戦姫絶唱シンフォギア ~歪鏡に選ばれた少女~   作:きおう屋

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 すみません。感想欄で指摘を受けて、読み直して見たのですが、創世が弓美と詩織のことを普通に下の名前で呼ぶことに違和感を覚えたので、修正しました。

 公式では、創世が弓美と詩織の事を直接名指しで呼んだシーンはなかったと記憶しているので完全に創作になりますがご容赦ください。
 もし、公式で創世が弓美と詩織につけた渾名をご存じの方が入れば、感想欄もしくはメッセージにて知らせて頂けると助かります。



EPISODE 09 「覚醒の鼓動が聞こえるその前に」

「あっざしたーまたおこしくださませー」

 

 店員のやる気のない挨拶と店内BGMとしてかかっていた今日発売だという風鳴翼の新曲を背に受けて、蛍はコンビニ――レベルアップルという全国チェーンの店らしい――を出る。久しぶりに買い物という行為をしたが、あれで良かったのだろうか。少し自信がない。何やら店員にジロジロと姿を見られていた気がするので、もしかしたら何かおかしな所があったのかもしれない。

 だが、それも仕方のない話ではある。なにせ蛍がお店に入って物を買うなど、実に5年ぶりのことなのだ。少しおどろおどろしくなるのも致し方ないというものだ。加えて、それ程高い買い物をした訳でもないのに、蛍が会計時に支払ったのは、なんと一万円札だ。蛍は一万円札なんて触ったのは初めてで、店員に差し出す時など、少し手放すのを躊躇ってしまった。フィーネも、セーフハウスでの滞在費用とはいえ、こんな大金をぽんと渡さないで欲しい。おまけに、蛍が肩から下げたポーチに入った財布の中には、まだ諭吉が大量にいる。外に不慣れな蛍にこんな大金を預けるなんて、フィーネも不用心にすぎる。

 しかし、何はともあれ、買い物に成功したのは確かなのだ。手にしたリンゴのマークが印刷されたビニール袋がカサカサと音を立てる。戦利品は確かにこの手にある。

 

「ふふん」

 

 ビニール袋の中には、幾つかのあんぱんとパックの牛乳が入っている。これでセーフハウスで待つクリスへのお土産はバッチリだ。蛍は何となく誇らしい気分になって胸を張ってみる。すれ違うようにしてレベルアップルに入った客が怪訝な顔をしていることに、無表情の下で満足感に満たされている蛍は気が付かない。

 

「さて、と」

 

 ビニール袋と、もう片方の手に持ったバイオリンケースを持ち直して、気を取り直す。あまり油を売っている暇はない――とは、言ってみたものの、久しぶりの外なのだ。蛍は少しばかり浮かれているのは承知の上で、どうしてもキョロキョロと街並みを眺めるのを止められない。麗らかな春の陽気に当てられて、ぶらぶらと歩きながら目的の場所を探しつつも、その視線は熱に浮かされたように彼方此方へと行ったり来たりしている。コンビニ、ゲームセンター、ファミリーレストラン、カラオケ、映画館、どれもこれも見たことがある筈なのに、今の蛍には全てが目新しく見える。

 街の中央には、この街のシンボルとも言うべき前衛的なデザインのドームがある。その場所を蛍は知っている。過去にツヴァイウイングがライブを行い、天羽奏が絶唱を歌いその命を散らせた土地だ。戦闘による被害は既に修繕されているらしく、あれからもう2年も経つのかと少ししんみりする。

 海に面した小高い丘の上を見れば、私立リディアン音楽院その高等科のキャンパスがある。風鳴翼も通うというその学院は、小中高の一貫教育を掲げた女子校であり、高等科だけで生徒数は1200名を越えるマンモス校である。そしてその1200名全員が、潜在的にシンフォギアへの適合が見込まれる少女たちだと言うのだから驚きだ。彼女たちは何も知らないまま、自分たちの足の下に潜む者たちに利用され続けている。

 近代的な街並みを暫く歩くと、どこか懐かしい雰囲気の商店街に差し掛かった。モノレールなどが走る近代的な街なのに、未だこんな商店街が残っていることを不思議に思い、ふらりふらりと足が自然とそちらに向く。平日の昼間だと言うのに、結構な人が行き交っている。その人混みに混じって、蛍はずんずんと進んでいく。

 様々な飲食店が店を連ねる商店街の一画で、蛍はとある店の前で足を止めた。「生ビール350円!」とでかでかと書かれたノボリに「それは高いの? 安いの?」のなんて本当にどうでもいい感想を抱きながら、居酒屋なのだろうかと思い店の看板を見上げてみれば、「お好み焼きふらわー」と書かれている。「花の形をしたお好み焼きが出てくるのでしょうか」と呟き、店先をじーっと眺めていると、ガラガラと音を立てて、店の入り口が開いた。

 

「おばちゃーん! 美味しかったよご馳走様!」

「商店街にこんな隠れた名店があるなんて、入学早々ナイスな発見をしました」

「これは今度ビッキーとヒナも連れてこなくちゃね。きっとビッキーのことだ、この味を知ったら人の三倍は食べるよ」

「はーい、ありがとね。友達も連れてまたいらっしゃい。おばちゃん、腕によりをかけて焼くからね」

 

 扉から姿を見せたリディアンの制服に身を包んだ3人の女学生が店内に向けて声をかけると、中からは店長らしき女性の声が返ってくる。非常にフレンドリーな店のようだ。今度機会があったらクリスと食べに来ようかとも思ったが、こういう明るい雰囲気の店に愛想の欠片もない自分は多分合わないだろうと思い直す。

 踵を返し、辺りの散策を再開しようとした蛍に、絶叫にも似た声が届いた。

 

「うわっ! なにこのゴスロリ美少女ッ! アニメッ! アニメなのッ!? ついに現実がアニメに追いついたのッ!?」

 

 声に驚き振り返れば、先ほどふらわーから出てきた三人娘の一人――ツインテールの小柄な少女――が蛍を指差し何事かを叫んでいる。初対面の人をいきなり指差すとは、中々に無礼な少女だ。言ってる言葉の意味も良く分からないし、もしかしたら頭が少し残念な子なのかもしれない。文句の一つでも言ってやろうかとも思ったが、あまり騒ぎを起こすのもまずいと思い、蛍は早々にこの場を後にする――否、しようとした。

 蛍の後方への転進は許されなかった。蛍と目が合ったツインテールの少女が、凄まじい勢いで蛍に接近し、万力のような力で蛍の肩を掴んだからだ。

 

「あなたそれコスプレ!? コスプレなの!? ロー◯ンメイデンなの!? 水◯灯なの!? 乳酸菌取ってるの!?」

「こ、コスプレ? ろ、ろーぜん? えっ、あの、いや、その、ちが」

「違うの!? 普段着なの!? まるでアニメじゃない!! はっ!? バイオリン!? バイオリンまで弾けるの!? どれだけ属性盛ってるの!? お金持ちなのね!? お嬢様なのね!? きっとそうだわ!! アニメならバイオリンはお嬢様の嗜みだもんね!!」

 

 まるで機関銃のように押し寄せる彼女の言葉の嵐に、蛍はまともに返事を返すことすらできない。目の前には、鼻息荒く、血走った目で蛍を見つめる少女の顔がある。正直、怖い。

 

「はーい、板場さんそこまでですよ」

「バキュラ、あんた少し落ち着きなって」

「待って! 目の前に! ゴスロリが! バイオリンが! お嬢様が!」

 

 実力行使も止むなしかと蛍が本気で身の危険を感じ始めた時、ツインテールの少女――ハーフなのだろうか? 板場バキュラと言うらしい――が連れであるらしい二人の少女に抑え込まれて、蛍から引き剥がされる。引き剥がされてなお、視線を決して蛍から外そうとしないバキュラが怖くてたまらない。フィーネ以外にも、蛍にこれほどの恐怖を刻み込める人物がいるとは思わなかった。

 

「いいから、少し大人しくしなって、あんた傍から見てるとかなり危ない人だから」

「安藤さんの言う通りです。今の板場さんは下手をすると警察のご厄介になりかねません」

「分かった! 分かったから、創世(くりよ)詩織(しおり)も離してってば!」

「本当に分かってるのかねこの子は。あのさ、人の服装の趣味をとやかく言うのはマナー違反だし、バイオリンだって学校で見慣れてるでしょ。後、どちらかと言えば、あの子よりもテラジの方がお嬢様っぽい」

「あの、安藤さん、お嬢様扱いはどうか止めて頂けると……」

「あぁ、ごめんねテラジ。つい」

 

 バキュラを、創世と呼ばれたボーイッシュな少女と詩織と呼ばれたおっとりとした雰囲気の少女が宥めているのを視界に収めて、蛍は混乱した思考を落ち着けることに努める。

 

 やはりこの恰好が、物珍しいのだろうか。

 

 耳に残るバキュラの言葉を、断片的ながらも解読していくと、どうやら彼女があそこまでおかしくなった理由はどうも蛍の服装にあるらしい。

 改めて、自分の恰好を見回してみる。フリフリで白黒だった。黒を基調としたワンピースは、フリフリとしたリボンとレースに彩られて、最早、ワンピースと言うよりかはドレスと呼んだ方が正しいのではないかとさえ思える。肩からは可愛らしい黒のポーチを下げて、片手にはバイオリンケースと小物も完璧だ。加えて今日は、耳につけた通信機を誤魔化す為だと言われ、ヘッドドレスまで身につけている。髪で十分に隠れているから、正直無駄だと思うのだが、フィーネに怖い目で見られたら蛍には反論など出来よう筈もなかった。何故かクリスまで、少し顔を赤らめながらも嬉々として手伝っていたのが印象的だった。

 そんな恰好をした蛍は、小柄な体格が相まってまるで西洋人形のような見た目になってしまっている。髪は黒いままなので、姿見で自分の恰好を確認した時はなんとも中途半端な印象だったのだが、服は基本的に白と黒のモノトーンで統一されているので、ある意味ではこれはこれで服に合っているのかもしれない。

 蛍とて薄々は気付いていたのだ。もしかしたら、この恰好は非常に目立っているのかもしれないと。周りを見渡しても、蛍と似たようなファッションの人物は皆無であったし、他人の視線をそれ程気にしない蛍ではあるが、街を歩く度に、男女問わずチラチラと窺う視線を向けられれば、嫌でも気付くというものだ。そう言えば、男性には何度かお茶に誘われたが、あれはいったい何だったのだろうか。

 

「ええと、怖がらせちゃってごめんね。バキュラ――えっと、あっちの髪を両側で縛ったお姉ちゃんね、アニメが大好きで、時々今みたいな発作を起こすんだ。あー、発作って分かるかな? うーん、病気! そう、病気なの!」

「本当に申し訳ありません。私たちからも強く言って聞かせるので、あまり気を悪くしないでくださいね。ほら、板場さんも」

「うぅ、わ、悪かったわよ。ちょっと自分を見失ってたわ。で、でも、今のあたし、ちょっとアニメっぽかったかも!」

「こら、まだ言うか」

 

 反省の色を見せないバキュラの頭を、創世がぽかりと叩く。その様子を見て、詩織は「仕方ないですね」と言わんばかりの表情で微笑を浮かべている。凸凹トリオかと思えば、意外とバランスの良い三人組なのかもしれない。

 そんな三人の様子を眺めて、多少はバキュラの恐怖から立ち直った蛍は、このままでは事態が一向に進まないと悟り、渋々ではあったが口を開いた。

 

「あの、少し面を食らっただけですので、お気になさらず」

「おー、凄い丁寧な言葉遣い。出来た子だー」

「あんたは感心してないで、ちゃんと謝りな! あー、えっと……」

「……蛍です。詞世蛍」

 

 少し悩んだが、蛍は本名を告げる。もう二度と会うこともないだろう少女たちに名前を知られた所で、任務には毛程も影響はないだろう。

 これはフィーネから聞いた話ではあるが、蛍は公には5年前から行方不明という扱いになっているらしい。あと2年も経てば、死亡扱いだ。娘を金で売るような親が熱心に捜索活動をする訳もなく、そんな蛍の名前を知っている人物がこの街にいるとは思えない。

 

「分かった。じゃあ、こたるだね。ほらバキュラ、こたるちゃんにきちんと謝って!」

「いや、あんたも大概失礼だから。その誰彼構わず、変な渾名つけるのやめなさいよね」

「詞世さん、本当に申し訳ありません。二人には私から強く言って聞かせるので」

 

 実はこの三人、漫才トリオとかだったりするのだろうか。人が真面目な空気を作り出そうとしてるのに、全く気にせず各々のペースを崩そうとしない三人に開いた口が塞がらない。どうやら、バキュラと呼ばれる彼女のそれも創世がつけた渾名であるようだが、実は芸名だったりするのだろうか。

 唯一、詩織だけはまとめ役として、まだ僅かな良識を残しているように思える。彼女に適当に挨拶をしてこの場を離れよう。そう決意し、視線を詩織へと向けて蛍は口を開く。

 

「私は本当に気にしていないので、問題ありません。謝罪も結構です」

「いえ、そういう訳にも参りません。非は完全に此方にあります。初対面にも関わらず、あれ程の無礼をしたのです。なにか償いを……」

「そうだ! 何かふらわーを眺めていたみたいだし、あの店のお好み焼きを一枚奢るってのはどうよ?」

「板場さん、それナイスな考えです!」

「……………………いえ、そこまでしていただく訳には」

「悩んだわね」

「悩んだね」

「悩みましたね」

「こ、これから用事があるものですから。あまり時間に余裕もないのです」

「あー、そうだったんだ。ごめんね。引き止めちゃって。えっと、それじゃあ……」

 

 言うや否や創世は手にした鞄からメモ帳とペンを取り出して何かを書き連ねると、その部分をビリビリと破り、蛍に手渡してきた。「そこまでして頂かなくても……」と渋る蛍に、「いいからいいから」と強引にメモの切れ端を創世が押し付ける。

 

「これ、私たち三人の連絡先だから、時間に余裕が出来たら、誰でもいいから連絡してみて。ここのお好み焼き本当に美味しいから、ちゃんとご馳走させて」

「あの、本当に困ります。この街に来たのは今日が初めてで、この近辺に住んでるわけではないんです。次にお会いできるのは何時になるか分かりません」

「へぇー、道理で見かけないわけだ。まぁ、あんたみたいに目立つ奴一度見たら忘れないだろうしね。何処から来たの?」

「えっと……」

「板場さん、この子も困ってるじゃないですか。詮索のし過ぎもまたマナー違反ですよ」

 

 山奥の屋敷です。なんて言える訳もなくバキュラ――本名が分からないので致し方ないがこう表記する――の質問に蛍が言葉を濁すと、詩織が援護してくれた。やはり、彼女はこの3人の中でも、比較的常識を兼ね備えた人物ようだ。もっと言ってやって欲しい。

 蛍がこの街に住んでいないのは事実だ。今でこそ、フィーネからの任務で都内に幾つかあるフィーネが用意したセーフハウスに腰を据えているものの、この任務が終われば屋敷にとんぼ返りだろう。任務の内容が継続的なものである為、月に何度かはこの街に足を運ぶかもしれないが、それもフィーネの命令があってこそなので、蛍が決まった期日にこの街を訪れるのは難しい。そんな環境に身を置いた蛍が、現地の住人と気軽に会食の約束など、結べる筈もない。

 加えて、蛍は個人で使用できる通信機器を持ち合わせていない。耳に取り付けられた通信機は、あくまで蛍、クリス、フィーネの三者が任務中に連絡を取り合う為だけのものだ。恐らく彼女たちが想像しているのは携帯電話などの通信機器なのだろうが、安易に外との連絡を可能にするそんな危険なものをフィーネが蛍に買い与える訳もなかった。屋敷にならば、流石に電話はあるものの、あれは基本的にフィーネが米国との交渉に使用しているものなので、蛍は使用を許可されていない。

 出来もしない約束はしたくないので、気軽に出歩けない立場であることと、連絡手段を持っていないことを、ぼやかしながら説明すると、三人は酷く驚いた表情を見せながらも、なんとか納得してくれた。

 

「じゃあ、あたしたちはこれで。一応、メモは渡しておくから、もし、またこの街に来て時間がありそうだったら連絡ちょうだい。お詫びも兼ねて、この街の案内もしてあげたいし」

「約束は出来かねますが、機会があれば」

「それでいいわよ。ね? 二人とも?」

「はい。気軽に連絡してくれて大丈夫ですから」

「うん。私も全然大丈夫。いやー、こたるちゃん本当にごめんね。長々と引き止めちゃって」

「いえ、それでは――」

 

 漸く立ち去れると思い、歩を進めようとした蛍だったが、彼女たちにどうしても言っておかなければいけないことを思い出して足を止める。会話の節々から感じてはいたのだが、言えばまた話が長くなると必死に我慢してたのだ。

 別れ際の捨て台詞になってしまうが、それでも、蛍は言わずにはいられない。

 

「言い忘れていましたが、私は16歳です」

 

 子供扱いは勘弁して欲しい。

 

 

◇◇◇

 

 

 不審に思われない程度に辺りを見渡してから、人気のない路地裏へと入る。まさか尾行などされていないとは思うが、蛍の恰好は非常に目立つらしいので、用心するに越したことはない。やはりこのフリフリは駄目だと思うのだ。フィーネの趣味で着せられてはいるものの、正直に言えば蛍の趣味ではない。フィーネは何を思ってこんな服を蛍に着せているのだろうか。誠に遺憾ながら小学生程度にしか見えない蛍の体型も相まって、周りの人間からやたらと注目を集めてしまった。

 蛍の背丈は、散々の説明にはなるがかなり小さい。年齢が二桁に入った頃から全くの成長を見せていない。これで「私はまだ成長期に入っていないだけです」と言い訳出来れば良かったのだが、ちゃっかり月の物が来ている辺り、蛍の身体はしっかりと成長期とやらに突入しているらしい。何が成長期だ。名ばかりではないか。

 自然と視線が下がる。胸元にあしらえられた大きなリボンで隠されてはいるが、よく見れば、そこには殆ど膨らみがないことが分かる。

 

「はぁ……」

 

 蛍に比べ、同い年のクリスはどうだ。出るとこは出ていて、引っ込むところはしっかり引っ込んでいる。実に女らしい膨らみと丸みに溢れている。この2年ほぼ毎朝、クリスの胸に顔を埋めている蛍には分かる。あれは、成長している。出逢った頃よりも、更に大きくなっている。同じ年の彼女は、確実に成長期の恩恵を得ている。溜息も吐きたくなるというものだ。

 蛍は余計な思考を追い出す為に「いけない、いけない」と頭を振る。こんな事に思考を費やしている場合ではない。為すべきことを、為さねばならない。

 これは、逃げだ。目の前の現実を放棄して、どうでもいい思考に逃げるなんて。全く虫のいい話である。

 もう一度だけ、辺りを見渡してから、蛍は手にしたバイオリンケースを地面に置く。バイオリンケースにしては、厳重な幾つかのロックを外して開き、中に収められている物を眺めて蛍は少し逡巡する。

 

 フィーネから言い渡された任務は単純だ。

 

 目的は、リディアン高等科校舎その地下に深くにある特異災害機動部二課本部に保管されたサクリストDの強奪。サクリストDとは、日本政府によるコードネームであり、その正体は、ネフシュタンの鎧やソロモンの杖と同じ完全聖遺物「デュランダル」。その名は「不滅不朽」を意味し、起動後には圧倒的なエネルギーを無尽蔵に生む出す剣として機能すると言われている。カ・ディンギルの動力源として使用を予定しているそれは、月を穿つ為には必要不可欠なものであり、何としてでも手に入れなければならないものだ。

 しかし、デュランダルは二課本部、その最奥区画アビスにて厳重に保管されており、櫻井了子として二課中枢に位置するフィーネであろうとも簡単には手出しができないらしい。各種防御機構は勿論の事、シンフォギア装者たる風鳴翼に加え、何やらよく分からないが人外じみた強さを持つ人間――あのフィーネが人外と評するとはどんな人物なのか気になったが詳しいことは教えて貰えなかった――がいるようで、幾らフィーネであっても敵の本拠地で、お得意の火事場泥棒は不可能のようだ。

 

『穴熊が出てこないのならば、燻り出すまでだ』

 

 単純にして、究極。持ち出せないのであれば、向こうから出てくるよう仕向ければいい。

 フィーネが立てた計画は、デュランダルを二課本部から移送させ、その移送中に襲撃し強奪を行うというものだ。移送先は、永田町最深部の特別電算室「記憶の遺跡」か政府直轄の異端技術に関連した危険物を収める管理特区「深淵の竜宮」のどちらかになるだろうとのことだったが、櫻井了子を通じて移送計画が此方に筒抜けであることを鑑みれば、移送先が何処であれ、奪取するのは然程難しくはないだろう。

 

 問題は奪取そのものではなく、穴熊を燻り出すその方法にある。

 

 フィーネが穴熊を燻り出す為に採用したのは、ソロモンの杖を用いた無作為を装ったリディアンを中心とした周辺地域へのノイズの異常発生。周辺地域への被害を度外視したその手法は実に彼女らしいと言える。

 13年前に国連にて、認定特異災害と認められたノイズではあるが、その被害に遭う確率は決して高くはない。民間の調査会社によるリサーチによれば、東京都心の人口密度や治安状況、経済事情をベースに考えた場合、 そこに暮らす住民が、一生涯に通り魔事件に巻き込まれる確率を下回ると、試算されたことがある。フィーネというノイズを自在に召喚できる存在を知っている蛍からすれば、その調査結果の信憑性には疑問が残るものの、世間一般に知られているノイズに襲われる確率はその程度だということが重要なのだ。

 ノイズの異常発生に対し、二課はその原因を探る筈である。そして、それがリディアン周辺、即ち自分たちの本拠地を中心として発生していることに遠からず気付く筈だ。

 しかし、これだけでは、その原因をデュランダルだと断定するには、些か理由不足だ。そこでフィーネは、最近関係が悪化しつつある米国政府を利用することにした。

 米国政府は、以前より日本政府に対し、安保を盾にしたデュランダルの引き渡しを再三要求している。加えて、最近では、フィーネに対する不信感が増しているのか、独自に聖遺物のデータを探ろうと二課本部へのハッキングを繰り返しているらしい。随分と勝手なことをしてくれると憤っていたフィーネであったが、それを逆手に取ろうと言うのだから、あの煮ても焼いても食えない魔物と長年通じている米国政府の心労は相当なものであろうと蛍は少しばかり同情する。

 要するにフィーネは、全ての責任を米国政府に押し付けて、美味しいところは全て自分が持って行こうという腹なのだ。

 

 そして今日、蛍は、初めて直接己の手を汚す。

 

 蛍は、震える手で、バイオリンケースに収められたソロモンの杖を手に取る。蛍とクリスの歌により励起した完全聖遺物を手にして、余りの冷たさに放しそうになった手をぐっと堪える。ソロモンの杖を握った手から伝わる冷たさが、5年ぶりの外の世界に浮かれていた蛍の身体と心を震えさせる。

 蛍の我儘で、また多くの人を殺す。何の罪もない人々の命が灰になる。コンビニの店員が、お茶に誘ってくれた男性が、ふらわーの店主が、あの三人が、死ぬかもしれない。そんなことを考えていたら、商店街から随分と離れ、人通りの少ない海沿いのコンビナート付近まで歩いてきてしまった。まだ初日だというのに、この様では先が思いやられる。毎回こんなことを繰り返すようでは、ノイズの発生地点が人通りの少ない場所に限定されると二課に法則性があることが露呈し、網を張られる可能性もある。

 やはり会話などせずに、無視して立ち去れば良かったのだ。そうすれば、こんなに悩むこともなかったのかもしれない。

 

 なんて、愚か。なんて、偽善。

 

 蛍の手は既に血に塗れている。2年前のライブ会場で失われた12874人を忘れることは許されない。いや、きっと、それ以上の人数を、間接的に蛍は殺している。今更悩むことなど蛍には許されない。それは、失われた命を無価値にしてしまう。

 やっぱり、クリスを置いてきて正解だった。こんな気持ちを彼女に味あわせたくはない。優しい彼女は、弱者が犠牲となることを決して許せないだろうから。

 

 放たれた緑の閃光を、その目に焼き付けて、蛍は暫くその場を動くことが出来なかった。




 まさか原作に突入して、最初に登場するキャラがあの3人だとは思うまい。
 蛍は三人娘のまとめ役を詩織だと思ったみたいですが、個人的には創世だと思っています。

 書き終わってから気付いたのですが、シンフォギアの世界って電子通貨が主流で、本編中には紙幣って一度も出てきていないんですよね。ゲーセンのクレーンゲームですら電子通貨に対応していますし、源十郎がクリスに渡した通信機にまで電子通貨の支払い機能が搭載されている程でした。
 ですが、世界観的に近未来ではありますが、異端技術を抜きにして考えれば、人々の生活レベルは然程現代と変わりがないという印象を受けたので、だったら、紙幣が完全に廃れる程でもないだろうと思い、紙幣に関しての修正はしませんでした。ご了承ください。

追記:
 創世が付けた渾名は、弓美(バミュー)、詩織(おりん)となります。バミューは自分でもどうかと思ったのですが、クリスの事をキネクリ先輩と呼ぶ創世ですので、これぐらいぶっ飛んでてもいいかと開き直りました。本当に即興でつけたので、後日また修正するかもしれません。

追記の追記:
感想欄にて情報を頂き、弓美の渾名を「バキュラ」、詩織の渾名を「テラジ」に変更しました

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