もっと旨く表現が出来る様にしないと
凍てついた楽園は動き出す
冷たい雨だった。
一度ひとたび濡れれば骨の髄まで痛みを感じる凍てついた雨。まるで、氷の結晶が雫の形のそのままに降ってきた。
そんな雨だ。
建物の屋上を抉るような勢いで打ち付ける天の涙。周囲に木霊こだまする水の爆音は、雨音の
どれだけ降り続いていただろう。
はるか天上からの雨量はかつてない記録を弾き出し、その勢いは今もなお、衰える気配を見せなかった。
ぴちゃっ・・・
夜の帳が降りた薄暗い路面に、小さな小さな波紋が生まれた。
それは、一人の少年だった。
夜光灯の輝きに紫に近い鳶色の髪と水晶のような薄い蒼色の髪が光を反射する。
「・・っ・っぅ・・・・っッ」
少年は悶え苦しむような、声にならない嗚咽おえつを洩もらし、凍てつく雨の中を這いながら進んでいく。何らかの儀礼衣と思われるコートは大部分がボロボロに崩れ、その大穴からは少年の血塗れの肌が痛々しくのぞいていた。
じゅっ。
何かが焼け焦げる音が雨に混ざる。少年が這い進んでいく路面で、その進んだ後が、まるで強力な酸を浴びたかのように溶けていたのだ。
それを示すかのように、少年の身体をうっすらと覆う濃紫色の霧。それはまるで、その身体がなにか不可解なものに取り憑かれ、呪われているかのようだった。
「・っ・・ぁ・・」
常人ならまず生死を疑う状況で、それでも少年は何処かを目指して進んでいた。
半死人のような状態で、身体を数センチずつ前へと進めて行く。
その先に設置された公共の無人休息所。
身を切り裂くように冷たい氷雨も、そこまでたどり着けば凌ぐこともできるだろう。止まる様子のない出血も、とにかくそこで手当てしなければならない。
五メートル、四メートル、三メートル。
少年は、とうとう頭から路面の水溜まりへと倒れこんだ。
休息所の扉にも手が届くけれど、多量の出血に加えて無数の雨が彼の体力を削り切っていた。
少年は倒れ伏し、身動き一つしない。
彼のおびただしい出血が雨に流れ、少年の顔はうつ伏せのままに泥水の中へ。
泥水それを拭うことすらせず、少年は倒れたまま動かない。否、動けなかった。全身からの大量の出血と凍てつく雨がもはやそれ以上前へ進むことを許さなかったから。
ちゃぷん。
薄暗い路面に、再び小さな波紋が生まれた。
公道を照らす街灯の下、ぼんやりと人影が浮かび上がる。
「・・・・・」
その足音に、倒れていた少年がかすかに顔を持ち上げた。
凍える夜の下、身体のラインがわかるほど密着した法衣を纏う人影。
街灯の微弱な明かりゆえ顔までは確認できない。しかし、法衣を内側から持ち上げるように浮かび上がる
「ようこそ、浮遊大陸オービエ・クレアへ」
艶やかな
若い女性。その声音から受ける印象は二十代前半、あるいは中頃といったところだろう。
「お前を待っていた。お前がここに戻ってくるを、そうだな。まるで死んだあいつを待つような心境だった。まあ、本当にあいつならこんな気持ちではなかったと思うがな」
神秘的な光景。
凍てつく雨が、女性の体に触れる寸前でキラキラと輝きながら弾かれていた。
まるで、透明な光の壁が、彼女と雨とを隔てて存在しているかのように。
「・・・・・」
目の前の女性を、焦点の合わない瞳で少年が見上げる。
「ふ、もはや答えるだけの体力すら残ってないか」
女性が少年と少女に向かって手を差し伸べる。その瞬間。
ヂヂ・・ヂッ!
突如、雷光を思わせる青白い火花と、火花を飲み込む形で闇を想起させる紫黒の影が瞬間だけ実体化した。
「っ!?」
女性が反射的に手を遠ざける。だが、その指先には既に、ごくうっすらと火傷のような痕ができていた。
それを見て──
「・・・上出来だ」
闇夜の中、その女性が小さく笑った。
「
少年の身体から立ち上る奇妙な黒煙。それを愛おしげに眺め、女性は再び彼に向けて手を差し伸べた。
少年がビクッと身をすくませる。その様子に女性は苦笑を隠そうともしなかった。
「本能的に拒絶を恐れる――正しい反応だ。もっとも、今に限ってはその心配もないぞ。わたしの側で小細工をした。私とお前が接触しても今だけは反発の危険もない。それは、つまり、もしもお前がわたしに敵意を抱けば、わたしは一切抵抗ができないという意味でもあるがな」
「・・・」
倒れたまま少年が少女を見上げる。
鈍く輝く蒼色の双眸で、何かを訴えるように。
「なるほど、今のはわたしも少々無粋が過ぎたらしい。そうだったな。お前はただ、彼女に会うために戻ってきたのだったな」
少年の眼差しを受け、女性が初めて表情を和らげた。
自宅に戻ってきた子供を迎える母親のような、微笑にも近い優しげな笑みへと。
「わたしが聞きたいのはただ一つだけ。お前は穢歌の庭の何層まで堕ちた?第五鏡面か、第六鏡面か。それとも、最深部に流れる『あの歌』を聴くことができたのか?」
その問いかけに、今まで沈黙していた少年と弱々しく口を開く、
しかし声にするだけの力はなく、半開きの少年の口からは掠れた声が洩れただけ。
「答えたくてもその体力がないか。まあそれはそれで構わない、遠からず自然とわかることだ」
女性は、夜の暗がりの中でも目につく艶やかな黒髪を手で梳き。
「わたしの名はツァリ。だがここで覚える必要はない。いずれまた、嫌でもわたしの名を聞く時が訪れる。だからこそ今は──あらためてお前を歓迎しよう」
そして、深い琥珀色の瞳に輝きを灯し、ツァリと名乗る女性は少年の手を握りしめた。
「ようこそ。
その夜、浮遊大陸オービエ・クレアは、観測史上稀に見る豪雨を記録した。
ここまで来るのに時間掛けすぎぃ!!(どうみても作者のやる気次第)