東方ギャザリング   作:roisin

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57 温泉にて《後編》

 

 

 

 

 

 

 暗雲立ち込める雰囲気になるものだとばかり思っていたけれど、そんな様子は微塵もない。

 入場料無料、順番待ち云十万匹という露天浴場に、シード権でも設けたのか、新たな来客が二名。平天様と、まったく知らない褐色少女である。

【メムナイト】は一応完全防水加工……というより水を含んでも問題のない構造らしいのだが、何故だか濡れる行為に抵抗があるらしく、【温泉】の縁で龍人の睚眦共々、監視役と化している。

 そんな護衛達の居るここ【温泉】内部では、何ともやり難い空気が漂っていた。

 ニタニタする平天と、オロオロするクベーラと、そわそわするリンに、ニヤニヤするウィリク様。

 んで、やり難い……どう動いて良いものか悩む状況を作り出している最もな原因が。

 

「……なぁ、退いてくんねぇ?」

 

 つーん。なんて擬音が似合う口の尖らせ方をする褐色少女……もとい、ドラちゃん。何故だか俺の胡坐の中に、我が物顔で鎮座中。

 湯浴み用の着衣でもあるのか、出会ってから衣替えをする素振りもない。堂々としたものだ。

 まるで、肉親を奪われんと主権を主張する幼子。名前については、『……ドラ様……と、お呼び下されば……恐らくは……』とのクベーラ様のお言葉でありましたので、先に告げられたまどろっこしい幾つもの名は全て忘れる事にし、そう呼ぶ事にした。

 名前の響き的にはモロに青狸のアレなのだが、流石に見た目が掛け離れ過ぎているので、あまり意識する事はない。これで例のダミ声であった日には、俺の脳裏に“!?”系のマークが乱舞していただろうけど。

 というか、様付けですか。立場的にクベーラの上なんだろうが、青狸のイメージが強過ぎて、他の神様が連想出来ねぇのです。

 それに、脳内に未だ残るアルコールが、こちらの熟考を阻害しているのも要因の一つだろう。酔いどれ気分は楽しいけれど、こういった面では足を引っ張るのだから、厄介なものだ。

 

「なぁなぁ、クベさんや」

「はいはい、何でしょう。九十九様」

 

 もはやテンプレと化しつつある応答の後、内心満足しつつ、俺は疑問を口にする。

 今更畏まった口調は、かえって相手に不快感を与えるものになっていたので、現状維持を採用中。今のところは問題無さそうだが……うぅむ、どうしたものか。

 

「さっきからスルーしっぱなしになってて、今更かなー? とは思うんだけどもさ」

「……あぁ。ええ、ええ。九十九様の疑念はご尤も。それにつきましては、ワタクシも同意させていただきますとも」

 

 そう言って、二人……いや。リンやウィリクも合わせ、計八つの目で一人酒を楽しむ白銀髪の男―――平天を睨み付ける。

 

「そろそろ用件を聞こうか。……何の用だ。平天大聖」

 

 あえて大聖、と付ける意味を察して欲しいところであったけれど、超が付く大妖怪相手に、それは杞憂に終わったようだ。

 不敵な笑みは相変わらずだが、からかいと愉悦と見下しのミックスされた眼力はなりを潜めて、どういう訳か、挑発的な笑いへと変貌していく。

 

「自身の溶解した体液の湯船に浸かる……。長らく生を貪っていましたが、初めての体験でしたもので。出来ればそんな気分を一蹴したいと思い、こうしてあなたの掘り起こした……いえ。あなたの事ですから、また創造でもしたのでしょう。そこにご厄介になろうと思ったところもあります」

 

 入浴も望むところであったと話しながら、高級な陶磁器など足元にも及ばぬ白魚の腕をこちらへと掲げ。

 

 

 

「―――東方の破壊神、九十九。あなたに提案があります」

 

 

 

 湯を跳ね上げながら、反射的に自分の片手を突き出した。

 手の平を相手に押し付けるように持ち上げた形は、絵や写真にでもおさめれば、『今のちょっと待った!』と題名が付く格好だろう。

 

「……名前のとこだけにして」

 

 この手の呼び名は止められない。

 先にやったあれこれが、自慢出来るものであれば『そんなのは過大評価さ(キリ』的に、素知らぬ顔で俺の鼻はグングン伸びていただろうけれど。

 

(破壊神ってあんた……)

 

 中二どころか小二くらいの二つ名に眩暈を覚える。宛ら、スーパーウルトラ・TSUKUMO。とでも名乗っている心境か。眼を背けたくなる事、この上ない。

 それに、結果は兎も角、過程はお世辞にもカッコいいとは言えないものだ。

 ならばせめて、俺が耳にする機会くらいは減らしたい。それくらいの努力は惜しんではいけないのだ。きっと。

 

「九十九だけ……。まぁ私は構いませんが。そうですか。あなたはこの手の別称が羞恥と見える。私が知る者であれば誇りこそすれ、腫れ物のような呼称ではなかった筈なのですがねぇ」

 

 くつくつと哂う平天様は、羽虫を甚振る幼子の笑みを造っておりまして。

 

「……【暴露】」

 

 ボソリと一言。

 一度目の時と同様に、効果はしっかりと現れてくれたようだ。

 やっべ、残りのカード残高が……。

 

「ッ! そこまで毛嫌いするものでしたかねぇ!?」

 

 先の戦闘で一度経験しているせいか、自分の思考が消失したのを実感出来たらしい。何かを忘れさせたのは認識したらしいけれど、肝心の何を忘れたのかは認知出来ていないようだ。

 あの平天大聖が突っ込み側に回っている。

 面白いものが見れたと思うけれど、カード枚数を消費しているという、自らドツボに嵌っているのは間違いない。

 まぁ何かあればドラちゃん……は知らないけれど、クベーラがどうにかしてくれる筈だ。曲がりなりにも【プロテクション(黒)】を付与させているので、対・妖魔相手ならば、中々に頼もしい存在へと昇華しているのだから。

 そして……。【暴露】―――手札破壊の効果は、思考の欠落のみにあらず。

 

「……なるほど。お前はお前で色々と柵を受けた訳か」

 

 笑顔が一転、無表情。

 それなりに顔を合わせていたとはいえ、完全に感情が抜け落ちた顔を見るのは初めてであった。

 そりゃそうだ。何せこれからあらゆる対価を用いてこちらに飲ませようとした要求を、一発で見抜いてしまったようなものなのだから。

 

「―――覗きましたね?」

「イエス!!」

 

 からかいの意味合いが強い、ウザく輝く笑顔のグットサインと共に返答する。きっと、この瞬間に俺の歯は純白に煌いたんじゃないだろうかと思える程に。

 不敵な笑みか、真剣な眼差しか。相手は恐らく、そういった類の反応を予想していたんだろう。テンション高めの応答は予想外であったようで、平天の表情が呆れたものへと。大きく吐息をこぼし、二度三度と首を左右へ振る。意図した訳ではないけれど、気力を削ぐ事に成功したようだ。

 

「お前が同時に色々考えてくれて助かったよ。説明の手間が省けたからな」

 

 細部は未だ分からないけれど。

 そう、心の中で付け足しながら。

 

「……なるほど。その【暴露】とやらは、相手の思考を、文字通りあなたへと曝け出し、同時に欠落もさせる妖術……能力のようだ。呟くだけで、何の兆候も察せられずに効果を発揮する。……参りましたねぇ、考えを巡らせれば巡らせるほどに不利になるとは」

 

 困惑なご様子に満足したので、何とでも取れる笑みを浮かべながら、どうだ。と言わんばかりにニヤリと反す。

 

(合ってるっちゃ合ってるが、そこまで便利なもんじゃないんだけどもね)

 

 常時思考がオープンになるのは【テレパシー】であって、【暴露】は一瞬のみしか相手の考えを覗く事は出来ない。けれどそれは表面上の全てを読み取る事が可能であり、コイツのように一瞬で色々と考えてくれる相手には効果抜群なのであった。

 ……ま。

 あんまり思考の数が多過ぎると、閲覧の量に限界を感じるのだけれど。八意さん相手の時とか、永琳さん相手の時とか。

 

「しっかし、意外も意外っつーか、なんつーか……」

「……」

 

 自己確認を兼ねての独り言に対して、渋面を造る平天は、眉間に皺すら寄っている。

 睨んでいるのか、困惑しているのか、怒っているのか。

 少なくとも好ましい表情ではないのだけは、しっかりと理解出来るお顔である。

 

「ツクモ、何が分かったの?」

「ん? あぁ……」

 

 戸惑うリンがおずおずと質問してきますので、これに応えるべく口を開く。

 平天は、沈黙。

 受け入れ難い状況ではあるが、話の流れに身を任せる方針のようだ。話をしても大丈夫だろう。

 

「―――子供の面倒を見て欲しいってさ」

 

 その静けさは、どれくらい続いたのか。

 氷の妖精さんの某スキル、パーフェクトフリーズも真っ青の凍結具合を、まさかこの目で見ようとは。【温泉】から立ち上る湯気だけが、世界が正常に動いているのだと示していた。

 大体こういった時間を体験する時は、俺の時間も止まっている場合が殆どであったので、客観的に見る機会というのはとても貴重だと思います。良いねこれ。結構楽しいぞ。

 

「……誰の?」

 

 分かったけれど、認め難い。

 強張った表情になったリンが、間違いである筈だとの意味合いの強い言葉を返す。

 

「あれの」

 

 けれど、それは無意味だ。

 リンの淡い希望を切り捨てるように、そのあれ……平天へと視線を向ける。

 

「……」

「……まぁ」

「……なん、と」

 

 ウィリクは心の篭っていない、魂の抜けたような相槌を。クベーラは理解した上での驚きを。

 眩暈を覚えたリンが、俺の肩へとしな垂れる。意識は保っているようだが、体の力は大分抜けたらしい。どっかの映画とかドラマで、貧血とか眩暈で視界が眩んだマダムのようだ。これでまさに相手がマダムなのなら『おっ、奥様!』とか言ってみたい気もするが……まぁ、それは置いておくとして。

 

「……めんどくせぇ奴」

 

 人の事言えないけどね。と、内心で言い訳のように呟いた。

 ぐっ、との呻き声を上げる平天さんは、見ていて愉快なものでして。出来れば、後何回かはこんな感じで表情やら顔色を変えさせたいものだ。

 そして、こんな面倒くさい状況を創り上げた最もたる原因の人物―――存在へと、同意を求める風に言葉を掛ける。

 

「お前も結構えげつない方法取るんだなぁ―――なぁ? インドラ様?」

 

 ここでようやく、俺の股の間で、我関せず。と不機嫌を体現していた少女―――インド神話の主神様が、その小さな肩をビクリと震わせた。

 クリクリとした目を皿の様にしながら、どう判断したらいいものか分かりかねる、何の感情も読み取れない顔を向けられた。ちょい怖い。

 

「平天の頭ん中見た時に分かったよ。何て言ったら良いもんか……あ~……破天荒ね、お前さんは」

 

 普段ならば、ドラちゃんが主神だと分かった時点で『げぇ!?』とか『うっそー!?』なんてリアクションが飛び出し、低姿勢を敢行するのが俺らしいとは思う。

 けれど、幾ら良く知っている名とはいえ、俺にとっては名前だけの偉人。飲酒と【温泉】の相乗効果でふわふわと浮いた気持ちとなっている現状も、態度を改めない事に繋がっている。

 これが東方キャラなどであれば、また話は別なのだが……。

 

(名前だけ聞いたウンタラ国の王様より、取引先の相手との商談の方が緊張するようなもんかねぇ)

 

 自分の心境をどう把握すれば良いのか困っていると、両の頬に、【温泉】とはまた違った優しい柔らかさが添えられた。

 

「なっ」

 

 クベーラか、リンか。誰の声とは判断し難い驚きの声を耳にしながら、こちらの頬に手を添える、ずぶ濡れ衣装の褐色少女。衣類の上から身に着けられている無数の白宝玉は、妖怪・百目か、メデューサの頭髪か。何人もの眼光によって全身を射抜かれている錯覚に陥る。

 

(そういやインドラって、千里眼とか……千の目を持つ……なんて伝説もある……んだった、か?)

 

 持ち上げた虫籠でも観察しているような。大瓶の中を覗き込むような。俺の外見以上の何かを見ている雰囲気がする。

 柔らかく、優しく。全身をゆっくりと舐めまわす悪寒。

 何の色も見えぬ瞳。全身を射抜く観察眼に、アルコールによって衰えかけ、度重なる上位者との相対によって蓄積されて来た筈の図太い神経は、あまりに距離が近いせいか、それほど機能してくれていない。

 

(……こわ)

 

【温泉】の暖かな温もりが胸より下を包んでいるというのに感じる寒気。常夏の島国へと足を運びたい気分になる。

 それでも気持ちだけは心構えが済んでいたようで、なるようになれ。との達観が入っていた思考では、冷静さを失う程の恐慌状態には至らない。

 

「……」

「……」

 

 何かを言い出す気にもならず、何かを言い出す素振りも見せない。

 こちらに馬乗りになる形で顔を覗き込んでいるインドラは、もはや幼子のそれではなく、遍く世界を見通す眼を持つ、神の名に相応しき存在へと。

 十秒、二十秒と。一体何がしたいのか把握しかねる状況に流されるがまま身を預け……。

 

(何だろなー、この間)

 

“秒”から“分”の位には達したんじゃないかと思える時間の後。

 

「……そう」

 

 一人で行動を起こした存在は、勝手に納得した風な口振りと共に、俺の上から移動した。

 もそもそと膝の上から退いた後、何事もなく【温泉】へとその身を沈める姿は、何か一仕事終えたような空気であった。

 小さな口から、ふぅと一息。

 そのまま、やや熱めの湯船に心地良さげな吐息を漏らすインドの主神様は、自己満足の文字が透けて見える風貌へと。どうやら、先の何かを完全に読み取ったらしい。

 ……ようは、こちらに何も話す……説明する気は無いのである。

 

「……おいこら」

 

 人を怯えさせといて、一切関知しませんってか。

 納得いかない気持ちがムクムクと。洩矢、大和、そして綿月に八意など。伊達に対・神聖な数値は高くなっておりません。防御力……は、今のは十二分には発揮されなかったけれど、回復力だって常人の比じゃねぇのです。

 

「―――うみゅ!?」

「確かに唯我独尊な奴らが多いのが神様だとは思っちゃいるけどな、幾らなんでも我が道を行き過ぎだろドラちゃん」

 

 上から退いたとはいえ、そうも距離が離れている訳でもない。徒歩一歩分の移動の後に、両方の腕を上げて、正面からその小さな頬の片側を抓るように摘み上げる。

 釣られて可愛らしい奇声が上がるが、黙殺。

 うりうりと上下左右に引っ張るに合わせて『みゅー』だの『みぃー』だの猫っぽい声が上がるのを楽しんでいると、我に返った者達からの、静止の声が掛かってきた。

 

 

「つ、九十九様っ、お止め下さい!」

「そっ、そうだよツクモ! インドラ様に頬抓りとか、えと、あの……これ以上いけない!」

 

 実力行使すべきかどうか。中腰状態になり、どうしたら良いのだと焦るクベーラ。

 語尾がアームロックサラリーマン登場作品に出てくる口調になっているリン。

 口をあんぐりと開けるウィリクとか、反応はそれぞれ。

 

「ははははっ!!」

 

 平天だけが爆笑しているのが対照的な光景ではあるけれど、立場を考えれば理解出来るものである。

 これがインド神話のトップかー。この世界って幼女が基本なのかなー。柔らかいなー、良く伸びるなー。安直な感想ではあるけれど、突き立てのお餅のようだ。

 ……これ、結構楽しいかも。

 

「言え! 言うのだドラちゃん! 説明プリーズ! 簡単に!」

「……いふ、言いまふ」

 

 涙目へと代わりつつある幼女に満足するという、警の字が付く公共機関の一つと精神科にお世話になるであろう未来は確実の場は、誰に邪魔される事もなく。

 

 ―――唐突に。

 勇丸にがぶりとされた時や、子ネズミにがぶりとられた記憶が脳裏を掠めた。

 

 慌てて、摘んでいた手を離す。このままやり続けてはいつぞやの二の舞になるは必須。わざわざ地雷を踏みに行く必要はない。

『言う』との答えも聞けた事であるし、用が済んだら即悪戯……抗議を取り止めるのが吉だろう。

 自分自身の頬に手を当てて、抗議の視線を向ける褐色少女に、むふー。と鼻から息を吐きながら、満足気な顔を向ける。

 

「……この場に居る神が、ワタクシのみで良かった……。シヴァ様やカーリー様が見れば、東の地へと聖戦を仕掛けるは必須でありましたでしょう……」

 

 ……どうやら、首の皮一枚で【ハルマゲドン】に勝るとも劣らないジハードを回避していたらしい。

 しまった。あまりに態度が憎たらし……幼かったので、思わず近所のガキ共を相手にする風に接してしまった。

 ぽつりぽつりと、褐色の主神の口が動く。

 内心の動揺を隠しながら、その小さな声を聞き逃すまいと耳を傾ける。

 

 

 

 ―――そうして。口数は少ないながらも要点を抑えたインドラの説明は、平天がこの場に居る理由と、今後どうなるのかを知るに足るものであった。

 それらを聞いた直後の俺の感想は。

 

「……えげつねぇ」

 

 インドラが平天へと出した条件は、早い話、囮。

【ハルマゲドン】によって壊滅的な状況となったこの地の妖魔達の統括の為、平天は影でインドラに屈しつつもそれを隠し、散り散りとなった妖怪の旗印となって、管理&運営を行うのだという。

 時に人間達を攻め立て、時に神々に屠られながら、この地の悪の王としての役割を果たし続ける。あらゆる物語で存在する善と悪の関係の縮図を、他ならぬ現実に誕生させようというのだから、マッチポンプも良いところだ。

 しかもこれが、裏で糸を引くのが悪側ではなく善の側だというのだから、生々しいったらありゃしない。

 

「九十九様、そのお考えは察せられますが、我ら神とて万能ではない。輪廻の輪の中に組み込まれております、命の一つに過ぎないのです」

 

 俺が渋面になっていたのをクベーラが見て、内心を察したらしい。

 

「正義を謳っている身として、可笑しな話で御座いますが……。持ちつ持たれつ、なのですよ。ただそれらの主導権を、どちらかが握ったというだけの事。無論、機があれば覆される運命にあります。―――平天」

 

 そう言いながらクベーラは、酒の入った杯を片手に湯を楽しむ平天へと話題を振る。

 

「何か」

「あなた、もし我ら神々を下していたならば、その後はどうなさったお積もりで?」

「そうですねぇ……。それを成した後は、シヴァやインドラなどは全て排除している事でしょうし……」

 

 黒い笑み。

 根っ子のところは決して相容れない存在であるという、魔の加虐性を覗かせながら。

 

「……残りの神を統べ、飼い慣らします。私達は命を楽しむ術はあれど、命を育む行いに疎いですからねぇ」

 

 声と音の中間くらいの、ひぇー。という感想が自分の口から漏れる。

 神側の勝利がマッチポンプならば、妖怪側の勝利は飼い主と家畜。神に人の増産を行わせながら、それを消費するという事か。

 こうして二つの答えを並べてみてみると、人間にとっては、やはり神側に勝利してもらった方が良かったに違いない。

 

(平天が日本に居なくて良かった……)

 

 その一点のみは、見た事も聞いた事もない、運命とやらに感謝すべきだろう。

 尤も、今こうしてそんな欲望を垂れ流しで語る理由などある筈もない。捲土重来を狙うのであれば、それ以外の答えなど在り得ようか。

 こうして野心を吐露している現状こそが、もはやそれが叶わぬ夢となってしまったのだと、平天自身が口にしているようなものだ。

 

「あ~……。で、お前は俺に子供の面倒をみさせたい……んだったか?」

 

 脳内で雨雲がモクモクと立ち込めていたのを、かぶりを振って払いながら、気持ちを切り替える意味で平天へと確認を取る。後、二つ三つほど黒い欲望を垣間見ようものならば、この内心の曇天は、豪雨か雷雨にでも変貌するやもしれません。

 

「ええ、まさに」

 

 けれど、それに素直に頷く筈も無く。

 ……ただ、そうせざるを得なかった事情は、とても興味があったりするのです。

 

「自分でやっておいて何だが、よくガキ共は生きてたな。タッキリ山ごとぶっ壊したってのに。流石は平天のお子さんですってか? それともどっかに出掛けてた?」

「いえいえ。しっかりとあの地で暮らしておりましたとも。ですが……ははっ。妻に鍛えられたあれらは、そう簡単に朽ちるような軟な体ではありませんよ」

 

 

 あれ“ら”って……。お子さん達は何人兄弟なんだろう。

 さり気なく恐妻家の面が見えたのをスルーしつつ、平天大聖としての相対を思い出す。

 十全とは言えないまでも、MTGの能力を使いまくって、それでも倒し切れなかった平天が言うと、一体子供達はどれだけ強いのだろうかと、こちらの命に直結しそうな懸念が過ぎる。お礼参り的な意味で。

 

「おっと。あなたが考えているのとは、些か実情は異なるものだと思いますがねぇ」

 

 こちらの思考を読み取り、例の不敵な笑みを浮かべたと思えば、一転。

 とても気まずい何かを感じている風な、苦虫を噛み噛みする表情をして。

 

「―――この条件を飲んで頂ければ、私はあなたの元に下りましょう。正確にはそこの鼠の下ですが、この地から離れるあなたには、これの後ろ盾は、多いに越した事はない筈だ。間接的になりますが、これにはインドラの利も含まれている。要望はつつがなく受理されるでしょう」

 

 平天の口振りに、条件を飲まねば全てを話す気は無いのだとする、意気込みのような意図を感じ取った。

 我関せずとばかりに沈黙を続けるインドラを見るに、その言葉は事実らしい。

 

「だから、何でだよ。お前には一片……くらいはあった感謝の念も、あの崩落した土地ごと埋没しちまったからな」

 

 尤も、それに素直に応えてやる気概は無い。

 当初に感じていた感謝の念は、相殺どころか、贔屓目に見ても、命を奪うに足るレベルの恨みへと変貌していても可笑しくはない。

 こいつもそうだが、子供とはいえ、見ず知らずの他人の運命など。ましてや東方プロジェクトに何ら関係のない……思い入れの無い存在であれば、余計に。

 これがしっかりと約束を守ってくれる相手であるのなら、クベーラの時よろしく、応えるのも吝かではなかったけれど、言葉の裏を掻いて接してくる相手など、御免被る者である。

 

「……ッ」

 

 まさか、自分を対価としても受け入れられない案だとは思っていなかったのだろう。美形と言える、整った顔立ちが醜悪に歪む。

 それとは対極的に、インドラの表情に明るさが混じる。慈しむような、愛しむような、まるで、平天の苦悩を知っている故の喜びであるかのように。

 

「……私には一人……羅刹女(らせつにょ)と玉面公主(ぎょくめんこうしゅ)以外に情を交わしていました者が居ます」

 

 羅刹女が本妻で、玉面公主が第二夫人……だったか、逆だったか。

 どちらにしても奥さん二名という事実を突きつけられ、埃の被った知識に光が当たり、役に立つんだか立たないんだか怪しい記憶が蘇る。

 

「……いや、待て。ちょっと待て」

 

 片手で両目を覆い隠しながら、空いたもう一方で静止の意味での手の平を向ける。

 羅刹女……本妻は良い。別に子供が生まれたからと言って何が問題になるというのだ。むしろお子さんを儲ける事こそ結婚の目標の一つのようなもの。二号さんだって、今の話の流れで言えば、寛容の文字が透けて見る。そうも大した事情は無さそうだ。

 けれど、俺にやらせたい事は子供の面倒を見てほしい、というもの。

 

「……隠し子、なのか」

 

 この平天の表情を、どう言葉にすれば良いのやら。

 羞恥と、苦渋と、恐怖が外装を固めているそれの内面は、覚悟。

 

「……はて、おかしいではありませんか。例え夫婦の契りを結ばぬ子であったとしても、あなた程の立場も実力もある者が、何故たった一人の子の為にここまでするのです。反論があれば、それこそ、それを発した者もろとも、木の葉の如き平たい存在へと成しえる力をお持ちの、あの平天大聖が」

 

 横からクベーラの疑問が入るが、それは俺の耳に、話半分にしか入っては来なかった。

 俺の大切な者達を奪った……奪った原因となった者が、何を今更。

 赤い感情となり、黒い感情となり。

 ……けれど、大切な者を守りたいと。理解出来るが故の感情をも抱いてしまった身としては、この振り上げた拳を何処に叩きつけろと言うのか。

 これで、リンやウィリクは勿論、こんな俺に付き従ってくれたネズミ達の一匹ですら欠けて居たのであれば話は別であったが、結果だけを見れば、完封勝利も良いところ。

 とはいえ。

 コイツに対して抱いた恨み辛みは、今も俺の胸の内で燻っている。いずれは鎮火される程度の大きさであるけれど、今すぐにとは、流石に……。

 

(さって……どう区切りを付けたもんか……)

 

 意図せず相手の殺生権を握った……レイセンの時とは別の感情が込み上がる。

 ちょっと前に、リンの為になる事をするのだと決めたばかりなのだ。折角相手が力になってくれると申し出てくれているのだから、それを突っぱねる理由はない。

 結婚……というより女と関係の一つも持っていない身で子供の面倒を見れるのかと不安にもなるが、やらない。という選択肢が取り難い以上、受け入れるしかないのだ。

 ならばその対価として、どんな無理難題を突きつけてやろうかと。知識の中にある、数百年分先の七難八苦を脳裏に思い浮かべた、その矢先。

 

「―――それは、あの子が人の血を引いているからです」

 

 呆けるほどでもないが、聞き入るほどでもない回答が、寝耳に水とばかりに俺の方へと飛び込んできた。

 

(……うん?)

 

 即座に判断し兼ねる平天の言葉に、どうやって鬱憤を晴らそうかと波立っていたこちらの思考は、平坦な水面へと変える。

 

「まだ天に近しい官位に収まっていた頃でしたか。何処ぞかは記憶にありませんが、紅に染まる山河を眺めていた時の事。何やら神妙な面持ちをした人間と出会いましてねぇ。妖怪について知りたい。と、この私に戯言……おほん……懇願されましたので。血風の如く舞い散る紅葉に酔っていた私は夢見心地でありましてねぇ。ついつい……」

 

 吐き出す言葉は留まる所を知らず。そのままグダグダと、長ったらしいったらありゃしない思い出話を切り出された。

 その人間と何を話したのか。という流れから始まった会話は、何十分続いたのか分からない。

 どっかの廃ビルを塒としていた、アロハシャツのおっさんと、絞りカスな吸血姫を彷彿とさせるうんたら物語的なやり取りを彷彿とさせるものであった事だけは、漠然と理解する事が出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ですので、仙人や邪仙と呼ばれる者達は……」

「も、もう勘弁してくれ……」

 

 もう、限界だ。

 俺の腕の中で目を回すインドラは、絶賛以って湯当たり中。

 すぐに出れば良いものを、俺より先に出るのが気に食わないらしく、勝手に我慢大会なぞ実行中でございました。辛い、出よう。と腰を上げた時に俺と目が合い、何を思ったのか、つーん、なんて擬音と共に、何食わぬ顔で再び肩まで浸かってしまったのである。

 目下、意識だけは辛うじて残っちゃいるが、こちらに体を預けなければ【温泉】に沈んでしまいそうなほどに疲弊していらっしゃる。

 本当にコイツは主神なんだろうか。さっき思った通り、そこら辺に居る子供の一人なんじゃないだろうかと疑念が募る。意地っ張りの無口な少女にしか見えません。あぅあぅ言いながら目を回してますし。

 

「だらしないですねぇ」

「馬鹿言え! 妖怪のリンとか、人生経験値積みまくりなウィリク様とか、神様なクベーラとかドラちゃんだってグロッキーになってんじゃんよ! 見ろこの惨状! 俺が泥酔するまで宅飲みした後の翌朝だって、もうちょっと活発だぞ!」

 

 多分、さっきまで飲酒しまくってたのが大きな原因なんだろう。回るの早いもんなぁ、お湯に浸かりながらの飲酒って。途中から酒飲むの止めて良かった。

 俺よりは断然アルコールの許容範囲が高いお三方ではあるけれど、それでも限界はあるらしい。先に、ネズミ妖怪様が種族の違い云々などと言っていたのが嘘のようだ。

 ただし、インドラだけは純粋に湯当たりしてるようであるが。ここだけ見ると可愛いんだけどなぁ。でも獣耳が無い分、リンには劣るな。触り心地的な意味で!

 

「……ってか、何でお前……ら、まで俺と一緒に長湯しちゃってんのよ。途中で抜けても良かったのに」

 

 冷却の為だろう。片腕を【温泉】の縁に積もっていた雪に突っ込んでいたクベーラが、何とか言葉を返してくれた。

 

「そ、そうは申されましても……。この機を逃せば、これの話は中々に知り得ぬものでありましたもので……」

 

 これ。とクベーラは平天を視線で指しながら、意識を繋ぎとめるのに精一杯。

 良い感じで酒が回っているようです。いや、この場合は悪い感じだろうか。

 ……まぁ、何が切欠で会話を中断するのかは分からないのだ。妖魔を相手にする機会が多い、神様という種族である。相手が勝手に情報を垂れ流しにしてくれるというのだから、それを得ない。という選択肢は無かったんだろう。

 

「ウィリク様とリンは?」

「私はただの興味から……であったのですけれど……」

「今後の……参考に……」

 

 冷えたミネラルウォーターのペットボトルを額に当てながら天を仰ぐリンと、氷嚢代わりのチューペットを首筋へと当て冷却を計るウィリク様。

 各々、湯当たり対策は講じているようだが、何事にも限度がある。勉強熱心なのは良い事だけど、それで倒れられては宜しくないと、この話題を早く次の段階へと持っていくよう、平天に抗議する。

 

「……ちっ」

 

 耳障りな音が聞こえた事に、俺の選択は間違いではなかったようだと実感します。こんにゃろめ……意図的に仕組んでいやがったか。

 

「さて、何処からでしたか……。そうそう、私の子の一人に、ヒトの血が混じっている。からでしたね」

 

 こほんと軽く咳払い。

【温泉】脇に積もっていた雪の中へと突っ込んでいたワインボトルを一本開けて、ぐびりと一口。あ、それ一時期ニュースで話題になってた、一千万届く白のシャトー……。ぬぅ、目聡い。

 

「……素晴らしい。洗練の極みとも言える技法の賜物としか思えないこのキレを、何と呼称すれば良いものか。至高、とはこれの為にある言葉だ。これだけで、ここへと訪れた甲斐があったというものですねぇ」

「おぉ、あなたにもお分かりになりますか。いやはや、初めてこれを口にした時には、数日前に自信を持って勧めようとしました葡萄酒……九十九様のお言葉を借りるのであれば、ワイン……でしたかな? が、霞んでしまいます。恥を掻かずに済んだと、胸を撫で下しているところなのですよ」

 

 共感出来る相手の出現に、クベーラの意識が覚醒。互いに頷き合いながら、ロマネさんとシャトー君に舌鼓を打っている。

 

(全部が全部、俺の時代の物が美味いって訳じゃないんだけどさ……)

 

 特に、水。こっちの土地のは砂っぽくて困るけれど、あっちの……大和の地の水は、今飲んでいる南アルプスな飲料水とは、比べ物にならないほど美味かったものだ。お陰でペットボトル系の水を飲むのに不満を覚えるようになってしまったけれど、国に帰ればいずれ飲めるあの旨さを思い返せば、十二分に耐えられる。

 どっかの料理漫画じゃ、豆腐とワインにゃ旅をさせるな。なんて言葉もあるようだが、まぁ多分……鮮度とかでも違うんだろう。ここからワインの生産地までは、ものっそ大雑把に思い浮かべてみても、ヨーロッパとインド。この地でワインを飲む機会があったとしても、そこには距離という壁が立ちはだかっている。時間だけならば熟成云々と価値を高める要因ではあるけれど、その為には、完璧に近い品質管理が伴うのだ。冷凍車も、湿度管理も、衝撃吸収性の高い輸送手段を確保している訳でもないこの時代であれば、味の劣化は避けられないもの、なのかもしれない。

 

「って、良いからはよ続きを言いなさいよ!」

 

 楽しみを邪魔された事に不快感の混じった顔を向けてくるものの、しぶしぶ。といった風に、こちらの言葉に従う平天は、その真っ白な肌を僅かに朱に染めるだけ。

 くそ、こいつも酒強いのか。リンやクベーラの反応を思い返し、酔い潰れるまでにはかなりの時間が掛かるものだと予想する。あちらが先に音を上げる事は無さそうだと思いながら。

 

 

 

 ―――不承不承と話す平天は、何故俺に子供を預けるのかを説いた。

 妖怪の暮らす地で、人間の血が混じる者が住まうのは、酷。

 かといって、人間の暮らす地であれば、妖怪の血が妨げとなる。

 では天界はどうかと問われれば、自分を利用する為に何をされるか分かったものではなく。ゆくゆくは子すらも利用するに違いないので、それだけは認められなかったのだ……とか何とか。

 

「……それで、俺?」

「ええ。妖の者であれば人の部分が蜜となり、天の者であれば魔の部分が険となる。なれば、残る道は、人。……尤も、人一人の力量など塵芥。―――人の利点は、数。けれどそれを選べば、排他性が強い種である為に、半人半妖たる我が子の害となるのは必須ですからねぇ」

 

 平天が求める条件とは、子供に害をなさない護衛。

 しかしそれは、神様でも妖怪でも都合が悪く、人間だと力が無いので守れない。

 

「幾万もの命を蘇らせ、幾万もの命を地の底へと没せしめた者よ」

 

 やや溜めた後。こちらを見ながら、ニヤリと口元を釣り上げて。

 

「常識の外。限界の果て。久遠の彼方。幾数もの神々と、幾万もの妖魔を知る私ですら未知である存在。まるで、そう。あなたは―――超越者と呼ばれる種に違いないのですから。だからこそ、そんなあなたに―――」

 

 

 

 そこで、俺の羞恥心は超越した。

 

「いーやーーッ!!」

 

 何だよ超越者って! ある意味で間違いではない気もするけれど、そうも真顔で前振り込みの解説されると、色々刺さるもんがありますよ!?

 抱えていたインドラを放り出し、粉になれ。と言わんばかりに湯へと体を叩き付ける。遠巻きに見ている【メムナイト】や睚眦、身近といえば身近に居るリンとウィリクの冷めた視線が全身を射抜いている気がするのは、錯覚ではない筈だ。

 耳から頭に入って来た馬鹿馬鹿しい単語を打ち払う為に、餌にありつく緋鯉よろしく、ばっしゃんばっしゃん水面を跳ね回る。

 

「おぉ愉快かな! やはりあなたはこうでなくては!」

「お前それモノ頼む態度じゃないだろう!?」

 

 獅子もかくやに叫んでみたものの、とうの牛魔王はそれすらも望む所であったようだ。笑いの質が、よりサドっ気の強いものへと深まっていく。

 

 

 

 

 

 ―――それも、何度目かの瞬きの間には、幻のように消えていた。

 熱の篭った眼差しに、今し方まで行っていた会話は全て、この為の……子の為の複線であったのかとすら思える、急緩を付けたテンポ。

 緩みに緩んだ心構えに、一刺し。

 

「我が子を―――慧音を。どうか」

 

 その間、大よそ二十秒。

 

「………………え?」

 

 突っ込み所は、それこそ山のように。

 まさかこの後に及んで、記憶の中にあるそれ……ではない可能性は考えられなかった。

 平天大聖、あるいは牛魔王の名前を、どうもじればあの苗字になるのだとか。人間嫌いっぽいコイツから、何をすれば子供が人間好きな性格になるのだとか。そもあれは、後天的に妖怪となった者ではなかったのか、とかとか、とかとか。

 何を言おうか。というか、何か言うべきなのだろうか。

 動けば動くほどはまり込んで行く泥沼のように。足掻けば足掻くほど埋もれてゆく蟻地獄のように。答えのない答えを求めて、俺の思考は堂々巡りへと突入するのだった。

 

 

 


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