東方ギャザリング   作:roisin

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30 Hexmage Depths《後編》

 

 

 

 

 

 

 体が、内側から弾け飛びそうになる。

 手足など、もはや感覚は無く、繋がっているのだろうな……という思いのみで動いている状態だ。

 手に持つ刀は、握っているのかどうかさえ分からない。

 一振り腕を動かす度に、体と魂が乖離していく様を実感出来た。

 

 ―――あぁ、これは。何と素晴らしく、恐ろしいものなのだろうか。

 

 借り受けたる神の名は、ガルダ。

 普段懇意にしている島国から、西へと進んだ大陸―――インド、といったか―――に君臨している、彼の地の主神よりも強き、神鳥である。

 私の能力は、一部の島国の神々からの拝借を主としているだけであり、という事は、今更、語るまでも無い。

 そこに居る彼らが生まれる以前から、あるいは現在留まっている者達とは既に顔見知りであり、交友も、それなり以上に行ってきた。

 故に、あの共存共栄の根付く島国の神々は、神格を借り受ける際にも、私にとても良くしてくれていた。

 しかし、それ以外の地方は、とんと疎遠だ。

 一箇所に留まって生活していたが故の弊害、とも言えるだろう。

 然るに、その力を借り受けるには、それなりの代償を伴う。

 それは、力の差が開けば開くほどに大きくなり、今回の例で言えば、少し足元を見られたとも思うが、私自身の心を少しずつ、供物として捧げている。

 使えば使うほどに自分が奪われていく、恐ろしいほどの喪失感は、使えば使うほどに高揚していく気分の陰に隠れて、その力の行使に歯止めを掛け難くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『神鳥 ガルダ』

 

 極一部の説には火の鳥、フェニックスの原型とも呼ばれるそれに類似するこの者は、数々の異名を持っていた。

『鳥の王』『赤い翼を持つ者』『水銀のように動く者』など、呼ばれる名称は数多く。

 そして、最もその力を如実に現しているものが、スレーンドラジット―――『インドラを滅ぼす者』だろう。

 主神であるインドラが保持する神器、ヴァジュラの一撃を受けても、全くの無傷であった事から、事実、主神よりも強い存在であった彼は、『インドラの百倍強くあれ』と願われて、生まれてきた者。

 確かにそれは脅威に他ならず、無双の名を関しても、間違いの無い存在だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、本当の力はそこではない。

『インドラより強くあれ』と望まれて生を享けた彼の者は、信仰の果てに変容していた力を、依姫へと貸し与えていた。

 

 その力とは、『敵対者よりも強くあれ』

 

【マリット・レイジ】よりも強大な力を持つ事になった依姫は、能力を与えたガルダでさえも経験した事の無いほどの、唯一無二の力となって、遺憾なく効果を発揮する。

 怪物の頭上に乗っている人物がそれを知れば、『お前はどこのアルテミット・ワンだ!』と激昂しそうな能力であったそれは、敵対者を氷の大地から引きずり出し、攻撃を跳ね返し、宙に浮かせ、完全に手玉に取れるまでのレベルになっていた。

 

 ―――されど、そんな力を発揮し続けられるのか、と問われれば、首を横に振らざるを得ない。

 

 拳銃が、大砲の弾を撃てるだろうか。

 不可能だ。

 一発だけならば、どうにかなるかもしれない。

 しかし、どんなに弾丸が強力になろうとも、発射し続ける為には、それを支える砲身が無事であり続けなければならないのだから。

 

 かつて無い力が体の中を暴れまわり、刻々と自壊していく自分の体に、何故未だに形を保てているのかが、不思議な位なのだ。

 肌の所々から、赤黒い斑点模様が浮き出ており、口からは、塩辛い液体が込み上げて来て……歯と歯の隙間から、それが零れ出て、衣服を徐々に染め上げる。

 後一撃。もう一撃。最後の一撃。

 これで終わりにしなければ。

 そう思いながら―――最後の力を振り絞り続けながら行われる、終わりの無い、自傷行為。

 

 そうしてとうとう訪れた、最大のチャンス。

“相棒”に頼み、少しでも多くの時間を稼げるよう、願いを伝える。

 刹那、雷の煌きの如く、怪物へと飛来していく相棒を見ながら、これからする行為の為に、不安定になった精神を、可能な限り、研ぎ澄ます。

 相手には、外傷らしいものは何一つとして確認出来ない……。愕然とする事実を気力で捻じ伏せて、ガルダの能力を最大限に生かした、神気を極限まで集めた一撃を見舞う為に。

 恒星の誕生を思わせる手応えを感じながら、同時に恐怖する。

 相手が強ければ強いほどに、今の自分は力を増す。

 だとするなら、これほどのエネルギーが自身に集まってきている、この事実が示す事は……。

 内心で、首を振る。

 依姫は、切実に。一縷の望みを掛けて、『これで終われ』と願いを込めた。

 

 しかし、数十秒で終わるであろう行為が、予想以上に長く感じられる。

 まだか。まだなのか。

 焦る気持ちとは裏腹に、かの者にダメージを与えられる筈の威力には、中々に到達してくれない。

 今までの疲労の色が一気に吹き出してきて、とうとう、体温を保つだけの力すらも失われてしまっているようだ。

 芯から凍えてしまいそうな寒気に、今まで激しい戦闘を行ってきた出来事を重ね合わせて―――ふと、一つの疑問が生まれてきた。

 単純ではあるが、理解に苦しむ出来事。

 

(……何故、私ハ凍えてイるのダ)

 

 これもガルダの力を行使しているせいなのかとも考えるが、そんな筈はない、と、即座に否定する。

 ならば……一体……。

 他にも変化が現れている事があるのではないかと、自身の異常を確かめながら、辺りを見回す。

 体力の低下と、寒気の増加。そして自己の喪失が続いているものの、他の何もかもが、変わらずにいる。

 ―――より強大になっていく筈である、頭上に輝く、光の玉ですらも。

 だが、その認識は、改めなければならなくなった。

 逆だったのだ。

 ゆっくりとではあるが、それは段々と縮小していっているのである。

 比例していく様に、怪物が発光していく。

 まるで、こちらから奪った力が、そのままあちらへと流れ込んでいるかのように。

 

 ―――いや、待て。

 先程までは、生と死の狭間で踊る享楽を味わっていた筈だ。

 それが、一体いつから、冷静に自分の体の変化を察しているのだろうか。

 

(……何ダトいうノダ、コノ相手ハ)

 

 活力を奪い、熱を奪い……恐らくではあるが、思考の熱すらも搾取されている、この現状。

 頭が興奮状態から醒めてしまった事で、体に生じていた様々な負荷が、脳へと一気に伝わって、悶絶してもおかしくない感覚を伝えて来る。

 むしろ、高揚が無くなってしまった事で、悪い方向へと意識が傾き始めている。

 先程までの、死へと歩みながら、けれど満たされていく感覚とは程遠い―――何をやっても無駄にしか思えない、絶望という名の道を歩かされている。

 自分の行く道が既に決まっていたかのような感覚に、運命という単語の一端を垣間見た気がした。

 あらゆる物事が陽から陰へと変容していく、希望が絶望へと侵食されてゆく、この現状が指し示す結論とは……

 

(……閉塞サレタ、トイウ……状況……ナノ……da ro u na……)

 

 崩れゆく心には、もはや、何の思いも抱かない。

 もし次があるのなら、いっそ捕縛や代償の支払いなど考慮せずに、魔神バロールを呼び出してみようか。

 苦笑に染まった考えだったが、そうしておけば、とも思ってしまうのは、今の状況下では、致し方ない事だろう。

 

 眩い光。

 私が作り上げたかった技が、あの化け物から放たれようとしていた。しかも、私以上の威力で。

 何とも癪なことになってしまったが、それに対してどうこうするだけの、気力も体力も尽きた。

 諦めてなるものか。

 そんな気持ちでさえ、あの化け物へと奪われていってしまっている。

 どうやらアイツは、感情を―――喜びや怒り、希望といった、熱を持った感情を吸収するらしい。

 通りで。

 生きる術の大半を占めていた、あの永琳様を助けなければならない、今のこの時ですら。

 私は、激昂する事も、慟哭する事も、成し得ないでいた。

 口元だけに、僅かな乾いた笑いの形を作る。

 面白い事など一つも無いが、今の私に出来るのは、もはやそれくらいか。

 どうにもならないと分かっていながらも、それでも足掻こうという意思だけは、潰えない。

 吹けば消し飛びそうな位に、意思としての強さは欠落しているのだけれど……。

 こんな状況下においては、むしろそれだけ出来るのならば、及第点を付けても良いだろう。

 

 閃光が迫る。

 そこに居るだけの存在となってしまった私が、最後に見た光景は、自身の体が暖かい何かに包まれたかのような―――恭しい歌声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【マリット・レイジ】からの凝集光線を浴びせられて、依姫が、天から地上へ落ちてきた。

 今回も口から発射された光線だったのだが、その威力が尋常ならざるもので、斜線上にあった空間が、何だかゆらゆらと陽炎の如く歪んでいらっしゃる。

 思考の伝達から来る映像。

 彼女の記憶では、それは、陸地を丸々一つ、消し飛ばせるだけの力が秘められていた。

『陸地って、どこのよ』とも思うのだが、彼女から伝わって来たイメージから考えるに……。

 多分、佐渡島なら余裕で。四国ならまぁまぁ。北海道なら、チャージの時間次第、ってとこだろうか。もしかしたら、本州丸ごと―――あるいはそれ以上も、いけるのかもしれないけれど。

 

 今回は、上空に居た依姫に向かって放たれたから良いものの、それでも、破壊の爪跡は残ってしまった。

 クレーター。

 月では良く見られる、隕石がぶつかる事で出現するそれが、まさか“発射した側にも”出来てしまうとは、夢にも思わなかった。

 発射の反動、という奴なのだろう。小型ではあるが、深さ一~二メートル、直径数百メートル範囲の窪地が誕生してしまいました。

 よくあれで依姫が消し飛んでいなかったな、と思うが、その辺は使ったカードの効果が、しっかりと表れていたからだろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【恭しきマントラ】

 4マナで、白の【インスタント】カード。

 手札にある白のカード一枚を追放する事でも使用出来る、【ピッチスペル】を備えている。

 全てのクリーチャーは、ターン終了時まで、あなたが選んだ一色に対しての【プロテクション】を得る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白のカードである【霊体の先達】を取り除き、このカードを使用した。

 俺が選んだ色は、黒。

 それは【マリット・レイジ】の色であり、故に、【プロテクション】効果の一部である、ダメージを受けない、が現れていたのだ。

 でなければ、幾ら強大な力を持っていようとはいえ、依姫が無傷でいよう筈がない。

 ただ、エネルギードレインの能力は全体効果である為に、個別効果を非対象にする【プロテクション】では完全に防ぐことは出来なかった。と、自身を以って体験した。

 それでも、多少なりともドレイン効果は軽減されていたのだから、“本来のMTGのルールではありえない”という事実から考えると、及第点を通り越して、拍手喝采の領域だ。

 

 ―――最もそれは、メリット・デメリット共に、判明した……してしまった、という事になるのだが、それらルールブレイカーは、今更感が強い、と考え直し、深く思案するのを放棄した。

 

 

 

 

 

 揺れる、揺れる。色々揺れる。

 頭も、体も、心も、視界も。

 そんな震源地から眺める映像には、炎の翼を失った綿月依姫が、月の大地へと叩きつけられようとしていた。

 善悪の立場なく言えば、この騒動の、一端を担った人物。

 俺からしてみれば、敵であったのだから。と、無視する事も出来たが……

 

(間に合えー)

 

 ただ今、全力疾走中。

【マリット・レイジ】の上から飛び降りる時には、それなりに勇気が要りましたよ。

 何故かは分からないが、興奮によって気持ちを奮い起こさせる事が出来なかった為、かなりの恐怖が襲って来たのだが、それに打ち勝てたのは、自画自賛しても良いレベルだろう。

 お陰で―――なのだろうか―――内心の掛け声すらも、抑揚が無い。

 生まれて初めての体験に、この状態をどう表現すれば良いものか、言葉を纏める事が出来なかったが、今はそれどころではない。

 過去に使用した【ジャンプ】である程度慣れていたとはいえ、バーサーカーモードの彼女の攻撃範囲内に飛び込んでいったのだから、勇猛なのか蛮勇なのか、一瞬自分自身に尋ねてみたくなった。

 

 依姫が、地面に無抵抗激突なんぞされた日には、赤や桃色がメインのスプラッター映像が、フルハイビジョンで俺の網膜と脳内に焼きつくのは確実。

 建前は戦死者を出さない為であり、本音は余罪を増やしたくない為。

 荒ぶる神の射程内に躍り出てまで、彼女を助ける為に並べ立てた理由は、そんなところか。

 

 ―――なんて。

 それらの理由すらも後付けだ

 

 ただ単に、『あの人を助けないと』という、反射に近い気持ちに突き動かされて、普段の三割も速度の出ない足取りで、翔け出している。

『誰かを助けるのに理由が要るかい?』

 一度は言ってみたい台詞の一つが現状とマッチするが、生憎と、自身が高揚している時を除いて、その台詞を聞かせる相手がいないのであれば、どんなに適切な状況であっても、虚しいだけである。

 

 段々と、小豆粒であった依姫影が、本来の、人間大へと膨らんでくる。

 重力の関係か、落下速度はそこまで出ていない事が分かったとはいえ、それでも、無事では済む保障はない。

 

(牛歩並みの、この速度……あまりの遅さに、俺の中の不満ゲージが爆発しそうデス)

 

 座右の銘・他力本願、な俺だったのに、余裕のない場面が多すぎだ。いや、むしろその銘だから、この状況なのだろうか。

 不満と憤り。そして、彼女を救わなければ、という気持ちを、腑抜けた足腰に、力として供給する。

 これを乗り越えられたのなら、きっとレベルアップしている―――していてくれ、と願いを込めながら、

 

「っしゃおらー!!」

 

 ダイビングキャッチ宜しく、依姫の体を受け止めた。

 

「重っ!」

 

 

 声だけは高らかに、冷め切った内心で、大声を出す。

 何とも不思議な心境の中、頭の中で『1ゲットー(ズザー)』とか叫びながら、土埃を上げながら、二人で大地を削り滑る。

【ダークスティール】化の恩恵で、俺は全く問題ないのだが、依姫には多少、被害が出てしまった。

 頭だけは、何とか地面への接触を避けられたものの、他の箇所は、多少、打ち付けてしまったようだ。

 彼女の体のあちこちに、赤黒い痣が出来てしまっている。

『あれ、落下だけで、こんなに酷い状態になるのか?』と思いながら、姿勢を直しつつ、辺りを見回してみれば、

 

「……おーい、マリさーん、何処行くんだー……」

 

 声は届かないと分かっていたので、音量は小さかったが、それでも尋ねずには居られなかった。

 ズゴゴゴ! とか擬音が聞こえてきそうな光景を見てしまった。

 浮いているような、這っているような、不思議な方法でホバー移動している【マリット・レイジ】。

 一体何処に向かっているのかは知らないが、正直、今の俺じゃあ、追いつく事も、止める事も出来ない。

 

(そろそろ……彼女の送還も視野に入れないとダメかなぁ)

 

 遠ざかっていく巨体。

 灰色の山が移動している姿を連想させる。

 もうどうしよもないな、と、気持ちを入れ替え、これからの自分の行動にいつて、考える事にした。

 

(って、依姫さん、超青ざめてきちゃってるよ)

 

【マリット・レイジ】の効果で、じわじわと熱やら活力やらが奪われているのだろう。

 彼女の表情が、徐々に曇って来ている。

 カードは使ってしまったし、後はもう、ジェイスの傍に置いて来た【薬草の湿布】の残りを使うか、ジェイス本人に頼んで……

 

「あ……ジェイス……(汗」

 

 うわーい、完全に当初の目的を忘れていましたよ。

 怪獣大戦争をやらかして、エネルギードレイン空間を発生させている本人が遠ざかって行っているとはいえ、未だにこの結界が展開されている現状は、実はかなりヤバイんじゃないだろうか。

 

(ジェイスさーん、聞こえますかー……。意識戻りましたかー……?)

 

 今も尚、マナの供給が続いているという感覚はあるものの、彼本人からの応答は無い。

 消えてはいないが、完全回復もしていない、と考えるべきか。

 とりあえず、依姫を抱えて、彼の隠れていた場所まで移動する体力を作らねば、と思い、丁度腕の中に納まっている、温めの抱き枕(仮)を、再び胸へと、強く引き寄せた。うぅ、寒い。

 いつもなら『うひひひ、姉ちゃん良い体してまんなぁ』と生唾でも垂らしながら、欲望全快で色々と妄想に耽ったり、実行に移したりするのも吝かではないのだが、激・疲労状態の体では、そこにまで思考が割かれる事はない。

『髪サラサラ』とか『細い体だな』とか、そういった感想しか沸いてこなかった。

 

(これが……綿月依姫……ねぇ……)

 

 八意永琳の忠臣? 愛弟子?

 兎も角、彼女に酔狂―――のレベルにまで達しているかは分からないが、人生の方針を大きく決定されたであろう、東方キャラの月の民。

 神降ろしのチート能力を持ち、その力量は鎧袖一触。

 東方プロジェクト内で最強論を上げたのなら、必ず上位の三本指に入るお方なのは、先の戦いを見ても、疑う余地が無い。

 こうして眠っている―――意識を失っている分には、全く信じられないのだが……。

 

(うん。今更だな)

 

 一言でバッサリと、自分の前提意識を切って捨ててしまえるのだから、俺は大分、この世界に馴染んで来たのだと思う。

 

(そういや、あの日本刀、どうなったんだ?)

 

 依姫が呼んだ神の名も分からないが、襲って来た刀の能力も分からない。

 それら分からないと定めた片方は、どこぞに進行していく荒ぶる神様の頭上へと、置き去りにされていた。

 例えカードに戻したとしても、地面に落ちた後、あの位置まで取りに行くのは面倒だ、と、そう思う。

【マリット・レイジ】を帰還させた後の事を考えるだけで、色々と憂鬱になりそうだ。

 溜め息が重くなる。

 嫌な気分を払拭させるように、絶賛移動中の彼女へと、顔を向けてみた。

 さて何処まで進んだか、と目を凝らしてみると、あまり先程の位置から移動していないように見えた。

 

(遠くに行けば行くほど、遠近感が狂ってくるなぁ。目印らしい目印のない月面じゃあ、仕方ないか)

 

 今だって、唯一の目印は、先程【マリット・レイジ】が撃破した、月軍の円盤位のものだ。

 遅さには定評(俺が評価)のある彼女なだけあって、その歩みは、酷く緩慢。

 今に限ってはそれが大いに助かっているのだが、今度のこのコンボの有効性を、少し狭める気がした。

 影が遠ざかっていく最中は、凄まじい―――地響きすら災害へと発展させるような音を辺り散乱させている。

 それらが小さくなっていく中、モゾモゾとした彼女の背中を見て、さて、どうやってこの場を収めようか、と考える。

 

 ―――顎に手を当て、下を向く。

 けれど、しばらく考えてみるも、結果が出る事は無く。

 疑問は疑問のままに、そろそろ突撃進行中な彼女を戻すか、と、再度顔を上げた。

 

「御機嫌よう、地上から来た者―――九十九」

 

 けれど、目の前に見えるものは、彼女ではなく。

 

「……お前、は……お前、は……お前、は……お前、は……お前、は……お前、は――――――…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの時は……さて、何をしてたのだったか。 

 確か、月の首脳会議を行っていたような。

 いつも通りの、代わり映えしない、無駄とも思える雑音の中で―――突如、それは起こった。

 警戒警報。

 訓練以外で耳にした事は無かったが、あれは最高位の警鐘を知らせる音調だった筈だ。

 弾かれた様に、席から立ち上がる、お歴々。

 誰も彼もが焦燥の色を―――などだったのなら面白かったのだが、淡々と、慌てるでもなく焦るでもなく、それこそ普段通りの軽快さで、退出していった。

 伊達に数千万年は生きていない、という事なのだが、ここまで反応が薄いと、退屈を通り越して、落胆に近い感情が湧き出てくる。

 でも、まぁ、それだって、今に始まったことではない。

 

 何かを知れば、隅から隅まで調べ尽くし、飽きる。

 何かをすれば、頂点と呼ばれる場所にまで登りつめ、飽きる。

 何かを見れば、色彩の一分子に至るまで記憶し、飽きる。

 

 山頂に辿り着いたのなら、後は滑るだけだから、とでも例えてみようか。

 もしくは、興味と倦怠の、終わらない2ステップダンスを踊っているかのようだ。

 

「……―――様」

 

 足早に避難通路を進んでいると、私の横から、専属の諜報員―――玉兎―――の一人が、情報をもたらした。

 

「穏やかではないわね」

「はい。八意様のご自宅で、ツクモなる地上人が、八意永琳様、綿月豊姫様の二名を昏倒させた模様で―――ぁ」

 

 玉兎の言葉が詰まる。

 けれど、それは仕方がない事だ。

 報告をしていた時、『昏倒させた―――』との台詞の辺りから、その諜報員は、声の主が放つ気―――殺気と怒気の入り混じった―――に当てられ、自身の心が体から離れていくような錯覚を覚えた。

 

「―――あら、御免なさい。少し―――気持ちが昂ぶってしまったわ。……それで? そのツクモという者は、今は何処に? とても面白い騒動を起こしてくれた御礼がしたいの。是非、我が家にご招待したいわ」

「ち、地上人は……現在―――逃亡して……おり……」

 

 喉が、口が、舌が渇く。

 何より、心が水分を―――安息という名の雫を求めている。

 何とかそれらを押し殺し、任務を果たそうと言葉を紡ぐが、しかしそれは、困難を極めた。

 たった一つ。

 何か一つの僅かな粗相が、自分の命の灯火を、消してしまいそうになっている。

 その事実が、彼女が二の次の言葉を口に出せずにいた。

 

「良いわ。続けなさい」

 

 言われ、やっとの思いで口を湿らせ、自分は伝えるだけの機械だ、と暗示に近い脅迫概念を以って、自身の口を動かした。

 

「は、はい……。現在、逃亡しており……軍部が総力を挙げて、探索を開始しました。……恐らく、後数十分以内には発見、そして、軍が派遣される事でしょう」

 

 目線すら向けず、彼女―――蓬莱山輝夜、は浅く息を吐く。

 カツカツと進める歩みに淀みは無く、むしろ、道を空けろと自己主張しているかのようだ。

 その雰囲気に気圧されて、報告をした諜報員は勿論、周りに居る誰もが、彼女を遠巻きに眺めるのみに留まっている。

 この程度で。情けない。

 侮蔑と諦めの思いで、輝夜は周りの人物達を、横目で流し見る。

 比較的若輩者である自分にすら気圧されているこの者達では、自分から何かをする、という選択肢が欠落しているのだろう。

 行動は自分達より下の者に任せ、自らは話し合い、考えて、机上の空論で物事を推し進めて来た弊害か。

 あんまりとも言える対応に、輝夜は溜め息……とまでは行かずとも、内心は、呆れ果てていた。

 ただ唯一の救いは、この事態を担当している者―――軍部の最高司令官―――が、地上に住んでいた時から豪傑として名の知れた者だ、という事だ。

 過去に幾度か、互いの立場を通して接する機会はあったが、中々どうして。

 この倦怠の水面に半身を沈めている世界では、珍しい程の人格者だと思っている。

 

(……まぁ、なら、我慢してあげても良いかな)

 

 腹に据えかねる問題ではあるが、それならば、と、心を鎮めて、成り行きを見守る事にしよう。

 そう判断した彼女は、通路の先にあった特別シェルターへと、入っていった。

 

 

 

 

 

 ―――それから、幾許かの時間が経ち―――

 

 

 

 

 

「それで? いつ、九十九とやらの身柄を、こちらに渡してもらえるようになるのかしら」

 

 移動中の車内。

 一先ずの安全を確保出来たことで、今日の議題は後日に繰り越しとなり、解散となった。

 体躯極まりない会議が無くなった事は喜ばしいが、だからといって、空いた時間を有意義に過ごす方法も、思いつかない。

 不幸の反対は、幸せ、ではない。

 不幸の反対とは、“不幸ではない”であり、幸福の反対とは、“幸福ではない”なのである。

 学校や仕事が早く終わったからといって、そこから何かしら、飲んだり遊んだりしなければ、不幸にはならずとも、幸せにはなれない。

 つまりは今、輝夜は不幸からは開放されたものの、幸せにはなっていないのだ。

 おまけとばかりに、

 

「それが……」

 

 未だに、今回の騒動にいついての朗報が届いてこない。

 

 今し方、車に搭乗する際に便乗してきたこの者は、しかし、輝夜が最も知りたがっていた情報をもたらさずにいる。

 焦らすのは好きだが、焦らされるのは嫌いだ。

 無用な会議から開放され、後は、この元凶となった人物へと私刑を行うだけだとなれば、尚の事に。

 だから、意図せず語彙が強まる。

 車内の空気が凍っていく様な感覚に、事の成り行きを報告しようと―――吉報ではない―――に、カラカラになった喉へと唾液を何度か送り込む事で、漸く、事の次第―――現状報告をする決意を固めた。

 

「何? 別に焦らす必要は無いのよ?」

「はっ……。ご報告します。地上人の捕縛作戦は……失敗。現在、綿月の依姫様が、最大戦力を以って、事態の収拾に当たっている筈です」

 

 輝夜からの反応は無い。

 気だるげな目線で、刻々と車外に映る景色を眺め続けていた。

 ―――いや、違う。あれは、固まっているのだ。

 諜報員は、そう判断する。

 瞬き一つ行わず、呼吸音すら聞こえないこの女性は、今完全に、与えられた情報に、思考が全て、停止していたのだった。

 

「……尋ねるわ。月の軍は、ほぼ全力で、今回の事件に対応していた。……そうよね」

「はい」

「作戦失敗、というのは、相手が遠くへ……地上へでも、逃げてしまったのかしら?」

「いいえ。探索機器の情報では、軍は壊滅的な打撃を受け、撤退を開始。相手は、どの資料にも記録が無い、超巨大な怪物を召喚、使役し、それらの惨状を引き起こしました。―――そして、彼らは未だに健在です」

「……相手は地上人……なのよね?」

「そうです。八意様主導の実験の結果、名称をつけ難い能力を有しており、細部で間々違いが見受けられたようですが……。正真正銘、地上人です」

 

 輝夜の方が度合いは強いが、諜報員と二人……どちらも等しく、この事実に、驚き、という言葉では言い表せない程の、心の揺らぎを起こしていた。

 ある島国の、下級の神々程度ならば、一撃で沈黙させられる威力を有している戦車。

 一瞬で音よりも素早く動き、撹乱し、任意の場所に、直接火力を叩き込める円盤。

 この主力の二機を、軍は四の桁に届く数を保有していた筈であり、それの大半以上を、今回の任務に当てていたのは確認している。

 

(……それが、たった数刻の間に壊滅……?)

 

 考察が追いつかない。

 ただの地上人……かどうかも怪しくなって来たが、それでも、個人という単体生物に、あの軍勢を打破出来るとは考え難かった。

 

(その怪物というのが肝のようね……。何処ぞ、名のある神か魔神でも呼び出したのかしら)

 

 ならば一体、何の神が。

 輝夜が、熟考してみるも、そちら方面の知識にはとんと疎く、結論は出ない。

 

 

 

 輝夜が幾ら考えようと、起こってしまった事実は変わらない。

 全ての攻撃が通用していなかった事に加え、鉄壁を誇っていた戦車部隊は、触手による圧潰か、切断性能の高い光線でバラバラにされ。

 同じく、目で追うことも困難であった数多の円盤は、二桁に届く【マリット・レイジ】の、目という策敵器官から逃れることは出来ずに、戦車と同じ運命を辿っていた。

 一切のダメージを受けず、不沈艦の如く君臨していた荒神について理解を深めようなど、実際に起こった出来事を直視でもしない限り、この月の都で暮らしていた者達からすれば、どだい無理な話なのであった。

 

(……つまり何? このままだと、永琳や、豊姫が目覚めずに終わる可能性があるって事?)

 

 輝夜は、彼女らに対して、一定以上の愛情を寄せていた。

 態度にこそ出さないものの、それは彼女の中で、決して譲れないものの一つとなっている。

 のほほんとした雰囲気の中で戯れあう豊姫が好きだし、自分の全力に勝るとも劣らない、愚直とも言える誠実さを持つ、依姫も愛おしい。

 何より、周りと比べれば、酷く我侭な自分を、放り出したりせずに、むしろ、これから必要になっていく知識や技術、教養を、今まで教師役として訪れた誰よりも的確に、興味を引かれるように、教えてくれていた。

 それが、失われるかもしれない。

 

(―――冗談じゃない)

 

 整った眉が歪む。

 月でも五本の指に入る造形を誇る彼女の表情は、憤怒の色彩に彩られた。

 熱が滾る。

 故に、その行為に及ぶのは、必然。

 

「……行くわ」

「は?」

「その、九十九とやらのところへ。確か、家に高速艇があったわよね。準備させなさい」

「お待ち下さい! そ―――」

 

 それはいけません。

 諜報員が言葉にしたかった考えは、輝夜から漏れる怒気によって、口の中へと押し戻されてしまった。

 じわりと、体から嫌な汗が滲み出る。

 目の奥が点滅し、気を抜けば、意識を手放しそうだ。

 

「―――良い? 私は判断したの。そうしたいと。そうするべきだと。そこに、貴方の考えは必要無いわ。あなたは、情報を調べ、伝えるのが役目。違う?」

「……はい、そうです……」

「ならば余計な真似はしない事ね。これでも、私。大概の事なら笑って許してあげられるけど、今回のは無理よ。―――分かるでしょ? 私―――怒ってるの」

 

 背後に阿修羅が―――否。それ以上のなにか見えた。

 

 後に、そう語る諜報員は、弾かれた様に、手筈を整える。

 当然、それを知った蓬莱山の家系に連なる者達が、すぐさま冷静になるよう、言葉の撤回を求める映像や音声を届けてきた。

 しかし、というか、やはり、というか。

 怒髪天を突く勢いの輝夜の進行を止められるものは、皆無であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的地に向かう、高速艇の中。輝夜は、その映像に、魅入られていた。

 浮かび上がったディスプレイから、目が離せない。

 そこには、大地を薙ぎ、空間を押し潰す、色とりどりの世界が展開されていた。

 

「何よ……これ……」

 

 この光景は、見た事がある。

 確か、数年前。未知の月外生命体と、月の軍が威信をかけて戦う、といったコンセプトの活動写真だったか。

 そこで出て来た、超巨大怪獣があれ位の大きさだった。

 ―――ただしそれは、月の剣、と二つ名の付いた、主演・綿月依姫によって撃破されていた。

 

(赤面する位なら、主演断ればいいのに)

 

 ……違う。そうじゃない。

 今しなければいけない思考は、もっと別の事だ。

 

(依姫の攻撃が一つも効いた様子が無い……。おまけに何? あの攻撃力。一つ一つが、準大量破壊兵器並みじゃない)

 

 どれも依姫には当たってはいないが、その触手には、特殊合金で覆われた戦車を、一撃の名の下に圧潰させるだけ威力が伴っている。

 空間ごと攻撃しているかのような攻撃に、その暴力性が垣間見えた。

 依姫はそれを、舞でも踊っているのではないかと思わせる動きで、交わし、往なし、避けてゆく。

 隙を見つけては、能力を駆使して様々な方法で攻撃を当てていて。

 けれど、そのどれもが相手に対して、微塵も動きを止めるものではなかった。

 

 そして、いよいよ埒が明かない、と依姫は判断したようだ。

 距離を取り、背中に炎の羽を生やす。

 

(あの子、本気ね。あれって何の神だったかしら)

 

 過去に一度だけ見たような気がする。

 確か、島国のものではなく、それらよりも外にいる神であった筈だ。

 ああなった彼女を止められる相手など、三本の指に入る程も居ない。

 安定性を捨て、世界の神へとその能力を広げた彼女は、自分でも、何とか食い下がるのがやっとだろう。

 

(本気の依姫に勝てるのは……永琳くらいかしら)

 

 ともあれ、これで勝負はついた。

 自分の手で解決を図れないのは不満が残るが、それでも終わってしまったのなら、仕方ない。

 どうやってこの鬱憤を晴らそうか。

 帰りは乗員が一人と、荷物が一つ増える事を考慮しておかなければ―――

 

 ―――体中に走る悪寒。

 唐突に。輝夜は、全身が冷えていくのを感じた。

 

(な―――!?)

 

 空調機器などの、故障ではない。

 体の心から冷えてゆくこの感覚は、今までに味わったことのないものだ。

 

「輝夜様! 緊急着陸します!」

 

 同時、高速艇の操縦士が叫ぶ。

 どうやら、体が冷えてゆくだけでは無いようで、何かしら、機体にトラブルが発生したようだ。

 

(何!? この寒気は!)

 

 それだけではない。

 気力……とも違う。

 そう、生きる上で必要不可欠なスタミナ―――体力が、徐々に外へと零れていった。

 しかもそれは、秒毎に、吸引力が上がっていっているようだ。

 今はまだ良い。

 けれど、あの怪物のところへ到着した時には、それこそ疲労困憊状態になっているだろう。

 

 

 

 緊急というだけあって、地面を擦りながら、高速艇が着陸していく。

 数十秒の後、何とか無事停止した船から、輝夜は降りた。

 搭乗員、全二名の船内には、もう一名の乗員が、力無く、震える体を抱き締めながら、操舵席の上で蹲っている。

 どうやら、この寒さと脱力の元凶は、漏れ出す程度に、差があるらしい。

 

(全く……一体どうなってるのよ……)

 

 墜落したのは、この寒気が原因か。

 段々と活力が失われていく最中、このままでは、何とは言わずも、色々と問題が出る事は必須と考えた

 なれば、迅速に事に当たるべきだ。

 目的を達成するべく、能力を使おうと、意識を集中させる。

 

 ―――同時。

 

(なっ―――)

 

 世界が純白に華やいだ。

 太陽がもう一つ出現しても、このような光源には及ばないかもしれない。

 解決の糸口を求めるように、視線を空へと這わす。

 

(白い……柱……?)

 

 漆黒の空間を分断でもしているように、白い道が、星空へと敷かれていた。

 

(違う。あれは……)

 

 そうだ。今し方まで、高速艇の中で目にしていた映像と重なる。

 但し。それは、映像のものよりも、数十倍の輝きであった。

 

 

 このままでは、何もかもが手遅れになる。

 根拠の無い。けれど、確認に満ちた感覚に、輝夜は自身の能力を発動させた。

 

(うつろいの間なんて与えないわ)

 

 世界が止まる。

 それは、輝夜だけに許された聖域。

 何者にも侵食されぬ、絶対の力。

 

『永遠と須臾を操る能力』

 

 それを如何なく発揮して、輝夜は大地を駆けた。

 周囲の須臾を操り、自身のものとする。

 それだけで、彼女は誰にも認知される事のない存在となった。

 そして。

 

(あれ……ね)

 

 輝夜の眼前に、厳かに聳え立つ灰色の茨山。

 顔と思わしき箇所には、いくつもの眼光が底冷えするような色を発しながら備わっている。

 それらのやや下。

 並び立つ牙という牙に、冥界へと続く入り口を垣間見た気がした。

 

(依姫は、これを相手にしていたというの……? 肝が冷えるわ……)

 

 彼女でも攻撃が効かないとなれば、自分能力でも怪しいものだ。

 

 ―――いや、そもそも、だからといって、それに固執する必要など無い。

 高速艇で見た映像を思い出す。そこには、この化け物は地上人が召喚したもの、という可能性が濃厚であった事が、示唆されていた。

 なれば、この怪物を相手にするよりも、狙い易い、そちらを優先して対象にすれば良いだけの話。

 何も、好き好んで苦行の道を行かずともよいのだ。

 

(彼女らしくも無いわね。怒りで我を忘れたのかしら。それとも、地上人の呼び出したものなど、と侮っていたのかしら)

 

 どちらの線もありそうだが、後者の理由ならば、自分の場合でも起こり得る。

 月へと移住し、幾星霜。

 地上の文明や技術、脅威の度合いは、調べ尽くしていた。

 その度に知る事となる、“脅威無し”の情報。

 数千万年も行ってきた、観測という名の脅威偵察で得られた結果を、そう易々と覆して考えを纏められる者など、居よう筈もなかった。

 それが例え、あの八意永琳であったとしても。

 

 そういえば、この怪物の頭上に、目標たる九十九という地上人が乗っていた筈だが、今見る限りでは、それらしい人影は無い。

 何処かへ逃げたのだのだろうか。

 辺り一面は極寒の荒野なのだから、おいそれと逃げ切れるものではないとして……

 

(見つけたっ!)

 

 僅かに窪む、瓦礫の影。

 恐らく軍の戦車の残骸であろうそれの横に、純白の衣装をまとった地上人、九十九と―――

 

(っ! あの子!)

 

 眠るように横たわる影。

 月の軍神として無双を誇っていた、綿月依姫である。

 時の流れが緩慢になっている中、輝夜は駆ける。

 彼女にしてみればほんの数分だったが、彼女以外のものからしてみれば、それこそ一瞬。

 今にも倒れんばかりにへたり込んだ地上人と、それに体を預ける両名が、視界に入って来た。

 それは、男女の逢引の様子とも見て取れる。

 

 ……しかし、ここは戦場。

 よくよく目を凝らしてみれば、見えてくるのは、むしろ間逆。

 疲れた顔で、女を抱く男。

 青ざめた表情で、力無く横たわる女。

 色恋の雰囲気など、微塵もありはしない。

 よって。

 

「御機嫌よう、地上から来た者―――九十九」

 

 輝夜は自分の能力を解き、目の前の人物に姿を晒す。

 即座に能力を使い、地上人の思考を循環させ、永遠のものとする。

 

「……お前、は……お前、は……お前、は―――」

 

 呆気ないほどに効果の現れた地上人に、拍子抜けすると同時、今まで抑えに抑えてきた黒い感情が込み上がる。

 

「よくも永琳達を……」

 

 知らず、拳に力が篭る。

 何も掴んでいない手の平を、相手に向かって叩きつけるように振るう。

 当然、その手の中には何も存在しないのだから、せいぜいそよ風の一つでも起こる程度が関の山。

 おまけに、ここは月の都市の影響下とはいえ、宇宙空間。

 本来なら、僅かな気流すら起こる事は無いのだが、そこを彼女は能力を駆使して対応する。

 

 青白い光。

 九十九の肩付近から外の宇宙へと軌跡を描くそれは、通常なら何の影響もない……塵芥と呼ばれる、極小物質。

 それを輝夜は須臾を操り、極限まで加速させ、レールガンか、あるいは荷電粒子砲以上の威力を発揮させ、ぶつけたのである。

 

 腕の一つでも飛ばしてやろうと目論んだ攻撃は、けれど、彼の衣類が破けただけで、漂う様に浮かぶ、小型の黒い円盤に阻まれた。

 例え出血で瀕死になろうとも、能力を使い、状態を保存して月の都へ運び、治療を受けさせようと考えていた為に、手加減無しの一撃であったのだが。

 ただ、完全に防ぎ切れはしなかったようで、男の左肩の衣類が、爆散したかのように吹き飛んでいた。

 

「ふ~ん……。これが例の絶対に壊れない能力、か」

 

 面白くないとばかりに、眼光を強める。

 それとは対照的に、黒い円盤は、実に優雅に漂っていた。

 幻聴の類か。『汚名返上』の文字が脳裏を掠めるが、それは然したる問題ではない。

 思考の操作は簡単に行えたというのに、破壊不可能の能力は、しっかりと機能しているようだ。

 実験の結果は、輝夜も知っている。

 自動で防御を行う円盤が一つと、それ同様の硬度を持つ体。

 

 

 しかし、物理的な衝撃や欠損などの、ダメージによらない攻撃は、効果がある、というのは今現在で実証出来ている。

 絡め手に弱い。と評価を下し、ならばいっそ、頭部はそのままに……意識を戻させ、それから下の時を加速し、体が腐っていくのを眺めさせようか。

 食材を前にして、料理を決める調理師の如く、様々な調理法が頭を過ぎ。

 

 じゃあ、まずは―――足から。

 

 傾国の美貌を持つ者は、それはそれは楽しそうに残忍な笑みを湛えていた。

 

 

 


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