大学部誌の保管庫   作:三樹知久

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理想のシチュは何ですか?


浴衣美人と花見をする話

 

 夜中に腹を空かせた時のコンビニの存在はありがたいものだ。いい時代だ。

 腹が減ったからコンビニへ向かったはずなのにいざ店に入ると目移りするもので、気付けば籠にビール数本とチーズ鱈を入れたまま立ち読みをしている自分に呆れる。せめて夜食も入れておこう。カップ焼きそばでいいか。

 立ち読みでだいぶ時間を使ったのか、午前二時の道では街灯に照らされる吐息が白い。熱くなったり涼しくなったり嵐が来たりとろくでもない季節が終わるとあっという間に冷え込む。けれども世間は未だに秋を主張し、雪やクリスマスがCMに出るのはもう少し先だ。

 途中で公園を通り過ぎる。子供の頃御近所で花見をしたこの公園も遊ぶ子供がいなくなって寂しい場所になった。桜の木も花を付けなくなったので花見ももうやらない。枯れかけているのではなく枯れている。朽ちるのを待つだけで、虫も寄らない木。吸い上げる命は欠片もない。そんな枯れ木だ。子供の頃にはあれだけ大きな樹に見えたのに、枝が落ち幹も削れたそれは、自分の身よりは大きいがそれだけだった。

 枯れ木の横を通り過ぎるとき、何かが視界にちらついた。

 ひらひらくるくると、回りながら落ちる花弁。

 それは、壮観な光景だった。枝も幹もぼろぼろで朽ちるのを待つだけの枯れ木に付く、黒い花。夜の暗さで黒く見えるわけではない、街頭に照らされたそれは間違いなく黒い。

 風に巻き上げられるように黒い花びらが舞う。

「あたたかいですね、この寒さにはありがたいです」

 不意に、後ろから手を掴まれた。

 瞬間、壮観で不可思議だった光景が悍ましいものに見えた。

 色も形も何一つ変わっていないのに、何故こんなにも恐ろしいのだろう。

 決まっている、後ろだ。後ろの声だ。

「満開ですよね。咲くときはいつもこうです、八分咲きも九分咲きもありません。私の自慢です」

 とても穏やかで親しみを感じる声なのに、怖くて仕方がない。

 何故コイツは、この光景を自慢する。

 この光景が自分の物であるかのような、自慢話。

 手を引かれ、向き直る。後ろにいたのは女だった。

 腰より下の後ろ髪。色は黒い。瞑目したままの顔。季節外れの水色の浴衣。

 立ち姿は美しいが、その全てが違和感に満ちている。

 ただただ、悍ましい。

「指のような小枝が折れ落ちて、腕のような大枝ばかりが残ってますよね」

 女はまだこの木の話を語りたりないようで、にこやかに口を開く。

「太く尖って、落ちてきたら恐ろしいですね」

 そんな現実的な危険より、目の前にいる幻想が怖い。

「とても恐ろしいんです、とても痛いんです」

 突然女が吐いた。血の匂いが撒き散らされるが、その黒くて粘性のある液体が血であるはずがない。腹にもいつの間にか向こう側が見通せるような穴がぽっかりと開いていた。

「肥料あげ……たり、樹に効……く薬を買ってきた……り、頑張ってた……んですけ……どね」

 閉じられていた目を見開き、黒を吐き出しながらも全く笑顔を崩さないまま、恍惚とした目で語り続ける。

「見てください、この綺麗な華」

 目からも黒が垂れ流され始める。

 むせ返るような血の香りが花の匂いをかき消してゆく。

 握られたままの手が痛くなってきた。節くれだった枝で手指を挟まれているように痛い。

 腕を強く引かれ、体制を崩される。そのまま強く抱締められた。

 この女の体中から血の匂いがする。

「ねえ、私の桜、自慢なんです。綺麗でしょう?」

 耳元で水音の混じった声で囁かれる。

 ごぽりどぷりと重い水音は絶えない。

 抱き締める力が強くなる。骨が軋み、肉が圧される。

 痛い。とても痛い。

 ばきりと音がした。骨の音じゃない。上だ。上からした。

「でも、もっと綺麗になって欲しいんです」

 痛みに喘ぎながら、上を見る。

 太い枯れ枝の先が、剣の切っ先のようにこちらを向いていた。

 もう一度ばきりと音がして、右眼に激痛を感じて、すぐに左目も見えなくなった。

 痛みも血の匂いも恐怖ももうなかった。




 命が命を貪るさまは美しい。小学生の頃枯れかけた樹の下に生い茂る雑草を見てそう思った。
 命が上から下へ流れているように見えて、写生大会では毎年それを描いた。生まれながらに絵が致命的に下手だった私は毎度毎度それが何を描いたものかは理解してもらえませんでした。
 冬虫夏草がセミの長い幼虫時代を台無しにする、コマユバチが青虫を食い破り青虫が蛹になるために使われるはずの糸を横取りして蛹になる、ネコ科の大型肉食獣の獲物に向かって疾駆する筋肉と骨格の躍動、喉笛を噛み裂かれたシマウマの虚ろな目、動物番組で見たシャチに襲われたペンギンの皮だけで水中を漂う残骸。
 この青い星に蠢く有象無象のなんと美しいことか。決してそれは輝いてなんかいませんし仲良しこよしでもありません。
 けれど、美しいではありませんか。
 逆に、命のない物が命を貪るさまは喩えようもなく悍ましい。
 ゾンビ映画、機械の反乱を描いたSFでの犠牲者達、幽霊に祟られる者の怯える顔。
 命が生きるためでなく私利私欲が命を貪るさまは喩えようもなく汚らわしい。
 テロ、汚職から生まれた悲惨な事故、殺人事件、スナッフムービー。
 けれど私は、美しさからも、悍ましさからも、汚らしさからも、目が離せない節操のない人間なのです。
 枯れ木もまた、命のないものです。けれども書いていて愉しかったです。
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