東方ギャザリング   作:roisin

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51 墨目

 

 

 

 

 

 ……まったく、汚い格好だ。

 

 目前の脅威を目の当たりにしながら、最初に思った事は、それであった。

 視界の先には、【沼】に平天大聖の体が半分沈んでおり、白い孤島と化していた。他人事ながら、そこ目掛けて群がるネズミ達を見て、【マリット・レイジ】にも似た怖気を感じさせる。こう、背筋どころか体全体がぞわぞわするような、集られるものが。

 踏ん張ってくれたであろう【メムナイト】も健在で、全身泥塗れになった、元、白銀のボディが目を引くけれど、故障したりした箇所は無いようだ。

 しかしながら、それら以上に気になっているものが、自らの容姿。

 

(厄介な病原菌なんぞ混ざっちゃいないよな……?)

 

 足場となっていた【メムナイト】が泥塗れで、そこに乗っていた俺達が清潔で居られる理由など無いのだ。

 今更ながら、この【土地】はMTG界のものであったなと思い返す。未知の物質&微生物満載な可能性は高く、幾ら全自動殺菌&除菌な月の衣服を着込んでいるとはいえ、これが片付いた時には、除菌とか消毒も考慮すべき流れなのかもしれない。

 ならば、今まで出してきたアレやコレはどうなんだとも思うのだが……何せ、これは【沼】の一部。他の【土地】より死を連想させ、嫌悪を催し、忌み嫌われる、黒の大地。こちらに襲い掛かってきた泥津波は、引き潮の現象は起こさずに、幅広い範囲の黄色い大地を、一面の闇へと変色させていた。やはり津波ではなく、波の方であったようだ。

 

「ぺっ! ぺっ! ……うへぇ、洗って落ちれば良いけど……」

 

 陸上に打ち揚げられた魚宜しく、【メムナイト】の上で横になっていた体を、上半身のみ起こし、改めて自身の置かれている状況を確認。

 

 数こそ少ないとはいえ、節々に、大小様々な鈍器で殴られたような痛みと、髪の毛バリアを突破して、頭皮にまで到達していた泥に悪態を付く。

 それとは対照的に、モロに泥を被った衣類には、これっぽっちも汚れは付いていなかった。

 ……あぁ、いや、正確には殆ど落ち切っている。

 どういう理屈か、粘度の高い性質である筈の泥が、熱せられた鉄板に置かれた氷の如く、ツルツルと表面から流れて落ちてしまっているのだ。今は逃げ場の無い泥が、衣類の窪んだ場所で停滞しているだけで、立ち上がるなりをして逃げ場を造ってやれば、すぐにでも洗浄は完了するだろう。購入してくれた永琳さんに感謝です。

 ……まぁ、それ以外の露出した表皮とかには、おもっくそ付着し続けているんだけれど。手とか、顔とか、服の中とか、色々と。

 

「人生初の泥沼パックが、まさか砂漠のど真ん中……とはなぁ」

 

 美容に効果があるのかは怪しいところだが。……場違い甚だしい感想だ。顔にへばり付く泥を拭いながら、これって傍から見たらランボ○かスネ○クみたいじゃないかと思いつつ、蛇皮の外套で梱包していたネズミ少女を取り出した。

 

「ご開帳~。……痛いところは無いか? 泥だけじゃなくて、折れた木とか沈殿してた石なんかも混ざってたみたいだけど」

 

 津波で死ぬ生物は、その大半の死因は溺死だが、体中には無数の切り傷、打撲、骨折、内臓破裂などが見られるものなんだそうだ。そこに至るまでの過程は、大自然による滅多打ち。天然のミキサーに掛けられたるようなものだろう。今、体の各所に感じる鈍痛に、それは真実であったと、漠然と思った。

 そう思うと、骨折やら出血やらも無く、数箇所の鈍痛のみで済んでいるという幸運に、短めの感謝を捧げておこう。神でも仏でもなく、+1/+1の修正を与えてくれている、孔明先生辺りに。

 

「うぅ……人間達が使う空の水瓶の中で遊んでいたら、移動の為に、ゴロゴロと転がされてしまった時を思い出したよ……」

 

 世界が回った。と締め括るリンを見るに、不調なところは無さそうだ。

 悪戯ネズミの過去をチラと耳にしながら、出来るだけ丁寧に外套を外してやる。完全に露出した少女の体には、一滴足りとも泥の付着は見られない。その事に小さな満足感を覚えながら、滑る足場と化した大地に立ち上がる。

 

 

 

 白い孤島と化した平天大聖の体が半分沈んでおり、一瞬だけ見ると、あれが何なのか理解するのは難しい光景だ。

 現状把握の為にすぐさま周囲を把握し始めたリンは、平天大聖へと視線を固定し、時折、怒号にも聞こえる声を出しながら、前方のネズミ達へと指示を飛ばし始めた。この段階では、俺は何もする事が無い。極力、邪魔にならないように、静かな存在に徹しよう。

 

「……こうして見ると、酷いな」

 

 ざっと見ただけでも、泥……黒一色。

 もたらした成果は残り続ける、自身の能力を思い出し、

 

「……あれ、でも、泥って良質な土の一種だった……か?」

 

 少なくとも、砂漠よりは生命の育みを助長する土地の筈。時間が経てば、もしやこの不毛の大地に、MTG産である事を加味しても、草木の一本でも生えるかもしれない可能性が出て来た。

 砂漠化を抑止……もしかしたら改善とか、俺って地球さんの役に立ったんじゃね? など思っていると、

 

「うぉ!」

 

 一際大きな振動と音。

 視界の先の平天大聖が。【沼】から露出していた前足を高々と振り上げ、地面へと振り下ろしていた。

 湿った音を響かせる筈の泥沼は、しかし、硬質の大地にでも打ち付けたかのような、正反対の振動を周囲へと振り撒く。

 十数メートルの隆起を起こす、どういう理屈かで……まぁ原因は平天大聖なんだろうが……硬質化した【沼】。それに合わせて宙を舞う礫―――黒は、泥もそうだが、何よりよく見知った存在になった、無数のネズミ達である。

 

(……)

 

 こちらの為に―――片手で数えられるだけの日数の間のみとはいえ、本当によく働いてくれている。感謝もしているし、想いに応えてやりたい気持ちも、十二分に持ち合わせているけれど、我を忘れそうになるほど強い思いを抱いている訳では無い。

 正直に心中を吐露すれば、彼らが何百、何千と死のうが、涙を流すことは無いだろう。

 

 ―――だからといって、心穏やかで居られるかと問われれば、答えは、否。

 

 やはり【プロテクション】や【ダークスティール】化は必須であったのでは。

 居た堪れない……焦燥に駆られるが、平天大聖相手に必要な……必要だと判断した手段からは外れるもの。無論、死なぬ兵とはそれだけで何者にも変え難い切り札ではあるが、

 

「どうだ?」

 

 このままで効果を発揮してくれたのであれば、今すぐにでも鉄壁の加護を付与させたいのだけれど、それを判断する為に尋ねた返答は、ふるふると、小さく数回。『効果が無い』と首を振るリンの態度で、行えなくなってしまった。

 

「……体毛に阻まれた箇所は無理だけど、それを掻い潜って直接皮膚に爪跡を残す事は可能らしい。……ただ、それも瞬時に回復してしまうんだ。齧ったり、引っ掻いたり。でもそれも、痕跡をつけた瞬間に……という具合にね」

 

 いつの間にやら、俺達の周囲に数匹のネズミの姿があった。リンは彼らから情報を収集しているようで、一方的にネズミ達からチュウチュウ言われているだけのやり取りはすぐに終わり、報告をし終えた者から順に、前線へと戻っていく。その意見を統合した答えが、今の話であるらしい。

 

「……ねぇ」

 

 ともすれば、消え入りそうな声。

 視線は前方に向けたまま、前方から二度目の地響きが起こる中、小さな存在は、その小さな姿に似合った呟きを零す。

 

「うん?」

「本当に、このままで大丈夫なのかな……。実は、現状が平天大聖の策略で、これから僕達が行おうとしている事も、全部見抜かれた上で、踊らされているだけなんじゃないかって思えてならない……。これで……本当に……」

「……そこには俺も同意させて頂きます」

 

 自分の素直を暴露しただけなんだが……あれ、リンが盛大な溜め息を。

『君もそう思うよね』とかな相槌を期待したんだが、少女にとっては予想外の返答であったようだ。

 

「……いや、なに。そこは『大丈夫さ』とか、『きっと何とかなる』とか、そういった気の利いた台詞を掛けるのがオスとしての役割なんじゃないかなー、と自分勝手に期待していただけさ……」

 

 オスってあーた……間違いではねぇですけども。

『つくづく君は期待を裏切るのが上手い』だの何だの聞こえるが、既にこんな反応をされている間柄な訳でして。

 先の悪ノリな大演説(笑)と言い、言葉遣いや態度じゃあ、どうにもボロが出てしまう。カッコ付け(偽)のスキルは健在のようだ。……健在じゃなくなる日は来るんだろうか。

 

「ッ! 一定数の目標地点侵入を確認! いつでも良いよ!」

「了解。【メムナイト】ッ!」

 

 少女一人、男一人。それを軽々と騎乗させて、より一層足場の悪くなった砂漠の泥沼を疾走する。草原で駆ける馬よりも速いだろうと思う駆け足は、既に距離を詰められていた事もあり、あっという間に平天大聖の目と鼻の先へ到着を果たす。

 一面が泥で覆われてしまったとはいえ、一応は砂漠と【沼】との境界線が存在している筈なのだが、見た目じゃ絶対分からない。……と、思ったのだが、どうやら【メムナイト】はそれを見極めたらしく、適度な距離まで来た途端、その歩みをピタリと止めてしまった。どうやら、大地に突き刺した足の感触で場を把握している節があるらしい。便利なものだ。

 

 ―――言葉でも駄目。態度でも駄目ってんじゃ……。

 

(行動するしかないじゃない!)

 

 まぁそれも、色々とやらかしている身ではあるけれど。

 いっそ寡黙系男子でも目指そうかと頭を過ぎるが、らしくない事この上ないので、即却下。第一、そんな性格になりたいとは思わない。

 平天大聖との距離、目測で百メートルは切っているっぽい。ちょいとメムさん近過ぎじゃ、など思いつつ、停止した【メムナイト】の上で、直立。微塵も動かない安定感抜群の足場に頼もしさを覚えつつ、表皮のみ泥塗れになった体を晒す。泥遊び後に新品の衣類を着込んだような不自然さだが、もう、それも気にならなくなった。

 そろそろ口を閉じながらの呼吸が厳しくなってきた自分の疲労具合と折り合いを付けながら、ここまでで出揃った状況を改めて思い返す。

 現状の手札は【沼】、【メムナイト】。遠方にある【頂雲の湖】と【伏龍、孔明】。白牛の攻撃……地団駄によって、五十万からその数を減らした、+1/+1修正を受けているネズミ達。

【お粗末】か【弱者の石】による平天大聖の弱体化。具体的な減退数値は不明だが、相手の口振りから察するに、決して小さいものでは無いようだ。

 そして、何より重要な点が、ネズミ達によってあの“平天大聖が傷ついた”という情報。

 それらは毛ほどの引っ掻き傷であり、それも即座に修復してしまうという、全く無意味な特攻しか思えないものだけれど。

 

(幾らMTGの呪文系は、自力の高い……強力な存在にゃ効力が薄いっつってもなぁ)

 

 それらは、全く効かない訳では無いのだ。

 これが成功すれば1マナで。駄目ならば残りの3マナを駆使して、幾つか見繕っておいたコンボの妙技をお見舞いすれば良い。

 けれども、1マナ呪文使用の段階のみでも、目的が成功する確率は高いだろうとも考えている。何せ、単発で使用しても、意味を成さないものなのだ。使い勝手と成果が上昇すればするほどに、制限が見受けられる自身の能力を鑑みて、多少なりとも使用に条件が伴えば、それら制限は緩和されるのではないか。と判断した。

 それでも、試すのは初めてである。まぁ、ぶっつけ本番は今に始まった事では無いのが、ある程度の冒険を決断する切欠にもなった理由だろう。

 そんなものの考え方を、度胸が付いた、と好意的に解釈するのも吝かではないが、それはもう少し……もっと弱そうな相手と当った時の為に、残しておく事にした。肯定的に捉えた後でスカしたんじゃ、色々と目を背けたくなる体験やら経験やら記憶になってしまうのだから。大見得切った後のズッコケは、笑いを取る為の前振りだけで充分である。

 

「一定時間、経過。恐らく目標数を遥かに上回る傷は与えた筈だよ。後は、君の言う呪文がしっかりと効いてくれるのを神に……は、居ないんだった、か。……ははっ、君に願っておくかな」

 

 固唾を呑みながら向けられたリンの瞳に、何処か軽い口調で答えようとした言葉が、潰えてしまう。

 

 ……これは、その、なんだ。

 あの時の、俺らしく無い台詞を、まさかもう一度言う場面が来ようとは。

 

「―――任せとけ。これで駄目なら、まだ幾通りかの手は残してるから。……そんときゃ、場合によっちゃあ、怪獣大決戦の観客になれる事、受け合いです」

「それはまた、頼もしい言葉だ。その時には、精々踏み潰されないように、日頃から鍛えてある逃げ足を活用するさ」

 

 ……使用するカードによっては、鳥や馬であっても離脱不可能になるかもね。という項目には、口を噤んでおきましょう。

 

(こっちが細心の注意を払えば、どうにかなりそうな問題だしな)

 

 ―――これで、お膳立ては全て整った。後は相手の出方のみ。

 吉と出るか凶と出るか……とは思いながらも、相手は妖怪の親玉である。種族の特徴―――勝負が決まれば潔い良い鬼とは異なり、吉と出る可能性なんて、多いのか少ないのかすらも分からないのだけれど。

 

「なぁ」

 

 暴れ続ける平天大聖へと。

 この言葉を機に、【メムナイト】へと縋り付いていたリンが片手を上げ、ネズミ達に停止の合図を送る。行動に移るまでの時間はそれなりに要したが、それでも、分は掛からずに済んだ。

 攻撃の手を止めて、張り付いたままの組と、ぞろぞろと白牛から下山していく組に分かれる。

 それら違和感を感じ取ったようで、絶え間ない地響きを繰り返していた平天大聖の動きが徐々に緩まり、ネズミ達の半分以上が体から離れた時点で、完全に停止した。

 風すら吹かない、耳の痛くなるような静寂の中。

 

「―――もう、止めにしないか?」

 

 自分の言葉だというのに、やけに大きく、周囲へと響く気がした。ネズミ達ですら、しわぶき一つ立てず、無音の一部となっているのか。辛うじて音らしい音が聞こえたかと思えば、それは、既に遠方へと消えかかっている、人間の軍隊の後姿。

 

≪……世迷言を。道化の台詞は、笑いの一つでも取れるようになってからしてみては如何です?≫

 

 似たような場面を、日本に居た頃に見た。ただあの時とは、相手も、場所も別モノではあるけれど。

 

「どうだろな。ただ、状況はキリが良いとは思ってる。……お前、かなり疲労しているだろ。それ、今のままだとまず抜けないからな。……前々から……色々企んでたようだし、こっちから頭下げて黙認やら協力やらを取り付けた形でもあるし」

 

 自分の身長以上の眼球に睨まれるという貴重な……けれど一度のみで良い体験を味わいながら、平天大聖か、それ以上に疲労しているかもしれない体力を隠し、平常心を装う。

 

「お前さんが何もしなけりゃ、この後に色々と粗品贈呈しておこうと思ったんだが……」

 

 その機会は無くなった。他ならぬ、平天大聖自身の手によって。

 内心で、『悔しがれ』と幼稚な念を送りながら、我ながらもう少しどうにかならん言い方なのかと眉をしかめつつ、今回のでチャラにしよう。との案を持ち掛ける。命を寄越せだとか、隷属化必須だとか、そういった無理難題を吹っ掛けている訳では無いのだ。逃げ道は多く、魅力的な筈。

 ―――もし、それでも事態の収拾を選ばないというのなら。

 

「ッ!」

 

 こちらの言葉に応える様に持ち上げられた白い柱……平天大聖の前足。泥飛沫を撒き散らし、あっという間に建造された高層ビルは、建造時に掛かった時間と同じくらいあっという間に、倒壊の兆しを見せる。合わせ、弾かれた様に、足場である【メムナイト】が駆け出した。

 

≪―――舐めるのも大概にしろッ、人間!!≫

 

 倒れ込む方向は、無論、こちら。風切り音すら巻き込んで横倒しになりつつある白い柱に、圧巻の二文字を垣間見る。

 一体、何が琴線に触れたのか。自我は健在っぽいが、それでも、感情に任せた部分の大きい行動に移ったのは、何をするにも飄々としていた平天大聖の姿を思い返すと、興味深いものがある。裏を返せば、この状況はそれだけ屈辱的なものなのかもしれない。

 けれど、正直、その台詞は在りがたい。今までの腹芸合戦―――俺にとっては―――に比べれば、怒りという感情は非常に理解し易く、馴染み深いもの。親近感も沸いてくる。

 ……それが、好感度の上昇に向かうとは限らないのだが。

 

「雑魚化フラグゲットー!!」

 

 こういう展開は、先に底を見せた方の負け。的な流れを脳裏に画きながら、自分の中での最後の一線の外れる音を聞いた気がした。ここまでやったのだという思いは……汚い話だが、言い訳づくりの何者でも無い。差し伸べた和解の手を払った直後―――気持ち良く事に望む為の根回しが全て済んだ、今この時ならば。

 

 ―――お前がどんなに惨たらしく死んでも構わない。

 そんな想いが込められた呪文―――カードを、自身の内で呟いた。

 

(発動―――【命取り】)

 

 MTGにおいて、黒の特徴―――真骨頂たる力の一端を、今ここに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『命取り』

 1マナで、黒の【インスタント】

 使用したターン中にダメージを受けているクリーチャー1体を対象とし、破壊する。それは【再生】出来ない。

 

 ディスカード、ライフドレイン、高性能デメリット付属カードなど、黒のお家芸と言っても過言ではない内の一つ、クリーチャーを破壊するカード。その殆どが、【再生】を許さない。

 破壊故に、クリーチャーのライフたるタフネスを参照しないので、高パワー&タフネスが多い【ファッティ】などの大型クリーチャーにとっては厄介な呪文となる。特にタフネスが高めな【白】や【緑】に対しての効果が高い。

 使用頻度こそ高くは無いが、だからこそ、これを使う場合には、奇襲として成立する事が多い。黒のクリーチャー破壊カードは、条件として“黒でも【アーティファクト】でもない”と付随されているものが大概であり、その点をクリアしている【命取り】は、決して侮れないスペックを秘めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 切欠は―――それこそ、ほんの小さな……短い、一本の黒い線。純白の表皮に走った裂傷は、とても細く、短いもの。

 ただ、それも一瞬。次の瞬間には、その数は倍になった。いや、倍ではない。倍という範囲に留まらなかった。

 一本、二本。十、百、千、万、と。恐ろしい勢いで数を増やし、黙々と、淡々と、着実に、黒い線を増やしていく。毛で覆われていながらも、昼間の砂漠に照らし出される白牛には、それらがとてもよく映えていた。まるで、自らの影によって食い殺されているような。もしくは、子供の落書きに塗り潰される白紙のように。

 

≪ぎゃ……―――があああああ!?!?≫

 

 地の底から響く声、とは、こういうものを指すのかもしれない。急遽、指製の緊急耳栓を装着したにも関わらず、鼓膜が破けてしまうのではと思える音量を全身で感じた。

 

(こうも効果を発揮してくれるとは思わんかった……)

 

 カード効果をなんの捻りも無く解釈したのならば、ダメージを……傷を与えたか否かが発動の条件であって、そこに傷付けた回数は含まれていない。

 それでもこれを使用したのは、1マナのクリーチャー破壊呪文で、黒でも【アーティファクト】でも対処可能であったから、という点と、先に考えていた通り、発動条件の難しさに起因する。間々制限の見受けられる自身の能力は、発動条件が困難になればなるほど、しっかりとした効果を発揮してくれるのではないだろうか、と。

 コンボの回数制限だったり、【プレインズウォーカー】の枷であったりと、これは便利! と思える手段の大半が、一回限りの使い捨て。

 ならば逆に、発動条件がキビシ目のものであれば、それら制限は緩和……ないし、設定されていないのではないだろうか。

 

(無数に近いっつっても、引っ掻き傷程度がダメージとしてみなされるか怪しかったんだけどな)

 

 よって、それが成功したとなれば……、

 

(……あれ。もしかして、【命取り】って、もう使え……役に立たない?)

 

 それは、条件の緩さと結び付き、連鎖的に、過去に経験したコンボやPWの制限へと繋がった。

 悶え苦しむ平天大聖は、今も声高らかに叫び続けている。それを成した―――抜群な成果を見せた【命取り】は、結果と対価のアンバランスさを際立たせる。毛ほどの傷をダメージと見なし、一体だけとはいえ、対象を破壊し、【再生】を不可能にさせる力とは、チート乙、と自分で思える性能だ。

 これまでの各種制限を思い返すに、真偽を確かめるまでは、今後、これは使用出来ない。と考えておくのが最善だろう。少なくとも、ぶっつけ本番で使用して良いものではなくなった。

 

「……」

 

 もう攻撃は無いと判断し、停止した【メムナイト】の上で、泥沼の上でのた打ち回る巨大な白牛を、リンは能面のような顔で見続けている。飛び跳ねる泥や礫を気にする風も無く、ただ呆然と、消えゆく命に目をやっていた。

 地響きに時折混ざる、耳を覆いたくなる絶叫。けれど、何もせずに棒立ちする姿からは、一切の感情を読み取れるものでは無くて。

 

「最後まで見る必要はない。……行こう」

 

 こういう時にこそ普段通りに……軽口を叩かなければという思いは、鼓膜にこびり付く悲鳴によって掻き消されてしまった。直立する少女の両肩に手を置いて、強引に反転させる。何の抵抗も感じなかったのは、脱力に近い状態であったからだろうか。

 平天大聖から距離を取りつつあるネズミ達を見ながら、自分達もそれに習う。

 窮鼠の一撃、を思い出し、死体へと近づいていく妖怪の王を、油断無く監視しながら後ずさる。とは言っても、俺は白牛を見ているだけで、後退するのは【メムナイト】の方なのだが。

 無数のネズミ達ではなく、【命取り】の効果と【沼】によって段々と黒く染まっていく。数刻後には、あのまま地の底……泥沼の奥深くへと沈んでいくのだろう。

 

(……くそ)

 

 気分良く事を終える為にやっていた筈なのに、こうして最後を看取る立場になってみれば、心には何の爽快感も生まれない。むしろ逆に、響き渡る苦悶の声によって、不快感が募るだけであった。

 もっと憎々しい……それこそ、悪辣非道な“魔王”であったのなら、どんなに良かった事だろう。

 

(魔王、か……。……白牛……巨大な牛……? ……牛で魔王っつったら……)

 

 おや? と心に、疑問が一つ。考えが考えだけに、それが解決されるのは、然して時間の掛かるものでは無かった筈なのだが。

 

『―――援軍! 神速!』

 

 思考は断ち切られた。心に届く、遠方より事態を見守る【伏龍、孔明】によって。

 

「おっ?」

 

 念話の内容が脳味噌に染み込む前に、俺の体は揺れた。

【メムナイト】が体制をやや崩した事もそうなのだが、何より、背後に控えさせていたリンが、こちらの体をグイと押し出して来た。元々広い足場ではないので、危うく落馬しそうになるのを何とか踏ん張ろうとしたものの、体を支えてくれた【メムナイト】の手の片方すらも、その役割を放棄して、リンの強行に便乗する形を取った。

 

 

 

 ―――拉げる金属音が耳に届く。

 乾いた甲高い耳鳴りが、一つ。鉄板にパチンコ玉でもぶつけた様な、青空によく響く音。

 

 

 

 何の支えもない崖っぷちの体は、いとも簡単に宙に放り出されてしまう。砂の大地にベチャリ顔なりから行かなかったのは、ただ単に運が良かっただけであろう。大した衝撃も感じずに着地をした足により力を込めて、見上げる形で振り向き、顔を起こす。

 

「おいおい、一体―――うぉ!?」

 

 視界を覆う黒い影。

 それは人間の幼子のような大きさで、一瞬それが何なのか分からなかったが、

 

「ふっ!」

 

 全身を強張らせ、それを受け止めるよう力を込めてみれば、肺に溜まっていた幾許かの空気が排出される。

 その刹那、衝撃が両の腕に圧し掛かる。ここ二年ばかりの大和生活で多少は鍛えられており、そうも高さがある訳では無いとはいえ、子供一人の重量の自由落下を受け止め切るのは、そこそこ難易度が高めのミッションだった。

 しかし、今の俺は通常の状態では無い。【伏龍、孔明】によって+1/+1の【パンプアップ】を果たしている、超人……とまでは言い切れない、超人一歩手前のぷちスーパ○マン。名前的にパ○マンだろうか。そんなところだ。恐らく今の状態であれば、四年に一度の世界大会でも各種の上位を狙えるポテンシャルになっている。それが、重量三十キロ程度(予想)をキャッチ出来ない筈が無い。

 

「リン! どう―――」

 

 

 

 

 

 ―――どうした、と。そう、言う筈だった。

 

 

 

 

 

 

 ……おかしいな。これは本当に……オカシイ。

 場の雰囲気から察して、何かの襲来を受けたのは予想出来る。平天大聖にのみ目を向けていて……かといって、それ以外を疎かにして来たとは思わない。周囲数十キロの地平線には敵影は見えずに、斥候として分散させていた何百かのネズミ達からの報告も上がってきてはいない。

 しかし、唯一事前に判明したと思われる情報が、【伏龍、孔明】による念話だという事実を加味すると、ネズミ達の情報網には掛かっていたが、それ以上の速度でこちらへと接敵を果たしたのかもしれない道筋が見えてくる。

 でも今は、そんな事はどうでもいい。

 

「……良かっ、た」

 

 真っ赤な口元を今も赤で染めながら、小さな妖怪が懸命な笑顔を造っている。肩と胸の中間辺りから、トマトジュースでも零したように広がる赤い染みに、あらゆる感情が吹き飛ばされた。眼の鼻の先の大地には、一本の長い棒。羽の付いた先端を見るに、どうやらそれは、弓矢の類であるのだろう。

 

(真上……から……?)

 

 先の流れを予測しながら出た確定の結論は、何処からとも無く飛来した弓矢から、リンが身を挺して守ってくれたという、分かりたくもないもので。

 ただ、熟考に浸る間も無く、俺達は暗い影に覆われた。

 空を仰ぐ形で見上げてみれば、そこには圧し掛からんと天を遮る【メムナイト】。再び同様の事が起きても良い様に、文字通りの身を挺して盾となってくれたのだろう。

 そんなクリーチャーの足元。恐らく、初撃。リンがこちらを突き飛ばした時に聞こえた音によって生まれであろう小さな穴が、【メムナイト】の足に穿たれていたのだから。

 腐っても金属製であり、1/1から【パンプアップ】を受けて2/2となっており、そんな金属板を貫いた弓矢が、ただの矢であるなど考えられない。

 落ち着いた状況を見計らっていたかのように、【伏龍、孔明】の念話が届く。上空より飛来する者が居る、と。

 けれど、そんな問題はどうでもよかった。

 抱えた少女の傷口を一瞥し、脱力しきった……口から血を流している状態と照らし合わせ、一刻の猶予も無いと判断。ゼロマナである【アーティファクト】、【薬草の湿布】は除外。

【再生】効果のカードを思い浮かべ、ネズミ達も合わせての【再生】か、単体での【再生】かを、逡巡し―――初めて少女を抱えた時に感じた、痺れる感覚に襲われた。

 直後に脳裏に飛び込んでいる情報。それは、新たに開かれた道の標。だが、今はどうでもよかった。

 それよりも今は―――

 

「―――おい」

 

 小さな体だ。軽く抱えれば、包み込めてしまうほど。

 空から降ってきたので、それを受け止めたのだ。必然、しっかりと支える為に、触れ合う箇所が多くなり……

 

「……おいって」

 

 

 

 ―――腕に感じていた鼓動が―――無い。

 

 

 

 浮かべた笑顔はそのままに、小さな鼓動も、か細く上下していた胸も、全く動かない。力の抜け切った体は温かく、腕を伝わるぬめりとした液体も、未だその存在を熱いくらいに主張していた。

 だが、それだけ。

 困ったような笑いも、罵倒にも似た明るく可愛らしい声も、クリクリとした大きな二つの瞳も、苦悶の声すらも。何も、何も、見せてはくれない。

 

(………………参った、な)

 

 あれは諏訪の国、であった頃か。大切な人を目の前で奪われ、あの時最も力強い存在であると思っていたカードを行使した。

 後先など考えず、一寸先の未来など考慮せず、ただただ目前の怨敵の命を奪わんとして、それのみを思い、行動に移した。今の状況は、あの時の焼き回し。腕に感じる温もりすら一緒だ。

 けれど自らの心は、とても冷えたもの。暗い激情に突き動かされた時とは、やや異なっていた。憤怒の炎だとか、憎悪の波動だとか。抱いていない訳では無いけれど、それによって思考が塗り潰されるまでにはならなかったのだから。

 

(本当に……参ったな…………)

 

 こういう可能性だって、考えていた。

 トップを下せば、それに連なる者達が御し易い縦社会、妖怪という種族ではあるが、今回のように平天大聖を倒しても向かってくる……これを機に。と一躍を狙っているのか、事前に指示を受けていたのか。それ以外の何かの要因か。

 いずれにせよ、ボス戦の後の中ボスか雑魚ラッシュは、想定の範囲内であったのだ。

 

 ―――この腕に感じる、儚い重み以外は。

 

 ここで即座に【再生】を使おうものなら、事前に【ダークスティール】化も、【プロテクション】も行わなかった意味を失ってしまう。そうなれば、既に散ってしまったネズミ達の意味も消失し。無論、無意味ではない。それでも、そう思わずには居られない後悔が実行を躊躇い、二の足を踏ませる。

 

【メムナイト】という傘からチラと見える空を見てみれば、そこには、キメラを思わせる不出来な存在が居た。一瞬だけ思った感想は、ペガサス。翼の生えた馬、という見た目が、まさにそれであった。

 けれど、目を凝らしてよくよくそれを見てみれば、安易なすぐに感想は否定される。大雑把に判明したものは、四つ。人の頭。馬の体。鳥の羽に、虎の表皮。大空に居る為、縮尺がはっきりと分からないが、通常の馬の倍以上はある巨体。一体何の妖怪かも分からない、いっそ神々しいとすら思える存在に、僅かなも目を奪われた。

 それを、見計らっていたかのように。

 

「ぐっ!?」

 

 押し上げられる体。宙を浮く感覚。太陽が眼光を焼いたかと感じる間もなく、リンを抱えた俺の体は、『耐えて』という念話と、それを発した【メムナイト】の足によって、数メートル先の地面へと蹴飛ばされ、横滑りに着地した。

 直後、轟音。

 砂煙を巻き上げながら、同時に煌く、無数の金属片。嫌になるほど目を引くそれは、鋼の従者の成れの果て。横たえ、やや軋む体を首だけ起こし、そこへと目を向ければ、【メムナイト】の体は中央から二つに別たれていた。

 ならば、それを成したのは何なのか。その答えも、視線の先にあった。

 戦利品の如く肩に掛けられている獣……犬か狼の毛皮。俺を二人重ねても足りない長身は、深緑を基調とした赤銅と金色の装飾が施された鎧に包まれて、屈強だと思われる体をより一層、堅牢かつ煌びやかに際立たせていた。

 

(リザード、マン?)

 

 爬虫類と人類の合いの子のような存在。蛇の頭部。人の体。両の手に一本ずつ握る、肉厚の直剣と、大型の戟。

 

(……お前か)

 

 背中に背負われた、真紅の弓と矢籠。何本か残っている矢の羽の部分が、リンを貫き、大地に突き刺さっていたものと酷似していた。

 しかし、落ち着いて姿を確認してみると、蛇だと思った顔には、二本の髭が生えていた。蛇皮のような艶やかさではなく、鎧に覆われた全身から覗く表皮は、鱗。黄色の猫目からは並々ならぬ闘気を発しており、西洋のモンスター、リザードマンだと思っていた考えを改めるには充分な容姿。

 

(龍人……)

 

 そう思い直すのに、時間は掛からなかった。

 余裕があれば……リンがこうなっていなければ、ゆくゆくの紅魔館で門番を務める者との関連性に、胸躍らせ、興奮しながら考えを巡らせていたのかもしれない。振り下ろした巨大な直剣を持ち上げ、無防備なようにだらんと構え直し、こちらへと歩む姿は威風堂々。一角の武人のそれだ。

 光に還りつつある【メムナイト】の残滓を興味深そうに……けれど何の躊躇も無く踏み潰しながら進み来る様子に、心がざわめき立つ。

 そんな最中。

 

「っ!」

 

 大地が動く。否。大地を疾走する影が動いた。

 周囲に散っていた無数のネズミ達が、我を忘れたように龍人へと襲い掛かる。先の泥津波もかくやな黒い波となった勇士達が、その眼を赤々と輝かせながら猛進していった。

 ただし、そこにはある程度の規則が見られるもの。間隔の空いた戦列であったり、強弱の別れた突撃部隊の速度であったりと、下手な人間達よりも統率の取れた様は、彼らを畜生と蔑みの視線を向けて来た者達から見れば、眼を見開いて驚く事だろう。

 

 流石にこれには分が悪いと見たようで、龍人はその場からの離脱を図った。

 とは言っても、撤退の意味ではなかった。留まる事を良しとしないだけであり、その移動先は―――こちら。

 

(……俺か)

 

 駿馬にも迫る移動速度もそうだが、足元のネズミ達に這い上がられないように、剣や戟を足の代わりとし、大地への接触を避けながら向かって来るではないか。

 武器を用いた竹馬のようだ。と、場違いな感想が脳裏を過ぎるが、それが意味するところとは、こちらへの害意。

 

 ―――そっと。足元のネズミを一匹持ち上げる。妖怪でも何でもない。ただ下に居ただけの、小さな生き物。

 

 右手の中に納まる『何?』とクリクリとした目をする存在に、そういえば言葉が通じないのだったと気づかされる。

 けれど、数日間ジェスチャーという肉体言語を学んで来た事を思い出し、すっ、と人差し指を前方―――跳躍を繰り返し、襲い来る龍人へと向けた。

 

「―――あいつ、殺すぞ」

 

 小さな……けれど甲高い鳴き声。

 チュウ。との、それではない。キィ、と空気を切り裂く怒号であった。

 場を読むことでこちらの意図を察してくれたようで、口元から覗く小さな牙を、精一杯剥き出しにしながら、威嚇行為を取った。

 

 ―――成長と共に解放される力について、また、分かった事がある。

 今回は大まかに二つ。

 一つは、俺の制限はスキルツリー方式であるようだ。

 ツリーの名の通り、枝先になればなるほどに、そこに到達する道は細分化されるもの。

 安易に果実だけをもぎ取る真似は許されず、得る為にはしっかりと枝を伸ばさなければならない。故に、どんなに同じくつわを踏もうとも、条件が整っていなければ、その先は見られない。

 

 いつかは、この暗中模索な能力制限も解放される未来が来るのだろうか。

 少なくとも、その暗闇に一筋の光が差し込んだのは、諸手を挙げて喜ぶべき答えの筈なのに、それが判明するまでの過程を考えれば―――腕に感じる暖かな重みを鑑みれば、唾を吐いて顔を背けたくなる事実であった。

 

 過去、このような状況に陥ったのは、諏訪の頃に一度のみ。その際には何も気づきすらしなかった……ただ我武者羅に。感情の赴くままに行動していただけだった。

 だが、今回は違う。

 大和の風神との付き合いか、鬼との接触か、月での一戦か。それらどれかを経由して分かった事。

 血液。恐らく……それがトリガー。

 リンから伝わって来る、痺れ。怖気のする赤い暖かさによって、能力解放と銘打つ取扱説明書を、直接頭にぶち込まれた。

 

 

 

 

 

 ●スキル解放―――『特定対象接触中の間、同種族(【タイプ】)の全コスト無効』

 

 

 

 

 

 ウィリク様と別れた直後。夜の砂漠に身を躍らせた―――初めて少女を抱き抱え跳躍した時に僅かに感じた痺れは、これの先触れであったようだ。

 

「っらああああッッ!!」

 

 乾坤一擲。全力投球。撃ち出した小ネズミになるべく負担を与えない様に。しかし、あらん限りの力を込めて、腕を上から下へと振り被る。疲労の重なりつつある中で自ら行動するなど、ただでさえ際どい制限時間を削りに行くような愚行。

 しかし、今回ばかりはそうも言っていられない。言いたくない。と、言い換えた方が正しいが、それすらも些細な問題だ。

 投擲された、一匹のネズミ。【伏龍、孔明】の加護を受けているとはいえ、2/2には届かない、1/1に毛の生えただけの力な存在。何の能力も付与されておらず、何の策も持ってない。

 

(悪い、先生)

 

 更には、これからの事を考え、【パンプアップ】効果と、維持費の削減の為に、【伏龍、孔明】を還す。独断&即決+一方的な説明通知であったが、先生からは、『御武運を』とのお言葉を頂けたのが幸いか。知力抜群な客観的視野を持つ司令塔と、五十万の全体修正を捨ててまで得たものは―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 経験か、直感か。九十九より撃ち出されたそれを異常と感じ取った龍人が、迎撃の姿勢を取った。

 低空を翔ける速度はそのままに、投擲したネズミ―――たった一匹の小さな存在に向け、巨大な直剣で、渾身の斬撃を繰り出した。

 足元を埋めるネズミ達には目もくれず、一閃。その重量を微塵も感じさせずに振り抜かれた剣は、その空間にある全てを切断する。

 空気も、時間も。そして、投げられた、小さな命も。

 

「―――ッ!?」

 

 ―――その、筈だったのに。

 

「そう手間は掛けさせねぇよ……。“がんばれや”、爬虫類」

 

“投擲した筈の小ネズミを手の平に乗せながら”、ふてぶてしい声色で、声を飛ばした。

 前方。龍人の目標である人間からの挑発……いや、“応援”が耳に届いたのと同時、全身を未知の力が駆け巡る。この力ならば、より上位の……いっそ大聖の末席に名を連ねるのも可能かもしれない、と。僅かとはいえ、それに意識を奪われてしまった、刹那の間。

 焔が走る。否。焔に似た眼光、二つ。龍人の目前を駆け抜けた。

 雷光一閃。常人では満足に振るう事も適わない直剣を持つ龍人の豪腕が、血飛沫すら上げる暇もなく、澄み渡る青空を舞った。

 

 

 

 

 

 ―――そこには……投擲された小ネズミが居た筈の空間には、薄汚れた人型。

 体躯は九十九と同程度か。腰まで届く灰色の髪。体の動きを妨げないよう最小限に施された、黒茶色の装甲。共に、身の丈ほど。巨大な剣を右手に。鉈のような刃を左手に。刃こぼれしてしまい、切れ味など期待出来ないであろうそれは、振るった対象の苦痛をより引き出させるのだろう威力を宿しており、腰から伸びる長い尾先には、小刀のような形状の手裏剣が握られていた。

 

 

 

 九十九はガクンと抜け落ちる体力と抗いながら、月で貰った腕輪に熱が入るのを感じた。だが、胸に抱いた少女を取りこぼすことはしない。

 

「……ぅ」

 

 再び鼓動を刻む、小さな胸。空気を震わす、愛くるしい呻き声。停止した少女の時間が再度動き出し、可愛らしい顔に皺を作る。

 

「……あ、れ……?」

 

 薄っすらと見開かれた眼には、困惑の色。混乱する脳内をどうにか整理しようと頭を働かせ、懸命に冷静さを取り戻そうとしている。それを感極まったように、隠し切れない喜びと共にチュウチュウと鳴く小ネズミは、リンの顔に鼻を摺り寄せた。

 

「……良かっ、た……。……どうもありがとう。……お陰で、命拾いした」

 

 目覚めの挨拶。安堵とも罪悪感とも付かない表情を浮かべる九十九に、それこそ意味が分からないと、リンは困惑の色を濃くする。

 

「っ! そうだ! あれからどう……な……」

 

 事態を把握すべく尋ねる……尋ねようとした行動は、視界に入る、赤黒い染み……自らの腹部に広がる血痕によって、途切れてしまう。

 そうだ、自分は―――。

 困惑しながらも、どう見ても致命傷であると判断したリンは、しかし、現実を前に考えを改めるのに時間を要した。

 

「―――過去も未来も、生も死も。全部って訳じゃねぇが、とりあえず“死”の部分を蹴っ飛ばして、どうにかしてみました」

 

 疲労の色を隠そうともせず。『どうよ』と落ち着いた声で答える九十九に、リンの口は大きく開かれ、空気を欲する魚のような状態になる。魏の軍師であった旬彧もそうだが、蜀の軍師である孔明をも蘇生させた彼ならば、不可能ではないのだろう。

 けれど、それも何処かで納得していたところもあった。

 後世に渡り名を呼ばれ、記されて続けている偉人であるのなら、それくらいの荒唐無稽はあり得るのでは、と。特別な存在は、特別な出来事があるものだと思っていた。

 対して、それが自分であれば、どうか。

 ……無理だ。特別と凡庸を同一視出来る筈もない。

 何が『どうよ』だ。何が『どうにかしてみました』だ。幾人もの生命がそれを望み、けれど様々な柵によって断念し、あるいは阻害されて来た事か。

 あの言葉は全て本当であったのか。

 愕然とした表情を浮かべたまま、リンは漠然と、そう思った。

 

(本当に……それを成したのか……)

 

 少女は恐る恐る自らの腹部を擦りながら、大穴どころか、傷一つない自身の体に、戸惑いを覚える。

 

「本当なら“魂だけ呼び戻し定着させる”のが彼女の力なんだが、そこはこっちの能力で補いまして。今は体力全回復のオマケが付いて来る状態だな」

 

 説明には違いない筈なのだが、九十九の話を十全に理解するには、幾つかの前提が無ければ不明瞭のままである。

 意図的にぼかしていると判断したリンは、追求を止めて、数瞬前に自分を貫いた相手を見た。

 この地を統べる妖怪の頂上。七天大聖の内の半分は容姿を把握しているのだ。それ以下であれば、ほぼ全て把握している。そしてあれも例外ではない。その名前は、既知である。

 

「……睚眦(がいし)、か」

 

 睚眦。それが、九十九やリンが対峙している龍人の名。龍に似た姿で山犬の首飾りを持ち、殺戮を好む妖怪。武具の扱いに秀でている面があり、その力は千の軍隊にも勝るとされる、豪の者。

 淀みなく言い切ったリンに、九十九は、そうかと頷く。隻腕となりたたらを踏む睚眦を睨む眼に、一層の力を込めた。

 射殺さんとする目線を、延ばした片腕―――指先に乗せて、一言。

 

「―――切り刻め」

 

 その者、暗殺を営む血族。けれどあまりの残虐性に、同族からも疎まれ、孤立無援となってしまった過去在り。

 技巧は随一。行いは、無垢にして、無残。可憐にして、冷酷。

 名を、墨目(すみめ)。

 生を嘲笑うかの所業を行う彼女は、冒涜する者とも呼ばれる、闇に生きるシノビである。

 

 ―――其の業、刹那。

 ぼとり、ぼとり。

 瞬きの間に十七の肉片となった睚眦は、爆散でもしたかのように、乾いた大地へと降り積もったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『鬼の下僕、墨目』

 6マナで、黒の【伝説】【ネズミ】【忍者】クリーチャー 5/4

 希少能力【忍術】と【再生】を併せ持ち、プレイヤーへ直接ダメージを与えた場合、そのプレイヤーの墓地にあるクリーチャーを一体、自軍の場に呼び出し、使役する―――墓地から釣る、とも比喩される【リアニメイト】能力を保持する。

 

『忍術』

 クリーチャータイプ【忍者】が多く持つ固有能力。

 自軍のクリーチャーの攻撃がブロックされなかった場合、【忍術】の後に表記されている分のコストを支払う事で、攻撃クリーチャーと、手札にある、【忍術】コストを支払ったクリーチャーを入れ替える事が出来る。

 

【鬼の下僕、墨目】の場合は、5、である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――立ち込める血風とむせび立つ赤の臭いに、俺は眉を顰めながらも、周囲への警戒は崩さない。

 二度目などあってたまるかと、一瞬遠退いた意識を、自分の舌を噛む事で繋ぎ止める。

 腕に感じる仄かな熱は、月で貰った腕輪から。ヒカリゴケのように淡く純白に輝くそれをチラと見て、あまりの発動条件のシビアさに、苦笑。

 

「墨目、さん。助かりました」

 

 血と肉片の絨毯と化した一帯から視線を切り、墨目はこちらへと向かい、膝を突く。

『勿体無きお言葉―――』などと返されたが、その声には、いっそ艶やかとすら思える熱が篭っていた。後、こちらを見る目線にも同様の温度を感じます。

 

(……なんか、エロい)

 

 これぞ獣人。な容姿の墨目は、新手のビキニアーマーかと思ってしまう即席の鎧のようなものを申し訳程度に身に着けており、彼女のボディラインがハッキリと分かってしまう。方向性はまるで違うものの、前に月で召喚した【吸血鬼の呪詛術士】を思い出す。全身を白に近い灰色の毛でいる為に直球的な欲望は感じないが、隠されれば隠される程に色々と逞しくなるこちらとしては、今までそちらにはとんと興味が無かったのだけれど……。

 

「……アリだな」

 

 そう思わずにはいられなかった。……口には出してしまったが。小首を傾げる仕草の墨目に、気にしないで下さい。と、スルーを推奨。

 ただ、今の彼女の状態にはやや疑問が残る。記憶していた限りでは、残虐によって喜びを感じるところがあり、力―――あるいは自由か―――を求める為ならば、恩人にすら手を掛ける節があった。

 まぁ、その恩人は墨目に対して顔をしかめるような暴力を振るっていたので、同情はし難いのだが。

 

(一応、聞いておくか)

 

 何が原因で寝首を掻かれるとも限らない。そう思うのも理由の一つではあるけれど、今もヒシヒシと感じる熱視線の意味が分からないのが、最大の原因である。

 で。

 

「……なるほど」

 

 興奮冷めやらぬ口調で捲くし立てられた言葉をまとめると、墨目を【パンプアップ】した為であるようで。

 

 ―――睚眦へと挑みかかる墨目の背中を後押しするつもりで使った【ピッチスペル】。名を、【激励(げきれい)】。一時期、緑デッキの真骨頂たるクリーチャーによる蹂躙―――【ビートダウン】で間々使われた、【パンプアップ】呪文である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

激励(げきれい)

 3で、緑の【インスタント】

 対象のクリーチャー一体に+4/+4の修正を与える。

 

 代用コストとして、自身が【森】をコントロールしているならば、対戦相手一人のライフを3点回復させる事でも使用可能な【ピッチスペル】を備えている。

 特定の状況下では比類なき性能を発揮する為、緑の【ビートダウン】、特に、高速型に部類されるものにはまずまずの確立で採用されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライフの回復とは、一般的にはメリットにこそなれ、デメリットになる機会など、そうそうあるものではない。

 ただ残念な事に、俺はその、そうそうあるものではない機会に恵まれてしまった。

 

(あれ、体、超痛ぇんだよなぁ)

 

 ライフの減少―――【死の門の悪魔】召喚時のデメリットが肉体の減少だとしたら、単純に考えれば、肉体の増加。

 諏訪から大和へと国名が変わった頃、ライフ回復効果を確かめるべく行ったのだが、体中を小さな刃物で切られ、そこに肉塊でも押し込まれるような怖気は、今でも軽くトラウマものだ。腕や足を生やす、といった使い方は可能なようだが、出来るだけ【再生】で済ませたいものである。

 だが、

 

(あの反応は、痛みとかで驚いていたって風じゃなかったな……)

 

【森】さえコントロールしていれば、コスト無し+クリーチャー強化&相手にダメージ。な呪文となりうる筈であった【激励】は、予想ちは違った効力を発揮したのかもしれない。PWやデッキが二度目からは使用出来ないとか、そういった制限と一緒で。面倒なものだ。

 とはいえ、それでも数値の上昇は倍々ゲームになっている面の強い、パワー&タフネス表記。10/9となった墨目によって、某直死の眼を持つ殺人貴かくやな解体術を披露した彼女には、とても感謝しております。

 幸いな事に、あまりに生き物であった頃の面影から掛け離れている形状であるので、後ろでのた打ち回っていた大聖と比べれば、スプラッタなゲームの延長線上にしか見えないのも救いだ。悲鳴を上げさせなかったのも助かりますです、はい。

 更に付け加えれば、今は彼女自身の能力に付け足す形で、こちらの能力―――MTGの【リアニメイト】能力が付与されている。

 物語上の彼女は、死体に魂を呼び戻し、固着させる程度のもの。それには、体の修復は含まれていない。

 だが今ならば、修復も兼ねた、完全な死者蘇生へと格上げされた力が宿っていた。そこにはこちらへの服従……プレイヤーの従僕と化すルールが付与されてしまうけれど、指示しなければ、それは無いも一緒。もしかしたら、それによってコスト維持というデメリットが追随する事も考慮していたけれど、披露具合に変化の無い状態を鑑みるに、その心配は杞憂で終わったようだ。

 

(確か、墨目が寝首を掻いた後に付いた主が……9/9、だったか)

 

 タフネスは兎も角、パワーだけなばら同格。更にはMTGとしての効果によって、蘇生モドキが、完全な蘇生へとシフトしている。豪華スペシャル得点仕様な状態だ。

 ……ただ、その熱の篭り様がヒジョーに怖い。恍惚と……自らの力に酔っている節が見受けられる。

 気分はどうですか? と尋ねてみると、やや溜めた後、『素晴らしい……』とのお言葉が。

 何処となく天空な城のム○カさんの台詞が頭を過ぎる。実際にやってはいないけれど、俺の脳内映像には、両の頬に手を当てている、未来○日のヒロインが恍惚な表情をみせるあれ状態が再生されております。

 

「……って、どうした、リン」

 

 さっきから無言の少女に、何事? と視線を向ける。

 これで何度目か。その目は大きく見開かれ、【鬼の下僕、墨目】を穴の空くほどに凝視していた。リンの肩に乗っていた小ネズミも、倣う様に、完全停止。ネズミという種に共通点のある者同士、何か惹かれるものでもあるんだろうか。

 

「つ、ツクモ……彼女……このお方、は……」

 

 たどたどしい言葉遣いだけれど、一言一句に力が篭っているのが分かる。早く教えろ、とばかりにリンの肩に乗るネズミも、キィとひと鳴き。

 ……何か、ウィリク様に次ぐ敬い具合なんだが。その遥か下に俺、みたいな。……嫌な事実だ。

 

「どうしたのよ、そんなに畏まっちゃって」

 

 そう、不思議に思い尋ねてみると。

 

「……僕の無知なところはまだ多いけれど、それでもこのお方が、同族の中で高位の力をお持ちだというのは一目で分かった。僕は、ネズミの妖怪だからね。自分達の頂点に近しいお方がこうして顕現して下さったんだ。とてもじゃないけど、平常心で居続けるのは無理だと断言させてもらうよ」

 

 驚きによる動揺と、それ以上の羨望を体中から溢れさせながら、一切どもる事もなく、リンはそう言い切った。

 腕の中で静かな歓喜に震える少女に、そういう事なら。と、たどたどしいながらも知り得る情報を口にする。

 

「えー、と……。彼女は墨目さん。数々の技を持つ(と思う)、一流の【忍者】……え~……裏稼業? の専門家です」

 

【忍者】と言われても、日本以外で分かる者など居る筈もないので、取って付けた補足を入れておく。

 尤も、今はその日本ですらも、未だ生まれていない役職ではあるけれど。

 こちらの言葉に冷静さを取り戻したのか、墨目がリンへと微笑みかける。

 

(……なんと)

 

 その表情は、温和。直前に解体劇を行った者と同一視が難しい程に、優しさに満ちていた。

 同族には優しいのか、それとも、年下だからなのか。持っていた鉈刀を脇に置き、空いた手でそっと―――繊細なガラス細工にでも触れるように、ふわり、リンの頭を撫でる。

 俺に抱かれたまま、恥ずかしそうに成すがままとなるリンと、それを優しく見守り撫で続ける墨目は、家族か姉妹のように。一瞬、百合っぽい展開が!? と思い掛けた数秒前の自分を殴りたくなる。そんな光景だ。

 と。

 

「……お前は、俺か」

 

 ふとリンの肩に乗っていた小ネズミを見てみれば、あまりの興奮状態に参ってしまったようて、気を失ってしまっている。何処となく親近感を覚える奴だ。もしかしたら俺の祖先であるのかもしれない。

 

(取り込み中、すいません。残り、宜しくお願いします)

 

 経過する時間に余裕が削られ、墨目へと指示を出す。

 念話で届く、了解の意。すくと立つ獣人の忍。彼女が見る先には、肉片となった睚眦が居た。

 

「うわっ!」

 

 と、リンが驚きの声を上げた。

 ……俺だって、何の事前情報も得ていなければ、それ以上のリアクションを取っていた事だろう。

 しかし、それを起こした……指示したのは、俺。驚くわきゃないのです。

 光の凝縮。瞬く間に視界一杯を覆う光子に目を細め、見るそこへ向け、口を開く。

 

「さっきは、ありがとう」

 

 俺の身の丈の倍はある体躯。白銀の装甲。重厚な金属の四肢。先程、睚眦によって光に還った【メムナイト】が、完全な姿で再び現れた。リンに言った感謝の台詞を、もう一度。この手の言葉は言い過ぎて困るものではない。思ったのなら、口に出すべきだ。

 静かな機械の駆動音に、返答の意を感じ取り、笑顔がこぼれた。

 良かった、と。無心でそう思えた。

 

「きみ、は……」

 

 何やら言いたげなリンの声に意識を戻し、顔を向ける。

 純粋な驚き。そう思える表情を浮かべながら、口を開こうとして、また噤む。を、繰り返していた。

 

「……あ~……気にすんな?」

 

 疑問系の命令口調。

 言いたい事は何となく分かるし、答えてあげたい気持ちもあるが、出来ればもう少し余裕のある時にやってもらいたい反応だ。

 

「……うん」

 

 渋々、というよりは、仕方がない。と割り切っての返答。とりあえずの対処法としては最善であった、と思いたい。

 

「……で、だ。妖怪博士なリン様に、一つ、お聞きしたい事がありまして」

 

 バラバラになった死体に向けて、何かを呟く墨目を他所に、一番初めに見た妖怪……と思われる特徴を伝えた。

 人の頭。馬の体。鳥の羽に、黒と黄の虎柄表皮。通常の馬の倍以上はありそうだった巨体。魔的ではなく神聖さを感じられた雰囲気。一瞬だけ見た情報としては、結構特徴は掴めているのではないだろうか。

 リンに伝え終え、自己満足の判断に及第点を下す。

 

「……それは、英招(えいしょう)かもしれない。妖怪ではなく、何処かの山の神様だった筈だよ。ひと翔けで五つの国を走破する、と聞くね。妖の者とは無縁の存在だったと記憶しているけれど、勢力を伸ばしていた大聖達に使役されていたのかもしれな……い……」

 

 まさか、殺したのか?

 そこまで言い切って、考えがそちらに至ったリンが、そう尋ねて来た。

 

「いんや、争ってすらおりません。……あぁ~……睚眦は英招に乗って来たって感じの、あの流れか。通りで孔明先生が切羽詰って『速い』って伝えて来る訳だ。……国の大きさが分からんけど、ひと翔けで国五つってどんだけ……」

 

 そこで言葉を区切り、

 

「で、実際のトコはどうなのよ。ガ・イ・シ・サ・マ?」

 

 リンの肩が大きく揺れる。いつの間にか、俺とリンの横には、墨目がおり、それだけならまだしも、その背後には武具をズタボロにされた睚眦が、虚ろな瞳で直立していたのだから。これでビビらん輩は、まず居ない。

 墨目に指示し、これまでの経緯を暴露させる。

 淀みなく、つらつらと。目の前に朗読用の文面でも用意してあるかのような。平天大聖が、昨晩に増援を指示した事。大多数の妖怪がこちらへと馳せ参じているのだという事。そして自分は、その中でも特に速い足を持っていたが為に、武勲を独占出来るものだと判断し、捉えた英招に跨り、飛んで来たのだという事。

 

(昨晩って……いつの間に……)

 

 妖術か、能力か、伏兵か。五十万匹、百万の眼と。ほぼ四六時中張り付いていた【メムナイト】。更には蜀の軍師たる諸葛孔明にすら気づかれず―――何にしてもあれの全てを把握出来ていなかった事実を突きつけられ、よくもまぁそんな大物をヤっちゃえたものだと安堵して。

 振り返り、背後を見る。こちらが油断している素振りをしていれば、何かしらのアクションを起こすのでは―――【命取り】によって骸と化した平天大聖が、予想も使い方法で仕掛けてくるかもと踏んで、警戒を続けていた……のだが……。

 

「……動かない、か」

 

 もう、呻き声すらも聞こえない。既に巨大な体を【沼】へと半分以上沈み込ませている、黒く変色した牛が、一頭。後はただ沈むだけのタンカーのように、ゆっくりとその姿を沈下させていっている。

 

「……」

 

 嫌な気分だ。いっそ、とっとと沈んで……視界から消えてくれれば、この鬱憤も晴れてくれるだろうか。

 

「墨目さん。あいつに潰されたりした……リンの……いや……。俺達の仲間の蘇生、お願いします」

 

 墨目が一瞬で視界から消え、はたと気づいた時には、もう遠くの方に駆けていた。

 

「はっや!」

 

 まず疾走など不可能な土地である【沼】など、彼女にとっては全く関係ないようで。軽々と悪路を走破する姿は、思わず見惚れてしまいそう。後数十秒もしない内に、平天大聖の死骸へと辿り着くだろう。

 

 淀んだ空気を入れ替えるように、成すべき事へと意識を向ける事で、気持ちを切り替えた。虚ろな瞳で直立する睚眦を見て、恐らく、この地に留まっている限り、この手の刺客がちょくちょく訪れそうだと嫌な考えが脳裏を過ぎ、眉間に皺が寄った。

 残りマナは4、カード枚数は3。体力的には水面に口を出す魚状態だが、最低限の維持をしてくれる腕輪で、沈没は免れている。便利なものだ。非常に助かります。

 カード枚数なり残りのマナなり体力なり。色々な残量がそれだけあれば、巨大クリーチャーの一体くらいなら呼び出せるだろう。

 

「……ツクモ」

 

 と、腕の中から、恨みがましくも愛くるしい声が。走り去る墨目から声の主であるリンへと顔を動かせば、そこには我慢ならない。と、おかんむりなネズミの少女。

 ……はて。一体何があったのだろうか。理由は全く思い当たらないのだが、少なくとも、不機嫌であるのは間違いない。

 

「ど、どうした?」

 

 これ以上話を進めたくなかったが、そうもいくまい。

 剥き出しの地雷源に自ら足を突っ込む心境を味わいながら、恐る恐る尋ねてみれば。

 

「―――君は、あの方になんて格好をさせているんだ!」

「びっ!」

 

 力も弱く、腰が入っていないとはいえ、それでもリンは妖怪だ。同じ体格の人間と比べれば、まぁまぁに腕力はあるのです。

 それが、こちらの頬を目掛けて平手を繰り出した。

 音がない。力の全てが打撃力へと変換されてしまい、俺の首を強制的に真横へと動かした。赤みは引いたとはいえ、数刻前に散々頬を張られた身としては、軽く触られるだけでも痛いというのに。

 ……まぁ、月の軍神様の時と比べれば、大砲(120mm榴弾)と拳銃(ゴム弾)ほどに差はあったけれど、それでも、痛いもんは痛い。

 よって。

 

 ―――ぷちっ

 

「理不尽だ! あれは彼女のデフォだデフォ! 俺の趣味じゃねぇ!」

 

 体力の限界も何のその。理不尽には理不尽で応えるべし。特にこれが、苛めがいのある相手ならば、尚の事。

 失ったものが戻りつつある現状に心が軽くなって来たので、沈みつつあった気持ちを明るめに定めた。

 リンを支えていた片方の腕を外し、アイアンクロー宜しく、その小さな口を覆い隠すように、両の頬を摘む。むにゅー、と少女の口がひょっとこのようになり、それにも構わずリンが言葉を口にしようとするものだから、むーむーと唸る音としか判別出来ない状況に。

 可愛いものだ。写メかデジカメはないものか。まぁそんな文明の利器などあるわきゃ無いので、脳内フォルダに四枚ほど保存しておこう。動画込みで。

 

「―――っぷはっ! だとしても、もうちょっと気を利かせてくれてもいいじゃないか!」

 

 がんばってこちらの腕を振り払い、話を切り出す。元々、今の俺の体力なんて、あってないようなものだ。こちらの魔手を振り解くのは、とても簡単だっただろう。

 

「って、待て! 暴れんな! 触れ合ってないと墨目さん還っちまう!」

 

 ビクリ。こちらの言葉に反応し、リンがその動きを止めた。

 その言葉は確定ではないが、半ば確信に近いものとして、自分の中では定めている。脳裏に走った情報では、接触中の全コスト(能力含む)は無制限というもの。使用する際や維持費の体力は持っていかれるけれど、完全フリーな使い放題、やり放題。

 単発系の呪文なら全く気にする事はなさそうだけれど、これが継続効果の発生する……今で言うならクリーチャーの維持とかならば、今までの制限掛かりまくった経験が鎌首をもたげて思考にかかる。失敗フラグ、ノーサンキュー。

 

「……えっ?」

「だから、今はそういう状態なのよ。……こっちの力にも色々制限があってな。その内、お前に触れてる事で出来る事が判明しましたので、それを実行中な訳なのです」

 

 こうして言葉にしてみると、胡散臭さ甚だしい台詞だ。俺ならまず信じないが、ここはどうにかして受け入れてもらわなければ。

 

「あぁ、言っとくけど、お前の命を吸って~、だとか。そういった害は無いぞ?」

「……どういう理屈かは知らないけれど、別に良いさ。害があろうと無かろうと、この身が役に立つのなら」

 

 そう言って、リンは覚悟の篭る悲しげな表情を作る。えぇい、暗いなコンチクショウめ。それを見たくないから、この一件に加担したってのに。

 グリグリと、小さな頭を撫でる。不二家のペ○ちゃん人形の如く、頭も動いております。

 

「い、痛いよ」

「知らん。我慢なさい」

 

 

 

 強引に撫で回す。リンの肩で気絶している小ネズミが落ちそうになるのを、完全にリンの腕の中に落としてしまう事で解決。小突いて落としたのを慌てた様子でキャッチする少女に、軽く笑う。

 

「ちょっと時間は掛かるが、今、墨目さんがお前の仲間を蘇生しに行ってる。それが終わり次第、こっから離れるぞ」

 

 怖いしな。と本音の弱音を付け足して、【メムナイト】に抱えてもらうよう指示を送る。自分の足が動けば言う事はないのだが。では一体、この脱力し切った……スタミナ切れを起こしかけている体を、どうすれば短時間で稼動させられるものかと考えた。

 

 

 

 ―――その、矢先。

 

 

 

『偽者です』

 端的に届く、墨目の連絡。

 勢いよく振り返れば、豆粒程度の獣人が、元来た悪路を逆走している。

 

 

 

 ―――あの平天大聖が、ただただ朽ちていくだけ。など、どうして考えられようか。

 不安要素は極力削除。死体があれば、形を残さずデストロイ。お焚き上げか、粉微塵が好ましい。ゾンビやエイリアンに準ずるホラー映画のフラグは、塵芥と化すのがアンパイである。

 

 しかし今回は、それを行う前に二転三転する状況に対応するのが精一杯であり、いざそれを成せる時間を得た時には、【鬼の下僕、墨目】の能力が判明した後。

 プレイヤー兼クリーチャーであるここでは、死体となった平天大聖であっても、効果を発揮する。肉片となった睚眦が、こうして五体健全となり、無駄とも思える護衛に徹しているのが何よりの証拠だろう。死体に鞭打つ、をなお上回る行為にはなっただろうが、それは形が残っていて初めて出来る事。

 それに、目と鼻の先……とまではいかずとも、あんな馬鹿でかい孤島に異変が起これば、気づかない筈がない。もし襲われるとしても、すぐにコンボなり【シナジー】なりをお見舞いする算段はあった。

 だが、どうだ。

 

(やっぱお前だよなぁ!)

 

 重圧。陸地から深海へと叩き落された感覚に似て、全身を襲う空気圧。周囲の砂地は四方へと飛散し始め……それはまるで、俺達を中心に砂漠が逃げて行くかのような光景であった。

 その空間ごと閉ざされてしまうのではと錯覚させる状況に、一瞬で周りを確認し、

 

「ッ、ですよねー!!」

 

 残る視界。蜃気楼の如くぼやけ始めた上空を、確信を以って、仰ぎ見た。

 子供の頃。空が落ちてくると思い、震えていた過去を思い出す。今の映像は、まさにそれ。途方もない大きさの何かが、辺りの空気を押しのけ、あるいは押し潰しながら、自由落下を開始していた。

 

「なっ!?」

 

 釣られて上を見たリンが、驚きの声と共に、硬直してしまっている。それはそうだ。段々と輪郭を顕わにする幻影の色は、白。ロードローラーだ! どころではない。巨大タンカーだ! レベルのぼやけた何かが、あまりの大きさ故にゆっくりとすら思える速度で、こちらを二次元の生物に変えようと迫って来ていた。

 

(……コロニー落としっぽい)

 

 散々常識外れを目の当たりにして来たというのに、まだまだ世界は驚きで満ち満ちているようで。舞い上がる砂塵に目を細め、そろそろこちらに到達する墨目の必死さに、心が暖かくなる。我ながら、何とも卑屈な性根だ、とも思いながら。

 何かをしなければ。でも、何をすれば。

 そんな目線を向けるリンの肩に、ポンと手を乗せて。

 

「―――任せとけ」

 

 これで、三度目。けれど、今までで一番滑らかに出て来た、責任の言葉。

 知略を巡らせるでもない。感情を読み解くでもない。運という幻影に挑みかかるでもない。

 

「邪魔だよな。あれ」

 

 視線を、上空から落下するものへと向けた。ポカンと呆けるリンの表情が、堪らなく愉快な気分にさせてくてれる。

 だって。

 

(カード三枚だけ? マナが4しかない? ……余裕!!)

 

 ただ、あれをどうにかすれば良いだけなのだから。

 くたくたな体に、喜びと興奮の入り混じった熱が入るのと、ほぼ同時。

 

 

 

 ―――横殴りの暴風。万雷の嵐もかくやな爆音。視界を埋める閃光。それらが混在する現象で五感を消し去られる直前。

 

 

 

≪ぐっ―――ッ!?≫

 

 光学迷彩完備のメテオと化していた平天大聖の巨大な体が、強制的に真横へとずれ込んだ。

 ものが宙に浮いているので、動かしやすいは動かしやすい。しかし、それを成すには一体どれだけのエネルギーが必要になるだろうか。幻影に着弾する幾筋もの雷光に眼を焼かれながらも、直撃コースから遠ざかりつつある妖怪に対して。

 

 

 

 

 

「………………あれ?」

 

 

 

 

 

 ……まだ、何もやっていないのだが。

 盛大に空回ったやる気……振り上げた拳の降ろしどころを見失い。

 

「凄い! 凄いよツクモ!」

 

 壮絶に勘違いされているリンと、いつの間にかこちらに辿り着いた―――眼を丸くし、より一層の恍惚とした羨望を向ける【鬼の下僕、墨目】の表情のダブルパンチに対して、どう弁明をすべきか悩むしかないのだった。

 

 

「―――お久しゅう御座います。あの時以来ですかな」

 

 温和な声。閃光の発生源と思われる上空から響くのは、つい最近、一時の間であったけれど耳にした……とてもよく耳に馴染む中年の男のもの。

 

「ヴェラ……ッ!」

 

 憎々しく吐き掛けるリンに肩を竦める異国の商人は、あの時は全く異なる衣装……神々の纏うそれとしか思えぬ風格と共に、未知の力で浮かぶ戦車……チャリオットのようなものに乗って、降下して来た。

 彼の背後には、神聖の群……否、軍。妖怪の群れに負けず劣らず、多種多様な神聖を纏う者達が、天を埋め始めていた。

 今度こそ【沼】へと没する平天大聖は、完全に下半身を黒に沈没させ、辛うじて上半身を覗かせる。一度目以上の泥津波は、どういう理屈か、何かに遮られるように二又に分かれ、その威力を喪失させていた。

 

 

 


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