戦姫絶唱シンフォギア ~歪鏡に選ばれた少女~   作:きおう屋

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 UA、お気に入りともに無茶苦茶伸びてて何事だと思ったら、何日か前の日刊ランキングに載ったみたいです。嬉しすぎて、眼鏡がずり落ちてしまいそうでした。
 まだ少ない話数にも関わらず読んでくださった方々、本当にありがとうございます。



EPISODE 03 「葬世と、創世を望む者たち」

 蛍は、背後から迫ったノイズの一撃を振り返りもせずに、体を捻り最小限の動きで回避する。凡そ13歳の少女には出来る筈もない挙動を、蛍が身に纏った濃紺の鎧はいとも簡単に可能とする。FG式回天特機装束、別名シンフォギア・システム。聖遺物の欠片から作られたその鎧は、蛍の歌に呼応して、幼い少女に超常の力を与える。

 周囲に配置したミラーデバイスに映った情報を擬似視覚として脳に直接映写する――鏡の聖遺物である神獣鏡(シェンショウジン)のシンフォギアだからこそできる荒技を用い、蛍は周囲に展開したノイズ達からの猛攻を捌き続ける。

 蛍は、ミラーデバイスから送られてくる情報を並列思考(マルチシンク)で処理しながら、その都度に最善の方法で対処を行う。時には回避を、時には迎撃を。戦闘において一つの判断ミスが敗北に繋がりかねない状況で、最善を選択し続ける。

 これがシミュレーターを使ったあくまでも訓練で、そこに実戦のような敗北が死に繋がる危険性がないのだとしても、手を抜く理由にはならない。訓練とは、実戦を想定して行うからこそ意味があり、そこに「どうせ訓練だから」などと言う甘さがあっては許されないのだ。

 特に今日は彼女の見ている前だ。ミラーデバイスから送られてくる視覚情報の中に、ガラス越しに此方を伺う白金の双眸がある。手抜きでもしようものなら直ぐに見破られるし、その後には間違いなく死んだ方がマシだと思えるような()()()()が待っているに違いない。

 腕から伸びた帯を変形させ、アームドギアである扇を閉じた状態で展開し、先端からビームを放つ。凶祓いの力を持った光が、前方に固まっていたノイズを焼き払った。

 どういう仕組みなのか専門家ではない蛍にはさっぱり分からないが、無駄に高性能なこのシミュレーターは、ノイズが炭化するその様子までキチンと描写する。巻き上がったノイズの死骸の奥から、幾つもの白い液体が蛍目掛けて飛び出してきた。

 あれに当たるのはまずい。あの液体は粘性を持っていて、当たったが最後、鳥黐のようにこちらの動きを阻害してくる。その後に待っているのは、ノイズたちによる容赦のない一斉射だ。経験者が言うのだから間違いない。

 蛍は脚部の装甲にギアのエネルギーを込め、イオノクラフトを起動。ビーフェルド・ブラウン効果で発生したイオン風により、蛍の体がふわりと宙に浮かび上がり、滑るような独特の機動により粘液を回避する。粘液が飛来した軌跡からノイズの位置を逆算し、お返しとばかりに閃光を放った。

 

 嫌らしいことをすると内心で悪態を吐く。

 

 蛍が視覚情報に頼った戦闘をしている事に気付いていて、あの様な攻撃パターンを組んでいるのだ。嫌らしいとしか言い様がない。「あのドSめ……」と絶対に彼女に聞こえない様に注意して呟く。

 そして、さらに腹立たしいのは、その意地悪が確実に此方の問題点を突いてきている点だ。数千年の時を生きた巫女としての経験、況してや今代の転生先は、稀代の天才考古学者。その頭脳、叡智の深淵を蛍程度の頭では推し量ることなど出来はしない。

 並列思考(マルチシンク)によるミラーデバイスの使用。確かにこの戦闘スタイルを確立して以降、蛍は視覚情報に頼った戦法を取る事が多くなった。幾ら数を増やそうとも、視覚情報だけではどうしても限界がある。それは、蛍も感じている事ではあった。

 ミラーデバイスの配置によってはどうしても死角は生まれてしまう。死角自体はミラーデバイスの数を増やせば消すことは可能だが、ミラーデバイスの操作を蛍自身が行っている以上、並列思考(マルチシンク)で動かすにも数に限界がある。現に、今の蛍では5機が限度だ。それ以上の数となると、設置は出来ても操作するには脳の処理が追いつかない。

 さらに、並列思考(マルチシンク)にも問題はある。5機というのは、あくまでも蛍が万全の状態で戦闘中に集中して動かせる限界数であり、蛍のコンディション次第でその数は変化する。例えば負傷するなどのアクシデントで集中が乱れた際は、5機分の並列思考(マルチシンク)を維持することは出来ないし、感情の起伏にも影響される。

 解決策自体は蛍とて考えている。一つは、機械的な補助。神獣鏡(シェンショウジン)に搭載されたダイレクトフィードバックシステムを応用した、ミラーデバイスの操作・情報処理の一部代替。だが、これは失敗だった。今迄は自分の手足の様に動かしていただけに、プログラム通りの動きしかできないミラーデバイスには違和感しか覚えず、どうしても慣れることが出来なかった。その証左として、機械的な補助を嫌った蛍のギアには、本来装備される筈であったHMD(ヘッドマウントディスプレイ)がオミットされていた。

 もう一つの解決策はもっと単純で、並列思考(マルチシンク)を更に鍛えることだ。並列思考(マルチシンク)の処理速度とタスク数の増加により、更なるミラーデバイスの操作数を増やす。短所を無くすよりも、長所を伸ばすことによって解決を図る。強引だとも思ったが、結局これ以外の解決策は思いつかなかったのだから仕方がない。

 

 後方で、ノイズたちが一箇所に集まっている様子を擬似視界が捉える。

 

 融合するつもりなのだろう。集まったノイズたちはその身を泥の様に溶かしながら一つに纏まり、爆発的にその体積を増大させていく。見上げる程にまでその体を肥大させたノイズは、大きな胴体に裂けるように開いた口を持つ異形だった。目を耳も鼻も脚もなく、まるで子供の落書きのような出鱈目さ、凡そ生物とは呼べない体。

 シミュレータールーム一杯にまで広がる巨体を引きずりながら、蛍を飲み込まんと大きな口を開いた融合ノイズは、丸みを帯びた胴体から生えたその二本の腕で這う様に此方に迫ってくる。圧倒的な質量を以って此方に迫り来る姿は、宛ら壁を思わせる。

 しかし、そんな光景を前にしながら、蛍は冷静そのものだった。この程度で動揺するほど、蛍の面の皮は薄くない。

 

 機動力の後は火力テストという訳か。

 

 並列思考(マルチシンク)が弾き出した答えは、圧倒的火力による殲滅。ユニットの展開に掛かる時間とエネルギーのチャージまでに掛かる時間を計算し、充分に間に合うとの計算結果を得た蛍は即座に行動を起こした。

 迫り来る融合ノイズに向き直り、まるでその巨躰を受け止めるかのように両腕を大きく広げると、口にしていた歌に更なる想いを込め、詞を歌い上げた。自身から発せられるフォニックゲインが加速度的に高まるのを感じ、呼応する様に、神獣鏡(シェンショウジン)のギアの出力が増していく。

 これがシンフォギア。装者の歌を、そこに込められた想いを、意思を、戦う力へと変える聖遺物の欠片から作られた鎧。蛍の歌に、何処までも応えくれる神獣鏡(シェンショウジン)のシンフォギア。

 蛍はその愚直さに愛しさを覚えずにはいられない。訓練中だと分かっていても、頬が緩む。戦場(いくさば)に笑顔など無用。そのことを、蛍は理解しているし、納得もしている。だが、それ以上に歌うという行為は蛍にとって楽しいものなのだ。両耳に備え付けられたヘッドフォンパーツから流れる旋律は蛍の心象風景の発露、胸の奥から浮かんでくるこの歌詞もまた同じ。それらは紡いだ歌とは、即ち蛍の蛍による蛍のための歌。そんな歌を奏でること以上に楽しいことなど、きっとこの世には有りはしない。

 脚部装甲から円形のミラーパネルを生成、自身を囲むかのように展開し、腕から伸びたエネルギーケーブルを接続する。ギアのエネルギーを注ぎ込まれたミラーパネルが淡い燐光を放ちながらチャージを開始した。

 融合ノイズは直ぐそこにまで迫っているが、蛍に焦りはない。既に試算は終えている。あの顎に、蛍が噛み砕かれることは決してない。

 

《流星》

 

 ミラーパネルから生じた濃紺色の極光が、融合ノイズの巨躰を飲み込んだ。神獣鏡(シェンショウジン)が持つ凶祓いの属性を付与された光が、聖遺物由来のあらゆる防御を討ち祓い、浄化させていく。

 神獣鏡(シェンショウジン)は鏡という武具ではない祭具の聖遺物故か、攻撃性能に関してそれほど優れているという訳ではない。むしろ、聖遺物としてのスペック――格という点では、発見された他の聖遺物に大きく劣る。しかし、こと聖遺物に対する能力において、神獣鏡(シェンショウジン)は他の追随を許さない。

 聖遺物殺しの聖遺物。聖遺物由来の悉くを滅する破魔の光。無垢にして苛烈。それこそが神獣鏡(シェンショウジン)のシンフォギア。

 言葉通り、塵も残さない。炭化することすら許されず、融合ノイズは紫光の奔流に飲み込まれ消滅した。

 蛍が万が一に備え、再びチャージを開始しようとするのと、訓練終了を告げるブザーがシミュレータールームに鳴り渡るのはほぼ同時の事だった。

 

 

◇◇◇

 

 

 この体に転生してからの9年は激動の9年だった。

 

 9年前、偶然、居合わせた第1号聖遺物「天羽々斬(アメノハバキリ)」の起動実験。そこで触れたアウフヴァッヘン波形により、フィーネとしての覚醒を果たした。

 今代の体――櫻井了子が、どのような人物であるかを知った時には、カストディアンに感謝した。考古学者という聖遺物に最も触れる機会が在るであろう立場。更には、異端技術(ブラックアート)を研究するに十分な科学力を有した日本という先進国において、その中枢深くに位置する暗部、政府直属の特務機関「風鳴機関」に所属していたという僥倖。これ程の好条件が揃った転生は、恐らくもう二度とはないであろう。この事実は、フィーネに今代での計画遂行を決意させるに余りあった。

 櫻井了子の記憶を頼りに、現在持っている手札を確認する。欠損しているとはいえ聖遺物には違いない天羽々斬(アメノハバキリ)、イチイバル、ガングニール。そして完全聖遺物たるデュランダルとネフシュタンの鎧。

 

 月を穿つ。一つの計画がフィーネの頭に中に浮かび上がる。完遂には手札が足りない。だが、それに関する知識はある。ならば、探すまでのこと。

 

 何をするにしても資金が必要だった。そこで、フィーネが着目したのが、ノイズであった。その正体は、バビロニアの宝物庫に収められし、先史文明期の負の遺産。統一言語を失った人類が、同じ人類を抹殺するためだけに創り出した自律兵器。フィーネであっても召喚することは出来ても、コントロールすることは出来ない扱いづらい欠陥兵器。

 特異災害と評されたノイズは、科学の進歩が著しいこの時代においてもなお、退けることの出来ない厄災とされているようだった。これを利用する。自身の異端技術(ブラックアート)に関しての持ちえる知識を、「櫻井理論」として纏めた論文を発表し、ノイズに抵抗する術を作れると為政者たちに訴えかけ、活動するために不自由のない資金と立場を手に入れた。

 その結果、生まれたのが、シンフォギア・システム。あのノイズに対抗しうる術が生まれたという事実に、為政者たちの食い付きは素晴らしく、更なる資金の融通を図らせることに成功した。

 櫻井了子として風鳴機関での立場を確固たるものとして暫くすると、風鳴機関が解体され、対ノイズとして編成された政府機関「特異災害対策機動部」その二課として再編される運びとなった。これは、秘匿性の高いシンフォギア・システムの更なる運用・研究を効率よく行うための政府による決定であったが、その裏にはこの技術を他国に渡さず専有したいという為政者たちの浅ましい独占欲があったことは想像に難くなかった。

 所属する機関が変わるというのは、櫻井了子として特異災害対策機動部二課への異動が内定しているフィーネにとっては心底どうでも良いことであったが、その本部が新たに建造されると知ったフィーネは、再び謀略を張り巡らせる。あれやこれやと理由をつけて、その設計に一枚噛むことにした。

 シンフォギアへの適合を見込まれる少女たちを集めるための学園を作るという計画に便乗し、その地下深くに1,800mにも及ぶ広大な施設を建造する。同時に地下へと潜る際に使用するエレベーターシャフトを塔へと見立て、天を突く魔塔――荷電粒子砲「カ・ディンギル」の建造も秘密裏に進める。完成までには十年近くは掛かるであろうし、動力源たるデュランダルの覚醒も未だ成ってはいない。

 

 高々十年、今更気にするほどの刻でもないと割り切り、その間に他の計画を推し進めることにした。

 

 カ・ディンギルによる月の破壊。それにより引き起こされる重力崩壊は、この星の環境を大きく変えてしまう危険を孕んでいた。故に、人類には、新天地が必要だった。新たなる時代に、人類が生き残るための方舟をフィーネは求め、そして見つけた。日本近域の海中深くに、古代の超常術式により封印され、完全にその機能を停止した巨大建造物「鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)」。遥かな昔、カストディアンが異なる天地より飛来してきた際に用いたと伝えられる星を渡る船。何度も口にしていると舌を噛みそうな名前であったため、「人類の新天地」という意味を込め、「フロンティア」というコードネームを名付けた。

 調査を進めると、通常の手段ではどう足掻いても封印の解除及びフロンティアの再起動は果たせないとの結論に達した。異端技術(ブラックアート)には異端技術(ブラックアート)という訳だ。記憶を探ると、おあつらえ向きの聖遺物があったと思い至った。魔を祓う歪鏡「神獣鏡(シェンショウジン)」。そして天より落ちたる巨人「ネフィリム」。この二つの聖遺物があれば、フロンティアの完全覚醒は叶う。そう確信したフィーネは、2つの聖遺物の行方を探し始めた。

 

 神獣鏡(シェンショウジン)は日本国内長野県の山中にある可能性が高いことが分かった。日本政府が保有していないことを考えると未だ発掘されていないのだろう。これは追々確認するとして、問題はネフィリムだった。

 

 様々なデータベースを探った結果、ネフィリムは現在アメリカの管理下にあることが判明した。背には腹は変えられないと、「櫻井理論」を初めとした異端技術(ブラックアート)の情報と二課結成時のごたごたに乗じて盗みだしていたイチイバルを手土産に米国との接触を図った。警戒はされたものの交渉自体は上手く進み「F.I.S.」という聖遺物研究機関を設立するに至った。

 その後、フィーネはネフィリムの米国外への持ち出しは現実的ではないと考え、起動はF.I.S.所属の研究者たちに一任した。米国での聖遺物研究を一手に担うF.I.S.ならば、起動したネフィリムに与える餌を必要量確保出来るであろうことを加味しての判断だった。

 更に、米国にはフィーネの情報を開示した。日本政府にさえ伏せていた情報を何故米国には開示したのか。それは偏に、日本ではやりづらい事を米国で行うためだった。

 フィーネの因子を次ぐ子供たち――レセプターチルドレンの収集と確保。これがF.I.S.の作られたもう一つの目的。フィーネの魂がどの器に宿るかは分からないが、フィーネの因子を持って生まれた子供たちを一同に集め、常にアウフヴァッヘン波形に触れるような環境に置き、リインカーネイションが起こる下地を整えておく。計画を始動させた以上失敗は許されないが、万が一にも、この櫻井了子という体で失敗した場合の保険はかけておく必要があった。

 日本という国はその国民性故か、孤児や人身売買にはいい顔をしない。かと言って、政府の力を借りずに私的に行うには如何せん規模が大きい計画であったし、国内でそんな勝手な真似をすれば遅かれ早かれ、風鳴の人間に確実に嗅ぎつけられる。その点、米国の利用できるものは何であろうという利用するというスタンスは、そういった非倫理的な行動を必要としたフィーネには、非常に利しやすいものであった。

 

 F.I.S.がネフィリムを機械装置を介して起動させるという馬鹿馬鹿しい実験で装者一人を失う失態を演じたその一年後、二課を通じて捜索を進めていた神獣鏡(シェンショウジン)を祀った遺跡らしきものが発見される。

 

 フィーネの予想通り長野県の山中――皆神山にその存在が確認され、捜索チームが派遣される事となった。ある程度の発掘作業が進んでから、ノイズを召喚し捜索チームを全滅へと追い込み、その混乱に乗じて神獣鏡(シェンショウジン)を強奪した。

 ほぼ計画通りだったとはいえ、フィーネにも誤算があった。出土した神獣鏡(シェンショウジン)が完全聖遺物とは言い難く、幾つもの破損が見られた事だ。完全聖遺物としての運用が不可能な時点で、何かしらの対策を講じる必要性が生まれた。機械的に力を増幅させての運用も案としてはあったが、先のネフィリムのように無理矢理に覚醒させて暴走状態になられても困る上、フロンティアの封印を解くだけの出力を得るのは難しいだろうとフィーネは考えた。そこで思い至ったのは、神獣鏡(シェンショウジン)をシンフォギアへと加工してしまうことだった。装者の歌により出力を増した神獣鏡(シェンショウジン)のシンフォギアであれば出力的には問題はない。

 フィーネは神獣鏡(シェンショウジン)をF.I.S.へと持ち込み、シンフォギアへの加工を進めるとともに、装者候補の選出を行った。ガングニールという餌をチラつかせるとF.I.S.は面白いほど従順になった。

 

 そしてフィーネは少女に出逢った。

 

 

◇◇◇

 

 

 シミュレータールームの隣に備え付けられた観察室でガラス越しに行われた訓練を目にしたフィーネは、その内容に浮かべていた笑みを深めた。機動力、火力、判断力そのどれをとっても現段階では、上々の出来だと言える。本来であれば、神獣鏡(シェンショウジン)の装者にはダイレクトフィードバックシステムを用い、此方の意の儘に動く操り人形に仕立てあげるつもりであったが、とんだ拾い物をしたものだ。偽りの意志を植えつけただけの装者ではその運用に些かの不安があったため、正規の装者によるまともな運用が出来るのであればそれに勝ることはない。訓練を開始して、たった1年でこの動き。現状でこの仕上がりならば、将来的には、あの絶刀と撃槍にも届き得るだろう。

 計画のために必要なピースが、徐々に自分の手の内に収まることに、フィーネの心は歓喜の内にあった。長年の悲願が、数千年もの長い刻を掛けた己が想いが成就するまで、あと一歩の所まで来ていることに体が身震いする。

 未だ計画は道半ば。なれど、そこへと至る道筋ははっきりと見えている。古来より不和の象徴とされた月を穿ち、人類をバラルの呪詛から解き放つ。そして、月の崩壊に伴う重力崩壊と天変地異を恐れる人類を、聖遺物の力によって隷属し、世界を今一度一つに束ねる。それこそが、遠き過去、ルル・アメルが統一言語を用いカストディアンと語り合ったあの輝かしき日々の復刻。その時にこそ、数千年の時が経とうとも色褪せることのなくこの胸の内に在る炎のように燃える恋慕を、再び彼の人に伝えるのだ。

 

「フィーネ、入っても構いませんか?」

 

 部屋の外から掛けられた声に、フィーネはデータを打ち込んでいた手元のデバイスから視線を上げ、入室を促す答えを返す。リボンやレースをふんだんに使ったまるで人形が着ているかのような洋服――完全にフィーネの趣味である――に身を包んだ蛍は、訓練を終えシャワーを浴びてきたのか髪は微かに湿り気を帯び、頬は僅かに上気していた。

 

「今日の訓練、どうでしたか?」

「悪く無いわ。適合系数も徐々に伸びてきているし、シンフォギアを纏っての戦闘にも随分と慣れてきたわね」

「ッ! そう、ですか……」

 

 蛍は不安そうな表情をして、先程の訓練の出来を尋ねてくる。

 普段であればフィーネは戦闘訓練の内容を褒めるなど滅多にしないが、計画の進捗状況に気を良くしていたフィーネは、偶には鞭だけではなく飴も必要だろうと蛍の頭にそっと手を伸ばした。少し湿り気を帯びた癖の少ない柔らかな感触が手のひらに伝わり、仄かなシャンプーの匂いが鼻腔を擽った。撫でる度にピクンと反応する小さな体が微笑ましく、ついついその顔を苦痛に歪ませたくなるが、飴を与えると決めたばかりだと自制した。

 そのまま撫でていると、一度驚くように目を見開いた後、不安そうな表情は鳴りを潜め、その顔にはいつもの鉄面皮が貼り付けられてしまった。その無表情こそが、蛍が自身の感情を抑えつけている時の癖だとフィーネは既に見抜いている。不自然な程に色をなくした表情は、逆に秘めた想いがあるのだと語っていることに少女が気付くのはいつの事になるだろうか。勿論、フィーネからその事実を蛍に伝えることは有り得ない。わざわざ彼女の魅力の一つを自ら消してしまうことなど考えられない。

 

並列思考(マルチシンク)もよく使いこなせているわ。訓練を始めたばかりの頃とは見違えるよう」

「ふ、フィーネが桜井了子を演じている時の二重思考(ダブルシンク)のコツを教えてくれたからです。私はそれを参考にしたに過ぎません」

 

 煽てるようなフィーネの言葉に先程よりも僅かに耳を赤らめた蛍を視界に収め、フィーネは随分と絆されてきたなと更なる満足感を得る。まだ完全な信頼は得られていないものの、他人を信じないと心に決めた少女が、こうしてされるがままに頭を撫でられていることを考えれば、随分な進歩だと言える。捨て猫が懐くとはこういうことを言うのだろうか。

 

「可愛い可愛い私の蛍。どうかフロンティアの封印を解くまで、私に力を貸して頂戴ね」

「……はい、フィーネ。この世界が変わるというならば……私は、この力でどんなことでも成し遂げてみせます」

 

 フィーネは、誰にも語っていない己の本当の目的とその手段を蛍に教えていた。無論、己の恋慕や野望の全てを語った訳ではなく、ある程度は耳障りの良い言葉に置き換えた。例えば、月の崩壊に伴う地球環境の変化については、重力を司る聖遺物――フロンティアを再起動させることにより防ぐことが出来るなど、ある意味では真実だと言える嘘を語った。もしそれが偽りだと露呈した場合、彼女の協力が得られなくなる可能性は孕んでいたもの、そうなった場合は当初の予定通りにダイレクトフィードバックシステムによる洗脳を行うだけだ。

 しかし、フィーネはその可能性は低いと考えている。何故なら月が破壊されることによって起こりうる重力崩壊の規模など、碌な物理の知識もない元小学生の蛍には分かり得る訳もなく、それが世界規模での人口の減少をもたらすという真実に蛍が気付ける筈がないからだ。また、調べようにも屋敷内のデータ端末には全てロックが掛かっているし、現段階で蛍をこの屋敷の外に出すつもりもなければ、他人と関わらせるつもりもない。情報の得ようがないのだ。この閉じられた屋敷の中に居る限り、蛍に与える情報の取捨選択はフィーネの思うがままであり、都合の悪い情報の一切を排除するなどお手の物であった。

 

 自分でも気付かぬ内に、フィーネに染め上げられている哀れな娘。まるでフィーネの手のひらの上でくるくると踊り続けるマリオネット。フィーネは、そんな蛍を愛しく思う。裏切りを忌避するこの少女が、初めから騙されていたと知ったら、どんな悲鳴を聞かせてくれるだろう。どんな表情を見せてくれるだろう。期待に胸が高鳴る。

 フロンティアの覚醒さえ済んでしまえば、はっきり言って蛍は用済みだ。むしろ、聖遺物の力によって人類の隷属を望むフィーネにとって、自分以外の聖遺物の力を行使できる存在は邪魔でしかない。

 だから、きっと、決別の刻はいずれ訪れる。

 

 可愛い可愛い私の人形。どうか最後のその刻まで、上手に踊って頂戴ね。




 独自解釈マシマシです。実は今話の執筆中に、資料用として無印のコミカライズを購入したのですが、そこで色々な設定を知りまして(例えば、日本政府上層部がシンフォギアに対して理解を示したのは奏が装者になった後、等々)。アニメをベースに考えていた本作とは、多少設定に齟齬が生じています。

 今話ではクリスの登場を早めたいが為に割とさくさく進めている関係もあり、少し本作の時間軸が分かりづらいかもと思ったので、現段階までのちょっとした年表を書いておきます。

※アニメ本編開始を0とお考えください。

12年前:天羽々斬の起動実験で桜井了子がフィーネとして覚醒
    桜井了子として櫻井理論を発表。シンフォギアの開発に乗り出す
10年前:二課結成。フィーネがどさくさに紛れてイチイバル強奪
    フィーネ、アメリカ政府との交渉開始
9年前 :F.I.S.結成
8年前 :クリス、南米バルベルデにて消息を絶つ
7年前 :セレナのシンフォギアへの適合が判明
6年前 :ネフィリム起動実験が失敗。セレナが死亡
5年前 :長野県皆神山にて神獣鏡を発掘。フィーネがどさくさに紛れて強奪
    奏が発掘チーム唯一の生存者として二課に保護される
    蛍(11歳)、両親に売られF.I.S.に
4年前 :奏がLiNKERの投与により、ガングニールに適合
    蛍(12歳)、適合テストにより神獣鏡の装者になる
    フィーネが蛍を引き取る
3年前 :今話
   
 ざっくりとこんな設定でお届けしています。
 シンフォギア、LiNKERの詳しい完成時期は公式で明記されていませんが、シンフォギアはアニメ本編でセレナがアガートラームを身に纏っていた事から少なくとも6年前には完成していたはず。
 LiNKERは元F.I.S.職員のウェル博士が開発したAnti_LiNKERの開発コードが「ALi_model_K0074_L」でありmodel_Kの名を冠していることから、LiNKERの研究自体はF.I.S.でも行われていたものの、実用に足るものが完成したのが二課にて奏を被験者として開発されたLiNKERのみで、フィーネを経由してmodel_Kを入手し独自の研究を進めたためmodel_Kの名が入っているという設定です。

 なんであとがきで900文字近く書いてるんだろうと若干後悔しています。
 そして書き溜めが尽きたので、恐らく次回更新遅れます。

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