大学部誌の保管庫   作:三樹知久

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男が器用なら告って話が始まり、女が器用なら……キープ物語
男が不器用ならラッキースケベ系(ラノベ風)
女の子が不器用なら……ラブコメ
違うっけ?

後輩「寝言は寝て言え」


腕が痺れるほど

 針を爪の間に刺す、その後で熱したほうが効率はいい。質問は案件とは関係のない、それでいてすぐに嘘かどうかわかる家族の話題がいい。嘘をつくなら痛点に針を追加してゆく。ありとあらゆる質問に意味があり、順番も決めてマニュアル化することで聞き漏らしを防ぐ。一人の人間を完全に書類化し、最後は処分する。

 先祖代々受け継いできた。私のお祖父さんの代で途絶えた。ううん、私の代で途絶えた。

 お父さんが家業を継ぐのを嫌がって表の職についた。お祖父さんを後見人兼師匠として、私は四歳でアグリィー家を継いだ。判子を兼ねた当主の証の指輪は思ったより軽かった。

 私がこの世界について甘かったからお祖父さんは死んだ。

 世界で一番平和な国だから。お父さんはそう言って私を日本に送り出した。

 

 ##

 イライラする。生まれた時から地下牢以外の世界を知らない姉にもそれに意見しない姉の母にも親父にしなだれかかる俺の母にも……。

 イライラする。毎晩毎晩どんな仕事か知らねえが、血の匂いをさせて帰ってくる親父。親父が命ずる飯はいつだって焼き魚だ。塩の加減火加減一緒に焼く香草。俺が最初に覚えこまされた料理。調理実習で初めて自覚したが俺が一番うまく作れて人が喜ぶ料理。俺には豚の餌にしか見えない。

 イライラする。ゴミ捨て場からエロ本拾ったといって盛り上がるクラスメート。それに嫌悪感を示しながらも男子の好みを気にする女子。汚らしい。

 イライラする。生まれつき白い髪。誰も彼もが奇異の目で見る。親すら俺を異なる半端と名付けた。異端(ことば)こんな名前初見で誰が読めるのか。

 

 ##

 人との関わり方がわからない。仕事相手はいつも大人だったし、お金のやり取りと書類のやり取りしかわからない。

 何より日本語は難しい。最初に覚えた日本語はごめんなさい。

 ごめんなさいってほんとうに謝罪の意味なんだろうか? 事あるごとに言えといわれる。

 よそ者でごめんなさい。

 髪が長くてごめんなさい。

 髪の色が違ってごめんなさい。

 言葉では色々なものにごめんなさいというけれど頭のなかにはいつだってお祖父さんの死に様があった。

 ああいう世界にいたんだ。誰も彼もが簡単に殺される世界。

 日本は平和だけど大差ない。過労死は会社による労働者への虐殺だ。虐待は親から子への虐殺だ。

 この平和な国でどれだけの人が死を覚悟して死ぬことができるんだろう。

 仕事相手の言い訳はいつだって同じだ。「もう殺してくれ」

 彼等は死には文句を言わない。ただ苦痛が怖いだけだ。

 拷問吏の仕事部屋に送られるというのは心も体も助からないということだ。だから、よほど覚悟のない下っ端でもない限り命については私がアグリィーを名乗った時点で諦める。

 この国はどうだろう。不特定多数に不特定多数が痛みと死をばらまいているのにそれが自分に降りかかるなんて毛程も思ってない。

 こんな無自覚の悪意に殺されるのは嫌だ。

 もっと明確な殺意で、殺すことの意味を知った人がはっきりと殺す意志を持って、私に殺意を向けてくれないかな……。

 

 ##

 今日の朝も焼き魚。イライラが募る。

 親父の念願のモノが来たらしく、今夜は赤飯を炊けと言われた。地下で英才教育を受けた姉はその行為を準備の整った肉体で疑問なく受け入れて、肉欲に咽び泣くのだろう。

 ああ……他人になりたい。

 血、精汁、愛液、汗、胃液、腸液、唾液……。

 体液のなんと臭く汚らしいことか。ヌルヌルとして、ベタベタしている。自分もまたこれを詰めた肉袋にすぎないことを思うと、ガソリンを浴びてマッチを擦りたくなる。

 駄目だ……。こんな一時の感情で死んで堪るか。俺は必ず自由になってみせる。

 俺が自由になったとき家事係のいないこの家はどうなるだろう。その時を思うと、唇が歪む。そんなちっぽけな復讐で満足できる自分の矮小さにもまたイライラする。

 授業が終わり、掃除当番を押し付けられた。まあ、いつものことだ。俺は掃除を徹底的にするから俺と同じ班の連中はいつしか掃除をサボり逃げ出すようになった。今日は月曜だから教室の掃除。机の脚にこべり付いた埃、それを擦り付けられて汚れた床。窓のサッシも酷い有様だ。俺が掃除当番の班でないときは他の班は何をしているんだろうか。まさか箒で掃くだけが掃除だとでも思ってるのか。

 終わった時には五時を過ぎている。

 フードを被りランドセルを背負う。校舎を出るとき、花壇の影からたどたどしい声が聞こえた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 嘲笑う声もする。原始的な暴力の音が響く。俺には関係ない。俺は今日は餅米と小豆を買わなきゃならないんだ。

「ごめんなさい以外の日本語知らねえのかよ」

 蹲っている誰かを三人がかりで蹴っているのが見えた。

「なにやってんだか」

 呟いたつもりはなかったが、こちらに気付かれてしまった。

「お、潔癖症の異端くんじゃねえの。掃除終わったの?」

「今日は弁当こぼしたバカがいなかったからな」

 そのまま立ち去って、校庭に差し掛かった頃だった。

 人ごみで名前を呼ばれたことがあるだろうか、雑踏の中騒音の中でも自分と関わりの深い言葉は耳に自然と滑りこむ。

 嘲笑と暴力の音の中でもその言葉は俺の耳に食い込んできた。

「髪が黒くない奴って妙なのばっかだよな」

「黒髪以外は日本から出ていきゃいいのにな」

 なぜだか右手が重い。

 口元が笑みの形に歪む。

 右手を横薙ぎに振った。いつのまにか誰かを蹴っている奴らの内一番近い奴の側頭部をレンガで殴りつけていた。このレンガいつ拾ったんだっけ。

「          」

 何を叫んだのか覚えていない。

 意識を失い一人目が倒れた。二人目が異常に気づく前に脳天に叩きこむ。

「いってぇ!!」

 三人目には気付かれてしまった。

「何しやがんだ!!」

 確かに、なにしてるんだ? 俺。

 腕でガードしようが顔面に当たろうが皮膚が切れようが知ったこっちゃない。ひたすらレンガを振った。

「うあっ、がっ、ぎぃ、も、もうやめ――ひぃ!!」

 なぜか爽快感があって、例えようもなく楽しい。確実に返り血がへばりついてくるのに、逆に自分が何かを削ぎ落して軽くなっていく。

「ヒヒッヒッハハッウヒハハハハッ」

 これは誰の声だろう。楽しそうな笑い声。

 いつの間にか命乞いが聞こえなくなっていた。

 腕が痺れている。遠心力で血液が軽く逆流している。毛細血管が切れたんだろうか、腕がむくんでいた。

 息が切れる。腕が熱い。

 一応三人とも息はあった。逃げるように立ち去った。

 家に帰り着いてすぐランドセルを投げ捨て、風呂場で吐いた。こべり付いた返り血が気持ち悪くて仕方なかった。汚物の匂いの中、服も脱がずにシャワーを浴びた。ひたすら顔を洗う。

 鏡の中の自分はフードを被り忘れていた。

 フードを被らずに通学路を通った事実に気づいた後、遅れて買い物を忘れたことにも気づいた。

 親父には当然殴られた。軽くなった腹の中に、また何か澱のように溜まっていった。

 

 ##

「ごめんなさい以外の日本語知らねえのかよ」

 いつもどおりごめんなさいと言い続ける。謝らなきゃならないことなんて何かあったかな。何もないな。

 けれど暴力は止まらない。でも、なんて中途半端でつまらない暴力だろう。

 顔はやめとこうだとか、反応を楽しもうだとか、なんて下らないんだろう。

 早く終わらないかな、お腹すいた。

「お、潔癖症の異端くんじゃねえの。掃除終わったの?」

 私を蹴っている誰かがフードをかぶった人に声をかけた。

「今日は弁当こぼしたバカがいなかったからな」

 その人は私に好奇心すら抱かずに立ち去った。その後も暴力は続く。

 反応を楽しみたいのならもっと鳩尾や鼻を狙えばいいのに、屈服させたいなら骨格を通して五体の自由を奪えばいい。

 中途半端で目的がわからない暴力に対し、私はただ言われたとおりごめんなさいを繰り返す。けれど余計に興奮する彼等は暴力を止めない。

 いつ終わるんだろう、これ。

「髪が黒くない奴って妙なのばっかだよな」

「黒髪以外は日本から出ていきゃいいのにな」

 私もこんなヌルい国来たくなかった。

 言い返す気力もない。直後、

「髪の色がどうしたぁ!?」

 レンガが頭を吹っ飛ばすように振り抜かれた。そのまま振り下ろすように二撃目。どうにか気づいた三人目は腕で防いだ。多分防がないほうが傷は浅くすんだ。

「生まれも育ちも日本だよ!? 文句あるか!!? キラキラネームを影で嘲笑ってんだろ!? 何が潔癖症だよ!! きたねえモンはきたねえだろうが!!」

 その人の行為から正義感なんてものは全く感じられなかった。何が琴線に触れたのか、自分が罵声を浴びたように怒り狂っている。

 ひたすらに振り下ろされるレンガ、フードが脱げて振り乱される髪は真っ白だった。顔は怒りに満ちた攻撃的で惚れ惚れするような笑顔。

 これだ……これこそが暴力だ。私がお仕事で学んだような技巧もなく、みんなが私にするような中途半端じゃない。遠慮も容赦も手加減もない。手段や目的なんかどうだっていい。この暴力が手段でこの暴力が目的だ。

 お仕事で多くの人の表情と本音を見た私には手に取るように分かった。この人はどうしようもなく幼稚で、弱くて、抱え込む人だ。きっと普段は不満を貯めこみイライラするばかりでこんなこと絶対できない人だ。

 私が思ったとおり無駄に防御なんかした三人目が一番重症を負わされた。顔の形は原型がなく胸のあたりの凹みから肋骨は少なくとも四本折れてる。手の甲の骨もかなりやばい。

 けれど、私の見立てのとおりならそろそろだ。ほら、逃げ出した。

 私は落ちていたレンガを拾い職員室に行き、私が犯人だと告げてから現場に先生たちを案内した。

 私は施設に送られることになった。

 これでいい、あの人には不満に満ちた普段を今までどおり生きてもらわなきゃならない。そうしてあの人はもう一度これが出来るだけのイライラを募らせてもらうんだ。

 あの人自身が理解してない激情じゃダメだ。あの人に憎まれて蔑まれて恨まれて、あの人の全てを独り占めにして、そしてあの人は突発的なだれでもいい暴力じゃなくて、明確な殺意でその激情を私に振り下ろす。鈍器かな、刃物かな、首を絞められるのもいいな。

 私がいた世界でもこの国でも変わらない。誰も彼もが殺されて死ぬ。なら、私はあの人に殺されたい。

 

 ##

 あれから数週間経つがあの事件について俺に対して追求はない。先に潰された二人は俺の顔を見ていなかったし、三人目はトラウマがひどくて入院した先で布団かぶってガチガチ震えてるという噂を聞いた。で、証言できる人間は一人もいないらしい。

 犯人は隣のクラスの転校生ということになり、そいつは施設に送られた。

 俺はこの家から自由になるチャンスをフイにしたなどと思っているくせに、真犯人を名乗り出る度胸もなかった。ホッとしていた。殺さずにすんだことにホッとしていた。

 ただ、最近親父の機嫌がいい。新しく準備が整った人形にご満悦らしい。

 当然それを産んだ姉貴のお袋も御寵愛を受け、逆に俺のお袋の機嫌が悪くなってきた。最近、お袋が家事を担当し始めた。下手糞でしょっちゅう俺にやり方を聞く。この家にいる理由作りのつもりだろうか。家事を担当する人間が変わったせいか親父の不満の捌け口もそっちになった。

 ほんとうに有難い、肉人形には足を向けて寝られない。ま、地下室に足向けて寝れる体勢のが珍しいが。

 なんにせよ宿題や勉強に集中できる時間が増えるのはいいことだ。もっと勉強しよう。寮制の学校へ行けばここから逃げれる。中学は間に合わないが高校くらいなら……。

 昼休み、食事の時間。俺は初めて朝買ったパンを昼食にした。

 自分で作った弁当のほうが美味い。が、時間の節約にはなる。

「最近ガリ勉だねーおベント作るのもやめちゃったんだ」

 弁当をこぼさないし、エロ本談義に加わるわけでもない。掃除当番の班も違うからコイツが押し付ける側か押し付けられる側かは知らない。イライラの原因にならない数少ないクラスメート。

 ただ、話す理由はないし俺はコイツの名前を覚えてない。

「最近イキイキしてない? 逆じゃない? ガリ勉が勉強以外に楽しいこと見つけるならわかるけど、今までボケーッとしてたのがガリ勉になってイキイキって」

 前言撤回コイツもイライラする。

「もともと君成績良かったじゃん、これ以上何のために勉強すんの?」

「自分の為」

「お手本みたいな回答だね」

「……お前名前なんだっけ?」

「今七月だぜ?」

 影宮大吾、このうっとおしいのはそう名乗った。

 影宮といえばあの三人目が入院してる病院じゃなかったろうか。

「でさ、ここだけの話いじめ反逆事件、荒島、君だろ?」

 小声で爆弾発言。近所の総合私立病院は影宮であってたらしい。

「君、実はいいやつ?」

 こいつバカなんじゃないだろうか。

「いいヤツなら名乗りでるだろ、ストレス解消にありがたく使わせてもらっただけだ」

 なんで通報しないんだ。する必要がないからだろうか。

「あいつ退院したよ。明日には学校に来る。で、サンドバックがいなくなった腹いせを君にする」

 コイツの意図が全くわからない。

「それ俺に伝えてどうすんだ?」

「他クラスの問題に口出しする気はなかったけどこのクラスに類が及ぶなら話は別だ。学級委員を頼っていいんだぜ?

つー訳で今日僕のところに泊まってきなよ」

「お前学級委員だったのか」

「どんだけ周りに興味ないのさ」

 丁重にお断りする。一日二日泊まったり行き帰り守ってもらった程度でそういう執念はどうにもならない。

 翌日の朝に案の定俺は囲まれた。

「要件はわかってるな? 荒じ――」

 俺の苗字荒島を言いかけて、ふっ飛ばされた。

 大吾のバカが竹刀持ってる。こいつ何しにきたんだ。

「知ってると思うけど僕は近所の剣道場に通ってる」

 初耳なんだが、竹刀持ってるってことは事実なんだろう。

「レンガとこれどっちがマシかな?」

 残り二人がふっとばされたヤツおいて逃げ出した。あまりの超展開に脳がついて行かない。

「君を先生や警察にチクろうなんて思わない、ああいう連中だって僕が追い払おう、君がまた以前のように塞ぎこむくらいなら僕に相談してほしい」

 何言い出す気なんだ? なんだか気持ち悪いぞコイツ。

「だから僕に勉強を教えてくれ」

 …………こんどこそ思考が完全に停止した。

「最近のイキイキし始めた君なら聞いてくれると思ったんだが……だめかい?」

「クッ……アッハッハッハハハハ」

「な、なんで笑うんだよ荒島」

 コイツ意味わからん。が、悪い気はしない。

 聞けば病院を継げと煩い父を振りきり剣道に集中するために寮制の学校へ行きたいのだとか。

 家族がうっとおしいから寮制へ行きたい。思わぬ所で同志を得た。

 

 ##

 なんて偶然だろう。成人してから探偵でも雇ってあの人を探す気でいたのに、あの人がここにいる。

 十五歳を過ぎて、中高一貫寮制の学校で高等部からの中途入学に合格した。

 振り分けられたクラスには白い頭のあの人がいた。そういえば最初の授業の全員の自己紹介で初めてあの人の名前を聞いた。荒島異端。

 異端……世間に馴染めずイライラを募らせていたあの人にピッタリの名前だった筈なのに……。何故かあの人は全然イライラしていない。

「大吾くん?」

「どうした異端、嫌に他人行儀じゃないか」

「俺の弁当箱がカラなんだが?」

「また腕を上げたね!!」

 腹立たしいことにそいつは親指をグッとして即座に背を向け逃走した。

「待てやコラ弁当ドロボー!!」

 どうやら体力に大きな隔たりがあるようで全く追いつけそうにない。

 異端って体力ないんだ……。

 そんなことより大吾って言ったっけ……アイツのせいかな。異端が普通の人になっている。

 大吾が後ろを振り向きコインを投げた。

「五百円あれば足りるよね?」

「その前に一発殴らせろやぁ!!」

 結局追っかけっこは昼休みを半分消費した。で、二人で学食に向かってった。異端は息も絶え絶えに大吾に背負われていた。

 クラスのみんなはその様子を微笑ましいものでも見るように見ていた。中等部の頃からの名物コンビらしい。

「やっぱ体力差と性格から異端くん誘い受けかな?」

「あ~大吾くん優しいから強気になれない分ベッドで仕返しかー」

 なんか怖い会話が聞こえた気がする。あの人達とは距離を置こう。

 貯めこむ不満がないのか言葉遣いと見た目以外はまるで別人になってしまったあの人。ただただ眺めた。どうすればいいのか検討もつかない。

 また別の日の昼休み。今日は異端の弁当箱は無事だったようで、一人で食べ始めていた。奴は購買へパンを買いに行ったようだけど、異端は戻るのを待ったりしない。そんなマイペースさにところどころ昔の面影を感じる。

「箸、進んでないね?」

 前の座席からするはずのない声。その席の主は今日は学食でラーメンを食べているはずだ。

「いつも眺めてるけど、眺めるだけでいいのかい? アイツ良い奴だから横から攫われちゃうぜ?」

 聞き捨てならないセリフだ。前に顔を向けると大吾がいた。

「なんのようですか?」

「ちょっとした確認かな。自意識過剰かもしれないけどジロジロ眺められていい気はしないからね、僕と彼のどっちを眺めてるのかってとこ」

「もうわかってるんでしょう?」

「ああ、アイツに春がくるのはいいことだと思うよ」

 白々しい上に見当違いだ。私はあの人の恋人になりたいわけじゃない。

 けれど、話すきっかけというか、距離を縮めるにはいいかもしれない。

 

 ##

 結局、大吾のバカはスポーツ特待で今の学校に受かった。俺の努力はなんだったんだか……。人に教えると効率が良くなるようで俺は予定より早く特待が狙える学力を手に入れた。中学からは二人揃ってイカれた家庭から脱出なわけだ。

 勉強に集中して家事をやめた頃の食費等を鑑みて、寮に入ってから自炊を再開した。大失敗だった。

「出て行け」

「え!? まだどんぶり二杯しか食べてないよ!?」

 まず、この部屋で朝飯食うのが当たり前と思うんじゃねえ。最大限の皮肉を込め、コイツの主菜は焼鮭だ。

「うん、塩味美味しい」

 俺が焼き魚を嫌う理由を知らないコイツには嫌味にもならなかった。

「こんなに美味しいのにどうして異端はわざわざ目玉焼き?」

「食いながらしゃべるな、この無神経」

 口の中のものを飲み込んだようでまた何か喋ろうとするので先に一言言ってやる。

「朝練いいのか?」

 一瞬時計を見てから、

「どわあああ!!」

 毎朝毎朝なんでこんなに叫べるかね。

 朝早くに登校するのは俺も同じだ。朝っぱらから教室の掃除したりすると内申にいい。

 進学してからのほうが体力的にきつい生活を送っているが、気だるさをあまり感じない。昔は一日に何度もシャワーを浴びたくなったが、今は一日一度の入浴で済ませている。生活圏内に嫌な臭いが漂わないのも助かる。

 進学してから良い事づくめだ。潔癖症呼ばわりされることもなくなった。フードを被らなくても気にならなくなった。そもそも制服なのでフードなんか被れない。

 中等部は平和に過ぎた。

 体育祭は散々だった。五段階評価で二の俺をリレーに出すって勝つ気ないんだろうか? 高等部に上がってからも体育祭はあるんだよな……畜生。

 文化祭は思い出したくない。ヘンゼルとグレーテルの魔女をやらされた。

 よくよく考えればだいぶ学生というか青春を満喫してるような気がする。

 高等部からは大学受験に向けて本腰入れるか。

 

 ##

 六月になった。雨よりも空気のジメジメが気に障る季節。あの日もジメジメした空気の中血の匂いに包まれていたな。

 最近異端が放課後の掃除の班分けに関わらず掃除をするようになった。教室の汚れが気に障るみたい。弁当箱も食べ終わったらすぐに洗うようになった。歯軋りが増えた。爪切りを持ち歩くようになった。掃除の時使い捨てのゴム手袋を使うようになった。

 そして何より目つきがあの頃に近くなった。大吾は異端を心配しているけれどお門違いだ。異端はああいう表情の方がいい。

 手紙を下駄箱に入れておいた。教室でも少し騒ぎになってしまった。付き纏われるのを面倒に思って必ず断りに来るはず。待ち合わせは放課後に学食の裏。

 ほら、来た……。

「チッ、気持ちわりぃ……」

 私の顔を見るなり小声でそういった。不快感と不機嫌を隠そうともしない。その圧倒的な悪意にゾクゾクする。

「何の用だ?」

「エレナ・アグリィーといいます。あなたが欲しいんです、付き合ってくだ――」

「断る。そういうのに興味はない」

 そう言うと思った。中学の時一度そうやって断ってるのも知ってる。

「はっきりと断ったからな」

 口元に手をやりながら確認するようにそう言った。一刻も早くここから立ち去りたいんだろう。相変わらず臆病で儚い人だ。

 返事を待たずに立ち去ってしまう。何もかも予定通り。その背中にスタンガンを押し当てた。

 

 ##

 高等部に入ってからどうにも調子が悪い。

 自意識過剰かとは思ったが視線を感じる。舐めるような不快な視線。冷や汗が滲みシャワーが恋しくなる。その視線が誰なのかわからない。どこからなのかもわからない。

 あいつには相談できない。あいつは羨ましいなどと笑うだろうから。不快で不安で、イライラする。

「異端、掃除ばかりしていていいのかい、寮の部屋に戻って勉強しないと」

「ああ、そうだな……」

 気がつくと床の小さな汚れを雑巾で拭いていた。わざわざ床用と窓用と台拭きまで掃除用具箱に分けられている。中等部の頃は布は布として共用していたはずだ。何かがおかしい。

 ついでに部活を終えた大吾が寮に向かわず教室にいることもおかしい。

 夜、魘されて目が覚める。家族の夢じゃない。夢に出ればあれも悪夢だな。内容はよくわからない。具体的にできない、文章化できない。目が覚めたらまず台所に向かう。吐く。

「異端、それ醤油だよ」

「げ……」

 俺は目玉焼きにはソース派だ。何故なら醤油は食パンにあわない。ソースを少しかけて食パンに乗せて食う。

 ぼんやりしている間に醤油は皿に注がれる。醤油差しの中身が半分になってしまった。

 大吾に指摘された時には手遅れだった。苦虫を噛み潰すような心地で朝食を終える。大吾の朝練がないため、俺自身出る時間を読み違えた。少し遅い、朝の掃除をする時間はないだろう。

 梅雨の季節だ。カビが増え、洗濯物は乾かず、憂鬱極まりない季節。ジューン・ブライドに憧れる少女漫画に毒された連中はさっさと家事をする立場になってこの季節を噛み締めて欲しいものだ。

 下駄箱に手紙が入っている。古風で奇特な奴だ。ハートのシールで封がされている。今すぐ破り捨てたい。内容は簡素で放課後学食裏でとのみある。真っ黄色の便箋にボールペンで書かれた特徴の無い字。用はなんだよ。内容は確認した、捨てよう。ゴミ箱に入れる直前後ろから頭を叩かれた。

「何考えてんの」

 大吾だった。

「内容は確認したし、こんな恥ずかしい色の紙、メモにも使えない」

「人の気持ちがこもってるんだよ?」

「おそらく気持ちは待ち合わせ場所で判明する」

 手紙を見せてやる。微妙な表情だ。これは確かにコメントしづらいだろう。

「今度こそ異端に春がくるのかな」

「春ならお前の頭で年中間に合ってる」

「ナチュラルにひどくないか?」

「お前にタカられてるメシ代はもっとひどい」

 軽口を叩き合いながら教室へ向かう。教室に一歩入った瞬間からあの視線を感じる。

 教室には既にだいぶ集まっており、今日は遅かったな、と声をかけられる。適当に応対しながら席につく。視線に苛立ちながら時間がすぎるのを待つ。

「異端、君はすごく良い奴だと思う」

 俺の顔を覗き込みながら妙に真剣な顔で言う。

「唐突にどうした」

「家事や料理が上手なのはきっと気遣いができるからだと思うし、勉強を教えるのもうまいのを僕は知ってる。いつも教室を清潔に保ってくれるし、成績のために努力だってしてる」

「腐ったものを食わせた覚えはないぞ、拾い食いでもしたか?」

 真面目に心配だ、どうしたコイツ。

「だからさ、もっと笑えよ。君のような奴が悪い人生送るはずないし、世間ってそういうものだと僕は思いたい」

「あ、おう……」

 どうにも対応に困る。教室の端の方で女子が二人卒倒したがあの二人はいつものことなので誰も気にしない。なら俺が気にする。

「おい、保健委員。あの二人どうにかしとけよ」

 よし、話題逸れたな。

「だからそのラブレターの主はきっと幸せだろうなぁ。こんな理想的な主夫そういないぜ?」

 コイツは教室のど真ん中で何を言い出す。

「前々から思ってたが実はお前俺で遊んでるだろ」

 教室中が騒ぎになり質問攻めに合う寸前でホームルーム。

 助かった。質問されても答えられる事が何もない。手紙がシンプルすぎるうえラブレターと確定したわけでもない。

 放課後になると俺は教室を追い出された。待ち合わせ場所には元から行く気だからまず掃除をさせろ。おい、掃除させろ。

 待ち合わせ場所には金髪ロングの女がいた。同じクラスの奴だ。一言も話したことがなく、コイツと接点はない。名前だって覚えてない。教室以外で見かけた覚えもない。

 だが、目を見た瞬間、口を吐いて出た。

「チッ、気持ちわりぃ……」

 理解した。コイツだ。この視線だ。吐き気がして、魘されて、潔癖症まで再発しかけたのは全部コイツのせいだ。

 今すぐにでも背を向けて逃げ出したい。

「何の用だ?」

「エレナ・アグリィーといいます。あなたが欲しいんです、付き合ってくだ――」

 即答。コイツだけはゴメンだ。

「断る。そういうのに興味はない」

 吐き気すら感じる。口元を押さえる。まだ食道で止まってる。

「はっきりと断ったからな」

 一刻も早くここから離れよう。しっかりと告げ、返事も待たず背を向けた。

 突然、衝撃が全身を襲った。

 

 ##

 あの人はまだ目を覚まさない。覚ました所で何もできないけど。

 縄跳びが二本あれば人はベッドに括れる。まず手は一つに縛ってから柱に固定する。脚は開かせてそれぞれの柱に固定する。膝を曲げる余裕は与えない。肘を曲げる余裕も与えない。当然服は全部脱がせる。

 準備は終わったのだから起きてもらおう。この人が嫌う物はわかっている。

 とりあえずまずへそを舐めた。

「う……あぁ!?」

 目が覚めた。この人は体液が嫌い。肉体的な拷問は使えない。健康で五体満足でなきゃ人殺しなんてできない。

 おへそはなかなか美味しかった。次は……顔。

「何の真似だ?」

「怒る?」

「怒らない奴がいると思うか?」

「まだたりない」

 もっと理不尽にもっと汚く……。ストレスを。

 

 ##

 あれから何日だろう? この部屋には時計もないし奴は学校以外でもこの部屋を長時間空ける。顔中が汚い、シャワーを浴びたい。シシャモ、ユッケ、キス、タラ……焼き魚ばかり食わされる。ギャグ漫画じみた責めだが本当にきつい。

 目的も終わりも見えない。何しろ何も言わない。色々なことをして俺の表情を見てはただまだ足りないまだ足りないそう呟く。ここまでイカレた真似をして何が足りないのか。

 憎い……あの女が憎い。体中を舐められ、カエルに体を這いずられ、バケツ一杯のゴキブリをぶちまけられる。

 吐き気がこみ上げる。吐く訳にはいかない。仰向けのまま吐けば窒息する。

 汚物は口から出るものも下から出るものも垂れ流しを強要される。唾液を拭き取りたい。風呂に入りたい。何よりこの部屋は埃っぽくて汚い。臭い、臭い、臭い。

 叫ぼうが喚こうが状況は変わらない。

 

 ##

 実は縄跳びには小さな切れ目を入れてある。ご飯には薬を盛ってある。感覚を鋭敏化させる薬。不快感は増すし、逆に何もない時間は鋭敏な感覚が時間を引き伸ばす。

 性的なことが嫌いなのも知ってた。異端の指の上に跨った。

 キモチヨカッタ。

 一応下半身も口に含んだけど何も変わらない。不能だったみたい。肉体や健康状態はまだ問題ないし、体質やホルモンバランスも問題ない。原因はトラウマ。

 舐めてるだけでこの人の不快指数の上昇には役立つから定期的に継続。出来れば童貞も奪っておきたかった。

 まだかな……まだ足りないのかな?

 私はその時を請い願う。後もう少し、後もう少しであの人が帰ってくる。あの時の異端が帰ってくるんだ。

 その顰めた顔が狂気に満ちた笑顔に変わる時が待ち遠しい。何もない時間。待ち遠しい時間とはなんと長いのだろう。あの人もきっとこんな気分なんだろう。私よりももっともっと待ち遠しいのだろう。

 唾液と愛液と汚物に塗れたこの人を腕が痺れるほど抱きしめる。

 

 ##

 藻掻く、足掻く。最近物事を言語で考えていない。深く物事を考えられない。

 逃げなければならない。逃げなければならない。

 汚い、臭い、憎い、汚い、臭い、憎い。

 ぶちり。

 手が、動いた。

「ァハ? ヒヒッ!」

 足も、動く。ベッドの上に立つ。見えなかった床が見える。様々な鈍器が置かれていた。金槌や金属バット木製バット、レンガもある。

 ドアが開く。奴が俺を見た。

「おかえりなさい」

 意識が爆発した。

 足元にあったものをとりあえず握り、振り下ろす。

「「あああああああああ」」

 叫ぶ、号ぶ、泣く、哭く、笑う、嗤う、歌う、詠う、踊る、躍る、壊す、毀す……。

 体が遅い。音が遅い。何もかもが遅い。

 腕が痺れる。腕が止まらない。心臓が手首にあるんじゃないかと思うぐらい脈を打つ。いや心臓があるのは頭だ。こんなにも鼓動を感じる。血が雪崩れ込んでくるのを感じる。

 逃げなければ、それに思い当たるまで時間が必要だった。

 疲労で動けず息を切らせながら、倒れこんだ体を無理やり引きずるように動いた。ドアノブに手をかけるために立たなければならない。

 外は雨が降っていた。

 ありとあらゆる汚物が流されてゆく。だが、雨ごときで足りるはずがない。

 シャワーを浴びたい。体を洗いたい。いっそ皮膚を張り替えてしまいたい。

 ここはどこだろう。学園の寮だ。俺の部屋はどこだ……。

 部屋に辿り着いた。シャワーのバルブを回す。体を洗う気力はない。眠い……。

 

 ##

 痛い、殴られたすべての場所が心臓のように脈を打つ。今私は全身が脈打っている。全身が一つの心臓なのか全身に心臓が増えたのか。

 ただ言えるのは、幸せだったこと。そして失敗したこと。

 あの人にはどれほどの時に感じられただろう。日にちの感覚など擦り切れてしまっただろう。

 けれど、たったの五日じゃあ足りなかった。切れ目も、もう少し小さめにして縄が解けるのを遅くするべきだった。薬ももっと多く盛るべきだった。

 私はまだ生きている。とりあえず顔に包帯巻いて病院行こう。階段から落ちたって言えばいいや。

 

 ##

 目が覚める。体は動く。体を洗う。

 ちゃぶ台の上に畳まれた制服と鞄があった。デジタルの目覚まし時計が日曜日を告げていた。

 あれから六日経っていた。あれほどの時間が過ぎたのにたったそれだけ。風呂場でシャワーをどれだけ出しっぱなしだったか覚えていない。おそらく五日程度あの部屋にいた。

 月曜日に学校へ行くと包帯を巻いた女が俺の席に座っていた。今から掃除するはずの床へゲロをぶちまけた。

 意識が遠のく中で、やはり俺は殺さずにすんだことに安堵した。

 




 この小説汚い。自分でもそう思う。
 監禁中はだいぶキング・クリムゾンしました。でないとこの話十八禁になっちゃうんで。大学生の新入生歓迎冊子だから十八歳以上しか読まないらしいけど部の方針だから仕方ないね。
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