東方ギャザリング   作:roisin

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29 Hexmage Depths《中編》

 

 

 

 

 

 

 ―――轟音。

 

 世界を震わす音に、この光景を遠巻きに見守っている―――月の軍部―――の誰もが息を呑み、誰とも知れない、無名の神へと祈る。

 終わって。救って。助けて。

 安堵を得たい者達の声は、方向性は同一であっても、目的地が明確に決まってはいなかった。

 それはそうだ。

 有史以来、これ程の脅威を振り撒く相手を見た事がないのだから。それを鎮める為には、さて、誰に祈れば、この願いを聞き届けてくれるのだろう。

 だからこそ、無名の神―――存在しない、今し方作り上げたであろう、妄想の中でのみ息づく神へと、その祈りを捧げた。

 

 赤、白、黄色。

 童歌のように夜空を照らす花火達は、その一つ一つがとても大きく、輝かしく、綺麗で。

 ―――何より、考えられないほどの破壊力を伴っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 威嚇として【マリット・レイジ】から発射された光線が、こちらとあちらの、丁度中間程を、一閃。

 みるみる赤く、続いて白くなっていく大地が時間差で爆発炎上し、そこにマグマの川を作り上げた。幅数十メートルの、全長2~3キロはあろうかという、大運河に届きそうな規模で。

 天空の城なんちゃらで見た、ロボット兵が要塞を破壊していく様を思い出す。

 最も、あれの数倍から数十倍の規模ではあったけれど。

 その直後に、相手側の大地が光ったと思ったら、攻撃が一斉にマリさんの体を覆うように飛来。

 轟音、爆音、メギドラオン。

 銃弾の豪雨にさられた時、俺は辛うじてマリさんから伸ばされた触手にしがみ付き、吹き飛ばされるのを防いだ。

 しかし流石マリさんというか、避けるどころか迎撃する素振りすら見せずに、淡々と触手や光線での攻撃で相手の戦力を削っていくのは、ワンサイドゲームどころかライン工場のバイトでもしている気分にさせてくれる。

 元々のタフネスに加えて破壊不可の効果まで伴っているのだから、当然といえば当然の姿勢だろうが、こうも一方的な光景を……

 

(あ、また一機)

 

 戦車が切断レーザーみたいなものを受けて、一瞬にしてバラバラ分解な行動不能状態に陥った。

 先程の極太ビームでないのは、やはり爆発してしまったら人命に関わるから、なのだろう。

 慌てて脱出している、五体満足の兵隊さん達を見るに、マリさんは俺の言う事を実践してくれているようだ。

 

(あれ幾らするんだろうなぁ。自衛隊が持ってた戦車って一台十億位だし……)

 

 あれは純国産価格だったからなのかな。

 海外からある程度の部品を輸入すれば……。

 ま、もういいや。

 何はともあれ、これでジェイスが回復するまでの時間は稼げるだろう。

 こんな事態になっているんだ。今更戦車の一台や千台程度……。

 マリさんが直立する俺に考慮して、体を固定させる為に撒きつけられた、比較的ドゲドゲの少ない触手を握り締めながら、事の成り行きを見守りつつ……数刻。

 ものの見事に、視界内で脅威になる対象が沈黙なされました。

 

「流石マリさんだ! そこに痺れる憧れるぅ!」

 

 一度言ってみたかったんだよね、この手の台詞。

『ん』と一言。

 簡単ではあるが、そのたった一言から、『どんなもんだい』と、満足気に返答しているのだと気づいてしまえる音調だった。

 な、なんか可愛いかもしれん。

 一人で胸がときめき掛けていると、触手の一本をこちらの顔の前に持ってきて、それをピンと垂直に伸ばす。

 

(……? ……あぁ、これ“グッ”って親指立てるあれのつもりなのかな)

 

 MTGでは、その手のコミュニケーション方法は既にあるものなんだろうか。

 こちらも負けじと親指を立ててみれば、答えてくれたのが嬉しいのか、彼女から『♪』と、言葉にならない楽しげな気持ちが、こちらに伝わって来た。

 

「あ……(きゅん)」

 

 俺よ、さっきの言葉は訂正するぜ……。

 可愛いかもしれない、じゃない。マジ可愛いわ! 見た目なんて些細なものなんだZE!

 思わず足元にいるマリさんへ頬擦りでもキメようかとしゃがみ込もうとした時、彼女の口から、また例の光線が出る前兆を感じ取る。

 確か敵は全滅した筈だが、また残っていたのか、と目を凝らしながら前を見てみると、

 

(……あれって……依姫……か……?)

 

 星の光と燃え盛る炎に照らし出されて浮かび上がるのは、薄紫の髪を持つ者の姿。

 それが、周りの光源など必要ないと主張するかのように、その輪郭をハッキリと浮かび上がらせて来ていた。

 一体いつ現れたのだと疑問に思うが、それに思考を裂く間も無く、おぼろげに、彼女の腰辺りへと光が集まり―――

 

「げぇ!?」

 

 光が走る。

 炎ではない。もはや粒子の激流とでも呼ぶべき白い何かが、こちらに迫って来る。

 効果は薄いと分かっているのに、それらを防ごうと、思わず両手を前に突き出した。

 

 世界が白く染まる。

 刹那の時間も与えず、俺も、【マリット・レイジ】も、全くの無抵抗のままに、その奔流に飲み込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何撃目になるだろうか。

 幾度となく打ち込んだ攻撃に、相手はその体を地面から放すことすらしない。

 ……いや、そも、あれは防御と呼べるだけの行動を起こしただろうか。

 無造作に、まるで群がって来る羽虫を追い払うかのような、緩慢な動き。

 最も、それが特殊装甲を用いた兵器を容易く圧壊させ、大地を粉々に吹き飛ばしてしまうのだから、何とも手に負えない。

 他の者では難しいかもしれないが、私にとっては、行為自体は眼を瞑っていてもかわせる程に遅い。

 しかし、その数が多いのだ。

 巨大な触手は言わずもがな、細めのものですら、掠っただけで体の一部どころか、五体がバラバラになり兼ねない脅威を振り撒いている。

 かわして、かわして、かわして。

 時折は刀身で受け流しながら、様々な攻撃を当てていった。

 灼熱の炎。万雷の閃光。白銀の吹雪。超威力を伴った物理的抜刀。

 場所が場所だけに大気系の事象は扱えないが、先に行った攻撃の、そのどれもが、全く効かない。

 そう、全くだ。

 少しは動きが鈍る位のダメージを与えていても―――いや、そもそもこの攻撃は、どれもが神域と呼ばれる者達から借り受けた現象だ。肉体どころか、魂までにすらダメージを与えていても不思議ではないもの。

 では、そんな猛攻を、何のことも無く耐えている、この存在は何だろうか。

 月の民がこの地に根付いて、優に数億年。

 まだ青き地上が一つの大陸であった時ですら、この様な化け物は居なかった。

 故に、自然と思考がそこへと辿り着く。

 

(……あれが、学者達の考慮していた“外なる者”の可能性の一端か)

 

 宇宙は広大だ。

 それこそ、月の科学力を以ってしても、殆ど解明出来ない程に。

 だから、夢という名の可能性を見る。

 あの果てには何があるのか。その先にはどんな事が待ち構えているのか。

 そして、それらの中に必ずある、『自分達が認知する以外に、全く知らない知的生命体がいるのではないか』という、よくある想像。

 得てして、月の科学力を以ってしても対処出来ない、超高度な技術力を持っていたり、星々など瞬きをする間に破壊されられる力を持っていたり、と、際限が無い。

 自分達の思考の外……理解不可能な存在に、何らかの夢を見出す。

 やれ浪漫だ妄想だと騒ぎ立てる者も居たが、私は否定もしなければ肯定もしない、半信半疑な感心しかなかった。

 そんな事を考えているのなら、少しでも何かの形で永琳様の教えを吸収し、月を繁栄させる方が良かったものだから、もっと学者達の話や論文は真剣に目を通しておくのだったと、後悔……とまではいかないが、少し、残念に思う。

 最も、その可能性という名の夢が、実のところ脅威や絶望に近かった、という現状は、とても皮肉が効いているものだと痛感する。

 軍も壊滅。私自身の攻撃も、全く意に介した様子が無いのだ。

 これでは苦笑どころか、笑い話にもなりはしない。

 

 ならば。

 

(あまり懇意では無いのだがな……)

 

 その思いを打ち払うかのように、私は能力を使う。

 様々な八百万の神を呼び出し、力を借り受け、行使した。

 しかし、それでも届かない相手となると、“そちら”の方へと手を伸ばさなければならない。

 ともすれば自壊、あるいは自身を供物として捧げてしまうか、体を奪取され兼ねないが、現状では致し方ない。

 そうでなければ、あれには届かない。

 届かないとなれば、永琳様は救えず、姉は一生目覚める事は無い。

 それだけは、自分が自分である限り、何があっても許せるものではなかった。

 

「……―――ダよ、我が声が聞こえたれば、その威光を、この場に示せ。眼前の脅威を打ち払う力となれ」

 

 心の中で、絆とでも呼べるような感覚が、遠くの何かと繋がっていくのを感じる。

 この様子では、どうやら成功したようだ。

 体に、今までにないモノが宿っていくのが分かる。

 

 今まで降ろした神々が、霞んで見えてしまう。

 愉快だ。

 くつくつとした、腹の底から来る笑いが止まらない。

 これは凄い。これは素晴らしい。これは最高……ダ。

 

 ―――だからこそ、……を……シてしマう前に、早ク……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞼を閉じても、閃光が目を焼く。

 それほど眩い光の攻撃は、それに見合うだけの威力を発揮していた。

 大地を掠れば溶解し、空間を通過すれば僅かに存在する空気が四散し、直撃すれば、まさに月の軍最強の名に恥じない、馬鹿げた現象を引き起こす。

 爆音。衝撃。熱風に、何かが炭化、あるいは炎上したような臭い。

 それら全てを同時に感じながら、雷鳴轟く天候に怯えた犬のように、ただただ事が終わるのを祈り、身を震わせているしかなかった。

 何せ今の俺は、壊れないだけの、ただの人間なのだから。

 

「マリさーん!?」

 

 何かの攻撃が、俺の体を舐め回すように、すり抜けていった。

 熱風なのか爆音なのか、はたまた猛吹雪か雷か。

 どのような攻撃をされても、普通ならば即死コースである事は間違いないのだが、今の俺には【ダークスティール】の加護がある。純粋な破壊ダメージは、完全にシャットアウトしていた。

 ……けれど、だからといって俺の心までは強化されてはいない。

 何かとてつもない音が響く度に、『わー』だの『きゃー』だのと、情けなさMAXな悲鳴を上げていた。

 すると、そんな俺の願いが届いたのか、マリさんが『何?』と、これまた簡潔にお返答して頂く事が出来ました。

 

「今っ! 何がっ! どうなってるんですかー!?」

 

 大回転をきめているジェットコースターで、隣の人にモノを尋ねるかの如く、問い掛ける。

『えっと……』そう答える彼女は、今までの問答と一緒で、簡潔だった。

 

「何々……ふむふむ……『攻撃されてる』と……な、なるほど……」

 

 大変良く分かりました。

 分かりすぎて、その過程にあるものが、色々と置き去りになってしまったけれど。

 

(―――分かんねぇよ! いや、分かったけど、分かんねぇよ!)

 

 周囲に轟く爆音のせいで、アゲアゲなテンションとの相乗効果で、内心の声ですら大音量だ。

 対して、足元のお方は、実にマイペース。

 どうやって倒そうかなぁ、怪我させずに。といった思考が、ちょろちょろ漏れてこちらに伝わってくるのは、ダメージらしいダメージを、何一つとして負っていないせいだろうか。

 

 依姫の能力は、神の依り代となり、その力を借り受けるもの。

 本来ならそれは、まさに神にも等しい存在となって、絶対的なものとして君臨するだろう。

 燃え上がる炎も、降り注ぐ落雷も、吹き付ける吹雪も、地面が捲れるほどの威力を伴った抜刀も、そのどれもが通常の生物であれば必殺であり即死。決して逃れられぬ、運命と呼べるものにまで昇華していたであろう筈のもの。

 その全てが、小春の風が体を通り過ぎているだけ、のような状態だったのだから、一体何に対して脅威を感じればいいのやら。なんて考えなのかもしれない。

 

(……ん?)

 

 ちょっとは手加減してやれよ、的な完全上から目線で考え事をしていると、連続攻撃を仕掛けて来ていた依姫の動きが止まっていた。

 それに気づいたのは、あの烈火の如き猛攻が止んでいた事もそうだが、何より、彼女の体から、光り輝く赤黄金の羽が生えていたからだ。

 

「……何、あれ」

 

 炎の羽とか、もこたんINしたぉ! とでも言うつもりなのか。

 大方、不死鳥は攻撃力など無さそうだから、八咫鳥でも呼び出したのだろうと思うのだが、それよりも上位の神々の力を行使しても、傷一つ負わせられなかった相手に、一体何をどうしようというのだろう。……八咫鳥って神の部類だったかな……。

 聡明である筈の彼女が、酔狂でそんな真似をするとは思えないから、何か奇抜な策でも思いついたのかもしれない、と、警戒しながら様子を伺う。

 すると、刀を鞘に収め、無手となった依姫は、一直線にこちらとの距離を詰めてきた。

 炎の羽を生やして、滑るように接近してくるゴットバードアタック(仮)を打ち据える為、マリさんがその触手の一本―――取り分け大きめなヤツを振り下ろす。

 巨大な樹木でも倒れてきている事を連想させるその攻撃は、一撃で、月の大地に大穴を空けてしまえるものだ

 ……明らかにミンチコースだよな(汗

 

「マリさん! 手加減! 手加減大事アルヨ!!」

 

 弱めだが必殺の威力を持つそれに、多少なりとも手心を加えて貰うべく、助言する。

 まぁそれを言うならガチり始めた序盤から言えと思うのだが、状況がいきなりのドッカンバッコン擬音満載な展開だっただけに、あの時は無理だったと弁解しておきたい。

 それに、どうせ今まで通りに避けるか往なすかして対処するのだ。

 今更過ぎるやり取りが眼に見えているとはいえ、俺には口を出す事しか出来ないのだから、これ位のお小言は……

 

「『あれ?』」

 

 ……仕方ない、と言葉は続かなかった。

 俺と彼女の声がハモる。

 正確には、俺の声とマリさんの心の声なんだが、それは今はどうでもいい。

 同時に上げた疑問の声は、依姫の起こした行動によって、発せられたものだ。

 

 だってそうだろう。

 

 今までは全くの―――児戯に等しく相手をしていただけだった者が、手加減をしているとはいえ、【マリット・レイジ】の一撃を受け止めたのだから。

 

 避けるでもなく、往なすでもなく。

 真正面から、両の手を頭上へと突き出し、その必殺を受け止めた。

 

(……もこたんって実は超強い……?)

 

 いやいや、あれは妹紅じゃない。似ているのは火の羽だけだ。

 普通を装いながら思考した結果、俺は結構テンパっているらしいという、全く見当違いな結論に達する。

 しかし、何故今になって、このような有効そうな戦法を披露したのか。

 よくある戦隊ヒーローものの、必殺技は最後に取っておく感覚で戦っていたのかもしれない、と当たりを付けてみるが、この光景を裏付ける理由にはならない。

 ……だとするなら、制限付きの能力だと考えるのが妥当か。

 制限時間があったのか、使用条件をクリアしたのか。それとも、使った時点で、あるいは、使えば使うほどに何かしらのデメリットが発生するものだと予想する。

 

(一体何の神だ。【マリット・レイジ】の……攻撃力20の一撃を防ぐなんて、例え手を抜いていたからだとしても、そうそう出来るもんじゃない筈だぞ……)

 

 怪力で名の知れた神といえば、天照が引き篭もっていた岩戸を開けて、中に居た彼女を引きずり出したとされる、天手力男神(アメノタヂカラオ)しか思い浮かばないが、あれは決して背中に火の羽なぞ生やすような神ではなかった筈だ。

 では一体何なのだと問われれば、不明、としか答えようが無く、現状では全く役に立たない自分だと情けなくなるが、それでもこの場の有利性は変わらない。

 

「って、嘘……」

 

 ……訂正しよう。

 変わらない……から、変わってしまった、へ。

 グラリと、自分の体が揺れたのが分かる。

 今までに無い、自分の立っていた地面が動いていく感覚は、その実感が間違いではないと示すように、まざまざと現実を見せ付けていた。

 

 ―――依姫が、受け止めた触手を引っ張っていた。

 

 足は地面へとめり込み、その手は破壊不可である【マリット・レイジ】の触手を握り潰さんとばかりに、しっかり掴まれている。

 こちらの体が、地震を体験している時のようにユラユラと不安定なのは、この数百どころか千の位まであろうt級の巨体が、引き摺られているからに他ならない。

 しかも、マリさんはただ大地へと立っていたのではない。

 亀裂やら何やらで色々と破壊されてはいたが、体の幾許かを、氷の大地へと埋もれさせていた。

 木が大地へ根を張っていたようなものだろう。

 それを、動かしている。

 どれだけ途方も無い力が働いているのか不明だが、その怪力は疑いようも無い。

 何の神様ならばこの様な事態を引き起こせるのか首を傾げるばかりだけれど、それに答えてくれる者は、俺の周りには居なかった。

 だが、そんな思考に耽っている間にも、ズルリズルリと、【マリット・レイジ】の巨体は引き抜かれようとしている。

 

「あ……。マリさん、今なら依姫……今引っ張ってるゴットバードな彼女を捕獲出来るんじゃない?」

 

 何もせず、唖然としているのは拙い。

 いい様に混乱状態へ陥ってしまったが、よく考えてみれば、引っ張られているだけであって、何かしら致命的な攻撃を受けた、あるいは、有効打を見舞われた訳ではない。

 だから何かしら大きな変化が起きる前に、と、思って捕獲案を進めてみたのだが……どうやら遅かったようだ。

『浮く』と。彼女から唐突に、それでいてこれ以上無い位に、はっきりと分かる言葉を言われて。

 

「へ?」

 

 臓腑が浮き上がる感覚がする。

 そも月面だから重力が低いのは当たり前なのだが、それを差し引いても、足の裏に全く重さを感じない。

 それら刺激と【マリット・レイジ】から聞かされた言葉を照らし合わせて出した結論は、文字通り、俺“達”が浮いている事に他ならなかった。

 

「なんとー!?」

 

 フィッシュ。マグロの一本釣り。

 そんな言葉が頭を過ぎった。

『お~』なんて、まるで他人事のように漏らすマリさんに突っ込みを入れたい気持ちが湧き上がったが、今はそれよりも他にすべき事があるだろう、と考えを改める。

 流石に、こうを描いて、とはではいかないが、波によって陸に打ち上げられた鯨の様に、その巨体のほぼ全貌を晒す事になった【マリット・レイジ】。

 見える範囲では、その末尾すら確認することは出来ないほどに巨大な体。

『これって全長kmいってるんじゃ……』と思うが、だとするなら、これを釣り上げた依姫の力がますます理解不能な恐ろしさとなり、俺の心に襲い掛かり、それを打ち払ってくれる筈だと祈りながら、何とかマリさんにお願いしてみる。

 具体的には、手加減数値の減少という案で。

 

「マリさん、少ずつ、手加減を止めていってみて下さい」

 

 手加減ってのは、余裕のある時にやるもんだ。

 現状がそれに当てはまるかと問われれば、首を傾げざるを得ない。

 俺の言葉に肯定する意識が返ってきて、それに合わせて、引っ張られているやつ以外の触手が、依姫に殺到する。

 ゆうに二桁に達している、一撃必殺達が、彼女のみならず、その周囲全てを圧壊させる勢いで迫る。それも、先程よりも、明らかに速く。

 ちょっと不安な攻撃方法だが、きっと依姫なら何とかしてくれる、と、他人任せの信頼を実感しながら、結果を見守った。

 

 そして、大地震が発生したような地響きが起こる。

 一本の上からまた一本。それでも足りないと、さらに数本。

 巨大なビルが倒壊していく様を思い起こさせる。

 線で面を埋めるかの如く浴びせられる触手の攻撃に、殺してしまったかという気持ちと、これでもダメだったら、という気持ちの二種類の不安と、ほんの少しの安心感が入り混じる。

 これなら多少なりともダメージは与えただろうから、大人しくなるだろう。

 沈黙が続く月の大地をざっと一望し、安堵の溜め息をつこうとした時。

 

『まだ』

 

 たった一言。

 その二文字を聞いただけで、俺の心臓は止まりそうになった。

 幾重にも折り重なった触手が振動する。

 噴火の予兆を示している火山を連想させるこの光景に、思わず息を呑む。

 嫌な予感とは、かくも良く当たるものなのかもしれない。

 火山に例えた表現が正解だと言わんばかりに、重なっていた触手達が噴火と共に吐き出された火山弾にでもなったかのように、“全て”吹き飛んだ。

 

「おいおいおい! 何だその力! あなたはどこのサイヤ人ですか!?」

 

 弾け飛ぶマリさんの触手達を視界に入れながら、この世界では誰も分かる筈のないネタを口走る。

 流石の【マリット・レイジ】も、この状況には驚いたのか、無言。

 流れ込む意思すら皆無で、この信じられない展開に、何かしらの思うところでもあるようだ。

 

 眼前に望むは、金色の羽を二対広げる、月の最強。

 対するは、異世界で荒ぶる神とされる、攻守最強候補。

 しばし睨み合う二つの存在と、それを怯えるに伺う、一人の傍観者。

 唯でさえ極寒の世界だというのに、それをなお上回っていくかの如き冷たさを現しながら、空間が軋みを上げいく。

 

 そのまま世界が凍り付こうかという刹那―――先に動いたのは、依姫だった。

 突撃列車ばりに土砂や土埃を巻き上げながら距離を詰めて来たのに対し、【マリット・レイジ】も触手を使って迎撃を試みる。

 先程までとは違い、叩き付けられる茨の樹木達を物ともせずに、かわして、往なして、それでもダメならば、弾く。

 あの細身の何処にそんな力があるのか不明だけど、

 これでは拉致が明かない、と、ビーム砲を撃とうとチャージを開始するマリさんだったが、何せ距離が近すぎた。

 発射される前に、完全に懐に入られた。

 ならばと、持ち前の巨体を使って圧し掛かりを敢行するものの、あの異常とも思える力を侮っていたツケを払う事になる。

 巨大な何かを殴り付けたような、重低音。

 

【マリット・レイジ】が、僅かにではあるが、宙に浮いた。

 

 さっきのは、単に軽く引っ張られただけだったのに対して、今度は丸ごと、キロメートル単位の図体が上空へと飛ばされた形になった。

 それは鈍く、連続で。

 重い音が、定期的に発生する度、少しずつ、少しずつ。

 俺と【マリット・レイジ】の体を揺らし、上へと持ち上げる。

 一撃一撃が、この巨体を浮き上がらせるパワーを発揮して、格闘ゲームの空中コンボでもされているかのような浮遊感に、焦燥感が募っていく。

 しかし、足元の彼女からは、持ち前の20というタフネスに【破壊されない】能力も相まって、苦悶の声や痛恨の表情といったマイナス感情は一切伝わって来ない。

 ただやはり不満はあるようで、ぼそりと、言葉を漏らす。

『ちょっと……』そのまま言葉を繋げ様とした彼女の言葉は、俺達の頭上に現れた依姫によって、中断させられる事になる。

 抜刀。

 何度も目にした……いや、目に残像として残っていたその攻撃方法は、宙に浮いた俺達の体を、再び大地へと縫い付ける。

 丁度【マリット・レイジ】の頭部―――俺の目の前に打ち付けられた斬撃は、一撃で、地上から切り離された超重量級を、再び下へと叩き落した。

 

 世界を震わす重低音。

 硬い筈の土と氷塊の地面が、薄氷ででも出来ているかのように、容易くその形を崩す。

 

「!?」

 

 しかも、攻撃はそれだけに留まらない。

 俺の首筋に、今にも触れそうになる位置。

【ダークスティール】の円盤が密着しそうな程に近づいており、そこには、日本刀……のような形状をした、化け物が居た。

 中央からパックリと二つに裂けた切れ目から、それはそれは鋭利な乱杭歯が覗いていて、それがガシガシと【ダークスティール】の円盤に突き立てている。

 宛ら、某ゲームに出てくる、ひとくいサーベルを思い起こさせるそれは、今にもこちらを噛み切り殺さんと、ギリギリと耳障りな音を、俺の前から響かせていた。

 

「何だよこれ……どんな能力使ったらこんな事が出来るってんだ!?」

 

 目の前に迫った恐怖から、内心を表現した言葉が、意識せずに漏れる。

 

「マリさん! これ!」

 

 どうにかしてこの恐怖を取り除こうと、足元にいる人へと懇願する。

 触手で薙いでくれれば、この程度の脅威など、粉々にしてくれる筈だという思いを乗せて。

 

 ……しかし、彼女は動かない。

 

「マリ……さん……?」

 

 金属同時の擦れ合う音に、耳を覆いたくなる。

 だがそれよりも、【マリット・レイジ】が呼び掛けに答えてくれない方が、今は何よりも気掛かりだ。

 さっきまでは、言葉少なくではあるが、それなりに応えてくれていたというのに、今の彼女からは、返答のへの字すらも、反応してくれる様子は無い。

 それに、よくよく周りを見てみれば、あれだけ迎撃や拿捕の為に動いていた触手達が、全て沈黙していた。

 無音の世界を取り戻した月面は、その本来の静寂を、恐怖という形で、隙間に入り込む冷水のように、こちらへ語りかけてくる。

 

「何だよ……」

 

 誰も、何も応えてくれない。

 ポツンと一人。星の光の降り注ぐ場所に、取り残されてしまった。

 まさか、【マリット・レイジ】が何かしらのダメージを受けてしまったのかと不安に駆られるが、それを確かめるには、金属音を発している、目の前の脅威を取り払わなくてはならない。

 

 動かない【マリット・レイジ】。

 ギチギチと不快な音を立てている、円盤と日本刀。

 そして、この要因の一端を担っていたであろう、もう一人の人物は、上空で、未だかつて無い程に巨大な光球を作り出していた。

 

(はっ……必殺、元気玉で倒そうってか……)

 

 手詰まり。

 今の状況が示すのは、そういう事。

 残りの手札が無い訳では無いが、それでも、使用出来るマナは無し、カード枚数だって、残り2枚。

 現状を全て打破出来るカードの組み合わせは、今の俺には……無い。

 血の気が失せる。

 急に膝から力が抜けて、絶望の色に顔色が染まっていくのが分かる。

 膝を折るような自体にこそならなかったものの、八方塞の事態に思考が停止しかけてしまう。

 ただ、そんな無力な俺の考えも、【マリット・レイジ】から、僅かに感情が流れ込んで来た事で、回避された。

 乾いた砂に水が染み込むかのように、じんわりと伝わってくる、意思。

 

「マリさん! 無事だったん『私を……消して……』……だ……って……え?」

 

 しかし、告げられたそれに答えを返す事は出来ず、疑問で問いに応える形になる。

 先程の攻撃の影響で、深刻な状態になって苦しんでいるのだろうか。

 絶対破壊不可があるとはいえ、彼女が召喚キャンセルを願い出ているというのは、何かしらのダメージを受けてしまったのかもしれない。

 けれど、それならば残りのカードを駆使すれば、再生位は【ピッチスペル】で補える。

 だから、とりあえずは何があったのかを尋ねてみようとするが、ぐぐもっていて正確に聞き取れない。

 

「マリさん、何処か怪我したのか? だったら再生系の『―――もう』……?」

 

 またも遮られる、俺の言葉。

 ただ、奇妙な事に、伝わってくる彼女の意思は、複数存在していた。

 一番強い意志は、それこそ文字となって脳内に感じられるのだが、それよりも弱い思いは、微かに感じられるだけの柔らかさ……とでも例えられる感覚で、こちらの耳へと、鼓膜を震わす事無く、届いてきた。

 

『私を消して』

 

 ―――『許さない』―――

 

『今のうちに』

 

 ―――『脆弱な存在の癖に』―――

 

『迷惑掛けちゃう』

 

 ―――『煩わしい』―――

 

『意識が』

 

 ―――『何で耐える必要がある?』―――

 

『もう―――』

 

 ―――『もう―――』―――

 

 ただそれは。

 

 

 

 

 

 ―――もう―――がまン―――デキナイ――― 

 

 

 

 

 

 地獄の門の封印が、外れてしまった事を意味していた。

 

 

 

 何故、荒ぶる神などと呼ばれていたのか。

 何故、氷の大地へと沈んでいたのか。

 何故、依姫は【マリット・レイジ】と互角以上に渡り合えたのか。

 

 ―――体から、急速に熱が奪われる。

 外的な要因―――寒さから、といった感覚ではない。

 熱そのものが、勝手に外へと……否。足元の存在へと流れ込んでいっている。

 それと一緒に、疲労感が一気に俺へと襲い掛かってきた。

 いや……これも、否だ。

 疲労、というよりも、活力とでも言うべき力の源が、強制的に、大概へ排出されてしまっているのだ。

 結果、疲労したのだと認識するに至るが、ギャザの能力を使い、この手の疲労と酷似した症状に慣れた俺にとっては、これらの差はしっかりと分かる。

 

 熱と活力の二つが、【マリット・レイジ】に奪取されていた。

 

 それは俺以外にも作用しているようで、何とはなく周りを見回してみれば、赤々と滾っていたマグマの川は、急速に冷え固まり、色褪せていく。

 

 そして、それだけじゃあ、終わらない。

 今の今まで怪異な現象として割り切っていた、化け物と化した日本刀すらも、ただの鉄の棒切れになってしまったのように、力尽きた姿で、カタカタと、僅かに鍔を鳴らすだけの置物へと変わっていた。

 

(猛烈に寒いし、めっちゃダルい……。影響受けてるものに差があるみたいだけど、ほぼ無差別の広範囲能力……か。【マリット・レイジ】はこんな能力を持ってたのか……)

 

 彼女は、限界まで我慢をしていたのだと、伝わってくるイメージで感じられた。

 何を我慢していたのかと言えば、攻撃に耐える訳でも、体を動かす事に苦痛を伴っていた訳でもなく、ただ単に、力のセーブ加減を、細心の注意を払って行っていたのだと考えられる。

 故に、広範囲効果のある、この現象を使わずに、光線と触手のみで月の勢力に対処していたのだ、と判断出来る。

 でなければ、手間が掛かる事が苦手そうな彼女が、今の今まで、この能力を使わずにいた事が説明出来ない。

 

 淡い光。

 目線を下に向ければ、赤く発光している川が流れている。

 ボウと、仄かに輝くそれは、【マリット・レイジ】の体から発せられている何かに他ならない。

 恐らく、今も続けているエネルギードレインの影響で、この様な姿になっているのだろう。

 体中の表面を溶岩が流れている印象を受ける光景に、俺は、ただただ何も出来ずに、寒さと、活力の抜けそうな体を抱き止めている事で精一杯。

 今の【マリット・レイジ】の姿から、某狩りゲーの恐暴竜が、煤けて見えた気がした。

 しかもその幻想は、消え去るどころか、ますます色濃く、現実を侵食し始めて来た。

 呼応して、足元の彼女から、今から行おうとしている出来事が、一体どういうものなのかを、イメージとして感じられた。

 

 ―――ただそれは、最悪といっても過言ではない事実を、垣間見てしまう事にもなった。

 流れ込んでくる彼女の思念から、これから起こる破壊の規模が、脳裏に映像として、投射される。

 

(洒落にならん!!)

 

 これが現実に起こってしまったのなら、真の意味での攻撃力20を、実体験する羽目になる。

 絶対回避の文字を打ち立ててみるものの、一番有効な、そして確実なのは、先に頼まれたとおり、【マリット・レイジ】をカードへと戻す事。

 次点で【ピッチスペル】による対処だが、これは……

 

(いや、これしかないか)

 

【マリット・レイジ】は生命線だ。

 我を忘れ、荒ぶる神の名に相応しい存在へとシフトした彼女を止めるのは、最後の手段。

 彼女が居るか居ないかで、自由度の差は明白だ。

 出来得る限り、現界していてもらわねばならない。

 つまり。

(これで本日は打ち止めです、ってな!)

 

【ピッチスペル】で、カード枚数のストックを全て消費し、能力を行使する。

 此岸の世界に広がる、静かな歌声。

 何処からともなく聞こえてきた音に、カードが発動した事を実感した。

 正真正銘、これで俺の持ち札はゼロ。何が起こっても、俺自身で対処しなければならない、ただの一般人になってしまった。

 気力、体力共に、大幅に落ち込んでいたところでの、この行為だ。

 何とか踏ん張っていた足腰は、完全に力が抜けきってしまい、倒れ込む勢いで、体が崩れ落ちる。

 マリオネットの糸を、急に切断したかのように、だらしなく座り込む羽目になった。

 マナ、カード枚数、共にストック切れ。

 オマケとばかりに、体力まで、すっからかんになりそうだ。

 後何分、この状態を保てるのだろうか。

 若干の焦燥に駆られるものの、彼女から伝わって来た、あの脳裏に再現された光景を思い浮かべて、徒労に終わる可能性が高い、と気分を入れ替えた。

 

(あ~あ……今度こそは、俺TUEEE出来ると思ったんだけどなぁ……)

 

 顔を上げることすらも億劫で。

 安堵感も相まって、頭上に居るであろう依姫を、確認する気にもならない。

 ふと、目線を下へと這わして見れば、僅かに動く日本刀が、未だにカタカラと、最後の抵抗とばかりに、刀身を震わせていた。

 対照的に、俺は健在だ、と主張するように浮遊している【ダークスティール】の円盤が、印象に強く残る。

 はは、可愛い奴め。

 

「……俺、振り落とされて死なないよな……?」

 

 今までと比較にならない事態を引き起こすであろう存在に、もはや言葉は通じないと知ってはいても、つい愚痴のように、不安の形が零れてしまう。

 地面が、赤く呼応する。

 初めは赤々と流動していた、彼女の表面に流れる川が、白に近い輝きになっていた。

 これはそろそろか、と、色々な方面での衝撃に備えて、深呼吸。

 岩壁にしがみ付くロッククライマー宛らに、俺は彼女の表皮をしっかりと掴む。

 体の熱も、体力も。若干緩くなったものの、順調に【マリット・レイジ】へと奪われている事に苦笑しながら、一応は、使ったカードの効果は現れているのだ、と実感出来る。

『さてどなるかねぇ』なんて他人事のように思いを呟きながら、これから発生する大嵐に備えるべく、力の抜けた指先に、か細く力を込めるのだった。

 

 

 


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