戦姫絶唱シンフォギア ~歪鏡に選ばれた少女~   作:きおう屋

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 今回から物語が大きく動きます。序破急でいえば、急の序盤、エンディングへと至る為の最初の加速。かなりの急展開になりますが、シンフォギアだから許されるよね?



EPISODE 20 「軛は解かれ、夢を哮る」

 暗鬱とした薄暗い部屋の中、天井に取り付けられた僅かな光源に照らされて、雪音クリスは一糸纏わぬ姿をフィーネに晒していた。何時ものように、天井から吊り下げられた手鎖に両手を吊られ、恥部を隠す事も出来ずに、顔を俯け羞恥の念に耐える。

 部屋の外では、暖かな春の陽気が新緑に芽吹く山々を照らし暖めているというのに、この部屋の中には、冷房器具が取り付けられている訳でもないのに、冷ややかな空気が満ち満ちている。肉体だけでなく、精神まで冷やし凍えさせるようなそれが、クリスの白い陶磁器のような肌を粟立たせた。

 

「命じた事も出来ないなんて、貴女はどこまで私を失望させるのかしら」

 

 クリスの眼前で、その手に鞭を持ち、クリス同様に一糸纏わぬ姿となって、己が裸体を惜しげもなく晒すフィーネが、口元を三日月に歪めながら口を開く。彼女の言葉に、返す言葉をクリスは持っていなかった。

 フィーネの言う通りだった。先の戦闘は失望されたとしても仕方がない失態だった。イチイバルというクリス自身の本当の力を身に纏っておきながら、激情に駆られ本来の目的すら見失って、敗北を喫した。

 勝てる筈の戦いだった。クリスは翼に対して徹底した対策を身に付けていたし、響に関しては、例えネフシュタンの鎧を身に纏い敗北したとしても、クリスがイチイバルを用いれば、その実力の差は明白だった。けれど、勝てなかった。

 響と翼が奏でた歌が耳にこびり付いて離れない。『逆光のフリューゲル』。かつて、翼が奏と共にツヴァイウイングとして歌ったナンバー。

 響と翼が奏でたその歌は、決してツヴァイウイング時代に奏でられた旋律に劣るものではなく、其処には紛れもなく、彼女達が紡いだ絆が存在していた。あの力の奔流がこの身を包み込んだ時、確かにその想いは、クリスの胸に届いたのだ。込められていたのは、3人分の暖かな温もり。それが、どうしようもなく眩しくて、悔しくて、羨ましかった。

 この残酷な世界で、あんなに温かな曲を歌える2人の姿が眩しかった。この理不尽な世界で、心の底から手を繋ぎ合える2人が羨ましかった。それは、クリスと蛍が渇望しながらも、決して手の届く事のない温かな絆だった。

 

「失敗は誰にだってあるわ。けれど、そこから学ばないのは愚者よ。一度の失敗ならば、私も許しましょう。二度目の失敗は、此方にとっても益となるものがあった故、心優しい私は許したわ。けれど、これで三度目。貴女は正面から立ち会い、立花響と風鳴翼に敗北した」

「……言い訳はしねえ。あたしの歌は、奴らの絆を撃ち砕けなかった。あたしは、弱かった」

「殊勝な事ね。……とは言え、私の与えたギアを纏っておきながら、星を取りこぼしたとなれば、その挫折は正しいのでしょう。しかし――」

 

 フィーネが鞭を振り被る。続けて、乾いた音と共に、痛みがクリスの肌に刻まれる。

 

「役割をこなせぬ駒になど、価値はないッ!!」

「ああああぁぁぁぁッッッ!!!!」

 

 振るわれた鞭がクリスの腹を撫で、朱を刻む。焼けるような痛みが全身を駆け抜け、クリスの脳を焦がす。何度この身に受けようとも、決して慣れ親しむ事はない痛みが、クリスの瞳に在らぬ光の粒を写し出し、激しく明滅を繰り返した。

 痛みに耐える為の布を噛ませてさえ貰えない。それ程までにフィーネの怒りは深いのだろうか。そんな事を熱に犯された頭で薄ぼんやりと考えながら、クリスは歯の根を噛み砕かんばかりに噛み締めて、落ちかける意識を保っていた。

 

「っぁ、がっ、は………」

「なぁ、クリス。その様で、本当に世界を変えられるなどと思っているのか? その程度の歌しか歌えない貴様が、未来を夢見ることなんて烏滸がましいとは思わんか? えぇ?」

 

 荒い呼吸で汗を垂れ流しながら俯くクリスの顎に、フィーネの細く長い指が沿わされ、無理矢理に顔を持ち上げられる。息がかかる程の距離で彼女の白金の双眸が、クリスの瞳を捉えて、離さない。

 未来。昔は、そんなものは幻想だと思っていた。あの地獄で両親を失い、まるで奴隷のように扱われる日々を過ごしたクリスは、世界に絶望し、夢を抱くことを諦めた。きっと自分は、このまま人間としてではなく物のように扱われ、生を終えるのだろうと思っていた。しかし、クリスは国連軍によって助けられ、フィーネにより再び拐われた。そこで世界を覆う呪いを知った。バラルの呪詛。人類の不和の象徴。

 自身から、両親を奪った戦争を憎み、イチイバルという力を手に入れたクリスは、「世界を変えよう」と言うフィーネの手を取り、この屋敷に来た。そこで、出逢ったのだ。クリスによく似た、真っ黒な少女――詞世蛍に。

 今でもよく覚えている。屋敷の扉から顔を覗かせたその少女は、深々と降り積もる真っ白な雪景色の中、浮かぶただ一点の黒。その濡羽色の髪から覗く紅い2つの瞳が、クリスの事を驚きと共に見つめていた。

 

 白いあたし(クリス)と、黒いあいつ()

 

 蛍と出逢い、クリスの願いは変容した。争いをなくしたいというあの時抱いた憎しみが消えた訳ではなかったが、それ以上に、蛍ともっと分かり合いたいと願うようになった。無表情でそっけない、ともすれば冷たいとも評されるであろう彼女は、その実、その真逆で、無表情の仮面の下では様々な感情を現していて、誰よりも優しい、小さな女の子だった。それに気付いたから、クリスは彼女を守りたいと思った。この理不尽で、残酷な世界から振りかかる蛍を害する全てを打ち砕き、いつの日か、バラルの呪詛を解き、彼女と心の底から笑い合いたいと渇望した。そんな未来を、夢見た。

 それは烏滸がましいことなのだろうか。クリスと蛍が世界に望むたった一つの願いすらも、弱いクリスには抱く資格がないというのか。

 

「……けんな」

「何?」

「……ふざ、けんな。そんな事、認めてなるものかよ」

 

 認めない。認めてなるものか。この胸に抱いた、夢は、未来は、希望は、決して間違いなんかじゃない。クリスは激痛に苛まれながらも、胸の内から燃え上がる情炎に薪を焚べ、大火となった想いのままに、眼前のフィーネに向けて哮った。

 

「何時かの未来、何処かの場所で、あいつと手を繋ぎたいと思うのが、そんなにいけない事なのかッ!? 弱いあたしにはそんな夢を抱くことすら許されねぇのかッ!? その夢を――未来を幻視させたのは、他でもないあんたじゃねぇかッ!!」

 

 クリスはフィーネのことを信じてなどいない。こちらの事情などお構いなしに無理難題を吹っ掛けて、失敗すれば、喜々としてその手に握った鞭でのお仕置きが待ってる。屋敷では基本的にいつも全裸で、何度文句を言っても聞き入れる事はなく、そんなフィーネの姿に顔を赤らめるクリスを愉悦の表情で眺める。痛みこそを至上の絆とするそんな彼女を、信じられる道理はなかったし、それを受け容れる程の被虐趣味をクリスは持ち合わせていなかった。

 

 けれど、そんな彼女にも、クリスは少なからず感謝の念を抱いていた。

 

 フィーネが居なければ、クリスはあの地獄から本当の意味で抜け出すことはなかった。フィーネが居なければ、クリスはイチイバルを手にすることはなかった。フィーネが居なければ、クリスは再び夢を見ることはなかった。フィーネが居なければ、クリスは蛍に出逢うことはなかった。

 クリスと蛍を繋いだのは、紛れも無く、フィーネという存在だったのだ。そしてそんな彼女は、蛍を除けば、あの地獄から抜け出した後に、最もクリスと関わり合った人なのだ。バラルの呪詛を解いた世界で、クリスが最も分かり合いたいのは、一片の疑問の余地なく詞世蛍という少女だ。けれど、もし、他に分かり合いたい人は居ないのかと問われれば、クリスは、多分、フィーネと答える。そう考える程度には、クリスは、フィーネとの間柄は浅からぬものだと心の何処かで感じていた。この2年という月日を、クリスは少なからず彼女と共に過ごしてきたのだから。

 だというのに、それをフィーネが否定するのか。クリスに何もかもを与えてくれたフィーネ自身が。

 

 思いの丈を感情のままに吐き出したクリスに対し、フィーネは変わらず冷ややかな態度であった。フィーネは小さな声で「……そろそろ潮時か」と呟くと、クリスの手鎖を外し、その細腕でクリスを抱きかかえた。

 

「なっ……えっ……」

「興が削がれたわ。今日は此処までにしておきましょう」

 

 急にそんな事を言われて、クリスは戸惑った。フィーネがお仕置きを途中で中断するなんて、今までに一度もなかったからだ。どんな時でも口元に笑みを浮かべて、実に楽しそうにクリスに痛みを刻み込むフィーネの姿は何処にもなく、どこまでも冷淡な研究者然としたフィーネの態度が嫌に気になった。

 クリスは、お仕置きの際に脱ぎ捨てた衣服と共にフィーネに抱きかかえられて屋敷の中を渡り歩く。思い出したように痛み始める身体の傷に顔を歪めながら、クリスはフィーネに縋り付き、彼女の腕の中で揺られていた。

 フィーネの歩が向かう先は、普段傷を癒す為に使用するメディカルルームではなく、屋敷の2階の隅に位置するフィーネの自室だ。いつもと違うフィーネの行動に、再び僅かな違和感を覚えながらも、痛みに耐える頭では、まともな考えも纏まらず、されるがままにクリスは運ばれていく。

 ほどなくして、クリスはフィーネの部屋へと辿り着く。扉が開かれ、中を覗き込めば、思わず眼を細める程の眩い輝きに彩られた絢爛豪華な家具の数々。部屋の片隅には、巨大なモニターとそれに備え付けられた操作用の端末。2年間共に過ごしていても、数えるほどしか入った事のない、フィーネの自室は、桜井了子としてではなく彼女自身の趣味が全体に反映されており、その相も変わらぬ悪趣味っぷりにクリスは眉を顰めた。

 

「さぁ、着いたわ。傷口を見せて」

 

 柔らかな革張りのソファーにクリスの事を下ろしたフィーネは、恥部を覆っていたクリスの手を問答無用で退かせると、白金の瞳でクリスの身体を検分していく。蛍であれば、顔色の一つも変えずに終えるであろうその作業は、恥ずかしがり屋のクリス――認め難いが事実である――にとって、顔を真っ赤に染めるに余りあった。

 だが、耳まで赤く染めて、俯く顔を少しだけ上げて、視線をフィーネに移せば、やはりどこか様子のおかしい彼女の姿が眼に映る。おかしいのはフィーネの表情だ。普段のフィーネであれば、治療の前段階として己の刻み込んだ傷を恍惚の笑みを浮かべてうっとりと眺める筈なのだが、今の彼女は何の感情も映さない無感情な瞳で、只クリスの傷の様子を確かめているだけだ。

 ありえない。あの人を虐める事こそが己が趣味だと言って憚らないフィーネが、被虐対象を前にして何の反応も見せないなんて、余りにもおかしい。

 

「なぁ、おい――」

「傷の程度は把握したわ。消毒液とか包帯を持ってくるから暫く待っていなさい」

 

 掛けようとした言葉は、フィーネの感情の乗らない一言に遮られた。言葉を続けようとしたクリスに背を向けて、フィーネは部屋を後にする。

 

「……一体全体、何がどうなっていやがる」

 

 此処に来て漸くクリスは、これが異常事態である事を飲み込んだ。何かが起こっている。その事は間違いない。けれど、何が起こっているのか。それが分からない。嫌な雰囲気だった。不安ばかりがクリスの心に積み重なって、それがどうしようもなく焦りを募らせる。

 

 そんな時、部屋の片隅に置かれた巨大なモニターの電源が入れっ放しである事にクリスは気付いた。

 

 これもまたおかしい。屋敷にある端末の全てにはロックが掛けられており、フィーネにしか操作が出来ないよう設定されている。クリスや蛍に余計な情報を与えない為の処置であったが、それは徹底されており、電話の一つですら満足に使えない程だ。

 だというのに、クリスの視線の先にあるあのモニターは起動状態であり、そのロックすら外れているように見える。

 痛む身体をおして、何かに導かれるようにクリスはその端末の前まで歩を進めた。フィーネの様子がおかしい理由が、何か分かるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、モニターに視線を移すと、遠目には見えなかった文字が読めた。それは、どうやら何かの計画を示した計画書であるらしい。

 

「ライブリフレクター計画……?」

 

 訳も分からず、端末を操作する指が震えていた。傷の所為ではない。自分でも何故だか分からないが、これを読めば、もう後戻りは出来ないと、クリスの直感が告げていた。

 しかし、湧き上がる好奇心を抑えられず、クリスは震える指で端末を操作し、映し出された文字を瞳で追った。

 

 計画書を読み終えたクリスが胸に抱いたのは、今までに感じたことがない程の――怒りだった。

 

 

◇◇◇

 

 

「あら、見てしまったのね」

 

 いつの間にか、部屋へと戻ってきたフィーネが白々しいまでの台詞を口にした。そんなフィーネの態度に、クリスの胸の内嵐は更に勢いを増した。当然、その手には、()()()()()()()()()()()()()

 

「白々しいんだよッ! これだろう!? あんたが私に見せたかったのは!?」

「ふふっ、さぁ、何の事かしら」

「猿芝居はよせッ!! アンタはこんな物をあたしに見せて何がしたいッ!? こんな、あいつの命を消耗品みたいに扱う真似をあたしが――雪音クリスが許せる筈がねぇだろうがッ!!」

 

 先程までの様子とは打って変わって、クスクスと本当に楽しそうに嗤うフィーネを射殺さんばかりにクリスは睨み付け、猛る。

 

「巫山戯るなよ……あいつは……世界を変えて、そこで漸く誰かに愛してもらいたかったんだッ!! それをテメエはッ……!! 踏み躙るつもりかッ!!」

「所詮は駒。駒はその役割をきちんと果たしてこそ駒を足り得る。蛍は、私の為に最後まで働いてくれるだろうさ。不出来な不出来な貴様と違ってな」

「させるか、させてたまるかよッッ!!!!」

 

 沸き立つ怒りが、クリスの身体を突き動かす。クリスは素早く駆け出すと、ソファに置かれた自分の衣服の中から、己が力の結晶を掴み取り、胸に浮かぶ聖詠を口にした。

 

Killter Ichaival tron(銃爪にかけた指で夢をなぞる)

「ハッ! 良いぞ、クリス。相手をしてやる。先に抜いたのは、其方だという事を忘れるなよ?」

 

 クリスが白銀の繭に包まれ、その身に真紅の鎧を身に纏うと同時に、フィーネの身体が青白い光の柱が立ち上る。フィーネが纏うのは黄金の鎧――クリスが身に纏った時よりも、随分と禍々しさを増した黄金色のネフシュタン。

 

「私に弓を引く。それが何を意味しているか分かっているのか? お前が、望んだ明日は永遠にやって来ない。強者が弱者を虐げない争いのない世界も、誰かを心の底から信じ、愛する事の出来る世界はもう2度と訪れることはなくなるのだぞ?」

「其処にあいつがいないんじゃ、意味がねぇんだよ!! あたしは誰よりも、蛍を信じ、愛したいんだッッ!!!!」

 

 クリスはこの世界を憎んでいる。強者が弱者を虐げ、信じた人には裏切られて、善人ばかりが馬鹿を見る。そんな理不尽で、残酷な世界。この世界を変える為ならば、この手を血に染めることすら厭わない。そう決意して、真紅と灰色に塗り潰された道を此処まで歩んできた。

 けれど、それは、分かり合いたいと願う人が居たからだ。誰よりも優しく、不器用で、小さな彼女が居たからだ。人々の不和が解消された世界を、彼女と共に歩みたいと祈り、願ったからだ。クリスが信じたいのは、愛したいのは蛍なのだ。彼女の居ない世界になんて、何の意味もなければ、価値もない。

 もう二度と失うものかと決めたのだ。もしも、クリスが望んだ新たな新天地が、蛍の犠牲の上に成り立つ世界ならば、そんな物は、もう、要らない。

 蛍を失うくらいならば、この理不尽で、残酷な世界で、彼女と共に生きた方が万倍マシだ。

 それに、もしかしたら、いつの日か、クリスと蛍も、あの2人の様に、手を繋ぎ合えるかもしれない。この世界には、あんな風に、歌を歌える奴らもいるのだから。

 

 故に、クリスは引き金を引く。こんな奴の所に、蛍を置いてはおけない。それは、近い将来、遠からずして蛍の生命を磨り潰す。

 

 真紅と黄金がぶつかり合い、超常の力を辺りに撒き散らす。クリスは手にしたクロスボウに矢を番え、フィーネに向けて撃ち放つ。迫る幾本もの矢を、フィーネは狭い室内にも関わらず、巧みに鞭を使い叩き落とした。

 室内という狭い限定空間。中遠距離向けの武器である鞭が主武装のネフシュタンに取っては戦いづらいフィールドである。だが、それ以上にクリスのイチイバルにとって、この空間は鬼門だった。広範囲・高火力というイチイバルの特性が完全に殺されてしまっている。爆発系の武装は自分へのダメージを避けられず、取り回しの重いガトリング砲では、フィーネの動きを追い切れない。

 本来であれば、こういった場面でこそ、翼を相手に使ってみせたガン=カタが輝くのだが、あれは翼を徹底的に研究したからこそ使えるものであって、クリスはフィーネの思考パターンも知らなければ、戦闘のスタイルも知らない。それどころかフィーネが戦う姿を見る事自体が初めてなのだ。常に相手の動きを先読みしなければならないガン=カタなど、用いれる筈もない。故に、クリスが手にするのは、比較的取り回しが安易なクロスボウ。しかし、これもご覧の有様で、フィーネの防御を抜くには能わない。

 加えて、屋敷の中には蛍がいる。彼女の部屋の位置は覚えているが、クリスとフィーネの戦闘音を聞き付けて、直ぐにでも此方に向かって動き出すだろう。万が一にも彼女を傷付けることなどあってはならない。

 

「だったらぁ!!」

 

 クリスは、早々に、屋敷内での戦闘を放棄。窓ガラスをぶち破り、太陽に照らされた庭へとその身を投げ出した。暖かい春の日差しをその身に受けながら、クリスは着地。そのまま駆け出し、森の中へと身を投じる。屋敷から十分に距離を置いた所で、背後から迫る鞭の気配を感じ取り、振り向きざまに矢を放った。

 

「ちょっせぇ!!」

「フン、何処までも、蛍を気遣うか。その甘さが気に食わないと何度も教えた筈だが、終ぞ貴様がそれを改めることはなかったな」

「当たり前だ。あたしと蛍の絆は、決して痛みで繋がれた物じゃねぇ。何処かの誰かさんみたく、痛みこそが唯一絶対の絆だなんて、あたしにはどうしても思えなかったし、あたしと蛍が求めたのは、もっとあったかくて眩しいものだ。アンタのそれは、人を信じる事を放棄した人間の考えだ。誰よりも信じる事を求めているあたし達とは、どの道相容れない思想なんだよ」

「随分と噛み付いてくれるな。だが、貴様の言う『あったかくて眩しいもの』とやらに縋った結果出来上がったのが、この世界だ。貴様の憎むこの理不尽な世界だ。月が変わらず宙に浮かんでいる限り、人はその温かさを信じ切れる程強くある事など出来る筈がない」

「あぁ、そうだろうともよ。そんな事は、言われるまでなく、誰よりもあたしが良く知っている」

 

「けどな――」と前置きし、クリスは向き合うフィーネへとクロスボウを構える。

 

「あたしにとって一番何が大事か漸く気付いたんだ。それは強者が弱者を虐げない争いのない世界でもなければ、誰かを心の底から信じられる世界でもない。あたしが望んだ世界――それは、あいつの隣で、共に歩める世界なんだ。私にとっての世界は、あいつなんだよ」

「……よもや、其処まで依存が進んでいたとはな。だが、その関係は遠からず破綻するぞ」

「テメエに是非を問われる筋合いはねぇよ。こうなるように仕向けたのは、テメエだろうが。依存? そんな事あたしも蛍もとっくの昔に気付いてんだよ。だから、あたしは、あいつの為になら何だってするんだッ!」

 

 屋敷からは十分は距離を取った。もう何に遠慮する必要もない。全力でフィーネを――蛍に仇なす敵を、撃ち貫くだけだ。

 クロスボウを手放し、新たに両手に握るのは、3連ガトリング砲。この遮蔽物の多い森の中でならば、フィーネの機動力を阻害した上で、遮蔽物ごと撃ち抜くだけの火力をこの銃は秘めている。

 

《BILLION MAIDEN》

 

 12の銃口が火を吹き、破壊の嵐を撒き散らす。立ち並ぶ木々を薙ぎ倒して、フィーネへと迫る無数の銃弾。しかし、その銃弾はフィーネを貫くには至らない。クリスの視界に映るのは桃色の壁。フィーネはその銃弾を、左手を前に突き出し(バリア)を発生させる事で防ぐ。

 

「あたしの銃弾とテメエの(バリア)、どっちが強い張り合おうってか!」

「真っ向勝負で私の(バリア)を越えられるとでもッ!!」

「超えるんだよッ!! ありったけでぇッ!!」

 

 喉を震わせて、歌を奏でる。クリスは先程まで結果の分かりきった無為な問答をフィーネと重ねていた訳ではない。その間、シンフォギアのエネルギーを内に止めて、解き放つ時を今か今かと待っていたのだ。それを、歌声に乗せて、一気に解き放つ。行き場の失ったエネルギーが臨界を超えて、極大の火力となって顕現する。

 本来であれば、蛍とのコンビネーションを前提とした技。チャージまでの時間が長く、単独ではまともな運用はする事は叶わない。しかし、チャージの時間も充分に与えられ、敵が防御に専念して足を止めている今ならば、この技は成立し得る。

 

《MEGA DETH QUARTET》

 

 両腕に握ったガトリング砲をそのままに、背中からは巨大な4基のミサイル、加えて太腿部装甲を展開し中から小型のミサイルを全段発射する。今のクリスが持てる最大火力が、群を成してフィーネの(バリア)を食い破る。

 激しい閃光を伴って、山中に轟く爆発音。爆炎が周囲の木々を燃やし、焦土と化していく。

 

 焔の中に、人影が浮かぶ。

 

「その再生速度は!? フィーネ……テメエ……人としての在り方まで捨て去ったのか!!」

 

 クリスとてこの一撃で倒し切れるとは思っていなかった。完全聖遺物ネフシュタン。その防御性能は折り紙付きであり、それはクリスも身に染みて良く知っている。

 故に、目の前の光景は異常だと断言できた。穴だらけの肉体、焼け焦げた肌、捻れた脚。人であれば致命傷。いや、本来であれば、最早その生命は失われている。それ程までの傷。だが、死に体である筈の見るも無惨なフィーネの肉体が、ぐじゅり、ぐじゅりと、生理的嫌悪を齎す音と共に再生していく。

 

「私と一つになったネフシュタンの再生能力だ。面白かろう?」

「まさか、融合!? 受け入れたのか、ネフシュタンを!?」

「あっははははは!! 素晴らしいだろう!! この無限の再生能力、完全聖遺物の名に相応しい力だッ!! 私は人類を超越したのだッ!! 言祝(ことほ)ぐがいいッ!! 新霊長の誕生だッ!!」

「そうか、あの馬鹿に拘った理由がそれか!!」

「然り。立花響は人類初の聖遺物との融合症例。奴のデータはとても役に立ったよ。惜しむらくは、奴の絶唱発動を観測出来なかったことぐらいか。貴様がいつまで経っても、あの雛鳥を連れ返らぬからな。本来であれば、あの雛の代わりに貴様を腑分けの検体とするつもりだったのだが、今となっては、最早、どうでもいい。この身もまた聖遺物との融合体。実験するのであれば、己が肉体を使えば良いだけなのだから」

 

 焼け焦げた顔を歪めて、フィーネは嗤う。狂っている。人としての在り方を捨て、人外へと至ったフィーネ。まるで彼女の底知れぬ妄執が、そのまま形を成した化け物。非道。残虐。猛悪。人の道を外れた、邪慳の権化。

 

 ダメだ。こんな奴の側に、蛍を置いておくなんて、絶対にダメだ。

 

「……もう後戻りは出来ないんだな」

 

 ポツリと、呟く。

 何時かの未来、何処かの場所で、もしかしたら、あり得たかもしれない風景。蛍とフィーネがあたしをからかって、クスクスと笑う。フィーネと2人で、蛍に色んな服を着せて悦に浸る。ガミガミと煩いフィーネに、蛍と2人肩を竦めて辟易する。そんな何でもない日常を、この屋敷で、クリスと、蛍と、フィーネの3人で過ごす。手を取り合い、笑い合う。そんなあたしの、儚い、夢。

 

 そんな未来を今、クリスは、完全に捨て去った。

 

 フィーネの歩む道の先に、クリスが望んだ明日はない。クリスは、蛍と共に歩む世界を選んだのだ。クリスにとって、一番大切なものを、定めたのだ。

 それはフィーネでもなければ、クリス自身でもない。詞世蛍という、たった一人の女の子。全てを失ったクリスが、この理不尽で、残酷な世界で、もう一度出逢えた、たった一つのあったかい宝物。

 詞世蛍は、雪音クリスにとっての夢であり、未来であり、希望だった。

 

「――それ以外の何かを望むなんて、欲張りが過ぎる」

 

 瞳を閉じて奏でるのは、生命を燃やす破滅の歌。自身の生命を薪として、燃え上がらせる最期の灯火。

 

 Gatrandis babel ziggurat edenal

 Emustolronzen fine el baral zizzl

 Gatrandis babel ziggurat edenal

 Emustolronzen fine el zizzl

 

 ――絶唱。

 

《THE FREE SHOOTER》

 




 また予定の箇所まで書ききれませんでした。全然、思った通りの文字数に収められない……。最終話までのプロットを書き上げた段階で、ずっと書きたかったシーンも次回に持ち越し。

 クリスによる盛大な愛の告白。なお、作者はこれでもガチじゃないと言い張る模様。ほら? 愛にも色々あるじゃないですか(言い訳)

 《THE FREE SHOOTER》は作者の完全なオリジナル。
 元ネタはWA1に登場するゴーレムの一体、バルバトスのハンドル「魔弾の射手」の英語訳。
 どんな技かは次回に。バルバトスが元ネタってバラした時点で、分かる人には分かるんでしょうが……。

 以前。活動報告にも書いたのですが、次回から更新速度が落ちると思います。
 楽しみにしてくれている読者の方には申し訳ないのですが、ご理解ください。

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