戦姫絶唱シンフォギア ~歪鏡に選ばれた少女~   作:きおう屋

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 詰め込みに詰め込みを重ねて、気付けば過去最多の18500字。本当は分割しようかとも思ったのですが、文字数の関係から上手いこと区切ることが出来なかったので1話分として投稿します。なので、今回は普段の2倍近い文量で、増し増しをお送りします。

 蛍の霊圧が、消えた……?


EPISODE 19 「銃と、拳と、剣と」 

 クリスが激情と共に撃ち放ったネフシュタンの鎧は、上空から現れた巨大な剣により防がれた。ネフシュタンの鎧を無理矢理に解き放った代償として一糸纏わぬ姿となったクリスは、駆られる激情からか、恥部を隠そうともせずに憎々しげな視線を巨大な剣の柄頭に佇む乱入者――風鳴翼へと向ける。

 

「死に体がッ! 邪魔をするなッ!」

「もう何も失うものかと決めたのだ。仲間の危機に臥せっているなど、風鳴翼が出来よう筈もない!」

「テメエも其処の女も、皆皆邪魔なんだよ! あたしと蛍の邪魔をする奴は一切合切撃ち貫いてやる!」

「頼みのネフシュタンを脱ぎ捨てた今の貴様に何が出来る。裸の王が張る虚勢で怯むなどとは思うてくれるな!」

「ハッ! 裸! 裸だと!? 今のあたしが、テメエには裸に見えるのか! 鳥目になるには、少しばかりお天道様が眩しすぎんぞ!」

「何を世迷言を!」

「幸い今日は使って良いと言われている。だから、目に物見せてくれる! その目ん玉かっぽじって特と見晒せッ!」

 

 クリスが握った拳の力を少しばかり弱めると、その掌から、紐に繋がれた赤い結晶が零れ落ちた。夕日を反射して爛々と輝くその赤い結晶は、今のクリスの心の内を現すかの如く、その赤を炎のように燃え上がらせている。

 それを見て、「馬鹿な!? まさかそれは!?」と驚愕に目を見開く翼を余所に、クリスは両手で紐を握り締め、胸の高さまで上げた腕を真っ直ぐに伸ばす。

 歌い上げるのは聖詠。眼前の敵を――クリスと蛍の夢を妨げる敵を撃ち貫く力をと祈りを込めて喉を震わせる。

 

Killter Ichaival tron(銃爪にかけた指で夢をなぞる)

 

 白銀の繭が辺りを眩く照らし、クリスに超常の力を齎す。何百、何千と見たその光の奔流に身を任せ、クリスはその身に真紅の鎧を身に纏う。頭部には(いかめ)しいヘッドギア、胸部を強調した赤と白のボディスーツがピッタリと肌に張り付き、腰部背面には鋭く尖った菱形のアタッチメント、太腿にはスカートにも見える丸みを帯びた装甲。

 少しばかり可愛げが過ぎると何度となく思った――何故か蛍とフィーネには大絶賛された――イチイバルのシンフォギアが、クリスの身を包んでいく。

 

「見せてやる。これがあたしの本当の力――イチイバルのシンフォギアだッ!」

 

 クリスは叫ぶと共に両手の手甲を変形させ、アームドギアを2梃の巨大な三連ガトリング砲として出現させる。銃身は1梃につき2門。計4門12もの銃口が一斉に火を放ち、翼を打ち貫かんとその火線を天へと向けた。

 

《BILLION MAIDEN》

 

「イチイバルだと!? 失われた第二号聖遺物までもが、敵の手に落ちていたというのか!?」

「こいつが本物かどうかは、その身で確かめてみろッ! 蜂の巣にしてやるッ! 10億連発ッ!」

 

 銃口を向けられた翼は堪らず柄頭を蹴り宙へと身を翻すと、手にした刀と脚部スラスターを駆使して、殺到する銃弾を捌き躱す。

 

「くっ、立花! 貴女は早くその子を安全な場所へ!」

「でも、翼さんまだ身体が!」

「えぇ、私も十全ではない。だから、待ってる。……その、なんだ、頼りしているぞ、立花」

「――ッ!! は、はいッ!! 最速で、最短で、真っ直ぐに、一直線に戻ってきますッ!!」

 

 未だ大地に佇む大剣の前に着地した翼が、大剣を隔てて向こう側にいる響に向けて声を上げる。頼りにしている。翼にそう言われて、嬉しそうに声を返す響に、またクリスの苛立ちが増す。

 そのクリスの怒りを体現するように、12もの銃口が激しいマズルフラッシュを放ち、更なる弾丸の雨を降らせる。

 

「大人しく病院のベットで寝ていれば良いものを。そんな身体で戦場に出てきてまで見せつけてくれるな! どこまでも人の神経を逆撫でする!」

「生憎と、加減が出来る程傷が癒えていないのでな。仲間を頼りして何が悪い」

「馬鹿にして! ベッドに――いや、地獄に叩き送ってやるから、閻魔様への挨拶を考えとけ!」

 

 殺到する銃弾の嵐を、翼はその火線から逃れることで的確に躱していく。先の「十全ではない」という翼の言葉が嘘に思える程その動きはしなやかで、羽のように軽やかだ。銃弾は翼の身に只の一つも届くことなく、周囲の木々や地面にばかりその破壊の爪痕を残す。以前の蛍との戦闘の時よりも格段に動きが良くなっている。今の翼にはあの時にあった固さや焦りといったものがまるで見られない。

 取り回しの重いガトリング砲では埒が開かないと、クリスはアームドギアをクロスボウへと変形させる。シンフォギアのエネルギーを基に生成された桃色の弦に、同じく生成された大量の矢をあてがい放つ。弓形を描きながら放たれた矢は、曲がる矢に驚きながらも足を止め両手で刀を持ち直した翼に全て斬り伏せられる。

 

「テメエ……何が十全ではない、だ。三味線を弾きやがって。前より動きが良くなってるじゃねぇか」

「不思議と身体が軽くてな。存外、背中を預けられる仲間が居るというのは良いものだな。奏を失って、意固地になっていた私は、そんな事すら忘れてしまっていたらしい」

 

 そうだ。この動きは、今までの翼の動きではない。2年前、まだ彼女の片翼であった天羽奏が生きていた頃の動きに良く似ている。風のように戦場を疾く駆け、羽のように軽やかに舞い、立ち塞がるノイズの悉くをその手に握った刀で斬り伏せたあの頃の翼の動き。片翼をもがれ只の固い剣に成り下がった今までの翼とは似ても似つかぬ鮮やかな動きに、クリスは相手の認識を改める。今の翼は、クリス本来の力であるイチイバルを身に纏ったとしても、打倒し難い強敵だ。死に体などと、侮ることはもうしない。故に、クリスは、己が切り札の一つを敵に晒すことを決めた。

 

「だとしても、あたしとイチイバルに勝てるなどと思い上がるなッ!」

 

 再び両手に握ったクロスボウに矢を番え放つ。敢えて、狙いを甘くしたその矢を、クリスの想定通りスラスターを吹かし前へと突進することにより翼は回避する。

 翼が身に纏った天羽々斬(アメノハバキリ)は、その基になった聖遺物が剣という近接武器である事に加え、翼が近距離での高速戦闘というバトルスタイルを好むが故に遠距離での攻撃手段が乏しい。反して、クリスのイチイバルは、近距離装備がほぼ存在しない代わりに、豊富な遠距離武器による面制圧こそが持ち味である。近づきたい翼と、近づけさせたくないクリス。どちらもお互いの得意な距離での戦闘を狙い、そうはさせまいと相手はその動きを妨げる。それは当然の動きだ。己の領域で戦った方が、圧倒的に有利なのだから。

 だが、クリスは、敢えて翼を近づける。戦闘のセオリーを無視して、翼の領域へとその身を投げ出す。脚部スラスターの推進力を以ってして、圧倒的な加速により翼がクリスの眼前へと迫る。

 振りかぶられる刀。シンフォギアが齎す超人的な膂力と、翼の持つ研ぎ澄まされた技量により放たれた刃が、神速の風となってクリスに振り下ろされた。

 遠距離こそが己の距離であるクリスが、近距離戦闘の達人である翼に近づかれた時点で本来であれば必敗は確実。此処から再び距離を離す手段をクリスは持ち合わせておらず、もし、何があったとしても、翼が易々とそれを許す筈もない。故に、本来であればこの状況、クリスは詰みである。

 だが、クリスは望んでこの状況を作り出した。それは、つまり、近距離であろうともクリスは翼に劣らないという事の証左である。

 クロスボウを手放し、新たな武器をその手に握る。新たに握るアームドギアは、2挺のマシンピストル。この2挺こそが勝利の鍵。クリスのとっておきだ。

 

 迫り来る鋒を、クリスは左右の銃で挟み込むように受け止めた。想定はしていても、初めて受ける翼の刃は重く鋭い。

 

「受け止めただと!?」

「よく言うだろう。銃は剣よりも強しってなッ!」

 

 驚愕の声を上げる翼。それもその筈で、如何なアームドギアとは言えども本来であれば、両断されてもおかしくはない程の剣撃であった。それを遠距離武器である銃で受け止める。対銃戦闘の訓練も勿論行っているであろう翼には理外の行動であろう。精密な機械である銃器でそんな事をすれば、両断されなかったとしてもフレームが歪み使い物にならなくなる。だが、クリスの手に持ったマシンピストルは歪む所か傷の一つも付いてはいない。

 それを証明するかの如く、刃先をそのまま滑らせて自ら翼に肉薄したクリスは、射線に入った翼の両腕に向けてトリガーを引く。マシンピストルは焼き付くようなマズルフラッシュを放ち、銃口から弾を吐き出した。その銃弾を刀から片手を離し、半身になる事で翼は辛くも回避する。しかし、刀から片手を離したが故に、2艇の銃と噛み合ったままの刀からは先程までの圧力はない。両手と片手。比べるまでもなく、どちらの力が強いかは明白である。シンフォギアが齎す膂力にて、翼の刀を搗ち上げると共に、クリスは足を蹴り上げその場で回転。翼の顎に目掛けてサマーソルトを放つ。しかし、これも顎を反らせることで回避される。

 だが、翼の体勢は崩れ、重心は後ろへと傾いている。クリスはその隙を見逃さず着地の後に今度は地を這うように横に回転し、翼の足を払い転倒させた。傾いた重心にどうすることも出来ずに、背中から地に倒れ伏す翼。クリスはすかさず2艇のトリガーを引くも、翼は脚部スラスターを全力で吹かし、地を滑るようにその銃弾を躱すと共にクリスから距離をとった。

 

「ちっ、仕留めきれねぇか。……今までのお前だったら今のでお陀仏だった筈なんだが、思っていたよりも反応早い。ちっとばかし、修正が必要か」

「はぁ……はぁ……それは、此方の台詞だ。己の間合いまで距離を詰めたにも関わらず、攻めきれなかった所か、逆に攻められる始末。剣として、これ程屈辱的な事はない。銃で接近戦をこなすだと? 出鱈目が過ぎるぞ」

「私もあいつも遠距離タイプ。接近戦というチームの弱点をそのままにしておく訳ないだろうが」

 

 クリスのイチイバルも蛍の神獣鏡(シェンショウジン)も、近距離戦での決め手に乏しい。特にクリスは、蛍のように鉄扇や自在に動く帯などの接近戦で使用できる武装を所持しておらず、クリスが生み出すことの出来るアームドギアは銃火器に限定される。しかし、高速戦闘を得意とする風鳴翼を相手取るとなれば、幾ら弾幕を張ろうともそれを全ていなされ、接近される事は避けられない。故に、近付かせない術を磨くよりも、近付かれた際にどうするかという対策が重要であった。

 クリスは苦悩した。手持ちの武装では、どう足掻いても翼の剣を捌ききれない。蛍と共に試行錯誤しながら訓練に明け暮れていたが、答えは意外な所から齎された。迷走するクリスに、「そもそも何故銃では、接近戦が出来ないと決めつけているの?」とフィーネから差し出された映像媒体の中には、とある映画が映し出されていた。

 それは感情の抑圧された世界で、一人の男がもがき苦しみ、感情を取り戻す物語。手にした2艇の拳銃で、並み居る敵をバッタバッタと撃ち貫く至高の銃撃戦。彼にとって、距離は問題ではない。近中遠全てが彼の距離であり、彼はまるで舞を踊るかのように一対多を物ともせず敵を殲滅する。彼の放つ銃弾は、正確無比に敵を貫き、しかして敵の銃弾は一発たりとも彼の身体を掠りもしない。

 目から鱗が落ちるようだった。銃では接近戦が出来ないとは、クリスの思い違いであった。銃には、クリスが考える以上の可能性がある。少なくとも、その可能性を追い求めた先達がこの映画には映し出されている。所詮は映画、所詮はフィクションなどと侮るなかれ。およそ現実離れした動きであろうとも、それを可能にするだけの力をクリスは既に身に纏っている。

 

 その名はガン=カタ。あらゆる銃撃戦における弾道パターンを数理的に解析し、それを古来より究明されてきた東洋武術の“カタ”に組み込み完成された銃撃戦の一つの頂である。

 

 迫り来る剣撃を銃で逸らし、もう片方の手に持った銃で翼の頭部を狙い撃つ。カタに嵌った行動。しかし、それは徹底的に翼を研究したクリスが繰り出す最善手の繰り返しだ。必然、翼は徐々に一手、また一手と追い詰められていく。それはさながら詰将棋の様で。詰みに至るまでの道筋が今のクリスにはハッキリと見えている。

 ガン=カタは、本来であれば、一対多を想定した戦闘方法であり、膨大な銃撃戦を統計学的に分析する事により、敵の攻撃の軌道と射程を数理的に導き出す事によって成立する一種の未来予知にも似た技能を求められる。故に、この戦い方は、相手を熟知していなければ使えない。相手の攻撃方法、思考パターン、戦術パターンなど、相手を知り尽くしていなければ取れない戦法なのだ。

 恐らく、立花響を相手取って、この戦法を用いれば、彼女との戦闘に慣れていないクリスは、回避を上手くこなせずに、直ぐに彼女の拳を打ち付けられるだろう。だが、風鳴翼を相手取ったのならば、話は異なる。

 この2年、クリスは常に対翼を想定して訓練を重ねてきた。フィーネから齎された過去から現在に至るまでの翼の戦闘映像を目に穴が開く程見返し、彼女の戦闘スタイルを徹底的に分析し尽くした。だからこそ、翼が次にどう動くのかが予見できる。

 翼では、クリスに勝てない。だが、それは決して翼の力がクリスに及ばないからではない。地の実力であれば、恐らくは翼に軍配が上がる。何故なら積み重ねてきた年月が違う。クリスが訓練に費やした時間はおよそ2年だが、翼はそれこそ物心付いた時から、風鳴の家の人間として、将来護国の剣となる為に人並みの生活を手放して、戦士としての訓練を積んできた。その積み上げてきた努力は決して嘘を吐かない。加えて、実戦経験も豊富であり、その身に蓄えた総合的な経験値はクリスを遥かに上回る。

 翼とクリスの明暗を別ったのは、単にその努力の方向性の違いだ。翼は基本的な対人戦闘、そして装者として天羽々斬(アメノハバキリ)に適合してからは主にノイズとの戦いを想定して研鑽を続けてきた。それに対し、クリスは翼を倒す事だけを目標に訓練を重ねてきた。フィーネが計画を完遂する上で、最も邪魔になるであろう翼を倒す事。それがクリスに求められた役割であり、果たすべき使命であった。響がネフシュタンの鎧への対策を打ち立てたように、クリスもまた翼に対抗する為の術をこの2年で磨いてきたのだ。

 

「さぁ、来いよ、人気者。きっちり“カタ”に嵌めてやる」

 

 

◇◇◇

 

 

『響ちゃん、そのまま真っ直ぐ進んで。林を抜けた先の通りに二課の職員を待機させているわ』

「分かりました。ありがとうございます、あおいさん」

 

 オペレータである友里あおいの声に導かれて、響は立ち並ぶ草木の群れを踏破する。腕の中には、先程までクリスにあれだけの啖呵をきっていたとは思えないぐらいしおらしい未来の姿がある。しっかりと両手を響の首に回し、震える身体で響の胸に顔を埋めている。生身であのネフシュタンの鎧を身に纏ったクリスの前に立ったのだ。恐怖を覚えるのも無理はない。何故か耳まで真っ赤に染まり、若干呼吸が荒い事が気になったが、自分に抱き付くことで未来が落ち着きを取り戻し、安心するというのであれば、それは響にとって歓迎すべきことで、拒む理由など何処にもありはしなかった。

 未来が落ち着くまでずっとそうしてあげていたかったが、響には未来にどうしても言わなければならない事があった。既にシンフォギアを纏っている姿を見られた後ではあるが、それでも言葉にしなければ伝わらない事はきっとあるのだから。

 

「……ごめんね、未来」

「響?」

「隠し事をしないって約束したのに、私未来にとっても大事な事を言えなかった」

 

 謝罪の言葉を口切りにして、響は今までの事を語り始める。偶然からシンフォギアを身に纏ったこと。翼や特異災害対策機動部二課の面々のこと。この一ヶ月、ノイズと戦い続けてきたこと。

 これからきっと二課の職員による情報秘匿などの説明が未来にはなされるのだろうが、それでも知っていて欲しかった。未来は響を救う為に、危険な戦場にその身を曝け出した。ならばこれは、他の誰でもない響自身の口から未来に説明しなければならないことだと思った。だから、響は言葉を紡ぎ、自分に分かるだけの情報を未来に伝えた。

 全てを語り終えた響は、判決を待つ罪人のような面持ちで、未来の答えを待つ。この一ヶ月余り、未来の寂しげな表情を何度も見てきた。こんなに大切なことを黙っていたのだ。未来の怒りはきっと深い。

 しかし、未来はそんな響に向けて微笑んだ。

 

「許すわ」

「えっ……未来今なんて?」

「だから、許すわ。響が危ない事をしているのは嫌だけど、でも、それが響がやりたい事なんでしょう?」

「……うん。手に入れたのは偶然だけど、この身に宿った力は、きっと誰かを助けることが出来るから。私は、戦うよ。何でもない日常の中にある誰かの笑顔を守る為に、私はこの拳を握るんだ」

「……やっぱり響は響だね」

「どういう意味?」

「何でもないよ。只、響は何時でも、何処でも響らしくあり続けるんだなって思っただけ」

「うーん、もしかして馬鹿にされてる?」

「馬鹿。褒めてるのよ。これ以上はないってぐらいにね」

 

 それでもどこか納得できずに眉はハの字にしていると、「だから、ほらいつまでもショボくれた顔していないでいつもみたいに笑って?」と言いながら、未来は響の頬をむにゅむにゅと摘み、無理矢理に笑顔を作ろうとする。

 

「いひゃいいひゃい! やへて、みふ! いひなり、にゃにすふの!」

「ふふっ、何言ってるのか全然分からない。でも、うん、漸くいつもの響に戻った。やっぱり響はそうやって笑っているのが一番ね」

「むぐ、もがが――っぷは! もう未来の馬鹿! 腕の中で暴れないでよ!」

「あら、私の王子様はこれぐらいでお姫様を落っことす程、貧弱なのかしら」

「……未来、何だかすごくご機嫌だね」

 

 何故だか物凄く機嫌の良い未来に釣られて、響の顔にも自然と笑みが溢れる。何でもない未来とのいつものやり取りに、 胸がポカポカと暖かくなる。顔を見合わせて、クスクスと笑い合う。そして改めて思うのだ。立花響にとって、小日向未来は陽だまりで、帰るべき日常なのだと。

 暫く、そうやって笑い合っていると、鬱蒼とした林を抜け、眩く光る暖かな夕日が二人の姿を照らし出した。林を抜けた先の道路には、あおいの言葉の通り黒いセダンが止まり周辺を封鎖している。響に気付いた黒服を着た二課の職員の一人が、未来を受け取る為に一歩前へ出てくる。彼の元まで歩を進めて、腕に抱きかかえた未来をゆっくりと下ろした。

 

「未来を、お願いします」

「はい。響さんもお気をつけて」

 

 未来を二課職員に預けた響は踵を返し、未だイチイバルのシンフォギアを身に纏ったクリスと対峙する翼の下へと駆け出そうとする。そんな響の背に、「響!」と投げかけられた未来の声に、踏み出した足をピタリと止めた。

 

「あの子を――クリスをお願い。さっき話してみて分かった。あの子はきっと、ずっと世界に裏切られてきたんだと思う。私が知らないような辛くて悲しい事を沢山経験してきたんだと思う」

 

 投げかけられたのは言葉は、クリスを頼むという願い。真っ直ぐと、響の事を見つめてお願いと。先程殺されかけたばかりの少女を気遣う言葉を未来は紡ぐ。

 

「でもね、だからこそ、あの子に教えてあげたい。この世界にもあったかくて、眩しいものはあるんだって。他人を信じ切れないのは、世界の所為じゃない。自分と他の誰かとの間に壁を作っているのは世界じゃない。貴女と他人との心の壁は何時だって、貴女が作り出している事を忘れないでって」

「未来……」

「私じゃ、駄目だった。力のない私じゃ、彼女の前に立てない。だから、響に頼むの。お願い、響。あの子の心の壁を打ち砕いてあげて。繋いだ手はあったかくて、心地良いんだって思い出させてあげて。恐怖なんかに負けない眩しい勇気を、あの子に見せてあげて」

 

 振り返った響の両手が、未来の両手に包み込まれる。グローブ越しにじんわりと、未来の熱を感じる。「出来るかな」と響が問えば、「大丈夫、きっと出来るよ」と未来が後押ししてくれる。何時だって未来は響の事を、肯定してくれる。その絶対の信頼が、響に残った僅かな不安を優しく溶かしてくれた。もう迷いはない。

 

「行ってきます!」

「うん、行ってらっしゃい」

 

 蛍と手を握りたいと願っているクリスに、響の――否、響と未来の想いを届けに行こう。最速で、最短で、真っ直ぐに、一直線に。クリスの胸にある心の壁をぶち破り、二人分の温かさで彼女の心を温めよう。そして、手を繋いで、笑い合うのだ。響と未来のように、どれだけ喧嘩しても、きっと人は手を取り合い笑い合えると信じて。

 

 そして、今度は響が手を差し伸べるのだ。「友達になろう」と。

 立花響は、雪音クリスの友達になりたいのだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 風鳴翼には、斬撃武器を扱うものとしての矜持があった。幼い頃から防人としての訓練に励み、現在では刀を己の一部のように取り扱うことができる自負があった。未だ若輩の身であり、武の頂に至っているなどとは――風鳴弦十郎という武術家を知っているからこそ――口が裂けても言えないが、それでもそこらの不逞の輩には決して遅れを取ることはないし、例え生身であろうとも銃弾を捌く程度の実力を身に付けているつもりだった。

 翼は銃という武器を脅威とは考えていなかった。確かに遠距離からあのスピードで放たれる銃弾は驚異的ではあるが、銃口から放たれた弾は真っ直ぐにとしか飛ばず、その軌跡は点である。しっかりと見極めれば、対処は容易であると思っていたのだ。加えて、銃には弾数という限りが存在し、弾が切れてしまえば無用の長物と化す、何とも頼りのない武器だとすら思っていた。正直に言おう、翼は刀こそが至高の武器であり、銃など所詮は玩具であるとすら考えていた。銃は剣よりも強し。クリスの言うその言葉は、翼にとっては世迷言に他ならなかった。

 だが、それは驕りだったと認識を改めてなければならないようだ。先から何度となく、繰り返された攻防の数々は、翼にとって、銃という武器に対しての考えを一変させて余りあった。

 放たれる銃弾を、火線から逃れることで避ける。翻ったその身で流れるように横薙ぎの一閃を放てば、クリスが手に持った左右の拳銃を噛み合わせるようにして受け止める。既に何度も見たその特徴的な構えからの防御方法を翼は未だ突破出来ずにいた。否、突破などという段階の話ではない。先程から感じる違和感。その正体に翼は漸く気付く。

 

 私の一刀が、処理されているだと!?

 

 翼の技術の粋を結集した剣戟の数々を、事もなさげに防ぐクリス。シンフォギアの膂力を遺憾なく発揮した剛剣は左右の拳銃により受け止められ、ならばと速度をさらに上げた神速の一閃を見舞えば、予め来ることが分かっていたとばかりに躱される。そうして気付いたのだ。自分の一挙手一投足がクリスによって、誘導されているという恐るべき事実に。クリスの紫色の瞳が、翼を射抜いている。その視線に全てを見透かされているような錯覚を覚えた。

 抜け出そうとしても抜け出せず、その行動すらも予見していたとばかりに、クリスは淀みなく対応していく。決まり切った攻撃。決まり切った防御。まるで演舞のように翼とクリスは動き続ける。カタに嵌まるとはこういう事か。

 クリスの手の平で踊らされている。それが分かっていながらも抜け出せない。生綿で首をジワジワと締め付けられているかのような感覚に焦燥が募る。だが、その焦りに身を任せることはできない。翼の今の動きが崩れた時、それはクリスの弾丸にこの身が撃ち貫かれる時に他ならないのだから。

 

 だが、そんな均衡がいつまでも続く訳はない。翼は人の身であり、其処には体力という絶対的な限界が存在する。

 

「ぐっ……」

「おらどうした! チンタラしてたら鎌首もたげるぞ!」

 

 顔に向けられた銃口の先から逃れるのが僅かに遅れ、焼けるような痛みと共に一筋の朱が翼の頬に刻まれる。翼は自分の反応が、僅かにではあるものの遅れ始めていることを自覚した。失った体力が翼の動きから繊細さを奪っていく。

 此処にきて、翼が病み上がりであることが災いした。あたかも平気な振りをしているが、本来であれば翼はまだベッドの上で安静にしていなければならない身体なのだ。クリスの襲撃を知り、居ても立っても居られず病院を飛び出して戦場へと赴いたものの、翼を蝕んだ絶唱のバックファイアによるダメージは完全に癒えた訳ではない。その無理が祟り、翼から継戦能力を奪っていた。

 

「だが、この程度で手折られる程、防人の剣は柔ではないと覚えろッ!」

 

 己を鼓舞する言葉と共に、放つのは神速の突き。だが、やけに頑丈な2挺の拳銃がそれを遮る。刃を挟み込み滑らせ、鋒がクリスの腹の直ぐ真横を通り過ぎる。あとほんの数cm横にズレればクリスの脇腹に突き刺さったであろうギリギリを見切り、無駄のない精密な動きでクリスは防人の剣を捌き続けている。

 刀の鋒が引かれると同時にクリスの銃口は翼を追い、響き渡るけたたましい音共に放たれる銃弾を刀の平地で弾く為、翼は柄を握り締める。激しいマズルフラッシュが焚かれ、放たれるのは2発の銃弾。マズイと思った時には既に遅く、右の拳銃から放たれた一発目の銃弾こそ想定通り刀の平時で受け止められたものの、もう片方、右の銃口よりも数瞬遅れて放たれた左の銃弾が刀の鋒を正確に捉えた。両手が痺れる程の衝撃が、柄を通して翼の腕に伝播する。天高く搗ち上げられた刀を、直ぐに振り下ろす事も出来ずに、此処にきて翼は致命的な隙を晒す事となる。

 

「これで詰みだッ!!」

 

 銃口が、翼の心臓を捉える。時間にして1秒にも満たないその僅かな刹那の間が、翼の瞳にはまるで引き伸ばされたスローモションの映像のように写し出されていた。その瞳は、しっかりと、捉えていた。クリスの引き金に伸ばした指を、ではない。

 

 翼の視界の隅。クリス目掛けて投げられた巨木が、彼女の身体を諸共に吹き飛ばすその光景を、翼の瞳はしっかりと視界に収めていた。

 

「翼さんッ!!」

 

 待ち望んだ声が聞こえる。それは、背中を預ける仲間の声だ。戦場に舞い戻った立花響が、足早に翼の名を呼びながら此方に駆けてくる。

 

「立花か! すまない助かった!」

「翼さん顔に傷が……」

「この程度、なんて事はない。只の擦り傷だ」

「只の擦り傷だ、じゃないですよ! 女の子の顔に傷を付けるなんて絶対に絶対、やったら駄目なんですよ! もう! 翼さんはもう少し女の子としての自覚を持つべきです! 帰ったら直ぐに治療してもらいましょう! もしも翼さんの顔に傷が残ったりなんてしたら、私は全国の風鳴翼ファンのみんなに顔向け出来ません!」

「べ、別に私は、歌女なのだから、其処に顔の美醜は関係ないと思うのだけれど……」

「またそう言うことを言う! ……病室の件でも思いましたけど、翼さんって意外と女子力低いですよね」

「なっ!? 病室の一件は関係ないでしょう!?」

 

 痛い所を突かれて、思わず防人としての言葉遣いが崩れ、少女然とした普段の口調が口をついて出た。頬が朱に染まるのを感じながら、しかし、それを止めることも出来ず、誤魔化すようにして口を開いた。

 

「私は防人。力なき人々を護る剣だ。身体の傷は戦士にとっての誉れであり、其れを恥じる気持ちなど風鳴翼は持ち合わせていない! 加えて、此処は戦場! そんな姦しい会話など無用だ!」

「……翼さん、そんな急にキャラ作らなくても」

「キャラとか言うな! 私は常に防人としての心構えを忘れないようにだな!」

「私は普段の口調の翼さんも好きですよ?」

「はぁ!? 好き!? 貴女、戦場で何を口走っているの!? この口! この口が悪いのね! 余計な事をペラペラと囀るこの口が!」

「いひゃい! にゃんで、まはわたひのほっぺがひょんなめひ!?」

 

 むにむにと意外な程に触り心地の良い響の頬をパチンと離せば、「うぅ……今日は私のほっぺにとっての厄日だよぉ……」とよく分からないこと口にしながら、響は少し涙目になって赤くなった頬を両手でさすっている。その光景に僅かながらの罪悪感を覚えるものの、元はと言えば、戦場で余計な事を口にする響がいけないのだ。決して、翼の所為ではない。響の自業自得である。

 

 瞬間、そんな2人を咎めるように、銃弾の雨が降り注いだ。

 

 「立花ッ!」と未だ頬を撫でている響を突き飛ばし、その反動を利用して自身も横へと大きく跳躍する。土煙を上げながら、破壊を撒き散らせる無数の銃弾を尻目に、銃弾が飛んできた方向を見遣れば、憤怒の炎に顔を歪ませたクリスが、翼と響を撃ち砕かんと両手にガトリング砲を構えている。

 

「やってくれたなたくらんけがッ! いつもいつも此処ぞというタイミングで邪魔してきやがってッ!」

 

 クリスの怒号に応じるようにモーター音を響かせ回転する銃身が、左右に構えた砲門をそれぞれ翼と響に向けて、圧倒的な破壊を吐き出し続ける。

 

「バーゲンセールだッ!! 食らっとけッ!!」

 

《MEGA DETH PARTY》

 

 クリスの太股に装着された丸みを帯びた白い装甲が横に展開し、中から大量の小型ミサイルが放出され、翼と響に向けて殺到する。

 ジェット音を響かせて此方に向かってくる小型ミサイルの群れを再び躱そうとするも、翼が左右に動けば、ミサイルもまたその進行方向を変え、翼の後を追随する。避けきれないと判断した翼は、思考を回避から迎撃へと切り替えた。スラスターを吹かし宙へと舞い上がった翼は、視線の先――ミサイルに追われ大慌ての響と一直線になるように位置を調整し、響を追うミサイルを巻き込むようにして技を放つ。

 放つのは、翼の持つ数少ない遠距離かつ広範囲に効果を及ぼす技の一つ。

 

《千ノ落涙》

 

 翼の背後から現れた大量の蒼い短剣が、剣の雨となって降り注ぐ。短剣とミサイルがぶつかり合い、激しい閃光と共に生まれた爆風が、翼の頬を撫でた。しかして、生身であれば肌が焼き付く程の熱量を持ったそれは、シンフォギアを身に纏った翼を害するには至らない。

 翼はミサイルを全て破壊したことを確認すると、爆風で吹き飛ばされ頭から地面に突っ込んでいる響に向かって声を張り上げた。

 

「立花! 無事か!」

「うー、ぺっぺっ、だ、大丈夫です。ちょっと口の中に砂が入っちゃいましたけど、平気へっちゃらです!」

 

 翼は、響の無事を確認すると、彼女の側に降り立ち、《天ノ逆鱗》で2人の周囲をぐるりと囲い即席の障壁とする。眼を丸くして驚く響を他所に、翼は響へと語りかけた。

 

「聞け立花。彼女は強い。刃を交えてよく分かったが、恐らく今の私では勝てないだろう。いや、この身が十全であったとしても、勝ちを拾えるかは五分にも満たない。それ程までに、彼女は己が纏うギアを使いこなしている」

「クリスちゃん、そんなに強いんですか……」

「私一人では、駄目だ。……だから、力を貸して欲しい」

 

 そう言って翼は、右手を差し出す。自分でも身勝手な事をしている自覚はある。あれ程、響に対して冷たく接しておきながら、今更手を握ろうなどと厚顔無恥も甚だしい。だが、それでも、翼は響へ手を伸ばす。

 初めは響の事が気に入らなかった。奏のシンフォギアを身に纏っていながらも、戦う意思も覚悟も見せない。そんな彼女の事を疎ましく思った。奏の代わりになるなど言われた時は、怒りで目の前が真っ赤に染まった。

 だが、翼が絶唱を歌ったあの日から、響は変わった。リディアンの校庭を走る彼女の姿を病室から何度も見かけた。マネージャーである慎次からの報告で、弦十郎に師事し始めたと聞いた時など、何かの間違いではないのかとすら思った。だが、病室から動くことの出来ない翼に定期的に届けられた報告書には、響の目覚ましい成長の跡が見て取れた。

 そして今日、翼は初めて響と向かい合った。慎次の代わりに翼を見舞いに来た彼女と、面と向かって語り合った。そして、彼女の戦う訳を知った。それは戦士としての心構えとしては、余りにも自虐的で、ともすれば、それはあの惨劇で生き残ってしまった彼女の自己断罪の現れとも呼べるものであった。しかし、それを成そうとする響の気概は本物だった。振り返らず、常に前を向いて、一歩を踏み出す勇気を、翼は響に教えられた。

 立花響の歌は、勇気の歌。聴く者を、照らし暖める太陽のような歌。特別歌唱力が優れている訳でもなければ、歌うことを楽しんでいる訳でもない。けれど、その快活な歌声は聴く人に勇気を与える。彼女の勇気が伝播するように、前へと踏み出す勇気を貰える。

 そんな歌を歌う響にならば、背中を預けられる。手を繋げる。いや、そんな彼女だからこそ、翼は響と手を繋ぎたい。

 

 差し出した右手が、ふわりと暖かな何かに包まれた。

 

「私、未来に頼まれたんです。クリスちゃんの心の壁を打ち破ってあげてって。私もあの子に教えてあげたい。この胸の想いを、この手の温もりを届けたいんです。でも、私一人じゃきっと難しいから……」

 

 ぎゅっと、翼の右手を握った響の両手に力が込められる。其処に込められた二人分の想いを感じて、翼はコクリと首を縦に振った。

 

「ふふっ、相も変わらず、立花は砂糖菓子のように甘いな」

「あはは、親友にも『響のお人好しをは度が過ぎてる』ってよく言われます」

「……そうだな。立花は度が過ぎるほどのお人好しだ。けど、悪くない。うん、悪くないな。何故だろうな。今なら心の底から思いっきり歌える気がする」

 

 奏がいた頃は、彼女と音を奏でることが楽しくて歌っていた。彼女を失ってからは、只ノイズを屠る為に歌を歌っていた。もしかしたら、翼がこんなに本気で誰かの為に歌うなんて初めてのことなのかもしれない。

 「私も立花に中てられたかな」と独り言ちて、翼は響の手を握り返す。

 

「やるぞ立花。私達の歌で彼奴に届けてやろう。最早止められぬと言うのであれば、私達が止めてやろう。温もりを見失った迷い子に、私達のありったけの想いを歌に乗せて奏でてやろう」

「はいッ!!」

「――時に立花、貴女は私の歌を良く聴いてくれていると緒川さんに聞いたのだけれど」

「は、はい! 私、翼さんの歌が大好きです!」

「あ、ありがとう。面と向かって言われると恥ずかしいものだな。……立花は私が奏と歌っていた頃の曲は知っているか?」

 

 一応の確認も込めて翼は響に問うてみると、響は眼を爛々と輝かせながら鼻息荒く「勿論です!」と答えが返ってくる。

 

「ツヴァイウイング時代のCDだって初回限定版を東西南北駆け巡って全部揃えてあります!」

「そ、そうか。では、歌詞は頭に入っているな?」

「うぇ!? 翼さんまさか!?」

「そのまさか、だ。まさか私のパートしか歌えないなんて、情けない事は言わないだろうな」

「いえ、歌えますけど。その、良いんですか? だって、この曲は翼さんと奏さんの……」

「良いんだ。私は今、立花と歌ってみたい。それでは不服か?」

「いいえ! そんな全く! 立花響、全身全霊で歌わせて頂きます!」

 

 ぐっと胸の前で両の拳を握り、響は翼の願いを聞き届けてくれる。何処までも真っ直ぐな彼女に「そうか、ありがとう」と感謝の言葉を口にして、翼は大剣の壁の先に待っているであろうクリスへと視線を向ける。

 ここから一歩踏み出せば、其処は再び戦場だ。しかし、そこで行われるのは今までのノイズとの戦いのように、只敵を切り伏せればいいといった単純なものではない。胸の内に響く想いを、誰かに伝える為の戦いだ。こんな戦場は初めてで、戸惑いがないと言えば嘘になる。けれど、それ以上に、今は響と共に歌を奏でることが楽しみで仕方がない。いけないとは思いながらも、口元が綻ぶのを止められない。

 

 嗚呼、本当に、こんな気持ちで歌うのはいつ以来だろうか。

 

「良し、征くか、立花」

「って、翼さん、ちょーっと待ってください。つかぬことをお伺いしますが、具体的な作戦があったりは……」

「ない」

「えぇ……」

「ふふっ、まぁ、そう結論を急くな。流石に冗談だ。私とて何も無策という訳ではない」

「おぉ! それで具体的にどんな作戦なんですか?」

「うむ。立花が私の一撃に合わせてくれればそれでいい」

「……それだけ、ですか?」

「そうだが? ん? どうした立花、急に頭を抱えて……」

「いえ、偶像っていうのは人の祈りが生み出した儚い夢なんだということを、ヒシヒシと感じているだけです」

「うん? 何故急に悟りを開いた求道者のようなことを言い始めるのだ?」

「あぁ、良いんです、気にしないでください。私はどんな翼さんでも、翼さんが翼さんらしく在ってくれているのなら、それを受け入れますから」

「よく分からんが、立花がそれで良いのなら、私はいつまでも私らしく在ろう」

「はい。それで大丈夫です。私も親友を見習って寛容な心を持つことにします」

 

 何故か溜息混じりにガクリと肩を落とした響が、「それで、話を戻しますけど、一撃に合わせろと言われても、私どうしていいか全然分かりませんよ?」と問いかけてくる。その問いに翼はゆっくりと、響の胸を指差し答えた。

 

「やり方など知らなくても分かる。分かる筈だ。その胸に聞け。問いかけろ。湧き上がる旋律に身を任せて、自分の思うがままに動けばいい」

「言ってること全然分かりません……」

「大丈夫、立花とならできるさ。共に歌を歌うんだ。きっと歌が私たちを繋いでくれる。さぁ、待ちぼうけを食らった守株が痺れを切らしたようだ。あまり時間は残されていない」

 

 先程から翼と響を囲う大剣が、クリスが放つ銃弾の嵐に攻め立てられている。この様子では、遠からず壁は食い破られるだろう。打って出るには今しかない。

 

「さぁ、立花。私と一緒に飛んでくれ」

 

 再び、翼は手を差し出す。差し出された手を見つめて、「あぁ、もう!」と響は頭をガシガシと掻くと、吹っ切れたように顔をすっきりとさせて、翼の手を握り返した。

 

「ウダウダと悩むのは止めにします! 師匠の戦術マニュアルでも見たことがあります。『考えるな、感じろ』、蓋し名言です! 私は彼の言葉を信じます!」

「よし、それでこそ立花だ」

 

 翼と響はお互いに見つめ合って呼吸を合わせる。同時に二人が身に纏ったシンフォギアが装者の想いに応え、耳に備え付けられたヘッドフォンパーツから旋律が流れ始める。軽やかなシンセサイザーの音色と共に始まる懐かしいイントロに、瞳を閉じて少しばかり懐かしさに浸る。翼がこの曲を歌うのは、奏が命を散らせたあのライブ以来初めてのことだ。元々、デュエットで歌うことを前提に作曲された曲なので一人で歌うことは出来ず、翼が奏以外の誰かとこの曲を歌いたいなどと思うこともなかった。

 

『逆光のフリューゲル』

 

 この2年で一度も耳にしたことはなかった出だしの歌詞が耳に届く。聴こえるのは、響の歌声。かつての片翼の歌声ではない。けれど、その歌声は決して不快ではなく、むしろ、どこか奏に似ているとすら思える。声質も歌唱力も似ても似つかないのに、彼女の歌の中に、奏を感じた。

 

 嗚呼、漸く分かった。戦い向こう側にあるものってこういうことなんだ。

 立花が誰かの為にと人助けをするのは、決してあの惨劇を生き残った負い目などではない。あの時、奏から託され、立花が受け取った気持ちなんだ。

 私に意地悪だった奏はもういない。けれど、奏を近くに感じるか、遠くに感じるかは私の想い次第なのだ。あの子の中に、奏の気持ちが根付いているように、私の胸の中にも、奏から受け取った沢山の気持ちと沢山の思い出がある。それに気付くか気付けないかのほんの些細な違いでしかない。

 思い出はいつか過ぎ去っていかなければないものなんだ。そうじゃないと、人は未来に踏み出せない。奏、いつも後ろを振り返っていてばかりでごめんね。でも、私はもう大丈夫だよ。あの子の歌に、振り返らず、前を向く勇気を貰ったから。

 だから、もう行くね。ありがとう奏。私は貴女に出逢えて幸せでした。

 

 響を抱き寄せ、見上げる茜色の空に飛び立つ。現在(ここ)から駆け出して未来(むこう)に羽ばたく時だ。瞳から溢れる光の粒が夕日を反射してキラキラと輝いた。ぎょっとした顔をする響に、なんでもないと首を振る。そんなことよりも集中しなさいと視線で促せば、響はピクリと身体を震わせて、顔を引き締め直した。不思議な感覚だった。言葉にしていないのに、自分の気持ちが響に伝わる。響の気持ちが理解できる。歌が二人を繋いでいた。

 眼下を見下ろせば、ガトリング砲を構え唖然と此方を見上げるクリスの姿。自然と二人の身体が離れる。お互いに示し合わせた訳ではなく、翼も響も胸に流れる旋律のままに身体が動く。翼はアームドギアを大剣の形で生成し、響は腕部装甲をまるで撃鉄を起こすかのようにスライドさせる。

 翼の持つ大剣が蒼い稲妻を迸らせ、響の腕に収束されたエネルギーが橙色の槍を形作る。放つタイミングを態々示し合わせる必要など無い。この時、この場所において、翼と響はお互いを完全に理解し合っていた。

 

双星ノ鉄槌(―DIASTER BLAST―)

 

 風よりも疾く、太陽よりも高く重なりあった剣と拳により放たれた莫大なエネルギーの奔流が、嵐となってクリスの身体を飲み込む。荒ぶる嵐は留まる事を知らず、大地を削り、立ち並ぶ木々を根ごと吹き飛ばす。嵐の過ぎ去った後に残るのは、まるで爆心地のように剥き出しになった地面と、辺りに立ち込める土煙。

 想像以上の威力だったのか、「つ、翼さん、これ幾らなんでもやり過ぎたんじゃ……」と顔を青くしている。だが、そんな響に翼は顔を硬くして首を振った。

 

「いや、やり過ぎなものか。構えろ立花。まだ終わっていない」

「そんなまさか防がれたッ!?」

 

 驚愕の声を上げる響。響の手前、何とか冷静さを保とうと努めているものの、翼とてその胸中は穏やかではなかった。今の一撃は、重なりあった二人の気持ちを込めに込めた想いの結晶。奏と共に放った時と比べても遜色ない程の、今の翼と響が放つ事が出来る至大至高の一閃だった。それが防がれたというのか。信じたくはない。しかし、技を放った後にこの手に残った違和感が、《双星ノ鉄槌(―DIASTER BLAST―)》がクリスの喉元に届き得てないという認めがたい事実の何よりの証左であった。

 

「今の一撃があの子に防げたとは思えない。いい加減に姿を現したらどうだ」

「あら? 気付かれていたの。残念ね」

 

 土煙の中から、声が返ってきた。クリスの声ではない。妖艶な艶のある女性の声だ。その艶めかしい声に、嘗て味わったことのない程の悪寒が全身を這いずり回り、翼の背筋をぞわりと震わせる。只、声を聞いただけなのに、この全身を逆なでされたような悪寒は一体何だと言うのだ。ひたりと翼の額から一筋の冷や汗が頬を伝う。翼は手にした大剣を構え直すと、未だ晴れぬ土煙を睨み続けた。

 

 土煙が漸く晴れたその場に立っていたのは、金色のネフシュタンを身に纏い意識を失ったクリスを抱きかかえた妙齢の女性だった。

 

 腰まで伸びた美しいプラチナブロンドを棚引かせ、白金の双眸で此方を伺うその女性は、まるで此処が戦場だと理解していない程に自然体であった。その余裕の正体を翼は知っている。何故ならば、以前にも似た雰囲気を感じたことある。星の降る夜、ビルの屋上で対峙した蛍という名のもう一人の適合者。あの時、彼女が放っていた強者故の余裕を、翼は目の前の女性から感じ取っていた。

 直感ではあったが、《双星ノ鉄槌(―DIASTER BLAST―)》を防いだのは彼女だという確信が翼にはあった。

 

「あぁ、そんなに構えなくてもいいのよ。今日はこの子を回収しに来ただけで、貴女達と争うつもりはないわ」

「その言葉を信じろと言うのか?」

「この場で矛を交えたとして、どちらに勝利の天秤が傾くか。分からない程、貴女は愚かではないでしょう?」

 

 「どちらにしても、そちらの雛鳥は既に限界のようだけれど」という女性の言葉に視線を移せば、其処には地面に膝をつき、苦しそうに息をする響の姿があった。「立花ッ!?」と悲鳴のような声を上げ、翼は直ぐさま響に駆け寄り寄り添うも、彼女の意識は曖昧で、掛けられた声にすら気付いていないようだった。

 

「アームドギアを生成する為のエネルギーを無理くりに放出、制御した反動でしょうね。一種の極度の疲労状態かしら。命に関わる程のものではないでしょう。それにしても、本当おもしろい子。本来、アームドギアは基となった聖遺物の性質を大きく逸脱する事はないというのに、その子はその手に武器を握ることを良しとせず、繋ぐ拳をこそ己のアームドギアと定義しようとしている」

 

 誰に聞かせる訳でもなく、淡々と響の状態に対する見識を述べ独り言を呟く彼女は、その口元に蠱惑の笑みを浮かべて、まるで恋する乙女のような瞳で、苦しむ響を眺めている。しかし、その瞳の奥に潜むえも言われぬ淀みを感じ取り、翼の精神はざわめき立った。

 そんな翼の心の機微を感じ取ったのか、彼女は響から視線を外し、翼へとその白金の双眸を向けると、おもむろに口を開いた。

 

「私はフィーネ。いずれこの世界に葬世と創世を齎す者の名よ。覚えておく価値がある」

「フィーネ? 終わりの名を持つ者? 貴様は一体……」

「問答は、この辺りにしておきましょう。その雛鳥を持ち帰りたいのは山々なのだけれど、あまり長居が過ぎると余計な草が現れそうだから、今日はこれでお暇するわ」

 

 そう言って、フィーネと名乗った女性は、翼に無防備な背中を向け歩き出す。

 胸の奥から湧き上がる追いかけたいという気持ちを、理性を以って押し殺す。翼の傍らには、苦しそうに喘ぐ響が居る。今の翼がこんな状態の響を放っておける筈もない。加えて、仮にフィーネを追いかけたとして、今の消耗し切った翼では、フィーネの喉元に鋒を突き付けるには至らないだろう。

 故に、今この場で翼が取れる唯一の行動は、歯痒いながらも黙ってフィーネの背を見送ることだけであった。

 

「では、またね風鳴翼。いずれまた戦場で相見えましょう」

 

 沈む夕日にその身を溶かしたフィーネの後ろ姿を、翼は歯の根を噛み締め、何時までも睨み付けていた。

 

 




 ヒャッハー! みんな大好きガン=カタの時間だよ!
 この回を書く為だけに、リベリオンとウルトラヴァイオレットの動画を漁り、虚淵御大の浄火の紋章に関しても勉強しました。ガン=カタかっこいい。

 双星ノ鉄槌は漫画版で奏と翼が用いた協力技です。後に、翼と和解した響が、翼と共にこの技を使いフィーネを撃退しました。

 逆光のフリューゲルに関しては、シンフォギア装着時に歌う曲は、装者の心象風景の発露であるらしいのですが、別に既存の曲を歌ったって構わんのだろう? という独自解釈です。

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