戦姫絶唱シンフォギア ~歪鏡に選ばれた少女~   作:きおう屋

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 Q.中旬っていつの中旬よ?
 A.中旬って今さッ!

 お待たせしましたッ!



EPISODE 23 「葬世と創世の始まり」

 屋敷の食堂に散在する機械群、その一角にそれはあった。円筒状の形をしたその機械は、側面がぐるりとガラス張りになっており、中は緑色の液体で満たされている。その液体の中に、少女――詞世蛍は浮かんでいた。ぷかぷかと、ふわふわと。衣服を纏わぬその体躯は、同年代の少女と比べると小柄であり、些か凹凸に欠けている。少女の持つ黒髪が、緑色の液体の中を波打つようにして棚引いている。口元には機械から伸びた呼吸器が取り付けられており、それが水中での蛍の生存を許していた。

 森で冷たい雨に打たれたあの日から、こうして日に何時間かこの機械の中で過ごすことが蛍の日課になっていた。それは、今までの日課であった戦闘訓練よりも優先されており、蛍にとってみれば歌えない事へのフラストレーションが溜まる時間でもあった。

 だが、蛍はこの液体で満たされた空間が嫌いではなかった。この液体の中に浮かんでいる時は、不思議と幸福感に満たされた。ふわふわと水中に浮かび、脱力する。たったそれだけの事をしているに過ぎないのに、この液体の中で過ごしている時だけは、憂いも、恐れも、不安も何一つ感じない。酷く静かで、心安らぐ世界だった。あの日以来、苦しめられている突発的に起こる酷い頭痛もこの時間とは無縁であった。

 閉じていた瞳を薄っすらと開けば、シリンダー越しに蛍を見上げて、満足気に微笑むフィーネの姿がある。

 水中で薄く目を開いて、その姿を瞳に映す。相も変わらず、フィーネは蛍とは違う豊満な肢体を惜しげも無く晒している。冷暖房が完備された屋敷ではあるので、寒くもなければ、暑くもない適温ではあるのだが、彼女が頑なまでに服を着ないのは何故なのだろうか。蛍への当て付けのつもりなのだろうか。人を虐めることに関して右に出る者がいないフィーネならばありえると思えてしまう。

 

 蠱惑の笑みを浮かべるフィーネ。ここ数日の彼女は、今までに類を見ない程機嫌がいい。

 

 それは、恐らく、彼女の計画が最終段階に入っている事と無関係ではないだろう。既にカディンギルは完成し、その動力源たるデュランダルも覚醒を果たした。後は、動き出すのみ。人類不和の象徴たる月を穿ち、統一言語を取り戻す。人類に黄金の時代を、人が人を信じられる世界を作り出す。腐り切った今世を葬世し、輝く未来を創世する。

 蛍は、既に計画の全てを知っている。月を穿つ魔塔――カディンギルがどういったものであるかも、月が破壊された後に待ち受ける地球の重力崩壊も、蛍に科せられた使命も、全て神獣鏡(シェンショウジン)が教えてくれた。頭の中に流し込まれたその知識は、本来驚くべきものであった筈なのに、何故かすとんと心の中に落ち着いた。憂いも、恐れも、不安もない。只、それを為さねばならないという使命感が、心の内から湧き上がった。

 世界規模で起こるその厄災は、自然の秩序を破壊し、この星に致命的な傷を齎す。きっと多くの人命が失われる。だが、それでも蛍は決して止まらない。既に賽は投げられ、最早、後に戻る道などない。蛍は自身の望みを叶える為に、夢見た世界を作り出す為に、己のエゴを貫き通す。

 

 天を突く魔塔も、星を渡る箱舟も、宙より落ちる雷霆も――全てはこの為に。

 

 眼前に佇んでいたフィーネが不意に窓の外へと視線を向けた。静寂に満たされた世界で、己の使命を再確認していた蛍だったが、彼女の視線を不思議に思い、自らもその視線を窓へと向ける。だが、そこから見えるのは、見慣れた木々の風景のみで、不審な点は見当たらない。

 フィーネは、窓から視線を戻し、顎に手を当て暫く考え込むような仕草を見せた後、薬品に浮かぶ蛍をチラリと見た。そして口元を三日月に歪めると、蛍が納められた機械の端末を操作し始める。

 静寂に満たされた世界に、ごぽりと久方振りの音が生まれ、機械の中に満たされた液体が上から下へとその嵩を減らしていく。蛍の足が機械の底に届くと同時に、口元に嵌められていた呼吸器が外され、薬品の匂いに染められた空気が肺一杯に広がる。

 咽せ返りそうなその匂いに耐えていると、蛍の周囲を覆っていたガラスが開かれ、フィーネが蛍の名を呼んだ。

 

「招かれざる客人が来たみたいね」

「こほっ、こほっ、客人、ですか?」

「ええ、大方、頭の足りないアンクルサム共ね。以前から、彼の国が焦れていたのは知っているでしょう? 遂に痺れを切らしたか、強硬策に打って出たようね。彼我の戦力差も分からず、仕掛けてくるなんて本当にあの国は野蛮人の集まりだわ」

 

 痛烈に毒を吐くフィーネ。何時もの事なので、そこはさらりと聞き流す。

 

「米国ですか? では、F.I.S.の装者が襲撃者の中に含まれている可能性も?」

「どうかしら。今の所、アウフヴァッヘンは感知出来ないけれど、可能性としてはあり得なくもない。とは言え、上層部には以前釘を刺しておいたから、まぁ、あり得ないでしょう」

「まさか只人だけですか。些か此方の戦力を侮り過ぎではないでしょうか」

「自分達こそが世界の天辺に立っていると勘違いしてる愚か者達よ。どれだけ慢心していても不思議じゃないわ」

 

 少なくとも、此方にはシンフォギアを纏う装者がいることは彼方も承知しているだろうに。そう言った荒事を専門にしている部隊ではあるのだろうが、まさか通常の兵器でシンフォギアに立ち向かおうと言うのだろうか。夜の闇に紛れるでもなく、真昼の太陽が頭上に輝くこの時間帯に攻めてくるとは、理解に苦しむ連中である。

 

「可愛い可愛い私の蛍。貴女に任せるわ。私と貴女の城を荒らす無粋な輩にはお帰り頂いて?」

「――はい、フィーネ」

 

 耳元でそっと囁かれた艶めかしい声に、蛍は是と頷く。

 薬品に塗れた蛍の小さな身体をフィーネの両腕が優しく抱きしめる。薬品と香水が混じった嗅ぎ慣れた匂いが鼻腔を擽る。身長差故に、フィーネに真正面から抱き留められると、蛍の頭はすっぽりと彼女の胸に収まってしまう。その感覚が何故だか無性に心地良くて、懐かしい。だが、同時に頭の奥が痺れるように痛んだ。またこの痛みだ。この頭痛は決まってこういう時に襲い掛かってくる。心地よさだとか、懐かしさだとか、温かさだとか。そういった物を感じる度に蛍の頭は痛みに悩まされた。

 襲撃者に中断されたせいで、機械の処置が完了していないのかもしれない。そう考えると、沸々と襲撃者に対する怒りが湧き上がって来た。だがそれを表情に出すことは決してしない。思考は怜悧であるべきだ。

 多少、並列思考の精度は落ちるだろうが、戦闘に致命的な支障はない。この程度の枷で、蛍が只人程度に遅れを取ることなどあり得ない。

 

 温かな人肌の感触が、冷たい薬品に冷やされた蛍の身体に染み渡っていく。4年間、蛍を温め続けてくれたこの温もりを蛍は信じたい。だから――。

 

Rei shen shou jing reveal tron(小さきこの身を暴いて)

 

 蛍が聖詠を唱え終わるのと、食堂の窓が破壊され近代的な武装に身を包んだ男達が屋敷に踏み込んで来たのは、ほぼ同時の出来事だった。

 

 

◇◇◇

 

 

 クリス達3人の装者と弦十郎を乗せたジープが細く曲がりくねった山道を駆け上がる。ハンドルを握るのは弦十郎。助手席には誰も座っておらず、クリスは後ろの席に響、翼と共に並んで座っていた。クリス達の乗るジープの後方には、二課職員を乗せた同型のジープが続き、列を成している。

 車内は重苦しい空気に包まれていた。弦十郎はハンドルを握りながら額に深い皺を刻み込み、翼は腕を組み精神を集中するかのように瞳を閉じている。特に響などは、未だ信じられないとばかりに拳を強く握り締め、困惑の表情を浮かべていた。

 

 明らかになった敵の正体。仲間だと思っていた櫻井了子――フィーネの裏切り。クリスが洗いざらい吐いた真実を考えれば、彼女達の困惑は当然だと言えた。

 

 そんな中、クリスは冷静に己の身体の状態を確かめていた。未だ絶唱の負荷に蝕まれボロボロの肉体に鞭を打って、この場にクリスは居る。自分がどの程度動けるのか、それを把握する事は、これから戦場に向かうクリスにとって何よりも優先すべき事柄だった。協力関係を結んだ彼女達に配慮する余裕は微塵も無い。この面子の中で、足を引っ張る可能性があるとすれば、それは傷を負った自分に他ならないからだ。

 クリスは無理を言ってこの場に居る。本来であれば、病室のベットで寝ていなければならない身体であるにも関わらず、これから戦場に向かうのはクリスの我儘に他ならない。蛍をこの手で救い出したいというクリスの譲れない想い。作戦前の交渉では、クリスを連れて行かないのであれば、フィーネの本拠地を教えないとすら言った。大口を叩いた手前、自身の所為で作戦が失敗したとなれば、クリスは己を許せないだろう。

 

「……ねぇ、クリスちゃん、その、了子さんが裏切ったって本当なの?」

 

 重苦しい空気に耐えかねたのか、はたまた、未だに了子を信じたいという願いからか、響が躊躇いがちにクリスに問いかける。

 

「認めたくないのも分かるけどよ、あたしが話したのは全部事実だ。今まで敵だったあたしの言葉を信じられないのは仕方がない。けどよ、こうやって、二課の連中が速さを尊ぶのは、あらかじめ準備が出来ていたからだとは考えられないか? 実際、お前らの所の頭は、前々から疑っていたみたいだしな」

「師匠?」

「……その通りだ。俺は以前から了子君を疑っていた」

「師匠……そんな……」

 

 弦十郎自身も未だに信じ切れていないのか、その言葉には普段の覇気がない。絞り出された弦十郎の言葉に、響が愕然とする。

 

「敵は我々二課の事を知りすぎていた。内通者の存在は決定的だった。それが了子君だと疑い始めたのは、ネフシュタンの鎧と我々の知らないシンフォギアが敵の手にあると分かったときだ。確信に変わったのは、クリス君がイチイバルのシンフォギアを纏った時だな」

 

 失われた筈のネフシュタン、そして日本政府が秘匿している筈のシンフォギア。了子は両者に深く関わっており、シンフォギアに至っては櫻井理論を完全に理解した了子でなければ未だ製作することが出来ない。加えて、二課設立時に失われたイチイバルまでもが敵の手にあるという。二課設立時から研究主任として席を置いていた了子に疑いの目線を向けるのは当然のことだろう。探せば疑いの種は、至る所に散りばめられていたのだ。

 フィーネが自身に繋がるヒントを二課に晒した時期には、全てそうせざるを得ない理由があった。ネフシュタンと神獣鏡(シェンショウジン)を用いたのは――神獣鏡(シェンショウジン)の使用は予定外ではあったが――、翼を抑えつつも響を攫う為には、ノイズのみでは戦力不足であった為。イチイバルの使用を許可したのは、ネフシュタンへの対抗手段を身に付けた響に相対する為。

 己の疑心を語る弦十郎の苦々しい声色に、響は俯き、拳を握った。

 

 だが、そんな響を叱る様に、今まで沈黙を保っていた翼が口を開いた。

 

「顔を上げろ立花。受け入れ難い、認めたくないと俯き思考を止めていては、未来を掴めない。そこで止まってはいけないんだ」

「翼さん……」

「奏を失い私は、只の固い剣に成り下がった。彼女の死を認めたくなくて、その事実から目を背けてばかりいた。防人の剣ではなく、只ノイズを――敵を屠る剣をこの2年振るってきた。それは決して私の目指した剣ではない。過去に固執し、自ら目指した理想すら忘れて、盲目になっていた。だから、立花、私の様にはなるな。受け入れ難くても現実を直視しなければ、未来を掴むことは出来ないんだ」

「でも! 良子さんは、仲間です! 沢山お喋りして、沢山助けてもらって、沢山優しくしてもらいました! それが全部嘘だったなんて私は、信じたくありません……」

「……ならば、問うしかあるまい」

「問う?」

「そうだ。彼女の前に立って、彼女自身に問いかけろ。彼女を見て、聞いて、感じて、自分で判断するんだ。そして彼女と過ごした時間が嘘で塗り固められたものかどうか、自分自身が納得出来る答えを見つけるんだ」

「私の納得出来る答え……」

「大事なのは、自分がどう感じるかだ。物事は自分の捉え方一つで見方が万華鏡の様に移り変わる。気付くか、気付けないか。たったそれだけの事で、世界は変わって見えるものだ」

 

 そう言って翼は、柔らかな笑みと共に響の胸を指差して、再び口を開いた。

 

「後は、胸の思いを届けるだけ。いつかの屋上で貴女が言っていたように」

「最速で、最短で、真っ直ぐに……」

「そう、貴女の胸の想いを、届けるの。それはきっと彼女の胸にも響く筈だから」

「…………はい! 私、頑張ります!」

 

 何処までも真っ直ぐで、何処までも暖かい。そんな光景を目の当たりにして、クリスは幻視せずにはいられない。いつか、自分も響達の様に、彼女と通じ合うことが出来るのだろうか。この理不尽で、残酷な世界で手を取り合い、歩みを共にすることがクリスと蛍に出来るのだろうかと。

 クリスはフィーネの計画を否定した。確かに統一言語を取り戻し、人類が相互理解を取り戻した世界であれば、それは叶うのだろう。だが、その新たな世界に蛍はいない。クリスが誰よりも通じ合いたいと願った少女は、新たな世界を創造する為の人柱として、その生を終える事が宿命づけられている。

 許せる事ではない。彼女を犠牲として成り立つ世界など、クリスは認めない。己の1番大切なものを定めたクリスにとって、それはなによりも否定すべき世界だ。

 故に、クリスが歩むのは、この理不尽で残酷な世界だ。この憎むべき世界で、蛍と共に歩むことこそが今のクリスの夢だ。だが、それには大きな壁がある。人を心の底から信じられないクリスと蛍。どうしようもない程に凝り固まった他者への疑心。これ程までに愛している蛍にですら、クリスは全幅の信頼を寄せられずにいる。

 クリスの夢を達成する為には、どうすればいいのだろうか。いや、今はフィーネから蛍を助け出す事が先決であり、そこから先を夢見るには、些か欲張りが過ぎると言うものだ。絵に描いた餅は食べることは出来ないのだから。

 

 ――だが、そう、もし、蛍を助け出す事が出来たのならば、この世界で真っ直ぐに生きる彼女達に倣うのも良いかもしれない。

 

「胸の想いを届ける、か……」

「あれ? クリスちゃん何か言った?」

「……ハッ、何でもねえよ」

「お喋りはそのぐらいにしておけ。見えてきたぞ」

 

 先程までとは打って変わり、厳しいながらも2人の成長を喜ぶかのように仄かに笑みを浮かべた弦十郎の言葉に視線を上げれば、クリスにとって2年間もの時を過ごした洋館が道の先に薄っすらと見えてきた。荘厳な雰囲気を身に纏っていた洋館は、クリスとフィーネが戦った余波の影響か、遠目からでも分かる程に至る所が傷つきボロボロになっている。なるべく屋敷には影響に出ない様に戦ったつもりだったが、イチイバルとネフシュタンという超常の力のぶつかり合いの前には無駄な努力だったのかもしれない。それでもクリスと蛍の部屋がある区画付近には、殆ど被害が出ていない辺り、全くの無駄という訳でもなかった様だが。

 

 しかし、屋敷に段々と近付くにつれ露わになっていく細部に、クリスはどうしようない違和感を覚えた。

 

 クリスとフィーネが屋敷内で主戦場としたのは、2階にあるフィーネの自室だった。加えて、室内での戦闘が不利と見るや否や、クリスは直ぐに戦場を外の森へと移した。たったあれだけの戦闘で、これ程の被害が屋敷に及ぶものだろうか。

 屋敷に近付き、その被害の全容が明らかになるにつれ、クリスの意識の底から確信にも似た違和感が湧き出してくる。

 

 何故、1階の食堂付近に被害が集中している? 何故、屋敷の外には武装した男の死体が転がっている? 何故、イチイバルやネフシュタンの装備からは考えられない幾筋もの光に穿たれたかの様な穴が空いている?

 

 クリスが屋敷を留守にした数日の間に何かが起きたのだ。それも蛍が生身の人間に向けて神獣鏡(シェンショウジン)の力を振るう程の何かが。

 弦十郎達の制止の声に耳も貸さず、屋敷の前に停車したジープから飛び出したクリスは、被害の酷かった食堂目掛けて一目散に駆けていく。

 

「なんだよ……これ……」

 

 そこで目にしたのは、目を背けたくなる様な惨状だった。見渡す限りの赤黒い液体が床一面に広がり、むせ返る様な鉄の匂いが部屋中に充満している。

 至る所に転がる男達の死体。屋敷の外にあった分も含めれば、十数人だろうか。

 四肢を砕かれたもの、体に無数の穴を穿たれたもの、全身を黒く焼かれたもの。そんな馬鹿なと否定したくても、喉元まで出かかった叫びを、目の前の光景が否定する。何故ならば、この戦い方は、この傷口は、彼女によるものだと、2年を彼女と共に訓練を積んだ他ならぬクリスが認めてしまっている。

 だが、何故? 彼女は此処まで理不尽な迄に力を振るう人物だっただろうか。近代的な装備に身を包んでいるとはいえ、只人相手に超常の力を一切の容赦なく振るう人物だっただろうか。否、断じて否だ。

 彼女の本質は優しさだ。他者への不信を抱きながらも、他者と繋がることを求め続けた彼女の心の底には、いつだって変わらずその暖かさは存在した。

 だが、その優しさは、この光景の何処にも存在しない。あるのは、理不尽な迄に命を刈り取られた残酷な冷たさのみ。

 何が彼女を変えてしまったのか。言うまでもない。あれこそが、神獣鏡(シェンショウジン)に搭載された人の心を歪める忌避すべき機能――ダイレクトフィードバックシステム。クリスが蛍と対峙したあの時、本来であれば、蛍の神獣鏡(シェンショウジン)からはオミットされていたヘッドマウントディスプレイが、蛍の意思に反して現れたのが何よりの証左だ。あの装備には、ダイレクトフィードバックシステムを補助する機能があった筈。

 

「……ダイレクトフィードバックシステム。ここまで、ここまでするのか、フィーネ」

 

 呟きと共に握った拳からは、赤い雫が零れ落ちる。湧き上がるのは、フィーネに対する怒りと言う名の激情。蛍の尊厳を塗り潰し蛍の心を侵すフィーネに対して、紛れもない殺意がクリスの全身を支配する。

 許さない。絶対に許してなるものか。

 

「落ち着け。怒りに身を委ねるな」

 

 憤怒の念を滾らせるクリスの肩に、落ち着けと熊の様な大きな手が置かれた。その手に驚き振り返れば、部屋の惨状に顔を曇らせた弦十郎がいつ間にかクリスの後ろに立っている。

 ただ肩に手を置かれただけなのに、包み込まれる様な安心感を覚えるのは何故なのだろうか。弦十郎のその態度と言葉に、怒りに染まったクリスの頭が、急速に冷静さを取り戻していく。

 

「君の目的を見失うな。君の目的は、了子君を害するのではなく、蛍君を助け出すことだろう? その怒りに染まった心で、蛍君の心を取り戻せると思うか?」

「……見失っちゃいねえ。あたしの目的は、あいつを救って、そして――」

「あぁ、それでいい。だからこそ、俺達は君を信じるんだ」

「……甘っちょれえ。信じるなんてあたしの前で軽々しく口にすんな」

「だが、言葉にしなければ伝わらないものもある。黙っていても通じるなんてのは幻想だ。本気で想う気持ちならば、それを口に出すことになんの問題がある。君も偶には素直になってみたらどうだ」

「………………余計なお世話だ」

 

 「いつまで触ってやがる!」と苦し紛れの言葉と共にクリスは弦十郎の手を振り払う。やれやれと言わんばかりに肩を竦める弦十郎の態度に、あの病室でも感じた懐かしさと暖かさが胸に去来する。それが何故だか無性に気恥ずかしくて、クリスは弦十郎から視線を外し顔を背けた。

 

 クリスがこの気恥ずさとどう向き合ったものかと苦心していると、大声と共に焦燥した様子の響が食堂に飛び込んで来た。

 

「師匠、クリスちゃん!! 大変!! 大変なんです!! 未来から連絡があって、リディアンにノイズが!!」

 

 

◇◇◇

 

 

 板場弓美は必死になって校舎を駆けていた。周囲に響き渡る爆音と悲鳴の只中を、必死になって駆けていく。目指す場所すら分からず、何が起こっているのかすら分からず、それでもこの歩みだけは決して止めてはならないと、湧き上がる恐怖から逃げ出す為に四肢を動かす。

 凡そ日常的とは呼べる筈もない異常事態。まるで、アニメの様に現実味のない支離滅裂。けれど、これはアニメじゃない。目に焼き付く破壊の爪痕。耳に届く鳴り止まない破壊音。それが何よりの証拠であり、空想など歯牙にもかけない圧倒的なリアル。それは、この場にいる弓美自身が誰よりも実感していた。

 

「な、なんなのよッ!! 一体全体なんだっていうのよッ!!」

「バミュー! 泣き言は後にして今は逃げないと!」

「周りがこんな有様で何処に逃げろっていうのよッ!」

「……落ち着いてください、板場さん。一先ずシェルターを目指しましょう。リディアンのシェルターは、ノイズの被害を想定された物です。そこまで逃げ切れればきっと!」

 

 本当に? 逃れられるの? この地獄から? 隣を走る創世と詩織の励ましを聞いても、弓美には自身の生存に対して前向きな考えが何一つとして浮かんでこない。自分の命が助かる。そんな保証は、この地獄の何処にも有りはしないのだ。

 だが、そんなちっぽけな希望にも縋らずにはいられない。ダメかもしれない。助からないかもしれない。そんな不安と絶望を置き去りにする為に、弓美は僅かに見えた光明に向かって足を止める訳にはいかないのだ。

 

「何でこんなことにッ! 何だってノイズがリディアンに!」

 

 校舎の窓から覗くのは認定特異災害ノイズにより、瓦礫と化していく弓美達の学び舎。黒煙が至る所から立ち上り、校舎を徘徊し人間を見つけ次第襲いかかるノイズ達。つい先程まで授業を受けていた学び舎が破壊され、自分達と同じ制服に身を包んだ少女達が炭素と変わるこの目を背けたくなる光景を地獄と呼ばず何というのか。

 

「アニメじゃないんだからッ!!」

 

 弓美が常々口にしている口癖とはまるで反対の言葉が喉から吐き出される。憧れていた非日常。弓美には、アニメの主人公達のように特別な力など何もない。精々画面の端に描かれるモブとしてのポジションでしかない。だからこそ、画面に映る華々しい主人公達の物語に憧れ、惹かれたのだ。けれど、実際に直面しているこれは、アニメのような画面越しに眺める物ではなく、只々恐ろしい現実であった。

 

「バミュー! そこ左!」

「板場さん、もう少しです !頑張りましょう!」

「分かってるわよ――って、わぷ!?」

「きゃっ!?」

 

 創世の指示に従い曲がった角の先で、弓美は誰かにぶつかり地面に転がった。こんな所で立ち止まる訳にはいかないのに、一体どこのどいつだと、ぶつけた鼻を撫でつけながら文句の一つでも叫ぼうとした弓美だったが、眼前の人物が誰かを認識すると、思わず視界が滲みそうになった。

 

 ぶつかった相手は同級生の小日向未来だった。ノイズ襲撃の混乱に巻き込まれ、いつの間にか別れてしまった友人の1人だ。

 

「ヒナ! 無事だったんだね!」

「みんなも無事で良かった……! 姿が見えないから心配してたのよ……」

「ビッキーは? 今朝から学校には来てなかったけど、もしかして寮? 連絡は取れた?」

「響は……今日は街を出てるの。電話は1度繋がったんだけど、直ぐ切れちゃって……」

「……そっか。ノイズの被害が何処まで広がっているか分からないけど、街の外にいるなら大丈夫そうだね」

「これだけの混乱ですもの、電話回線もかなり混雑しているのかもしれませんね」

「それ簡単には助けを呼べないってことじゃないの……」

 

 思考が後ろ向きになっていることを自覚しながらも、弓美は考えずにはいられない。未来と再会することができて、喜ばしい気持ちになったのはほんの一瞬で、不安と恐怖が、足を止めた弓美の心を塗り潰そうと迫る。

 

「本当に私たち助かるの……?」

 

 不意に漏れたのは、抑えきれなかった未来への不安。シェルターに篭った所で、ノイズから逃げ切ることが出来るのか? この地獄から生きて帰ることが出来るのか?

 

 だが、呟いたその不安を、友の言葉が真っ向から打ち砕いた。

 

「――大丈夫」

「えっ……」

「絶対に大丈夫だから」

 

 震える手がいつも間にか、暖かい未来の手に握られている。恐怖に凍える弓美の心を、真っ直ぐと此方を見つめる未来の視線が射抜いている。彼女の薄緑の瞳には、微塵の絶望も映っておらず、強い意志を感じさせるその眼差しが、まるで太陽のように眩しくて暖かい。

 

 ――諦めないで。

 

 彼女の暖かな掌と強い眼差しから、言葉にせずとも伝わったその意思に、弓美の心に再び希望の火が灯る。

 そうだ。こんな所で死んでなんてたまるものか。ノイズなんて訳のわからない災害に見舞われて、15年しか生きていない一生を終えるなんて御免被る。第一、今期のアニメの最終回を見ないままに死ぬなんて、死んでも死に切れない。

 それにリディアンにアニソン同好会を作るという野望もまだ叶えていない。アニソン同好会がリディアンに無いと知った時は絶望したものの、無いなら作ればいいのだ。高校生活という青春を二次元に捧げると決めた弓美には、その程度の困難の壁は何の障害にもなりはしない。そう、板場弓美は諦めの悪い女だった筈だ。

 

「そうよ! 諦めてなんてたまるもんですか! バンはどんな苦境にあっても諦めなかった! おやっさんが宇宙犯罪ギルドと通じ合ってバン達を裏切っていたと知った時も! 敵同士でありながら心を通わせたノワールが唐突な死を迎えた時も! 彼は何度でも立ち上がったわ! スポンサーの倒産? 出演声優の逮捕? 関係ないわ! 1クール目のバンから私は一体何を学んだの! 14話以降のヘチョイ路線が何だっていうのよ!」

「…………何の話をしてるの?」

「…………いつもの病気でしょ。気にしない方がいいよヒナ」

「…………板場さん」

 

 友人達から寄せられる生暖かい視線などなんのその。バンの教えを思い出した弓美には、馬耳東風である。弓美の脳内には「現着ッ!電光刑事バン」が鳴り響いている。胸にエレキが走り抜けた弓美は止まる事を知らないのだ。

 諦めの悪さを取り戻した弓美は、勇ましくシェルターへの道のりを再び歩み出そうとした。

 

「あぁ、まだ生き残りがいたのですね」

 

 だが、踏み出された足は、背後から聞こえたどこか聞き覚えのある鈴のような少女の声に、再びその歩みを止めることとなった。

 驚きと共に振り向けば、其処には、入学して間も無かった頃にお好み焼き屋ふらわーの前で出会った少女――詞世蛍が、あの時と同様にゴスロリ服に身を包んで佇んでいた。相変わらずの鉄面皮を顔に貼り付けた彼女だったが、その表情が以前にも増して色を失っているように見えるのは気のせいなのだろうか。

 「蛍……?」と呟いた弓美の声に、何故か未来がピクリと身体を震わせ反応した。

 

「詞世さん!?」

「こたるん!? なんでリディアンに!?」

 

 口々に蛍の名前を呼びながら、彼女に駆け寄ろうとする弓美達だったが、「待って!!」と未来の放った悲鳴の様な静止の声が彼女達の歩みを制した。

 

「貴女は……貴女は、クリスの知っている蛍?」

 

 

◇◇◇

 

 

 計画は最終段階に差し掛かっている。

 自身の記憶に刻まれた計画の内容を反芻しながら、詞世蛍はゆっくりとした足取りで、悲鳴と爆発音に彩られたリディアン校舎内を散策していた。その足取りに淀みはなく、他者の絶望に縁取られたこの地獄の様な光景を目にしても、蛍の心には微塵も漣立つことはない。

 計画の最終段階。それは特異対策機動部二課本部の基地機能の掌握、及び、本部最奥区画――通称アビスに保管されたデュランダルの奪取。つまりは、二課との全面抗争を意味していた。

 雌伏の時は過ぎ去り、表舞台へと登る時が来たのだ。

 基地機能の掌握に必要なシステムのバックドアは、櫻井了子として潜伏していた頃にフィーネが作成済み。アビスを守る防衛システムにしても、基地機能を掌握してしまえば、無効化は容易である。

 用意周到なフィーネが、その辺りの細工に手を抜くはずもなく、ノイズ襲撃による混乱に乗じ、基地機能の掌握はあっさりと達成された。計画の通り事が進んでいるとすれば、今頃フィーネは、悠々とデュランダルの確保へと向かっていることだろう。

 本来、二課本部に居る筈の特記戦力である立花響と風鳴翼の両名、及び風鳴弦十郎の引き離しには成功している。どうやって屋敷の位置を二課に漏らしたかは不明であるが、司令官自らが赴くとなれば、相応に信憑性の高い情報ルートを用いたのだろう。考えられる限りでは、先に屋敷に襲撃を掛けて来た米軍の動きを逆手に取り、日本政府にその尻尾を踏ませたとかだろうか。フィーネならざる蛍にその答えは分からず、神獣鏡(シェンショウジン)に与えられた知識にもその答えはない。

 どの様な手段を用いたにせよ、今現在、二課本部に彼女達が居ないことを確かであり、教えられていないということはそれ程重要視するものでもないのだろう。蛍に科せられた任務は、二課職員の掃討、及び特記戦力が援軍に間に合った場合の迎撃である。余計な思考には囚われず、今は任務に集中するべきだ。

 

 思考の渦から意識を浮上させた蛍の耳に、微かな話し声が届く。ノイズによる飽和攻撃により、かなりの人員が炭素と化した筈だが――。

 

「あぁ、まだ生き残りがいたのですね」

 

 耳に届く声を頼りに歩を進めれば、程なくして、蛍はリディアンの制服に身を包んだ4人の少女達を発見する。驚きと共に蛍の名前を口にする少女達を見れば、その内の3人はいつしか任務中に出会った漫才トリオに酷似していた。「成る程、不思議な縁もあるものですね」と呟くと同時に、彼女達と出会ったお好み焼き屋を思い浮かべると、蛍は微かな頭痛を覚えた。まただと思いながら、その頭痛を振り払う様に見覚えのない最後の1人へと注意を払う。すると、暗緑色の髪をしたその少女は、何故か狼狽した様子で蛍を見つめていた。

 

「あなたは……あなたは、■■■の知っている蛍?」

 

 少女の口から発せられた誰かの名前が、殆ど変わることのない蛍の無表情に変化を齎す。誰の名前かは知らないが、その名前を聞く度に酷い頭痛がする。まるで、思い出すことを脳が拒んでいるようで。

 故に、蛍の行動は素早かった。この少女は蛍の障害になる。蛍が目指すべき世界、人と人が分かり合える世界を取り戻すその障害足り得る。

 今更、犠牲を厭うことはない。子供であろうと、大人であろうと、男であろうと、女であろうと、善人であろうと、悪人であろうと、蛍の邪魔をするというのであれば容赦はしない。どんな犠牲を払ってでも、蛍はこの血と灰に塗れた道を歩み続けると決めたのだから。

 

Rei shen shou jing reveal tron(小さきこの身を暴いて)

 

 奏でるのは、聖詠。蛍の歌声によって起動した異端技術(ブラックアート)の結晶が、小さなその身に超常の力を齎す。

 

「シン……フォギア……じゃあ、やっぱり……」

「シンフォギアを知っている? なるほど、二課の関係者ですか。ならば、余計に見逃す訳にはいきません」

「ま、待って! 貴女は……!」

「問答は無用。貴女は此処で果てなさい」

 

 アームドギアを生成し、その鋒を少女へと向ける。突きつけられた扇に表情を強張らせた少女に向かって、蛍は何の躊躇もなく濃紺の光を放つ。余程の人外ではない限りは、人の身で避ける事は叶わない速度で、破魔の光が少女へと殺到する。

 只人たる少女にそれを避ける術はなく、ノイズさえ屠る一撃を耐える事など出来るはずもない。少女には子鹿のように震える足で、眼前に迫り来る死を待つことしかできない。故に、少女の死は確定している。

 だが、死が少女を飲み込むその前に、どこからともなく現れた人影が少女を抱えてその死を避けた 。

 

「……緒川慎次。勝てるとでも、思ったのですか。風鳴弦十郎なら兎も角、貴方の戦闘力ではシンフォギア装者に及ばないのは分かっているでしょうに」

「二課職員として、一般人を見殺しには出来ませんよ。勝てないとしても、彼女達が逃げる時間稼ぎ程度なら出来ますから」

 

 飛び出してきた人影は、黒いスーツに身を包んだ物腰の柔らかい男性。若いながらも風鳴弦十郎の右腕とも称され二課の裏方を担う実力者――緒川慎次は、腕に抱えた少女をゆっくりと地に下ろすと、スーツの内ポケットから拳銃を取り出し、少女達を庇うように前に出て、神獣鏡(シェンショウジン)を身に纏った蛍と対峙した。

 




 気付けば13,000字……また文字数増えてるよ……
 執筆をしたのが大分時間を空けてだったので、文章等おかしかったらすみません。

 なお、忍者戦はカットする予定の模様。

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