なメディアや学会で発表されてはいるが、明確な答えは未だ出ていない。

『生を謳歌する事が目的ではなく、死への回避の為に生きているだけだ』と唱えた者も居たが、この場にいる一同にその言葉を聞かせれば、表面的には同意せずとも、心の何処かで肯定しているであろう。

 

「確かに昨今の民達の状態は芳しくありません。ですが、だからといって地上人一人の為に、軍を“ほぼ全て”動かす理由には―――」

「なる」

 

 重みを持って発せられた言葉に、依姫は思わず言葉を呑む。

 

「犯行が行われた場所は、君も知っての通り、この国で最も安全性の高い場所である事は、周知の事実。そこで……よりにもよって、月の頭脳たる八意君を意識不明にしたばかりか、君の姉である豊姫君まで同じ状態にし、さらには完全に痕跡を絶って、逃げ果せていると言うじゃないか」

 

 その発言を耳にして、部屋の隅で資料をまとめていた、白衣姿の女性が、手元の書類を読み上げる。

 若干の緊張を含んだその表情は、こういった場には慣れていない―――急遽ここへと連れて来られた様子が伺えた。

 

「両名とも最新鋭の医療センターにて治療中です。……しかし、状態が思わしくなく、外的刺激から薬物に至るまで、全く効果がありません。恐らく精神面で何らかの負荷が掛かり、それによって昏睡したのかと思われます」

 

 裏返りそうな声を抑えて言い切った事へ安堵し、私の役目は終わったという風に、静かに深い溜め息を吐いた。

 けれどそんな彼女とは裏腹に、依姫の苛立ちは段々と募っていく。

 

「ですから! 私の能力を駆使しても永琳様や姉上の意識は取り戻せなかったと、そう仰っているではありませんか!」

 

 抑えようとして、けれど押さえ切れなかった不満の表れが、言葉に混ざる。

 彼女はこの場に出席する前から、その事について報告を上げていたのだ。

 なれば今するべき事はこのような会議ではなく、一刻も早くいずこへと消えた、九十九なる人物の捜索ではないのか。

 今この場の全てをかなぐり捨ててでも任務に当たりたいというのに。

 周りに座っている人物達が、息を呑んだり、体を竦ませる。

 しかし、そんな叩き付ける様な言葉にも眉一つ動かさず、司令官は淡々と応答した。

 

「君はあくまで軍部の地位を持っている人物であり、医療や医術に対しての専門家ではない。我々だけならばそれで納得するだろうが、この事は民衆にも伝えねばならん。その時の為だ」

「そ、それは分かっております。ならばなおの事、私がこうしている時間は……」

「何事にも手順というものがある。無論、完全にそれに縛られていては、本来助けるべき相手すらも助けられずに終わるだろう。……だが、ここは軍だ、依姫君。戦というもの自体を忘れて久しいが、それでも、時には幾人もの命が消える部署なのだよ」

 

 そこで一端言葉を区切り、意味あり気な目線を投げかける。

 

「本来ならば、こうした討論すらせずに終わらせるものなのだが……」

 

 そうしない理由がある。

 そう、言葉に意味あり気な印象を含ませる。

 

「………私に何か、お望みなのでしょうか」

「話が早くて助かる。―――といっても、既に用件は達成中なのだがね」

 

 言われた言葉が飲み込めず、依姫は呆けた表情を浮かべた。

 現状の、果たして何が彼の用件だったのかを推測するが、明確な答えは考え付かない。

 

「命令だ、綿月依姫。以後指示があるまで、この建物内にて待機。それが今作戦における君の任務の大半だ。以上」

「ま、待って下さい! それに何の利理由が」

「……これ以上説明を求むのかね。上官への対応がなって無いな。また士官学校からやり直したいのか?」

「理由を仰って頂ければ、それでも構いません!」

 

 脅しのつもりで言ってみた台詞が、何の効果も発揮していない様子に、司令官は深く溜め息をつく。

 しかも暗に『喋らなかったら力づくだ』と匂わせるような台詞まで言っているではないか。

 

(八意様や親しい者達の事になると、途端に視野が狭くなるのは、中々改善されぬものだな……)

 

 今に始まった事ではない、依姫の強引さに、司令官は内心で頭を抱えた。

 これさえ無ければ、ゆくゆくは自分の後を継がせたいと思えるほどの逸材なのだが、これがある限り、決して彼女に譲る事は出来ない。

 通常なら、説明を求める時点で、軍規に触れるか触れないかの線なのだが、これも将来の部下を育てる一環だ、と判断し、彼は説明を始める。

 

「現状、君の戦力は圧倒的だ。一個人でありながら、その力は戦術級を超えて、戦略級に及ぶだろう。我が軍の切り札の一つとして換算しても良い」

「……今回の件では過ぎた戦力だと仰るのですか?」

「そうだ。現在、君の能力が突出し過ぎてしまっている。はっきり言って、周囲の鍛度が全く足りない。……気の抜けた訓練を指揮している君なら、良く分かっているだろう?」

 

 それには依姫も、思わず顔をしかめた。

 まるで、お遊戯の延長線上であるかのような、玉兎達の練習風景は、とても頭を抱えたくなるものなのだ。

 だが、それがふざけるているのかと問われれば、それには否、と言わざるを得ない。

 確かに玉兎……ひいては彼女の部下達には、気迫が不足―――圧倒的に―――しているだけで、決して不真面目な訳ではないのだから。

 

「……つまり、これは民衆への教訓と、軍の……訓練を兼ねた作戦であると?」

 

 軍の大半を動かす事になったこの出来事が、ただの訓練だとは言いたくなかったが、流石にこれが訓練でなく何だと言うのか、という結論に至り、渋々と言葉として形にする。

 

「情報を整理した結果、その八意様が迎え入れたという人物は『絶対に壊れない』能力を保持し、鳥や熊などの生物から、特殊な効果のある水―――温泉か? を出す能力が、研究の結果、確認されている。それに、対応した職員の話からは、対象に特別な破壊衝動や殺人趣向があるのは確認されていない」

「訓練の相手には最適だ、と。そう仰るので?」

「然り。……月の偉人に手を出した、凶悪な犯人の捜索。何も知らぬ者達からすれば、それはこの月の国建国以来、最大の脅威以外の何者でもなく、対処、または対応する為に、それこそ自分の命と現状を比較しながら事に当たるだろう」

「……仰る事は理解致しました。―――綿月依姫。これより待機の任にあたります。以後、ご命令がある限り続行致します」

 

 一息。

 

「……ですが、納得した訳ではありませんので、そこは覚えておいて頂きたい」

 

 軽く脅しが入っている口調に、とやかく言う間もなく、依姫は踵を返して退出していった。

『何かあったら分かってんだろうな』と、立ち去る足音だけで判断出来てしまうのは、これは新たな彼女の才能なのかもしれない。

 途端、司令官以外の席に腰掛けていた人物達から、姿勢を直す音や吐息が聞こえてくる。

 それもその筈で、司令官が『待機』と命令を出した時から、依姫より漏れ出した憤怒の気が場に満ち満ちていたからだ。

 

「全く……。あれさえ無ければ、もっと責任のある立場に据えてやれるものを。武芸者としてなら素晴らしいが、軍人としては不合格だな。……君達、何を呆けた顔をしているのかね。各々の業務に復帰したまえ」

 

 その言葉で我に返った者達は、慌てたように、自身のやるべき事の為に動き出す。

 実際、医療センターから派遣された女性一人以外、彼らがこの場に居なければならない理由は無かったのだが、司令官が軍に属するものの心構えを“さり気なく”話す場として、意図的にこの場に残るよう仕組んだのが原因で、当の彼らは、“明日は我が身”や“人の振り見て云々”といった心情になっている者が大半だ。

 この場において地上での実戦を経験したものは、司令官、ただ一人。

 他にも戦を経験した者は当然居るのだが、その他の者達は、また別の重要な役職へと就いてしまっており―――前線や中間での経験者がほぼ皆無なのだ。

 そんな出来事も含めて、司令官である彼は、他の若い者達への改善策の一つにでもなればと思い、この茶番劇を仕組んだ訳なのだが、

 

(ふむ、まだ青いとはいえ、悪くない表情になったな)

 

 我先にと退出していく者達を眺めながら、こんな出来事でもなければ変わらなかったであろう、彼らの心構えの変化に複雑な心境になった。

 ある意味で、そんな彼らこそ、この月での平和が実現している象徴なのだが、それは一般人にのみ許された特権であり、戦を―――防衛を生業としている者には余分なもの。

 その辺りの切り替えを、出来ていない者が多かったが、恐らくはこの一件で、決して悪く無い方向へと進んでいく事だろう。

 

 意図的に緊張感のある状況を作り出す事は出来ず、仮に強引に行ったのなら、それは軍という必要性を、ここ数千年、全くと言って良いほどに感じていない月の民達への不満感へと代わり、最悪、消滅へと繋がりかねない。

 外敵が存在しないのならば、それでも良いのだが、地上の発展具合は、緩やかではありながらも、確実に向上している。

 これで何かのエネルギー革命でも起これば、その伸び具合は一足飛びに行われるのは目に見えている。―――かつて、地上で暮らしていた我々―――月の民が、そうであった時の様に。

 その後は、恐らく地上との接点が出来る筈なのだ。

 その時。手と手を取り合える仲になれれば良いが、穢れの中で生きる彼らにそれを求めるのは、非常に危険性が高い。

 だが、そんな事実を考慮にすら入れず、この国の民衆は、平和への交渉に乗り出すだろう。

 信頼、信用、大いに結構。大変素晴らしい志だと感心する。

 だが、同時に馬鹿な話だと呆れてしまう。

 それが、どれだけ危険な行為なのかを、果たして彼らは、分かってやってくれるのだろうか。

 個人でそれを行う分には、その結果は自身へと跳ね返ってくるだけなので、問題は無いとして。

 これが集団、地域の枠組みや、国として見た場合、一体誰が責任を取ると言うのか。

 

 ……いや、それは考慮するまでも無い事なのかもしれない。

 それは当然、賛同した者達……否。

“強く”否定しなかった者達へと返って来るだけなのだから。

 否定はしたが、ただ流れのままに身を委ねた者達も、賛同した者達と同様の責任を負うだろう。

 

(認める訳にはいかん……)

 

 自分は軍を束ねる者。

 自分は武を行使する者。

 自分はこの国を守る責務を負う者。

 

 ―――私は、この国を愛する者。

 

(私は私の持つ力の全てを以って、この国の未来を守ると誓ったのだ)

 

 

 一個人で行える範囲など、そこまで広くは無い。

 ましてや、自分はただの月人。

 頭脳が優れている訳でも、家系が王族な訳でもなく、能力の開眼なんて兆しすら見せない、寿命が長いだけの、ただの個人。

 そんな自分を無力だと呪った日もあったが、それをバネに、何とかここまでの地位に上り詰める事が出来た。

 それを今使わずして、いつ使えば、この国の平和を維持出来るというのか。

 

(いっそ、政治家として進んでいけば良かったか……)

 

 この騒動が起こる前から間々考えていた事だが、皮肉げに口元を歪めて、一笑に付した。

 狐と狸の化かし合いの場が嫌いで、けれど何かこの国の為に何かしたいと思い、軍という職に就いたのだ。

 それを今更変えた所で、はてさて、成果が現れるまでに、一体何千年掛かることやら。

 

「地上から来た者よ。怨むなら、月の象徴に手を出した自分自身を怨むと良い。……君には、建国以来、最大の罪人となってもらおう」

 

 一体何の為にこの様な事をしたのかは未だに分からないが……。

 恐らく、月侵略の糸口か切欠とするつもりか、こちらの何かしらの情報を仕入れる為の策だろう。

 こんな事態を引き起こした犯人が、何も考えていない筈は無いのだ。

 きっと、いずれ、こちら側によくない接触を謀って来るに違いない。

 ならば現状不安定な戦力を見せて、油断を誘うと同時、切り札でもある依姫の能力を隠せるのなら、一石二鳥以上の効果を生み出せる。

 現状で思い浮かぶ策は、これで取り終えた。

 後は、地上人が捕まるのを待つだけだ。

 ……欲を言うのなら、その地上人が少しでも抵抗してくれれば、それだけこちらの世論や危機感を操作し易くなるのだが、あまり期待するのは、酷というものか。

『絶対に壊れない』能力を持っているようだが、それだけでは月の軍事力には抵抗出来ない。

 他にも雑多な生物や物体を出現させていた様ではあるものの、手元の資料を見る限り、脅威と呼べるほどのものは確認されておらず、仮にあったとしても、この国の技術で対処出来ないとは思えない。

 地上にいる数多の神々の中でも―――極一部の島国ではあるが―――頂点に君臨する大神を、封殺する術を持つ月の文化に、どういう事態になったのなら、対処出来なくなるのだろう。

 

 犯行目的は不明。

 しかし、現状で推測出来る事は限られている。

 後は地上人を捕縛するまで待つ他無いのだが、頭を使う以外にする事が無い、というのは、何千年経っても自分にはもどかしく思えて仕方がないようだ。

 

「全く……一体何の理由でこのような馬鹿げた事を起こしたのやら……。月の首脳部が、誰も分からぬとは……」

 

 前代未聞の愉快犯に、参謀や政治家達はてんてこ舞い。

 誰もがその理由を突き止めることが出来ないまま、行動に移るしかない現状に、月の司令官は息を大きく吸い込む。

 ゆっくりと吐き出された空気には、長年の疲労と、これで月も変わるだろう、という、僅かな希望の色が伴っていた。

 

 

 

(……そういえば、依姫君の報告書には、何故地上人を『青い者』と表記してあったのだろうな……)

 

 

 


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