戦姫絶唱シンフォギア ~歪鏡に選ばれた少女~   作:きおう屋

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 クリス好きな方には、一部不快と思われる箇所があります。
 そんな内容なので、注意です。



EPISODE 06 「絆の意味」

 朝焼けが、山の影から蛍の身体を照らす。もうすぐ春に差し掛かるというのに、日が昇り始めたばかりのこの時間帯の寒さは、パジャマに薄い外套を羽織っただけの蛍の身体を早く部屋に戻れと言わんばかりに攻め立てた。

 屋敷の傍にある湖に庭から伸びた桟橋。蛍はその先端にぼーっと座り、湖の水面が朝焼けを反射して、キラキラと輝く様を眺めていた。

 山の何処からか聞こえてくる鳥たちの囀りが、また良い。目で、耳で、肌で、自然を感じる。そこには煩わしい人の世界の柵は一切存在せず、 在るが儘に全てを包み込む自然の雄大さだけが在った。

 この光景が、蛍は密かにお気に入りだった。見ようと思って見れる光景ではない。その日の天候にも左右されるし、早起きを――どちらかと言えば蛍には此方の方が難題だった――しなければ見ることは叶わない。今日は偶々目が覚めたため、見ることが出来たが、次にこの光景を見ることが出来るのは何時になるだろう。

 部屋に戻れば、ベッドの中ではクリスが気持ち良さそうな顔をしてシーツの温かさに身を委ねている頃だ。彼女に気付かれずに、ベッドを抜け出すのは中々に骨が折れた。

 そんな事をぼんやりと考えながら、蛍は目の前の幻想的な光景に目を奪われていた。

 

 どうも最近の自分はおかしい。

 

 クリスと出逢ってからというもの、何処か油断に油断を重ねている自分が居た。出逢った日からして、随分と、彼女には素の自分を見せてしまっている気がする。鎧が上手く着込めていない。

 中でも風呂場での一件。あれが、致命的だった。クリスの言葉に動揺し、小さな自分を曝け出してしまった。あれ以降、どうにもクリスの前では、心に纏った鎧が機能していない様に思える。

 只言い訳をさせてもらうならば、あの日の蛍の精神状態は普通でなかった。一ヶ月もの間を、あの大きな屋敷の中で独りぼっちで生活し、やることと言えば、毎日の訓練と神獣鏡(シェンショウジン)を相手に歌うことばかり。フィーネに気兼ねすることなく、自由気儘に歌えたあの生活が嫌だったとは言わないが、Project:Nのことも有り、自分でも気付かない内に精神が疲弊していたのも確かだ。

 故に、誤解を承知で白状すると、蛍はクリスと出逢って舞い上がっていたのだ。

 久しぶりの同年代の少女との会話は、蛍の心に潤いを与えてくれた。彼女との何気ないやり取りが純粋に楽しかった。加えて、クリスは蛍同様に、日陰を歩んできた人間だった。だからだろうか、自分と似た境遇の彼女になら気兼ねなく接せると心の何処かで思っていた。

 だから、普段ならば、絶対にしないようなことすら、してしまった。似た者同士だと思っていた蛍とクリス。両者の決定的な違いを知り、不覚にも鎧が剥がれ落ちた。今でも、時々、あの時の事を思い出す。だが、不思議な事に、それは自分が未だに両親の事を断ち切れずにいるという不甲斐なさではなかった。彼女の肌の感触を、思い出す。まるで、両親への確執を塗りつぶすかの如く、クリスに抱きしめられた温かさだけを思い出してしまう。その度に、頬が熱を持つのは、致し方ないことだろう。

 

 本当に自分はどうしてしまったのだろう。ふわふわと浮かんでいて、地に足が着いていない。

 

 いつの間にか、あの時クリスが聞かせてくれた曲を口ずさんでいた。啜り泣く蛍を、クリスが宥める為に歌ってくれた温かい曲。一度聴いただけなのに、何故か諳んじることが出来る程、この曲は蛍の記憶に刻まれていた。クリスが蛍の為を想って作った曲。喉を震わせる度に、ポカポカと温かい何かが胸の内に生まれる。

 歌詞は未だにない。というよりも、あれ以来、蛍の前でクリスがこの曲を歌ったことはない。何度かせがんでみたものの、「絶対歌わねえッ!」と顔を真っ赤にして、ぷいっと顔を背けるばかりだった。勿体無い。

 完成しているか、未完成なのか。作曲者ではない蛍には分からないが、こんな曲を即興で作ったという辺り、やはり、クリスには音楽家としての血が流れているのだろう。容姿以外にも、彼女の中には、両親から受け継いだものが確かに芽吹いている。

 

「随分と、楽しそうだな」

「クリス?」

 

 「さっみいなぁ、おい」と腕をさすりながらパジャマ姿のクリスが桟橋を此方に向けて歩いてくる。その顔は何故か少し赤い。薄着で隠しようもない彼女のたわわな二つの果実が歩く度に揺れていたが、理性を持って意識の外に追い出した。

 彼女の歌を歌っていたことが気恥ずかしくて、湖面に映った自分の顔がちゃんと何時もの無表情を形作っているかを確かめてから、蛍はクリスに向き直った。

 

「すみません、起こしてしまいましたか?」

「いや、勝手に目が覚めた。で、隣を見てみりゃ、こんな朝っぱらからお前の姿が見えないからよ」

「心配して探しに来てくれたのですか?」

「はぁッ!? ばっ、んな訳ないだろ!」

「違うのですか?」

「き、今日の朝食当番はお前だろ。飯の心配をしてただけだっての!」

 

 蛍の言葉に、クリスが顔を赤らめる。彼女とのこんなやり取りもお決まりになりつつある。大抵は、クリスの顔が羞恥から怒りに染まる前に、蛍の方から一歩引く。引き際を見誤ると、彼女は不手癖れてその日はもう口を利いてくれなくなるから、そのボーダーは必死に覚えた。と言っても、基本的に直情家であるクリスの表情は、蛍のそれと違って非常に分かりやすいため、それ程難しいこともなかったが。

 

「なに人の顔見てニヤついてやがる」

「ニヤついてましたか、私」

「ああ、ニヤついてるね。ったく、何だってんだ……」

 

 彼女の言葉を受けて、湖面に浮かぶ自分の顔を再度確認してみるものの、そこには愛らしさの欠片もない自分の無表情が映るばかりだ。「ニヤついてるかな……」と首を傾げてみても、答えは出ない。そんな蛍の様子を眺めて、何故かクリスが「くっそ……油断した顔しやがって……」とよく分からない事を言いながら顔を背けた。その耳が赤く染まっているのは、寒さの所為だろうか?

 

 やっぱり、クリスには色々と見透かされている気がする。

 

 自分では、無表情の仮面の下に隠したつもりでいる本音を、彼女は時々、ピタリと言い当ててくる。鎧が意味を為していない。

 自分の気付かぬ間に、無表情が崩れているのかとも思ったが、そういう訳でもない。毎日寝る前に、鏡を前にして無表情の練習なんて自分でもどうかと思うことをしてみたが、あまり効果はなかった。蛍の無表情に問題がある訳ではない。仮面は確かにそこにあり、今も変わらず、蛍の顔に張り付いている。

 かと言って、別段、クリスがずば抜けて勘が鋭いという訳でもないのだ。どちらかといえば、彼女は割と抜けている。フィーネは、時々、此方の心を読んでいるのではないかとすら思える発言をするが、あれはフィーネが数千年を生きて養ってきた経験、そして彼女自身が備える優れた観察眼と天才的な頭脳から弾き出された言葉であって、余人に真似できるものではない。

 クリスとフィーネでは全くタイプが違うし、何よりクリスのそれはあそこまで胡散臭くない。フィーネに心の内を言い当てられた時は、まるで無理矢理に覗き込まれているかのような感覚と共に心臓がどきりとするのだが、何と言うか、クリスは物凄く自然に、蛍の心を言い当ててくるのだ。

 それを心地良いとすら思ってる自分がいるのだから、重症である。

 

 この感情の名前を、蛍はまだ知らない。

 

「そんなに薄着で大丈夫ですか?」

「お前の格好だって大してあたしと変わらねえじゃねえか」

「私は、ほら、これを着てますから」

「薄いだろ」

「薄いですか?」

「薄い」

「じゃあ、温めてください」

 

 ポンポンと自分の隣を叩く。悪態を吐きながらも、蛍の肩と触れるか触れないかの距離に腰を下ろしたクリスは、蛍の視線から逃れるように目の前の景色を眺め始める。朝日を浴びて輝く白藤色の髪から覗くその横顔に思わず見入ってしまった。

 なんだろう。また胸が温かい。彼女が自分の隣にいるという事が、こんなにも嬉しい。

 彼女との距離が、只管に近く感じる。まるで、抱き合ったあの時のように、鎧が意味をなさないほどの目と鼻の先。出逢ってからまだ1年も経っていない。だと言うのに、蛍の中で、どんどんと、雪音クリスという少女の存在が膨らんでいる。

 距離を置こうにも、そんな事など知ったことではないとばかりに、クリスは蛍に接してくるし、彼女の隣は、とても温かくて、離れ難い。蛍自身が、本気で彼女の側を離れようとしていないのだ。離れられないのも道理である。

 ふと、蛍とクリスの関係をなんと呼べば良いのか悩んだ。

 仲間、ではあると思う。共に世界を変えたいと願い、フィーネの元に集まった装者同士だ。同じ目的に向かって協力しながら進む者たちを仲間と呼ぶのならクリスと蛍はまさにそれだろう。

 フィーネに関しては、仲間という言葉よりも、共犯者という言葉がしっくり来た。フィーネは、蛍のことを信用はしているが信頼はしていない。蛍は言わずもがなだ。この世界で蛍が誰かのことを心の底から信頼することなどあり得ない。もしも、そんな日が来るのだとしたら、それはこの理不尽な世界を変えた後、バラルの呪詛を解き、人類の相互理解が回復した未来でしかあり得ない。そこまでしなければ、誰かの笑顔を、蛍は心の底から信じることがもう出来ない。

 だが、クリスは? フィーネと比較してみて分かったが、共に過ごしてそろそろ4年になる彼女よりも、クリスの方が蛍には距離が近しく感じられた。年齢や境遇も関係しているのかもしれない。だが、それはきっかけだ。ここまで、親しくなるには、それだけでは理由不足だ。

 仲間の側だと、こんなに心がぽかぽかと温かいのだろうか。それとも、「仲間」ではない、蛍とクリスの関係を正確に表す言葉が別にあるのだろうか。幾ら頭を捻ってみても、しっくりとする答えは見つからなかった。

 

 その後は特に会話もなく、お互いに目の前の光景を眺めていた。けれど、その沈黙は決して不快なものではなく、寧ろ心地が良い。

 

「綺麗、だな……」

「実は此処お気に入りの場所なんです」

「そうなのか?」

「フィーネにも教えてない秘密の場所なんです。でも、クリスには知られてしまいましたね」

 

 「秘密ですよ」と人差し指を口に当ててみれば、隣でクリスが身悶えていた。どうかしたのかと尋ねてみても、「なんでもねえよッ!」とはぐらかされてしまう。クリスの「なんでもない」は蛍の中で信用ならないワードランキングの上位に名を連ねているので、鵜呑みにするようなことはしない。

 クリスの顔を覗き込む。真っ赤だった。自他共に認める恥ずかしがり屋の彼女だが、今の会話で特に恥ずかしさを感じる部分はなかった筈だ。思えば、桟橋に姿を見せた時から、その顔は少し赤みがかっていた気がする。もしかすると、熱でもあるのかもしれない。

 「じっとしていてくださいね」という言葉とともにクリスの前髪を片手で掻き上げ、もう片方の手で同じように露わになった自分のおでこを彼女のそれにピタリと貼り合わせる。息が掛かる程の距離に彼女の顔がある。恥ずかしさを覚えないでもなかったが、今は自分の羞恥心よりも、彼女の体調が心配だった。

 

「お、おま、な、なな、お、おで」

「日本語が不自由になっていますよ、クリス。恥ずかしいかもしれませんが、少し我慢してください」

 

 目を閉じて、彼女の額に意識を集中する。少し、熱いだろうか。しかし、これが身体の不調からくる発熱なのか、羞恥心からくる発熱なのか、医学的な知識の乏しい蛍には判断する事ができない。フィーネに報告して本格的なメディカルチェックをして貰うべきか判断に悩んでいると、「いい加減にしろッ!」とクリスに突き飛ばされた。

 

 ふわりと、身体が宙に浮いた。

 

 まるで、神獣鏡を身に纏いイオノクラフトを発動させた時のような浮遊感が蛍の身体を包み込む。

 考えてみれば、当然のことでは、ある。それ程横幅が広い訳でもない桟橋に二人並んで居座っていたのだ。押されれば、当然こうなる。

 だから、そんなに驚いた顔をしないで欲しい。元を質せば、クリスが恥ずかしがると分かっていながら行動を起こした蛍が悪いのだから。

 そんな事を考えながら、青く澄み渡った空を最後に見て、蛍は、冷たい湖にその身を投げ出された。

 

 

◇◇◇

 

 

「へくちっ」

「38度2分、風邪ね」

「ずびばぜん」

「今日はそのまま安静にしてなさい」

 

 春先の冷たい湖に落ちて無事に済む筈もなく、蛍は次の日ものの見事に風邪を引いていた。自室のベッドに横になりながら、鼻が詰まっているのだろう普段の彼女とは似ても似つかない濁音だらけの声で、蛍の熱を計っていたフィーネに返事をする様はとても痛ましい。

 幾ら恥ずかしかったとはいえ、彼女を湖に突き落としたのは他ならぬクリス自身だ。蛍は「クリスのせいではありません」といじらしくも言ってくれたが、その言葉に頷ける程クリスは無責任ではない。彼女の為に何かしてやりたかった。そうでもしなければ、クリスは自分で自分が許せない。

 

「だ、大丈夫か? 辛くねえか? は、腹は減ってねえ、か。そうだよな。風邪引いてるんだから食欲なんて湧かねえよな……。そ、そうだ! 水! 喉は渇いてるだろ? えっ、今は要らない? じ、じゃあ、身体でも拭くか? 汗で気持ち悪いだろ? それもいい、か。……はっ!? こういう時は尻にネギをブッ刺せばいいって昔ママが……」

「ぞれやっだらぜっごうじまずよ」

 

 返事をするのも辛いのだろうか、クリスの問いにも蛍は首を動かすだけで、必要最低限の声しか出さない。声を出すことを極力避けているようにも見える。

 蛍の顔には、何時もの無表情はない。流石の蛍と言えども、熱に浮かされながら仮面を被り続けることは出来ないのだろう。仮面の下に隠れた彼女の本当の顔が、いつも以上に顔を覗かせている。それはつまり、クリスが守りたいとあの時確かに願った小さな少女が熱に浮かされ、額に大粒の汗をかきながら、目尻には涙を浮かべ、苦しそうに咳をしながらベッドに横たわっているということで。蛍のそんな姿を目にする度に、クリスは己の良心の呵責に苛まれるのだ。

 

「クリス、少し落ち着きなさい。見苦しいわ。死ぬ訳でもあるまいし」

「で、でもよ……」

「こんなもの、若いんだから1日ゆっくりと休養すれば直ぐ良くなるわよ。寧ろ、貴女みたいにベッドの横でピーチクパーチク囀られては、治るものも治らないわ」

 

 フィーネの言葉にぐうの音も出ないクリスは、「後で見舞いに来るからな! 苦しかったら通信機使えよ! 直ぐ飛んでいくからな!」と蛍に声を掛けながらフィーネに首根っこを掴まれて、部屋を出る。扉が閉まるその時まで、ベッドで苦しそうに横になる蛍の姿から、目を離せなかった。

 

 ぱたりと閉まったその扉を未練がましく見つめていたクリスだったが、そのまま引き摺られる様にして、とある部屋に連れて行かれる。

 

 部屋に入るなり漂ってきた淀んだ空気に当てられて、込み上げてきた吐き気を必死に飲み込んだ。

 電灯が灯っているのにも関わらず薄暗いその部屋は、暗鬱な空気に満ち満ちていた。窓もなく、出入り口も一つだけ。他の部屋とは違い華美な装飾品もなければ、屋敷の至る所にある謎の機械群すらない。部屋の造りだけを見れば、一体何のための部屋なのか、直ぐには理解できないだろう。

 だが、薄暗さに隠された部屋の隅に目を凝らしてみれば、この部屋が何の為に作られた部屋であるかは一目瞭然だった。

 

 壁一面に、ずらりと、拷問用の器具が立てかけられている。

 

「貴女は、()()()()よ」

「…………分かった」

「あら、今日はやけに素直ね? 貴女らしくもない。そんなに蛍のことに責任を感じているのかしら」

「当たり前、だ」

 

 引き摺られながら、フィーネの足が向いた方向にこの部屋が在ることに気付いた時からこうなる予感はしたのだ。彼女のお仕置きは、いつもそこで行われるから。

 フィーネが蛍という自分のお気に入りを害されて、何も感じていない訳がない。この女のことだ。蛍を傷つけて良いのは自分だけだと本気で思っているかもしれない。

 

「じゃあ、どうすればいいか分かるわね?」

「……ああ」

 

 既に何度となく行われてきたことだ。手順は分かっているとクリスは頷く。震える手で自分の服に手を掛け、ゆっくりとその一つ一つを脱ぎ去り、自分の肌を露わにしていく。外気に晒された肌が、粟立つ。そこには、この屋敷に来た時にはなかった傷痕がある。白い肌に幾つものミミズ腫れの線が走っている。鞭で叩かれたかのような――否、実際に叩かれた傷痕。彼女と同じ傷痕。

 クリスは羞恥と屈辱でグチャグチャになった思考で、それでも、大事な部分だけは隠そうと、両手で胸と下腹部を覆った。

 いつの間にかクリスの目の前に迫っていたフィーネが、クリスのそんな様子を目にし、紅の塗られた唇を蠱惑に歪め、うっとりとした嬌声をあげる。

 

「可愛いわよ、クリス。貴女は蛍と違って、素直に羞恥に顔を染めてくれるから、あの娘とは別の意味で唆られるわ」

「……そう、かよ」

「ふふっ、その強気な態度も、今は心地良いわ。ほら、口を開けて」

 

 フィーネの言葉に従い開いた口に、痛みに耐えるための布を噛ませられる。少し息苦しいが、これが有るのと無いのとでは、雲泥の差なので黙って受け入れる。もし、この布が無ければ、食いしばりすぎて、自分で自分の歯を砕いてしまうかもしれない。

 「次は手ね」というフィーネの言葉に、クリスの秘部を覆っていた両手がフィーネの嫌に冷たい手に掴まれて、天井からぶら下がる手鎖に繋がれる。最初の頃は、何故屋敷の一室にそんな物が設置してあるのかという疑問も覚えたが、結局はフィーネだからという理由で呑み込んだ。

 鎖に繋がれ、一糸纏わぬ姿を他人に晒している。現実離れしたこの状況にも関わらず、クリスは自分の顔が更に赤く染まるのを止めることが出来ない。白金の双眸がじっくりと嬲るように、クリスの裸を、その視界に収めていた。

 

「さて、今日は3回かしら」

 

 鞭を手にして、クリスの背後に回ったフィーネの声に、少し安堵する。回数で言えば、そこまで多くはない。それでも、耐え難い痛みなのは確かだが。

 フィーネはやたら滅多と数を打つことはしない。一打一打、丁寧に、心を込めて、その腕を振るう。それが無駄に数を打たれるよりも辛く感じるのは、その一打に込められたフィーネの感情の大きさ故なのだろうか。

 

「まずは、一つッ!」

「――ッ!!!」

 

 振るわれた鞭が、クリスの背中を撫でた瞬間、意識が飛びそうな程の痛みがクリスに襲いかかる。それを口に咥えた布を噛み締め只管に耐える。打たれた場所が焼けるように熱い。皮膚が剥がれ、身体を伝って血が滴り落ちているのが分かる。余りの痛みに涙が溢れ、視界が明滅を繰り返す。

 傷痕が、クリスの身体に刻まれる。

 

「クリス、その痛みを身体に、心に、刻みつけなさい。痛みだけが、人と人を繋ぐ唯一にして絶対の絆。私という傷を受け入れなさいッ!」

 

 痛みだけが人と人を繋ぐ絶対の絆。それはフィーネがお仕置きの際に決まって口にする彼女の持論だ。歪んでいるとは、思う。認めたくないとも、思う。

 けれど、心の何処かでそれがある意味では真実だと理解している自分がいる。

 優しいや温かさと言った絆は、儚く脆い。失う時は、一瞬だ。それは、クリスも両親を失った過去の経験から知っている。

 だが、痛みは傷は、消そうと思っても消えないのだ。それもまた、クリスは過去の経験から知っている。両親を失った時の恐怖を未だに覚えている。倉庫のようなあの建物の中で、次に連れて行かれるのは自分かもしれないと怯え震えたあの日々を、きっとクリスは一生忘れる事が出来ない。

 フィーネが言っているのは、きっとそう言う事だ。身体に、心に刻まれた傷に触れる度に、フィーネに対する恐怖を思い出す。忘れようと思っても忘れられず、フィーネという存在は、クリスの中で永遠となる。

 

 呪いにも似た、繋がり。確かに、それは、絶対の絆だった。

 

 だが、呪いにも似た痛みという絆を知ったからこそ、クリスには、優しさや温かさが余計に尊く思える。儚く脆い絆であっても、それは誰かを思い遣ったものだ。痛みや恐怖の様に、押し付けがましい絆ではない。互いが互いを認め合い、尊重し、必要としたからこそ生まれる尊いものだ。

 だからこそ、失いたくない、守りたいと人は努力する。そうして生まれる人と人の繋がりは、決して、痛みに劣るものではない。

 フィーネの論は、他人を信じることを放棄した人間の考えだ。他人との関係を断ち切り難いと思いながらも、自分という傷を刻む事でしか他人と絆を結ぶ事が出来ない臆病な自分の弱さを他者に押し付ける我儘な考えだ。

 故に、この痛みに屈する訳にはいかない。この胸には、まだ温かさが、蛍の優しさが残っている。

 蛍は、いつもこんな痛みに独りで耐えていたのだ。フィーネの歪んだ考えに晒されながらも、あの優しさを失わなかった。ならば、クリスが此処で弱音をあげることは許されない。

 彼女の代わりに、自分の身体に傷が増える。今迄は、蛍がその小さい身体で一身に受け止めていたフィーネの歪んだ愛情を、肩代わりする。これで、彼女の事を少しでも守れるのならば、この痛みにだって耐えられる。耐えてみせる。

 彼女との、絆を、失ってなるものか。

 

「二つッ!」

「――ッッッ!!」

 

 風を切る音と共にクリスの声にならない悲鳴が部屋に響く。今度は、背中ではなく前。胸から脇腹に掛けてクリスの雪のように白い肌に一筋の赤が新たに刻まれる。

 涙が溢れて止まらない両目で、鞭を振るうフィーネを睨みつければ、彼女は酷く嬉しそうに歓喜の声を上げる。嬉しくて、楽しくて、堪らないのだろう。高らかに嘲笑い声を響かせるその姿は、他人に己を刻みこむというその行為に酔いしれる狂人であると同時に、弱者を屈服させることに悦楽を覚える真性のサディストのものだ。

 

「あっはっははッ!! 良いッ!! 良いわよ、クリスッ!! その眼、ゾクゾクするわッ!!」

「はぁ……はぁ……」

「ほらッ! これで最後よッ! 三つッッ!!!!」

「――ッッッ!! ――ッッ!!!」

 

 最後の一振りは、二振り目に重なり、十字を描く様に刻まれた。既に皮膚が剥がれ落ちた部位に、振りかざされた鞭の痛みは、今までの比ではなく、本当に一瞬ではあったもののクリスは意識を失った。だが、刻まれた傷痕が、そのままクリスが眠りに落ちる事を許さず、痛みとなってクリスの意識を苛む。

 「可愛かったわよ」というフィーネの柔らかな声色と共に、咥えていた布と手錠を外される。痛みから立っていることすらままならず、蹲るようにして地面に倒れ伏した。滴り落ちて床に溜まった自分の血が目に入る。

 

 他人の血に塗れたこの女の行く先に、本当にあたしの――蛍の望む世界はあるのだろうか。

 

 蛍の事情を、既にクリスは知っている。彼女が両親に裏切られた過去も、実験動物のような生活を送ってきた過去も知っている。だから、この理不尽な世界を変えようとしているとも。

 フィーネは語った。カ・ディンギルによって月を穿ち、統一言語を取り戻すことで、人類は争いを止め、互いのことを真に理解し合えるのだと。

 カ・ディンギルが詳しく何かは聞かされていない。只、異端技術(ブラックアート)を用いた月を穿つ為の兵器だとは教えられた。そんな兵器を持ちだして月を穿つことでしか、人類が呪いから開放される術はないと彼女は言う。

 他人を信じず、傷を残すことでしか絆を結べない彼女が、本当に、そんな目的の為に世界を変えると願うだろうか。掠れた意識の中で、クリスは、ふとそう思った。

 




 思った以上に早く書けたので投稿。前半が異常に筆が進みました。
 誕生日にこんな話を書いてしまってクリスには申し訳ないと思っています。

 「痛みこそが人と人繋ぐ唯一の絆」に関しては、本編中で詳しい解説がされていなかったので私なりの独自解釈です。

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