「へ……へっ……。ぬぅ。出ないクシャミとか、勘弁してほしいわ」
むず痒くなった鼻を擦る。
国を発ってから二日。思ったよりも早く発見できた温泉に、俺は早速お世話になっていた。
さすが神様御用達。体の芯から疲れが取れて、精神も澄み渡る効果も実感出来た。
うっかり一週間程そこで過ごしてしまったが(ぇ、お陰で色々とカードの組み合わせもまとまった……様な気がする。
うん、今度から度々ココに来るようにしよう。
温泉から上がり西の村へ向かうべく、散歩をしながら森林浴。
木々の間を吹き抜ける風が、火照った体から良い具合に熱を奪ってくれていた。
格好は相変わらずのGパンに白Tシャツだが、今はそれプラス、灰色寄りの白い外套を装備中。
これの外套を貰ったのは、洩矢の国で初めての遠征討伐の時だった。
流石にその格好では長期間の旅は辛いのでは、という諏訪子さんからの配慮でもある。
おお神様から装備品貰えるなんて! と貰った瞬間に小踊りしたのを、俺は忘れないだろう。
で、どんなSUGEEE効果があるのかと思ったのだが、常に清潔であるだの通常より多少丈夫になるだので、攻撃力UPとか移動速度倍増なんてことはなかった。
でもこの外套。なんとミシャクジ様の抜け殻を使っているのだとか。
確かに蛇皮? っぽい、光沢の抑えられた白い生地で出来ているのだけれど、結構快適だったりする。
雨や風を通さず、野宿する時にはこちらの体温を適度に逃がし、中々に快適な状況を作り出してくれる、優れもの。
厚みが無いので、下に敷く場合は地面を整地しないとゴツゴツで寝にくいのはご愛嬌。
軽くて丈夫で快適で。衣類として見るならこれ以上ない機能が搭載されていたのだ。
これが純白だった日にゃあ、俺は鷹の団とか作らないといけなかったが、色的にも性能的にも文句のない逸品だ。
それから、どこかに行く時にはいつもコイツのお世話になっている。
勇丸に続く、相棒その二って感じです。
(よっし。気力体力ともに充実。折角だから移動用のクリーチャーを試してみて、もう一度温泉に寄れるだけの時間を捻出するかな)
既に十日程経過しているが、急げばどうにかなるだろう。
毎回毎回勇丸に乗って移動するのは何だかあいつに悪い気がして、いつか移動用の奴を召喚しようと思っていたのだ。
良い機会だし、試してみようと思う。
……温泉気持ちよくて、だらだらし過ぎでカードの組み合わせとか全く考えてないのは忘れることにしよう。
「来い! 【ターパン】!」
現れたクリーチャーは、ぱっと見は、馬。
しばらく眺めても、やっぱりただの馬。
それもそのはずで、こいつはどこからどう見ても少し能力がある程度の馬である以外の何者でもないのだから。
緑マナ1で現れる1/1の馬クリーチャー。能力は、コイツが死んだ時にプレイヤーのライフを1、回復させるというもの。
このカードを見るまで知らなかったのだが、何でも前世では実際にいた絶滅種の馬なんだそうだ。名前もまんまターパン。
カード製作者も粋なカード作るじゃねぇかと、召喚し、実物を前にして、そう思う。
つぶらな瞳に幼い頃お世話になったポニーランドなる乗馬施設での記憶が蘇る。
その時はまるで山を見上げている気分だったが、今はさすがにそこまで大きく見えることは無い。
村では競馬に出てくるよりは小さめではあったがそこそこの馬がいたし、熊やら勇丸やらの大きな動物を多々みていたことで、感動は薄れてしまったようだ。
「よろしく、【ターパン】」
ぶるりと鼻息を荒くし、こちらに答えたように返事をしてくれた。
OKみたいなので、早速【ターパン】に跨る。
……いや、跨ろうとした。
「……あれ、なんかこう、足とか引っ掛ける道具はないのか?」
【ターパン】の体を見てみるも、どこにもそんなものは見受けられない。
しまった、馬だからって騎乗に適した道具が付随している訳じゃなかったんだった。
「何だったか……鐙(あぶみ)? 兎も角、今度それを作ってみるかなぁ」
構造自体はそこまで難しいものではなかった筈だ。
俺が楽出来るのなら、発案者達には悪いがガンガン製造していく。それが俺クオリティ!
……なんて調子に乗った思考をしてみるも、現状、【ターパン】の上に登るのはキツそうだ。
壁とかならダッシュ飛び乗りとか出来るので良いのだが、またがる相手は生物な訳で。
極力ダメージを与えないように、近場にあった木の上から【ターパン】の上に乗る。
カッコよく跳躍で飛び乗りたかったが、はてさて、垂直飛びで全国平均以下の成績が当たり前の俺は、一体何年脚力を鍛えれば出来るのやら。
(それ以外の瞬発力ならそこそこだと思うんだがなぁ)
あ、持久力系は論外です。
ならば。
手綱も鐙ない乗馬だが、今の俺にはチートスキルのオマケである意思疎通が備わっている。
乗ってる最中に色々とお願いして対処することにしよう。
(今度からしゃがんでもらうか)
しゃがんだ状態から俺を乗せて立てるかなぁ?
とか漠然と考えてみる。
次降りた時にでも試しようと思い、【ターパン】に西の村へ行くよう指示を――――
「―――」
息を呑んだのだ。まさか、と。
体が突然軽くなったからだ。
温泉や気分の高揚から生じたものではない、まるで、クリーチャー1体分を維持することが必要なくなったような………。
(!?)
振り返り、今まで進んできた道を、その奥にあるはずの洩矢の国を見る。
山々に囲まれて見えないが、なんてことは無い普通の道。
空は晴天。雲1つない快晴で。
けれど、何かがオカシイ。
「―――静か……過ぎる?」
鳥も、獣も、虫すらも。
耳に届くのは、風が木々を揺らす音だけ。
今までこんなことはなかった。
何かがおかしい。その決定的な何かが分からないまま、俺は【ターパン】へ洩矢の国へ戻るよう、指示を出す。
そうして、徒歩では考えられない速度で、木々の間に張り巡らされた道を駆け抜けていく。
この分なら、月が大地を照らす頃には戻れるだろう。
(何が……何が……何が―――!?)
焦る気持ちと相まって、数刻の間、俺の頭は正常に動いてくれなかった。
やっと冷静になれたのは、日暮れ間近。
無休で走り続けた【ターパン】も、流石に夜目は効かないようで、若干の速度を落として走っている最中であった。
(体力に空きがある。必要以上に力がみなぎって……違う。本来の体力に戻っただけだ。か、考え……考えられる……ことは……)
体力のレベルが上がった。なんて話だったら、手放しで喜べた。
けれど違う。そんな感覚ではない。
考えたくない結果に目をそむけ、それでもはやり辿り着いてしまうその結論。
(―――勇丸が……死んだ)
初めてのクリーチャーの死。
カードゲームでの出来事なら、墓地と呼ばれる捨て札置き場に行くだけのことだが、こちらで死んだ場合はどうなるのだろう。
情報では知っている。あの世のおっちゃんから教えてもらったから。
この世界では死んでから24時間は脳内のカード捨て場に置かれた状態になり、時間が経つと脳内山札に戻ると。
そんな、何処にでもあるトレーディングカードゲームに乗っ取ったルールだった。
だが、記憶はどうなるのだろう。
俺と勇丸は決して短くない時間を一緒に過ごしてきた。
勇丸におんぶに抱っこ状態だったが、思い入れは今までのクリーチャー達とは比べ物にならないほどある。
―――召喚されたカードは、成長する。
身体や能力的には分からないが、少なくとも勇丸は俺に対してゆっくりとその態度を軟化させていったのだ。つまりは、思考の成長だ。
それが、無に帰す。
ただ実体からカードに戻すだけなら記憶の引継ぎは出来ると実験で分かったが、死んだ場合は試すことが出来なかった。
ならば今すぐにでも勇丸を召喚したいが、あいつはクリーチャーの中でも特殊な【伝説】タイプが付与されている。
『伝説(レジェンド)』
MTGには原案となった物語があり、そのストーリー上重要な人や場所、道具などがカード化された場合、この特殊タイプを持つことが多い。
そんな重要なものが2つ以上同時に存在するわけがない、という解釈の下、もし同時に存在しようものなら、その瞬間、それらカードは対消滅し、捨て札場に置かれる。
俺が召喚した【今田家の猟犬、勇丸】は白1マナで2/2の【バニラ】という、MTGの価値観からすれば破格のコストパフォーマンスを持つクリーチャー。
その際唯一のデメリットが、この【レジェンド】。一度に複数枚は使用出来ないよう調整されていた。
今、あいつの生死を確認する為に勇丸の召喚を行えば、この【レジェンド】ルールに引っかかり、対消滅を起こしてしまうかもしれず、もしそうなったとしたら、最悪、勇丸を殺しかねない。
だからといって召喚しないのだとしたら、あちら側は勇丸が危なくなっている状態にも関わらず、雑多な妖怪相手だったが、6ヶ月無敗の戦力が急に消えている事になる。
遠くにいる相手を確認するカードを使うのも手だが、後少しで村に到着しそうではあるし、マナを使うのも危険だ。
【ターパン】に使ってしまったので、使えるマナは残り4。
勇丸が対処に困る相手だと、4マナ位は無いと心もとない。
だから、今俺に出来るのは、必死に【ターパン】の背にしがみ付き、少しでも移動速度を上げることだけ。
(待ってろよ勇丸! すぐ向かうからな!)
例え現実が勇丸の死を肯定していたとしても、それを心が理解してくれるのは別だと思いながら。
駆け出す蹄の音は、それから一時間ほども続いた。
日もとうと暮れた、星々と月が大地照らす時間帯。
急いで勇丸のいる場所に向かおうと村へ来てみれば、そこには老人や女子供しかおらず、そんな彼女らは皆、社の前で、懸命に何かに祈っている。
これが俺の知らない夜の信仰儀式とかだったなら、どんなに良かったことか。
近づく俺にそのうちの1人の女性が反応し、泣きすがる様に祈りの内容をぶつけて来た。
曰く『諏訪子様と男達全員が異国の神、それ率いる軍と戦っている』『自分達は、戦に向かった諏訪子様達の無事を祈っているのだ』と。
戦? 異国の神? 諏訪子さんが出陣?
色々な疑問が沸き上がるが、一つの出来事を思い出し、俺の思考は一直線にまとまった。
(諏訪……大戦!!)
東方プロジェクトの出来事で、大和の神である八坂神奈子がこの洩矢の国へ攻め入る戦争。
この大戦の後、八坂と洩矢は互いに共存の道を歩み、幻想卿へ辿り着く。
辿り着くまでの経歴は詳細には知らないが、幻想郷にいる時の―――作品中で出てくる彼女達は、少しの寂しさは窺えるものの、それなりに面白そうな事件を起こしたり、色々やって楽しんでいた。
最後がハッピーなら良いじゃないと思うだろうが……その過程では、死にはせずとも、多くの血が流れているのかもしれない。
普段の俺ならば、そんなもの。と、興味もなく切り捨てる出来事。
けれど巻き込まれるのは、俺が接し、笑いあい、とても良くしてくれた人達なのだ。
とてもではないが、納得出来ない。
……どうして忘れていたのだ。楽しかったから? 話すのが怖かったから? 言うタイミングを掴めなかったから?
どこぞの漫画やアニメの主人公なら明確な答えでも出せるのだろうが、その答えには、俺にはとても辿り着けそうにない。
―――しいて上げるとするのなら、ただ。
ただ、本当に忘れていたのだ。
素晴らしい人達、不自由ながらも満足感のある生活、そして優しい神様。
どれをとっても素敵なことばかりで、自分がPCゲームの中にいるなんて、一瞬たりとも自覚することなど無かったのだ。
自分の愚かさに、怒りで我を忘れそうになるが、今やりたい事は決まった。
『助けて下さい』『お救い下さい』と懇願する人々の願いを背に、諏訪子さんが向かっていった方面へと【ターパン】を駆る。
向かうその先。
幾筋ものか細い煙が立ち昇っているのが、遠目であるにも関わらず、よく分かってしまっていた。
「……」
言葉が出ない。
星の光が降り注ぎ、夜だというのに本すら読めそうで。
小高い丘の上から見下ろす平原には大勢の人がいて、手には各々武器を持っている。
そいつらが見つめる先。
かつて激戦が行われたであろうその場所には、巨大な白蛇や人が大勢倒れ転がっている。
所々に、防衛を行ったであろう櫓(やぐら)の跡が見て取れるが、そのどれもが破壊され、崩れていた。
その周囲。
そこには言葉にならない呻き声を上げる者。大切な人だと思われる者の名を呟く者。
腕が足がと体の欠損を訴える者に、もはや呼吸をするのがやっとだろうと思われる者。
布団をくれた奴がいた。道を教えてくれた奴がいた。狩のやり方を教えてくれたり、恋愛相談をしてきた奴もいた。
……そんな奴らが、一人残らずこの地獄絵図を彩る絵の具になってしまったかのような。
諏訪大戦。
どうにも俺は勘違いをしていたようだ。
八坂の神と洩矢の神の一騎打ちで、熱血よろしく八坂が洩矢を負かした後は手と手を取り合い互いに国をよくしていくのだろうと、心のどこかで思っていた。
けれど目の前にあるこの光景は何だ。思い描いていた幻想とは、あまりに遠い。
勝てば官軍。
なるほど。そんな言葉を俺の目の前にいる奴らは実行したのか。
神だ何だと言いながら、本人はいざ知らず、周りの連中なんて結局そんなものなのか。
美談で固め、信仰の対象をより強固にする。
理解出来るし、事情も分かるが、納得できるものではない。
そんな漠然とした思考の中。
その軍隊の中央に、俺の記憶と外見が一致する人物がいた。
『八坂神奈子』
乾を創造する能力。
鉄の武器で挑んだ洩矢の国に対して、その武器に蔓を巻きつけ酸化させ無効化したという、主に天候を象徴する神。
まるで太陽を象徴するかのような円形に形とられた注連縄を背負い、辺りに巨木ほどあろうかという何本かの石柱を浮かせている。
けれどそんなものはどうでもいい。
今問題なのは、その八坂神の足元。
無事なところが見つけられないほどに傷つき、片足の角度はおかしな方向へ曲がり、自らが作り出したであろう血の海に沈みピクリとも動かない、洩矢諏訪子がそこにはいた。
「手間をかけさせたな、洩矢の神よ」
諏訪子に向かってなにか言っているようだが、関係ない。
無意識の内に、乗っていた【ターパン】を還す。
俺の脚は何かに盗り憑かれたように、ふらふらと諏訪子の元へと歩みを進めた。
「鉄の武具、確かに脅威であった。しかしそんなものは私の前では屑だというのがよく分かっただろう」
駆け出すでもなく、一歩一歩ゆっくりと。
「見事に戦ったと褒めてやる。安心しろ、国の方は繁栄を約束しよう」
まだ、まだ生きている筈だ。
見える範囲でなら、人影は皆生きている。
だから、諏訪子も、まだ……。
「これで終わりだ洩矢諏訪子の神。お前の為にと先に逝った狗神に謝罪でもしてくるといい」
石柱の一本。
「あ……」
槍の様に細いそれは、血溜まりに沈む諏訪子の胸を貫いた。
少し走れば手が届く。
そんな距離で、神の鉄槌は無慈悲に下された。
広い平原。
一人でこちらに向かってくる者の洩らしたような一言に、周りの者はやっとその者の存在に気がついたようだった。
八坂とて例外ではない。
領土拡大達成の思いにふける中やってきた、一人の男。
人間にしては背の高いそれと、身に着けた外套はミシャクジの皮で作られているのだとすぐに判断し、この神に仕えていた神職か何かだろうと思い、声をかける。
「主らの神は私が倒した。以後、この国は私のものとなる。民の命や財産は保障する。私を奉れ。国の繁栄を約束しよう」
男はそんな声など聞こえない。目の前の光景が信じられないとばかりに目を見開き、けれど歩みを止めず、倒れた神の前まで行き、手を伸ばす。
『あ……あ……』と言葉にならい声を上げる男に、八坂は訝しげな顔を向けた。
「八坂様、この者は心が壊れております。対話は難しいかと」
八坂の後ろ、人間の代表のような男がそう進言する。
言われ、それもそうだと考え直した。
神職が崇拝していた対象を目前で倒されたのだ。
こうなっても仕方ないのだろう。
「致し方ない。洩矢の神をその男に渡せ。我らがするより、その方が良かろう」
貫いていた柱を消す。
男は血溜まりに沈んだ神をそっと抱き上げ、顔を埋めた。
声を押し殺して泣いてでもいるのだろう。
他人事のように、客観的に八坂は判断し、自軍の状態を見る。
強大であった軍勢が、四割程も減っていた。
それに、私の力も大分減少している。
洩矢の民が手にした武具の威力は絶大で、こちらの攻撃や防御をものともせず向かってきた。
これは拙いと瞬時にその武具の特性を見抜き、風化させたはいいものの、彼らはまるで意に返さず立ち向かってくる。
その先頭に立つ、巨大な白蛇と賢狼を引き連れた洩矢諏訪子の神。
こちらも八咫烏などで対抗し勝ちを収めたは良いが、被害は甚大であった。
既に負傷した者は後方に下がらせ休養をとらせている。
復帰出来ぬ者が一割、残りの者はゆっくり養生させ神気で助力してやれば、元気になるだろう。
ため息が出る。
これでは再編には時間がかかるなと思い―――
―――その場から、一瞬で飛びのいた。
原作通りの変な神様だった。
偉いわりには小さくて。意地悪で、女の子で。
笑うたびにケロケロと、蛙を連想させるのは女性としてどうかとも思った。
時に叱られ、時に愚痴を聞き、時に笑いあい、過ごしてきた。
けれど、そんな彼女は今はとても冷たい。
触れた事など一度もなかったが、羽のように軽いその体は、今にも消えてしまうんじゃないかと錯覚させる。
(……なぜだ。なぜ、こんなことに)
様々な“もし”が頭を駆け巡り、そのどれもが現実を前に否定されてしまう。
本当に―――なぜ、こんなことになったのだろう。
前で、声がする。
纏う神気でそれが八坂神奈子だと思い出した。
(……そうか。こいつ等に殺されたんだった)
思い出したように、頭の中でその事実が掘り起こされる。
憎いとか、怒っているとか、それらの感情が一気に沸点に達し、限界を超える。
ただただこの怨みを晴らすべく、抱えた諏訪子をゆっくりと地面に寝かせながら、考えられうる最高のカードを具現化させる。
(召喚、【ブラッドペット】【鬼火】【泥ネズミ】)
姿を見せるのは、その三体のクリーチャー。
いずれもコスト1で、パワーもタフネスも1以下の黒のクリーチャー。今この場で出しても俺の怨みを晴らすべき能力もないし、力もない。
けれど、黒のクリーチャーが三体ここに出ている事が重要なのだ。
八坂はこれらのクリーチャーが突如出現したことに警戒して、一気に距離をかなり空ける。
まるで様子を窺うかのようにかのようにこちらから視線を逸らさない。
(あぁ、もう、どうでもいいか……)
相手がこっちを見てるとか、見てないとか。
ようは相手を倒せばいいのだ。
オマケにマナのストックが、後1しか存在しない。
もう、向こう数時間は回復しないだろう。
ならばもう、やることは1つ。
さらに追加で一体。
思い描くは、またも黒のクリーチャー。
けれどそいつはマナコストが高く、今の俺では到底召喚出来るようなものではない。
―――だが、その縛られたルールを覆すのがカードゲームであり、MTG。
【ピッチスペル】というものがある。
代替コストと呼ばれる、マナ以外のコストのみで唱えることができる呪文の俗称のことだ。
そして、出そうとしているクリーチャーが要求するコストは、『黒のクリーチャー三体の生贄』。
呼び出そうとしているそのカードは、攻守共に優れた6/6の性能を誇る、強力なもの。
維持出来るのならば、それは充分脅威となる。
しかし足りない。まだ、足りない。
相手は神。
諏訪子達と戦い減ったとはいえ、軍門は数多く、幾千の人間と力のある神々がその下に名を連ねている。
―――足りない。足りない。この怨みを晴らすには、まだ足りない。
ならば、足るようにしてやればいい。
三体の生贄と……俺自身の体を糧に。
ライフの支払い―――細胞の減少だと思っていたが、本当の意味を確かめる時が来たようだ。
(対象は、俺の左半身)
死ぬかもしれないし、仮に生きていたとしても、とても生き難い体になるのは確実。
……だからどうした。
それがなんだ。
今、この瞬間。
この思いこそが、俺の全て。
「来い―――」
どこからともなく、俺の周囲が闇に染まる。
そこから伸びる、二本の腕。
人の胴体ほどあろうかという太さのそれは、片手で生贄とした三体のクリーチャーを串で肉でも刺すかのようにまとめて貫き、闇の中へ引きずり込む。
そしてもう片方の腕は俺の左手を掴み―――引き千切った。
視界が白熱する。
一瞬で瀕死に追い込まれるが、それでもこの思いは曲がらない。
止め処なく溢れる赤を羽織っていた外套で押さえつけながら、この状態でも冷静でいられる頭にミシャクジの加護でもあるのかと、逡巡。
横たえた諏訪子に血が掛からぬよう、体を傾けた。
黒のクリーチャー三体と、自身のライフを6点。
六点というのがどう作用するのか不明だったのだが、それは左腕一本分らしく、ものの見事に俺の体は一部が欠けた状態になってしまった。
自身のライフを大量に失うことはこういうことなのか、と。痛みによる激痛に抗いながら、内心で苦笑する。
ライフの支払い―――それは、自身の体の一部を代価にすること。
手でも足でも、血でも肉でも。
初めて使った時は、捧げるものの指定を行わなかった。
恐らくその状態でライフを支払うと、体全体から生きるのに可能な限り支障の無いよう、均等に何かが失われていくのだろう。
……そうして。
代替コストを全て払い終えたのを確認し、心で、言葉で、奴の名を叫んだ。
「―――来い! 【死の門の悪魔】ぁぁぁあああ!!」