二課本部施設内、その管制室にて二課主要メンバーを中心としたミーティングが開かれていた。司令である風鳴弦十郎、弦十郎の懐刀であり風鳴翼のマネージャーを兼任している緒川慎次、ガングニール奏者である立花響、オペレータである藤堯朔也と友里あおい、そして、櫻井了子に擬態したフィーネの6人だ。本来であれば、この席に同席している筈の翼は、絶唱を歌った後遺症により、未だ病院のベットの上であり、今回の出席は見合わせられている。
フィーネが辺りを見回せば、周囲の雰囲気は暗く、皆一様に眉間に皺を刻んでいる。
「サクリストD――デュランダルの移送、ですか。ですが、ここ以上の防衛設備なんて……」
「移送先は、永田町最深部記憶の遺跡ならばという話だ。どの道、俺達が木っ端役人である以上、お上の意向に逆らえんさ」
苦言を呈す朔也に、肩を竦めながら溜息混じりの答えを返す弦十郎。そんな彼らの様子を眺めていたフィーネは、溢れ出る笑みを隠す為に、右手で口を覆った。待ちに待った穴熊が、漸く巣穴から顔を出すと言うのだ。これが笑わずに居られようか。
完全聖遺物デュランダル。日本政府が保有する希少な完全聖遺物の一つであるそれは、数年前、EUが経済破綻した際に、不良債権の一部肩代わりを条件に日本政府が管理することになった経緯を持ち、現在は二課本部最奥区画アビスにて厳重に保管されている。
その名は「不滅不朽」を意味し、起動後に生み出される無尽蔵の圧倒的なエネルギーは、カディンギルの動力源として必要不可欠なものだ。長年、追い求めてきたもののアビスの厳重な警備はフィーネを持ってしても破り難く、強引な手段を用いれば二課本部に偽装した建造中であるカディンギルを傷付ける可能性があった。
故に、周辺に頻発するノイズの発生ケースを理由に移送計画が発案された時など笑いが止まらず、そんなフィーネの事をクリスが胡乱げな目で見ていた事は記憶に新しい。
とは言え、フィーネが此処まで上機嫌なのは、それだけが理由ではなかったが。
「それが、広木防衛大臣の弔いになるだろう」
弦十郎が苦々しく呟くと、フィーネ以外の皆が顔を俯けた。皆のそんな様子が可笑しくて、思わず了子を演じる事を忘れかけ、顔を背けて肩を震わせた。
広木防衛大臣の死。それがフィーネが機嫌を良くするもう一つの理由であった。
広木防衛大臣。改定九条推進派の一人であり、二課の後ろ盾でもあった人物。二課やシンフォギアの存在を「秘匿された武力」ではなく、「公の武力」として機能するよう働きかけてきた経緯があり、その為、フィーネにとっては何かと目障りな人物であった。
カディンギル建造の為の二課本部施設の拡張工事も、彼の「国民の血税を秘匿された組織に大量に投資する訳にはいかない」という意見により、長らく着工出来ずにいたが、これで漸く推し進める事が出来る。
米国を焚き付けた甲斐があったというものだ。フィーネの笑みは更に深まった。
「……犯行グループの特定はまだされていないんですか?」
「事件後、複数の共産革命グループから声明が発表されたましたが、どのグループも只の活動アピールだろうとの事です。風鳴、緒方両家にも確認を取りましたが、まず間違いないだろうと」
「つまり、真犯人は別にいると?」
「はい。二家に加えて、二課調査部も総力を挙げて調査を続けていますが、今の所、特定には至っていないそうです。公安も動き出したそうですが、結果は芳しくないようですね……」
「風鳴にも、緒川にも、尾を踏ませない相手か。やっかいだな」
二課の面々が難しい顔で会話を進める中、会話に入れずに聞きに徹していた響がおずおずといった様子で手を挙げた。
「あ、あのー、今更な質問ではあるんですけど、司令や緒川さんのお家って……」
「あぁ、そう言えば、響君には話していなかったか。俺や緒川の実家は、昔からこの国の国防を担ってきた一族でな。日本中、いや、世界中に表、裏を問わず、情報網を持っている。その情報収集能力はちょっとしたものだぞ」
風鳴家と緒川家。この2家は共に古くから日本の国防を影から支えてきた家系であり、国防の要と言っても過言ではない存在である。
風鳴家は明治以降、多くの政治家を輩出してきた家系であり、代々日本政府の要人として国防を担ってきた。しかし、あくまでも表には立たずに、大臣などのポストは他人に譲り、世間への露出が少ない内閣情報官などを歴任する傾向がある為、表での知名度はそれ程高くはない。
対する緒川家は、その起源は風鳴以上に古く、飛騨出身の隠忍の末裔だと言われている。古くは、まだ木下藤吉郎と呼ばれていた頃の豊臣秀吉に仕えていた記録すらある、由緒正しい忍者の一族である。明治維新以降、日本政府に仕える事となり、古くから伝わる忍法を現代の型に当てはめ昇華させた現代忍法を用い、諜報員としてありとあらゆる場所に赴き、影から日本の情報収集を担っていた。その存在は海外にも知れ渡っており、日本政府の忍者と言えば、その筋では有名である。
「ほへー、凄いんですねー。という事は、他の人も実は凄い家の出身だったり?」
「全然。俺やあおいさんの家は至って普通の家だよ。あれ? そう言えば、了子さんの実家の話って聞いた事ありましたっけ?」
「私の家も平凡な家だったわよー。只、父が聖遺物の研究者でね。朝から晩までずーっと聖遺物の事で頭が一杯な人だったわ。そんな父を見て育ったから、私もこの道を志したって訳」
「へぇ、そうだったんですか」
「了子君のお父上は、とても優秀な考古学者でな。政府の研究機関に所属して、精力的に聖遺物の研究をされていた」
「聖遺物バカだったのよ」
「成る程ー。今の了子さんみたいな人だったんですね」
「ん? 余計な事を喋るのはこの口かしら? ん? ん?」
「いひゃ、いひゃひでふ。りょうこひゃん」
失礼な事を口にする響の頬を両手で摘み、ぐにっと伸ばす。そのまま餅の様に伸びた響の頬を上下左右に振り、最後にはパチンと音がする程に力を加えながら離す。「うぅ……酷い……」と真っ赤になった頬を押さえる響に、「お姉さんを馬鹿にするからよん」と言えば、朔也と慎次が「えっ……」と不思議そうな顔をしたので目で射殺した。乙女の年齢に疑問を抱くとは失礼な奴らである。
そんな様子を見た弦十郎とあおいが溜息を吐きながらやれやれと肩を落とした。いつの間にか、管制室を包んでいた重苦しい空気は消え去り、いつものお気楽な二課の空気が室内に満ちている。
まさか狙ったのか? と思い響を見遣ると、彼女は頬を押さえながら、僅かな笑みを浮かべていた。
あの夜から、立花響は変わった。
自身の眼の前で翼が己の命を賭けてでも敵を討とうとしたあの夜。響は何も出来ないばかりか、自身の無知の所為で翼の命を危険に晒した。結果的に翼は無事だったものも、蛍との戦闘によりダメージを負った状態での絶唱は、正規適合者である翼の適合係数を持ってしても少なくないダメージを彼女に与えた。翼は
一時は自分の所為で翼を傷付けたと落ち込んでいた響だったが、己の無力さを痛感したのか弦十郎を武術の師と仰いで戦闘訓練に力を入れ始めてからは、持ち前の明るさを取り戻し、精力的に翼の抜けた穴を埋めようと努力している。
その甲斐あってか、響の戦闘スキルは弦十郎をも驚かせる程の成長を見せている。恐らくは体内のガングニールが何かしらの作用をもたらしているのだろうが、詳しい検査はまだ行えておらず、推論の域を出ない。
全くもって忌々しい話だ。
あの夜、立花響を捕らえていれば、こんな思いはせずに済んだだろうに。そんな考えがフィーネの頭を過ると、先程までの上機嫌が嘘の様に、沸々と怒りの念が心の底から顔を覗かせる。
あの夜、蛍とクリスは敗北した。戦闘自体は此方が圧倒していたものの、響の確保に失敗したばかりか、現段階では秘匿すべき
目的は達成出来ず、敵に情報を与え、勝てる筈の相手と相打ち。なんて無様。勿論、クリスには、蛍の分までお仕置きを与えたが、それでも思い出す度に腹立たしさが蘇ってくる。
とは言え、一ヶ月前ならいざ知らず、この段階で
計画の見通しが立ったからこそ、ネフシュタンの鎧を二課に晒したのだ。
「り、了子さん、そんなに怒らなくても……」
「……やん。乙女の年齢を気にするような奴にはこれぐらいがちょっどいいのよ」
「今のは二人が悪いですよ」
「流石あおいちゃん! よく分かってるぅ!」
「……何かそこはかとなく馬鹿にされた気がします」
「他意はないわよん?」
「お前達、それぐらいしておけ。今はデュランダルの移送計画を詰めるのが先だ」
弦十郎の言葉に、皆ピクリと反応し、真面目な顔付きへと戻る。しかし、そこには先程までの暗澹とした雰囲気は微塵もなかった。
その所為もあってか、その後の話し合いはとてもスムーズに進行した。移送経路、運搬車両の数、護衛の人数、関係各所への事前通達。移送計画に必要な様々な項目が着々と決まっていく。その全てが、襲撃者に筒抜けだとは、気付かないままに。
「注意すべきはやはり、ネフシュタンの鎧を身に纏った少女と謎のシンフォギアを身に纏った少女の二人。彼女達の狙いがデュランダルにあると決まった訳ではないが、襲撃されると仮定し動くべきだろうな」
「しかし、これだけ秘密裏に考えられた作戦が漏れるとは考え難いですが……」
「彼女達は、我々二課の事情に明るい。奏君や響君の事を知っていた事からも明らかだろう。今回ばかりは大丈夫だと安心は出来ない」
「内通者……ですね。一体誰が……」
「目下、調査部が捜査中だ。今は気にしても仕方がないだろう」
再び暗くなりかけた雰囲気を察した響が、「だ、大丈夫です! この立花響、翼さんがいない穴をなんとかかんとか塞いで見せます!」と空元気を見せれば、大人達はそんな響の様子を見て、僅かに頬を緩ませた。
◇◇◇
ハイウェイを7つの影が駆け抜ける。一台のピンクのコンパクトカーの周囲を5台の黒塗りのセダンが固め脇目も振らずに駆け抜けている。その後を追随するかの様に一人の少女が猛追していた。
前を走る車は、アクセルを全開で吹かしており、その速度はハイウェイと言えど、法に定められた速度を大きく超過している。大凡、人の身で出せる速度ではないその車を追いかけるのは生身の人間。あり得ない筈の光景を現実せしめるのは、少女が身に纏った白銀の鎧。完全聖遺物ネフシュタンの鎧を身に纏い超常の力をその手にした少女――雪音クリスは己の目的を達成すべく、その脚に力を込めた。
「退けぇ! 邪魔すんじゃねぇ!」
クリスは怒号と共に、ネフシュタンの鎧の肩部装甲から伸びた鞭を黒塗りのセダンへと振るう。一台、また一台と鞭か振るわれる度に、車は真っ二つに裂け爆散していく。
残るは2台。ピンクのコンパクトカーの脇を固めてその2台に向けて、ソロモンの杖を振るいノイズを現出させる。そのまま指示を与え、2台のセダンに襲い掛からせる。2台を瞬く間に破壊したノイズ達は、塵となって爆風に拐われた。
「残るは!! 一つ!!」
ハイウェイを駆け抜けながら、クリスは前を走るピンクのコンパクトカーを睨みつける。リアガラスから覗いた先、運転席側に見えるのは、特徴的な巻貝の様な髪型。ハンドルを握るのは、櫻井了子に扮するフィーネ。その反対、助手席側には立花響が座り、その外側に跳ねた特徴的な茶色の髪を揺らしながら、忙しなく此方を振り返り、後方を気にしている。
『うわわわわわ、了子さん! 後ろ! 後ろ! もう直ぐそこまで来てます!』
『私のドラテクを信じなさい! これでも昔はブイブイ言わせてたんだから!』
フィーネは自分が死ぬとは微塵も考えていないだろうし、響は相変わらず鈍臭いことを言っているのだろう。声は聞こえずともそんな会話が聞こえる様だった。追われているというのに、随分と悠長な物だ。
ここで響が足止めとして飛び出してこないのは、ノイズの遠隔操作を警戒してのことだろうか。フィーネとしては、それは願ってもいない状況なので、彼女の指示とは考え難い。ということは――。
視線を上げれば、眩い程に輝く青空に一機のヘリコプターが飛んでいる。フィーネから齎された情報によれば、風鳴弦十郎があのヘリに乗り現場で指示を出しているらしい。フィーネではないとすれば、あの男なのだろう。叩き落そうにも距離が離れ過ぎている。これでは、鞭が届かない。ならば、ノイズでとも思ったが、今回科せられている任務を思い出す。
今回、クリスに科せられた任務は立花響の誘拐でもなければ、風鳴弦十郎の殺害でもない。あくまでデュランダルの奪取である。それ以外の事は、全て二の次だとフィーネからの厳命を受けていた。忌々しいながらも、今は捨て置くしかない。
二課の手前、手を抜く訳にはいかなかったのだろうが、フィーネの逃げっぷりは凄まじかった。
デュランダルを傷付ける訳にはいかない為、小回りの利かないノイズによる襲撃を諦め、クリスは主にタイヤ周りを狙って鞭を振るったが、まるで未来予知をしているかの如くその悉くを避けるフィーネには呆れてものも言えない。もう少し、当たろうという気配を見せても良いのではないだろうか。此処まで、見事に避けられては、当たる気がないのではないかとすら思える。
クリスの鞭が漸くピンクの車体を捉えたのは、ハイウェイを降り、市街地を駆け抜け、大小様々な煙突と数々のガスタンクがある工場地帯へと入り込んだ頃だった。
縦で駄目なら横ではどうだと地面と水平に放った鞭が、コンパクトカーの右側後輪を切り裂き、コントロールの効かなくなったピンクの車体がけたたましい音と共にスリップし、クルクルと回転しながら、近くの建物へと突っ込んだ。
やり過ぎたなどど、思う事はない。コンパクトカーが建物に突っ込む寸前、その歌はクリスの耳にもしっかりと届いていたのだから。
「大丈夫ですか了子さん!」
「平気よ響ちゃん。でもまさか女の子にお姫様抱っこされるなんて。響ちゃん意外と男らしいのね」
「へへっ、師匠に鍛えられてますから!」
ガングニールのシンフォギアを身に纏った響が、デュランダルが収められたケースを手にしたフィーネを抱きかかえて、コンパクトカーの天井を蹴破って、宙へと躍り出た。右足を振り抜いた状態で飛び上がった響は、そのまま着地。フィーネを地面に降ろすと、フィーネを庇う様にして、クリスと対峙した。
「今日こそは物にしてやる! ど素人は引っ込んでろ!」
此方を見る響の目には、以前には見られなかった意志や自信と言ったものが見てとれた。それが何故だか、無性に腹立たしい。
目の前の少女は、クリスと戦えるなどと思っている。今の自分であれば、クリスと戦いになると。つい先日、相対した際のあれは、とてもではないが戦闘と呼べるものではなかった。だと言うのに、先日とはまるで別人の様に、目の前で闘志を滾らせる少女は一体どういう事だ。
何が変わった? 覚悟か?
「そんなもんで、自分が強くなったとのぼせ上がるなッ!!」
「――ッ!!」
全力で振るった鞭を響はフィーネを巻き込まない為か大きく跳躍して躱す。以前はまるで反応できていなかった筈のクリスの全力の鞭を、響は躱してみせた。なんだそれは。この短期間で成長したとでも言うのか。
驚愕に顔を染めるクリスだったが、着地の瞬間地面を這うパイプに足を取られる響の姿を見て、思い過ごしか? と訝しむ。響の致命的な隙をクリスが見逃す筈もなく、すかさず右手に握った鞭を再び振るう。響の身体に一筋の朱を刻む為に放たれたその一撃は、然して響の身体を傷付けることは無かった。
「ヒールが邪魔だッ!」
響はそう叫ぶと同時に両足の踵を地面に叩きつけ、足に纏っていたブーツからヒール部分をパージした。
そして歌を歌い上げる。何時だったか、響の歌を聴いた蛍が、「勇気の歌」だと評したそれを、全身全霊で奏で上げる。高まるフォニックゲイン。出力を増したガングニールのシンフォギアにより、響はクリスの一撃を無理矢理に
「何ッ!?」
クリスは響が自分の一撃を受け止めた事に驚き、咄嗟に手にした鞭を引っ張るもまるで巨大な岩石を引っ張っているかの様で、彼女はピクリともしない。次の瞬間、逆にクリスの身体が凄まじい勢いで引っ張られた。何とか脱出しようとするも、鞭はネフシュタンの鎧の肩部装甲から直接延びている為切り離す事は出来ない。抗う事も出来ず、響の攻撃に備え防御の姿勢を整えるクリスだったが、響はクリスが予想だにしていなかった手段に出た。
あろう事か、響は鞭を握ったままその場で回転し、ハンマー投げの要領でクリスをぶん回した。視界がぐるんぐるんと周り、襲いかかるGと遠心力により、頭に血が上り意識が朦朧としてくるも、歯の根を食いしばり何とかそれに堪える。
クリスの身体が横ではなく、初めて縦に揺れた。上空から見下ろす様な形で眼下を見遣れば、背負い投げの形で鞭を肩に担ぐ響の姿がある。それがクリスを地面に叩きつける為の動作だと気付いたのは、背中から地面に叩きつけられた後だった。
「がはっ!? がっ……ぎっ……!」
背中から伝わる激痛が、クリスの脳を焦がす。固いコンクリートの地面を無様にもがき、のたうち回った。視界にはパチパチと光の粒が見え、明滅を繰り返している。空中を食むも、肺は呼吸の仕方を忘れてしまったかの様に空気を取り込んではくれない。
追撃は来ない。明滅する視界の端に、響の手を離れ元の長さへと戻る鞭が見えた。さらに、その先、響の後方に立つフィーネの姿を瞳が映った。
その顔は、汚物を見るかの如く侮蔑の色に染まっていた。
ぞくりと背筋が震える。命じた仕事すら満足にこなせないのかとその瞳が雄弁に語っていた。
クリスは結果を残さなければならない。ネフシュタンの鎧の後遺症で戦場に立てない蛍に代わり、デュランダルを手に入れて、計画を推し進めなければならない。クリスと蛍が望んだ世界の実現の為に。故に、こんな所で足踏みをしてはいられないのだ。
痛む身体を無視して、クリスは立ち上がる。目の前には、手に入れなければならない物とそれを拒もうとする邪魔者がいる。
「ぐっ……痛っ……」
「もうやめよう! その身体じゃ……」
「ハッ、たった一撃決めただけでもう勝った気分ってか。随分と甘く見られたもんだ。ちっとばかし、戦えるようになったからって、調子に乗ってんじゃねぇ!」
「調子に乗ってなんかないッ! 私は、私に出来ることを全力でやってるだけだよ! 翼さんがいない間、私が皆を守るんだ!」
「そのいい子ちゃんぶりが気に入らねぇって言ってんだよッ!!」
クリスは、響に向かって駆け出す。先の攻防で、響が鞭に対する対抗する術を持っている事は分かった。加えて、遠距離から攻撃しようにも、《NIRVANA GEDON》の様な大技は、周囲にガスタンクが乱立するこの場所では誘爆の危険があり、デュランダルの事を考えれば使用出来ない。つまり、ネフシュタン唯一の武装である鞭はこれで封じられたという事だ。
ならば、やる事は一つである。最後に残る武器は何時だって、自分の拳なのだから。
対する響は、クリスが接近戦を挑んでくると分かると、左足を引き右半身を前に出しながら、右手を前に突き出し、左手は口に添える様にして構えた。
「カンフースターにでもなったつもりか? そんな付け焼き刃でッ!!」
「付け焼き刃でも、刃は刃だよ!」
「あぁ、そうかいッ!! だったら、精々その鍍金が脱げない様にするこったな!!」
ネフシュタンの鎧により齎される膂力を以ってして、クリスはその拳を振るう。繰り出される拳の嵐は、固い地面を砕き、空気を震わせる。当たれば如何なシンフォギアとはいえ、ダメージは避けられないであろう拳打の雨を、時には受け流し、時には受け止め、直撃を避けながら、響は只管に防御に徹する。
しかし、それでも少しずつではあるものの着実にダメージは積み重なっていたのか、響がガクリと膝を落とした。
その隙をクリスが見逃す筈もない。右手で手刀を作り、指先までを覆う鋭い爪を持った手甲を槍に見立てて、響の顔へと突き出した。
「これでッ!!」
「はああああああああああああ!!」
「ぐっ!?」
響はその一撃を避けた。クリスでさえ必中のタイミングだと確信したその突きを、響は掻い潜る様にして避けると、そのまま右足で大きく踏み込み、クリスの脇へと潜り込んできた。
鉄山靠。
クリスは自分が誘われたのだと気付くと同時に、上半身に響の背中を用いた打撃を受けて吹き飛ばされた。痛みに耐え、空中で態勢を整えると、地面に爪を立て、ガリガリと地に5本の線を刻みながら勢いを殺す。
ネフシュタンの防御性能のお陰か、ダメージはそれ程ない。だが、クリスの胸中は穏やかではなかった。
クリスは2年間、戦闘の訓練を受けてきた人間だ。シンフォギアを身に纏っての射撃、格闘は言うに及ばず、ネフシュタンの鎧が起動してからは、シンフォギア程ではないにしても、それなりの時間を訓練に費やしてきた。その自分が、シンフォギアを身に纏ってまだ一ヶ月程度のひよっ子に遅れを取る。これ程、屈辱的な事があるだろうか。
目の前の此奴は何だ? 本当にあの立花響なのか? 彼女はつい先日まで、碌に戦えないズブの素人だった筈なのに、今ではクリスに膝を着かせる程の成長を見せている。
胸のガングニールの力ではない。確かに以前と比べ、気迫も闘志も増してはいる。そして彼女が身に纏うのは、そういった意志が篭った歌に応え、出力を増す奇跡を宿した機械仕掛けの鎧だ。だが、あれは出力がどうのこうのといった物ではなく、彼女が身に付けた歴とした技術の賜物だ。学ばねば身に付かない敵を打倒する為の戦う術だ。
クリスの目には、眼前の響が酷く異端の存在に映った。一朝一夕で身に付く筈がない技術を、この短期間で学び用いる相手を異端と言わずして何と言う。
クリスは響を異端だと断じると共に、油断して勝てる相手ではないと響の評価を吊り上げる。目の前の此奴は、狩りの獲物でもなければ、行く手を阻む邪魔者でもない。打倒すべき敵だ。
認めよう。雪音クリスは、この時初めて、立花響を敵だと認識した。
クリスは、もう響に対して油断もしなければ、慢心もしない。事ここに至って、クリスは、響を翼以上の脅威だと認識していた。
顔を上げて、前を向く。敵は未だ其処にある。ならば、倒さなければならない。撃ち抜かなくてはならない。任務の為、計画の為、そして、蛍と共に歩む為に。
しかし、その敵は、クリスを見てはいなかった。彼女の視線の先には、フィーネがいる。いや、そうではない。響の視線は、フィーネが手にしたケースに注がれていた。
――唐突に、戦場に一つの音が鳴り響いた。
◇◇◇
鉄山靠にて吹き飛ばしたネフシュタンの鎧を身に纏った少女を視界に映しながら、響は残心として深い息を吐き出す。
上手くいって良かった。響の胸中にあるのは、安堵の念だった。弦十郎を師と仰いで、戦う術を身に付けた響であったが、実戦で中国拳法を試すのは初の事だった。それが成功した事への安心感と、弦十郎と組手をしていてもあまり感じられなかった自身の成長を噛み締める。
とは言え、勘違いしてはいけない。響の実力が少女の実力を上回った訳ではないのだ。この短期間で響が此処まで少女に対抗出来るようになったのは、一つ種があった。
それは、弦十郎が響に課した修行というものが、徹底したネフシュタンの鎧対策だったからだ。弦十郎は、翼の絶唱により深手を負った謎のシンフォギア装者への対策を後に回し、前回の戦闘を参考に、ネフシュタンの鎧を身に纏った少女のバトルスタイルを徹底的に分析した。そしてその弦十郎により勝つ為の術を響はこの身に叩き込まれた。その術は大きく分けて二つ。
まず一つは、相手の武器を封じる方法。ネフシュタンの鎧の主武装はあの刺々しい肩部から伸びた鞭である。独特の軌道を描く特殊な武器であり、加えて伸縮が自在という事が非常に厄介だと弦十郎は語っていた。その対策として、弦十郎が響に叩き込んだのは、その鞭を掴む方法である。
避けるのではなく掴む。弦十郎の見立てでは、あの鞭は肩部と直接繋がっており、他の武器などと違い手放せないことが大きな特徴であり、また弱点でもあると彼は言っていた。そこを突くのだと。一度、鞭を掴んでしまえば、相手の身体を掴んだも同じ事で、そこから引き寄せるなり、振り回すなりは自在であり、一度成功すれば、相手が鞭を使う事への大きな牽制になるのだ。
修行の大部分は、この特訓に割かれた。まずは相手の武器を封じなければ勝機はないだろうという弦十郎の言葉に従い、響は昼夜を問わず、弦十郎の振るう鞭を掴む特訓に励んだ。
そして二つ目は、近接戦闘の訓練だった。鞭が封じられた以上、相手が取る手段は徒手空拳による近接戦闘か、遠距離からの射撃に限られるのだが、相手は後者を選択しないだろうと弦十郎は語った。
何故ならば、伸縮自在の鞭というのがそもそも中遠距離の武器であり、ネフシュタンの鎧にはそれ以外の武装が積まれている様子もないからだ。前回の戦闘で響に止めを刺そうとしたあの技こそが、恐らくは飛び道具であるものの、鞭の先端から放たれるという性質上、鞭の軌道さえ分かれば避けるのは不可能ではなく、鞭を素手で受け止める程自身の技が見切られていると分かれば使ってこない筈。故に、相手の行動は徒手空拳による近接戦闘に絞られるのだと。
未だアームドギアを生成出来ない響に合わせて弦十郎から教わったのは、徒手空拳にて只管に敵の攻撃を耐えて相手の大振りを待ち、それに合わせてカウンターを仕掛けるという一撃に重きを置いた戦闘スタイルだ。防御は地に足を着け、飛び込むなどの大きな動作はせずに、手と足を駆使しなるべく小さな動きで敵の攻撃を防ぐ方法を学んだ。
これに関しては、完全に弦十郎の趣味であり、教材とした某カンフー映画を参考にしたものだった。攻撃用の技もまた然りだ。
弦十郎の立てた作戦は見事成功したと言える。近接戦闘にて与えたダメージ思いの外、少なかったという事を除けばだが。ネフシュタンの鎧の防御性能を甘く見ていたのか、それとも只単に響の技術の問題なのか、少女へのダメージは思った以上に少ない。これならば、先程の鞭を振り回し地面に叩きつけた時のダメージの方が大きい様に感じる。
もう一度、同じ手は通用しないだろう。少女が未だ響よりも高みにいるのは確かであり、自分が未熟である事は、他の誰よりも響自身が知っているのだから。
強くなりたい。目の前の少女に負けないぐらいに。奏の代わりにではなく、自分らしく、翼の隣立てるぐらいに。
不意に、何かに呼ばれた気がして、背後を振り返った。戦場で何を馬鹿な事をと罵られても仕方のない行動だったが、その感覚がどうしても響には無視出来なかった。
振り返り目に入ったのは、不思議そうな顔をした了子。彼女ではない。自然と響の視線は、了子の腕に抱かれたデュランダルの収められたケースに向けられる。
鈴の様でもあり、鐘の様でもある音が、聴こえた。音はケースの中から響いている。その音に導かれる様に、響は口を開き、喉を震わせた。胸の内から湧き上がる戦慄に乗せ、詞を歌い上げる。それに応える様にして、音がもう一度鳴った。
「この反応……まさか!?」
了子から驚きに満ちた声が聞こえる。それでも響はデュランダルから目を離せず、その口もまた歌を紡ぎ続けた。
ピーピーという警告音と共に、ケースが開いた。中から現れたのは、剣先の欠けた鈍色の剣。ケースから飛び出したデュランダルが、その柄を此方に向けて、まるで握れと言わんばかりに、響の目の前でピタリと宙に浮いて静止した。
正面では了子が恋する乙女の様なうっとりとした笑みを浮かべている。背後からは、焦りに満ちた少女の静止の声が聞こえる。だが、その全ては今、響の意識の外にあった。
歌を紡ぎながら、自然と手が伸び、その柄に手が触れた。
――瞬間、世界が止まった。
誰も彼もが静止した白黒の静寂の中で、響の歌声とデュランダルの放つ音だけが、色鮮やかに輝いている。響の歌声とデュランダルの放つ音が共鳴し、世界を満たす。
黄金と翡翠の音が混ざり合い、デュランダルを彩った。剣先が再生し、鮮やかな翡翠の紋様が刻まれた黄金の剣が現れる。これが、デュランダルの真の姿。英雄ローランが振るった何者をも切り裂く不滅の刃。その内から溢れ出る神秘は、少女のネフシュタンの鎧に勝るとも劣らない。
デュランダルが覚醒を果たすと、世界に色が戻り、戦場の喧騒が再び響を包み込んだ。握った柄を通して、溢れんばかりの力が響に流れ出してくる。今の自分であれば、何でも出来る。そんな全能感が湧き上がる。
響はその溢れ出る力に身を任せてしまった。
響は知らなかったのだ。過ぎた力は、その身を滅ぼすと。
無尽蔵に生み出されるエネルギーが、響の中に流れ込む度に、心の底からドス黒い闇が這い上がってくる。手を離そうにも、デュランダルを握った右腕は、柄を握り込んで吸い付き離れない。
暗い闇が、響の意識を塗り潰していく。目の前が真っ暗に染まる。全てを壊せと、訴えかけてくる。
「違うッ! 違うッ!! 違うッ!!!! 私は壊したいんじゃないッ!!!! 守りたいんだッ!!!!」
黒く染まる心に耐え切れず、口からは悲鳴が漏れる。響が力を求めたのは、壊す為ではなく、誰かをこの手で守る為だ。翼の様に、奏の様に、響はこの力を、守る為に使いたいのだ。
だが、幾ら叫ぼうとも、心の奥から湧き上がる黒い泥は止まらない。
思い出すのはいつかの情景。
窓ガラスを割り、投げ込まれる石。
落書きだらけの教室の机。
ひそひそと呟かれる誰かの声。
疲労を隠しきれない母と祖母の寂しい笑顔。
遠ざかる父の背中。
――響は、もう、陽だまりを、思い出せなかった。
響の全てが黒に染まる。心も体も魂さえも黒く塗りした破壊衝動は、その力を振るうべき相手を求め、視線を彷徨わせる。
ふと、背後を振り向けば、其処に敵がいた。ニタリと、笑みが浮かんだ。先ずは、アレを壊そう。その後には了子を、弦十郎を、二課を、学校を、全部全部壊そう。そして最後には、この世界すら壊そう。全部消えて無くなってしまえば良い。
手にした黄金と翡翠の剣を天に掲げ、その力を解放する。一筋の黄金の光が天を衝き、雲を切り裂き、空を分かつ。
湧き上がる破壊衝動のままに、全てを切り裂く不滅の刃を振り下ろす。永い時を経て目覚めた遥けき過去の超常の力が、黄金の極光となって、万物悉くを切り裂き、世界に破壊を撒き散らした。
辺りを地獄へと変えた黄金の光と、遠ざかる銀の背中を目に焼き付けて、響の意識は闇に落ちていった。
響を余りにも強く書きすぎたので、響視点でフォローを入れる始末。
構えは詠春拳なのに、決め技は鉄山靠とはこれ如何に。あと残心は基本的に日本の武術の考え方らしいです。なんという闇鍋っぷり。