戦姫絶唱シンフォギア ~歪鏡に選ばれた少女~   作:きおう屋

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 感想欄にて、今回の話は、アンチ・ヘイトに該当しないのではないかというご指摘を頂き、自身でもアンチ・ヘイトの定義を調べなおしてみた結果、前書きにあった注意書きを削除しました。また、それに伴い作品へのアンチ・ヘイトタグを外すこととしました。
 余計な心配を与えてしまい申し訳ありませんでした。


EPISODE 13 「星の降る夜」

「クリス、今日は流れ星が降るそうですよ」

 

 沈みゆく夕日を2人で眺めていると、隣に座る蛍が急にそんな言葉を漏らした。場所は、街中に立ち並ぶ無機質なビルの一つ、その屋上。頬を撫でる風が、仄かな潮の香りを運んでくる。眼下には近代的な街並みにはそぐわない緑豊かな公園が広がり、老若男女様々な人々が各々の時間を過ごしている。1日の終わり。それを沈みゆく夕日を見て、皆が共有しているかのように、ゆったりとした弛緩した空気が、街全体を包んでいる。

 

「なんだよそれ。今話すことか?」

「2人で見たいです」

「……」

「見たいです」

「分かった。分かったからその目やめろ」

 

 クリスよりもひと回り小さな蛍が、図らずも上目遣いになった真っ赤な瞳で、期待するような眼差しで此方を覗き込んでいる。蛍の視線から逃れる様に、朱に染まった頬を見られたくなくて、恥ずかしさから顔を逸らした。

 「顔赤くないですか?」と蛍が無自覚に問うてくるので、「お前のせいだ!」などと言える筈もなく、況してや「なんでもない!」といつもの癖で答えてしまえば、いつぞやの二の舞になることは目に見えている。なので、クリスに出来る精一杯の抵抗としては、「……夕日のせいだろ」と何処かで聞いた様な苦し紛れの台詞を口にすることだけだった。

 

 一ヶ月程前のあの日を境に、蛍は、時折、こうしてクリスに甘える様になった。

 

 クリスの腕の中で啜り泣く蛍に、「共に歩みたい」と語り掛けたあの日。今思えば、なんて青臭くて、小っ恥ずかしいことを口にしているんだと、思い出す度に恥ずかしさで顔から火を噴きそうになるが、それでもあの時語ったことは、紛れもなくクリスの本心で、その結果が今の隣に座る蛍なのだとすれば、この頬に宿る熱も決して無駄ではなかったのだと、少しばかりの誇らしさと心地よさを感じるのだ。

 あの蛍が、他人に甘える。その事が、どれだけ得難く、また難しいことか。似た者同士のクリスと蛍。だからこそ、他人に期待して、他人に己が望みを預けるという行為が、自分達のような人間にとってどれ程難しいかは、多少なりとも理解出来る。

 他人に甘えるというのは、その他人に信頼を寄せることと同義だ。こうして欲しい、ああして欲しいといった期待を他人に寄せて、「きっとこの人ならば……」と自分の心の何処かに在るそういった願いを、他人が読み取ってくれることを信じる。

 きっと蛍は、未だに、他人に全幅の信頼を抱くことが出来ずにいる。それは、クリスとて同じことで、これだけ互いの事を想いあっていながらも、クリスと蛍は互いのことを完全に信じられないのだ。過去の経験が、2人の心の底にまで根を下ろし、信じるという行為に縛りを掛けている。

 けれど、それでも、クリスは蛍の事を信じたいのだ。心の底から、一点の曇りなく、彼女の事を信じたい。信じて欲しい。だからこそ、クリスは統一言語を求める。きっと、蛍も。

 かつて、人と人が、人と神が、誤解なく分かり合える世界を実現した究極の言語。バラルの呪詛により妨げられ続けている人類の相互理解を回復し、失われた統一言語を取り戻すことでしか、クリスと蛍は互いを完全に信じ合うことは出来ない。

 必ず手に入れる。彼女と夢見た地平に辿り着く。その為ならば、クリスは血と灰に染まることを厭わない。

 

「こと座流星群って言うそうです。ここ数年で、1番の観測条件を満たしているとテレビのニュースで言ってました」

 

 興奮の色を隠そうともせず、嬉々を含んだ声で語る蛍。チラリと視線を向ければ、蛍の真紅の瞳が夕日の朱を反射して、爛々と輝いている。その無邪気にはしゃぐ姿は、彼女の貧そ――慎ましやかな見た目も相まって、本当に幼い子供のようだ。とは言え、間違ってもそれを口に出すような愚は犯さない。クリスとて、学習するのだ。

 

「流星群ねぇ……そんなに期待する程か?」

「クリスは捻くれてます。見たこともないのに、決めつけるのは良くないですよ」

「要は流星の群れだろ。一瞬で見終わっちまって、味気なさそうだ」

「むー、そうやって斜に構えても、別に格好良くないですよ」

「格好付けてる訳じゃねぇよ! 人を思春期真っ盛りの餓鬼みたいに言うんじゃねえ!」

「誰もそこまで言ってません。そこまで反応するということは、もしかして、自覚あるんですか?」

「どういう意味だ! おい!」

「いえ、その、だ、大丈夫です。私はクリスが急に『右目が疼くッ……!」って言っても受け止める覚悟は出来ています」

「おーまーえーなー! 今日という今日は許さねえ!」

「こ、これがキレる若者世代。でも、駄目。否定するんじゃなくて受け容れることが大切だってテレビのニュースで言ってました」

「うがー!!」

 

 この人をおちょくる様な態度は、確実にフィーネの影響を受けている。普段は人形の様に大人しく、大和撫子然とした出で立ちなのに、時折、その背に小さな蝙蝠の羽を幻視するのは、クリスの見間違いなのだろうか。

 

「このッ! 待てッ!」

「嫌です。捕まったら、クリス怒るじゃないですか」

「もう怒ってるんだよッ!!」

 

 夕日に照らされたビルの屋上で、自分よりも背の低い少女を追い回す。側から見れば、姉妹が巫山戯て、追いかけあっている様に見えるかもしれない。だが、追いかける此方は本気も本気だ。今日こそは、蛍に何としてでも、一矢報いなければ気が収まらない。

 そんな決意を胸に秘め、彼我の距離を詰める為、腕を大きく振り、脚に力込めて堅い地面を踏み抜く。

 クリスの全力疾走に、只ならぬ気迫を感じ取った蛍が振り返り、驚愕で瞳を見開く。急いで速度を上げようと前を向くももう遅い。手を伸ばせば届く距離に、彼女の背中が迫る。

 蛍が加速を始める前に、彼女の腰に狙いを定めて両の手を伸ばし、逃してなるものかと飛び込んだ。

 

「く、クリス!? 嘘!? はや……きゃ!」

「ぜぇ……はぁ……ぜぇ……はぁ、捕まえ、た!!」

 

 堅いコンクリートの地面を2人でもつれ合いながら転がる。少しばかり痛みを覚えたが、普段の訓練やフィーネのお仕置きに比べれば何てことはない痛みだ。クリスは直ぐさま体勢を立て直し、仰向けに倒れる蛍の身体に跨り、マウントポジションを取った。

 

「き、今日は随分と気合が入ってますね」

「誰かさんに毎回いい様にされてきたからな。今度ばかりはと、気合の入れようが違うっての」

「……あは、あはは」

「さーて、どうしてくれようか。随分と好きに勝手にしてくれたな。仏の顔も三度までたぁ良く言うが、あたしの堪忍袋の緒はとっくの昔にブチ切れてるんだよ!」

 

 パキパキと拳を鳴らし、口元にニヤリと笑みを浮かべる。今の今まで散々に煮え湯を飲まされてきたのだ。千載一遇の反撃の機会、これを機に雪音クリスがやられっ放しの女ではないと蛍に分からせる必要がある。

 さてどうしてくれようか。様々な可能性を考慮に入れて考えを巡らせるクリスであったが、耳に聞こえた蛍の声に思考を一刀両断された。

 

「その、優しくしてください。は、初めて、ですから」

 

 陶磁器のような白い肌に薄っすらと朱が差し、熱を孕んだ潤む流し目で此方を見つめる蛍の姿は酷く情欲的なものだった。倒れこんだ衝撃で衣服がはだけ、露わになった首筋にはうっすらと汗が滲み、彼女の絹の様な濡羽色の髪が、その色が示すように、薄っすらと湿り気を帯びて、白い肌に張り付いている。

 空気中の酸素を食むように、苦しそうに肩で息をするその様は、冷静を常とする彼女にしてはとても珍しいもので。クリスや他の同世代の女子に比べ、体型こそ劣っているものの、その造形は人形の様に整っていることも相まって、沸々と背徳感が湧き上がってくる。

 そんな状態の蛍に跨り、健全とは言い難い笑みを浮かべ、舌舐めずりの一つでもしそうなクリス。どこからどう見ても犯罪である。

 

「ば、馬鹿! やっ、違っ、そんなつもりじゃ! 違う! 違うからな!」

「クリスがしたいって言うなら、いい、よ?」

「――――ッ!?!?!?」

 

 桜色をした小さな唇から、呟く様にした漏れた蛍の言葉に、クリスは全身の血が沸騰する程の羞恥を覚えた。これ以上はマズイ。何がマズイのか分からないが、兎にも角にもマズイ。熱に浮かされたクリスの頭でも理解できる程にマズイ状況である。全力疾走に苦しむ己が肉体の全機能を十全に、いやそれ以上に発揮して、クリスは神速を以ってしてその場を離脱する。

 

 飛び跳ねんばかりの勢いで、蛍の上から離脱したクリスの耳に、クスクスとした笑い声が聞こえた。

 

 その声が聞こえた方向を見遣れば、先程までの情欲的な雰囲気は何処へやら、口元に手を当てクスクスと笑い声を漏らす蛍の姿がある。その背には小さな蝙蝠の羽がパタパタと嬉しそうに揺れている。

 パクパクと魚の様に口を上下させ、震える指で蛍の姿を指す。「あ、人を指差したらいけないんですよ」と本当どうでもいい事を、なんでもないかの様に話す彼女の姿を見て、クリスは漸くどうやら自分が再び蛍の掌の上で転がされていたことを知った。

 

「お、おまっ、おま、お前ーー!!」

「ふふっ、クリスは可愛いなぁ」

「流石に質が悪すぎるだろうがッ!! お前、絶対フィーネの悪影響受けてるだろ!! その笑い方、あいつソックリだぞ!!」

「む、心外な。私はあそこまで性根が腐っていません。…………多少、参考にしたことは認めますが」

「やめろ!! あいつを参考にするのだけはやめろ!!」

 

 子供は成長する為に、まずは近くの大人の模倣から始めると言うが、蛍は参考にする人選を大いに間違えている。フィーネは絶対に参考にしてはいけない人種だ。寧ろ、反面教師と呼ばれる部類の人間であり、「人の振り見て、我が振り直せ」のお手本の様な存在だ。他人を虐めることに心の底から喜ぶような変態に、蛍をさせる訳にはいかない。今日という今日は、少しばかり本気で怒らないといけないみたいだ。

 

 しかし、クリスが怒りの矛先を振り下ろす前に、耳にはめた通信機から「ジジ……」というノイズが聞こえた。

 

 蛍にもそのノイズは聞こえた様で、2人の間に流れていた暖かな空気は霧散し、寒々しい緊張感が辺りに満ちる。

 噂をすればなんとやらという奴だ。口にした瞬間に、登場するとはタイミングが良いのか悪いのか。

 

『さぁ、二人共、準備は良いわね』

 

 陽は沈み、夜の帳が下りる。

 邂逅の時が来たのだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 立花響は、その身に超常の力を纏いながら、地下鉄構内を邁進する。立ち塞がるノイズの群れには、その拳を以ってして対応し、その悉くを打ち砕く。

 響の拳は今まで何かを守る為に振るわれてきた。だが、今の響の拳に込められた思いは、「誰かの為に」という立花響の在り方から大きく外れた「怒り」という名の激情だ。

 

 ――流れ星、見たかった。

 

 「流れ星を一緒に見る」。親友である小日向未来との大切な約束。その為に、未来に手伝ってもらって、ない知恵を絞り、補習免除のレポートを頑張って書き上げたのだ。只でさえ、最近は二課での出動が多く、未来と共に過ごす時間は以前より格段に減った。遊びの誘いを断ったり、寮の門限ギリギリの時間に帰宅する度に、未来の寂しそうな笑顔を見てきた。この一ヶ月で何度も、何度もだ。

 

 だから、この約束だけは何としても守りたかった。

 

 ずっと一緒にいた。大切な友達なのだ。あのライブ会場での惨劇を乗り越えて、父が居なくなり、学校でも孤立したあの時期でも、未来は変わらずにずっと側に居てくれた。そんな人は、母や祖母以外では未来只一人だけだった。

 響にとって、未来は帰るべき場所であり、暖かな陽だまりなのだ。そんな陽だまりが陰るようなことはしたくない。けれど、響にはやらなくちゃいけない事がある。

 一ヶ月前、突然手にしたシンフォギアという超常の力。その力で誰かの為に、誰かを守れるのならばと今まで頑張ってきた。勿論、楽な道ではなかった。

 戦うための術なんて、少し前までは只の女子学生にすぎなかった響は知りもしない。戦う覚悟だとか、胸に秘めた想いだなどと言われてもピンとこないし、その所為なのか未だに響の手にアームドギアが握られたことはない。

 

 憧れの人との――翼との仲も上手くいっていない。

 

 最初は一緒に戦えることを嬉しく思った。だから、失った彼女の片翼になろうと思った。あの日、あの時、あの場所で、命を燃やして人々を守って逝ったあの人の代わりに。それが、あの人から、命と、在り方と、この胸に宿るシンフォギアを受け取った響のやるべきことだと思った。

 でも、翼はそんな事を望んではいなかった。彼女を泣かせてしまった。涙を零すその瞳で、刺すように此方を睨む彼女のことを思い出すと今でも身が竦む。憐憫、同情、好奇心、忌避、悪意、そういった感情の篭った瞳なら今までも散々見てきたし、その視線に晒されてきた。けど、それ以外の感情で、他人からあんな風な瞳で見られたのは初めてのことだった。彼女の大切な領域に、土足で上がり込んでしまったのだと、後になって気付いた。怒られて当然だ。誰にだって踏み込んで欲しくないことはある。

 

「こんのおおおおおおおおおおッッ!! アンタ達がッッ!! アンタ達みたいな奴がいるからッッ!!」

 

 溜め込んでいた不安や不満といった感情を怒りという激情に変えて、響は咆哮する。

 目の前にいる存在が憎い。ノイズ――国連にて認められた認定特異災害、人類共通の脅威、そして人々の何気ない日常を犯し侵食するもの。

 許さない。絶対に。そんなこと、許してはいけない。

 

「アンタ達が、誰かの約束を犯し、嘘のない言葉を、争いのない世界を、何でもない日常を略奪すると言うのならッッ!! 私が、アンタ達をぶっ壊すッッ!!」

 

 響の中で燃え盛る怒りの炎を力に変えて、ガングニールはその出力を更に高める。それに伴い、ドス黒い破壊衝動が響の胸の内から湧き上がる。

 眼前に在るのは、壊すべき敵。湧き上がる破壊衝動に身を任せ、その一切合切を破壊し尽くす。その為に、今はこの拳を振るう。故に響は気付けない。自分の身体が、湧き上がる破壊衝動同様に黒く変色してしまっていることに。

 

 最後に残ったのは、通常のタイプとは形状の異なる新型のノイズだった。その背に葡萄の果実のような球状の物体を張り付けている。どのような攻撃手段をとるのか、てんで分からないが、それでも響のやる事に変わりはない。どんな敵だろうが破壊する。それだけだ。

 

 さぁ、来い。どんな攻撃が来ようとも突破して、お前を徹底的に破壊し尽くして、塵へと帰してやる。

 

 ノイズが動いた。その背を向けて、葡萄型の球体を此方に向けて突き出してくる。攻撃に備えた響だったが、ノイズの次の行動は響の予想だにしないものだった。その行動の意味に気付いた時、響はあまりの怒りに咆哮した。

 

「逃げるなあああああああああッッッ!!!! 戦えええええええええええッッッ!!!!」

 

 あろう事か背を向けてそのまま逃げ出したノイズに対して、響は逃がしてなるものかと追撃をかける。

 ノイズが恐怖したとでも言うのか。巫山戯るな。そうやって逃げ出した人々をお前達は何人、何十人、何百人、何千人を炭へと変えてきた。今更、我が身可愛さに逃げ出すなんて――。

 

「許される訳ないだろうがあああああああああああああッッッッ!!!!」

 

 獣の如き俊敏さで葡萄型のノイズの背に迫る。あと一歩で手が届く。しかし、その手は届くことはなかった。

 眼前で、光が爆ぜた。目を焼く閃光と、身体を焼く爆発をその身に受けて、後方へと吹き飛ばされる。ノイズの背に付着していた葡萄型のパーツが切り離されて爆発したのだ。

 咄嗟に目を瞑り、腕を交差することでダメージは最小限に抑えたものの、それでも戦闘に――痛みに未だ慣れていない響にとって、その痛みはあのライブ会場で負った怪我以来と言っていい程の激痛だった。

 

「ぃ……がっ……っ……」

 

 しかし、幸か不幸か、その痛みによって響は正気を取り戻した。先程まで胸の内でグツグツのマグマの様に煮え滾っていた憤怒の念が嘘の様に引いていた。それに伴い、纏った鎧の色も彼女のガングニール本来の色で橙色へと戻った。しかし、自分が先程まで真っ黒に変色していた自覚などない響は当然その事に気付ける訳もない。そんな響の様子をモニター越しに眺めて、唇を三日月に歪めた研究者がいたことにもまた気付ける訳がないのだ。

 

「あっ!? ま、待て!!」

 

 先程の爆発の影響だろうか。天井に大きな穴が開いている。そこから覗く満天の星空を眺めて、未来との約束を破った事を思い出し、不安が再び振り返しそうになる。しかし、その縦穴を登り、外に出ようとするノイズの姿を視界の端に捉えると、1度だけ大きく頭を振り、声を上げてノイズの後を追う。

 地上までは十数メートルはあるだろうか。しかし、シンフォギアを纏った響にとって、この程度の高さは何ら問題にならない。足に力を込めて一足で踏破出来るだろう。

 ノイズの警戒警報が既に発令され、このエリアに人はいない筈だが、逃げ遅れた人々がいるかもしれない。あのノイズを外で暴れされる訳にはいかない。響は逸る気持ちもそのままに、「急がないと!」ともう一度天井に空いた穴を仰ぎ見る。

 

 そして、夜空を駆ける一筋の光を見た。

 

「流れ星……?」

 

 

◇◇◇

 

 

 風鳴翼はその身を蒼い彗星と化して、夜空を駆ける。その身に纏うは、絶刀。かつて須佐之男命が八岐大蛇を屠った際に振るったとされる天下に名高き名剣。天羽々斬(アメノハバキリ)のシンフォギア。脚部に取り付けられたスラスターを全開で吹かすその姿はまさに夜を駆ける一陣の風。

 蒼き髪を棚引かせ、満天の星空の下、早く、もっと速くと疾く駆ける。この身は(つるぎ)。敵に振るわれてこそ価値がある。故に翼は駆ける。己という剣を振るうに値する戦場(いくさば)へ。即ち、ノイズが蠢く八面六臂の戦場へと、剣たる己が身を曝け出す為に。

 

『翼! 地下鉄構内から1匹逃げ出した! 迎撃を頼む!』

「了解しました」

 

 眼下に見下ろすのは、月明かりに照らされた薄暗い公園だ。鬱蒼と茂る木々が風に揺られまるで生き物の様に蠢いている。その様は不気味の一言に尽きる。だが、この程度で臆する程、翼は柔な精神をしていない。そもそもこの身は剣だ。恐怖などという感情とは無縁である。

 

「あれか!」

 

 公園の中心に位置する広場にぽっかりと不自然な穴が穿たれている。その穴から1匹の葡萄の様な物体を背負ったノイズが這い出てくる。

 立花響が逃がしたというノイズはあれだろう。みすみす敵を取り逃すとは、やはり彼女はガングニールの装者に相応しくない。戦う覚悟もなく、意思も持たない彼女が奏の何を受け継いでいるというのだ。

 認めない。認めてなるものか。あんな何も持たない只の少女が、奏の遺したガングニールに選ばれるなど、他の誰が認めても、風鳴翼だけはそれを認めてはいけない。

 あれは、奏の力だ。翼や響のように偶然から手に入れたものではない。奏が家族の仇を討つ為に、血反吐に塗れながらも手に入れた彼女だけの尊いものだ。そんな彼女のことが眩しくて、彼女の片翼として恥じないよう翼は更なる修練を積み重ねた。

 

 では、立花響(あなた)は?

 

 響がガングニールという超常の力を手に入れて既にひと月近く過ぎている。彼女は何か一つでも努力をしただろうか。戦う為の術を身に付けようと、戦士としての心構えを身に付けようとしただろうか。

 答えは否だ。彼女は今日に至るまで何の努力もしてこなかった。戦闘訓練なども、源十郎達が響の日常をこれ以上壊すのは忍びないと、無理強いはしなかった。そして、彼女もそれを受け入れた。

 何だ、それは。巫山戯ているのか。戦場にその身を置くと決めておきながら、その身に宿る力を使いこなす為の努力すらしない。その癖、率先して戦場には出たがるのだ。ノイズとの戦いは子供の飯事(ままごと)とは訳が違うのだと、何度も叫び出したかった。それでも声を上げなかったのは、学ぶ意志のない者に無理矢理鍛錬を積ませた所で身につくものも身につく筈がないからだ。そんな者に掛ける時間など、誰も持ち合わせていない。

 

「はあああああああああああッッ!!」

 

《蒼ノ一閃》

 

 乾坤一擲。巨大化させた刀型のアームドギアから指向性を持たせた衝撃波を放ち、眼下のノイズを一刀の下に切り捨てた。身体を真っ二つに裂かれたノイズは、その身を炭へと変える。その残滓すら、風に攫われ夜の闇へと溶けていった。

 何度となく目にしてきた光景だ。刀を振り、敵を屠る。翼はこれで良い。只一振りの剣として在れば良いのだ。

 残心を終え、燻った心を落ち着かせる。しかし、今頃になって漸く穴から這い出してくる響の姿を視界に収めて、この程度の相手に彼女は梃子摺ったのかと考えると、響への怒りがまた沸々と湧き上がってくる。

 響を視界に留めるからいけないのだ。彼女を目にする度に、自分の心に要らぬ(さざなみ)を立てることになる。そう考えた翼は、響が目に映らないのであれば何処でもいいと言わんばかりに視線を上げて、周囲への警戒だと取って付けた様な言い訳を自分に言い聞かせる。

 

 しかし、どうやらその言い訳は無駄ではなかったらしい。

 

 公園に隣接するビルの屋上に人影が見えた。ノイズへの警戒警報が発令され、既に周囲の避難は完了している筈だが、もしかすると逃げ遅れた民間人かもしれない。

 翼はスラスターを再び全力で吹かし、目的のビルへと着地する。翼の予感は的中した。ビルの上に居た人影の正体は、まだ年端もいかぬ幼い少女だったのだ。闇に溶ける濡羽色の髪を腰まで伸ばし、まるで人形の様に整った造形をした少女は、幼いながらも将来はきっと美しい女性に成長することが約束されていると言っても過言ではない容姿をしている。ゴスロリというのだったか。リボンやレースといった華美な装飾をふんだんに使用したワンピースを見に纏っている。女性的な魅力を磨く努力を重ねなくなって久しく、そういった感性に乏しい翼ではあるが、それでもこの少女は一種の完成された美しさを持っていると思えた。

 只、その手に握った槍のような物だけが気になった。彼女の格好に比べて、その槍のような物だけが酷く浮いている様に思えたからだ。しかし、翼は自分の感性が世間一般でいう普通とはかけ離れていることを自覚していた。昔からそういった流行り廃りの世情には疎いので、最近はあのような玩具が子供たちの間で流行っているのかもしれないと直ぐにそれから意識を逸らす。翼のマネージャーである緒川慎二からは、「翼さんは一応芸能人なのですから、世情に対するアンテナは常に張っていなければいけませんよ」と常々言われているが、今の所翼に改善するつもりはない。

 

 少女がその真紅の瞳を大きく見開き、翼の事を見つめている。

 

 それもそうだろう。いきなり空から人が降ってきたのだから。おまけにその人物はバトルスーツを見に纏い、その手に刀を所持しているのだ。まともな感性をした人間ならば、驚愕で声も上げられないのも頷ける。

 

「風鳴……翼……」

 

 少女の口から自身の名前が紡がれる。こういった時に翼の歌女(うため)としてのネームバリューは非常に役に立つ。世間一般に広く知られている自分であればこそ、この様な異常事態の最中でも、最低限の信頼を直ぐに獲得することが出来る。

 

「司令、要救助者を発見。年端もいかない少女です。ノイズの残党がいるかもしれません。私が救護施設へと移送します」

『分かった。最寄りの救護テントに誘導する。呉々も油断するなよ』

「分かっています」

 

 司令部への連絡を済ませ、再び少女に意識を向けると、「少女……年端もいかない少女……」と何やらよく分からないことをブツブツと小声で呟いている。

 

「驚かせてしまってごめんなさい。大丈夫? ノイズの警戒警報は聞いたでしょう。ここは危険よ。安全な場所まで運ぶわ」

「……予想外です」

「えっ?」

「予想外だと言ったのです。風鳴翼。まさか貴女が私に気付くとは思いませんでした」

「貴女、何を言って……」

「最近の貴女はノイズの殲滅に固執し、民間人への配慮など二の次だと思っていたのですが、どうやら防人としての心構えはまだ忘れていなかったようですね」

「――ッ!?」

 

 少女の口から放たれた言葉の意味を理解した時、翼は自身の中の警戒を最大限に引き上げた。

 この少女は、風鳴翼を知っている。歌女としての翼ではない。シンフォギアを身に纏いノイズと戦う戦士としての翼を知っている。国の最重要秘匿事項である筈のシンフォギア装者の自分をだ。

 

「貴様、何者だ」

「私は、貴女の敵です」

 

 そして少女は、胸元から赤く光る水晶柱を取り出す。その結晶を翼は知っている。FG式回天特機装束、別名シンフォギア・システム。翼や響が身に纏い、今も尚、この身に超常の力を与える聖遺物の欠片から生み出されたノイズを屠る為の人類の叡智の結晶。

 

「そんな馬鹿なッ!?」

 

 紡がれるのは、短い詞。

 奏でられるのは、少女の想い。

 少女の歌を鍵として、新たなる超常の力が今ここに顕現する。

 

Rei shen shou jing reveal tron(小さきこの身を暴いて)

 

 聖詠を口にした少女は、その顔に、満面の笑みを浮かべていた。

 




 祝・初聖詠。やっとこさ、書けました。

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