えっちなことはしないよ。
「あら、どうしましょう…」
山城が困ったように呟く。
「どうしたんだい?」
同室の時雨が山城に問いかける。寝間着姿だ。
「お布団が足りないのよ…」
「そう…」
「仕方ないわ、今夜はソファで寝ようかしら…」
「そ、そんな……そうだ、僕の布団で寝ればいいじゃないか」
「時雨、いいの?」
「僕は別に平気さ。それに……そうだよ!冬だからお互いに暖かいんじゃないかな?」
「じゃあ、お言葉に甘えるわね…」
山城は時雨の右側に潜り込んできた。枕は一つしかないので二人で頭をのせる。山城の髪がふわりと広がり、シャンプーの甘酸っぱい匂いが鼻孔をついた。
二人の間は、拳一つ分くらい僅かに空いていた。
「じゃあ、お休み、山城」
「おやすみ、時雨」
電気を消す。カーテンを閉めているので明かりもなく、真っ暗だ。
暗闇の中、山城が顔だけをこっちに向けたのが分かった。時雨も勇気を出して顔を山城の方に向ける。生暖かい息がほのかに顔にかかる。暗闇の中、山城の輪郭だけがぼんやりと浮かび上がっていた。目と目が合っているわけでもないのに目を合わせて、覗き込み覗き込まれているような奇妙な感覚だった。時雨は顔を戻そうかとも思っていた。
山城は何もしなかった。少し抑えたような、ゆっくりとした息の音だけが時雨の耳に届く。二人は少しも体を動かさなかった。
結局、数十秒か数分か、時雨は身動きもせずに山城の方を向いていた。山城が何かしてくれるのではないかと、薄く期待していた。
一方の山城の頭の中では、恋慕の情がうずまいていた。大好きな時雨に触れたかった。恋い焦がれている時雨が、こんな近くで無防備な姿をさらしている。自分の目の前、息が顔に届く距離にいる。その事実だけで山城は感無量だった。
嫌われたくなかった。自分が時雨の隣にいられるだけで奇跡なのだ。これ以上望むのは欲深だとすら思っていた。布団の中、山城は動き出せなかった。時雨は山城に身を委ねる覚悟すら出来ていたのだが。
不意に、時雨は山城に背を向けた。
山城は、僕のことを特別な存在だなんて思ってない。ただ、何となく顔を向けただけだったんだ。時雨は小さくため息をついて目を閉じた。期待していた自分が卑しい存在に思えてきた。自分への嫌悪感を感じながら、時雨は眠りの世界に沈みかけていた。その背中に、山城の手が触れる。
体をびくっとさせてしまったが、それきり時雨は反応しなかった。些細な反応で山城は止めてしまいそうだったし、山城のされるがままになっていたかった。山城の手は時雨の背中から二の腕を通って時雨の胸のあたりに届いた。触っているというよりはのせているぐらいの力だったが、時雨は嬉しかった。
時雨は、のばされた山城の手に触れた。自分の手より少しだけ冷たかった。勇気を出して山城の手を握る。山城もそれを受け入れた。少しずつ二人の熱が移動していく。耳元に山城の熱い息を感じた。
二人とも無言だった。喋ったらその瞬間に恥ずかしくなって今までのことが全てなかったことになってしまいそうだった。
山城は右腕に力を込める。時雨の体は細く華奢で、強くて抱いていないと崩れ去ってしまいそうだった。時雨もそれに呼応するように山城の腕を強く握った。もっと僕を抱いてよ。口には出せなかったが、心の中でそう叫ぶ。肌が触れ合っているだけなのに、顔が熱くなって、全身の感覚が鋭敏になっていた。
暗闇は二人の脳内から羞恥を奪っていった。山城は時雨の体の下からも腕を通し、両腕でかき抱く。時雨の体。温かい。柔らかい。触感だけが頭の中を駆け巡り、我を失いかける。強く、ただ強く、時雨と触れ合いたい。空気すらも二人の間に挟みたくない。肌と肌の境界線なんてなくなってしまえばいい。溶け合って時雨と一つになってしまいたかった。
時雨は布団の中で体をひねり、山城の方へ向いた。勇気を出し、山城の肉付きの良い胸に顔を埋める。心地よい弾力が顔を覆う。薄い夜着をはさみ、山城の体の柔らかさを楽しむ。息を吸うと、山城の匂い——人の心を妖しくかき立てるような匂いだ——が鼻に広がっていく。山城の匂いに身を包まれたくて、時雨は何度も深呼吸した。
山城はこの予想外の行動に数秒だけ硬直していたが、時雨の髪を優しくなで始めた。年上が年下をいつくしみなだめるような優しさだった。
三つ編みを解いた時雨の髪は滑らかで、液体のようにさらさらとした触感を山城の手に伝えてくる。この子をもっと美しくしてあげたい。山城はそんなことを考えていた。
山城の匂いをたっぷりと堪能した時雨は山城の胸から顔を上げた。邪魔な布団をはねのけて膝建ちになる。
山城は、時雨が離れてしまうのではないかとびくついたが、当然それは杞憂だった。時雨は仰向けの山城に跨がった。駆逐艦だから当然とはいえ、時雨の体はおそろしく軽かった。そのままふらりと倒れてしまわないか不安すら感じ、山城は思わず時雨の腰に手をやる。時雨の体は折れてしまいそうなほどにか細く、ひたすらに山城の庇護欲をかき立てた。
時雨は馬乗りになったまま一息ついた。麻痺しきっていた理性がつかの間の急速を命じたのだ。同時に、多少冷静になった頭がいろいろなことを考え始める。
この暗闇の中、唯一と言っても言い確かなもの。山城。僕の大好きな、最愛の人。今日、僕は山城とこんなことをしている。僕の気持ちが伝わるなんて思ってもしなかった。同僚のままだと思っていた。寂しさを抱え、満たされぬ恋心に悶えながら生きていかなければならないと思っていた。山城の手が腰に添えられる。山城が、片鱗でも僕のことを思ってくれている。そう認識し、無上の喜びが体を包み込む。これで満足だった。山城と触れ合い、抱き合い、同じ温もりを感じる。僕には充分すぎる幸せだった。
でも——でも、僕はもっと欲しくなっちゃったんだ。
時雨は心の中でそう呟き、彼女の中での一線を超える決意をした。
”次”を切望していた山城の体を掴み、自分の方に強く引き寄せる。丁度、足を伸ばして座る山城の足の上で時雨が跨がって座るような姿勢だ。顔と顔の距離が狭まる。目が慣れてきて、お互いの輪郭がぼうっと浮かび上がっている。
表情まで見えなくてよかった。きっと、僕じゃとても恥ずかしい表情をしているだろうからね。でも、山城の顔が見えないのは残念かな。
そんなことを考えながら、時雨は両手で山城の顔を掴んだ。興奮か羞恥か、山城の頬は激しく熱を持っていた。すべすべしていて、いつまでも触っていたくなるような頬だった。
そして、時雨は彼女にとっての一線を越えた。
腰を浮かしながら、時雨は自らの唇を山城のそれに重ね合わせる。
時雨のファーストキスだった。
永遠だったのか一瞬だったのか、時雨には判然としなかった。唇をあわせた瞬間、全てが無くなって、山城の唇だけを感じていた。それは何にも代え難いほどに柔らかく、何にも代え難いほどに熱かった。
もう一度、いや、もっと。たくさん。
一度キスをしてしまうと、二人は狂ったように唇を重ね合わせた。その甘美な瞬間は、何度繰り返しても変わらぬ官能を二人にもたらした。それどころか、すればするほど相手の体を奥底まで知るような気にすらなってきた。
幾度口づけを交わしたか、どれほどのときが流れたのか。疲れきった二人はキスをやめた。ファーストキスの味は、汗のしょっぱさだったのかな。熱でぼうっとした頭で時雨はそう思った。しかし、休むのもつかの間、お互いの荒い息が部屋に響き、心が再び滾りはじめる。
どちらが先か、二人は舌を出し、絡み合わせ始めた。半開きになった時雨の口から涎が垂れるが、どちらも構わずに続ける。ぬらぬらしている舌で相手の舌に触り、唇をなめる。背徳的なものを感じたが、それもまた快感の引き立て役でしかなかった。
山城は時雨の後頭部を引き寄せ、半開きの口に自分の舌をねじ込む。口内は生温かく、時雨の”生”を感じた。半ば強引に侵入した山城の舌を、時雨のそれが優しく触れる。
山城は時雨の歯列をなぞりあげ、奥歯の方まで、可能な限りなめ上げる。もはやキスの延長というよりは、口内を犯しているという様相だった。
時雨はその心地よさに酔いしれ、快感に悶えながらも山城にされるがままでいた。
息が続かなくなり、山城は時雨の口内から抜け出た。
おそらく二人の間には唾液で橋がかかっているのだろう。想像しただけでいやらしく、美しかった。こんな爛れたような関係になってしまって、私たち、さっきまでは只の同僚だったのに。後ろめたさと後悔がわいてくるが、それも遮られた。
時雨の唇が山城のそれに触れる。いいかな?とでも尋ねるように山城の唇にキスを落とすと、時雨の舌はおずおずと山城の唇を割り、中に入ってくる。
中に入った瞬間、小さくて可愛らしい舌は、しかしそれに似合わないほどの凶悪さで山城の口腔を責め立てる。ただ山城を感じたくて、山城が欲しくて、その一心で山城の口を蹂躙する。そして、時折山城の唾をかき集めては嚥下する。
時雨の行いに、山城は感無量だった。山城は時雨を強く抱きしめる。時雨が愛おしく、可愛らしく、その温もりを得られるならば何だってできた。
時雨は満足したとばかりに山城の口を抜け出ていった。時雨の余韻を味わうかのように、山城は唾を飲み込む。
と、時雨は山城の顔をぺろぺろと舐め回していく。まるで、忠犬が主に対して行うように。汗でべっとりとし、髪が幾筋か張り付いている額も、奇麗なカーブを描く頬も、気高く尖った鼻も、顔中を丁寧になめていく。
山城はこそばゆく感じて時雨を引きはがそうとしたが、時雨は山城を意に介さず奉仕し続ける。果たして山城がそれを奉仕と感じていたかどうか。時雨の頭には、山城への強い愛情だけが残されていた。
これで終わりとばかりに時雨は山城の耳にかぶりつく。水のように流れる髪から突き出した耳をまるごと口に吹くみ、たっぷりと涎を含ませ、舌で愛撫する。
快感とくすぐったさが入り交じり、山城は悩ましげに息を吐いた。身を震わせながら、時雨の体を抱き続ける。そのまま、山城は時雨の愛撫を堪能し続けた。
目の前で時雨とむさぼりあって確かなぬくもりを感じていたが、それでも時雨ははかなく感じた。こんなにも温かくて実体があるはずなのに、手を触れていないとどこかで消えてしまいそうな危うさを孕んでいた。
時雨が山城の耳から口を離した。どこか遠いところでの出来事のようだった。耳にはまだ時雨の温もりが残っている。
なぜ私は時雨を好きになったのか。山城は、歓喜に悶えながらぼんやりと思索する。
特にきっかけはなかった。同じ艦隊の艦娘としてしか見ていないはずだった。
時雨はいつも、笑っている時でさえも物憂げな表情をしていた。笑うことを、幸せになることを恐れているような時雨の姿は、まるで、昔の自分を見ているようで、時雨を見ていると不思議と胸が痛かった。
心の底から笑って欲しかった。きっとそれが恋の始まりだった。
時雨とよく話すようになり、ますますそう感じるようになっていった。ただ、勇気が出なくて、時雨への感情の核心に迫ることは意図して避けていた。
でも、今はそんなことどうだって良かった。時雨が隣にいるだけで十分だ。
横になった山城は目を閉じる。とろりとした眠気が忍び寄ってきた。時雨の体を感じながら、山城は夢の世界に漂っていった。
時雨は、横になった山城の髪を撫でていた。僕の山城。
「大好きだよ、山城」
小さな声で呼びかける。返事はなかったが、きっと受け入れてくれているはずだった。
時雨も横になった。山城にぴったりと寄り添い、柔らかな体を抱く。汗でじっとりしていたが、気にもならない。時雨は満ち足りた気分で目を閉じた。
終。
翌朝に続く。
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