東方ギャザリング   作:roisin

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56 温泉にて《前編》

 

 

 

 

 

 一日の疲れを落とすのには、睡眠は勿論として、やはり湯に浸かるのが一番ではないだろうか。

 諏訪子さんの秘湯よりは……まろやかさ? が足りない気はするけれど、高めの湯温は肌寒い外気も相まって、これはこれで気持ちの良いもんだ。

 頭上に輝く満天の星空と、太陽かと見違えそうな月の光。それらを時折覆い隠す湯煙が、より一層の風情を演出している気がする。

 

「んーっ! ……はぁ~……」

 

 蕩け切ったお顔のネズミの少女はご満悦。

 他の顔ぶれも見渡してみても、その表情には満足の文字が読み取れる。

 

「湯浴みは幾度かしましたが、壁も天幕も……夜の帳の中で。というのはこれまで一度もなかった……かしら。……ん……。ツクモさんの、故郷の……でしたか。趣きがあって宜しいですね」

 

 背にした岩場からお値段高そうな白い手拭いを取り、それで額の汗を拭いながら、ウィリクが心地良さげな吐息をこぼす。

 声色だけでも結構悩ましい感じではあるのだが、それだけに意識を向けていられない状況なのは、不幸中の幸い……であると思う事にする。

 

 

 

 

 

 ……本来なら夜のビーチを意識した場をセッティングしたかったんだが、俺が眠り扱けている間に皆様色々と動いていらっしゃられたようで、とてもお疲れのご様子でありました。

 流石にそれじゃあ遊べねぇでしょうってんで、娯楽方面からリラックス方面へとシフトチェンジ。水遊びという方面からは遠退くけれど、カテゴリ的には似通った沐浴を採用する事にした。

 継続的な体力回復効果を持つ【エンチャント】である【覚醒】を発動。体力面での労いをそれとして、精神面での癒しを露天風呂―――【温泉】でもって補おうとした……のだが、【覚醒】は兎も角として、【温泉】自体はそうも大きなものではなく、ダン・ダン塚で暮らすネズミ達全員を楽しませるのには無理があった。

【温泉】に似通った【土地】もあるにはあるのだが、思い出せる範囲では、とてもじゃないけど『良い湯だな』的な、楽しめるようなお気楽な代物は該当せず。こちらを殺しに来るような荒々しい水源や、熱風のみで焼死しそうな鉱泉とか、そんなのばかりが思い起こされる一件でありまして。

 なので、ネズミさん達には申し訳ないが、ローテーションで入浴する案を採用。一番風呂は、俺達四人となりました。

【温泉】は【土地】に付与させるタイプの【エンチャント】であるので、どうせなら彼らの望むものが良いだろうと思い、何度目かの【禁断の果樹園】を創造。

 出現してまだ数時間も経っていないと思うんだけども、もう食い尽くされた感が漂う雰囲気なのは、俺の錯覚なんだろうか。どうなんだろうか。

 

「いやはや、これは良いですなぁ」

 

 クベーラの声が近い。

 四人で入浴する分には中々に広いここ【温泉】ではあるけれど、どういう訳だか俺の周り数メートルの範囲内に、リン、ウィリク、クベーラがご同伴している訳でして。

 

「えもいわれぬ開放感と、背徳感。これは是非とも我らの間に取り入れたい文化で御座います。金の湯船や琥珀の大釜では何度もありますが、やはり自然の中に居てこそ。と実感させられますなぁ」

 

 特にクベーラ。ほぼ真横。

 一瞬『アッー!!』な関係がガンガンと警鐘を鳴らしていたのだが、何の素振りも見せない状態がしばし続き、とりあえずのリラックス状態を維持するにまで安心するに至る。

 それが原因で周囲の……というより若干名の色香に酔いしれる余裕がなかっただけでもあるのだが。

 

「俺んとこじゃあ、基本は着衣NGなんだけどな。他に誰が入る訳でもなし、今回は無礼講ってことで。機会があったらその辺確認してから浸かると良いぞ」

 

 今現在、俺含む全員が厚手の白いサリー……のようなものを全身に巻いた状態で入浴中。

 クベーラが持っていた物らしく、非常に残念……もとい、大変質が良いもののようで、水分を含んでも透けて見えたり、体の輪郭をしっかりと浮き上がらせるといった効果は無い。

 ……無い、のである。チクショウ。

 

「しばしば御座いましたが、九十九様のお言葉には、妙な力が宿っておりますなぁ。まったく耳にした事の無い単語でありますれど、まるで幾年も慣れ親しんだように、とても耳に馴染みます」

 

 ……?

 一体何のこっちゃと首を小さく傾けて、尋ねる風な視線をクベーラへと向けると、蕩けた表情はそのままに、リンが声のみで俺の疑問に答えてくれた。

 

「えぬじー。と言っていたじゃないか。少なくとも、僕達が暮らしていた地では、そんな言葉は無いよ。……確か……そんな発音をする……単語を使う国が西方にあった筈だけど、ツクモが住んでいる東の島国は、それが母語ではないんだよね? ……ん~……もう言葉が混ざり合う程に国同士の交流が盛んなのかい?」

 

 おっふ、そういう事か。納得納得。

 

「YESでもあり(過去的な意味で)、NOでもあり(現在的な意味で)。黙秘権を行使しまーす」

 

 そう応え、ぶくぶくと顔を湯へと沈める。

 体の芯からぽかぽかと。入浴前に、周囲に山積していた雪をこれでもかと【温泉】内部に投入しているので、とても良い湯加減です。

 緩みまくりな状態に触発されてか、口調も気の抜けたものへとなっている。

 言われた途端に用いた外来語。これに関してはMTGは関係無いし、ネタバレが発覚したとしても、数百年後までは意味の無いものだ。その時には神様は表舞台からご退場されている事でもあるし、思わせぶりな言動で楽しみつつ、もう少しくらい説明しても良いだろう……。ということで、早速、外来語の受け答えで応えてみたのでした。

 

「ぷっは。まぁその原因……というか理由は、これのお陰だな」

 

 再び湯から顔を上げて、首に下げていた青い宝石を掲げる。

 一同の視線が集り、凝視。特にクベーラはとても興味をそそられているようであった。

 

「空の上で貰ってきました、翻訳機でござい。これが無いと、この国……この辺りの言葉とかまったく分からんのですよ、俺は」

 

 英語ならいざ知らず、多分インドな発音とか文字とか微塵も理解出来る要素は備えていない。まだ一度も勉強した事の無い中国語の方が、漢字の意味が薄々察せられるだけマシなレベルである。

 

(腕輪と翻訳機の干渉が~。とかで、めっちゃ悩んでた……んだっけか)

 

 まだ実験に付き合っていた頃、検査が終わりフリーとなったので、折角だからと労いの差し入れ、ジャスミン茶を届けた際に、研究室内で熟考していた永琳さんの姿を思い出す。

 あの時は何をやっているのかと思っていたけれど、それがこちらへの贈り物を用意していたのだと分かった時には、こそばゆい気持ちになったものだ。

 ……サラっと、『九十九さんの脳に……すれば解決……』とか漏らしていた気もするが、あれは多分気のせいだ。俺も疲れたせいで幻聴でも聞こえたんだろう。うん。

 ……現状、使用に何の異常も無い事から、問題は解決したんだろうが……もしかしたら……。

 

「そういえば、君は出会った頃に空の上から来た、と言っていたね」

 

 リンの言葉に意識が戻る。

 これ幸いと、変なところに向かい始めた思考回路を切り替えた。

 

「ですです。……あん時にゃあ、まさかこんな展開になるとは思ってもみなかったなぁ」

 

 言われ、これまでの経緯を思い返す。

 どうにも辛勝であった感が拭えないので、もう少し効率の良い【シナジー】とか【コンボ】は無いものかと眉をしかめるのだが、リンの質問に答えるのを忘れていたのを思い出す。

 

「……はぁ」

 

 けれどこちらの沈黙が続いたのを話す気は無いのだと判断したようで、軽く息を吐くに合わせて、それらを追求する意欲も吐き出してしまったらしい。先の質問の答えを得るのは諦めたようだ。

 ぬぅ、別に誤魔化す気は無かったのだが……。まぁぶり返して説明するのも面倒だ。知りたくなったらまた聞いてくるだろうし、その時にきちんと応える事にしよう。

 

「……こんな展開。なんて、それは僕の方こそ言いたい台詞でもあるんだけどね。……その点に関しては、お母様も、そこのクベーラ・サ・マ、も同意だろうさ」

 

 リンの言葉に、肩に湯を掛けていたウィリクが追随して話し出す。

 サマを一音一音区切っている事から、宜しくない感情がありありと伝わって来ます。

 

「ええ、本当に。あなたがリンと出会っていなければ、一体どうなっていた事か。どう考えを巡らせたところで、現状以上には為り得なかったでしょう未来は、想像に難くありません。……尤も」

 

 チラと甚振るような眼を、ウィリクはクベーラへと向けた。

 その目……眼光は、優しいものではない。責任を追及するような、過失を責める意図が見える。

 

「ヴェラが手を出していなければ。あるいは、しっかりと手を貸してくれていればどうなっていたか。は、こうなってしまいましたので、定かではありませんけれども」

「在り得たかも知れぬ未来を幾通りも思い描くのは、とても楽しい逃避でありますなぁ」

 

 数刻前ならタジタジとなっていた宝物神であったが、反す言葉は中々に棘がある。

 ……しかしながら、よもや、続く言葉でこちらが押し黙る羽目になろうとは、夢にも思っていなかった。

 

「―――何百年前かは思い出せませんが、ウィリク様が住まう……住んでおりました国の付近の地中を宝物庫としていた頃が御座いましてなぁ。区分けの如く、そこには一種の玉のみを保管しておりましたが、いつの間にやらそれを人間が見つけ、いつの間にやらその上に家を建て、城を築き、国を造り。ワタクシが気づきました頃には、万に届く民草が営む地へと変貌してしまいまして」

 

 クベーラの暴露話? によって判明した事は、ウィリクが渋面を造るに足る内容であった。

 

(泥棒……先に悪さしてたのはこっちです、ってか……)

 

 分かるかんなもん! ……と声を荒げてみたくもなるけれど、もしその話が本当ならば、元女王様の心中は穏やかでは居られない筈。なんてったって、先に手を出していたのはこちらになるのだ。善悪の視点が一気にひっくり返ってしまう程の爆弾発言である。

 

「……そのご様子のみで、ワタクシは満足で御座います。どちらも一方的なものとなってしまいましたが、あなた方は国を。我らは信仰と大聖相手の勝利を。―――それが等価かどうかはさて置くとしまして、対価は充分に求め尽くしたのではありませんかな?」

 

 熟考するウィリクとリンとは反対に、普段通りのにこやかなクベーラが際立って見える。

 

「良きかな良きかな。これでもし『そんなものは知らない』など申されましたら、今後の信頼関係には不安が付き纏う間柄となっていたでしょうからなぁ。やはり物事は、誠意を以って挑まねばなりませんなぁ」

 

 傍から聞いているとすげぇ胡散臭い物言いではあるけれど、内容自体は深く頷くものがあるのです。

 

「さぁさぁ。得難い経験は、これっきりに致しましょう。心中、悩ましいところは御座いますでしょうが―――」

 

 湯に肩まで浸し、宝物神は月を見上げて。

 

「怨敵とし、敵対し合う道も御座います。しかし、これまでの全てを認め合い許しあう道も、今、我らの目の前に。如何で御座いましょう。小さき勇兵を統べる将軍様。そして、それらを従える王女様」

 

 クベーラの見つめる先には、二人の女性。

 それはつまるところ、女王様とはウィリクの事で、将軍様とはリンの事を指すのだろう。

 

(おぉ! 『ナズーリン』の二つ名に近づいた!)

 

 ニュアンス的に、ネズミ達を指揮する立場であるから将軍であり、それの上……? である存在だから王、とでもしたんだろう。リンは別としても、元々ウィリクは女王であったのだ。その表現に疑問は無い。

 表面上はまったりと。内面的には期待がマッハな光景に、いよいよ過去が未来に追いついた! な展開を想像していたところに。

 

「……ん?」

 

 にこやか。から、軸がズレて、にんまりとした笑顔に染まるクベーラに、結構熱めの湯温であるというのに、どういう訳だか背筋が震える。

 

「初めてお会いしましたあの頃より、かねてから心惹かれております」

 

 ずいと迫る褐色の中年男。

 口にする台詞は、状況によってその意味合いが変わる厄介なもの。

 岩石を思わせる体躯は赤銅の塊を思わせ、元々兼ね備えている神気と相まって、威圧感が半端ない。後、俺とクベーラとの距離。

 

「近い! 話は聞くからあんま近寄んな!」

「これはこれは。ワタクシとした事が」

 

 浮かした腰を再び湯へと沈め、落ち着いた表情でこちらを見つめて来るクベ様は、ヒジョーに期待に満ちた目の輝かせ方をしていらっしゃる。

 

「九十九様。あの時にウィリク様にお出しした甘味を、再び食する事は可能で御座いますかな?」

 

 ……予想していた内容のどれにも合致しない話に、一瞬、自分の目が点になるのが分かった。

 

「……あ、あぁ……うん……。出来る……けどもさ……」

 

【覚醒】の4マナと【温泉】の2マナで、【ジャンドールの鞍袋】を出す2マナは、しっかりと残っている。カード枚数だって超余裕。【ピッチスペル】二回くらい使ったってまだ余力があるくらい。

 ……けれど、素直にそれに応えるのには渋ってしまう。恨み辛みを抱き続ける状況ならまだしも、今はそれらを全て清算し、共に歩いていこうと足を踏み出したというのに。

 

(……ちっちぇなぁ、俺)

 

 これからの事を考えれば、居なくなる俺よりも、リンやウィリクの為に尽力するのが最善であると。そう、頭では分かっているというのに、感情がそれの邪魔をする。

 ……自己的には兎も角、大局的に見れば、これは少なくとも、良い思考ではない……筈だ。

 

 ―――大切なものを、守ると決めた。

 

 幾つもの創造作品で見たヒーローのように。幾人もの英霊が宣言した誓いのように。

 あの、誰もが一度は抱き、誰もが一時は夢見る願いを、俺も信念として掲げたのだ。

 答えは単純明快で。道程は踏破不可能な程に険しくて。

 ならばせめて、真似事くらいはしなければ。

 月の―――女の前で大見得切った手前、百歩譲ってまだ『出来ませんでした』はあれだとしても、ただ『やりませんでした』なんて答えなど、己を誤魔化す言い訳にすらなりはしない。

 

「……えぇい! 雑念退散! これも目的の為の第一歩と割り切るべし、俺!」

「おぉ! 意味は掴みかねますが、承諾していただけたようで嬉しく思います!」

 

 飯を出すか否かの域の雑念を、何カッコつけた風に悩んでいたのだと正論様が突っ込みを入れてくるけれど、『はいはい後でね』とサラリと流せたのは、自分の中で何かのレベルが上がったんだろう。図太さとか、性根の悪さとか、あんまり宜しくない方面で。

 

「あっ、じゃあツクモ! あれ! あれが食べないな! 名前は分からないけれど、あの冷たい宝石のような氷菓子!」

 

 のほほんリンさんが我に返り、目を輝かせながら要望を口にする。物事に乗っかるタイミングは上手な様で、羨ましい限りです。

 

「あー、あれか? あれはガリガリ……ア、アイス! うん! あれは棒アイスの一種です!」

 

 アニメ風に表現するなら、キュピーン! とかいう擬音が発生していた事だろう。こう、私にも敵が見える! 的な。

 直感を超えた何かによって、商品名の暴露は避けてみた。既に脳内で何度か口に出していたような気も致しますが、そこは忘れる事にして。

 名前を濁した後ではあれだけれど、別に大した問題は無いと想うのだが、本能? がNGを出したんだから、それに従っておくのが吉というものだろう。

 

「確かにあの歯応えは、音で表現するならガリガリと聞こえるだろうね」

 

【温泉】の脇に積もっている粉雪を手に取り、リンは自らの頭へと、それを振りかける。

『こんな感じかな?』と、余った雪を口へと含み、もぐもぐと。

 予想とは違ったのだろう。一瞬、苦笑手前の表情を造り、すぐさまリラックスモードへと再突入。ふぅ、と心地良さそうな吐息をこぼす。冷たくて気持ちが良さそうだ。

 

「とりあえず、その棒アイスを何本か。他のも好きだけれど、やはりある程度の食べ応えが無いと味気ないね」

「私は、逆かしら。あの白い草原を思わせる……紙……? の器に収められたものが好です」

「なるほど、なるほど。数も種類も豊富なご様子。叶うのであれば、全てを味わい尽くしてみたいものですなぁ」

 

 おいこら神様。どっちかって言うのなら、お前は願いを叶える側だろうが。何をしれっと立場逆転させとんのじゃ。

 ……色々思うところはあるけれど、先に『やる』と宣言した手前、これはとっとと有言実行した方が楽なのではと結論付ける。このままのらりくらりとしていた未来に、幸福そうな結末は思い描けない。主に俺の。

 

「……あぁもう面倒くせぇ! 良いさ、やってやるよ! その胃袋、破裂させないように気をつけやがれ! ―――あ、ウィリク様は調子悪くなったらすぐに言って下さいね? パパっとどうにかしますんで」

「ツクモ、僕には?」

「お前は大丈夫だろ。……というかだな、そもそもお前、城の時に何人前平らげたと思ってやがる」

「……三人分、くらい?」

「十五人前だ! そりゃ一個一個は小さいけどな! ハーゲン……カップアイス系四個。棒アイスとモナカ系三個ずつ。詳細は忘れちまったが……他にもまだ色々喰って……た……よな……」

 

 数日前のおぼろげな記憶を思い出しながら喋っている内に、感情に熱が入ってきた。

 話すべき……言いたい台詞を言い切る為に、大きく息を吸い込んで。

 

「―――限度ってもんがあるだろ!? あん時はウィリク様が気掛かりで深く追求しなかったが、あの食べた量は、そのちっちぇ体に対してどうなのよ!? 幾ら溶ければ殆どが水分だっつても、短時間でのアイスのガチ喰いとか我が目を疑いますよ!? 後、よく頭痛くならなかったなお前! ちょっと羨ましい!」

「……ええと……食べ盛り……とか……?」

 

 初めて出会った頃、サンドイッチ一つで満足そうにしていたのは、俺の見間違い……勘違いだったのだろうか。

 ハラペコ属性とはちょっと違う気がするのだが、甘味大好き女の子であっても、大食漢であるのには変わりないだろう。リンに対する新たな認識が一つ増えた。

 と。

 リンさん。片目を瞑り、ウインク一発。

 

「―――てへへ」

 

 これ見よがしにおどける仕草に、思わず『おぉう』と内心で面食らう。

 畜生この野郎。意図するところは分かっちゃいるが、撫で回したくなるくらいに可愛いじゃねぇか。声色も妙に意識しやがってからに。多分この声を目覚まし時計とか携帯の着信音とかに組み込めば、大きなお友達でそっち方面が逞しい方々は、一発で反応する筈だ。

 

「あざとい! あざといですよ! あなたの娘!」

 

 この手の攻撃とか誘惑とか精神干渉とかは、分かっていても効くものだ。男としては、避け難く、抗い難く。反則技トップ三に食い込む奥義であると思います。

 なので、これはあまり宜しくないと、遠回しな抗議を親御さんにしてみる訳なのですが。

 

「逞しくなったわね、リン。……でも、まだまだ。色香は追々教えるとしても、あなたくらいの外見なら、もっと初々しさとたどたどしさを両立させつつ、全面に押し出すものです。今後は……そうですね……肩を竦めるようにしてから―――」

 

 まさかの裏切り!? ……まぁ、元から味方であった記憶は無いのだけれど、それにしても指示がやけに的確というか具体的というか、ちょっと他人の家庭事情に口を出してみたくなる。

 

「チクショウめ! 孤立無援とはこの事か!」

「元来、男とは孤高で居てこそ輝けるというものでは御座いませんかな?」

 

 満面の笑みなクベーラの合いの手は、助力なのか追い討ちなのか掴み兼ねる印象で。何故だか、女房に愚痴をこぼす飲み友の一人のような慰めを受ける羽目となった。

 つまりは味方ゼロ。自分一人で解決するしか手はなさそうである。

 いよいよ、月での経験をここで活かす時が来たようだ。……来てしまった、とも言うかもしれませんが。

 

「流されるだけの俺だと思うなよ! ―――お出でませ! ジャン袋ぉー!!」

 

 流れを制する。なんて器用な真似が、この俺に出来る筈もなく。俺的二大常套手段。強引に押し流すか、別の流れを造るか。の内の片割れ―――今回は後者を実行する。

 水面に叩き付ける様に無手の腕を振り、途中で虚空より出現した【ジャンドールの鞍袋】を掴み、目前の湯にぶち当てる。

 ドパンと快音。激しい水飛沫……いや、もはやこれは湯柱か。それに反応して仰け反る三人に、この場の流れが変わったのを感じ、畳み掛ける様に行動を続ける。

 

「喰らえ! ソーダ! ブドウ! 梨! の三連弾!!」

「わわっ!?」

 

 ぽいぽいぽいと。リンに向けて、緩い山なりを画く様に打ち出した剥き出しの三本のアイスは、少女の手両の手に一本ずつ。最後の一本は器用にも、ネズミの象徴の一角たる尻尾でしゅるりと巻きつく様にキャッチした。

 

「よし! 良い反射速度と対応能力だ! ―――はい、ウィリク様。カップアイスのバニラ……と呼ばれる味のものです。ちょっとお湯につけてあげると、周りが少し溶けて食べ易くなりますよ」

 

 ウィリクがしっかりと受け取るのを確認してから、そっと手を離す。

 取り出したのは、個人的にお気に入りなハーゲンダッツ。機会があれば、浅草にある老舗のモナカとか、サーティーうんたらなチェーン店系のアイス専門のものとかも出してみたいけれど、今は無難なところで充分だろう。個人的にはコンビニやスーパーなどで手軽に買える点を評価したい一品である。

 

「僕との対応に差があり過ぎやしないかい!?」

 

 リン様の抗議はスルー。今は湯面にガリガリくんを落とさない様、気張っていて下さいませ、小さな将軍様。

 

「で、お前は何か希望はあるか?」

 

 こちらのやり取りを眺めていたクベーラへと声を掛ける。

 微笑ましいものでも見る風な表情に、お前は俺の親父か。と突っ込みを入れてみたい気分です。

 

「では、ウィリク様と同様のものを頂けますかな?」

「ん……あぃよ」

 

 それに応える形で、袋に手を突っ込み、二つ目の小ぶりなカップアイスを差し出した。

 

「蓋を開けると更にシートが被ってるから……掴めそうな部分があるから、そこを摘んで剥がしてから食べて。後、食べ終わったら残ったものは回収です」

「その袋といい、この氷菓子といい、東の地とは我らよりも遥かな高みに至っているようで、羨ましい限りで御座いますなぁ」

 

 上から下から、カップに印刷された文字の羅刹や紋様を食い入る様に見つめるクベーラに、修正の意味での合いの手を入れておく。この時代と比べてしまえば、小物一つとっても未知の集合体である事だろう。納得の反応であった。

 

「それは誤解。これは全部俺が元……原因だ。どっちかって言うなら、お前んとこの方が文明規模は進んでるんじゃないのか?」

 

 脳内で、火薬を使った武器を所持している筈だという情報が蘇る。

 それに釣られる形で、ふと、ウィリクの国が―――大敗を喫した軍隊がどうなったのかが気になった。

 クベーラが何か知っているかもしれないと思い、アイスを渡すついでに尋ねてみると、それはもう、よくご存知であるらしい。

 

 ―――簡単に言えば、蜂の巣のつついたような大騒ぎになっているのだ、との事。

 大敗した事による目論見のご破算。正規軍は兎も角、半分以上を占める奴隷……食い扶持がまるっと残っている状況。そして、一番の働き手である年代―――遠征に参加した彼らの大半が長期間動けないという惨事に、国防どころか、国としての形を維持する事すらままならないと来た。

 ウィリクの遺体が消え去ったのも結構響いているようで、怨霊となって呪いを振り撒くのだとか、国が駄目だと悟り天へと昇っていったのだとか、中には窮する国を憂いて英霊となって再び指揮してくれるのだという噂もあるそうなのだが、それは少数であり、大半は始めに述べた通り、あまり宜しくない方面で遺体が消えた事実を受け取ったようだ。

 自壊は時間の問題。国としての体制が保てなくなる事は、埋蔵……埋設された資源によって避けられるだろうが、規模は著しく縮小される未来は、想像に難くないらしい。

 これが人間同士の戦争であるのなら、他国はこれ幸いと侵略を企てるだろうが……何せ、相手にしたのが、あのタッキリ山。七天大聖。

 敗戦とは、大なり小なり勝った相手の国の支配を受けるという事。つまりは、ウィリクの国は今、周りからしてみれば、妖怪達の巣窟……どころか魔窟や伏魔殿に等しい一帯と映るだろう。

 幸か不幸か、それが原因で隣国からの侵略を阻害しているらしい。が、人の流出は止められまい。

 

(……触らぬ神に祟り無し、ッスか)

 

 とはいえ、その祟り神様の配下は【ハルマゲドン】によって、拠点込みで地中へとボッシュートさせている。

 すぐに気づかれる事は無いだろうが、資源の眠る地が、いつまでも放置され続けるとは考え難い。

 

「ご懸念はご尤も。……で、ありますが、元より資源を得る理由は、損得の均衡の果ての答え。……九十九様。あなた様が用いられました、極大破壊。あれによって、消滅しました大地以外の地形にも多大な影響が及んでおります」

 

 ハーゲンダッツのバニラ味を頬張りながら、けれど一切淀みなく説明するクベーラに感心しつつ聞いた話をまとめてみると、ウィリクの国に行く道中が、かなりの悪路になってしまったのだという。

 希少価値は生まれるだろうが、道中の過酷さを考慮すると、そこまで欲しいものかどうかは怪しいところ、らしい。

 

「そういや資源云々とか言ってたなぁ。何、金塊とか油田でも埋まってんの?」

「(ゆでん……?)……いえいえ。そこまで大それたものは。翡翠の亜種……のようなものですかな。様々な色が存在致しますので、それ故の価値が現れている面も強いもので御座います」

 

 ちょっとタメの入った沈黙が気になるが、この程度の間は過去のやり取りでも何度かあったので、こちらへの回答を吟味してくれての事だと判断する。

 そしてその回答であるのだが……どうやら、そんなに凄いもんではないらしい。まぁそれは神様側からの価値観であって、人間側からすればそうではない可能性が高いけれど。

 と、そんなこちらのやり取りに何かを感じ取ったのか、ウィリクが思い出した風に湯から上がり、『失礼しますね』と言いながら、ダン・ダン塚の方へと消えて行く。……お花を摘みにでも行ったのか。深くは考えないでおきましょう。

 湯上り美人な光景ではあるけれど、やはり衣類がしっかりしているものの為、透けて見えるとか体のラインがハッキリ分かるとか、全く、これっぽっちも無い訳でして。

 

「……クベさんや。ちょっと上等な服過ぎやしませんかねぇ?」

「ほっほっほっ。では、今から天女達を呼び寄せましょうか。何処まで男女の営みを育くむかは九十九様次第で御座いますが、何、あれらの力を見せつけた後なのです。一目散に逃げ出すか、恐怖に震える体に鞭打ちながらの舞いを見る羽目となるか、の二択でありましょう。……まぁ、中には、何とかあなた様と懇意なろうとする輩も現れるやもしれませんが」

 

 分かり易いですな。と纏める宝物神の言葉に、月に次いでこっちもか。と頭を抱える。あの時のように、いつの間にか側室云々というレベルにまで及んでいないのが幸いか。

 

「う”~……」

 

 唸るように息を吐き出し、その流れで鼻から下を着水させた。

 ブクブクと泡が眼下に現れ、弾けた飛沫が眼球に掛かる。すっと目を閉じ、思考をミクロからマクロへとサイズアップ。細かな点で見続けるから気が滅入るのであって、そうでなければ、異なる視点が見えてくるだろうから。

 

「―――何の心配も御座いません。不安、懸念は五万とあれど、そのどれもが九十九様の力の足元にも及ばぬ類のもの。それに……」

 

 耳……というより、頭の中に直接囁き掛けるようなクベーラの声に、薄目を開けて、視線だけを向けた。

 目と目が合い、こちらが反応するのを確かめた後で、褐色の宝物神は視線をずらし、【禁断の果樹園】に居る無数のネズミ達を見据えた。

 

「今のあなた様には、彼らやウィリク様もいらっしゃるではありませんか。そして、ワタクシめも」

「……はっ、どうだか」

 

 前半は兎も角、後半の人物は何処まで信用出来るか分かったもんじゃない。

 そんな意味を込めた返答に、クベーラは微笑みと苦笑の中間のような表情を造る。

 

「まこと、信頼とは綻び易く、築き難いもの。ことワタクシに限っては、一度失墜させた分、生半可な覚悟では改善は出来ても上昇は困難でありましょう」

 

 何処から取り出したのか、酌でもされる風に差し出された片手には、俺の拳二つ分くらいの輝く何かが載っていた。

 

「こんな格好では示しが付かぬものでは御座いますが、これでもワタクシ、他の神々よりは名が通る地位におりまして。―――こちらの宝塔をお持ち下さい。簡潔に申しますれば、これはワタクシの分身のようなもの。試作品ではありますが、宝物神としての力の何割かと、これを見せる事で、成されました全ての責をワタクシめに背負わせる事も可能で御座います」

 

 早い話が、代理のようなものです、と。

 雰囲気も覚悟もあったもんじゃねぇと思う心境の中、俺の思考はそれに反して、冷静に回っていた。

 

(代理……? 宝塔……? ……将軍……リン……?)

 

 嫌な感じで繋がりだした記憶に呆けるのとは裏腹に、俺の手はしっかりと宝塔を受け取ってしまっていて。

 はたと気づいて、それを見る。

 某虎さんが持つそれよりは装飾が簡素なものの気がするけれど、これは……どう見ても……その……。

 

「な、なぁ、クベー……ラ、さん」

「……? 何か」

 

 こちらの“さん”付けに訝しげな表情を浮かべるものの、追求する気はないようで助かります。

 

「別名とか二つ名とか渾名とか……そんなのってある……あったりします?」

「……北方の守護者、宝物神くらいであった筈ですが……」

 

 それが何か、と。

 真剣に考えてくれた風のその回答であるので、嘘ではないのだろう。

 明確な答えが出て来た訳ではないけれど、前神。という単語の意味も含めて知っている身としては、一気に脂汗が流れ出そうな心境に陥った。

 何故自分でもここまで動揺してしまったのかは把握しきれていないけれど、一番近いのは……。

 

(祝福してもらう筈だった結婚相手の両親をぶん殴ってた気分なんですが)

 

 しかもその後、土下座までさせて菓子折りを要求しているという感じだろうか。

 一切そんな状況ではないというのに、一度としてそんな経験などしていないというのに。何故だか、それ以外の言葉が思い当たらないのはどうしてなのだろう。

 一足飛びに高まる鼓動。全身から滲み出る脂汗。

 教えてえーりん。助けてえーりん。

 自動で再生される脳内BGMに合わせ、自分が片腕を空高く振り上げ、そして振り下ろす動作がエンドレスリピート。石鹸屋さんからのバックコーラスまで掛かり始めた思考を遮る形で、クベーラから話し掛けられるまで、それらは鳴り続け……。

 

「……九十九様、如何されました?」

「ひゅい!?」

 

 気遣うような、探るような言葉によって、ようやく思考が現実へと戻って来た。

 某お値段以上な河童さんの台詞を先取りしてしまったのをスルーしつつ、これは拙いと冷や汗を流す。

 

「気分が優れぬのでしたら、お休みになられるのが宜しいでしょう。何、後はこちらで万事整えておきますとも。信頼し切れぬのは重々承知してはおりますが、どうかお任せいただけますよう」

「いっ、いや!? そうじゃ、そうではないんですがね!?」

 

 乱気流でも宿ったような楽譜を演奏するようにこぼれた返答は、上擦り、を通り越した歪な声色であったと思う。

 刹那の熟考。

【温泉】の熱とは関係なく、一気に血の上った頭は瞬時に答えを弾き出す。

【ジャンドールの鞍袋】に手を突っ込み、思い浮かべたそれを握り込み、取り出した。

 手に握られた深緑色のワインボトル。銘柄の一部にはロマネなんちゃらと記されたそれを手に。

 

「―――飲みましょう!!」

 

 不思議そうに小首を傾げるリンを尻目に、やっちまった感を吹き飛ばす勢いで、押しの一手を強行する。

 こちらの迫力に戦きながらもコクコクと頷くクベーラに、取っ掛かりは掴んだ。との手応えを感じながら、思いつく限りの銘酒を取り出して行き……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……頭、くらっくらする」

「大丈夫かい?」

 

 事前に何本か出していたそれ―――リンにペットボトルに入ったミネラルウォーターを差し出され、項垂れながらもそれを口に含む。吐き気とまではいかずとも、良いか悪いかの二択な体調であるのなら、微妙に後者へと傾く状況でありまして。

 二度三度と喉を鳴らし、体内のモヤモヤのリセットを試み……。

 

「―――ぷはっ……うへぇ」

 

 改善したかは怪しいものの、さっきよりはマシになった気がする。気分が大事よね、こういう時って。

 

「口当たりが良いから騙されそうだけれど、葡萄酒を……こんなに酔いやすいものを一瓶も空けてしまったんだ。しばらくは安静にしておくと良い」

「すんません、お手数お掛けします、リン様」

 

 構わないさ。そう爽やかに言葉を返してくれるのが心地良い。

【温泉】の縁の一角。雪を退けていたそこに、俺は仰向けで横たわっていた。

 甲斐甲斐しくも世話をやいてくれるリンに、脳内で『いつも済まないねぇ』『それは言いっこなしですよ~云々』な老人と女性のテンプレやり取りが再生されるものの、それが全て表に出てくる事はない。

 吐き気は感じていないけれど、グラグラと歪む視界は、自らの状態が普通ではない事を示している。ようはヘベレケ。完全に酔っていた。

 お湯を縁に掛けていたので、仄かに温い岩肌に、このまままどろみに沈んでしまいたい気分になるけれど、クベーラがどうなるのかを見届けるまでは、今回ばかりは意識を手放す訳にはいかない。

 

「体力的には……余裕あるんだけど、なぁ」

 

【覚醒】による体力回復も、意識の覚醒までは範囲外のようでして。

 星の光に照らし出されるリンに目をやれば、淡く染まる赤い頬と、とろんと垂れる二つ瞳。何より彼女の象徴とも言える耳はへたり込み、尻尾は緩やかに、湯の中を左右に揺れ動いていた。とても気分が良いのだと分かる状態です。

 

(勇丸とかコイツとか、尻尾ってのは感情にでも連動してんのかねぇ)

 

 猫とかはそんな事はなかったと思うのだが、ネズミは別扱いなんだろうか。

 もしくはリンが特殊なだけかもしれないけれど、見ているだけで、自然と自分の頬が緩む。

 

「ははっ、情けないなぁ」

 

 その反応を酔い潰れたと判断したのか―――間違いではないが―――リンはそう言って、事前に出していたワイン……コンビニでも夏目さんか野口さん一枚程度で一瓶購入可能な、コノスルの赤を飲んでいる。具体的な種類は定かではないけれど、『こんなんだったよな?』との曖昧な状態でも食品を取り出せるのは【ジャンドールの鞍袋】の大きな利点であった。

 

『僕には、まだ早いようだね』

 

 その台詞と共に、リンは大衆向けのコノスルの赤を飲酒するに至る。

 高級なワインは何本か出していたのだが、口にしていたロマネさんを脇に置おてからのそれであったので、どうやら好みが合わなかったらしい。

 折角なんだから高いのを。という気持ちは湧き上がるものの、その辺りは当人が好きなものを飲むのが一番。というか、俺も正直なところ、日本酒かビール系なら兎も角、ワインとか他の海外製の酒の味は殆ど分からない。というか知らない。機会が無かったし。今も飲めてないし。

 かしこばった席でもないので、今は楽しめればそれが一番なのだ。余計な事は言うまいて。

 

(けどなぁ……その手の酒って、結構度数が高い筈なんだが……)

 

 一瓶まるごと抱えて手酌をするリン様に、何やら敗北感を覚えます。

 酔っ払い状態になっているのは間違いないと思うのだが、それは酔いどれなどではなく、しっかりとした酒の楽しみ方をやっているのが羨ましい。

 

「アイスの時と言い、その酒と言い、見た目の若さに騙されちゃいけねぇぜ、ってか」

「その辺りの自覚はあまり無いんだけれど、今の君の反応を、今後の参考にさせてもらうとするよ」

 

 うーん、リン様、強し。

 俺の三倍……ワインボトル三本以上は既に飲み干していたと思うのだが、諏訪&神奈然り、月の方々然り。……あぁ、依姫だけは別であったけれど、どうやら比率的に、東方キャラは酒豪が多めらしい。宴会好きそうだもんなぁ、あいつら。そうでなければ人外魔境の宴なぞ、やってられないのだろう。

 

(月で酒か……。……柔らかかった……んだろうなぁ、多分……)

 

 腕やら胸やらに綿月姉妹が密着していた記憶が蘇るけれど……。悲しいかな、血液含む神経が通っておりませんでしたので、肝心の感触だけはサッパリ分からないのであった。

 あれ、何やら……後悔(欲望)という名の汗が目から……。

 

「お母様もクベーラも、とても静かに嗜んでいるからね。それを邪魔するのは無粋というものさ。生憎と僕はそこまで感性を養っている訳ではないから混ざり難いけれど、こうして君の面倒を見れるのは、少しは心が軽くなるかな」

 

 と、いつの間に戻って来たのか。【温泉】の端でサシで飲み合う女王様と神様は、長年連れ添った夫婦のように、多くを語らず、静々と雰囲気と酒の味を味わっている風に見える。

 ただし時折耳に届く会話は、連絡手段の確認だの問題が発生した場合の対処法だの、事務的なものばかり。出来ればこの場を楽しんで欲しかった身としてはやや残念な気持ちが込み上がるけれど、過ごし方は人それぞれだ。強要すべきもんでもないだろうし、する場でもない。それを壊すのは面倒ゲフンゲフン……無粋な気がして、あの二人はそっとしておこうと思う訳でして。

 というか、今のリンの台詞には、ちょっと疑問を覚えるとことがあったのだ。

 丁度良い。今はそれの追求に時間を割くとしよう。

 

「心が軽くなるって、なんでよ」

「それは、これだけやってくれた君への恩返しだよ。怒り、恨み。それが感謝であっても、行き場のない感情というのは、それだけで心苦しくなるものじゃないか。百万分の一にも届かないけれど、こうして恩人に何かをして上げられる。という状況は、とても心地の良いものだよ」

 

 何かのスイッチ入ったのか、リンが俺の頭を柔らかに撫でてくる。

 

(……変な気分)

 

 ちっさな子のオママゴトに付き合っている気分になるけれど、これでも立派なレディーなのだ。数日前に認識を改めたばかりである。あまりに女性として意識しなさ過ぎるのも問題だろう。

 中身(年齢)的には……いや。この辺は深く考えないでおきましょう。

 

「恩……恩、ねぇ……」

 

 何はともあれ、可愛い女の子に構ってもらっているという状況は、それだけで満足なところがあるけれど。

 

「お前の信頼ゲットした。なんて思えば、安いもんじゃないか?」

 

 少しの呆れと、少しの照れと。

 主にその二種で構成された表情のままに、それでもリンは俺の髪……頭を擦る行為は止めるつもりはいようです。実に可愛いもんである。

 

「……ばか」

 

 やっぱり胡散臭かったか。クッセー台詞ではあるけれど、目論み通り、場を和ませる効果くらいはあったようだ。

 平時であれば、髪の毛クシャクシャになるくらいに撫で回したい可愛さだとは思うけれど、若干多めにアルコールが投入された頭では、ただ可愛いと思うのみに留まっている。

 

 

 

 ―――もう、俺の中でリンは『ナズーリン』になっていた。

 後は何かのタイミングで―――数百年の間に培うであろう様々な出来事を経て、最終的な記憶のそれと合致する筈だろうから。

 これで、もし俺がこの地に現れなかったのなら。

 そんな“もし”も考えてはみるけれど、そも、後に幻想郷に集る彼女達の起源……この世に生を受けた状況が判明している者は居なかった筈。そういう答えを出してしまうのも仕方ないのではねぇでしょーか。

 

(もし他に『ナズーリン』が居たとしても、二人を会わせてみるのも良いんじゃないか?)

 

 きっと、姉妹以上の関係になってくれそうな程、仲良くなれる気がして。

 その時は良き友となって、何処かの歌であったように、喜びは倍に。悲しみは半分に。互いが互いを支えあい、高めあってくれる関係になってくれると嬉しいのだけれど。

 身勝手過ぎる思惑は、その件が現れた時に真剣に考える事にして。今は何とかクベーラ……もしかしたら、日本のあの神様になるっぽいお方のご機嫌を崩さぬようにしなければ。

 

「クベーラもお前くらい飲んでた筈なんだが……何か? お前らってかなり酒強い?」

 

 答えてくれるかなー? なんて疑念をリンへと振ってみる。

 顎に手を当て、耳をピクピク。それがシンキングタイムのモーションなのだろうかと観察していると、答えが出たのか、こちらの方に目を合わせて、口を開く。

 

「君の種族が分からないから、あまり強くは断言出来ないけれど……。僕の常識と照らし合わせても、君が人間という種族であるとするならば、君の今の状態が……それくらいが平均だとは思うけれどね。お母様は人間だけれど、何十年もその手の席で培った経験と気力があって、その相手は神様で。そして僕は若輩だけれど、妖怪だ。文字通り、造りが違うのさ」

 

 分かってくれたかな?

 最後まで話さずとも、そんな台詞をリンから読み取った。

 

「……分の悪い賭けは嫌いだったんだけどなぁ」

「なんだいそれ」

 

 元ネタが分かる筈もない当然の突っ込みに曖昧な返答をして、大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

 

(うっし、大分頭も冴えてきた)

 

 そろそろ酒やアイスだけではなく、肉や野菜や魚といった料理も出しておくべきだろう。食べるにしろ食べないにしろ、食卓は鮮やかであった方が気分は良いだろうから。

 俺の頭を撫でる手を制し、これから起きるぞ。との雰囲気を造る。

 それを察したリンは僅かに身を引く。その時を見計らい、

 

(食卓なんてありませんがね、っと!)

 

 回復した体を上半身のみ跳ね起こし、眩暈を覚えない事を確認。良かった。思ったよりもアルコールは抜けたようだ。

 

「これでクラっと来た日にゃ参っちまうが……ん?」

 

 苦笑するリンの奥。

【温泉】の外側、夜の砂漠が広がる方面の岩陰に―――

 

 

 

 

 

 ―――何か。

 在り得ないものを見た―――。

 

 

 

 

 

「ッ!? 【メムナイト】!!」

 

 誰も気づかなかった。

 俺は論外だとしても、リンやクベーラ、何より周囲に存在する無数とも言えるネズミ達の目を掻い潜って現れた事になる。

 それら刹那の疑問を置き去りにする勢いで、MTGの力を行使する。

 光子の収縮。そして四散。叫ぶに合わせ、白銀の鉄騎が盾になるように現れる。幾度となく尽力してくれた存在は、会いも変わらず鏡面装甲。月光にプラチナの肌を輝かせていた。

 その出現を確認した直後、即座に【恭しきマントラ】を【プロテクション(黒)】で実行。

 相手にも付与さてしまうが、構うものか。今は攻撃よりも専守防衛。出来れば【死への抵抗】が欲しかったが、マナが足りない。最悪のタイミングとはこの時の為にある言葉だと実感する。

【覚醒】、【禁断の果樹園】、【温泉】、【メムナイト】。【恭しきマントラ】と、それのコスト分に用いた【ターパン】が一枚。

 静かに、迅速に、相手に気づかれず―――見えないようにリンの手を握り、制限解放などではなく、新しいルールとでも言うべき条件をクリアにしておく。

 俺の声に反応し、何処に居たのやら、龍人の妖怪である睚眦が【メムナイト】の横に並び立つ。

 両手にそれぞれ持つ、蛮刀なのか中華剣なのか分からない刃物を握り締め、虚ろな目のまま戦闘態勢を取り、停止。迎撃準備は出来たようだ。

 

 

 

 ―――そこには、二つの影。

 純白の法衣は月光に浮かび上がる白い陽炎のように。腰まで伸びるストレートの白銀の長髪は、一房でも売買しようものなら、ひと財産を築く事すら容易だろう。

 鋭い笑みは出会った頃より変わりなく。むしろ、より一層の切れ味を増している印象さえ受ける。

 

「―――お久しぶりですねぇ」

「ああ……久しぶり、だな。―――平天大聖」

 

 

 タッキリ山の主。七天大聖が一人にて、頂点。

 紅葫蘆の中で囚われていた筈の大妖怪中の大妖怪が、散歩中に出会った知人に声を掛けるかの如く自然に、俺達の目の前に佇んでいた。

 

「なッ―――イ―――!?」

 

 瞬く間に完全武装へと換装していたクベーラが、何かを言いかけ、口を噤む。

 それは、一人の少女がそう指示したから。

 二つの影の内の一つが平天大聖ならば、もう一つの影は、その少女に他ならない。

 年の頃はリンより上か。

 腰まで届く薄桃色の長髪。きめの細かな小麦色の肌。その場に居合わせる者達の中でも、リンに次ぐ小柄な容姿であるのだが、そこには静寂の大河を思わせる落ち着きが伴っていた。

 真紅を基調としたローブの上から、小粒ながらも神々しい光沢を放つ、瞳を模した造りの白玉を羽織っている。まるで幾本もの真珠のネックレスを全身に巻き付けているような外見である。

 その少女は、人差し指を一本。口の前へと立てて、『静かに』……いや。『話すな』とのジェスチャーを行っていた。

 

(あぁ、こんな場所や時代でも、そういった肉体言語は既にあったんだなぁ)

 

 ……って、そうじゃない。問題はそこじゃねぇのです。

 どうしてここに居るだとか、その少女は誰なんだとか。

 湯水のように沸き上がる疑問は、全て脇に退け。

 

「―――何の用だ」

 

 答え……応えてくれる。など期待してはいけないのだろうが、それでも言いたい事はあるのだ。こちらの気持ち的な問題で。

 もはや反射に近い口頭であったのだが、一応は回答が返って来た。

 

「ええ。少し―――湯浴みをしようと思いまして」

 

 微塵も信じられない受け答えというのは、行う意味はあるのだろうか。

 

「……ちょ~~ーーー――――――」

 

 大して息は吸い込んでいなかった筈なのだが、思ったよりも声の出は良いもので。

 大体、十秒過ぎたくらいか。俺以外が誰も口を開かない事を良い事に、気の済むまで『ちょ』を延ばし続け。

 

「――――――胡散臭い!!」

 

 握り拳を眼前に。

 吼える。を体現した気分になりながら、力強く言い切った。

 こちらに同意する形でコクコクと頷くクベーラやリンを背後に感じ、一体感を得た事に、ちょっと満足。

 

「ご無体な。それが証拠に、今この身には寸鉄一つ帯びてはおりませんよ」

「お前、武器とか使う必要ねぇじゃねぇか! 妖術とか巨大化とか、そういったのが主だったじゃんよ!」

「そう言われれば、そのような気もしますねぇ」

 

 ニタニタと笑う大聖様に、とっても気分が滅入ってしまう。

 

(すっげぇ胡散臭い)

 

 出てくる感想は、先に叫んだそれと同じ。まだ二、三言しか話していないというのに、メンタルがゴリゴリと削られていく。

 出来るものなら即オサラバ願いたいお相手ではありますが、生憎と全マナ使い切った身としては、下手に強気に出れない実情となっている。参った……といより、結構ヤバい状況である。

 

「そういえば、そこの者は初見になりますか」

 

 こちらの狼狽を無視しながら、平天大聖は俺の背後―――クベーラの影に隠れる形で無手を構えるウィリクの方へと声を掛けた。

 

「初めまして、人間。つい先日まで御山の大将など気取っていました、しがない妖怪です。もはや大聖、などと名乗るのは汗顔ですので、ただの平天。と、思っていただければ」

 

 楽しそうに話し始める平天様。

 困惑しながらも思考するウィリクであったけれど、それも数秒と掛からなかった。

 

「……まさか」

 

 そこで言葉が途切れてしまったけれど、驚愕と警戒の表情がありありと浮かべているのを見るに、どうやら相手がどんな存在であるのかを理解したようだ。

 そのウィリクの反応に、満足だと深く頷く牛魔王。

 会いも変わらず良い根性してやがる。見習いたいものだ。実践するかどうかは別として。

 

「して……何用で御座いますかな……? その……」

 

 ウィリクに次ぎ、別の意味で困惑している風なクベーラは、平天大聖の方ではなく、視線の先の厳かな少女に対して、探るような、窺うような口調で話し掛け。

 

「―――ヴァジュラパーニ」

 

 小声であるというのに、とても良く通る澄んだ声。流れから察するに、自らの名前だろうか。

 抑揚の感じられぬ音程ではあったけれど、何処か暖かさを伴った声色であった。

 クベーラなど目に入らぬと、じっとこちら……俺を見つめる眼力が、幼い見た目とは裏腹に、中々の威圧感を放っている。

 

「ヴァ、ヴァジュ……らぱ……?」

 

 しかしながら、日本語とか中国語とか英語とか、そういった響きとは掛け離れた部分が多い今の発音は、些か覚え&発音し難い部分が多く。

 

「―――」

 

 不満の色を隠そうともしないヴァジュ何とかちゃん?は、ジト目で抗議の顔をする。

 

「……マガヴァーン」

「え?」

 

 うっ、よく分からんが、余計にジト目が強まった。

 もしや先ほどのヴァジュ何とかは、名前ではなかったのだろうか。

 更に分からない事に、この褐色少女が不機嫌になる度に、クベーラがおたおたしていらっしゃる。宜しくはない状況のようだ。

 

(どーなってんですかー、これー)

 

 おかしい。こちらには全自動翻訳機の宝石を持っている筈だというのに、それが発揮される様子が微塵もないと来た。

 異国の言葉なのは間違いなさそうなのだが、それが翻訳されてくれないのをみるに、考えられる可能性としては、そういう固有名詞であるという事。

 リンや平天やクベーラなど、今の今まで翻訳機能は十全に機能していた事と、開口一番に発せられた言葉であるのを思い返し、やはりこれらは名前である……と、思うのだが……。

 

「……ヴリトラハン」

「なっ!?」

「ッ!?]

 

 不機嫌さ四割増しの声色で告げられた何かの単語であるのだが、これも何かの名前の事なんだろう。それも、中々に知名度が高い、系の。

 何となく、そうと呼べ。的な意味合いの話し方であるとは予想していたのだけれど、俺が理解するよりも早く、リンとウィリクが驚きの声を上げた。どうやら相手が何者なのか分かったらしい。

 

「……なぁなぁリンさんや」

 

 横で驚くリンへと、噂話をする奥様のように手を口へと当てながら、小脇を突く形で疑問を投げ掛ける。

 あれは一体誰なのか、と。

 目線を俺と褐色少女の間を往復させ、二度三度口をパクパクさせた後。

 

「君は―――ッ!」

 

 と、『知らないのか君は!』的な流れで話し出そうとしたであろう言葉は、褐色少女の一層強まった眼力によって黙殺されてしまったらしい。喉に物がつかえたように押し黙るリンに、自分の中で、更に疑念が募る。

 そんな中、駄目押しと言わんばかりに褐色少女からの言葉が向けられた。

 

「……プランダラ」

「……ぷ、ぷらんだら!」

 

 音程こそあれだが、今度こそしっかりと復唱出来ていたと自負する応答であったのだが。

 

「えっ! 何でさ!?」

 

 ぷいっ。とそっぽを向く褐色少女は、それもお気に召さないらしい。

 数瞬前の、静寂の大河を思わせる雰囲気は何処へやら。

 今俺の目の前にいるのは不機嫌……いじけて拗ねる子供が一人。

 

 

 

「ヴァジュラパーニ《ヴァジュラを手にする者》マガヴァーン《惜しみなく与える者》ヴリトラハン《ヴリトラを殺した者》に、プランダラ《都市を破壊する者》。……全てインドラ様の二つ名でありますが……参りました……拗ねてしまわれたインドラ様は、しばらくは九十九様に真実を伝える気は無いでしょうし……あぁ、だから九十九様は名を告げられても、意味を理解なされないのか」

「その理解が何であるのかは分かりませんが……。あれがあなた方の主神なのですから、気苦労の多さは察するに余る。といったところでしょうかねぇ」

「いえいえ。成すべき時には、我らを統べるに相応しい威厳を纏うのですよ? それに、時が経てば、あれはあれで大変好ましいものに見えるものに御座いますとも」

 

 背後でいつの間にやらクベーラの方へと移動していた平天大聖は、二人で仲良く談笑しているもんだから、余計に混乱してしまう。

 こっちに聞かせる気があるようで全く無いという絶妙な音量での会話なものだから、その内容が気になって仕方がないのです。特にそれが、現状の問題解決の糸口であるような気がするものだから、なおの事。

 というか、あんたら仲良いのね。俺もそっちに混ざりたいんですが。お近づきの印に、熱燗の日本酒など如何でしょうか。今なら熱燗、冷酒、水割り、ロックと、何でもござれのジャン袋もありますので。

 

「うぉ!?」

 

 思考が逃避していた隙を突かれる形で、俺の腕を掴むイッパイアッテナ系褐色少女。

 害意が無いせいなのか、睚眦や【メムナイト】は動く気配すら無いと来た。

 その二体の護衛さん同様、事の成り行きを見守るに徹する……半分魂の抜けかけているリンを素通りする形で、ぐいぐいと引っ張るその先は、未だ縁に雪が積もる憩いの場、【温泉】。

 

「なにっ、なにっ! なんだってんですかー!?」

 

 大小異なる湯柱、二本。

 気泡が眼球を撫でる視界の中で、そんな光景になっているのかなー? という考えが頭を満たすのだった。

 

 

 


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