ネタ切れの末期
外道探偵
吐く息の白さに冬を実感する。昔はこの白い息を吹き合って怪獣ごっこをしたものだ。
一緒に遊んでいた弟はどうしているだろうか。家出中のアタシを心配しているだろうか。
多分心配しているのは弟だけだろう。
とにかく、弟には悪いけれどあの男のいる家には帰れない。けれど、外で生きてゆくためには金がいる。親の許可のない未成年のアタシに働き口なんてないので専ら援交でどうにかすることになる。神待ち掲示板とは便利だ。僅かな労働で金と宿が手に入る。ただ、その労働はアタシの家出の原因を、トラウマを全力で抉る。それにしても……寒い。
本日の寄生相手は……霧峰ねぇヨネかな、ミネかな……どっちにしろ嘘くさい苗字。当然だよね、こんなところで実名利用するバカなんているわけがない。
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指定された駅の指定された出口。待ち合わせの目印は後ろで括った髪。髪の色はゴールデンレトリバー色。明るい茶色とか言えないかね。
現れた男は見た目だけは明るかった。茶色というには明るすぎる髪の色、後ろに細めの三つ編みお下げ。他は一般的な男と同じく短い。つけ毛かな、色が違う。不自然なほどに黒い。だが、明るいのは見た目だけ、その本質を映す目は暗い。死んだ魚を通り越して、沼を思わせる。今から抱こうって相手に向ける目じゃない。欲情にギラついてるわけでもないし、アタシを叩き売ろうとしてるわけでもない。
なんなんだ? コイツ。
「霧峰(キリミネ)だけど、そっちはバナナで合ってる?」
我ながらお馬鹿すぎる偽名を名乗ったもんだね。
「うん、あってる。寒いからさっさといこう」
そう答えたら霧峰はこっちにカードを渡してきた。ICカードじゃないか。これはありがたい交通費まで奢ってくれるのか。
「さっさと改札通ろうか、金の心配はいい。どうせ経費で――なんでもない」
けいひ? 霧峰はアタシに改札通過用のICカードを渡したので現金で切符を買った。
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結論から言って霧峰は馬鹿ね。信じられないほど大馬鹿だ。辿り着いたボロっちい家の表札に霧峰と書かれている。実名かよ。援交は犯罪だよ? 自覚あんのかコイツ。
「家に入って即本題ってのも何だしまずは飯にしようか」
そう言ってドアを開ける。鍵を開けた様子はない。無用心ね。
「じゃああっちに食卓があるから適当に座っててくれ」
おそらく台所へ向かったのだろう、姿が見えなくなった。向かうように言われたリビングは卓袱台しかなかった。ソファやこぎれいなテーブルを期待していたわけじゃないけどこれはキツイものがある。何しろ床はフローリングで座布団無し。ただでさえ寒いってのに。
霧峰がお盆を持って現れる。お盆にはどんぶりが二つ。中身はうどんだった。うどん、きつねうどんと月見うどん。
「どっちにする? 最悪両方とも食っていいけど。経費でおり――なんでもない」
また経費と言いかけた。どういう職業ならこういうのが経費で降りるのよ? 外回りの営業マンかな? こんな沼みたいな目をした営業マンに騙される奥様なんているのかな? いないだろうなあ。
「きつね」
のびちゃうとアレなので答えてしまう。
「ほれよ」
渡してきたのは月見だった。コイツは敵だ。
「ちょっと」
「希望を聞くとは言ってない」
ガキのような屁理屈を返された。コイツは敵だ。全面戦争だ。
「……おいしい」
食べてみれば意外と美味い。コイツ料理うまいのかな?
「寒けりゃ安物でも腹に染みるからな」
たしかにそうね。
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食事を終えたが霧峰があたしに手を出す気配はない。服を脱げとも言ってこないし脱がそうともしない。ありがたいっちゃありがたいけどやっぱコイツ何考えてるんだろう。まいいや、お風呂借りよう。御飯のあとはお風呂これは乙女の掟である。
「お風呂借りれる?」
「そこに石鹸と洗面器があるから」
なぜ風呂場に置かないんだろう。まさかね、まさかそんな……
「それ持って銭湯行くか」
コイツは見知らぬ女を家に連れ込んでる自覚がないらしい。
「正気?」
「この家に風呂はあるが湯は出ない」
「よし行きましょう今すぐ出かけましょう」
今何月だと思ってるのよ。
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この男はとことんまであたしをガキ扱いする気でいるらしい。帰り際にいちご牛乳与えられた。こいつほんとに神待ち掲示板の住人なんだろうか。アタシに手を出す気はないんだろうという初対面の時の印象が更に深くなる。
「アンタいくつ?」
「二十二、社会人四年目」
コイツも大して年食ってるわけじゃないうえに高卒が最終学歴であることが判明した。
何故かコンビニのホットドリンクのように暖かくて飲みづらいいちご牛乳を飲み切る頃には霧峰の家に戻っていた。やはり鍵は閉めてなかった。アタシがドアノブを捻っただけで普通に開いてしまう。
リビングで湯呑みをちゃぶ台に乗せて安物の緑茶を二人で飲む。アタシらは結婚五十年の老夫婦か? 茶を飲みながらただ沈黙。若いアタシには辛い。
「ねぇ何度か経費とか言いかけたでしょ? さっきの銭湯のお金もそう言ってた。どういう仕事?」
話題を振ると簡潔な言葉で信じられない回答が来た。
「探偵」
は? た・ん・て・い?
事件解決が売りの正義の味方? コイツが? 駄目だ、吹きそう。
「ほら、名刺」
名刺にはこれまたアホな名前が書かれてる。
(虚首楼蘭探偵事務所 霧峰立人)
名前は多分リットと読むのだろう。ただ、おそらく所長の名前であろう事務所の上が意味分かんない。
「それカラサキロウランって読むんだ、俺より七つも歳上なのに苗字も下もカッ飛んでるだろ? 本名なんだ、これ」
さすがに吹いた。人の名前で笑うのは失礼だと小学生でも言われるだろうに抑えられなかった。DQNネームは周りを狂わせる。
「で、そんな事務所で仕事来るの?」
「口コミでな、名前と人格は終わってるけどうちの所長は警察の情報犯罪課に喧嘩売れるハッカーだから、コネが広くて」
「つまりろくな仕事が来ない」
盛大な溜息を吐いて答えた。
「大正解」
「例えば?」
「そうだな――
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まず言っとくことがある。探偵は絶対に少年漫画の主人公になっちゃいけない。頭脳は大人のバーローみたいな探偵いないよ?
殺人事件なんかそうそう遭遇しないのは当然だが、探偵に解決能力はない。確かに証拠集めたり人探ししたりあら捜しするのは得意だけど科学捜査なんてからっきしだからな。
殺人なんざ刑事に任せておいて欲しい。
間違っても時効寸前の殺人事件の洗い直しなんか探偵事務所に依頼するなよ? 泣くのは下っ端だからな。
「じゃあどういう依頼が来るのよ」
そりゃあもう多岐にわたるぜ。探偵なんか万屋金ちゃんと大差ない。いやリアルの人間は銃で撃たれたら死んじゃうので金ちゃんより可哀想な存在だ。
例えば、浮気の証拠見つけろと言われたらこっちから別の人間回して浮気させて証拠差し出して夫婦を別れに追い込んで家庭崩壊させたり。素行の悪い娘が心配だと言い出す父親のために娘の素行調査をすれば、娘本人が最近誰かに尾行されてて怖いと言い出すので二重に依頼を受けてガッポガッポしたり。この依頼の時はなんで親子で相談しないか非常に疑問だったね。娘の素行の尾行も尾行者の尾行(事務所の人間を事務所の人間が追う出来レース)も簡単すぎた。ちなみにこの家庭も崩壊したよ。迷い猫を探せと言われたらその猫は既に死んでて原因は姑が出した土産物ならぬイヤゲモノだったりして家庭崩壊したり。
「アンタの事務所が関わると片っ端から家庭崩壊するのね」
金で安心が買える時代になったし俺は売る側なんだけどな? 金で買える安心なんてモンは箱の中にいりゃあ他人に殴られないで済むって言ってのんと大差ないんだよ。
「ふ~ん、じゃあ一番胸糞悪かった依頼は?」
たったい――なんでもない。
胸糞悪い依頼が基本的に多いけど、一番はあれかな……誘拐されたイイトコのお嬢さん連れて帰って来いってのがあってさ。警察沙汰になればマスコミが来るし犯人に娘が殺されちゃうってんで、こういう危ないところに話が回ってくるんだよな。ちなみにこうなっちゃうと探偵の側も犯人の側も命の保証はない。何しろ世間の良心天下の警察様が不介入だからな。誰も手加減してくれねえ。まず車のナンバーを監視カメラの情報を盗み出して手に入れる。これはうちの所長が一晩でやってくれた。問題はこっからだ。聞き込みなんてなんの役にも立たない。そのへんと通り過ぎた車のナンバー覚えてる奴なんて滅多にいないからな。というわけで陸運局にハックかけてナンバーの車がどこ所属なのを調べた。俺が無意味とわかりきっている聴きこみを所長に命じられてる間に所長が二時間で済ませた。正直俺いらないんじゃないかと思った。
出た結論がこれまた傑作でな。レンタカー。
これ以上の手がかりには脅迫がいる。ええ、そういう表の汚れ仕事はいつだって俺だ。まあ俺パソコン使えないからしゃあないけどさ。
「アンタがむかついてるのって、依頼じゃなく上司の方じゃない?」
かもな。まあ結果として依頼を受けて一週間かからずにお嬢のいる家は見つかった。夜中に尋ねると、まあ予想通り命に別状はなかった。命はな。ヘコヘコ腰振ってる背中が見えた。娘の啜り泣きが聞こえた。痛みに耐える声ならもっと悲痛だ。痛みに慣れて嫌悪だけが残った声だった。ハァハァと豚のようなうざい吐息が聞こえる。この男が金欲しさでやったとは思えなかった。プロなら無傷で返さねえとな。金を受け取る以上手口や法がどうあれ仕事なんだから。ここまでやらかした男を警察沙汰にせず娘を連れ帰る方法なんか一つしかない。男をいなかったことにするんだ。台所にお誂え向きに刺身包丁があった。俺の家には包丁なんかオール兼用の一本だけだぜ。貧乏暇なし、泣ける。手袋をしっかり嵌めて包丁を握る。足音を消すのは得意だ。鳥類と違って前方に視界が集中してる肉食哺乳類や人類は後ろから足音消して近づけば簡単に殺れる。
こっそりと近づいて、背中にずぐりと入れる。簡単すぎて拍子抜けだった。ただ、左手に感触が残った。手を放しても手を洗ってもその感触は長いこと残った。その感触が消えたのは不思議な事にもっともっと殺してからだった。何人殺したか数える気にもならない。
この一件以来コネがさらに広がり治安の悪い依頼が増えていった。事務所のメンバーの入れ替わりも早くなる。
おっと今は一つの依頼について喋ってたな。話し戻すか。
とにかく死んだ男の体は重くてどかそうとしたときはまだ温かかった。暖かいんじゃないヌルいんだ。
実は俺探偵始める前はサバイバル生活しててイキモノ殺すのは日常茶飯事でよ。けれど、喰うため以外に殺すのは初めてだった。相手は人間だったし臭いし脂ぎってて喰う気が起きなかった。自分が贅沢になったのかそれとも相手が人間だからかは未だにわからない。
けれども死体の心配はいらない。俺の事務所のあるビルには他にもろくでもないオフィスがいっぱいだ。裏葬儀屋に臓器売買。そのへんに死体を流せば仕事は終わり。
娘と話したのはこの一言だけだ。
(帰りたいか?)
(自分で殺したかった)
会話繋がってねえよ。誰が男の処遇について聞いたよ。たった八歳だぜ? 世の中終わってるよな。
ん? おい、話し聞いてるか?
何だ寝ちまったか。よく効く薬だな。じゃあ、本題に入るか。
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眠気に負けて話を最後まで聞くことはできず、目が覚めるとアタシは縛られていた。
「なるほどそういう趣味? 高いわよ?」
霧峰はおかしくてたまらないというように笑った。
「何言ってんだ? 金貰うのは俺等だよ。お前の弟から俺等事務所の連中が金貰うんだ」
なぜここで弟が出るの? なんでコイツはアタシに弟がいると知ってる? 嫌な予感がして声が出ない。続きを聞くのが怖い。
「ニッブイなお前。お前を連れ帰るのが今回の仕事だからだよ。依頼人はお前の弟だ」
あの子がアタシを探している。それは嬉しい。だけどアタシはあの家に帰れない。帰りたくない。
「アタシは帰らない」
抵抗は無駄なんて理解したくない。体をよじって縄を緩めようとする。
「ああ、そういうと思ってた。だからな」
そう言ってアタシの努力を尻目に台所へ向かった。
「こんなのを用意した」
そいつは丸くて大きくて黒いものを持ってきた。霧峰の見ている面は色が違うのがわかる。あれは……映画に出てきそうな凍えた肌の色。死体の色。この寒さに耐え切れなかったホームレスの色。
それは人の首だった。ぐるりとこっちに向ける。顔が見えた。アタシを犯しアタシが家を出る原因になった実の兄がそこにいた。
「いやあああああああああああああああ」
叫び声を上げている自分が理解できなかった。
あの男の死に喜ぶべきだと主張する誰かが頭の中にいる。誰なのかを理解せずにただ生首に怯える誰かが頭の中にいる。
誰かが誰かが誰かが誰かが誰かが……。
そして再び意識が沈んでゆく。
「お、刺激が強かったかな? しっかし冷蔵庫に入れると腐敗遅えな。冬だからか? ま、梱包始めるか」
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次に目を覚ますと弟がいた。アタシは唇を貪られている。弟がアタシの上で腰を降っている。アタシが家を出る事を決めたあの日と同じように。腰をふる弟は兄とは似ても似つかない。アタシとも似ていない。養子なのはアタシたちの方だから当然だった。
兄はアタシと二人で暮らそうといった。この家にいつまでも世話になれないと。
結局アタシの兄弟はアタシの心配をしてくれていたのは変わりなかったようだ。ただ、独り占めしたかったのも事実で、憎みあっていたのも事実なのだろう。
家出してる間に考えていた空想が、恐怖が、全部現実になった。
今眼の前にいる弟と既に首だけになった兄と沼のような目をした殺人鬼と。誰が一番マシかを考えて、アタシは弟の額にキスを返した。
推理とか探偵に関係ないよね!!
人生に最良なんてないんだっぜい。あるのは最悪手とそれよりマシな何かなのさ!
とまあそんな感じで人生一歩づつ階段登るのが一番だよね。