東方ギャザリング   作:roisin

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46 アドバイザー

 

 

 

 

 

 

 周りに広がる灼熱の世界が嘘のように、この土地には様々な生物が根付いている。 日中であれば、降り注ぐ太陽は木々に遮られて淡い光となって生命を育み、それを縫うように流れる命の源たる小川は、気持ち悪いと思えてしまうほど無色透明。深度が幾ら増そうが、光の波長など存在しないとばかりに、いつまでも色など付着しないのではと思えてしまう。

 濃過ぎもせず、閑散とも言い難い、適度な木々達の、あるいはその上には、同じく様々な生物―――妖怪が、この春を謳歌していた。

 

 

 

 ―――月と星が空を飾る刻限。

 その春は一転し、真冬以外の何ものでも無い、死の森へと変貌を遂げる。

 

 

 

 一本の枝が放られた。弧を画き暗闇の雑草の中へと消えていく枯れ枝は、純白。星の光によって照らされ浮かび上がる、斑の紅色に染めたそれ……何かの骨は、申し訳程度に桃色と赤色の粘度をへばりつかせてる。

 その状態を見るに……喰われた直後の有様であろう。

 人間か、動物か、妖怪か。それが何の生き物であったのかは既に暗黒の森の中へと溶け込んでしまった為、判断するには至らない。

 のそのそと、それを成した大きな影は、ゆっくりとその場から離れていく。影の立ち去った周囲には、一体何を食したらこれを作り出せるのか。赤と白と星のコントラストが疎らに散りばめれた、死の美術館が残るのみ。

 何かが襲われ、何かが奪われ、何かが殺され、何かが喰われる。原初の秩序が支配するこの土地こそ、七天大聖が統べる、弱き者は生きて戻れぬ場所―――タッキリ山であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その、生き残る事こそ正義であるこの地において、適度に腹を満たした大きな影は、それなりに自由である存在だ。この場合の自由とは、我を押し通す力。つまりは、強い妖怪という事になる。

 彼は満足だった。攫って来た十人ばかりの人間は、どれもが若く、生きが良く、柔らかかった。

 そして、それを狙って、こちらの横合いから掻っ攫おうとした名も知らぬ大きめなヒトガタの妖怪も、既に彼の胃袋へと納まっている。満腹という、実に心地良い幸福感に満たされて。このまま一眠り出来れば文句は無いのだが、この地で無防備に横になれるだけの力は、そんな彼として有していない。それが出来るのは、それこそほんの一握り……七天大聖か、数人の大妖怪くらいのものだろう。

 自分の巣に戻り、安全を確保した後、体を休める。とても幸せな気持ちで一杯であった彼の心は―――ぽつり。一滴の水によって打ち消される事になった。

 

 ……先程までは、満天の星空であったのだが。

 

 いつの間にか、既に曇天と化した空を見上げて、堪らないと不満気に鼻を鳴らす。

 雨は好きだが、濡れるのは嫌いだ。巣へと戻る為、自身の手―――巨大な翼を羽ばたかせた。瞬きの間に宙へと飛び出したその者―――白い巨大怪鳥は、一粒足りとも濡れてなるものかと。その羽ばたきに力を込めた。

 と。

 続いて空が光り、次いで轟音が空を駆け巡る。この分では、下手をすれば、濡れるどころか、神の鳴き声に打たれかねない。これはいよいよ全力を出さねば間に合わぬかと、巣のある方角に目をやると……赤い何かが宙を舞っていた。

 

 ―――気に入らぬ。

 

 雷鳴渦巻く遠方の曇天より飛来する、一匹の……何か。龍のようにも見えるが、大きさは精々、自身と同程度。

 なれば力も同等か。だとするのなら、それが巣に戻るだけの行いだとしても、何故、自分が逃げ隠れるように帰路を急がねばならぬのか。

 あぁ、やはり気に入らぬ。

 もはや行動は決まった。誰に憚る風もなく、悠々と空を泳ぐ赤い何か。自らですら身の程を弁えての行動を意識しているというのに、あの無法者めが、と。

 

 ―――その驕り、自らの命で償うがよい。

 

 時折、この地に足を踏み入れる人や妖怪の愚か者共に理を示すのも、力のある者の勤めだろう。何、食後の甘味代わりと思えば、この不快感も薄れるというものだ。

 翼の一打ちで百の人間を吹き飛ばし、このひと鳴きで、千の馬を方々へと散らす。嘴と鍵爪は岩をも砕き、鉄の檻をもへし曲げる。

 そして、自らの巨大な体を自由自在に躍らせるこの羽があれば、七天大聖を除く、空を行く誰よりも速く翔られる自負があった。それは百に達する季節の一巡を過ごして来た中での、経験から来る事実であり、それを覆す存在など、今の今まで現れた事などなかった。

 

 

 

 ―――そう、今の今までは―――

 

 

 

 赤。視界に飛び込んできた色は、それ。

 次いで見るのは純白。何処かで見た事のある光景だという感想は、あぁ、これは大きく開かれた口なのだとう結論に―――……待て。あの無法者は、自身と同程度の大きさではなかったか。

 付け加えるのなら、自身で近づいていたとはいえ、こうも閃光の如く距離が縮まっている/―――がぶり―――/などととと―――…………

 

 

 

 

 

 …………―――雷鳴が世界を埋めるよう走り出す空に、一つの赤が舞っている。

 悠々と、堂々と、轟々と。火を噴く山から放たれた炎弾のように。灰色となった世界を翔る、真紅の鳥蜥蜴。

 空の支配者の風貌に、地を這う者も、空を飛ぶ者も、目を奪われ、心を縛られ。それが完全に視界から消え去るまで、呆然と、彼らはいつの間にか降り頻っていた雨に打たれ続けた。

 ああ、自分達は助かったのだという漠然とした……けれど、確信に近い思いを馳せながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【稲妻のドラゴン】を呼び出し、騎乗して目的地へと向かう男に、格別、深い思慮があった訳ではない。

 ネズミの妖怪の願いを短絡的に考慮した結果、

 

 ―――軍隊止めれば良いんじゃね? と。

 

 とある国の女王が聞けば、『それが出来ないから頭を抱えているのです』と零す結論に達したからであった。

 最も思考の工程が少ない答えは、人間の軍隊を動けなくする―――消す事。つまるところ……命を奪う事。

 しかし、幾ら強力な異能を持とうが、神に準ずる信仰を得るかもしれない存在であろうが、彼は、基本、人間。国籍も人種も異なっていても、仮にも同族である命を奪うには忌避するところにある。

 それに、軍人とは、奴隷、傭兵などの場合はあるが、大半がその国の民。リンから、軍の多数が奴隷であると耳にしてはいたものの、だとしても、奴隷という存在が進んでその地位に身を置いてるなど考えられようか。

 反骨精神が心の底に潜む戦力を従えるには、せめて同数、屈服させる力が必要になろう。然るに、その屈服させる力―――自国民は、奴隷と同数かそれ以上であり、もし先の案を実行しようものなら、少女の提示した条件からは大きく逸脱する事になってしまう。回避するに越した事は無い。

 ならば無力化だ。……となったのだが、一時だけならいざ知らず、戦を諦めてくるまで抑止させられるカードを、彼は知らなかった。

 戦争を支持する人物全員をどうこうする。という選択肢も挙がったけれど、それを達成出来る力も思い至らず、先と同様、やはりこれも候補から外れてしまい。

 

 ―――では、何故、彼は敵陣たる方面へと、わざわざ【稲妻のドラゴン】を呼び出してまで赴いているのか。諏訪や大和での経験の下、この見知らぬ土地で何処まで通用するかは不透明であったが、そう外れたものではないだろうと。

 力を示せば認められる、完全実力社会の妖怪達の性質を善しとして、人間側でなく、妖怪側への働き掛けを考案。まずは交渉。次に贈与。最後は一発引っ叩いての、あるいは相手に無理矢理条件を飲ませる(傀儡化や洗脳等の)実力行使。との三段構えを取ったのであった。

 細やかな行動を求めれば求めるほどに、マナも使用カードの種類も増加する傾向が強い為、単純な戦闘面の方が有利に物事を運び易いと踏んでの、この選択。……決して、力押しの方が楽そうだから。などという理由からではない。

 

 そうして妖怪側への働き掛けの後にすることは、女王の確保。やや掻い摘んで述べると、専守防衛である。

 人を襲い、人を喰らい、人を狩る者。それが喜びであり、生き様であり、彼らの存在意義。妖怪とは、それが本能として刻まれている。防衛どころか、戦争を吹っ掛けてきた相手ならば、嬉々としてこれを向かい討ち、相手の国へと乗り込み、血肉が山河を埋める地獄絵図を作り出す様が容易に想像出来る。力を持つ妖怪であれば、尚の事。弱者に舐められたままで、心穏やかで居られる妖怪など、それは妖怪ではない、別の何かであろう。

 最低……いや、最大でも、人の軍隊の壊滅のみに止め、国への報復は阻止しなければ。

 なればこそ、その手綱を握らなければならない。

 九十九自身が、平天大聖に何かをされた訳でも、される訳でもなく。例え相手が妖怪であっても、その琴線に触れていない現状では、妖怪側を全て殺める、という選択肢は無い故に。場合によっては【再生】や【プロテクション】などの、妖怪達の支援も辞さぬ覚悟で、最悪、カチ合った両軍勢の間にドカンとどでかい呪文なぞ撃っての停戦も視野に入れつつ―――例え一時凌ぎであったとしても―――ドカンとする時には人間の国から離れていた方が良いだろうという理由も相まって、平天大聖の住まう魔界の境界線へと辿り着いた。

 しかし、決して短くなかった筈の移動時間は、九十九にとっては踏破不可能な道のりであったようだ。

 さぁこれから。という段階になっても、とうとう、しっかりとした方針は打ち立てられず。終ぞ明確な答えの出ない自身に嫌気が差し……。

 

 ―――自分だけで無理ならば、他人の知恵を借りましょう。

 

 例え残りのマナを全て使ったとしても、それだけの価値はあるだろうと。そんな考えから生まれた行動―――召喚は、彼の拙い目標を助力するに足る者。

 光が形となり、輝きが失われ、そこに現れたのは、一人の男。青竹色の漢服と帽子を被った中背よりやや小柄。年の頃は三十後半であろうか。顔に浅く刻まれた皺と、短く整えられた髭が印象的な、その者こそは。

 中国史でも上位を争う知名度を誇る、ゆくゆくは三国志と称される時代にて活躍する人物達―――蜀の君主、劉備。呉の君主、孫権。そして魏の君主、曹操を支え、王佐の才を持つと渾名された筆頭参謀。旬 文若(じゅん ぶんじゃく)その人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()の参謀 旬彧(じゅんいく)

 3マナで、黒の【伝説】【アドバイザー】【人間】クリーチャー 2/2

 クリーチャータイプでは比較的珍しい、助言を与える者、あるいは軍師としての意味合いを含む【アドバイザー】を持ち、自身を【タップ】する事で自軍のクリーチャー一体に、ターン終了時まで+2/+0の修正を付与する能力を有する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【稲妻のドラゴン】に使用した4マナによって、ストック分は後1となっていたのだが、それも時間の経過によって解決し、【ジャンプ】と【不可視】分のマナが復活。その分を全て費やす事で、これを成した。

 これが史実か演戯かの違いで彼の能力や性格は差異が生まれるのだが、それでも、ジェイスと同様、俺など到底及ばない智謀の持ち主であるのは疑いようも無い。

 

 名にし負う神々とは比べるべくもない人物なれど、覇王、曹操の忠臣であり、頭脳であったと言っても過言ではないであろう人物。

 両の手を、己の拳を包み込む様に構え、掲げ、頭を垂れ腰を折る格好をされ。それなりに覚悟して呼び出したというのだが、とてもじゃないがこんな人物に頭を下げられるほど偉くなっちゃいないと、思わず一歩下がってしまったくらいだった。

 MTG勢とは一線を引く。本来の意味でのクリーチャーなどとは、間違っても言えぬ者。ならば【プレインズウォーカー】かと問われれば、首を横に振らざるを得ない。それはそうだ。通常のカードセットとは、MTGの舞台である多次元世界で起こった事件や災害を、あるいは【プレインズウォーカー】同士の対立や争い等を主題とし、そこから派生した様々な事柄がカードとして描かれるもの。それがMTGという作品であり、語るまでも無い事実である。

 だが、【魏の参謀 旬彧】は違う。何故なら彼は、他のカードセットとは、全く理念を異にする特別な存在なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『【ポータル】【三国志】』

 数あるカードセットの中でも、これは群を抜いて特異な存在……の内の一つ。他のもの―――題材とされている【プレインズウォーカー】達が活躍する世界を基にしたものではなく、MTGのルールだけを引用して作られた、ある意味で、完全な別の作品。

 その名が示す様に、中国の歴史、三国志を元に製作されており、実在の人名、地名、事件や出来事などの事象名を取り扱っている。【飛行】という能力が存在せず、この作品固有の能力【馬術(飛行とは似て非なる能力)】が採用されており、MTGで唯一、地球上を舞台とした作品である。

 

『ポータル/portal1(カードセットのカテゴリ名)』

 MTGの物語上にも同名のものが登場するが、これは、それとは別のものを指す。

 完結に表記すると、【ポータル】はその英語名が示す通り、入り口、正門、表玄関、等の意味を持つもので【ポータル】というカードセットがある訳ではない(例・【ポータル】【三国志】。【ポータル】【セカンドエイジ】等)。初心者を対象としたカードセットに付随される言葉である。

 難解な能力を保持するカードが極力省かれており、MTGの全体から見れば手を出し易く、遊び易い製品に仕上がっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は紛れもない地球に謂れのある御仁であり、その生涯を魏へと……いや、後漢王朝か? ―――に捧げた、言わば実在の人物。時代背景やら儒教やら曹孟卓やらの単語が、彼を目の前にした事で脳裏を駆け巡り、しまったその辺りはどうなっているのかとテンパっていたのだが……。

 一向に頭を挙げない旬彧―――文若さんによって冷静さを取り戻し、ならばと余計な思慮を挟まず、自分の成したい内容を彼に伝える事にした。三国志……だけには限らなかったと思うのだが、そっち方面の人名の呼び方には、色々な暗黙の了解があった筈であった。姓と名と字(あざな)が云たら……だったか。どうだったか。確か、親しくない人が呼ぶ場合は、字か官職名を言うのが最低限の礼儀だった……と思うのだけれど。

 恐る恐るも『文若……さん、で、宜しいでしょうか……?』と尋ねた時の、念話から伝わって来る苦笑っぽい感情の色は何だったのか。怖いので深くは突っ込めなかった。とりあえずは、文若さんでOKのようです。

 

 

 

 文若が現れた時の、リンの面食らった表情は記憶に新しい。ドラゴンのみならず人間までも呼び出している事で、オフとなっていた驚きスイッチを、再びオンにでもしたんだろう。 

【今田家の猟犬、勇丸】【稲妻のドラゴン】、そして【魏の参謀 旬彧】の召喚によって、合計8マナの維持となった時の疲労の加速度は、元々目減りしていた体力に拍車を掛けて、静かに、確実に、こちらのスタミナゲージを消費していった。

【死の門の悪魔】や、月の裁判所でぶっ倒れた経験が脳裏を掠めるが、それと比べれば、今の8マナの維持は、決して難しいものではなかったけれど、そう楽観視ばかりもしていられない。

 悠長な感想を述べている時間は少なそうであった。例の如く疲労の度合いが無視出来ない問題になりつつあるので、出来うる限り的確、かつ迅速に要点を旬彧へと説明する。

 まぁ、それでも俺の説明不足は著しかったのだが、そこは彼がこちらに説明を求める事で補ってくれまして。

 砂漠と森の狭間にて、辺りを見回しながら羽を休める赤竜と、それに騎乗し話し合う人間二人。そして、それを見続ける、小さな妖怪が一人。彼が持つ雰囲気にでも当てられたのか。あるいは、方や無言(念話)な、まるで壁と対話しているような光景に疑問が尽きなかったせいか。俺と文若の遣り取りを、リンは固唾を呑むように見続けていた。

 

 ……時間にして十分にも満たなかっただろう。けれど、それで充分でもあった。

 王佐の才を持つ者は、しばしの瞑目。再び眼を見開いた時、それを達成した暁には、俺の目的をこれ以上無い形で実現し得る答えを出してくれた……のだが。

 ―――矯正が多々入り、俺の拙い計画は、大きく修正される結果となったのが、少し……凹みました。

 もう限界だ、と、既に寝そべっている形であったので失礼千万な格好であったが、それでも何とか言葉くらいはと、短く感謝を述べて、文若を還した辺りだったか。そこで、俺がリンに一つの誤解を与えていたのだと理解する羽目になるのだが。

 

「……平天大聖に戦争を仕掛けに行くんじゃなかったのかい?」

「……何で?」

 

 ……そこは何とか解決し、それぞれの目標―――別行動を取る流れとなったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森のほぼ中央。月と星の光が世界を浮かび上がらせる、魔の者達の祝福の時。とあるネズミの妖怪が暮らす城とは打って変わり、そこには長大な石垣が組まれ、一つの山を、それ自体が城であるかのように取り囲んでいた。山肌という山肌には岩が積まれ、緑という色など無粋だとばかりに、文字通りの岩山城と化していた。

 そして、この地においての城とは、建造物単体を指す言葉に在らず。主に城壁を意味する度合いが強い為、まさにこの山丸々が、一つの城として成り立ってる。ぽつりぽつりと赤が混ざる箇所は、全て瓦。数百から、場所によっては万にも及ぶ数の焼き土の集合体。時に細やかに、時に大胆に敷かれている焼き粘土は、特に頂上に多く見られた。

 未来という不確定な道の先の果て。中つ国という名称が付くかもしれない国にて建造される、紫禁城と酷似する形。三十階建ての高層ビルを横倒しにしたような躯体の屋根には、紅色の瓦が所狭しと詰まれ、上空を澄み渡る黒青にとても良く映えていた。

 ただ残念な事に、その夜天も徐々に色合いを曇天のそれへと変化させ、晴天であった時の面影は、遠く彼方に見える星空だけ。打って変わってしまった黒い天には疎らに閃が走り、次の瞬間にでも、何かの弾みで空が泣き出しても何ら不思議ではない。そんな、環境の変化を起こす一歩手前。このような天候、幾年この土地を支配し続けてきたその者にとっても初めての出来事だった。

 そして、そんな梁山泊の如き宮殿に座して待つ者が、その変化に気づけぬ存在ではない。

 

「……」

 

 手にした竹簡を脇に仕舞い、真紅の石柱が左右に立ち並ぶ先、成人男性の六倍の丈はあるであろう、唯一の出入り口へと目を這わせる。石の壁に覆われたここからでも分かる程に空気を震わす雷鳴は、しかし、空から聞こえるものではなく、その扉の先から鳴り響いていた。

 稲妻。これは、雷祖かインドラ辺りが好んで使う力であった筈だが。

 けれど、そんな者達の気配など微塵も感じない。察せられるのは、全く記憶にない力の脈動。

 はて。であれば、義兄弟である美猴王が殴打したと言っていた、冥界十王辺りの上位の神々が押し入ってきたのかとも思えるが、それにしては、数が少ない。奇襲の類も考えられる。だが、正攻法が好みである彼らであるので、その可能性も低そうだ。

 思案するのが愉快で、つい、意識すらも雷鳴から外れかけた矢先、その荘厳な扉がゆっくりと開かれた。一人の妖怪が、その開かれた扉にもたれ掛かるように身を任せながら、何かの声―――謝罪の言葉を発する。

 

「……も、申し訳……」

 

 しかし、それは最後までは叶わずに、とうとう力尽きて宮殿の床へとその身を横たえた。無意識ながら僅かに上下する胸を見るに、どうやらまだ、命はあるようだ。

 その妖怪が開け放った扉の奥―――玉座から見た側―――広間は、沿岸に塒を持っていたという妖怪から耳にした、地上最大の生物とされる鯨をも数体は並べられるだけの空間を有した、大よそ山頂に拵えるものではない規模の空間が造り出されている。

 だが、その広大である筈の敷地が、今は実感出来るものではない。破壊されたのではない。消えているのではない。ただ単純に、そこに佇む者の大きさによって、手狭に見えるだけの事。

 我ら大聖以外にも、このような存在も居るものなのかと。西洋から届けられた文献に、龍と派生を同じくする妖怪、竜という種族が、確かあのような形状であったかと思い出す。

 時折宙を走る閃光によって照らし出される、剣山の如き真紅の鱗。夜の帳に灯る緑翠の瞳は、四対の複眼。

 

 ……不出来な赤蜥蜴だ。

 

 宮殿の主は、人間の百や二百など物ともしない配下の妖怪達が畏怖したそれを、巨大な昆虫の延長線上の目線で観察する。

 その内包されている力は疑うべくもない事実、との認識はある。恐らく、あれ一体で七天大聖の最下位に位置する駆神大聖に勝るかもしれないほどの力。

 だが、彼が知り得る知識の中では、それくらいしか関連付けられるものが無かっただけであり……龍と似通っている所と言えば、顔くらいのもの。

 ……それに、あれを龍だと思うには、悠々たる胴体も、自然の触覚である髭も、爪に握り込まれた宝玉も無い……まるで自国の歴史を嘲笑ったような風情の欠片もない貌など、認められよう筈もない。

 

 王座から広間を一望出来るという事は、広間から王座を直視出来るという事。その者が肘掛に肘を乗せ、頬に手を当て興味深げに赤竜を見続けていると、それは、牛や虎でも数匹纏めてひと呑みにしてしまう口を開け、甲高い、曇天を走る雷鳴の如き咆哮を上げた。

 赤竜から迸る光。天を焼き、大地を焦がし。周囲に無残にも転がっている、名も分からぬ生き物達の、物言わぬ体を直撃した。いずれもこの王宮を守護する存在であったその妖怪達は、例外無く全身から煙を上げて、天の怒り―――その赤竜の洗礼を受け、再起不能となっている。

 驚くべきは、その誰もが呼吸をしている事か。既に骸の手前と化した妖怪達は、悲しいかな、死体に鞭打つ。という言葉を、を余す事無く体験する。幾人かの残っていた意識ある者達は、それで完全に気を失う羽目になった。それでもまだ命はあるというのだから、あの凶暴な外見を裏切る慈悲を持つ存在か。はたまた、生かさず殺さずを好みとする偏執家か。

 魂の宿る墓地と化した石庭に君臨する赤の王は、玉座に君臨する白の王を一瞥。後者は愉悦に口元を歪め―――それはすぐに疑問の色へと取って代わる流れとなった。

 赤の王が頭を下げる。軽く、どころの話ではない。文字通り地面に頭を擦り付けて、完全に石畳に伏したのだった。

 怪訝に眉を顰める白の王は、ほう、と、その意図を理解する。

 

 赤竜の頭上から、一人の人間が降りてきた。

 上半身を覆う白。下半身は濃い藍。派手さこそ抑えられているものの、白牛である自身ですら羨むほどの、瑞々しい艶のある白外套を羽織ったその者は、頭部から始まり、眉間から鼻先へと竜が用意した道を伝い経て、この宮殿の広間へと足を着けた。

 

 さて。あの正面を歩く人間は何者か。

 妖怪の化け姿。神の使い。いや、あるいは神そのものか、崑崙(こんろん)辺りの仙人やもしれない。その表情からは何の思考も読み取る事が出来ず、ただ何かを耐える様な感情を貼り付けているのみ。

 宛ら、自らの帰還の焼き回し。進む足取りは何の躊躇も恐れもなく、妖怪の総本山であるここを歩くのが当然の事のように、その歩みに淀みは無い。

 

「―――楽しみですねぇ」

 

 天を離れ、この地に座して、はや幾数年。それだけではないが、このような存在の到来を望んでの離別でもあった。

 白の王は、ヒトガタの王を迎え入れる。それがどんな会合になろうとも、きっと愉快に違いない。そう、何の根拠も無い確信と共に。

 我こそは至宝の玉たる存在だと主張する、今まで一度も見た事のない頭髪をした者を見つめながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平時であれば、人の国の一つや二つを容易く崩す戦力が在中するこの宮殿は、九十九が呼び寄せた竜、【稲妻のドラゴン】によって無力化されている。

 だというのに、数刻前から彼の胸に募る重み―――行き場の無い不満は、その竜にこそ向けられているものだった。

 移動手段に不満はない。空を飛び、地形どころか一切の悪天候を無視して飛行する赤の竜は、いっそ感動すら呼び起こすもの。

 戦力においても、問題は皆無。幻想郷における妖怪の山の如き場所に、流石に4/4では不安が残るからと、とある緑のカードを使って【パンプアップ】を果たした【稲妻のドラゴン】は、現在8/8となっている。

 稲妻による攻撃は、まさに閃光となって敵対者を黙らせ、行動不能へと陥れる。実に頼もしい存在だと実感させられるものであった。

 だから、問題はそれ以外。

 移動手段でも、戦力でもなく、その力―――稲妻によってもたらされた攻撃の余波による影響。

 

「……いつ治るんだろうなぁ、これ」

 

 自分自身へと語り掛ける、慰みにも似た言葉。

 ふっさふっさ。もっさもっさ。

 手で触れてみると、形容し難い感触が伝わって来る。これが自らの体の一部であるのだというのだから、何とも表現しづらい経験を積んでいる真っ最中だと思う。容量的には変化は無い筈なのだが、今までよりも一層、重量が増した気分である。

 轟音と伴う閃光によって、見事に感電した彼らの頭部。それに騎乗していた髪は、黒の球体となって、油断すれば口から黒い煙をコホンと吐き出せそうな姿になっていたのだから。

 

 アフロ。

 

 黒の毬藻と化した頭髪を、涙するでなく、もう好きにしてくれとの投げ遣りな感想で諦めた男は、妖怪の王が鎮座する玉座へと、その足を進めるのだった。

 ……いつの間にか元に戻っていた髪形については、当事者でさえも、最後まで触れる事はなかった。

 

 

 

 そして、魔王と人間の対談が行われた。

 明り取り用の灯火が付随する、朱色の石柱の林。真紅の絨毯が道を造る、その行き止まり。数十段の階段の最上の玉座に君臨する妖怪の王と、階段の最下にて、直立する形で対話をする流れとなった。

 目の前にいるのは、こちらが身に付けた、白蛇の抜け殻を素材に造られたミシャクジの外套すら霞んでしまうのではないかと思える純白のローブを身に着けた、細身の男。俺よりも頭一つ高い長身に、スラリとしながらも華奢には見えぬアンバランスさ。衣類と同様の銀よりの純白の髪は、いっそ雲か粉雪で形作られているのだと言われた方が、しっくりくるというもの。

 第一印象。厨二全開者の生み出した『ぼくのかんがえたさいきょうキャラ』そのままの容姿。超絶美形。そんな人物達を連想させる全体像である。肌の美白さであれば、東方キャラに勝っているのではないかと思えるほどである。

 基調の色は、服から肌から髪の色まで、真っ白々助。ただし、瞳の色は、銀。これで赤やら青やら、もしくは片目だけ金色の虹彩異色症―――オッドアイであれば、思わず大きな拍手をしていた事だろう。

 

「……なるほど。つまり、仮に人間の軍隊がこちらの地に足を踏み入れたとしても、国への報復は行わず、防衛のみにして欲しい……。と」

「その通りです」

 

 ……ぽんぽん痛い。内臓の何処かがキリキリします。も少しすれば、擬音に濁点でも付きそうな程に。

 分かっていた事だったのだが、やはりというか、やっぱりというか。恐ろしく無礼な話をしているな、という内容は、こうして相手の口から要約された話を聞く事で、ますます現実味を帯びてくる。

 せめて言葉遣いだけでも。との虚しい努力も、序盤から崩壊が始まり、中盤では丁寧語と謙譲語が入り乱れ、後半に至ってはタメ語すら出てくる始末。最後の段階になって『もういいや、用件だけ言い切ろう』と開き直れたのは、ある意味幸運だったのかもしれない。その会話を最後まで聞いてくれた相手の寛容さ、という点においても。

 

(う”~、おっかねぇ~)

 

 礼を失しているから、という不快感ではない―――この、射殺さんと眼力を向けてくる、愉悦と隣り合わせの殺意をその瞳に宿していなければ。の話であったが。

 

 丁寧な喋り方、ピシリとした物腰、頬に手を当てるといった、ちょっとした艶のある仕草。どれもが穏やかでいて優雅な印象を抱かせるというのに、その行為で帳消しです。場の空気とは裏腹に、やはり妖怪だなと思える態度からか。僅かに安堵すら感じてしまうのは、何かの悟りを得た故なんでしょうか。どうなんでしょうか。

 

「―――ただ、無償で。とは、難しいところ。こちらとしても何か益が無ければ、配下の者達に示しが付きません。そうなればこの山の秩序は崩壊し、無駄に周囲へと血肉の山河を作り上げる結末になりましょう」

 

 言っている事は最もだし、事実、俺もその通りであると思う。

 だが。

 

(何を白々しい)

 

 事前にリンから聞き及んでいた情報では、この目の前の存在は、自分の欲望を、ありとあらゆる手段を用いて成し遂げ、現在の地位に納まった者なのだという。尤も、それは百年以上前の情報らしいので、現在の平天大聖は全く分からない。との締めの言葉を頂いていたけれど、こうして面と向かって話し合う内に、そのピンボケした印象は輪郭を増してきている。

 

(文若の策の実現用に、一定量のマナは確保してなくちゃダメだから……マナ制限きっついなぁ)

 

 出力が一つに、ストック分が二つ増えて、能力数値、二、三割増加という、実にウハウハな成果だった筈なのだが。細かなあれこれを行うと、一気に限度額に手が届く。こうしてみると、まだまだマナが足りないな。と思う事、頻りであった。

 何せ、今の俺は対人無双を可能にし得るであろう【テレパシー】を使用出来ないでいる。ふとした弾み、気の緩みで失言取られそうで、逃げ出したい事この上ないけれど。

 

(『例え心を読めたとて、避けられぬ物事の方が多いでしょう』……ッスか。……たはは、耳が痛い)

 

 耳から話を聞いていませんが。

 マナ回復してから乗り込みたい。その条件ならば、【テレパシー】っていう便利な力がある。そうキッチリ伝えた筈なのが、【魏の参謀、旬彧】から返ってきた言葉はそれであった。

 相手の思惑をリーディング出来たとしても、弁が立ったり、口が達者であったり、駆け引き上手でもなければ、話し合いとは自分の思う方へと進まない場合が多く……。

 ……俺の自力を良く理解して下さった、なんとも痛烈な軍師様のお言葉でございました。よよよ……。

 

 

 

 砂漠と森林の境界線。文若を呼び出した場所で【隠れ家】を使った一泊の後に事に及ぶ予定であったのだが、そこは魏の参謀の助言によって、取り止めた。既に賽は投げられている。つまりは、後手に回っている状況であり、それはとても宜しくないとの事。そこを何とかして欲しいな~、と思っての【アドバイザー】だったのだが、俺が出来る事を大雑把に説明し尽くした辺りで、『だったら言う事聞きやがれ(要約)』とのご指示であったので、疲労具合が顕著になってきた体に鞭打って、こうして敵陣へと乗り込んで来たのであった。

 戦争は生き物。事象は水物。人の心は魔物なり。今この一瞬は、万金に勝る価値がある、と。文若の話を要約し、それっぽい単語にしてみたのだが、話の内容を半分も理解出来なかったから正解かどうかは分からない。……と、高校時代に国語が十段階評価で五という、感想を述べ難い成績であった俺が愚痴ってみる。これって三国志の名言が何かかしら。

 第一は力(頭数や財力等)、次点で速さこそ、物事を有利に進めるには重要な要因だと。王佐の才を持つ者は語った。

 

 ……それをどうにかするのが、力でも速さでもなく、知力なのではと。

 ぼそっと零してしまった内心に、苦笑と共に文若が答えた。武も誇れず、財も切り札と成らず、地位も人脈も不十分であった。故に自分は、知を以って事に当たるしかなかっただけの事。だから、武も財も人材も、今回においては“数”も用意可能な現状は、高等な策など用いずとも、目的を達成出来るのだという。

 戦乱の世の中で、魏という大国を、その知で支えた人物の言葉とは思えぬ発言に目を皿の様に丸くしたのだったが、なればこそ、その言葉の重みも伝わって来るというもの。それに、もしもの時には、また一緒に考えましょうと。駄目な息子を見るような目で、溜め息姿が幻視出来てしまったのだが、それでも助力してくれるという姿勢に、これはPW以上に癖のある御仁なのではと思うのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、【稲妻のドラゴン】が羽を休め、はや数刻。明り取り用の窓から見える光景からは、曇天は次第に方々へと散って行き、夜天が再び現れている様が見て取れる。後方では、意識を取り戻した数名の妖怪が立ち上がり、こちらを遠巻きに、辛うじて神経繋がっているっぽい四肢に力を込めながら、事の成り行きを見続けていた。時折、平天大聖の座する宮殿へと踏み込もうとする輩も居たのだが、それも、入り口を塞ぐ形で広間にて鎮座する赤き守護者のひと睨みで動きを止める。

 彼の者の力を身を以って思い知った面々にとっては、効果覿面。結果、危うい平穏は今もこうして保たれ続けていたのだった。

 

「さて」

 

 そうして、ここが最後の詰め。

 

「それでは、対価を頂きましょうか」

 

 今までの話を纏めるように、平天大聖の声が響く。ここを誤れば、俺の思惑は水泡に帰す。そうなれば、残された道は、弱肉強食の摂理のみ。体力的にも厳しく、マナストックはゼロ。現存している戦力は頼もしいことこの上ない存在ではあるのだが、だからといって、胸に巣食う不安は拭えずにいる。全力で避けるべき結末である。こちらの事情は全て話した。隠し立てするようなものも無いので、知っている内容を全部伝えれば良いだけだった、というのは実にありがたく。

 後はあちら―――平天大聖の要求を、どの範囲……俺が叶えられる程度にまで抑えられるかに掛かっていた。

 俺の陳情を聞き終えて、彼の思考が結論を弾き出す。

 

「彼の力を」

 

 白き王の視線が、こちらの後方―――赤竜へと刺さる。

 なるほど、そう来たか。

 永琳さんの時と言い、この平天大聖と言い、強いクリーチャーというのは実にインパクトが強いようで。……俺も彼を初めて見た時は、ビビりを通り越して体に変調を来たしてたもんなぁ。特に膀胱の辺りに。

 確かに【稲妻のドラゴン】ならば、平天大聖の思惑に十二分に応える事が出来るだろう。何せ、今の【稲妻のドラゴン】は4/4にあらず。緑の真骨頂の内の一つである【パンプアップ】カードを使い、その基本性能を大幅に上昇させていた。

 現在、基本数値の倍である、8/8(多分)。更には、パッシブスキルも一つ付与済み。具体的には【プロテクション(黒)】。流石に4/4では心許ないかと思い行使したカード達の力によって、その地力を数段階上のクラスへと押し上げていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『古きクローサの力』

 1マナの、緑の【インスタント】カード。

 対象のクリーチャー一体に、ターン終了時まで+2/+2の修正を与える。しかし、特定の期間―――端的に説明すると、戦闘時以外のタイミングで使用するのならば、それは代わりに+4/+4の修正をもたらす。

 

 この手の【パンプアップ】カードは主に【コンバットトリック】目的で使用される場合が多く、それはつまり、戦闘時に好んで使用されるカードの部類という事になる。そのメリットを破棄した場合にのみ、より好条件が得られる、というカードがこれ。

 

 カード名にもなっている、この【クローサ】とは、MTG世界にある、とある大森林地帯を指す。そこに住む生物は元々一般的な森林よりも粗暴で荒々しあったが、然る人物が原因で、住まう生物が一様に巨大化。ますます危険度が上昇した。

 現在は、ネズミですら熊を凌ぐ巨体となった、通常の倍以上の体を有した獣達の暮らす、破壊音の絶えぬ新緑の地である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リン、文若と別れ、平天大聖が支配する森林地帯に侵入を果たした直後。全長二十メートルを超える【稲妻のドラゴン】に勝るとも劣らない図体であった、名も知らぬ白い大鷲―――ロック鳥だろうか―――を、遠く、視界の先に捉えた時の事。明らかにこっちを見て殺る気満々な近づき具合から見て、【稲妻のドラゴン】と図体が同格っぽいから、力も同等なのでは。と考え、それは拙いとの結論に至り。残り1マナで、現在の条件に合い、尚且つ最大限の効果を発揮してくれそうなカードとは。を考えた末に、戦闘前だから……と、そのカードを使用した。

 一騎当千達の跋扈する地において、4/4とはそこまで無双出来る力量ではないかもしれない、とその時に思い直し、元々赤竜に備わっている【火吹き】よりも効果の高い【パンプアップ】をもたらすカード、【古きクローサの力】を使い、数値としては倍のステータスを実現させようとしたのだった。

 元々、望んでいたのは数値修正のみ。戸島村での件―――【ハルクフラッシュ】使用時に発覚した、【パンプアップ】能力の不透明さに使用を避けていたのだが、短い期間であったけれど、月で永琳や依姫との関わり―――実験やら戦闘訓練やら生贄要因ゲフンゲフン―――やらの際に、おぼろげながら、その制限が見えてきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●プラス、マイナス修正を与える能力、カードは相乗効果を成さず、一つの対象に一つの効果しか及ぼさない。全体修正についても同様。但し、修正値以外の効果(【飛行】や【プロテクション】等)は重複する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 じゃあ【屍肉喰らい】とガチンコしていた鬼の一角は2/2だったのかと、疑問の尽きない回答であった。自称、鬼の中では真ん中辺りの実力だと説明されたけれど、鬼の中級ランカー? が2/2とか、鬼はどんだけ弱いんだよと。それとも東方プロジェクト固有の力、『~である程度の能力』で補っているんだろうか。今度会ったら、本人にその辺を尋ねてみようと思う。

 以上の理由を踏まえて、単発で最大限の修正を……現状で最も効果を発揮してくれそうなカード【古きクローサの力】を使った訳なのだが……。

 

(体にまで変化が起こるなんてなぁ……。【クローサ】の名は伊達じゃねぇぜ、ってか)

 

 積み重なる疲労によって、立つ事も億劫になりつつある最中。光に包まれ、一瞬にして巨大化した【稲妻のドラゴン】が現れた事に、思わず眼を見開いた。

 やたらと面積の広くなった背中を見渡しながら思ったのだが、あまりに大き過ぎる彼の背中が、二倍、三倍どころか十に達しようかという体躯になった【稲妻のドラゴン】は、翼のひと扇ぎで暴風を撒き散らし、羽ばたきは地上の細身の木々すら圧し折らんとする存在へと様変わりを果たした。

 巨人の一歩は、小人の万歩。実は音速に突入したのではと思える速さで、【稲妻のドラゴン】は巨大怪鳥と接敵を果たし、正式名称も分からない謎の白い鳥さんとの刹那の会合は、二百メートルを超える体となったドラゴンのひと噛みで、一瞬にして終わりを告げる。遠目であったが、どう見ても俺達にちょっかい……以上の敵意を向けて来ていたので、一応は正当防衛になるのだろうか。気分的には、猪とか熊を追っ払った心情である。何の苦も無く、骨すら瞬きの間に噛み砕いたであろう強靭な顎によって、小さく咲いた花火……のような血の雨を空に創り上げ、僅か二口で、哀れな妖怪鳥は赤竜の食欲の犠牲者となったのだった。

【古きクローサの力】であれなのならば、それよりも更に高い修正値を与える―――かつて、緑の【パンプアップ】呪文の切り札的存在であった4マナの【インスタント】を使用した日には、あまりの光景に眩暈すら覚えるかもしれない。

 

(マリさん見ておいて良かったかもしれん……)

 

 あの全長がキロにまで達しているであろう山の如き姿を見ていればこそ、後々に呼び出すかもしれない巨大クリーチャー達に耐性も……ある程度は出来るというものだ。具体的な数値は分からないが、町一つを覆う。とか、島をひと呑みに。なんて【フレーバーテキスト】な御方達がごろっといらっしゃいました。勿論、それ以上も。カード使用の際には何処まで再現するのかは未知だが、そう考えると、寧ろマリさんは小さい部類である可能性が高い。

 

(マリさんが小型の部類……)

 

 やってらんねー、と。

 投げ遣りな気持ちは疲労感によるところも大きかったのだが、自分の可能性が見果てぬ境地にあるという事実から生じた、喜びの感情からもたらされるもの。感想とは裏腹に、感情は明るい色に染まっていた。星の数ほどある可能性の内の、たった一つの項目ですらこれなのだから、知るべき事の多さに―――それを知り得た後の高揚を想像し、胸を高鳴らせつつ。

 

「―――それは、彼に尋ねてみませんと」

 

 いつか、勇丸に言った台詞だと思い返した後、雑念を振り払う。首を後ろに。開かれた扉の先、黒の平穏が支配する広間にて、【稲妻のドラゴン】は横たえていたその体躯を持ち上げた。

 月と星々が徐々に陰る。彼の行動が天候に左右するのか、感情が呼応するのか。再び雲が夜空を埋め始めていた。

 ビクリと体を震わせて、弱腰の臨戦態勢を取る、虎の表皮やら、牛頭やらの、名も知らぬ妖怪達。ビックリ人間コンテスト会場か、とある季節の有明か。はたまた、ハリウッドのB級製作スタジオにでも紛れ込んだのかと見紛う光景だったけれど、それも、ああもへっぴり腰を見せ付けられた日には、一種の慈愛すら抱いてしまいそうである。

 赤竜から微弱な閃光。帯電現象。念話は伝わって来ないが、そこは拒絶の色が見て取れた。

 ……やるなら誰にも指図されずに、一人でやりたい。という感情から派生した回答のようであったのは、目を背ける事にする。うぅ、やっぱりその辺りはドラゴンさんなんですね。

 

「おっと。誤解無きよう」

 

 こちちのミスリードを誘っておいて、それを一頻り楽しんだ後、平天大聖は制止の声を掛けて来た。なんともはや。良い性格してやがりますね。

 

「何も、永久に隷属しろ、とは。我らはいずれ、天界へと攻め入る算段なのですよ。その折にご助力を、と思った次第。ええ、それ以外の何ものでもありませんとも」

 

 ……あれ。今、サラッとヤバ気な発言を耳にしたような。

 くつくつと。不敵に笑う様は、俺が翻弄されているのがツボにでも入っているんだろう。あるいは挑発の類なのかもしれないが、何にしても、実に楽しそうな声色でございます。それを受ける側のこちらの気分は良くないが、無理を言っているのはこちらなのだ。これくらいで済むのなら、寧ろ、安いものである。

 ただ、仮にも天界……神様への殴り込みに加担するのは、躊躇うものがある。縁も言われも無い地の事なれど、それを快諾するのであれば、そもそもの妖怪であるこの平天大聖へと、殺す殺さないレベルの喧嘩を吹っ掛けている。妖怪であるという点で人間の敵である場合が殆ど。俺自身も手心を加える余地は減少している節があるのだが、それでも、その相手に何かの害を受けた訳でもなく、その者達によって大切な何かが傷付けられたという訳でもない故に。そんな事をする気は、現状ではさらさら無い。

 

「それは……」

 

 こちらの重い口調に呼応して、白き王の表情がますます艶やかに色付いていく。

 

「―――しかし、流石にこれは受け入れ難いと見える。良いでしょう。こちらの領地にただの一人も足を踏み入れないと仰るのであれば、こちらからは手を出さぬと、我が名に掛けて誓いましょう」

 

 あたふたする様子を一通り楽しんだ後で、予め用意してあった言葉を付け足したかのように、補足を入れて来た。全く以って嫌らしい言い方である。勉強になります。……出来れば、生かす機会など巡ってきて欲しくないものですが。内心、口を尖らせて、遺憾のイならぬ不満のフの字を密かに表明中。語呂は良いが意味不明。こうでもしないと、気持ちのやさぐれ度が上昇し過ぎて困ってしまいそうだ。見えないところでストレス発散です。

 

 ……だが、あまりにこちらの要望が通り過ぎている事に、俺の疑念は膨らむばかりで。例えばこれが、氷の妖精やら元お地蔵様な裁判官などであったのならそんな事は無いのだが、不良天人娘やら幾匹もの鮫を足蹴にした兎やら、後、スキマ妖怪等の延長線上に思えてならないのは、どう見ても約束を完全に守る気概が見受けられないせいだろう。

 あちらからしてみれば、自国に侵入された場合は言わずもがな。国境の外側であっても、自国に侵略予定の軍隊を編成されているのは、厄介……かどうかは分からないが、気分は良くない筈である。

 それが、からかわれているとはいえ、こうもこちらの要望通りに進むという異常事態。絶対に裏がある。そう思わずには居られなかった。

 

(でも安心! 今の俺……達は【恭しきマントラ】の効果で【プロテクション(黒)】を付属されちゃってますので!)

 

 このお方が黒ならば。というのが大前提ですけどね……。

【ピッチスペル】の恩恵でマナは消費しなかったけれど、それでも4マナ【ソーサリー】使用分の体力はキッチリ持っていかれた訳で。お陰で、使った直後は意識が飛びそうになりました。気絶しなくて良かった良かった。

 

 

 

 ―――この時。一瞬だけであったけれど、八意さんから貰った腕輪が熱を持った。それはすぐに体温の範囲内へと落ち着いて、普段通りの装飾品へと、時が巻き戻ったかのように何事も無く。どうやら、この腕輪はかなりシビアな発動条件になっているようで、壊れていなくて良かったと思う反面、もう少しリミッターを解放しておいて欲しかったと思うのであった―――

 

 

 

 単発呪文は継続的に体力を消費しないので、そういう面では有利である。大聖って名だから、白か黒かで悩んだけれど、そこはリンの話を参考に、『妖怪だったら黒でしょ』との、鬼の一角と同様の流れで黒を選択。

 そしてこれには、リンを始め、【稲妻のドラゴン】にも与えてある。8/8【飛行】【プロテクション(黒)】とか、特に妖怪が……色が黒と部類される相手では、滅多な事では最悪の事態にならないだろう。MTG上でもエンドカード(ゲームを終わらせる可能性の高いカードの事)級だ。

 

「そう仰っていただけて―――「―――但し」―――……はい」

 

 感謝の言葉を最後まで言い切る前に、ピシャリと話を止められた。

 

「私もあなたに同行させて頂きましょう。何、邪魔立てする気はありません。赴くのは私一人。事が起こった場合には、後方にて静かに眺めるだけに留めるつもりですとも」

 

 ……胡散臭い。あまりに胡散臭過ぎて、もうこのまま一発殴って気絶させてふん縛って、何かされる前に行動不能にさせたいくらいに胡散臭かった。

 

「それはまた……何故でしょうか……」

 

 頬を吊り上げ、歯を覗かせて。そのままウィンクでも行いそうな笑いの顔を造り、口の前に人差し指でも添えそうな声色に乗せたかと思えば。

 

「―――秘密です」

 

 ……マナが回復した暁には、真っ先に【テレパシー】を使おうと思った一言であった。細身の中世的な顔立ち……美形がやると何とも様になるので、その綺麗な白い肌(額)に、いずれ、肉、と。頬にはナルトマーク追加……を書いてやりたくなる。油性ペン(極太)で。

 行き先不安……どころか、暗雲がもうもうと立ち込めている終着点であったが、それでも何とか話は纏まったようだ。

 

「……それだけで済むのでしたら、感謝の言葉もありません」

 

 ありがとう、との言葉を取って付けて、音に乗せる。裏は兎も角、表面上は話を飲んでくれたのだ。どうせ『それ“だけ”は守りましょう』とか『約束を守った後は知りません』的な、揚げ足取りまくりの取り決め事であるのだろうが、ここでそれを突っ込み過ぎて、自らを窮地に追い込む事は無い。もしもやるのなら、少なくとも、マナが回復してからだ。藪を突いて何かを出す必要は無い。

 

 平天大聖が片手を挙げる。途端。柱の影にでも潜んでいたのか、二人の女性が姿を現した。

 平天大聖には劣るが、その白は肌理細やかな絹の輝き。純白のチャイナドレスを着こなして、流れる銀髪が衣類と相乗効果を生み出し、実に良く栄えている。一方はどう見てもサイズの選択を間違えただろうと突っ込みたくなる―――むちむち(死語)な四肢を魅せつけて、もう一方は大変バランスの良い体を豹を思わせる動きで現し、その場に佇む。

 両名とも猫目の双眼が、人間でない事をしっかりと物語っている。その美貌は、男を堕落させるサキュバスのように。東方キャラでは無いにしても、ともすれば、その者一人で領地の一つや二つ程度なら得られよう程のものだろう。

 

「夜も更けてまいりました。部屋まで案内させましょう。……後は、案内役諸共、ご自由にして頂いて構いませんので。ただの人間では決して味わえない世界をお約束致しましょう。―――お前達」

 

 自らの王へと振り返り、一度頭を下げる。面を上げ、向き直り。こちらに近寄ってくると、幻想の里に誘う妖精のような笑みを浮かべながら、こちらの両の手を左右一人ずつ握られて、夢遊病患者のようにふらふらと宮殿の奥へと連れて行かれた。

 

 ―――否。連れて行かれそうになった。

 

 こちらの手に侍女達の手が触れる間際、一筋の閃光が走り、宮殿内を突き抜ける。それは寸分違わず女達へと直撃し、その体を白き王の元へと滑らせた。

 が、そこに横たわる筈の人の体は見られない。変わりに、二メートルに達する胴の長い白蛇が、その体から微かに白煙を上げていた。ピクピクと口から出した舌が痙攣している様を見るに、まだ息はあるようだ。

 悲鳴すら上がらない。聞こえたのは、落雷が空間を掛けた音のみ。ここに来て漸く、平天大聖の顔から愉悦の色が抜けた。

 目を大きく。ほう、と短く、息を吐く。

 

「―――俺に触れるな」

 

 声は静かに。腹の底から響く様に。疲労から来る脱力と、新しく加わった別の何かに支配された表情は、暗く、冷たく、何の色も灯さない。

 

「これは失礼しました。案内“だけ”させましょう」

 

 やや遅く、再び柱から現れる銀髪の蛇妖怪。多少の差異はあれど、先と同様の絶世の美女ではある。……のだが、その顔は恐怖に染まり、後少し何か刺激を与えれば、脱兎の如く走り去る事請け合い。男を客室へと導く為に先頭を進む様は、宛ら、十三階段に足を踏み入れた囚人。

 片や召喚者本人は、雷撃を放った赤竜に目配せをし、雷雲立ち込める夜空―――上空へと登らせた。

 維持するにも色々と限界が近く、上空へ飛ばし、その後に還す事で、傍から見れば、あの赤竜が常に大空で待機している風に映るだろう。との考えである。

 何の重さも感じさせず浮遊し、直後、忘れた重さが舞い戻る。吹き荒れる暴風に幾人かの妖怪が宙を泳ぎ、あるいは山を転げ落ち。風に弄ばれている間に、それを指示した者は先を行く侍女の背中を、足取り重く追随する。

 背中に受ける、再び造られた、獰猛な笑み。今までで最も平天大聖の妖怪らしい喜びの形をした視線を感じながら、九十九は完全に無視を決め込み、足を進めるのだった。

 

(うっわー妖怪だけど美人さんぶっ飛ばしちまいましたよ!? やっべ生きてますかあれ!? よく交渉決裂にならなかったな! ってか攻撃ピンポイント過ぎ! 感電死しなくて良かったよホントに! お前の攻撃【プロテクション(黒)】じゃ防げねぇもんよ!)

 

 ―――召喚者を守ろうとした【稲妻のドラゴン】の行動を、どう正当化したものか一瞬で悩み抜いた末の行動は、どうやら吉と出たようであった……という、雑多な思いが多々混じった思考は、当人の中から溢れ出る事は無かったという。

 

 

 

 ……そんな出来事など霞の如く。部屋に着いて一分も経たず、『あ、もう寝ますんで』と。柔らかな寝床で爆睡する男に、篭絡の任を伴っていた白蛇精と呼ばれている妖怪は、添い寝どころか、寝床へ近づく事すら成しえずに。

 結局、とうとう一睡も出来ずに、時折寝返りを打つ男の一挙一動に怯えながら、部屋の隅で魂の擦り切れるような一夜を明かしたのだった。

 

 それも当然。彼は就寝に入る直前に、更に一体。とある0マナのクリーチャーを呼び出して、警護に当たらせていたのだから。

 客室には、男の寝息と、心の臓が酷使されている女妖怪の脈拍と。金属と金属の擦れ合う音に、無機質な顔……と思わしき紋様が、周囲を一寸の油断無く探っていた。……特に、銀髪の蛇女を凝視するように。人間の男の三倍に届く身長と、自動車を二台並べた位の幅を有する、命無き機械生物、【アーティファクト】クリーチャー。

 大きな筈の客室は今、その者―――銀色の巨大蛸のような金属のカラクリによって、その主が目覚めるまで、支配され続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この辺りだった筈なんだが……」

 

 確認の意味を含む呟きは、風を切る音によって掻き消える。地上高、ゆうに百メートルを超える高度を飛び続けている。今現在。【稲妻のドラゴン】に騎乗……いや、あれは搭乗か―――していた時よりも、大分、趣の違う様であった。

 何せ、あれで移動していた際には回りの景色など見る余裕もなく、見える景色も曇天と雷鳴によって遮られていた。何より、生まれて初めての鳥の真似事は、臓腑が浮き上がるという、形容し難い体験によって、周りの様子などに気を配るなど、どだい無理な話。

 

「ん」

 

 見つけた。

 草原地帯よりもやや離れた、一面砂だらけの小高い丘。よくよく観察すれば不自然に盛り上げた印象を受けるが、そんなもの、絶えず熱砂の吹き荒れる大地では目を見張るものではない。目印としても目立たない、ここ―――この小山の、その下に。

 

「よっ、と」

 

 これに乗って、数時間。扱い方は、もう慣れたものだ。空を飛ぶという、羽を持つ者達の特権を、今の自分は有している。蝙蝠の羽と、それを支える細い金属棒達。徒歩での移動は時間が掛かるだろうからと、ツクモが僕に与えてくれた、カラクリ翼。自動だとか、機械的な判断だとか、彼はそんな風に言っていたか。

 こちらが何処に行きたいか。何をしたいのかを察して、右へ左へ、上へ下へと、自由自在に空を駆けるこの羽は、【羽ばたき飛行機械】という……どう聞いても総称だと思うのだが……そういう固有の名前の代物らしい。

 見た目に反して、昆虫のような細かな羽ばたきではなく、鳥類のそれ。高度を下げるよう体を傾ければ、迅速にそれに応えてくれる。風に守られているように着地を果たし、目を凝らして回りを見渡せば、一つ、二つと、人間の幼子がやっと通れるくらいの小さな穴が見受けられた。今目に付く箇所はそれだけだが、探せばこの穴は、それこそ無数に存在している。

 

 

 ―――ツクモが壮年の男を呼び出した光景は、今でも目に焼きついている。あの竜にしたって、この【羽ばたき飛行機械】にしたって。ほんと、どうやってこれを成しているのか不思議でならない。そこまで多くを生きていないとはいえ、こんな力を持つ神も仙人も、ましてや妖怪ですらも、噂の欠片すら耳にした事などなかった。

 

(しかも、もしあれが本当なのであれば……)

 

 彼が召喚したという男。言葉の端々から零れた単語は、旬彧。

 旬彧……そう。恐らく、あの旬彧だ。母の為になればと。戦に関連する資料を読み漁る内に知り得た知識の中には、その者についての内容も含まれていた。

 

 旬文若。数百年前に故となった人物。戦国の乱世にて活躍した、類稀なる才能を持つ御仁。

 覇王を覇王たらしめる、数多くの有能な人材を推挙した、王佐の才を持つ者。自らも、他とは一線を引く智謀を持ち、国の、彼の結末はどうであれ、少し歴史を齧った者であれば知らぬ者など居ない有名人。

 

(……まさか)

 

 様々なものを招き寄せている、その有様。冥府の門を自在に開閉するかの如き力。失われた生命を司る存在は。

 

(冥界の―――)

 

 で、あるとするならば、それは最高神に次ぐ者なのではないか。

 戦、太陽、そして、生命。他にも色々とあるが、人の営みに関わる者は、その信仰の度合いが顕著。神位はかなり上の筈である。

 

 ……だが、それもおかしな話だ。仮に、彼がこの地の冥府の神、ヤマであったとしても、死者をああも容易く現界させられるものなのか。古来より死者とは決して戻らぬ者として言い伝えられている。西でも、東でも。如何な地の神であるとしても、それは、まず覆る事の無い定めであった筈。

 

 惜しむらくは、東洋の地の冥府の神の名を知らない事か。少なくとも、ツクモ、などという神の名は……。

 

(……あ、れ?)

 

 居た。確か、そんな名前の神が居た筈である。的確にそれ、とは断言出来ない記憶であったが、確か、確か、そう―――。

 

(大陸の遥か彼方。東方の、最奥。極東と称される地で、万物に……)

 

 ……万物に……の……? ……はて。その先は何であっただろうか。

 兎にも角にも、万物と単語が付属するくらいなのだから、ともすれば最高神当人である可能性も捨て切れない。

 

(……あ、でもそれは無い……ような?)

 

 先の考案が正解であれば、その地の神々は何と頼り無い支配者であることか。

 文若から教えを受けていた時のツクモは、それはもう、粗相をした幼子が乳母に叱られる様を連想させられるもので。彼の軍師が何を言っているのかは不明であったが、一定の間隔でツクモが『はい』『仰るとおりです』『すいません』等の言葉を発していた事から、神通力か何かで会話をしていたのではないかと予想出来るものだった。

 

(人間に叱られる神……か……)

 

 謎の多い……というより、謎しか残らなそうな人物だが、それでも。小さな小さな。それこそ、神から見れば道端に転がる小石のような存在の自分にも、謝罪をし、助力をし、頭を下げた者である。それが発した言葉が偽りであるという可能性は、考慮にすら値しない。

 

 彼ら―――いや、彼か―――が出した答えは、二通り。

 一つは妖怪側である平天大聖―――ひいては七天大聖へと働き掛けて、戦の規模を制御する事。

 一つは人間側であるウィリクの国の軍隊を阻止する事。

 

 もっと時間があれば第三、第四の案を用いれたらしいのだが、自分の情報を元に魏の筆頭参謀が出した答えが、早くて一週間。遅くても一月以内には、戦争が始まるのだというものであった。

 妖怪側への対応はツクモがするとの事。危険度も高く、成果も最低限の線しか達成出来ず、これのみしか達成出来ない場合には、下策とも言える案であるらしい。

 しかしそれも、人間側への対応を受け持った自分が成功すれば、上策へと変貌を遂げるのだという。こちらの成す事。それは、軍隊の兵糧を失わせるという策。兵糧攻め、というらしい。万に届く人の群れであれば、衣食住の内、生命に直結する食の喪失は、即ち……死。

 但しこれは一時凌ぎにしかならず、二度目からは対策を取られ、困難になるのだという。事を思うように操る術を策と呼ぶのだが、文若からしてみれば、これは策と呼べるものではないと。ツクモは文若がそう言っていたと漏らしていた。

 だが、とんでもない。今の今までそれすら思いつかなかった自分には、青天の霹靂にも似て。戦とは力と知恵の競い合いであり、戦闘という行為、それのみに固執していた―――してしまっていた自分の頭からは、終ぞ出ない答えであった。

 刻々と迫る時間制限に、視野が狭まっていたというのは言い訳にしかならない。それでも、何とか手遅れにならずに済みそうであるのは、まさに行幸と言える。

 実行するのであれば、夜。暗闇に乗じて、静かに、音も無く。燃やすとも、毒を混ぜるとも違う、純粋に食べ尽くすだけという、単純な行いは、単純であるが故に、何にも増して効果的な戦果を上げる事は容易に想像出来た。

 けれど、それを成し得たのであれば、一夜にして消え去った食料に唖然とし、戦意を失う人々の光景が見られるだろう。

 

(もう、お母様の元には居られなくなるだろうけど、ね……)

 

 そして、この世からも。

 この点は、ツクモも文若には説明してはいなかった。そこまで考えが及ばなかったのだろう。目標を達成する点だけを述べただけに留まっている。

 万の兵糧を食べ尽くすとばれば、自分達が―――ネズミが行ったという証拠が必ず残る。これが自分の配下だけならば、そんなことはない。足跡から毛の一本に至るまで、痕跡など発見させない自信があった。

 けれど、これから行おうとしている兵糧攻めには数が足りない。故にこうして、懐かしの古巣たるネズミ塚へと舞い戻り、協力を呼び掛ける為、訪れている。

 

(成功すれば……)

 

 最後の記憶では、三十万近い同胞達が暮らしていた筈だが。今はもう少し増えているかもしれない。全員が協力してくれる訳では無いだろうが、その二割でも協力してくれたのなら、策は成功するだろう。

 ……しかし、言ってしまえば彼らは単なるネズミであり、そこに繊細さを求めるのは難しい。それが数万に及ぶのであれば、尚の事に。

 もしこの作戦が成功したとしても、時が経てば、それは女王の娘の立場に納まっていたこちらへと向き、それを養っていた母へと糾弾が及ぶ過程が簡単に思い描かれた。名立たる豪商達は、嬉々として王家を引き摺り下ろし、挿げ替えた首を掲げながら、自らがその立場へと居座る事だろう。

 それを未然に防ぐには……。

 

(使い処が問題……か)

 

 折を見て、自らの死体が大衆の目に晒されるか、女王本人が、この命を奪ってくれるのが最も好ましい。前者が成されれば追求対象を失う事になり、後者が起これば、難しいのは目に見えているけれど、女王の立場は、軍を撤退に追い遣った妖怪の討伐という成果によって、強固なものになるだろう。

 一度は失ったようなもの。それを救ってくれた相手に捧げる事に、何の抵抗があろうか。元々命の対価すら考慮して行動していたのだ。今更、それに何ら不満は無かった。寧ろ、あの人を助けられるのだという可能性が現れた事に、感謝の念が堪えない。

 ……堪えない……のだが……。

 

「……ぷっ」

 

 その感謝するべき相手は、数刻前までとくとくと、文若に説教を受けていた。しゅんとしながらペコペコ頭を下げる様は、こう、妖怪の本能を的確に刺激される光景であった。もし機会があるのなら、今後は自分であの光景を作り出したいと思う。

 断片としてしか理解が及ばぬが、ツクモの策にダメ出しをしていた事だけは察せられた。ただその者も、この策においては、まだ出来る事がある筈だと言っていたらしい。

 

『低コストの【アドバイザー】なら他にも居るんだけどな。ほら、ここってアジアっぽいじゃん? だったら、ホームグランドな御方達の方が、俄然有利かなと思ったのですよ。地の利ってすっごい重要らしいし。NHKとかディスカバリーチャンネルとかで、そう言ってた』

 

 草原で初めて出会った時に差し出された食べ物、サンドイッチの解説を受けた時と同様に。色々と未知の単語が出てきたけれど、アイスの時と言い、その辺りは今更であったので、特に気に留めるものではない。分かる範囲だけを聞き入れて、吟味すれば良い。

 

(……む。追求すべきは、別のところだった)

 

 地の利等を生かす為に、彼の魏王の側近中の側近を呼び出したというのだが、その者は最後に、ある意味で自分の策を否定するような言葉を発したのだという。王佐の才を持つ者が、己が力不足を進言し、完遂してくれるであろう者の名を上げた。自分ではこの地に明るくない。されど、その地に近しい者なら知っている、と。

 その名を聞いた時の自分は、それはもう、ツクモと出会って何度目か分からない驚きを顕わにした。何の知識もなく知ったのであれば、何を馬鹿な。と、一笑の元に伏していた話。

 けれどそれは、彼が魏の軍師を蘇らせた事実を目の当たりにした事で、信じるに足る言葉へと変わっている。

 

 期限は短い。三日か、四日か。持てる知識と話術の粋を結して、この地の同胞達を束ねなければならない。

 

 

 ―――そう。これは、とある軍師“達”の一計。

 敵であったからこそ熟知し、互い、ある種の信頼の域にまで知り尽くした者同士が織り成す―――宛ら、赤壁の再来。それを伝えた時の文若は、胸の内に込み上がる言い様も無い感情を抑え切れなかった。

 昨日の敵は、今日の味方と成り得るのか、否か。かつて自らの国の覇道の完遂を、最後の一手で防がれた、憎々しくも素晴らしき、神ですら読み切る事など不可能な、その策。

 名を、連環の計。

 

「―――やってやるさ」

 

 凛、と。

 和名であったのでれば、まさに自らの名を体現する姿勢を取りながら。

 己が古巣へと、小さな体に大きな大志を宿し、小さな、幼き賢将は、その第一歩を踏み出した。

 

 

 


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