私には見向きもせずに、私の目の前を足を引き摺りながら歩く《彼》の首を無感情にシャベルで撥ねた後。
こうであってほしくない、と思っていた仮定が確信へと変わってしまい、暫く呆然と立ち尽くすと、私は小さく皮肉げに嗤った。
「やっぱ、私も《そっち》側…なのか」
小さな呟きは、頭という指令器官が無くなって《彼》の体が崩れ落ちたグシャリという生々しい音に掻き消された。
何かがおかしいと感じ始めたのは最近。
バリケードの見回りのために私とくるみが手分けして三階と四階を回っている時が最初だった。
たまたま崩れた机が陰になっていて見えなかったのか、唐突に目の前に《彼》が姿を現せたときは本当に焦ったのだが…何故か《彼》は『私を視界に捉えても、何も反応しなかった』のだ。
その意味を考え始めた時から、何となく予想はしていた。
恐らく、『私の体は既に《奴ら》と同じになっている』。この間、体温計で熱を測ったときに異常なまでの低体温だったりしたことから、それはほぼ間違いないと見ていいだろう。…それに、何故か最近食欲が出ないのも、そのせいかもしれない。
血がついたシャベルを屋上で洗ったあと、私は転落防止のフェンスに肘をついて深く溜め息をついた。
だったら…私は、皆と居るべきじゃないんだろう。
いつ、《彼ら》と同じように彼女たちに襲い掛かってしまうかは分からない。殆ど《彼ら》側に私の体が踏み込んでしまっている以上、いつどんな拍子で理性を失ってもおかしくはないのだから。
「ああ…でも、辛いなぁ」
無意識に言葉が溢れた。
彼女達と別れるのは辛い。例え理屈ではどんなに正当化されていても。ふと、学園生活部の皆の顔が思い浮かんだ。
すごく信頼できる仲間である、くるみ。
いつも私たちを暖かく見守ってくれている、めぐねぇ。
無邪気に皆の支えになっていた、由紀。
しっかり頼れる皆の姉のような存在、悠里さん。
歪み始めていた私たちの常識を再認識させてくれた、美樹くん。
細かな気配りが出来てすごく賢い子な、圭。
皆、必死に生きている。…それをよく知る私が、それを邪魔するわけにはいかない。…それに、私は彼女たちのために死ねるのなら、寧ろ本望だ。
「めぐねぇが聞いたら、怒るだろうけど」
めぐねぇが頬を膨らませた姿を想像して、思わず苦笑いを浮かべる。…と、不意に視界が滲んだ。
自分が泣いているのだ、と気付くのに少し時間がかかった。足の力が抜けて、私はへたり込む。
「…いやだ。…さよならなんて、したくない…したくないよ」
嗚咽が漏れる。本心が現れる。人間としての普通の感情が決意に抗おうとする。
暫く私は泣いていた。
皆と別れたくはない。…だが、そういうわけにもいかないのだ。
自分が彼女たちを殺してしまう。…それこそ、私にとっては最悪のエンディングなのだから。
涙を拭い、立ち上がる。
……もう、迷うことはなかった。…でも、もう少しだけ。
「学校を出る前に、私がこの学校にいる《奴ら》を全員殺してから…それから、私は居なくなろう」
それは、《奴ら》にエサだと認識されない私が――私だけがやるべき仕事だ。
私は立て掛けたシャベルを再び手に取ると、屋上を立ち去った。
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「…ふわぁ。…りーさんは…まだ起きてないのか」
寝ぼけ眼を擦りながら部室に入ると誰の姿も無く、あたしは拍子抜けしたように大きな欠伸をした。どうやら今日は珍しくりーさんたちよりも早く起きてしまったらしい。
早起きをしたのだし折角だから、と何となく日課のストレッチをしていると、不意に机の上に見慣れないものがあるのに気付いた。
「…何だこれ?…手紙か?」
丁寧に封がされていたその手紙を見て、あたしは何となく嫌な予感を禁じ得なかった。心なしか震える手で、その封筒を開く。字の筆跡からして、書いたのは恐らく愛莉なのだろう。
そして、そこに書いてあった内容は、と言えば。
『私は出ていく。迷惑はかけられないから。
ごめん。そして、ありがとう』
「…は?」
あたしの口から、掠れた声が漏れた。