東方ギャザリング   作:roisin

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37 玉兎

 

 

 

 

 

 

 私は今、しっかりと歩いているのだろうか。

 何処か自分を第三者のような視点で観察している気になりながら、よく整備された路上を歩いていた。

 いつもは何の意識もなく通っていた道が、やけに長く感じる。

 私の後ろには二人。私と同じ色、同じ形状をしたブレザーとスカートに身を包み、接近戦用のナイフや拳銃。合成繊維ベストや強化ヘルメットなどの装備を整えた玉兎が油断無くついて来ていた。私がおかしな行動をしようものなら、即行動に移れるように。

 行き先は……とある施設。

 八意様が良く使う、主に兵器の試験運用を行う場所であったか、と霞掛かった記憶を読み取る。

 普段訓練を行っている真横にあるそこは、度々、新兵器の爆発音や地響きが届いて来ていた。

 

 故に、分かる。

 恐らく私は死ぬのだと。

 

 建国以来、数十万年に一人か二人、死刑となる者が居るのは知っている。

 穢れの問題と聞いているけれど……、殆どは生きたまま太陽系の外へと送り出される宇宙葬だが、その際には全ての報道機関が挙ってその問題を取り上げ、ある者は面白おかしく、またある者は戦々恐々と、死者への配慮など在って無いように、自由気ままに記事を書き立てていた。

 まさかその乱痴気騒ぎを飾る一面に、自分が混ざる事になろうとは夢にも思わなかった。

 

 後ろの玉兎達が止まる。施設の入り口に到達したのだ。

 重厚そうな銀色の扉が開き、鉛になってしまったかのような足を何とか持ち上げて、前へと進んでいく。

 閉まる扉。真っ暗な通路。

 それでも足元には淡くライトが灯っており、こちらの意思など無関係に、私の行く道を指し示していた。

 

 もう、逃げられない。

 

 あの判決において、全てが決まってしまった。

 命令無視。それが原因で軍のほぼ全ての戦力を喪失させてしまったという結果……数千万年働いても返せるかどうか分からない負債と、何より、他の全ての者の命を危険に晒してしまったという事実。

 今更、もう戻れはしない。

 例え社会復帰出来たとしても、そのような者と関わりを持とうなどという者など、居よう筈も無く……。

 もはや自由など無い。死、しかないのだ。

 だというのに、それでも今私はこうして生きている事へと縋ろうとする。

 生きていればどうとでもなると思っていたのに、こうしてみれば、あのような行動に移ってしまった時点で、死しか待ち受けていなかったのだと気づかされる。

 いっそ地上にも降りればまだ延命は出来るかもしれないが、既にその手段も段階も、失われてしまった。

 仄かに照らし出される、鉄塊とも言える堅牢な壁……に見えた扉。

 この先に、居るのだ。

 この騒動の一端を担っている人物。

 八意様に拾われ、害をなし、軍を壊滅させ―――今、私の命を消そうとしている者が。

 

『玉兎、レイセン。この者、軍の規律を乱し、危険に晒し、壊滅の一端を担った者。何より無許可で命を奪う暴挙に走った。一般人であれば弁明の余地はあるが、軍に所属する者としてその行動は見過ごせない。故に―――』

 

 判を下す八意様の言葉は、今も脳裏に残っている。

 普段モニター越しで見る温和な表情は見る影も無い。

 法の番人とはこういうものかと。そう思わせるお方であった。

 初めて会う事が、あのような状況になろうとは……

 

(やな人生だったな……)

 

 心臓が痛い。

 これから死ぬと分かっているのに、それでも胸の鼓動は『生きているんだ』と自己主張を繰り返す。

 けれど、それももう終わり。

 一瞬で終わらせてくれたのなら御の字。

 長期に渡って、であったのなら……。

 考えるのはよそう。

 どうせ……これから嫌でも分かるようになるのだから。

 

「先遣隊所属、元軍曹、玉兎、レイセン。―――九十九様のご意向に従うべく、参上致しました」

 

 恐怖で声も出ないと思っていたのに、口から出た言葉は、思っていたよりもはっきとしていた。

 ―――判決の最後。

 下された命は、月に害のない限り、地上人の意思を全て受け入れる事。

 一生奴隷か、陵辱の限りを尽くされ打ち捨てられるのか。

 あるいは私がやったのと同じ様に一瞬で頭部を撃ち抜いてくれるのなら、きっとすぐ楽になれるだろう。

 

(もう……疲れちゃったよ……)

 

 今更ながら思う。私には、争いごとは不向きであったようだ。

 今なら、夢物語と馬鹿にしていたとある一説も信じられる。

 輪廻転生。

 死んだ者は別の肉体に宿り、再び新しい生を得るのだと聞く。

 尤も、生前の行いによって、生まれ変わる肉体は変化するらしいのだけれど。

 

(今度は……そう……。お医者さんなんて……素敵かな……)

 

 あんな出来事を経験したせいだろう。誰かの命を助ける職が、とても素晴らしく、輝いて見えた。来世というものになら、少しは希望を見出しても許される筈だ。

 扉が開く。

 鈍重そうな見た目とは裏腹に、音も無く開くその奥には―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コラブツイストォー!」

 

 

 

 

 

 ―――は?

 

 

 

 

 

「てめぇコラ蓬莱山! 力技なんて卑怯だぞ!」

「あはーっ♪ たっのしー! 永琳! これ幾らでもやっていいのよね!?」

「構いません姫様。関節程度でしたら幾らでも、思う存分為さって下さい。―――壊れたらすぐ直しますので」

「永琳さん口調が丁寧過ぎマジ鬼畜! そこにしびっ……てぇーー! マジ関節いてぇ! 教えてすぐにプロレス技マスターするんじゃねぇよ! しかもこれ発展系の卍固めじゃねぇか基本スペック高すぎだこの野郎アダダダダッ!」

「また『野郎』って言った! 私、女だって言ったじゃない! あんた物覚え悪過ぎよ!」

「能力使って破壊不可なのに何で痛いんだよ! 関節は守れませんってか!? それともギャグか! 後、こんな状況で前後の記憶なんか繋がるわきゃねぇだろぉー!」

「あーもうっ! 能力だの何だのまた訳分かんない事言って! だから少しは自分の能力説明しないさっつってんの、よっ!」

「いーやーだぁーーだだだだだっ!」

 

 

 

 

 

 ―――私の記憶はそこで途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさいね。騒がしくて」

 

 絨毯の紅、椅子やテーブルの茶色を基調とした室内。

 四方の壁の一方にはフェムトファイバー製の無色壁が備え付けられており、その先の光景……そこで行われる多種多様の実験をマジマジと観察できるように設置された部屋であった。

 実験場に隣接して建造されていた高級そうな調度品に囲まれたそこは、貴賓室と呼ばれるところである。

 

「い、いえ……ありがとうございます……」

 

 借りてきた猫のように丸くなり、一向に事態が飲み込めないでいる元軍曹―――レイセンは、目の前に差し出された湯飲みを手に取り、両手で優しく包む。

 彼女自身いつこの席についたのか記憶にないが、どうやら昏倒する事態だけは避けれたようだ、との安堵はあった。

 

(良い香り……何の飲み物だろう)

 

 そんな湯飲みを差し出した人物―――八意永琳は、裁判で見た時とは一転し、いつも彼女が目にしているモニター越しの温和な表情になっていた。

 永琳が差し出したジャスミン茶は、ここ月では生産不可能な代物である。数万年生きてきた彼女が知らずとも当然のもの。

 勿論、それは某地上人が数日前ストック用に、と出していたものである。

 

「輝夜がどうしても、って言って聞かなくて。あのままだと部屋どころか自宅ごと塵にされそうな勢いだったから、連れてきちゃったわ」

 

 そう気軽に言われてもどう返答すれば良いのか分からないレイセンは、『はぁ』と一言相槌を打つだけで精一杯であった。

 

「あ、あの」

「ん?」

 

 あの時出会った人物とはとても思えない、木漏れ日のような笑顔で反応され、一瞬レイセンは戸惑うものの、意を決して質問を続ける。

 

「私……あの……。九十九……様、の指示に従ってここまで来たのですが……」

 

 それが何であんな状況に?

 続く声でそう言おうとしたのだが、その先の流れをすぐに察した永琳が、苦笑と共に答えてくれた。

 自分の手元に置かれた湯飲みに、レイセンと同様のジャスミン茶を注いでる。

 そうしてレイセンと丁度対面となる形で席に着き、少しの溜め息を付いた後、ぽつぽつと話し出した。

 

「そうね……まずは現状に至るまでの話でも―――」

 

 閉廷の後、綿月姉妹はそれぞれの職務を遂行する為、すぐさま奔走する羽目となった。

 豊姫は世論調査と操作を。依姫は役職の引継ぎと、除隊の後に再度一兵卒として入隊する為に。

 そして永琳も、僅か数日とはいえ溜まりに溜まった仕事を消化すべく、何から手をつければ最善かを模索している段階に事は起こった。

 自宅謹慎となっていた筈の輝夜が『会いに行く』と呟いたのだ。

 今更誰に、とは言うまい。

 実力行使も何のその。

 何より能力まで使って外出しようとしていたので、従者がすぐさま永琳へと連絡を入れた。説得してもらおうと思ったのだろう。

 だが悲しいかな。その時の永琳には輝夜の行動を阻害する思考がとても薄かった。

 むしろ逆にその展開を望んでいたとばかりに輝夜に絆されたように見せかけながら、大手を振って九十九の下へと向かって行った。と、後で分かった輝夜は憤慨したそうだが。

 お目付け役と思われていた者は容易く手の平を返し、反対勢力へと鞍替えしてしまう事態は、彼女を説得した輝夜以外の誰にも予想出来なかった。

 月の姫君と月の頭脳の二人の意思は、もはや誰にも止められぬ絶対権力。

 そうして意気揚々と高御産巣日と話をしていた病室へと乗り込み、『ちょっと顔貸せ』的な流れで実験場へ拉致してしまった。

 その少し前に、九十九はレイセンへ自分の下へと向かうよう指示を出していた。

 第三者―――高御産巣日―――を通しての要望であったが、彼女への絶対命令権にまで昇華していた九十九の発言は、あっという間に営巣にて拘束されていたレイセンの元へと届き、けれど、それを指示した張本人は、荷馬車で植われて行く子羊の如く連れ去られており―――移動していた地上人と月の姫達は、既に病室には居なかった。

 結果として、突如変わった移動先である実験場へと、こうしてレイセンは訪れる事態になったのである。

 

「―――と、周りからの情報を統合すれば、そういう流れが見えてくるわ。彼があなたを自分の下へ呼び寄せたと知ったのは、今さっきだけれど」

 

 こんな感じかしら。と、永琳は小首を傾げながら憶測を口にする。

 そうなんですか、としか答えられないレイセンが、それでも何とか口を動かして尋ねた事と言えば……、

 

「あの……それで、私はどうすれば……」

 

 話を聞き終え、色々と尋ねたい事はあったが、まずは自分の行く末を聞かなければおちおちお茶すら飲んでいられない。

 湯気を立てていたジャスミン茶が温くなっているが、それでも未だに口を付ける気にはならないでいた。

 

「そうね……」

 

 顔を俯かせた後、すぐ元に戻し、

 

「輝夜、そろそろ止めて上げて」

 

 喋る声は集音機か何かに拾われているようで、遠くに居た輝夜の元へと、一言一句しっかり聞き取れるだけの音量となって届いた。

 

「えー、やっと何も言わなくなったのよ? これからが弄りがいがあるのに」

 

 その条件は輝夜も同じ。

 二人の間の声は拡大され、互いにはっきりと認識可能な程に大きくなっていた。

 

「はいはい、人形遊びは後に幾らでも出来るでしょ? 先は長いんだから、今度こそ優先順位くらい守って頂戴」

 

 不満そうではあったものの、間延びした返事をした輝夜は、その場―――実験場から出て行った。

 人形遊び、との言葉には誰も反応しない。

 後はただ一人。ボロ雑巾のようになり果てた地上人が、物言わぬ躯となって横たわるのみである。

 

 

 

 ドアが開き、輝夜がホクホク顔で入室した。

 楽しげに弾む胸や肩からは、彼女がどれだけ体を動かしていたのかが見て取れた。

 

「あーすっきりした。良いわね権力って。こういう時は本当に。……これからはもっと行政の方に力を入れようかしら?」

「あなたの場合は何が切欠であっても構わないから、少しは姫らしい振る舞いをしてほしいわ」

「公私混同は避けてるわよ。もう」

「普段からそうして。と、言っているの。あなたの場合、またいつ何時にもその猫かぶりが剥がれるとも限らないんだから。九十九さんを相手にした時みたいに、ね」

 

 うっ、と表情を曇らせて、輝夜は永琳やレイセンが腰掛けているテーブルへと着席した。

 永琳が配膳したのだろう。既に彼女の目の前には茶が置かれている。

 それに軽く感謝の意を述べ、一口啜った後で、輝夜はレイセンに口元に笑みを湛えながら顔を向けた。

 

「それで―――玉兎が私に何の用かしら」

 

 本人は気軽に喋っているつもりなのだろう。

 事実声色だけを聞けば、それは友人にでも話し掛けるかのように気軽なものであった。

 だがそれを言うは蓬莱山。

 武にて綿月依姫と並び、知にて綿月豊姫と比肩し、師に月の頭脳を据える者。

 自力が並ではない故に、ただの玉兎であるレイセンがその威圧感の前で平然としていられる訳が無い。

 

「ぇ……ぁ……」

 

 ただでさえ今は心が崩れ去りそうな程に弱っているのだ。九十九風に言うのならば、『こうかはばつぐんだ!』と合いの手を入れていたに違いない。

 辛うじて話せた言葉は今言った、たった一言。

 消えてしまいそうな小声。意味の無い単音。

 これでは流石の輝夜も少し気を使う。

 

「……はぁ。あなた、ちょっと気負い過ぎね。というか私にじゃなくて、あいつに用があるんだっけ。―――じゃあ、とりあえずその懸念から払拭しちゃいましょうか」

 

 輝夜も知っている。

 これがあの九十九への狙撃を行った者だと。

 然るに、彼女が何故ここに居るのか。どうしてこうも諦めの境地に近い程に怯えているのかが、過去の見聞きした情報と統合され、今レイセンに必要な言葉を弾き出す。

 

「永琳」

「はい」

 

 月の姫に名を呼ばれ、その意図を察した彼女の師は退出する。

 しばらくすると、外の物言わぬ躯となっていた地上人を軽々と担ぎ、そのままこちらへと連れて来た。

 肉塊を柔らかな絨毯へと、仰向きに寝かせる。

 変わらず意識を失っている九十九の体を、その白百合のような両の指が這い回り―――息つく暇も無く、全身に何かを施した。

 全身のツボを突いたのか、外れていた関節を繋ぎ合わされたのか。

 あまりに一瞬であった為にレイセンの目には何を行ったのかが殆ど分からなかったが、ペキパキボキという快音が聞こえたかと思えば、九十九が二度三度体を痙攣させた後、

 

「―――がっ! げほっ、ごほっ……はっ!? ……死ぬかと思った」

 

 本当に関節があったのかも怪しいほどに捻じ曲がっていた体は元の形を取り戻し、安堵の吐息と共に、よく自分が生きていた、という感想を口にした。

 軟体生物一歩手前になっていた筈であったが、どうやらしっかりと人型生物としての機能は取り戻したようだ。

 

「おはよう、九十九さん」

「……お、オ早ウ 御座イマス。永琳サン」

 

 表情が硬い。口調も固い。汗が止め処なく吹き出ている。

 何より、彼女を見る九十九の目が恐怖に染まっていた。

 

「輝夜の相手をしてもらった後で申し訳ないんだけれど、あなたが呼んだ玉兎が来たわよ。用件を伝えて上げてもらえるかしら」

「え? あぁ……」

 

 一転、何処かふ抜けた空気はその温度を変えて、徐々に低下していくのがレイセンには分かった。

 とうに覚悟して―――諦めていた筈だった生への執着心が顔を覗かせる。

 姫様が居て、八意様が居て、こちらの殺生権を握っている地上人が居て。

 例え今、全てをかなぐり捨てて逃げ出したとしても、無駄な足掻きの何者でもない結果にしかならない、と分かる力の差。

 戦闘訓練において玉兎の中では平均以上の成績を出し続けてきたが、そんなもの、この場においては何の役にも立たないのだと悟る。

 

「来い」

 

 動かない彼の近くへ移動する。

 足が竦んで動かなくなるかと思っていたのに、自分の意思とは裏腹に、何者かに操られているみたいにフラフラと、緩慢な動きで側へと辿り着く。

 ゆっくりと、地上人の手が伸びる。

 こちらの顔へと向けられたそれは、何かを掴むように、だらんと開かれた五指が、まるでこちらの魂を抜き取ってしまう死神の鎌に見えて―――

 

「っ!」

 

 目を瞑る。

 生が終わるのか、地獄が始まるのか定かではないけれど、きっと私の何かが終わるのだと思う。

 過去の出来事が思い返される。走馬灯という現象であったか。

 全ての人生を思い起こしながら、あぁこれで、と達観に満ちた気持ちの中―――

 

 

 

 ずぼっ

 

 

 

「ふぁへ!?」

 

 レイセンは思わず目を見開いた。

 想像していたものの、どれもち違う感覚に疑問が沸き上がるのと同時、彼女の顔面―――鼻の穴に、地上人の指が二本、突き立てられている。

 ただそれは口径の差異のせいで、実際には入り口を塞ぐ程度のものでしかなかったのだが、それを行った張本人である者は、実に楽しそうな―――『ヒャッハー! 汚物は(ry』系のものではなく、『デュフフフ、コポォ』方面の、ガンジーでも助走つけて殴るレベルの憎々しい笑みを浮かべていた。

 少し前までボロ雑巾のようになっていた面影など無い。

 輝夜が手加減していたのか、九十九の自力が凄いのか、それとも永琳の治療が優れているのか。

 色々と投げ出したくなって来ていた精神状態に王手を掛けたその行為に。

 とうとうレイセンの心は限界を超えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やらかした。

 感想はその一点のみ。

 軽いジョークのつもりだったのに。これはイケメン限定で効果を発揮する行為だったかと悔やむ。

 我ながら子供じみていると思ったが、痛くも痒くもないから良いだろうと思った報復は、どうにも精神面で限界であった彼女の最後の一押しを手助けてしまったようだ。

 

「あ……その……すまん……」

 

 立ち尽くしたまま顔を伏せて、両の手で覆っている。

 声無く涙を流すレイセンに、本来ならば張り手やら罵倒やらの反応を求めていたというのに、よりにもよってただ涙を流させていた。

 

(勇丸に足ペロさせた後の神奈子さんとか、感情爆発してた輝夜みたいな反応期待してたんだが……マジ泣きか……)

 

 全く相手を知らないが故に、殆ど謝罪する気持ちは持ち合わせていないが、それでも見ず知らずの子供を泣かしてしまった心境に似て、内心でオロオロと右往左往する羽目になっており……。

 何より、体に突き刺さる視線が痛かった。

 鉄の処女、アイアンメイデンもかくやと言わんばかりの輝夜と永琳さんの無言の圧力は、それだけで、どんな言葉よりも雄弁に彼女達の意思を感じられた。

 

「どうして……どうして私がこんな目に合わなきゃいけないの……」

 

 嗚咽交じりに聞こえるレイセンの声に、『そりゃお前が撃って来たからだ』と言えたのならどんなに楽だったか。

 しかし悲しいかな、今この場において俺は孤立無援。

 おまけとばかりに相手には援軍がおり、それは月の姫と月の頭脳。

 仮にこの状態で裁判でもしようものなら、俺が生きているだけでも、わいせつ罪などの名目から無期懲役か死刑かに持っていかれそうだ、と断言出来た。

 

「可愛そうに。命が掛かっているからと健気に勇気を振り絞った結果があれじゃあ、悔やんでも悔やみきれないわよね」

「九十九さん……流石に今のは……どうかと思うわ……」

 

 輝夜がゴミを見る目で睨み、永琳さんが弁護出来ないと諦めながら、それぞれの思いを口にした。

 

「いやもうホント、その辺は今ヒシヒシと実感してますんで勘弁して下さい。謝りますから」

「……あんた自分がやらかした事分かってるの? よりにもよって、あんな形でうら若き乙女を身も心も穢したのよ? それの謝罪が『勘弁して』?『謝りますから』?」

「……大変申し訳ありませんでした」

 

 深く頭を下げた。

 何この魔女裁判。いや、俺は男だから魔男か。……語呂悪いな。

 というかお前ら歳幾つだよ。どこまでが『うら若き』なんだってんだ。

 

「―――ま、冗談はこれくらいにして」

 

 ヲイ。

 

「レイセン、と言ったわね。安心なさい。こいつはもう、あなたをどうこうする気概は無いわ。奴隷するでも苦痛を与え続けるでもない。今ので全部チャラだそうよ。―――そうよね? 九十九」

「いや、何でお前が仕切ってるんだよ。それは俺が決める事であってだな」

 

 と、永琳さんが哀しげな顔を向けて来た。

 

「……九十九さんは、これ以上彼女に何かしようと言うの?」

 

 白旗だ! 白旗を用意しろ俺!

 

「いえこれで全部終わりですあんな事したんですもんもう充分ですともはい」

 

 ……もういいッス。別に始めから望んでたもんじゃありませんでしたし。

 元から無かったもんなら、今無くなったって問題ないッス。

 

 ……一度くらいは何か命令してみたかったんだけどなぁ。

 

「あんた今何か思った?」

「……いえ何も」

 

 何だよ“思った”って。“言った”じゃねぇのかよ。

 

「で?」

「ん?」

 

 何、その疑問系。

 まだ何かしろとでも言うつもりか。

 ジト目で見やがってからに。ちょっと、ときめいちまったぞこの蓬莱野郎。

 

「あんた、これからどうするの?」

 

 ……あぁ、そっちの疑問ですか。

 

「……どうするって言われてもなぁ」

 

 怒涛の展開に対して舵を取ることに必死になっていたせいで、目的地への操舵など二の次になっていた事を実感する。

 最終目的は、当初の予定通り、地上への帰還。

 だがこうして色々と経験した身としては、このまますんなり帰るのも胸が痛む。というか、まだ永琳さんと豊姫さんへの贖罪が完了していない。金銭面としても。

 

「そりゃお前、永琳さんと豊姫……さん……に、謝るまでは帰らないつもりだが……」

「ふぅん。一応罪悪感みたいなものはあるのね」

「お前にゃ欠片も無いがな!」

 

 睨む俺。睨む輝夜。困る永琳さん。

 段々と嗚咽も落ち着き、軽く達観モードに入っているのか、何をするでもなく赤い瞳を濡らしながら、こちらを観察し続けるレイセン。異様な空間であるのは疑いようも無い。

 

「遅くなりました。綿月依姫、並びに綿月豊姫。到着し―――」

 

 そんな異世界へと脚を踏み入れてしまった者が居た。

 はたと気づいて出入り口へと顔を向ける。

 そこには『一体何これ』との文字を額に貼り付けた依姫と、柔和に微笑む―――何を考えているのか分からない豊姫が並んで立っていた。

 

「あぁ、ごめんなさいね。忙しいのに時間を取ってもらって」

「い、いえ。それは構わないのですが……」

「永琳様。私共は用件を全くお伺いせずにいるものですから……その……」

 

 こちら―――この光景をサッと見て、豊姫が怪訝な表情を作る。

 

「これは一体どういう状況なのです?」

 

 彼女の尤もな疑問に答えるべく、永琳は事のあらましを話し出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 重厚な木製のデーブルに座りながら、各々が意見を交換し合う。

 数十分前から始まったそれは、もうそろそろ分から時への単位へと移行しても良い程に増えていた。

 

「じゃあ、九十九さんはそれで良いわね?」

 

 机の中央へ鎮座している永琳が自然と進行役のポジションへと収まっている。

 それに誰も異を唱える事などせずに、むしろその役を引き受けてくれた事に感謝していた。

 

「はい。それで構いません」

 

 頷き同意する九十九の目は真剣なもの。

 それを察してか、輝夜ですら茶々を入れるような真似はしていない。

 

「では、九十九さんが依姫に対して保有していた命令権は、同じく九十九さんに下された豊姫への賠償と相殺。無効となりました」

 

 一応の一段落。

 個人的な謝罪は別として、定められた贖罪の清算はこれで完了した。

 

「九十九」

 

 今まで必要最低限の言葉しか口にしていなかった依姫が、こちらへと声を掛けてきた。

 

「その……ジェイス殿は……」

「あぁ……」

 

 なるほど、確かに彼女からしてみれば、それも気掛かりの一つだろう。

 

「今は呼ぶ気は無い。……安心してくれ。別にお前と会いたくないだとか、会わせたくないだとか、そういう理由じゃあ無い。怨んじゃいない。そういう状況だっただけ、だからな」

「ならば、何故……」

 

 切り札に使用制限あったんだ、なんて口が裂けても言えない。というか口が裂けたら言えない。

 ポンポンと頭が回ってくれたのなら良かったのだが、情けない事に、これに対して明確な答えは出て来なかった。

 

「秘密だ。いずれ、な」

 

 何か言いたい言葉があったのだろう。

 それを言い掛け、最後の一歩を踏み出す事無く飲み込んだ依姫には罪悪感を覚えるが、いずれ5マナ域が開放されるまでは待って頂くしかない。

 

「では、後は永琳様の件で終わりになりますわね」

 

 手に持った扇を弄びながら、豊姫がそう告げた。

 ……やはり依姫へ色々とやらかしたせいか、彼女が俺に対して抱いている印象はかなり悪そうだ。

 出会ってからすぐ軽く自己紹介をしたのだが、事務的というか機械的というか、ニコリともせずに名乗りを終えた彼女に対して、俺は内心でビビリまくった。

 怒りとも殺気とも嫌悪とも。一体どういう感情なのかが全く分からない彼女に、ぽやぽや~、な原作のイメージは完全に払拭されて、脳内にて、『読めない女』のレッテルを豊姫に対して貼り付けていた。

 

「そうね。では―――私、八意永琳は、九十九に対して、戦力の提供を要求します」

「……提供、ですか」

 

 何が言いたいのか何となく分かるのだが、さて内容はどうなのだろうか。

 

「そう。高御様から聞いたわ。こちらに永住する気は無いのでしょう?」

「そう、ですね……」

 

 地上と比べれば、それこそ楽園とも言えるここ月の都市への永住を希望しない。

 エアコンテレビ冷蔵庫云々ではなく、そも電気どころか、屋根がある状況すら幸せである世界へ戻る。普通に考えたのなら、刑罰にも等しい環境なのは間違いない。

 初めて降り立った場所がここであったのなら、むしろ頭を下げて何とか住まわしてもらえるように努力しただろう。

 しかし……。

 

(……別れたくないもんな)

 

 脳裏に写る、ここ数年の出来事。

 経験する全てが新鮮で、そんな素晴らしい日々の一部である村人達の優しさと、それらをまとめる小さな神様を思い出す。

 離れる事に苦は無いが、離れ続けるのは我慢し難い。

 あれらは、それだけ自分の中で譲れないものであったのか、と改めて実感した瞬間でもあった。

 

「出来ればずっと。と言いたいんだけど……」

 

 何かを思案した後、永琳さんは具体的な項目を述べた。

 

「こちらからの要望があった場合に戦力を提供してくれる、というのが妥当な所かしら。最低でも、こちらの軍の補填が終了するまでは常勤出来る者や物をお願いしたいんだけど」

 

 どうかしら。と尋ねてくれるのは、一見選択肢があるように見えて、そんなものなど存在していないのが実情。

 出すものによるんだろうが、出来れば勇丸以外にずっと維持するものが無いようにしたいのが本音ではある。

 というか、俺は地上へと戻るのが前提なので……、どうやって何かあった時に月へクリーチャーやら何やらを送り出せというのか。転送装置でも持つ羽目なる……んだろうか。嵩張らないと良いんだが。大きいと嫌だなぁ。

 

「分かりました……。ちなみに戦力って、どんな感じのを?」

 

 多分、ジェイスやマリさんのどちらかだとは思うのだが、一応確認しておかなければなならい。

 誤解は宜しくない、というのは今回の件で身を以って実感したのだから。

 失敗は活かしてこそ、だ。

 

「そうね……」

 

 それに対して永琳さんだけではなく、綿月姉妹や輝夜までもが何やら考え出した。

 あれ。てっきり、既に答えは決まっているものだとばかり思っていたのだが。

 

「逆に尋ねるわ。―――九十九さん。あなたは何を呼び出せるの?」

 

 そ、そう言われても……。

 

「すいません。質問の幅が広過ぎて、ちょっと正確にお答えし兼ねます」

 

 反応は様々だった。

 愉快そうに頬を吊り上げる輝夜。真顔に考え込む永琳さん。口元に扇を覆い鋭い目線を向けてくる豊姫に、永琳さんと同じく、口元を握り拳で隠しながら思案する依姫。

 そして、もうやだお家に帰して。と顔に書かれているレイセンであった。

 

(レイセンの反応がころころ変わって……)

 

 大変申し訳ないんだが、ゆくゆくは彼女をからかう事になるのであろう、永琳さんや輝夜、てゐの気持ちが良く分かる。

 ……あれ、その設定は二次創作の中だけだったか。誰か教えてプリーズ。

 

「その……何だ……レイセン」

 

 呼び方に迷ったが、結局そのまま呼ぶ事にした。

 

「は、はい……」

 

 何かに縋る様な目線を周りに向けた後、その縋るべき何ものも無いのだと諦めた顔をこちらに見せる。

 俺が仕出かした事など棚に上げ、ちょっと過剰なのではと思う反面、こんな性格だから原作でも地上へと逃げ出したのかと思う。

 そも他の兵隊―――玉兎達は動いていなかったのだ。

 一際臆病な者なのだと思う事に、何の疑問を挟めというのか。

 

「気休めな言葉だが……俺はもうお前を狙わない。むしろ何かあったら守ってやる。だから、もう少し肩の力を抜け」

 

 銃弾受けたとはいえ、恨みの炎が鎮火してしまった今となっては、見ず知らずの相手に高圧的な態度は違和感が残る。というかやりたくない。せいぜいタメ語が良いところ。

 偉そうな口調で守ってやる、など俺は何様だと内心で呟いた。

 もっと別にうまい言い方はなかったのかと後悔しながら、それでも未だに怯え続ける彼女に、ふと、ある事に考えが向かう。

 

「永琳さん」

「何かしら」

「そこのレイセンなんですが……。彼女はこれからどうなるんですか?」

「……あなたが命令権を破棄したとなれば、後は本人が全てを決めるだけになるわ」

「……その決める自由……っていう奴は、今の彼女に対して、どれくらい残ってますか?」

 

 こちらの言いたい事が伝わったようだ。

 少し目を伏せ考えた後、永琳さんはレイセンが知りたくなかった―――知っていても認めたくなかった事実を口にする。

 

「現状、今の彼女は死罪と同等以上の刑罰を受けている。社会的には―――既に死んでいるのよ」

 

 レイセンの瞳が閉じられた。

 声無く流す涙に、彼女のテーブルには雫が一つ二つと記される。

 あぁもう、涙のオンパレードだな今日は。

 

「俺が言えたもんじゃ無いが……」

 

 そうもずっと泣かれると、こっちまで悲しい気分なってくる。

 

「依姫。こいつ、そっちで使ってやってくれないか?」

 

 その時、この場にいた俺以外の誰もがギョっとした顔を浮かべた。

 な、何だ。確かに突拍子も無い言葉だとは思うが、そこまで反応するもんだったか。

 

「……それは構わないが、何故私なんだ?」

「いやまぁ、我ながら唐突だなぁとは思うんだが……」

 

 頭を掻く。

 刺さる視線が妙に痛いのは何故なんだろうか。

 ただ、泣き濡らした赤い瞳をまん丸と見開いたレイセンの反応が楽しくて。それだけが唯一、俺の心に愉悦の色を着色する。

 ジェイスが居たのなら、きっとこんな選択肢は無かった筈。

 思い入れがある。

 理由はきっと、それだけだ。

 その過程が無かったのなら俺はきっと、今こうしているレイセンに対して心は痛めても、それを手助けしようとは決して思わないだろう。

 理由が理由だけにぶっちゃける訳にもいかず、仕方ないので『何となく』路線で通す事にした。

 ほんと。学が無いと、こういう時に困ったものである。

 

「何なんだろうな。―――そうしたかったから。……って事で納得してもらいたいんだが」

 

 どうだろうか。ダメだろうか。

 確か原作では、初めは綿月姉妹に飼われていた筈だった。

 それだけが理由で永琳さんでもなく輝夜でもなく、彼女達―――声を掛けやすかった依姫へと頼んだだけなのだが、これ以上突っ込まれたら言い逃れ出来ないですよ、俺。

 

「―――分かりました。そこの者は我ら綿月家が受け入れましょう」

 

 しかし俺の提案に答えたのは、依姫ではなく、その姉である豊姫だった。

 

「姉上、宜しいので?」

「ええ」

 

 それっきり俺を視界に入れることもせずに、またも無表情の鉄仮面へと戻る。

 うぅ、嫌われるなぁ。謝るどころか、むしろ借りが増えちゃいましたよこれ。

 

「……どうして」

 

 と、驚きの表情をしていたレイセンが言葉を掛けてきた。

 いや、それともこれは、ただの呟きだったのだろうか。

 スルーした方が良かったというのに、KYスキルの高い(悪い方に)俺は、それに答えてしまった。

 

「さっきも言った通りだ。何となくだよ、何となく」

「……分からない。私はあなたを殺そうとしたのよ? それなのに、どうしてそんな事が言えるの」

 

 そりゃ尤もな疑問なんだが、さっき思ったように、生憎と具体的には答えられん質問です。

 

「何だ、死にたかったのか?」

「―――そんな訳ないじゃない!」

 

 感極まった声に面を食らい、そして、分かった。

 今、彼女の心は限界を迎えているのだ。

 崩れた日常。いつ消えるとも分からない自分の命。そしてそれを容易く弄ぶ俺の存在。

 人間、三つ以上環境が変わると、かなりの負荷を伴ったストレスを感じるという。

 人間関係、活動地域、口にする食べ物、職場。考えられる要因は様々だ。

 彼女の場合はそのどれもが当てはまるであろう事が容易に想像出来て、何よりも生きるか死ぬかの瀬戸際であった。

 黙っていれば良いのに。とも思う反面、仕方ないか、とも考える。

 

「そうだなぁ……。お前がどう生きていくのか興味があった。……じゃ、ダメか?」

「……落ちぶれてく私を見て楽しもうっていうの?」

 

 げ、そういう方面で捉えちゃいますか。

 ……俺もお前の立場なら、そういう考えをしているだろうから、共感出来ますが。

 

「だってお前、中々の能力を持ってるからさ。そのまま育ったなら、どうなるかなって」

 

 ―――ちょっともう限界。

 なので、転生者の利点。アカシックレコード(原作知識)を活用する事にしました。キリッ。

 詳細は話せないので、強引に押し通す方針で。

 

「……能力?」

 

 不満と疑問の合わさった声を上げて、レイセンが憮然と答えた。

 ぬ。その様子じゃあまだ能力は開眼していないっぽい。ちょっと先走り過ぎたようだ。

 

「まぁ良いじゃないか。何はともあれ、これで食いっぱぐれる事は無くなったんだ。とりあえず満足しておいてくれよ。何せあの綿月家だろ? んで、この人達だ。決して悪いようにはしないさ」

 

 綿月の性を持つ者がどの程度の家柄なのかは知らないが、上流階級に位置しているのは間違いないだろう。少なくとも中流以下の者達に比べても、色々と融通が効く筈だ。

 人柄としても、姉の方は俺に対する印象は最悪だとしても、レイセンにならば多少の温情は示してくれる……と信じたい。

 それに、依姫は厳格ながらも面倒見の良い性格であった筈だ。

 全くの見ず知らずの相手よりも、まだ信頼出来るというもの。

 

 これ以上突っ込まれる前に、話題を終わらせる。

 まだ何か言いたい様子ではあったけれど、こちらの態度を見て察したのだろう。口を噤んでくれた。

 

「ん。すいません。話が逸れてしまいましたね」

 

 流れをぶった切ってしまった事を永琳さんに謝罪する。

 

「……ええ。良いのよ。面白いものを見れたし」

 

 何と。レイセンが切羽詰っている状況を楽しんでいたとな。

 ……絶対違うんだろうが、それ以外に俺はどう考えれば良いのか分からんですよ。

 

「戦力提供の件は、もう少し待って頂戴。要望を纏めておくから」

 

 俺達を見渡した永琳さんは、一息ついてこの話の流れをまとめ始める。

 

「では、これで全ての話しは纏まったとします。後は九十九さんが何処までこちらの要望に応えられるかのみ、という事で―――解散しましょうか」

 

 誰も異論は無かった。

 今までの混沌とした場が嘘のように、波引く砂浜の如く、一人二人と退室していく。

 

「じゃあ、九十九さんは、また病室の方へ送っておくわ。外に玉兎を待たせてあるから、車に乗ってくれれば、すぐよ。結果は……そうね。明日か明後日にでも報告させてもらうわ。それまでは休息に専念しておいて」

「げ、またあの爺さんと相室か……」

 

 まぁそれはそれで構わないか。と思い直す。

 弱味に漬け込まれたような関係だが、あれはあれで楽しかったのも事実。

 またあの時のようになれたら、と淡い期待を抱きながら、未だに輝夜からのダメージの残った体を引き摺って部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さて、もう良いかしら」

 

 九十九が退出してから、しばらくの後。

 永琳とレイセンが残るのみとなった部屋には、再び人気が増え始めた。

 すぐに退室した綿月姉妹を始め、輝夜までもが戻っている。

 理由は一つ。

 今の今までここに居た人物に対する会議であった。

 

「しかし、参ったわね」

 

 溜め息と共に漏らした輝夜の言葉に、誰もが内心で同意した。

 

「聞いた? あいつ、永琳が何を呼べるのかって聞いたら、『質問の幅が広過ぎて』だって。そりゃ、呼び出せる種類は多いんでしょうけど、例えあいつが馬鹿だからって、こっちがあの【マリット・レイジ】や【ジェイス・ベレレン】を基準としているのを理解出来ない奴じゃないわ」

 

 つまり―――。

 

「彼の者達と同等か……それ以上の者達を召喚出来る。と言っているようなものです」

「実際、如何致しましょうか。可能であれば、常時防衛の任に就いて頂きたいものではありますが……」

 

 輝夜の台詞に追随する形で言葉を足した依姫に、豊姫が続く。

 彼女の脳裏に、何かに悩む九十九の姿が映し出される。

 永住を拒否した後のあの様子を思い浮かべれば、郷愁の念は当然として、常時召喚は難しい事が予想される。

 それは然るに。

 

「あの者達は、彼によってこちらへ現界している、と思って良いわね」

 

 永琳の考えは、まさに適切であった。

 消したのか還っていったのかに疑問は残るが、それでも彼が気絶してすぐにジェイスや【マリット・レイジ】が消えた、というのは、関連性としては無視出来ない。

 

「万が一の事態になったら、次は、即あいつ本人を狙うとして……」

「その場合は、九十九に思案の時間を与えてはなりません。色々と制約があるようですが、あやつには輝夜様の能力ですらも対抗策がある様子。確か、『【プロテクション】があればどんな能力だって』と。【マリット・レイジ】の頭上にて、そんな単語を漏らしておりました」

「【プロテクション】……ねぇ。依姫がそう判断したんだったら可能性は高いんでしょうけど……。最悪の場合になったら、どれだけ早く対処出来るかが鍵になりそうね」

「その場合には私の『海と山を結ぶ』能力を使う事も考慮致します。……依姫ちゃん。我が軍が元の状態にまで回復するには、どれくらい時間が掛かりそう?」

「最低でも二十年。皆様ご存知の通り、元々兵器の稼動ラインは一本しかなく、それすらも数千年は未稼働など当たり前。そも我らは、早さに疎い。悠久に等しい時の流れの中で、時間さえあればどうとでもなる、という考えが定着している為、一括生産に関する知識や技術、経験がほぼ皆無。全てが手探りで始めるしかないのが現状だと考えます」

「二十年、か。普段ならあっという間に過ぎていく年月が、今この時は何にも増して、もどかしく思えてならないわね」

「永琳様、如何致しましょう。あなた様のお言葉であれば、彼の者からの譲歩は、かなり引き出せるかと。軍が回復するまでの間のみ、という条件で再度交渉してみては。如何様なモノでも呼び出せる、との意味を匂わせていたのです。自身の能力を詳細に説明する気概が見受けられない以上、それこそ状況によってそれを把握してもらう為、こちらに縛り付けておかなければならないのでは」

「豊姫……。そうは言うけれど、九十九さんの寿命は我々とは違うのよ? 地上の者なんて、良くて百年に辿り着くかどうか。幾ら穢れのないここ月での生活で、こちらの技術である程度の延命は可能だとしても、それでも三百年はいかないでしょう。地上に戻るのが目的であるのに、それを遅延させる要望は、幾ら彼とはいえ難色を示す筈よ」

「ですが、それでも受け入れるのでは?」

「……彼があの青き神を呼び出す前だったら、そう思えたのだけれど……」

 

 彼を呼び出した目的は、地上へ帰る為だったという。

 それは、こちらの対応の遅さに不満があり―――こちらの対応など待ってられないと言っているようなものだ。

 

「彼はいつでも帰還出来る。それでもここに残っているのは、倫理と情によるところが大きい。その情に漬け込んだ行いは、九十九さんの中で、こちらとの決め事を反故にする理由としては充分。と思えるのよ」

「……悩ましいものです」

 

 豊姫は目を伏せて、諦めの声を零した。

 

「今までは無駄だ無駄だと思っていた“時”も、こうしてみると短過ぎね。ホント、穢れなんて面倒なものが無ければもっと楽しめるんだけど……。じゃ、とりあえず九十九には何かクリーチャーを貸してもらう方針で良いわね」

 輝夜は【マリット・レイジ】の上にて移動していた時に、ある程度、九十九が使う用語を理解していた。

 一応の方針をまとめた彼女の言葉に、反論する者は誰も居ない。

 

「で―――レイセン」

 

 月の姫の言葉に、今まで無言―――萎縮し過ぎて何も反応出来なかったレイセンの体が震えた。

 

「あなた、本当に何の能力も無いのよね?」

「は、はい。これといった実感も兆候も無く……」

 

 ふむ、と輝夜は考えた。

 

 能力持ち。

 それは一種のステータスであり、それを所持する者を一段上の存在へと引き上げる鍵。

 当然、月においても能力の研究は行われているが、その能力の開眼は未だに解明されていない謎の一つとなっている。

 あそこで『能力があるから』と九十九が言ったのは、決して数値的な意味での能力ではなく、スキルとしての能力のニュアンスだろう。

 でなければ、あの異常な存在が、他者をああも気に掛ける理由が考えられない。

 

「本人にも自覚無し……ねぇ。……それを何? あいつは『中々の能力がある』って。―――あいつはあなたの中に何を見たのかしら」

「それも九十九さんの能力によるものなのかしらね。これでもし本当に能力が発生したのなら―――私は本当に面白いものが見れたと思うわ」

 

 永琳が九十九に対して『面白い』と漏らしたのは、それが理由である。

 その能力の解明には、かなり昔から永琳も関わっていた。

 けれど、それでも解析不可能であった不可侵領域に達していたものを、サラリと覆すあの発言。もし本当であるのなら、誰もが驚嘆するに値するものである。

 

「豊姫は、それを見越して九十九さんの提案を受け入れたの?」

「……いえ。私はただ、あれだけの事を仕出かした彼が気に掛けた者―――レイセン、あなたがどういった存在なのか、興味があっただけです」

「わ、私なんて……そんな……」

「ふむ……。軍に居た頃の記録を見る限りでは、優秀な結果を残してはいるが、突出した才能がある訳でも無いようだ。……やはりあやつは、お前に何かを感じ取ったのやもしれんな」

 

 萎縮の境地に達しているレイセンを他所に、依姫が宙に表示された彼女の経歴を見直した後、感想を述べた。

 それを輝夜や豊姫も閲覧し、同様の感想に至る。

 永琳だけは裁判の前に目を通していたので、それを気にする様子は無いものの、その表情からは感情の一切も読み取る事が出来ない、能面のような表情をしていた。

 

「私や輝夜にではなく、依姫。あなたに託したのも何か理由がるのでしょう。恐らく、あなたの『神々の依り代になる』能力が関係しているのでしょうね。……改めて確認するけれど、二人とも、それで構わない?」

 

 その二人に、レイセンは含まれていない。

 綿月依姫―――ひいては綿月姉妹が面倒を見る、という事に対して意思確認であった。

 

「はい。これが贖罪になるかどうかは分かりませんが、ジェイス殿―――いや、九十九の意思には可能な限り応えてやりたいと思っていますので」

「私も、問題ありません」

 

 同意する二人に対して、輝夜が疑問の声を上げる。

 

「依姫は分かるけど……豊姫。あなたがあいつに対して協力的なのが不思議なんだけど。一体どういう風の吹き回し?」

「……一言で言ってしまえば、興味があるからです。この月でこれだけの事をした力もそうですが、何より依姫ちゃんをボロボロにした相手ですもの。思うところは幾つもありますわ」

「……出会った瞬間に殺さなかっただけ良かったのかしら」

 

 笑顔のままで言い切った豊姫の裏に、彼女の意思が見て取れた輝夜は、額に手を当てながら溜め息をついた。

 興味がある、というよりもむしろ、利用し尽くしてやる、という意図が煤けて見えた。

 

 

 

「―――それに、彼には責任を取って頂きませんと」

 

 

 

 その言葉に一同は首を傾げた。

 残りの問題は、九十九がどう月の防衛戦力として機能させるか。という話題のみであった筈だが、やはり彼女個人としては納得出来ない部分があるのだろうか。

 

「輝夜様」

「何?」

「九十九という人物。ずっと手元に置いておきたいと思いませんか?」

「……思うわね」

 

 輝夜が九十九に対して抱いている感情は、少なくとも単なる暇つぶしの道具程度ではない。

 豊姫は満足気に頷く。

 輝夜の意思さえ確認出来れば、後はどうとでもなると考えての事だった。

 

「依姫ちゃん」

 

 隣にいた依姫と声を掛ける。

 

「あなた、彼に対してどう思ってるの?」

「……そうですね。今まで周りに居なかった性格なのでうまく言葉に出来ませんが……退屈はしないだろう、と。そう思えます」

 

 そこで、輝夜と永琳は理解した。

 彼女が行おうとしている、責任を取らせる、という言葉の真意に。

 それに気づかないのは言われた当人と、もはや魂が抜け掛けているレイセンの二人のみであった。

 

「豊姫……その、あなた……。あいつの事、結構憎いでしょ?」

「ええ」

 

 おそるおそる尋ねた輝夜にも笑顔で答える豊姫だったが、その答えは尚更理解出来ないものであった。

 

「だったら何故? 敵に塩を送るような真似を。大切な妹なんでしょ?」

 

 依姫は話についていけず、額に皺を寄せながら事の成り行きを見守っている。

 

「それこそ、大切な妹だからです。出来うるだけ役に立ってもらいます」

 

 淀みなく言い切った彼女に、永琳は彼女の意図を完全に理解したようだ。

 既に共通の認識がある者同士の会話は、はたからみれば理解の及ばぬものであろう。

 

「私から言わせて貰えば、依姫はそこまで地位に固着する心は無いでしょうに」

「今はそうかもしれません。ですが、ゆくゆくは分からない。地位は剣でもあり、盾にもなるのはよくご存知でありましょう。お恥ずかしい話ですが、今のこの子は剣はあれど盾は無い。―――アレに綿月の姓を名乗ってもらえば、周りの者から見ればそれは、我が家が彼の者を傘下に収めた風に写る。あのような出来事の後です。男女の関係など、誰も額面通りには受け取りません。別れる場合にも、禍根は少ないと考えます」

「でも、だからと言ってそれで縛れるかしら」

「それこそ、永琳様の仰られた倫理と情が強大な楔となってくれるでしょう。今までの言動を鑑みるに、彼の者に契約者はおりません。一度決めてしまえば、彼はそれを遵守する可能性が高い。今が絶好の機会ではないかと」

「……虎の衣を借る狐、という言葉を思い出したわ」

「その狐は、元は虎でありますれば」

 

 二人の間でトントンと会話が進む中で置いてきぼりを食らった依姫が、とうとう耐え切れずにその疑問をぶつけた。

 

「あの……一体どのようなお話をされているのですか?」

 

 優しく微笑む豊姫と、真剣な表情で熟考する永琳。

 そして、やれやれと首を振りながら、輝夜だけが依姫の言葉に答えてくれた。

 

「だからね―――九十九とあなた。夫婦の契りを結びなさい、と。あなたの姉は、そう言ってるの」

 

 金糸の髪を持つ者は微笑み。

 銀糸の髪を持つ者は考える。

 それを見て月を統べる者は呆れ。

 闘姫たる者は思考を放棄した。

 

 後はただ、既に魂の抜けた者が、一人。

 それが、この場に居る者達の全てであった。

 

 

 


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