戦姫絶唱シンフォギア ~歪鏡に選ばれた少女~   作:きおう屋

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EPISODE 12 「歩みを共に」

「ただいま帰りました」

 

 風鳴翼の戦闘を最後まで見届けることもなく、フィーネの誘導に従いながら二課が敷いた包囲を潜り抜け、蛍が漸くセーフハウスに帰還できたのは、日付けが変わり、夜も更けきった時間帯だった。

 ノイズの発生によりモノレール等の公共交通機関は運転を停止しており、僅かな望みを託したタクシーも捕まえられずに、蛍はセーフハウスである町外れにあるホテル――海側とは反対に位置する――に徒歩で辿り着かなければならなかった。

フィーネから通信にて逃走経路を指示されていたとはいえ、道中は常に周囲に気を配っており、その筋では有名な忍者の影に怯えながらの逃避行は、流石の蛍も堪えた。

 身を蝕む重たい疲労を感じながら、ふらふらと覚束ない足取りで柔らかなベッドを求め、歩を進める。

 シャワーを浴びようかとも思ったが、今はとにかく泥の様に眠りたかった。着替えるのすら億劫で、今日一日で何度となく脱ぎたいと思ったフリフリのワンピースさえ脱ぐ気力が湧いてこない。

 蛍は限界だと言わんばかりに、両手に持っていたソロモンの杖の入ったバイオリンケースとクリスのお土産にと買ってきた牛乳とあんパンの入ったビニール袋を無造作に床に落とした。どちらも大切なものだった筈なのに、それらを気遣う余裕が今の蛍には欠片も残っていなかった。

 

 今日は色々なことが、起こりすぎた。

 

 6年振りの外の世界。クリス以外の同世代の少女たちとの会話。初めての殺人。謎の装者の出現。二課の包囲網の突破。

 6年間、フィーネとクリスの2人としかまともに接してこず、屋敷に引きこもっていた蛍には些か刺激が強すぎる出来事の連続だった。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 欲望の赴くままに、ベッドに倒れこもうとした蛍だったが、ベッドの縁に腰をかけ、うつらうつらと頭で船を漕ぐクリスの姿を瞳に映して足を止める。

 白藤色の髪がクリスの頭の動き合わせてふわりふわりと揺れている。薄紫色をした瞳は瞼の裏に隠れ、桜色の唇からは可愛らしい寝息を立てている。今にもこてんとベットに倒れこんでしまいそうだ。

 普段の勝気な態度からは想像もつかない安らかなその寝顔に、蛍は堪らない愛しさを覚え、心に溜まっていた黒い泥が少し洗い流された気がした。その寝顔が頑張って自分を待っていてくれた結果のものなのだから、その愛らしさも一入だ。

 無性にクリスに触れたくなった。しかし、そう思った蛍の手は彼女に触れる直前にピタリとその動きを止めた。

 

 この手で、本当に、彼女に触れても良いのだろうか。

 

 白く、純粋で、真っ直ぐな彼女に、血に濡れた自分の手で触れてもいいのだろうか。

 必要な犠牲だと蛍は、既に覚悟を決めた。けれど、多分、クリスは未だに割り切れていない。表面上は理解したつもりになっているかもしれない。しかし、クリスはあの光景を見ていない。

 

 街中に轟く、怒号と悲鳴。

 ノイズが発する不協和音。

 風に舞う炭。

 

 自分の指示でノイズが無垢な人々を炭へと変えていく。誰かの意思じゃない。自分自身の意思で人を殺した。あの感覚は、体験した者にしか分からない。蛍とて、実際に体験するまでは分かったつもりになっていたのだ。

 皆神山の発掘現場、2年前のツヴァイウィングのライブ会場、他にもフィーネが引き起こした殺人の全ては、蛍自身が殺したのも同じことだと考えていた。

 だが、違った。それは大きな間違いだった。他人の意思で殺した殺人と、己の意思で犯した殺人とには天と地ほども差があり、伸し掛かる責任の重圧は小さな蛍の両肩を押し潰さんとしている。

 

 報いなければならない。償わなければならない。

 彼ら、彼女らの命をこの手で炭へと変えたことを、無意味にしてはならない。

 蛍が歩んできた道は、これから歩む道には、多くの炭が舞っているのだから。

 

 人類の相互理解。取り戻した統一言語により、人々が誤解なく分かり合える世界。そんな世界を夢見た。だから蛍は此処にいる。

 その為になら、どんな事でもすると決めた。どれだけ多くの人を傷つけようとも、自分の我儘を押し通す。

 だが、「新しい世界の為に」などと取り繕った所で、蛍は人殺しなのだ。犯してはならない罪を――業を背負った。

 何も握っていない両の手が、真紅に染まっている。地面を覆い尽くす炭の上に立っている。

 

 こんな世界に身を置いた私に、クリスは変わらず接してくれるでしょうか。

 

 クリスもいずれは人殺しを経験することになるのだろう。フィーネに付き従いこの計画に参加している以上それは避けようのないことだ。

 だが、叶うことならば、クリスにこんな想いはして欲しくない。何の罪も無い弱者に力を振るうということは、彼女が厭う戦争と何ら変わりの無いことなのだから。

 クリスはこの世界で彼女が最も忌避することを、自ら行おうとしている。そんな事を、彼女にさせる訳にはいかない。

 蛍が全てを代替わりできるものならば、喜んで引き受けよう。クリスの為ならば、人殺しの罪も罰も全ての咎を背負ってみせる。

 だが、現実問題としてそれは不可能だ。クリスがシンフォギア装者としてフィーネの下にいる限り、いつか必ず彼女は戦場に駆り出される。クリスに利用価値がある以上、フィーネは彼女を徹底的に使い倒す。

 

「いっそこれさえなければ……」

 

 蛍は小さく独りごちると共に、その視線をクリスの胸元へと向ける。その先には、天井から降り注ぐ蛍光灯の光を反射して赤く煌めく基底状態のシンフォギアがある。

 シンフォギアさえなければ、クリスはフィーネから解放される、かもしれない。装者が適応できる聖遺物は基本的には1つだけであり、幾ら高い適合係数を誇るクリスとは言え、他の聖遺物とイチイバル以上に適合することは不可能だ。

 故にこの聖遺物さえ壊してしまえば、クリスは戦う手段を失う。

 フィーネは、神獣鏡(シェンショウジン)にてフロンティアの封印を解くという使命のある蛍とは違い、クリスの事を純粋な戦闘要員としてみている。神獣鏡(シェンショウジン)とイチイバル。フィーネにとってより重要なのはどちらかと問えば、何の迷いもなく彼女は神獣鏡(シェンショウジン)だと答えるだろう。

 当初の計画では、蛍1人でツヴァイウイングの2人――天羽奏と風鳴翼――を相手取る予定だったのだ。もし、謎のガングニールの装者が敵に回ったとしても、相対するのはツヴァイウイング時代抜群のコンビネーションを誇ったあの2人を相手取るよりは余程楽に決まっている。蛍1人でも充分に対処可能な筈だ。

 

 私が頑張れば、クリスは戦わなくてもいい。

 

 普段であれば、一蹴したであろうその馬鹿な考えを、鈍った思考の蛍は止めることは出来ない。グルグルと回る思考の渦が、蛍を飲み込まんと勢い付く。

 可能なのだ。蛍には。今、此処で、クリスを解放することが。

 首から下げた神獣鏡(シェンショウジン)が、とくんと脈打った気がした。

 凶祓い。神獣鏡(シェンショウジン)に備わった聖遺物由来のあらゆる力を悉く滅する破魔の力。

 その力が及ぶのは、聖遺物の欠片から作られたシンフォギアさえ例外ではない。この力があればこそ、蛍はフィーネからツヴァイウイングとも互角に渡り合えると評価されていたのだから。

 いつの間にか、クリスに伸ばしかけていた右手が、神獣鏡(シェンショウジン)を握りしめていた。

 冷たく、硬い、蛍の力の結晶。

 あとは聖詠を歌い上げるだけ。己の内に眠るその歌を奏でれば、この手の中の結晶は蛍に唯一無二の超常の力を与えてくれる。

 一度力を振るえば、基底状態のシンフォギア程度、一瞬にして無に帰す。

 無垢にして苛烈。それこそが神獣鏡(シェンショウジン)のシンフォギア。

 

 「クリス……」と小さな声で彼女の名を呼んだ。答えが返ってくる筈もなく、蛍の呟きは部屋に満ちる静寂に溶けて消えた。彼女は変わらず静かな寝息を立てている。

 右手に、力がこもった。

 

「rei……」

 

 唱えかけた聖詠がピタリと止まる。意識した訳ではない。無意識の内に蛍は歌うことを躊躇った。そして、遅れてとある考えが頭をよぎった。

 その一瞬が蛍の頭を冷やした。濁流の様な思考の渦の中から、彼女本来の怜悧な理性を取り戻す。

 神獣鏡(シェンショウジン)を握り締めていた右手から徐々に力を抜き、開きかけていた口を一度閉じてから、大きく息を吐き出した。

 

「私は一体何を……」

 

 普段の無表情を崩し自虐的な笑みを浮かべた蛍は、先程まで考えていた馬鹿な考えを振り払うかのように一度だけ大きく頭を振ると、クリスを起こさないように慎重に――直接触れないようにシーツを被せてから――彼女の体をベットに寝かせた。

 幸いにもその時の衝撃でクリスが目を覚ます様子はなく、一仕事終えたとばかりに蛍は額を流れる汗を拭った。

 

 今日はもう寝よう。寝てしまおう。

 

 クリスのお土産にと買ってきた牛乳を部屋に備え付けられていた冷蔵庫の中に入れ、部屋の電気を消してから、窓際に置かれたソファーにとすんと腰を下ろす。

 流石にクリスと同じベットで眠ることは躊躇われた。普通に触れることさえ憚られたというのに、いつも通り体を密着させ合い彼女に抱きついて眠るなんてとてもではないが今の蛍には出来そうにない。

 

 眠ろう。今日はもう眠ってしまおう。

 

 瞳を閉じて自分に言い聞かせる。蛍はぐったりと体を弛緩させ、その身をソファーに沈ませる。今日一日を通して体と精神を共に蝕んだ極度の疲労は、蛍をあっさりと眠りへと誘った。

 考えなければならないことを投げ出し、目が覚めたら少しは心の整理も付いているだろうと僅かな期待を胸に、蛍の意識は微睡みへと溶けていく。

 

 意識が溶ける寸前、ふと蛍は思う。やはり私は我儘で自分勝手な人間なのだな、と。イチイバルを破壊する直前、思い止まったその際に自分の頭を過ぎった考えが、何故か今再び蛍の胸中に去来した。

 

 只の少女になったクリスは、もう私の側には立ってはいられない。

 私はまた温もりを失ってしまう。

 

 それだけは、嫌だ。

 

 

◇◇◇

 

 

「2年前のライブの生存者、胸に天羽奏のガングニールの欠片ですか」

『うーん、おまけにそれでシンフォギアを身に纏っちゃうんだから、イレギュラー中のイレギュラーよねー。流石に私もそんな可能性は考慮してなかったわん』

「それで? そのトンデモちゃんは結局あたしらの敵っつーことでいいのか?」

『彼女は二課に協力することになりそうよ。でも、暫くは様子見ね。二課で気兼ねなくデータを取れる内になるべく多くのデータを取っておきたいの』

「では、これから私達はどう動けば?」

『計画通りに事を進めるわ。リディアン周辺で散発的にノイズを発生させて二課の不安を煽りなさい。戦闘データも取れるし一石二鳥だわ。ただし、くれぐれもシンフォギアとネフシュタンは使わないこと』

「まどろっこしい。あんな奴らとっととぶっ潰しちまえばいいのに。あたしとこいつなら一捻りだ」

「そう簡単な話ではありませんよクリス。そうやって直ぐ短絡的になるのは悪い癖ですよ」

「わぁってるよ。ちょっと言ってみただけじゃねえか」

 

 謎の装者が現れてから、既に2日が経過している。その間、クリスと蛍はホテルでの待機を余儀なくされ、いつ来るかも分からないフィーネからの連絡を待ち続けていた。

 今朝になって漸く連絡をしてきたフィーネ曰く、謎の装者――立花響のメディカルチェックに時間がかかったとのことだったが、それを聴いた蛍の感想は「新たな研究対象を見つけて夢中になっていたに違いない」と諦観に満ちたものだった。

 世界を変えるなどとまるで救世主の様なことを言いながらも、フィーネの根っこは科学者だ。それは今代の憑代である櫻井良子の影響を受けたものかもしれないが、これまでフィーネと共に過ごし彼女のことを少なからず知っている蛍は、フィーネの研究に対する情熱のようなものを感じ取っていた。そんな彼女の前に、未知のシンフォギアを纏った謎の少女。加えて、その少女はシンフォギアを只身に纏っているのではなく、その身を聖遺物と融合させているというのだ。

 そんな未知を目の前にぶら下げられて、自他共に認める聖遺物研究の第一人者が自制する訳もなく、寧ろ嬉々として研究室に篭っていたに違いない。

 

「しかし、フィーネ、ソロモンの杖を使うのであれば、一報して欲しかったです」

『やーん、蛍ちゃんも初めての実戦で疲れてるだろうから、休ませてあげようと思っただけよ』

 

 絶対に嘘だ。どうせ直ぐにでも新しいデータが欲しくなり、我慢出来なくなったに違いない。

 

「保管してあった筈のソロモンの杖がいつの間にか消えた。私とクリスがどれだけ焦燥に駆られたか分かりますか?」

『次からは善処するわ』

「……そうして下さい」

 

 「絶対に治すつもりないだろこいつ」というクリスの小さな呟きに全力で同意しながら、蛍は溜め息混じりの言葉を漏らす。フィーネが他人にどうのこうの言われて簡単に自分の態度を改めるような殊勝な性格でないことは、言葉にする迄もなく蛍とクリスの共通認識だった。

 

『そろそろお仕事に戻るわ。取り敢えずひと月は様子を見るつもりだから、そのつもりでお願いねん』

「はい。それでは」

「次は早めに連絡くれよな」

『ばいばーい」

 

 『全く弦十郎君に隠れてコソコソ動くのも大変なのよ』と、少しだけ愚痴を溢して、その言葉を最後にフィーネからの連絡は途切れた。

 フィーネがぼそりと溢した「弦十郎君」という言葉。時折、フィーネが口にする人物の名であるが、その正体を知ったのはつい最近だ。

 風鳴弦十郎。特異災害対策機動部二課の司令にして、日本政府の暗部を司ってきた風鳴の一族、その現長の弟。フィーネから漏れ聞く話を総合すると、かなりの切れ者で、かつ優れた身体能力を持ち、中国拳法などの武術に精通しているらしい。その強さは、フィーネも認める程で、戦闘になった際はノイズを主戦力とし、直接戦闘は可能な限り避けろと言い付けられたことから、推して知るべしだろう。

 人の身でありながら、シンフォギアと同等の戦力とフィーネに評される人物。そんな化け物もまた、蛍が戦わなければならない敵の一人なのだ。

 それでも蛍は立ち止まるわけにはいかない。立ち塞がるというのであれば、誰であっても容赦はしない。破魔の光を持って、その一切を滅するだけだ。

 

 例え、1人でもやり切ってみせる。クリスの力を借りなくても1人で。

 

 蛍はそう決意を固め、そろそろお昼ご飯でも食べようとクリスに声を掛けようとした。しかし、それをクリスの厳しさを含んだ声が遮った。

 

「なぁ、あの日何があったんだ?」

 

 

◇◇◇

 

 

 蛍の様子がおかしい。この2日ほどずっと悩んできたことではあるが、クリスにとってそれは言葉を交わしたこともない謎の装者などよりも余程重大な案件だった。

 違和感に気付いたのは、蛍が初の実戦を終えて帰ってきた次の日の朝だった。あの日、蛍の帰りを待っていた筈のクリスは、どうやら睡魔に抗えず待っている途中で眠ってしまったらしい。ベッドの上でキチンとシーツを掛けられていることを考えると蛍がクリスをベッドに寝かせたのだろう。礼の一つでも言わなければならないと思い、隣に目を向けるがそこに彼女の姿はない。その事に言いようのない焦りを感じ、いつも目を覚ませばそこに居た彼女の姿を探し、部屋の中を見回す。幸いにして蛍は直ぐに見つかった。窓際に備え付けられたソファーに、身体を預け小さな寝息を立てている。その顔には眠っていても判る程の深い疲労の色が刻まれていた。

 普段であれば、クリスが嫌がっていても無理矢理に一緒に寝ようとする蛍が、その日に限っては1人ソファーで眠っていた。その事実に、きっと昨夜の戦闘で何かあったに違いないと考えたクリスは、蛍が目を覚ましてからというもの、何度となくその事を尋ねてみたが、その度に無表情の鎧を着込んだ蛍にのらりくらりと質問を躱されていた。

 

 あの日以来、蛍はクリスと共に眠ろうとしない。

 

 何かがあった筈だ。今日こそはそれを聞き出さなければならない。無表情の鎧の下で彼女が苦しんでいる。それがクリスには分かる。だからこそ、意を決してクリスは口を開いた。

 

「なぁ、あの日何があったんだ?」

「……特に問題はありませんでしたよ。報告した通りです。立花響の登場がイレギュラーと言えばイレギュラーでしたが……」

「そういうことじゃねぇよ! 分かってるだろ!」

 

 思わず荒げてしまった声に、蛍の肩がビクリと揺れた。違う。そうじゃないんだ。クリスは決して怒っている訳ではない。

 

「悪い……怒鳴るつもりじゃなかったんだ……」

「いえ……」

 

 蛍が何かを隠している。そしてそれがクリスには聞かせたくないことであることも分かっている。それでも話して欲しい。相談して欲しい。

 クリスはあの時蛍の隣に立つと決めた。誰よりも優しいこの子の味方になると誓った。共に戦い、共に悩み、共に進むと、蛍を決して一人ぼっちになんかさせるものかと心に決めたのだ。

 だからこそ、この状況をクリスは看過出来ない。

 蛍がまた1人で何かを抱え込み、自分の殻に閉じ籠ろうとしている。無表情の鎧で全てを隠したつもりになって、自分で自分の感情を殺し続ける。そんな生き方を蛍にさせる訳にはいかない。そんな生き方を続けていたら、いつか蛍が蛍自身を見失ってしまう。クリスは蛍の笑顔を知っている。蛍の涙を知っている。その全てを仮面で覆い隠して、フィーネの人形として生きる生き方を蛍には歩んでほしくない。

 

 蛍に笑って欲しい。

 

 人類が統一言語を取り戻し、人々が誤解なく分かり合える世界で、強者が弱者を虐げない争いのない世界で、彼女に笑って欲しい。そんな世界で、クリスは彼女と共に生きたいのだ。それが、今のクリスの――。

 

「話してくれよ。私は、知らないままで終わりたくない」

「クリス……」

「私じゃ頼りにならないか? 私じゃ力になれないか?」

「違います。そんなことないです。クリスはいつだって優しい。私はそんなクリスにいつも助けられています。そんな貴女だから、私は……」

 

 「戦って欲しくないんです」。消え入りそうな声で蛍はそう言った。そして、ぽつぽつとあの日のことを語り始めた。

 街中に轟く、怒号と悲鳴。ノイズが発する不協和音。風に舞う炭。初めてその手で人を殺したこと。

 

「後悔、してるのか?」

「……していない、と言えば嘘になります。でも、立ち止まることは出来ません。私には、罪を成してでも辿り着きたい場所がある。その為ならば、どんなことだってしてみせます。どんな敵だって滅してみせます。今、その歩みを止めることは、犠牲にした命を無為にしてしまう。そんなこと出来る筈もありません」

「お前は……」

「クリスは優しいから、きっと私以上に苦しみます。こんな思いをクリスには味合わせたくないんです」

 

 そう言って苦笑する彼女は、その小さな肩にどれだけの重荷を背負うつもりなのだろうか。世界を変えるなんて子供1人が背負うには大きすぎる目標を掲げ、その上、その過程で犠牲になる人の事すらも背負う。

 全てを1人で抱えて、罪の意識に押し潰されそうになっている蛍の心を知り、クリスは頭が沸騰しそうな程の怒りを覚えた。蛍にではない。彼女の事を少しでも知っているならば、気付けたであろうその事に、今の今まで自分自身が気付けなかったことにだ。

 

 詞世蛍はこういう人間だ。だからこそ、あたしはこいつの隣に立つと決めたのに。

 

 考える前に身体が動いた。目の前で所在なさげに苦笑する蛍の両手を、自分の両手で包んだ。「く、クリス!? や、やめっ、汚いから!!」という蛍の声に「汚くなんてねえ!!」と言い返し、握った両の手に力を込める。透き通るような白く柔らかい手だ。クリスの目には、そこに拭い取れない程の真っ赤な血も見えなければ、灰色をした罪の残滓も見えやしない。けれど、蛍にとってはそうではないのだろう。きっと彼女の目には、自分の手は今も真っ赤に染まり、舞い散る灰色の残滓を掴んでいるのだろう。

 

 だったら、あたしもその色に染まろう。

 

 掴んだ蛍の両手を、ゆっくりと自分の頬に沿わせる。何度も何度も、肌の色を塗りつぶすかの様に。

 

「やめて、やめて下さい……クリスが汚れちゃう……」

 

 無表情の鎧を脱ぎ捨て必死に首を横に振る蛍の目には、うっすらと光る欠片が見える。それでもクリスは手を止めなかった。自分の頬と手に何度も、蛍の手を擦り付ける。彼女と同じ色に染まる為に。

 

「お願い……クリス……もう……」

「いいや、まだだ」

 

 クリスは蛍の両手を離すと、そのまま蛍の身体を抱き締めた。蛍の小さな身体をすっぽりと己が両腕の中に収めて、力の限り自分の身体を押し付けた。ふわりと舞う蛍の濡羽色の髪に自分の顔を埋め、反対に蛍の顔は白藤色をした自分の髪に押し付けた。

 蛍の全てを受け止めて、蛍は決して1人ではないと、彼女に知ってもらう為に。

 

「前にも言っただろ。1人で抱え込むなって」

「でも、クリスは絶対に苦しみます! 罪のない無関係な人を殺してクリスが平気でいられる訳がない!」

「かもな。けどさ、その苦しみをお前1人に味合わせる訳にはいかねえだろうが。あたし達は、同じ場所を目指してる仲間だろ。だってえのに、その責任をお前1人が抱え込むのは違うだろ」

「でも……でも……!」

「でももヘチマもねえ。進むときは二人一緒だ」

 

 クリスはいつかの風呂場での様に、彼女を抱き締め続けた。初めはクリスの腕の中から逃れようと暴れる蛍だったが、段々とその動きは小さくなり、終いには、肩を震わせ、小さな嗚咽を漏らした。

 そんな蛍の頭をポンポンと叩き、クリスは彼女の気が済むまで抱き締め続けた。珍しく蛍が無表情の鎧を脱ぎ去って、自身の感情を露わにしている。吐き出させてやろう。蛍は自分の感情を限界まで溜め込んでしまう質のようだから、これからも偶にこうして吐き出させてやらないといけない。そう思った。

 

「……あの曲、歌ってください」

 

 どれ程、そうしていただろう。静かに涙を流していた蛍の口から、そんな言葉が聞こえた。

 どの曲だ? なんて訊き返すようなことはしない。彼女が「あの曲」といえば、それはあのお風呂場でクリスが蛍を慰める為に即興で作った曲の事に他ならない。歌詞もなく、主旋律だけのあの曲を、何故か蛍はふとした時に口ずさむ程に気に入っていた。何度も歌ってくれと頼まれたが、何となく気恥ずかしくて、その度に断っていた。

 

「お前、本当にあの曲好きなんだな」

「いいから歌ってください」

「いや、でも自分で作った歌を自分で歌うって結構恥ずかしいんだぞ」

「いいから」

 

 こんな風に我儘を通そうとする蛍が珍しくて、「まぁ、今日ぐらいはいいか」と、クリスは喉を震わせる。これだけ近くにいるのだ。声量は必要ない。その代わりに込めるのは想いだ。

 

 ふと、歌詞が浮かんだ。

 

 本当に、唐突に、自分でもよく分からないけれど、胸の内から言葉が溢れた。まるで、シンフォギアを見に纏った際の歌の様に、自然と言葉が口をついて出る。

 フィーネ曰く、シンフォギアを見に纏った際に浮かぶ歌は、装者の心象風景の発露であるらしい。装者の心を曝け出す歌。それこそがシンフォギアの歌。

 だとすれば、この歌もまた、クリスの心象風景の発露と呼べるのかもしれない。

 

 歩みを共に。

 

 そんな小っ恥ずかしいことを、自分が心の底から考えているとは、クリスは夢にも思わなかったが、不思議と悪い気分ではなかった。

 蛍と2人で、共に進む。これまでも、この先も、そして2人が目指す世界でも、彼女と共に。

 

 それが、今の、あたしの――。

 




 次回は、原作無印3話、4話ぐらいを出来たらなと思います。

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