戦姫絶唱シンフォギア ~歪鏡に選ばれた少女~   作:きおう屋

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EPISODE 02 「少女を殺す言葉」

 フィーネに連れてこられたその屋敷は、奥深い山中にひっそりと建てられていた。とある金持ちが道楽で建てたは良いものの、余りにも山奥に建ててしまったために殆ど利用もせず、売りに出していたものをフィーネが土地ごと買い取って改装したらしい。

 

「さぁ、着いたわ」

「ここが、そう、なんですか?」

「えぇ、あなたの新しい家よ」

 

 蛍は、フィーネが運転していた車から降りると、改めてその浮世離れした光景に目を見張った。

 傍には小さな湖、深緑の木々に囲まれ俗世から隔離された屋敷を見ていると、まるで中世のヨーロッパにタイムスリップでもしたかの様な錯覚に陥る。

 これだけの屋敷を建てておきながら、殆ど使わず売り払ってしまうのだから金持ちの考えることは分からない。それを土地ごと買い取るフィーネも大概だと思うが。

 

「蛍、何をしているの。さっさと付いて来なさい」

「は、はい!」

 

 フィーネに促され、屋敷の中に足を踏み入れる。大きな玄関を潜った先の光景に、今度こそ蛍は言葉を失った。

 

 本来であればエントランスに当たるであろうその場所は、様々な機械に埋め尽くされていた。謎の機械が所狭しと無造作に並べられ、所々に備え付けられた謎のパーツが規則的に明滅を繰り返している様は、屋敷の外見とは別の意味で浮世離れしていた。足元に視線を向ければ、蛍の胴体ほども有りそうな太いケーブルが大理石の床の上を無数に這っている。

 何だこれは。何なのだ。

 これが、こんな物が人が生活する空間であって良いのか。というか、こんな場所で、どうやって生活すれば良いんだ。

 百歩譲って、研究所だとしよう。だが、それにしたってこれはない。

 F.I.S.の研究所は無機質で理路整然として温かみの欠片もない場所だったが、それ故に潔癖にも似た清潔を保っていた。世の研究所とはああいう場所のことを言うのだという認識が蛍の中に出来上がっていたのだが、その認識はどうやら誤りであるらしい。

 この場所は清潔とは程遠い。これではまるでアニメに出てくる悪のマッドサイエンティストの根城ではないか。

 

 「新しい家」というフィーネの言葉が、蛍の胸に重くのしかかる。

 

 今日から此処で暮らさなければならないのかと考えると頭が痛かった。これでは、F.I.S.の研究所の方が生活面では、まだマシだったのではないかとさえ思える。しかし、どれだけ嘆こうとも現実は変わらない。今日から此処が、蛍の新しい家なのだ。耐えるしかない。

 内心の動揺をフィーネに悟られぬ様、必死で顔から表情を消す。自分の住処を貶されて良い気分になる人はいないだろう。此処での自分の立場を忘れてはいけない。F.I.S.の研究者たちとは違い蛍が適合者だからという理由は免罪符にはならない。あの研究所でのやり取りを見れば分かる。フィーネは自分の機嫌を損なう者には決して容赦をしない人だ。

 エントランスを抜け、黙々とフィーネの後を追う。歩幅の違いからかフィーネの歩く速度は早く、蛍は遅れないよう歩を早めた。振り返りもしない背中が、傍若無人な彼女の人柄を物語っていた。

 別に蛍はフィーネに優しくして欲しい訳ではない。むしろ、無関心であってくれた方が嬉しい程だ。初めて出逢った時の頬を這う指先の感触は、今思い出しても背筋が凍る。ただ頬を撫でられただけで、人はあれ程の悪寒を覚えるものなのだろうか。

 アレは、天性のサディストだ。つまり、フィーネに興味を持たれるということは、彼女の加虐心を擽った格好の獲物としてロックオンされるということで。それが見ず知らずの他人であれば、「はぁ、大変ですね」と素っ気のない一言で済むが、その矛先が自分に向いているとあっては気が気ではない。それが肉体的なものであれ、精神的なものであれ、蛍は虐められて喜ぶような奇特な性癖は持ち合わせていない。なんとかせねばと頭を捻ってみるものの、名案というものはそう簡単には浮かんでこないこそ名案なのだと思い知るだけだった。

 

 食堂だと言われ通された部屋で、席に着く。一辺で十人は一緒に食事を取れそうな程大きな長机、対面にはフィーネが足を組んで実に偉そうに座っている。部屋の奥に広がる謎の機械群は見なかったことにしたかったが、つんと鼻を刺すような薬品の香りが嫌でも蛍の鼻腔を擽った。

 「さて、と」と勿体ぶったように前置きしてから、フィーネが口を開いた。

 

「もっと楽になさい。今日からここで一緒に暮らすのだから、そんなことでは気が滅入ってしまうわよ」

「……はい」

 

 既に気が滅入っているとは、口が裂けても言えない。こうして対面に座り、話しているだけで精神がガリガリと削られている気がする。フィーネの口調が砕けているのは、蛍にも気楽にしろという合図なのだろうが、それを馬鹿正直に受け取るわけにはいかない。

 

「警戒するな、とは言わないわ。無理矢理、研究所から連れてこられて混乱しているでしょうし、貴女の境遇を考えれば私を恨んでもいるのでしょうね」

「いえ、そのようなことは決して……」

 

 決して口調を崩そうとしない蛍にフィーネはため息混じりの視線を投げかけてくる。

 少し強情が過ぎただろうか。そんな不安が蛍の胸中を過ぎる。だが、この硬い口調を直すつもりは毛頭なかった。

 幼い蛍がそのような口調で話すことは、きっと周りから見れば酷く奇異に映るのだろう。それは蛍とて理解している。恐らくフィーネもその年齢にそぐわぬ蛍の口調を胡乱げに感じているに違いない。事実、蛍が研究所に連れてこられる前は、歳相応の少女らしい口調だった。蛍がこの口調を使い始めたのは、両親に売られたことを蛍なりに飲み込んだことができた後のことだった。

 この口調は、蛍の身に纏った鎧の一つであった。自身の心を守るため、もう誰も信ずるものかと決めた蛍にとって、他者との距離を必要以上に近づけないための心の鎧。そしてそれは、その口調を意識して使うことにより、自分と他人には距離があると蛍自身にも言い聞かせる一種の自己暗示でもあった。

 

「……まぁ、いいわ。それでは確認になるけれど、私――フィーネのことをどこまで知っているのかしら?」

「先史文明期に生き、リインカーネイションを繰り返すことによって現代まで存在し続ける巫女だとF.I.S.の研究員には教えられました」

「今代の器――櫻井了子(さくらい りょうこ)については?」

「日本政府の聖遺物研究組織に属する考古学者とだけ」

 

 その後、幾つもの質疑を繰り返し、フィーネは蛍が現状持ち合わせている知識の確認を行う。フィーネ、F.I.S.、レセプターチルドレン、聖遺物、そしてシンフォギアについて。フィーネが問いかけ、蛍はその問いに、自分の頭の中で一度整理しながら答えを返していく。問題がなければ、フィーネは矢継ぎ早に次を問いかけ、蛍の認識に間違いがあれば、その度に訂正をした。研究所で断片的な情報しか与えられなかった蛍は、フィーネから与えられた情報を元に自身の知識を繋ぎあわせ己のものにしていく。

 あまりの情報の多さ、突拍子のなさに正直頭を抱えたくなったが、泣き言を言っている場合ではない。情報はとても大切だ。それによって自身の身の振り方が決まるのだから。

 

 「ふむ」と何やら満足そうな表情を浮かべるフィーネを見やる。彼女は蛍に何をさせようというのだろうか。

 

 蛍はレセプターチルドレンである。それはつまり、次代のフィーネを受け入れるための器の候補ということだ。故に、次代のフィーネとして蛍を引き取り教育を施すのかとも考えたが、聞けばリインカーネイションには記憶の転写も含まれるらしい。器はフィーネとして目覚めた時から記憶の転写が始まり、フィーネの人格に元の人格が塗りつぶされ、その際にフィーネとしての知識も同時に取り戻す。教育を施す必要などないのだ。

 さらに、レセプターチルドレンとはいえ、アウフヴァッヘン波形に触れれば必ずフィーネとして覚醒するという訳でもないようだ。だからこそ、フィーネは数多くのレセプターチルドレンを集め、母数を増やした。

 ということは、フィーネはレセプターチルドレンとしての蛍に用はないことになる。であれば、フィーネが求めているのは、適合者としての蛍なのだろう。

 しかし、それでも疑問は残る。蛍とは面識はないが、蛍の他にもF.I.S.は幾人かの適合者を有しているらしい。聞けば、蛍と同年代ほどの少女たちだそうだ。彼女たちも蛍と同様に聖遺物との適合に成功した者たちであるはずだ。しかし、フィーネは彼女たちではなく新参の蛍を選んだ。

 そこまで考えて、フィーネと初めて逢った時の彼女と研究員の会話を思い出した。思えば、あの時、フィーネは「神獣鏡(シェンショウジン)のシンフォギアに適合者が現れた場合フィーネが引き取る」との取り決めを研究員たちと交わしていたと語っていた。

 

「……私は、神獣鏡(シェンショウジン)のシンフォギアで何をすればいいのですか?」

「やっぱり頭の回転は悪く無いようね。話が早くて助かるわ」

 

 蛍の問いにフィーネはにやりと唇の端を釣り上げ笑みを深める。蛍は、なるべくその笑みを視界に収めないよう少しだけ視線を下げた。フィーネの笑みは心臓に悪い。

 

「そうよ。貴女には神獣鏡(シェンショウジン)のシンフォギアを纏って私を手伝ってもらう」

「シンフォギアが、戦うための力だということは理解しました。でも、私は碌に訓練も受けていません。急にノイズと戦えと言われても……」

「いいえ。貴女にやってもらうのはそんな俗事ではないわ」

 

 小学生であった蛍でも知っている特異災害ノイズ。どこからともなく現れ人間だけを襲い、接触した人間を自身の体と共に炭素へと転換してしまうという生物のような形態をした存在。シンフォギアがノイズと戦うために開発されたと聞かされた時は驚いた。自分が首から下げた神獣鏡(シェンショウジン)が、まさかそんな大層なものだとは蛍は夢にも思っていなかったのだ。

 ノイズには物理的な攻撃手段が一切通じないと言われ、その対処方法を問われた時には、ただ自壊するまで逃げ切るしかないという。そのノイズを滅ぼすことの出来る力が、シンフォギアだというのだ。だとすれば、このシンフォギアという力は一体どれ程の価値を秘めているのだろうか。もしシンフォギアの力が本物であれば、人類の持つ技術はまた一つ新たなステージへとパラダイムシフトしたことになるのだ。

 

 しかし、フィーネは、それを俗事と切って捨てた。

 

 ノイズによる人々への被害をなくすための戦い。それをフィーネはただの俗事だと断ずる。

 それを聞いた蛍は、戦わずに済むという安心感よりも、フィーネへの恐怖が勝った。人類をノイズという最悪の災害から守る手段が在るというのに、そのことに対するフィーネの関心の薄さに蛍は身震いをした。

 蛍には彼女の言葉がこう言っているように聞こえたのだ。

 「人がどれほど死のうが興味はない」と。

 

「貴女は、この世界が理不尽だと、そう思った事はないかしら」

 

 いきなりのフィーネの言葉にどくんと心臓が跳ね上がった。だって、それは、蛍が口癖のように内心でいつも吐露している言葉そのままであったから。

 人が人を理解しようとしない、他人の痛みを分かろうともしない世界。蛍の大嫌いなこの世界。

 フィーネの前で、その言葉を口にしたことはない、と思う。以前やらかしてしまった時のように考え込んでいる内にいつの間にか口に出してしまっていただろうか。それとも、フィーネには他人の心を読むような能力でも備わっているのだろうか。有り得ない、とは言い切れない。聖遺物やフィーネといった異端技術(ブラックアート)の存在を知ってしまった今、常識なんてものは、吹けば飛ぶような考えであることを既に蛍は知っている。

 

「人が人と手を取り合うことよりも、人が人を虐げることの方が多いこの世界は、確かに理不尽に満ち溢れているわ。でも、それは、分かっていたとしても、人類にはどうしようない事なのよ」

「傷付き傷付け合うことが、人間の本質だというのですか」

「そうじゃないわ。人類が互いを真に理解し、手と手を取り合っていた時代は確かにあったの。少なくとも、私が生きた時代はそうだったわ。ルル・アメルが統一言語を用い、カストディアンとも語り合ったあの時代には、他者との交わりの中に意思の齟齬など生まれようがなかった」

 

 そう語るフィーネの眼差しはどこか遠くを見つめていて、まるで失ってしまったものを懐かしんでいるように見えた。そしてその表情には深い哀しみがあった。少なくとも、蛍の気を引こうと作った表情ではなく、フィーネが本気で何かを悔いているのだと蛍は感じた。

 人々が傷つけ合うのではなく、手を取り合った時代。本当にそんなものがあったのだろうか。だとしたら、それはどんなに素敵な世界だろう。輝かしい黄金の時代。フィーネの口から語られるそれは、まるで絵本に描かれたお伽話のようだった。

 だからこそ、遥か過去に思いを馳せた蛍は、問わずにはいられなかった。

 

「だったら……何故、世界はこんな風に変わってしまったのですか……」

「……それはね、人類が呪われてしまったからよ」

「呪われて……?」

「遥か昔、創造主と共に有りたいと願った一人の女が居たわ。彼女はそのために、天へと届く塔をシンアルの地に建てようとした。けれど、創造主は、人の身が同じ高みに至ることを許しはしなかった。創造主の怒りは深く、雷霆によって塔が砕かれたばかりか、人類は交わす言葉すらも砕かれた。果てしなき罰、バラルの呪詛を掛けられてしまった」

「バラルの呪詛……」

「私はあの呪いから人類を解き放つ。そして統一言語を取り戻し、今一度世界を一つに束ねる。その為だけに私は転生を繰り返し今を生きている」

 

 フィーネの語った事実は、蛍にとって到底信じられるものではなかった。

 

 けれど、心の何処かでもしかして、もしかしたらと考えてしまっている自分がいる。その先を聞いてはいけないと拒絶する蛍の心情とは裏腹に、耳を塞ぐ為に持ち上げようとした腕はうんともすんともいわない。

 明日に期待などしないと決めたではないか。未来に希望など抱かないと決めたではないか。この世界に夢など見ないと決めたではないか。

 両親の最後の笑顔の意味を知り、蛍の心は一度完全に折り砕かれた。あの笑顔を思い出すだけで、心が軋み悲鳴をあげる。だから、それは他人を信じないと決めた蛍にとって戒めであり、決して忘れてはならないこの世界の象徴だった。なのに、あの笑顔に込められた意味が薄れていく。

 バラルの呪詛があるから仕方ないとは言わない。両親が蛍を捨てたことは、変えようのない事実だ。今更、彼らと分かり合いたいとは思わないし、二度と会いたいとも思わない。

 けれど、もし、孤独に生きていくと決めたこれから先の人生で、もう一度、誰かと心を通わせ、共に笑いあうことができるのならば。

 それは、なんて――。

 

「蛍」

 

 只、名前を呼ばれた。それだけのことなのに蛍の身体はビクンと跳ねた。フィーネの声が、言葉が、蛇のように蛍の身体に纏わりつく。

 蛍には彼女がこれから先、何を言うつもりなのか分かってしまった。それは毒だ。一度聞いてしまえば、もうどうしようもなく、今までの蛍を殺してしまう猛毒。血潮が熱を取り戻し、鎧を身に纏った蛍の身体を内側から焼き尽くし、凍った心を溶かしてしまう。

 蓋をして心の奥底に封じた感情が、頭を覗かせる。理性が必死になって押し殺そうとするも、上手くいかない。今までずっとしてきたことが、フィーネのたった一言で、脆くも崩れ去ろうとしている。

 カタカタと震えが止まらない自分の身体を両の手で掻き抱いた。フィーネの前でこんな弱みを見せるなんて決してしてはいけない事なのに、止まれ、止まれと言い聞かせる言葉も虚しく蛍の身体は言う事を聞いてはくれない。

 

 弱い私は、期待も希望も夢も抱いちゃいけないんだ。

 理不尽なこの世界で生きていく為には、私みたいな人間はそんな眩しい物に縋っちゃいけない。

 裏切られて、捨てられることが怖いから、何も信じちゃいけないんだ。

 

 不意に、暖かい何かが蛍の身体を包み込んだ。見れば、椅子の背もたれの後ろから伸びた二つの腕が、絡みつくように震える蛍の身体を覆っていた。顔が直ぐ隣にあるのだろうか。彼女の息遣いが、耳元でやたら大きく聞こえる。振り返らずとも、誰のモノであるかなんて分かりきったことだった。此処には蛍と彼女の二人だけしかいないのだから。

 暖かかった。じんわりと衣服越しに、フィーネの体温を感じる。こんな風に誰かに抱かれたことは、いつ以来だろうか。母親によくこうして抱いて貰ったことを思い出した。母のような陽だまりのような香りではなく、薬品と香水が混じった酷く歪な匂いだったが、混乱した蛍には不思議と嫌な匂いではなかった。

 これは、駄目だ。この暖かさは蛍を蛍では無くしてしまう。遠い昔に失い二度と手に入る事はないと諦めていたものが、何故今此処にあるのだ。振り払う事は簡単だ。席を立ち、背後の彼女から距離を取ればいい。しかし、そんな簡単な事が、今の蛍には出来なかった。

 いつの間にか、瞼が下がり始めていた。視界が覚束なく、意識が遠ざかる。暖かさに身を任せてしまう。眠ってはいけないと思いつつも、蛍の意志に反してうつらうつらと蛍の小さな頭が船を漕ぎ始めた。

 朦朧とする意識の中にある蛍へと、囁くようにフィーネは止めの言葉(どく)を注ぎ込んだ。

 

「蛍、私と共に世界を変えましょう」

 

 瞳を閉じてフィーネの腕に身体を委ねた蛍は、自身の顔の直ぐ隣にあるフィーネの唇が酷く歪な形を成していることに気付けなかった。 

 

 

◇◇◇

 

 

 寝入ってしまった蛍を、彼女の為に用意した部屋のベッドに寝かせ、万が一にも起こさないようにゆっくりとシーツを掛ける。そのまま、安らかに寝息を立てる蛍の寝顔を観察する為、フィーネはベッドの端に腰を下ろした。肩にかかる程度に切り揃えられた蛍の黒髪を愛でるように撫でる。研究所では、碌な手入れをしていなかったのだろう。お世辞にも手触りが良いとは言えなかったが、それでもフィーネの手が止むことはなかった。

 

 フィーネは、一目見た時から蛍の事を気に入っていた。

 

 神獣鏡(シェンショウジン)の適合者が見つかったという報告を受け、身柄を引き取る為に訪れたF.I.S.の研究所で出逢った少女は、端的に言って、フィーネの好みであった。

 同年代の少女と比べて見ても発育の悪いであろう小柄な体躯、幼いながらも人形のように整った顔立ち、日本人特有の黒髪に、その隙間から覗く赤い瞳に力は無く、全てを諦めているかのような諦観が見て取れた。

 そして、その顔には何も感じていないと言わんばかりの無表情が貼り付けてあった。フィーネは、その表情こそが気に入った。

 調書によれば、この少女は両親に金で売られ、別れ際に見た両親の表情が笑顔であったことがトラウマになっている可能性が高いとのことだった。今でこそ落ち着いているものの、研究所に来たばかりの頃は、よく暴れ、自傷行為にまで及び、研究員たちが薬で無理矢理眠らせていたとの報告も聞いている。

 それが、どういうことだ。そんなやんちゃな一面など面影すら無く、目の前の少女はまるで心が壊れた人形のようではないか。否、その様に振る舞っているではないか。

 数千年の時を生き、様々な時代の、様々な人種を見てきたフィーネだからこそ、人間の心というものは存外そう簡単には壊れないことを知っている。例えそれが幼い少女の物であったとしてもだ。

 事実、彼女の感情は死んでしまっている訳ではない。普段は無表情で必要最低限の事務的な会話しかしない蛍だが、こと歌うという行為に関しては並々ならぬ執着を見せたというのだ。

 実験中であれなんであれ、歌っている最中には面白い程に表情が変化した。あまりにも自室で歌を歌うので、歌うことを禁止すると今度は鼻唄を歌い始めた。例を挙げればキリがないが、これらの事実がある以上、詞世蛍という少女が如何に歌うという行為に執着しているかは推して知るべしだ。

 そもそも、心が死んだ人物が歌った程度の歌で聖遺物が起動するはずが無いのだ。聖遺物を起動させるための歌は、誰の歌でも良い訳では無い。単純な歌唱力の高さは勿論の事だが、それ以上に、その歌に込められた想いこそが重要であり、それこそが聖遺物を起動させるほどのフォニックゲインを生み出すのだ。

 何故ならば、元来歌とは、人類が統一言語を失い他者との相互理解が不可能となった際にフィーネが創り出した、自分以外の何者かに想いを伝える為の送心手段であるからだ。バラバラになった言語を越えて、他者に自分の感情を、想いを、願いを伝える事こそが歌の本懐。結果として、歌という手段はフィーネの望んだだけの結果は得られず、研究・開発は打ち切ったものの、何千年経とうともその本質は決して変わるものでは無い。故に心の篭っていない歌など、ただの雑音(ノイズ)にすぎない。

 

 だとすれば、蛍の歌に込められた聖遺物を起動させ得るほどの想いとは一体何なのか。

 

 蛍の境遇、そして彼女が適合した聖遺物。それらを踏まえて考えれば、答えは自ずと導かれた。そして先程の会話で、フィーネの中でその答えは確信へと変わった。

 答えに達したフィーネは、蛍を手に入れたくて堪らなくなった。小さきその身体の内に秘めた想いの大きさに、そしてそれ程の想いを抱きながらもそれを必死に気付かない振りをしているいじらしさに、思わず達してしまいそうになる程の愛しさを覚える。心の奥からふつふつと嗜虐心が湧き上がってくる。

 躾けることが出来れば、どれ程優秀な駒になるだろう。上手く誘導すれば、バラルの呪詛を解くために身を粉にして働いてくれるに違いない。

 いや、最早、駒で無くともよかった。何の役にも立たない只の愛玩するペットとしてでもよい。例え蛍が神獣鏡(シェンショウジン)の適合者で無かったとしても、手元に置いておきたい程に、フィーネは蛍の事を気に入っていた。

 

 痛めつけたい。傷を残したい。自分の色に染め上げたい。その白い肌に、此れは己の物だという印を刻み付けたい。

 

 どす黒い欲求が胸中を駆け回るフィーネは、歪んだ笑みを貼り付けて、薬を嗅いで数時間は決して起きないであろう蛍の髪を、何度も何度も撫で続けた。




 どうしてこうなった。
 いつの間にかフィーネが暴走していました。

 誤字脱字は見つけ次第、修正します。

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