戦姫絶唱シンフォギア ~歪鏡に選ばれた少女~   作:きおう屋

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EPISODE 21 「雪の音、溶けて、消えて」

 焔の中心から歌が紡がれる。歌声を上げたのは、真紅の鎧を身に纏った少女。その歌声は、燃え盛る炎の音に埋もれることなく、赤く染まった山に涼やかに響き渡る。

 瞬間、少女を中心に光の柱が立ち昇った。クリスの歌に応えたイチイバルが、限界を越えた力を少女に齎す。クリスの身体から溢れ出したフォニックゲインが暴風となって、周囲を焦がし尽くしていた赤を吹き消した。

 その歌こそ、絶唱。装者の生命を燃やし奏でられる歌声が、クリスの喉を通り抜けて、空気を震わせる。

 一節、一節を口にする度に、クリスの中から大切な何かが燃えて、尽きて、失われていく。それをほんの少しだけ、惜しむ自分がいる。もし、この生命を、蛍と過ごすことに使えたならば、どれ程良いだろうか。例え、お互いがお互いを完全には信じられないこの理不尽で残酷な世界の中にあろうとも、きっとそれはあったかくて眩しい時間になったに違いない。その希望を、クリスはあの2人の歌から感じ取った。

 だが、既にクリスは選択をした。己の中で最も大切な物を選んだのだ。天秤は既に傾き、その傾きを誇らしいとすら思っている。絶唱を歌い助かる保証など何処にもない。如何にクリスが聖遺物に対して高い適合係数を誇っていたとしても、この歌は容赦なく装者を蝕み、その生命を薪とする。

 故に、クリスは歌う。詞世蛍(一番大切な物)を守る為に、自分の生命を薪とする。守りたいと願った小さな少女。彼女の未来を掴み取る為に、今、此処で、雪音クリスは歌声を響かせるのだ。

 

 最後の一節を歌い終える。

 

 自身の内側から溢れ出る荒れ狂う力の奔流を、両の手に握ったアームドギアへと注ぎ込む。現れるのは、長い砲身。二俣に別れたその砲身の間を、幾筋もの稲妻が迸り、放たれる瞬間を今か今かとばかりに待ち構えている。腰から伸びた菱形の装甲から、体勢を固定する為のアンカーが地面に打ち込まれ、クリスは変形したヘッドギアのバイザー越しに目標(フィーネ)を見据える。

 クリスの絶唱を前にしても、フィーネは変わらず嗤っていた。未だ身体の大部分を欠損しながらも、裂けた口元を三日月に歪めて、不敵な笑みを浮かべている。それがクリスに一抹の不安を与える。

 ネフシュタンの鎧と同化し、人としての在り方を捨て去ったフィーネ。それはつまり、フィーネはあのネフシュタンの脅威の再生能力の恩恵を、何のリスクをなく扱える事に他ならない。彼女を倒すには、その細胞の一片足りとも残さない火力が必要となる。そうでなければ、今の彼女を殺し切ることは出来ない。《MEGA DETH QUARTET》が防がれた今、クリスの手札でそれを上回る火力を成せるのは、絶唱だけだ。これにすら、耐えるのであれば、今のクリスでは、フィーネを殺し切ることは出来ない。

 そんな不安が現れたのか、トリガーを握る指先がカタカタと震えていた。その様子に気付いているのかフィーネは、更に笑みを深め、此方を挑発してくる。

 グッと、不安を怒りで押し殺した。シンフォギアの力は、想いの力。歌に込められた想いを変換し、装者に超常の力を齎す。クリスの蛍への想いが、フィーネの悪意に屈するなど、あってはならない。この想いは、誰にも負けない。クリスの全身全霊の想いを――生命を賭すのだ。負けてなど、なるものか。

 クリスはフィーネをもう一度力強く睨みつけると、蛍への想いを胸に、自身の生命を燃やして、その引き金を引いた。

 

《THE FREE SHOOTER》

 

 全てを打ち貫く魔弾が放たれる。音を置き去りにする弾丸が、その軌跡に稲妻を残し、フィーネを打ち貫かんと飛翔する。

 対するフィーネは、依然として口元に笑みを浮かべて、その再生仕切っていない右腕をクリスに向けて突き出した。ネフシュタンの肩部から伸びた鞭が格子状に重なり合い、フィーネの眼前で盾となって立ち塞がる。

 

《ASGARD》

 

 その盾は三重。桃色の六角形をした盾が重なり合い、魔弾を防ぎ切らんと立ち塞がる。銃弾と盾。二つの超常の力がぶつかり合う。まるで、先程の焼き増し。結局のところ、クリスとフィーネの戦いとは、クリスの魔弓が、フィーネの鎧を撃ち貫けるか。その一点に尽きた。

 

「ぶち抜けええええええええええッッ!!!!」

 

 一枚、一枚と魔弾が、桃色の盾を食い破り、最後の一枚に差し迫った所で、クリスは吼えた。クリスの声に後押しされるように、魔弾が桃色の盾に食い込み、ミシリと蜘蛛の巣状の罅が広がる。そして程なくして桃色の盾は欠片と砕けた。

 轟音と共に着弾した魔弾は、地面を抉り、土砂を巻き上げる。その光景を目にしても、クリスの不安は消えることはなかった。これで終わったのか? 本当に? そんな思いがぶり返し、クリスの心中を掻き乱した。

 そして、その不安は現実となってクリスの前に現れる。巻き上がった土砂の向こうから、か細いながらも確かな声がクリスの耳に届いた。

 

「……惜しかった、な」

 

 四肢が千切れ、胴体に大きな風穴を開けながらも、フィーネは健在だった。地面に倒れ伏し、彼女らしからぬ醜態を晒しながらも、顔だけは此方を向いて、変わらぬ嘲笑をクリスに見せ付けてくる。未だ傷の一つもないクリスと、満身創痍なフィーネ。しかし、フィーネはクリスに向けて、私の勝ちだと言わんばかりに笑みを浮かべるのだ。

 

「がはっ……ぐっ……ぎっ……」

 

 まだだ。まだ終わっていない。そう叫ぼうとした口からは、代わりに真っ赤な鮮血が吐き出された。限界を越えた代償が、クリスの身を苛み始めたのだ。

 痛い。痛い。身体中のあらゆる箇所が、絶唱からのバックファイアに悲鳴を上げ始める。立っていることすら儘ならず、クリスは堪らず膝を着いた。瞳から、口から、溢れ出した血が、ポタリポタリと赤い雫となって垂れ落ちる。

 痛みからか、朦朧とする意識の中、視線を上げれば、其処には既に再生を始めるフィーネの姿がある。

 届かなかったのか。限界を越えてなお、クリスの力はフィーネに届き得なかったのか。あとほんの少し、もう少しだと言うのに。そんな失望と慚愧の念が湧き上がる。

 

 だが、身体と精神を蝕まれながらも、クリスは立ち上がった。震える四肢で地面を踏みしめ、両の足でしっかりと大地の上に立った。

 

 思い出すのは、一番大切な誰か()の笑顔。共に歩みたいと願った道の果て、何でもない日常の中で、暖かく微笑む蛍の姿を幻視した。

 その微笑みが、クリスに最後の力を分けてくれる。まだ、負けていない。まだ、終われない。望む未来を掴む為に、クリスは此処で屈する訳にはいかないのだ。

 

「まだ……まだ、だ。あたし、は……まだ……やれる……戦えるッ!」

 

 クリスは血を吐きながらも哮り、自身の身に残った限界を越えた力の欠片を掻き集める。

 ギアが重たい。既にいつ装着が解けても可笑しくない状況にある。ギアのバックファイアから装者の安全を守る為のセーフティ機能が、クリスからイチイバルを無理矢理に引き剥がそうとする。しかし、クリスはそれを意思の力で強引に引き止めた。

 

「これで……本当に、最後だ。もう少しだけ、力を貸してくれ、イチイバル」

 

 掻き集めた最後の力を、右手に集める。仄かな光と共に生み出すのは、小さな拳銃。これが、今のクリスに生み出せる精一杯のアームドギアだった。だが、これで、充分だ。フィーネとて、本当にギリギリの所でクリスの絶唱を防ぎ切ったのだ。あと一手、それだけで、彼女を終わらせることが出来る。それが分かるからこそ、クリスはこうしてあらん限りの力を振り絞っている。

 銃口をゆっくりと、フィーネへと向ける。人の神経を逆撫でする笑顔を貼り付けたその顔へと銃口を合わせて、その引き金を引く――否、引こうとした。

 

 その瞬間、空から降り注いだ濃紺の光が、クリスが手にした最後の力を打ち砕いた。

 

 

◇◇◇

 

 

 蛍はその身に濃紺の鎧を身に纏い、覚束ない体勢で、神獣鏡に搭載された飛行機能――イオノクラフトを用い、空を駆けていた。それは、普段の蛍からは考えられない程、杜撰な飛行で、かつて風鳴翼を相手取った際の、宙を滑るような軽やかさは微塵もない。未だ上手く力の入らない両足で何とかバランスを保ちながら、蛍は焦燥を隠そうともしない表情を浮かべていた。

 

「何が、何が起きているの!?」

 

 蛍がその異常に気付いたのは、自室のベッドの上で歌を奏でていた時だった。両足の麻痺が未だに完治していない蛍は、フィーネから訓練を禁じられ、クリスからは家事を禁じられ、何もする事がないと、最近は自室のベッドの上で横になっている事が多かった。両足の麻痺は以前に比べて、大分マシになったと言っても、心配性なクリスが有無を言わせぬ表情で、蛍をベッドに押し込むのだ。多少は動かなければ、リハビリにならないと言っても聞いてはくれず、「家事も戦闘も、暫くはあたしに任せておけ」とクリスは問答無用で蛍をやり込めていた。

 ベッドの上で出来ることなど、高が知れていて、その中で蛍が気を紛らせられる事など、歌を歌う程度だ。早く足を治さなければという焦燥感と、クリスにばかり戦わせることへの罪悪感を紛らわせる為に歌う歌など、歌っていてもちっとも楽しくはなかった。そんな暗鬱とした気分で歌を歌う自分に嫌気が差したりもしたが、結局、ベッドの上でじっとしていることにも飽きて、また喉を震わせることを繰り返していた。

 屋敷全体が轟音と共に震えたのは、蛍がそんな冴えない歌を奏でていた時だった。始めは、地震かとも思ったが、それは違うと直ぐに頭を振った。断続的に響き渡る音の正体は、唯の音ではなく、慣れ親しんだ戦場の音であった。そして、何よりクリスの歌が聞こえた。激情に満ちたクリスの歌声が、只事ではないことをこれでもかと言わんばかりに伝えてきた。

 胸の内から湧き出る不安から、蛍は急いでベッドから跳ね起きたものの、両足の麻痺にまごついて、フローリングの床に身体を打ち付けた。思い通りにならない足を、今程憎く思った事はない。蛍はグッと歯を噛み締めた。

 這いつくばって何とか壁に立て掛けた杖の元まで辿り着いた時には、音が移動している事に気が付いた。その音は屋敷を飛び出し、屋敷の周りに広がる森へとその音源が移り変わっていた。杖を突いて窓際にまで辿り着き外を覗き込めば、土煙と木々を撒き散らし、屋敷から遠ざかるようにして戦闘の爪痕が移動している。

 

 誰かが戦っている。その一人は、クリスだ。その銃口を誰に向けているのか確かめなければならない。

 

 「けど……」と小さく呟き視線を下げれば、其処には自身の思い通りに動かない両足がある。この足では、到底追いつくことなど叶わないだろう。自身の無力さに、思わず、拳を握り込んだ。

 どうにか、どうにかしなければと、焦る蛍の首元で、きらりと赤い水晶柱が輝いた。まるで、使えとばかりに輝いた神獣鏡に、「そうか、イオノクラフトなら……」と顔を上げ、聖詠を唱える。

 

Rei shen shou jing reveal tron(小さきこの身を暴いて)

 

 濃紺の鎧を身に纏った蛍は、直ぐ様、イオノクラフトを起動して、窓から飛び出し、未だ戦闘音が鳴り止まぬ森へと向かう。

 脚部装甲にイオノクラフト機構が搭載されているせいか、いつも通りとは呼べない飛行に蛍は四苦八苦しながら、音源へと徐々に近付いていく。

 

「この! お願い、言うことを聞いて! 嫌な予感がするの! 早く、早く行かないと――」

 

 ――間に合わなくなる!

 

 何が間に合わなくなるのか、蛍に自身にも分からない。けれど、間に合わなければ決定的に何かが終わってしまう。そんな漠然としながらも、胸中を騒めき立てる焦燥感に蛍は苛まれていた。嫌な予感ばかりが、蛍の心に積み重なり、早く、早くと蛍を戦場へと駆り立てるのだ。

 蛍のその予感は最悪と言ってもいい形で具現化した。

 

 戦場から、歌声が聞こえる。

 それは、自身の限界を超えて、シンフォギアから力を引き出す為の起動の鍵。それは、装者の生命を燃やす滅びの歌。

 その歌の名は――。

 

「絶唱!? そんな、クリス!?」

 

 燃え盛る森の中から、一筋の光の柱が天を突く。クリスの歌声から発せられた膨大なフォニックゲインがピリピリと痛い程に蛍の肌を刺す。伝わってくるのは、クリスの覚悟。自分の生命を賭してでも勝たなければならない。絶唱を口にするということは、クリスにとってこの戦場が、そういう意味を持っていることの何よりの証左だった。

 

「止めてッ!! お願いッ!! クリスッ!!」

 

 蛍の絶叫も空しく、最後の一小節が蛍の耳に届いた。直後、一筋の光が、森を穿った。その余波は、衝撃となって蛍の全身を揺さぶる。崩れそうになったバランスを何とか立て直し、光の着弾点付近を見る。

 生え茂っていた草木が薙ぎ倒され、周囲に燃え盛っていた炎が掻き消されていた。山肌が露出し、削り取られた土砂がまるで雨のように辺りに降り注ぐ。

 辺りに撒き散らされた破壊の嵐に思わず、息を呑んだ。これが、クリスの本気。訓練では知ることのできなかった、クリスの絶唱。

 

 それでも、蛍は、諦め切れなかった。

 

 クリスの絶唱を目の前にしても、クリスの相手が死んでいない筈だと。蛍とて何となく予想は付いているのだ。クリスが誰を相手にしているのか。それに必死に気付かない振りをしているだけなのだ。

 だからこそ、何故あの二人がこんな争いを――それも、クリスが絶唱を口にする程の戦闘を――しているのか分からなかった。眼前の戦場で一体何が起こっているのか蛍は確かめなければならない。知らなければならない。そんな脅迫観念にも似た焦りが、唖然と佇むしかなかった蛍の身体を突き動かす。

 焦燥に駆られた蛍が漸く戦場に辿り着いたその時、蛍は、目を背け続けていた予想が、現実であることをまざまざと突き付けられた。

 見下ろした眼下で、クリスとフィーネが対峙している。その姿は互いに満身創痍と言っても過言ではない。クリスは、目立った外傷こそないものの、絶唱のバックファイアからか、口と目から血を流し、苦しそうに顔を歪めながら地面に膝を着いて荒い呼吸を繰り返している。対するフィーネは、クリスの絶唱を直接その身に受けて、四肢がもがれ、胴体には大きな風穴が開いている。フィーネに至っては、何故生きているのか不思議な程だ。恐らくは、その身に纏ったネフシュタンの鎧の再生能力に依るものなのだろうが、人体にこれだけの損傷を受けて尚、ネフシュタンの鎧はその効果を発揮するものなのだろうか。

 自身がその恩恵にあやかった経験があるからこそ、蛍は断言できた。そんな事は、あり得ない。アレは、そんなに都合の良い代物ではない。

 ネフシュタンの鎧は、身に纏った者を食い潰す。あれだけの再生を行うとなれば、ネフシュタンによる身体への侵食が深刻なレベルで進行している筈だ。完全聖遺物との融合。それは、人を人では無くしてしまう。人としての在り方を損なってしまう。

 

「フィーネ……貴女……まさか……」

 

 目の前の光景を唖然と見つめるしかなかった蛍。だが、状況は蛍の理解など待ってはくれない。絶唱からのバックファイアにその身を苛まれて、満身創痍である筈のクリスが立ち上がったのだ。その手には、小さな拳銃型のアームドギアが握られている。クリスは、震える手で銃口をフィーネに向けた。

 

 気付いた時には、手に扇型のアームドギアを現出させ、濃紺の閃光を放っていた。

 

 手にした拳銃を打ち貫かれて、驚愕に顔を歪めたクリスが視線を上げる。その視線を正面から受け止め切れず、誤魔化すように声を上げて、蛍は二人の間に降り立った。

 

「二人とも何をやっているんですか!?」

「……蛍」

「クリスもフィーネも、喧嘩にしては度が過ぎていますよ!? 一体、何を考えているんですか!?」

「……退け、蛍。あたしはそいつを殺さなきゃいけない。今、やらないと、手遅れになっちまう」

「クリス!? 何を言っているんですか!?」

「お前に恨まれてもいい。憎んでくれてもいい。だから、今はそこを退いてくれ。あたしは、そいつを……フィーネを殺さなくちゃ……」

「訳も知らずに、退ける訳がないでしょう! 何が……一体、何があったんですか……」

 

 決して引こうとはしないクリスの不退転の決意を目の当たりにして、蛍の思考はぐちゃぐちゃにかき回されていた。訳が分からない。何故、クリスとフィーネが互いの生命を賭けあった殺し合いをしているのか。何がそこまでクリスを駆り立てるのか。分からないことだらけだ。

 

「お願いです、クリス。せめて理由を話してください。私には、何も分からないんです。気が付いたら、こんな事になっていて、頭の中が滅茶苦茶なんです」

「……決めたんだ」

「……何を、ですか?」

「あたしにとって、一番大事なものを決めたんだ」

 

 そう言って、蛍を見つめる紫の瞳は、先程までの苛烈さは形を潜めて、只々蛍のことを慈しむような温かい優しさを宿していた。唐突なクリスの変貌に驚く蛍に、クリスは口を開き、小さな、けれども、確固とした意志を感じさせる声を滔々と響かせた。

 

「蛍、あたしは、もう、フィーネの計画に賛同出来ねえ」

「えっ……」

「あいつの歩んだ道の先に、あたしの望んだ明日はない。それが漸く判ったんだ」

「う、そ……だって、そんな……」

「確かに、バラルの呪詛を解いて、統一言語を取り戻せば、人類は誤解なく分かり合えるのかもしれねえ。けど、フィーネの望んだ世界の先には、あたしが分かり合いたいと願った誰かはもう居ないんだよ。そんな明日、あたしは要らねえ。そんな未来を選択するぐらいなら、あたしはこの世界で生きる。この理不尽で、残酷な世界で、歯を食いしばって生きてやる」

「何で!? 約束したじゃない!! 二人で世界を変えようって!! そうじゃないと私は、私達は……!!」

 

 クリスの言葉に、最後の鎧(敬語)すら捨て去って蛍は叫ぶ。

 人類が統一言語を取り戻し、誤解なく分かり合える世界。そんな世界を作り出さなければ、蛍もクリスも、他人を心の底から信じることが出来ない。だからこそ、フィーネに付き従って、血と灰に塗れた道をこれまで歩んできた。だと言うのに、何故、今になって、そんなことを言うのか。何故、こんな世界で生きていくなんて選択をするのか。

 蛍には、そんなことは耐えられない。こんな世界で、誰かを信じることも、誰かから信じられることもなく、孤独に苛まれながら、生きていくなんて、今の蛍には耐えられない。

 F.I.S.の研究所にいた頃であれば、そんな生き方にも耐えられたかもしれない。只々、只管に襲いかかる理不尽を是とし、世界に咀嚼されるのを待つ。あの頃の蛍は、未来に夢も希望も抱いてはおらず、そんな眩しいものに縋ってはいけないと思っていた。けれど、蛍はフィーネに出会い、再び熱を取り戻した。世界を変える為の手段がある事を知って、それを成す為の力を手に入れた。

 そして、蛍はクリスに出会った。蛍とよく似た白い少女に出会って、温かさを再び知った。蛍とクリスは、お互いに世界に裏切られて、その理不尽を身を以て経験してきた。だからこそ、そんな世界を変えようと志を共にして、フィーネの旗の下に集った。世界を変えたその未来で、誰かと再び心の底から笑い合えると信じて。

 

「分からない……分からないよ……クリス……」

「……ライブリフレクター計画」

「えっ、なに?」

「ライブリフレクター計画、だ。聞き覚えは?」

「……ない」

 

 ライブリフレクター計画。混乱する思考で、記憶の何処を掘り返してみても聞き覚えのないその単語に、蛍は首を横に振った。

 蛍もクリスもフィーネの計画の全容を把握している訳ではない。フィーネは自身の計画の全容を決して蛍とクリスに語ろうとはしなかったし、此方からフィーネに問うても、冷たい視線で黙殺されるばかりだった。カ・ディンギル計画ともフロンティア計画とも違うフィーネがひた隠しにした第三の計画。その計画が、クリスがフィーネと共に歩むことが出来ないと決めた理由なのだろうか?

 困惑する蛍を他所に、蛍の返事を聞くや否や、クリスは再び顔を憤怒に歪め、蛍の背に隠れ身体の再生を行っているフィーネを見遣る。紫の瞳は、怒りの情炎に燃えており、クリスが何故、そこまで憎しみを込めた視線をフィーネに向けるのか益々分からなくなり、蛍は紡ぐべき言葉を失ってしまった。

 

「やっぱり言う訳がないよな。そりゃそうだ。人柱となる人間に、おいそれと話せる内容じゃあねえもんな。なぁ、フィーネ、お前、蛍が従わなかったらどうするつもりだったんだよ」

「…………」

「当ててやろうか。ダイレクトフィードバックシステムで蛍の意志を奪うつもりだったんだろう? こいつの意志を捻じ曲げて、自分の思い通りに動く操り人形に仕立て上げるつもりだったんだろう? なんとか言えよッ!! フィーネッ!!」

「……当然だろう。駒は駒らしく在るべきで、指し手の思い通りに動かぬ駒に価値などない」

 

 背後から聞こえた絞り出したかの様な苦悶の声に思わず振り向けば、そこには未だ身体の再生を行い地に倒れ伏すフィーネの姿があった。胴に空いた大きな風穴こそ塞がっているものの、四肢の再生は未だ成されておらず、覗く肉の断面がぐじゅぐじゅと蠢動を繰り返している。

 そんなフィーネの様子にクリスも気付いたのか「再生が早過ぎる! クソ!」と吐き捨てると、彼女は眉を顰めて瞬巡し、蛍に向けて、何も握っていない右手を差し出した。

 

「説明なら後で幾らでもしてやる! 蛍、あたしと来い! お前はそいつの側にいちゃダメだ! そいつの創る未来は、あたしが望んだものでも、お前が望んだものでもない!」

 

 差し伸ばされた手。その手を握った温かさを思い出す。柔らかくて、優しくて、ずっと握っていたいと、手放したくないと思ったクリスの綺麗な手。

 握り返したい。その温かさを感じたい。ライブリフレクター計画がどういったものかは分からない。けれど、クリスの言葉の通りならば、蛍自身を犠牲にして成り立つ計画なのだろう。

 ここに来て、蛍はクリスが何故あれ程までに怒りを露わにしていたのかが理解出来た。クリスは、蛍の為に怒ってくれたのだ。それを理解した瞬間、蛍の頭を掻き回していた思考の渦が、急速に萎んでいった。代わりに湧き上がるのは、ポカポカと温かかくて、いつまでも浸っていたくなるような心地の良さ。

 

 愛しい人。貴女は、私に温かさをもう一度与えてくれた。貴女と過ごす日々は、こんな世界の中にあっても、眩しくて、あったかくて。凍える私を包んでくれた。思い出すのは、貴女の笑顔。だから――。

 

 そう、だからこそ、私は貴女の手を握れない。

 

「無理、だよ……」

 

 伸ばしかけた右腕が、支える力を失い垂れ下がる。視界が滲んで、クリスの顔がよく見えない。けれど、きっと傷付いた顔をしているのだろう。それだけは、分かった。

 

「無理だよ……クリス……私には、その手を握り返すなんて……できないよ……」

 

 これは、弱さだ。他人を信じる勇気を持てない蛍は、結局、クリスを信じることが出来なかった。

 

 誰よりも信じたかった。誰よりも愛して欲しかった。そう強く願っていた筈なのに。しかし、差し出されたその手を握り返さなかったのも、また蛍自身なのだ。相反する想いが、蛍の心中で渦巻き、ぶつかり合う。その痛みに、小さな蛍は耐えられない。

 統一言語を取り戻した世界で、クリスと心の底から笑い合う。詞世蛍は、その夢を捨て切れない。僅かに残るその希望に縋らずにはいられない。

 裏切られた。騙された。捨てられた。かつて、温かいと思っていたあの笑顔は幻想だった。この世界でもう一度生きるなんて、そんな世界に期待するようなことを詞世蛍が許容出来る筈がない。

 だが、辿り着いたその先で、一体誰が蛍を愛してくれるというのだろうか。血と灰に塗れて汚れ切ったこの小さな身体を、誰が抱き締めてくれるというのか。一番愛して欲しかった相手が差し出した手を、たった今、自分で拒絶したというのに。

 

 気付いてしまったその矛盾に、押し潰されそうになる蛍の瞳を、何かが覆った。

 

 本来であれば、機械的な補助を嫌った蛍の神獣鏡(シェンショウジン)からはオミットされていた筈のヘッドマウントディスプレイが、蛍の意思とは関係なく、まるで牙が噛み合うかのように蛍の眼前で組み合わさり、視界一杯に現れた突然の暗闇が、蛍の瞳を塞いだ。

 真っ暗だった画面に、明かりが灯る。上から下へ、アルファベットと数字の羅列が流れ、続いて映し出されるのは、在りし日のクリスとの記憶。蛍が初めてクリスに出逢ったあの雪の日からの2年の月日が映像となって、蛍の瞳に映し出される。

 

「な、何? 何をしているの神獣鏡(シェンショウジン)?」

 

 困惑の声を上げる蛍。自身の手足同然に扱う事が出来た神獣鏡(シェンショウジン)が、蛍が命じてもいない挙動をすることに堪らない気持ち悪さを覚えて、咄嗟にギアを強制的に解除しようとするも、神獣鏡(シェンショウジン)はその意思にすら応えてはくれない。ならばと、頭に嵌められたヘッドマウントディスプレイを取り外そうと両手を伸ばしてみるも、頑強に嵌められたそれはびくともしない。

 映像に、変化が現れた。映像の一部に黒い染みが現れ、まるで、写真が燃えるかのように、蛍の記憶を侵食し始める。クリスとの思い出が、黒に塗りつぶされていく。

 

 記憶が、想いが、温もりが、蛍の中から、消えていく。

 

「いや! やめて、神獣鏡(シェンショウジン)! 私が、私じゃなくなっちゃう! 私の想いを歪めないで!」

「蛍!?」

「お願い、逃げてクリス。私が私じゃなくなっちゃう前に、私このままじゃ――」

 

 ――貴女を、殺してしまう。

 

 その願いを、最後に口にして、蛍の意識は反転した。

 

 

◇◇◇

 

 

 ポツポツと、冷たい雫が頬をうった。釣られて視線を上げれば、澄み渡っていた青空には、いつの間にか鈍色をした雲が広がっている。

 意識がぼんやりとしている。私は何をしていたのだろうか。思い出そうとしても、霞みがかった頭はまともに働いてくれず、まるで透明なフィルターがかかっているかの様に、思い出すことを拒んでいる。

 周囲の森には、激しい破壊の爪痕が残り、何かが焦げ付く匂いが、ここがつい先程まで戦場であったことを教えてくれている。戦っていた? 誰と、誰が? 目の前には、誰も居ないというのに?

 降りかかる雨はいつの間にか勢いを増していた。額に当たる水滴は痛い程だ。あぁ、服が濡れてしまう。折角、フィーネと■■■が選んでくれた服なのに。早く屋敷に戻らないと。

 

 ■■■?

 

 私は今、誰の事を思い浮かべたのだろう? おかしな話だ。あの屋敷には、私とフィーネの2人しか住んでいないと言うのに。

 ずきりと頭が痛んだ。雨に当たりすぎただろうか。風邪を引いたかもしれない。以前、風邪を引いた時は、フィーネにとても心配をかけた。あれから、体調管理には人一倍気を使うようになったと言うのに、これではフィーネに笑われてしまう。

 そう言えば、前は何故風邪を引いたのだったか。庭から伸びる桟橋で、■■■を揶揄いすぎて、それで――。

 

 ■■■?

 

 まただ。私の脳裏を誰かの姿が横切る。思い浮べようとすると、ずきりと頭が痛んだ。何だろう。さっきから、随分と頭が痛む。昔を思い出そうとする度に、その痛みはやってくる。

 

 何かを忘れている? でも、何を? いや、誰を?

 

 何故だろう。以前にも、似た気分を味わった。どうして、今更、あの人達に捨てられた時の事など思い出すのだろうか。心にぽっかりと穴でも空いてしまった気がする。とても大切な物を失ってしまったような。

 

 冷たい雨に濡れた頬を、温かな雫が流れていく。その雫は、訳も分からずに、絶え間なく溢れ出てきて、冷たい雨に混じって消えていく。

 不意に、後ろから誰かに抱き留められた。ふわりと、薬品と香水の入り混じった香りが、雨の香りを打ち消して、私の身体を包み込んだ。

 

 溢れ出た涙は、いつの間にか、止んでいた。

 




 難産でした。特に後半。ずっと書きたかった回なのに、いざ筆を取ってみると驚くほど筆が進まないものですね……。文才が欲しい。

 ダイレクトフィードバックシステムは拡大解釈。正直、記憶を弄るのはやりすぎたかなと思わなくもないです。

 あと全然関係ありませんが、ハーメルンの文章雰囲気類似作品という機能を初めて使ってみました。文字通り、文章の雰囲気が似ている作品を表示するという機能らしいのですが、そこに何度も読み直した大好きな作品が表示されていて驚きました。自分でも影響を受けやすい性格をしているとは思ってはいましたが、知らず知らずの内に影響を受けていたようです。

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