東方ギャザリング   作:roisin

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53 若返り

 

 

 

 

 

 

 日も傾き始めて、しばらくしたら、西日が厳しくなるだろう。

 湿気がない為、纏わり付く暑さでないのは助かるが、それもこの気温を前にしては、慰め程度の事実。身を焦がす暴力には抗えない。

 

 ―――しくしく。しくしく。

 

 だというのに、それも気にならないのはどういう心境か。

 表面だけをソテーされ、中はしっとりのレア肉にでもなったような気分だ。

 離れていても分かる程に炊かれた香のせいか、線香に甘い成分を付けたし、それを十倍くらいに濃くした……目の前の事実から目を背ける為に香る煙は、部屋の窓から、薄く、長く、外にまで立ち上っていた。

 

 ウィリクが治める国の、ウィリクが住まう城。そういえば国名は聞いていなかったなと、どうでもいい感想を思いながら、初めて彼女と出会った時と同じような格好で、窓枠……ではなく、部屋の上部に換気と明り取り用に作られた小窓から、室内を見下ろしていた。

 城の最上部。屋根の上の一角。焼けるような石屋根に、それを気にする風もなく寝そべる英招と、全身の力が抜け切った状態で放心するリン。

 そんな彼女は、膝を崩し、肩を落とし、頭を下げて、無表情を貫いている。咄嗟に中へと駆け出さなかったのは、あまりのショックでそれすらも出来なかった為であろう。

 掛ける言葉がない。体に触れる事すら躊躇われる。例え、それに対する解決方法を持っていても。

 足の下では、幾人もの煌びやかに着飾った者達が、大きな一つのベッドを二重、三重に囲み、涙を流していた。

 大声を上げる者。静々と涙を流す者。

 けれどそれも……それでも、分かってしまう程に、それらは偽りの仮面であるのが見て取れた。

 反吐が出る、とはこの事か。思わずこのまま城ごと押し潰してしまいたくなる衝動に駆られてしまうけれど、それも今は耐えなければ。

【鬼の下僕、墨目】に、平天大聖が殺したネズミ達の蘇生を指示しているが、その数は膨大だ。今しばらく時間は掛かるだろう。しかし、それが終わればすぐに、こちらへとやってきてもらわなければならなくなった。

 

「……英招さん。墨目……ネズミの獣人の用が済んだら、すぐこちらに連れて来ていただけますか」

 

 のそりと起き上がった神獣の姿は、次の瞬間には消えていた。

 突風が、後を追うように吹き抜ける。肌を焼く熱線が少し和らいだ気がした。

 

「……」

 

 このままでい続けるのは拙いか。

 何処か自分を客観的に見ながら、諏訪の外套を外し、リンの頭部へと被せる。……が、反応は無い。

 それでも、やらないよりは良い筈だ。そんな願望を胸に秘めながら、肌を焼く太陽に目を向ける。

 城の上部へと目を向ける者などは居ないだろうが、仮に目を向けたとしても、元々白い城であったので、白い外套であれば、良いカモフラージュにもなるだろう。見つかっても困る訳ではないけれど、今は、そっとしてほしい。

 微動だにしない少女に、普段なら気まずさを覚えていただろうが、リン程ではないにしろ、俺も彼女と似たような心境に陥っていた。

 いつも通りの振る舞い……普段の“俺”に戻るには、今しばらく時間が掛かる。

 どかりと小窓付近に腰を据え、室内からしくしくと響く喜びに耳を穢されながら、目を瞑る。

 遥か遠方とはいえ、神魔が争い合っていた事など、夢のよう。ならばこの事実も、もしかしたら次の瞬間には露と消える幻なのではないか。

 ……現実逃避は好きだが、それが逃げ切れぬものだと分かっていてもし続けるのは、馬鹿馬鹿しく、虚しいだけだと思い知る。それでも思わずには居られないのは、生き物だからか、心が弱いからか。

 

 ―――ウィリクが、死んでいた。

 

 小窓から覗くベッドには、安らかにとは言い難い……心残りが読み取れる寝顔を浮かべた女性が一人。

 大地を焦がす熱量も、今この時、沈み、冷め切った心には有り難いものなのかもしれないと思った。

 ずっと握り続けている少女の小さな手が、やけに……冷たい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここを飛び去った時に見た星空は、今も変わらず、この頭上に輝いていた。

 吹く風は肌寒く、焼け付いた土屋根の熱が今は暖房効果を発揮中。設置面をやや多めにして熱を吸収しながら、寒さから逃れるように身を縮めた。

 ウィリクが眠る部屋には誰も居らず、周囲を蝋燭のような火種が幾つか囲む程度。数刻前まで悲壮を演じていた者達は、今頃、転がり込んだ幸福の簒奪に、目を輝かせながら取り掛かっているのだろう。

【ハルマゲドン】を使った方角へと目を凝らす。

 そちらからは何の違和感も感じ取れない事に、あれだけの大規模な破壊を行っても、離れてしまえばこの程度のものなのかと、世界の大きさと、自分の小ささを感じていると。

 

「……おかえり。どうもありがとう」

「ありがとうございます」

 

 リンと俺の労いの言葉に、コクリと頷くのは【鬼の下僕、墨目】。

 身軽なものだ。殆ど取っ掛かりの無い城の上部であっても、木登りをする猿のような軽快さでこちらの横に並び立つ墨目の両手には、人間大の布の塊が抱えられていた。両の手が塞がっているというのに、素晴らしい機動性である。

 日が沈み切ったと同時、呆然としながらも意識を戻したリンは、ウィリクに対する蘇生を言葉小さく、けれど捻り出す様な口調で懇願した。

 断る理由など皆無であったのだが、それでも、問題が無い訳ではなかった。

 それが、ウィリクの死因。早い話が、老衰だ。

 こちらが出来る事は、魂を現世に固着させる事と、肉体を回復させる事。……そこに、老化の防止は含まれてはいない。

 

 ―――と、黒い影がリンの肩を登る。

 どういう訳か、【鬼の下僕、墨目】の【忍術】によるコストに用いた投擲ネズミ様は、俺達に同行し続けている。

 好奇心旺盛で、ややおっちょこちょい。短い付き合いだが、そんな印象を受ける。

 移動中、英招の体の上を走り回り、彼が嫌そうにしていたのだったか。何度か墜ちかけていたけれど。

 そんな小さな冒険者は、口に小さな布袋を咥えている。小さいといっても、それは俺からしてみれば。であって、コイツにしてみれば、等身大のものを運んでいるような大きさだ。

 墨目を消す訳にもいかず、けれど城の内部に忘れ物があるとの事だったので、リンがこいつに回収を命じて、こうして無事帰還したのだった。

 それが何かは知りたかったけれど、自分から言う気はないようで、ならば無理に聞くものでもないかとスルーしている。

 チュウチュウと鳴き、リンに情報を伝えているのは理解出来るのだが、それが何かまでは分からない。

 

「どう、だった?」

「無事に。……簡単なものだね。誰もが皆、これから訪れるだろう幸福に目を輝かせていたよ。警備なんて、有って無いも同然だった……そうだ」

 

 表情の変化は読み取れないが、心なしか自慢そうな態度の小ネズミが目に入る。

 幾ら小さい侵入者だとはいえ、どれだけ警戒がザルだったのかを感じ取った。

 

「……滑稽だ。お母様が一生懸命に周辺国との軋轢を生まない様に、豊か過ぎもせず、貧困に喘ぐ訳でもない綱渡りの政策を続けて来たというのに。これで、今こちらに戻りつつある……壊滅した軍隊を見たら、何と言うのかな。自衛に徹するならそうも問題は起こらないだろうけど、豊国を求めたが最後……あぁ、いや。まさに最後になるだろうね。この国の民は、贅沢を知ってしまったから。決して短くない間、彼らを見続けてきたけれど、自制は適わないだろう」

 

 感謝と共に、小ネズミの咥えていた小袋を受け取り、それを懐へと仕舞い込む。

 顔を動かし、夜景となった町並みを見下ろし……見下しながら。

 

「―――守る力も無い状態で、貪欲に利だけを求め続ければどうなるか。……尤も、それでなくても今まで財を溜め込んできたんだ。これから否応なく、同族の欲望を味わう事になるだろうさ」

 

 一応は、俺も人間。それらの危険性や業の深さは、簡単に思い浮かべる事が出来た。背筋の凍る言葉である。

 

「……おー怖い怖い。こちらの小さなネズミ妖怪様は、他人の不幸がお好きなようだ」

「何言ってるのさ。そういうのは人間の独壇場。彼らに勝てる種族なんて居やしないよ。僕達が原因みたいに言わないでほしいね。……元々彼らが持っていたものだ。それを抱いたまま溺死するだけなんだから、何も怖いところなんて無いじゃないか」

 

 何も言い返せないし、言い返す気もない。それだけが全てな人間ではないけれど、リンの言った事は、実にその通りだと思えたから。

 にんまり笑う姿に、釣られるような自嘲の顔を浮かべた。

 

「ははっ、そりゃそうか。これは失礼致しました」

「うむ。分かってもらえて嬉しいよ」

 

 一体何のやり取りなんだか。

 芝居がかった態度を改め、ほぼ座りっぱなしであった屋根から腰を上げる。

 尻の辺りがむずむずする。やはりというか当然というか、結構長く座っていたので、色々と固まってしまっていた。

 座り込むリンを引っ張り上げる形で、手を取り、自分の腕に力を込め、立たせる。

 軽い。当人が立つ意思があるからなのだろうが、然したる抵抗もなく、少女は軽やかに立ち上がった。

 

「……じゃ、行くか」

 

 声は無い。コクリと頷くリンと、荷物を抱えながらその横に並び立つ墨目。いつの間にか、小ネズミもリンの肩に乗っていた。

 二人の奥で厳かに佇む英招に、それぞれがよじ登り、あるいは飛んで、騎乗する。

 

「墨目さん、落とさないで下さいね」

 

『御意』、と。短い返答であったが、力強い意思を感じる念話であった。

 全員がしっかりと乗り込んだのを確認し、英招が宙に浮き、空をひと蹴り。

 能力か、妖術か。殆ど重圧を感じない加速度に違和感を覚えながらも、瞬く間に視界から消え去っていくウィリクの国……であった場所は、もう、光の粒の集合体にか見えない。流石にひと翔けで国五つ分、というのは誇張であったようだが、この分なら、数分以内には目的地に着く筈だ。

 落とさないよう、全く姿勢を崩さずに居る墨目が大事に抱えるそれは、一つの亡骸。王女、ウィリクの遺体。

 この国の……城中が確実に混乱はするだろうが、構うものか。リンも居ない。ウィリクも居なくなった場所など、知った事ではない。

 目指すは、地下。ネズミ達が暮らしているという、ダン・ダン塚と呼ばれる地帯。

 月明かりに浮かび上がる、目まぐるしく変わる夜景を漠然と眺めながら、無言の時間はしばらく続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネズミ達が住む塚……国というからには、暗かったり、狭かったり、湿っぽかったりと、人間が住まう条件とは対極の環境なのだとは思っていたのだが、思っていたよりは悪くない。

 砂漠地帯の一角。岩の群れ。そこに、日光から隠れるようにぽっかりと空いた穴は、大体七~八メートル四方の中々大きなもの。スライムやらミノタウロスやらが出て来ても何ら可笑しくないダンジョン具合。

 場所が場所のせいか、英招さんはお留守番。中に入るのは極力避けたいとの事。潔癖症かと思いもしたが、本心はどうあれ、その辺は神様だからと思うことにして、納得する事にした。

 日も暮れ、辺りの気温が下がり過ぎている為か、中は生暖かい空気で満たされていた。これが昼間であれば、きっと冷たく感じるのだろう。

 お世辞にも臭いが宜しくない事だけが難点か。まぁずっと居る訳ではないのだ。他人の家に来ていてあれだが、用事が終わったらとっとと離れる事にしよう。

 

「滑るから気をつけて。……と、ツクモだけなら助言しようとしたんだけれど、それも必要無さそうだね」

 

 カツカツと、硬質の清んだ音が洞窟内に木霊する。岩石と金属の奏でる音楽は一定のリズムで鳴り続く。しばらく終わる事はないだろう。

 というのも、リン、墨目、俺の三人は、【メムナイト】の上。入り口付近で待機していたメムさんに乗り……乗せられ中なのである。

【今田家の猟犬、勇丸】の1マナ。【鬼の下僕、墨目】の6マナ。今も腕で淡く輝く、月で貰った腕輪が無ければ、とっくの昔に気絶していた筈だ。

 熱いと温いの境目の微妙なむず痒さを手首に覚えながら、喋るだけのお人形になったように、最後の一線……の三歩くらい手前で、何とか意識を保ち続けていた。

 という事で、極力消費を減らす為、リンに預けた―――彼女が懐に入れていた【アーティファクト】、【弱者の石】は既に消してある。【アーティファクト】が他より消費が少なく、更には1マナであるとはいえ、それでも気になるもんは気になるのだ。

 半分以上リンに体を任せているプチ介護人状態であり、今後に危険が無さそうな事も相まって、今更ながら羞恥心が襲い掛かる。

 ただ、疲労に勝る感情ではなかったようで、心の中で『あ~……ハズい……』と呟く程度の域に収まっていた。それが少し、ありがたい。

 ウィリクを抱える墨目は、最低限の注意を周囲に払いつつ、同胞の歓迎に微笑みで応えていた。意外な一面を見れた気がする。

 

 と。

 狭い……【メムナイト】からしてみれば何とか通れる洞窟内を進み続けて行く内に、しわぶきにも似た鳴き声が耳に入り始めた。

 何の事は無い。ここはネズミ達の住処。住人が現れたからといって、何を驚く必要があるものか。

 

(……なんて考えていた時が、数分前までありました)

 

 ようは、程度の問題。具体的には、数である。

 二、三匹なら可愛いもので、十、二十ならば賑やかに。けれど、それがどう見……えはしないので、どう聞いても百は超えているネズミ達の大合唱を前にして、げんなりするしかなかった。

 数日間、彼らと一緒に過ごしていたので恐怖とならなかった事は、経験値でも稼げていて、レベルアップなんぞ果たしていたのかもしれない。

 

 

 

 思い出したように月光が差し込み照らす洞窟を進み始め、どれくらいの時間が経ったのか。とうとう、視界の奥に光を見つけた。

 生気の抜けた瞳の龍人、睚眦の姿も見える。どうやらあそこが目的地のようだ。

【メムナイト】が辿り着く。そこは、今までの道程が嘘のような……ダンジョンから神殿に迷い込んだような場違いさであった。

 直径、大体五十メートルくらいか。円柱状に開けた空間には、さっきまでの篭った空気はない。どうやら、常に新鮮な空気が入り込んでいるらしい。肌に冷たい風を感じる。

 四、五階建て分はあるんじゃないかと思える高さの天井から降り注ぐ月光と星の光。それらに照らされ、周囲の壁やら地面やらに生息している苔が淡く光っていた。

 特に何がある訳でもないが、この中央に神などが居ても、全くの違和感を覚えないだろう。

 きっとここは、彼らネズミ達にとって神聖な場所なのだ。それが証拠に、今までこちらの足元ではやし立てる様に騒いでいた彼らは、この場所には一歩足りとも入っては来なかった。

 

「ここが、彼らの住処の中で最も清潔な場所だよ。これ以上となると、地上に求めるしかないかな」

「充分じゃないか? 俺は何とも思わないぞ?」

「君の大雑把な感性じゃあ、お母様には当て嵌められないよ」

「うわひでぇ。一切否定出来ないところとか、特に」

「……それはどっちが酷いんだい?」

 

 俺が酷いのか、リンが酷いのか

 どっちでもいいかと―――俺が酷いのなら良くはないのだが―――曖昧な返答で濁し、【メムナイト】の上から降り立った。

 リンに支えてもらいながら足を着けた地面は、滑るような事もなく、しっかりと摩擦が存在している事を伝えてくれる。

 並び立つ睚眦に、俺もリンも複雑な心境になるが、仮にも今は護衛としてやっているのだ。心を砕く事こそ行わないにしろ、嫌悪しすぎるというのも宜しくはないだろう。

 中央よりやや離れた場所に陣取り、墨目に、ウィリクを置くよう指示を出す。

 

「ツクモ……」

 

 不安気に揺れる瞳に、ぽんぽんと頭を二度叩く。耳と毛の感触が心地良い。

 大なり小なりの円柱の空間に空いた穴から、無数のネズミ達が顔を覗かせ、見つめている。入る気はないようだが、立ち去る気はもっと無いようだ。それが証拠に、後数分もすれば、隙間という隙間は彼ら、小さな命達で埋め尽くされる事だろう。

 月光の白と、苔の緑と、瞳の赤が混ざり合う空間に、深呼吸を一つ。

 体力的にはダルい事この上ないのだが、これから行う事を考えるに、座ったままでは誠意に欠ける。

【濃霧】【お粗末】【沼】【暴露】【死の門の悪魔】【命取り】【鬼の下僕、墨目】【ハルマゲドン】。今回用いたカードは、これが全て。それ以外は以前より出現させていたものなので、今回のカウントからは除外。

 それも後数時間で全回復するだろうが、現状では、マナは全て使い切ってしまっていた。けれど、カード枚数は、残り二枚、使用可能。【暴露】に類似した【ピッチスペル】なり、ゼロマナのカードなりを行使する余裕は残っている。

 

 

 

 ―――これから使うのは、ゼロマナのカード。

 過去用いたノーコストカードは、【土地】という特殊なタイプを除外すれば、【羽ばたき飛行機械】と【メムナイト】だけであったか。

 それらの類似点は、【アーティファクト】であるという事。今回用いるものも、それに部類される。

 

(ちゃんと大きさを把握してる訳じゃねぇが、そうもデカくはなかった……よな)

 

 狙い目は、広場の中央。

 憶測の効果範囲内には、誰も居ない。

 

「―――召喚、【若返りの泉】」

 

 あらゆる生命の目指すものの一つ。誰もが一度は望み、そして諦めた願望を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『若返りの泉』

 ゼロマナの【アーティファクト】

 2マナを支払い【タップ】する事で、所持者のライフを1、回復する。

 

 ノーコストで召喚可能な為、序盤のテンポを失わずに出せるのは中々の利点。後半で余りがちになるマナを活かし、長期戦向けのデッキに組み込まれる……場合もある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは意外にも、こじんまりとしたものだった。

 五メートルには届かないだろう幅の円形の縁に並々と湛えられた清水。その中央には白亜の獅子が、口から滾々と吐き出していた。

 水が水を叩く音が絶えず聞こえるようになり、子供の頃に遊んだ噴水のある公園を思い出す。

 

「墨目さん、お願いします」

 

 横を通り抜け、手に持つ人間大の布を、静かに泉へと沈める。

 大人の膝をやや超えようかという水深に完全に没する形となり……道中、決して見ようとしなかった亡骸が顕わとなった。

 水の影響で、花が咲くようにシルクに包まれた遺体が露出。その表情には当然ながら、数刻前に見た頃と変化はない。

 それをまじまじと観察する間もなく、墨目は眼を閉じ、祈るような仕草を取る。

 

 

 

 しかし、それも然したる時間は掛からなかった。

 ―――固唾を呑んで見守る中、物言わぬ抜け殻と化した老婆の目が、薄っすらと見開かれたのだから。

 

 

 声にならない声を噛み殺すように、口元に両手を当て、叫び出したい衝動を懸命に堪えるリンを横目に、事態の成り行きを手に汗握りながら見続ける。

 ただ、人は息を吸わねば生きてはいられない

 まどろみから懸命に意識を戻し、水を掻き分け上半身を起こすウィリクは、何が起こったのかと状況を判断するよりも、肺に一生懸命空気を取り込む事に尽力していた。

 もう、耐える必要は無い。感極り駆け出すリンに、

 

「あ」

 

 俺の口から、そんな言葉が零れる。やれやれという風な表情を浮かべながら霞んでいく墨目に、『このお礼はいつか』と、ジェイスに続く二人目の恩人に謝罪と感謝の意を述べた。どうやら、召喚は元より、維持中であっても接触していなければならないという懸念は正しかったようだ。

 

 送還ギリギリに意思疎通を食い込ませた形となったが、しっかりと届いてくれただろうか。特に墨目はリンに対して、俺以上に気に掛けていた節がある。不安な思いはさせたくない。

 しかしながら、ジェイス……【プレインズウォーカー】と比較すれば、二度目のご対面はすぐに訪れるだろう。

 脳裏に叩き込まれたスキル説明には一度目以降の召喚は禁止されていなかった筈なので、色々と回復した……日が明けた頃に、もう一度招くとして。

 

「お母様っ! お母様っ! ―――お母様ッ!」

 

 応える声すら上がらずに、ただただ娘の抱擁を困惑と共に受け続けるウィリクであったが、ふわりとその頭部を撫でる手は、しっかりとしたものだった。

 全身びしょ濡れどころか、今も沐浴中な状態ではあったが、それを気にするリンでもウィリクでもないようだった。

 

「……って、あ、それヤバいか!? リンさん離れて! 特に液体に触れないように!」

 

 もし。の可能性を考慮して、即座に声を飛ばす。

 一応は届いたようだが、二人がその体を離すまでには、やや時間が掛かった。

 名残惜しげに距離を置く両名に変化の見られない事を確認し、ふぅと一息。とりあえずは問題ないようだ。

 

 

「……あなた、は」

「はい。お久しぶりです、ウィリク様」

 

 視線の定まらない時間が続くが、彼女の境遇を考えれば仕方のない事だろう。現状を飲み込むのにも、しばらくの時間が掛かる筈だ。

 リンや俺だけならばそうも問題ないだろうが、周りには龍人の睚眦やら、壁面から覗く無数の赤い眼光だったりとかいった恐怖がオンパレードなのだから。

 

 

 

 ウィリクの元へ近寄り、これまでの流れを大雑把、かつ簡潔に話す。

 平天大聖を下した事、国の軍隊をほぼ不殺で壊滅に追い込んだ事、神様相手に恩を一つ売った事。

 そして。

 

「……そう、ですか」

 

 怒り……は見受けられない。

 悔しさと悲しさと。辛うじて喜びを示しているのは、リンが目の前にいる為か。……リンが居なければ、静かに泣き崩れてしまうような印象であった。

 

「こんなお婆ちゃんの為にそこまでしてもらって……。……けれど、ご免なさい。……私は……ご期待に応えられそうにないわ」

 

 そう言って、自らの手をマジマジと見つめる。

 細く、やや歪に曲った骨と皮は、彼女のこれまでの歩みを―――どれだけ生き長らえてきたのかを宿している。

 自虐的な笑みに、リンが今にも泣き出しそうな顔を浮かべた。

 理由は分かる。こちらとしても、それが最もな懸念材料だったのだから。―――だからこそ、それを対処する方法なくしくて、安直に希望を奪い去るような事などしてたまるものか。

 

「ご懸念は充分に。ですので、それ無くしてウィリク様を起こす真似はしないよう、こうして水に浸かって頂いている訳でして。……思ったよりは効果を発揮するまでに時間を要するようですが」

 

 ウィリクの細部を見ながら、効果が現れてくれて良かったと、内心で胸を撫で下ろす。

 どうやらこの泉、生きている状態でなければ効果を発揮しないらしく、それもすぐさま。とは、いかないようだ。

 

「……? それは、どういう―――」

「こういう事さ、お母様」

 

 楽しそうに母の手を握り、再び視界に収まるよう、掲げる。

 疑問に思いながらも再度自身の手を見るウィリクであったが、毛が生えてきたでも、白く輝きを放つようになった訳でもない、何十年と共に過ごして来た体の一部が映るのみで、リンの意図するところが読み取れずに居た。

 

「よく、見て」

 

 優しく諭す口調に従う形で、ウィリクはしばし、自らの枯れ枝の如き手を見続け―――。

 

「―――まぁ」

 

 呆けるように、一言。

 その声色には、一日千秋の思いに似た熱が篭っていた。

 

「……まさか」

 

 驚きを隠す素振りもせずに、こちらへと顔を向け、ウィリクが尋ねて来た。

 

「はい。お考えになっている通りかと」

 

 変化は些細なものではあるけれど、何が起こるのかを予想出来ていれば、目を凝らすべき場所は自ずと限られてくるもの。

 泉に浸り、これで何分くらい経ったのかは覚えていないが、砂漠に染み入る雨の如く、乾いた肌が段々と潤いを持ってゆくのが分かる。

 

「神様を味方に付けた……。というお話は、本当のようですね」

 

 どっちかといえば脅した……少しニュアンスが違う気もするが、まぁいいか。今はそれよりもやりたい……聞いておかなければならない事がある。

 唾を飲み込む。液体である筈なのに、飴玉でも放り込んだような硬さを覚えた。

 リンもこちらと同様、喉を鳴らし、息を呑むのが伝わって来る。自分だけではないのだという仲間意識に救われながら、よし。と内心で活を入れ、切り出した。

 今後はどうするか。

 最もリンが重要視する案件を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶへぇー……」

 

 もう、取り繕う必要もないか。

 勝手な自己判断の末の回答は、全身の弛緩。【鬼の下僕、墨目】を還したとはいえ、疲労の回復には今しばらくの時間が掛かるようだ。

 

「ご免なさいね。年寄りの長話に付き合せてしまって」

 

 困り半分、申し訳なさ半分の口調で言うウィリクであったが、俺が緊張していた面はそこではないので、要らぬ心配である。

 ……というか、だ。

 

「ご冗談を。ウィリク様、ご自身のお体をもう一度見ましてから、先の台詞を再び言えるかどうか判断してみると面白いかもしれませんよ?」

 

 もったいぶった言い方での返答に、その意図を察してくれたようで、苦笑という形での反応が来た。

 ウィリクが蘇ってから数十分。彼女は未だ、【若返りの泉】という浴槽に浸かり続けている。

 スローモーションな進展具合ではあったけれど、彼女の体は徐々に若さを取り戻し中。骨と皮であった腕も今では適度に肉付いており、後……一時間位……だろうか。それくらい【若返りの泉】の中で過ごせば、女性の全盛期を取り戻せるだろう若返り具合の進行状況であった。

 

「もう、国を統べる立場でもないただのお婆……いえ、女ですもの。リンや友人に話すようにして下さっても宜しいのよ?」

「その辺りはちょっとご勘弁を。現状ですらとってつけたような丁寧語で恐縮なのですが、何というか、その辺りまで緩める気分にはなれなくて……」

「立場としてならば、私以上……何倍も上の方々をお相手にされて、勇ましくあられたのでしょう? なれば私相手に礼を尽くす必要などないでしょうに」

「勇ましいって……」

 

 輝かしい武勇伝というよりも、力押し一択な面が強かったあれやこれやの行動を鑑みて、スルーすべきか訂正すべきか逡巡。前者を選ぶ事で、事無きを得る、を選ぶ。

 次いでだ。話題も変えて、より、事を無きにしておこう。

 

「じゃあ……国へは戻らず、リンと暮らす。……という方針で良いでしょうか」

 

 コクリと頷くウィリクには、これから訪れる幸福と、積み上げて来たものが崩れ去ってしまった寂しさが窺える。

 女王としてではなく、一人の母親としてだけの生活があったのなら。

 夫を支え、娘を愛し、家庭を築く。ifの可能性を夢見ながら、それは叶わぬ道だと虚しい絵空事に何度かぶりを振った事か。

 傷ついても、老いても、孤独となっても自らに定めた意思を遵守して、命を燃やし尽くした気高き者。

 けれどこうして、究極的な終わりを迎えてしまえば、それらに対して諦めも着くというもの。

 死は絶対、死は不可避、死は終焉。死とはあらゆるものに対する、最たる区切り。

 ……とはいえ、それでも彼女は国に全てを捧げていたのも事実。それをそう易々と、今まで根幹であった気持ちの切り替えなど出来よう筈もない。

 悲しみ半分、幸福半分の、何とも人間らしい……共感の持てる儚げな表情を零しながら、不安と期待の入り混じる愛娘の視線に、微笑を以って応える様に、安堵と、胸を締め付けられるような思いがチクリと刺さる。

 本当ならば、彼女の夫も。……そう言えたのなら、どんなに幸福な事だっただろう。

 

 俺の知る死者蘇生術は、大まかに部類して、三つ。

 

 一つ目。

 俺の墓地……具体的に何処かは知らないが、そこに落ちたカードを使用可能な状態に戻す場合。

 これはカードの力を用いて、墓地から呼び出す【リアニメイト】に該当する。恐らく最も蘇らせやすく、コストも低いだろう方法。

 

 二つ目。

 魂の去った肉体が残っている場合。

 一部でも良いのか、ある程度形が残っていなければ不可能なのかは分からないが、自分の墓地ではなく、相手の墓地に眠るカードも【リアニメイト】するカードも存在する。この場合はコストが高く、制限もあったりと難易度は上がるが、それでも不可能な訳ではない。

 

 そして、三つ目。

 殺めた者が存在している場合。

 これは先に呼び出したクリーチャー【鬼の下僕、墨目】の効果によるもの。これも二つ目同様、死体の有無が何処まで適応されるのか不明瞭ではあるものの、平天大聖に押し潰されたネズミ達を蘇らせる事が出来たのを鑑みるに、殺害対象さえ居れば、【リアニメイト】は難しいものではないだろう。

 

 戦で死んだ、と妻は言う。

 遺体は墓に収められたらしいが、それも数十年前の話。確実に肉は消失している。

 けれども骨ならば、ほぼ完全な形で残っているだろう。それだけあれば、二つ目の方法に該当する可能性が高いのだが。

 

『構いません。―――いずれ、私が夫の元に赴きますので』

 

 息を呑む。とはこの事か。睚眦と【メムナイト】は相変わらずの無表情であったが、リンの反応は、唖然の一言に尽きるものであった。

 若返りの方法と、死を超越する手段は、古今東西、誰もが望み、求めていたものの筈。それを、要らない。と言い切ったも同然の返答であったのだから。

 恐る恐る、それについての真意を問うべく、一体何故かと言葉を投げ掛けた。

 理解は出来るが、納得は出来ない。

 こちらの世界に訪れてからは、死という事柄に接する機会が多かった為か、アニメや映画で死に対する―――死を受け入れるもの―――幾つかの答えを見聞きしていても、それはすぐには受け入れられないものとなっていた。

 だから聞いたのだ。何故なのか、と。

 

『だって、寂しいじゃありませんか』

 

 ―――何を言っているのか理解するのに、何十分も掛かった錯覚に陥った。いや、もしかしたら本当に掛かっていたのかもしれないが、それを確かめる術はなかったので、体感でそれくらいだろうと判断する。

 後に続く者達の為にだとか、死ぬ事で最後の役割を伝えるのだとか、命の尊さを教えるのだとか。

 齢、実に六十五。この時代の平均寿命が五十であるのを考慮すれば、他の者より遥かに長い生を受けて来た。けれどもまだ足りぬ。見るべき視野は広く、味わいたい世界は大きく、求める知識は星の数。それが大多数の……人間としての意見であり、本能から求める生への執着であった筈だ。

 

 けれども。それでも。そんなもの。 

 

 彼女が国の為に粉骨砕身してきた最大の理由が、夫との約束事だという。早い話、愛の力、というやつ……なのだろう。

 顔から火が出る、という体験はしなかった。粛々と、心の底からそう思っているのだと話す彼女に対して、あぁそうなのかという思いが先に立ち、こちらの感情を挟む余裕もない。

 けれど、話が終わり、ゆっくりとウィリクの言葉を加味する時間が訪れれば、それに対しては幾つか思うところがあった。

 特に、リンに対して。

 今でこそ最愛たる母と歩める道が現れたものの、それはいずれ閉ざされるもの。ゆくゆくはやってくるであろう絶望……こと妖怪という種である少女では、確実にその時はやって来る。

 ウィリクに対してではなく、リンにそれを告げる事で、やがて来る不幸を回避出来ないものかと画策した。

 が。

 

『大切な人と別れる辛さは、昨日までずっと味わっていたからね。それを否定して我を通す真似は出来ないよ』

 

 物分りが良過ぎる、という風ではなく、純粋にそう思っての吐露だったのは分かる。

 相手の為を思いに思い、自ら命を捧げる事すら叶わなかったリンにとっては、欲望のままに行動するのを苦痛と感じてしまうのだろう。

 ……まぁ、それを物分りが良い。と定義するかはさて置くとして。

 

(どうにか……ならんもんか……)

 

 理解出来るが納得出来るものではない。を味わいながら、とうとう二十代に差し掛かったであろう肉体を取り戻しつつあるウィリクを見て。

 

「……あ」

 

 女神降臨。

 褐色の肌は水を吸い込んだ衣類が張り付き、そのボディラインを浮かび上がらせている。

 衣類の白と地肌の小麦色、そして濡れた白銀の長髪のコントラストに、水という神秘が合わさって見えるそれは、平均よりは大きめであろう豊かな胸元も相まって、自分が男という種である事を否応無く突きつけられる肉感を宿していた。

 まだ全裸の方が良かった。と思うのは、多分、俺の感性が捻くれているんだろう。

 妄想のレベルが非常に高いお国柄であるせいか、視認した絶景以上を想像してしまうのだから始末に終えない。この所ご無沙汰であるのも合わさって、色々とヤヴァイ感じに陥った。少なくとも、少女と女性一人の前でする態度ではない。

 

「メムさんカモン!!」

 

 それ以上の言葉は不要。戦隊ものの呼び出し兵器並みに動いてくれた【メムナイト】に飛び乗り、一目散に出口を目指すよう指示を飛ばす。

 諏訪……日本に居た頃ではそのような機会は無く、月ではそもそも血液が集るような感覚すらなかった。

 

(永琳さんがものっそ無防備だったんだがなぁ……)

 

 睡魔に負け、自宅の机に突っ伏したまま眠ってる時に見えた項とか。

 ちょいと激しい運動をすると弾む二つの母性とか。

 屈むだけで下着のラインが張り付き浮き出る衣装とか。

 今にして思えば不能になったんじゃ。と思えるイベント目白押しであった筈なのだが、その時々に感じていたものは……何というか、眼福眼福と二度唱えて終わりになる程度の感情しか込み上がらず。

 

(……あれか。それが穢れの無い世界ってヤツなのか)

 

 穢れの大地と呼ばれる地に戻り、分かった。

 然もありなん。月の……蓬莱の国とは、男にとって、全自動で去勢されてしまうに等しい……げに恐ろしき魔境であったようだ。

 まぁ、でなければ、数千万年を暮らす超科学を持つ国の人口が増え続けない訳が無い。月一面を摩天楼が埋め尽くしている方が自然な流れだと考えられる。

 

(……あれ。インフレの進んだ国ってのは出生率が低下するのが通例だった、か?)

 

 もしかしたら他にも理由はあるかもしれないが、それを知る機会は当分無いだろう。

 

「……あら。これはこれは」

「……っ! おっ、お母様!」

 

 既に出口への逆走を開始し、坑道へと入ってしまった背後で少女と女性の声が聞こえた。

 場合によってはリンの殴打が飛んでくるかもしれなかったけれど、こうして距離を取ってしまえば、どうやら鉄拳制裁ルートへの突入は無事に回避出来たようだ。

 

(まぁ、仮に近くに居ても避けますがね!)

 

 言い訳する気はないが、無抵抗で居る気もない。これは事故というヤツだ。……ラッキースケベとも言うかもしれないが。

 来た時の倍以上の速度で狭い洞窟を疾走する【メムナイト】に、頼もしさと、変則的なジェットコースターにでも乗っている恐怖を抱きながら。速さもそうだが、何より小さな住人達を踏まないように。と指示を出しつつ、神獣の英招が待機しているであろう出口を目指した。

 

 

 

 ―――そこに、待ち構えている者が居るとも知らずに。

 

 

 


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