それでも彼女を愛してる   作:トクサン

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遭遇

 

 愛車がこれ程遅く感じた事は無い。

雫の通っている高校に到着したのはマンションを出てから五分程経過した後だった。幸いにして高校はマンションがある場所からそれ程遠くは無い、時折学校帰りに雫がマンションンに来れる距離だと言えばそれなりに近場である事が分かる。

 高校の表門は閉ざされており、俺は校門前でバイクを降りるとキーを抜き校門の柵をよじ登った。傍から見ると犯罪者だな、そう思いながらも行動を止める事は無い。途中、車一台ともすれ違わず、歩行者も見かけなかった。そして校内も異様な静けさに包まれている、常識では考えられない何かが起こっている、そう直感していた。

 柵を乗り越えて着地、その後は昇降口まで走る。良く見ると昇降口付近の硝子が一枚割られており、近くには血痕も見えた、その血痕は中まで点々と続いている。誰かが侵入したのだ、雫の話によると狂犬病の患者と言う事だが‥‥。

 胸に一抹の不安を感じながら俺は足を進める、パリッと足元の硝子が音を立てて、それからゆっくりと校内に入り込んだ。

「‥‥‥雫?」

 声を上げて、雫を呼ぶ。

 しかし、答えは帰ってこない。

「雫」

 今度は少し大きな声を上げたが廊下に自分の声が反響するだけで雫からの返事は無かった、まさか既に感染したのでは無いか。

 嫌な予感が頭を過るが首を振って掻き消し、雫のクラスである三年四組へと駆ける。場所までは把握していなかったので一階の案内掲示板で学内の地図を覚え、三階へと向かった。

階段を上る音だけが耳に響き、嫌な静けさに産毛が逆立つ。一歩一歩慎重に足を進めているとふと自分に影が降りてきた事に気付く。見れば階段の踊り場に一人の男が立っていた。男はどこか体調が悪いのか、ふらふらと体を左右に揺すっている。その不気味な動作に嫌な予感がした。手の中にあるバッドの感触を確かめながら、唾を飲み込む。

「あの」

 ヘルメット越しの声は大分くぐもって聞こえた、しかしそれでも相手には聞こえた筈だ。その音はゆっくりと、酷く緩慢な動作でこちらを向き。

 俺は体が硬直した。

 男の顔は、酷いモノだった。

 白目を剥いた瞳、痙攣して引き攣った頬に口元、泡を吹きながら舌がだらんと口外に出ている。小刻みに震える体は麻薬中毒者を連想させ、その姿は異様の一言に尽きた。

 感染者だ、一目で分かった。

 男は震える体を俺に向け、首を何度か傾げた後に一歩踏み出した。無論、踊り場に居た男は虚空に一歩を踏み出す事になる、階段を踏み外した男はそのまま勢い良く階段を転がって来た。

「う‥‥ぉっ」

 思わず後ろに飛び退き男から距離を取る、階段を転げ落ちた男は俺の数段上で停止し、もぞもぞと動いていた。その瞳がぐりん、と動き俺を捉える。俺は自分の手が震えている事に気付いた、コイツは正気じゃない。脱力しきった表情、正に狂人と表現して良いその姿は生理的悪寒を覚える。

 バッドを握る手に力が入り、自分でも知らぬ内にバッドを振り上げていた。このまま振り下ろせばコイツは死ぬかもしれない、そう頭の中に囁く自分が居たが男が唐突に機敏な動きとなり、俺に飛び掛かってくる。その瞬間、善悪や忌諱感と言う概念は無くなり、文字通り無心でバッドを振り下ろした。

 ガツンと、人を殴ったとは思えない様な音が鳴り響く。振り下ろしたバッドは襲い掛かってきた男の頭部に当たり、鈍い音と強い衝撃を俺の手元に与えた。男の首がガクンと下がり叩き付けられるように地面に倒れ伏す。

「あぁぁああァッ!」

何か訳の分からぬ叫び、男が口元から唾液を撒き散らした。当たった、直撃した、確かな感触を手元に感じた、バッドには僅かに血が付着している。俺は目の前の男を殴り倒したのだ。何とも言えぬ不快感が自分を支配する。目線を落とせば痛みからか、男は頭を抱えて悶絶していた。殺すべきか、そんな疑問が頭を過る。だが僅かに震える手を見て俺は男の横を無言で駆けた、そのまま階段を駆け上がり三階へと向かう。人を殺す事を俺は躊躇った。

「雫!」

 三階に上がって直ぐに声を上げる、腹から絞り出した声は静謐な廊下に響き渡った。しかし、待てども聞こえてくるのは小さなうめき声、それから僅かにモノを引き摺る様な音だけ。雫が出てくる様子は無かった。

 一体、何処に居るんだ。

 バッドを強く握りしめ雫のクラスを探して駆ける。ブーツが床を叩く音が木霊し、ふと曲がり角で人影が見えた。先程の事もあり足を止めてバッドを構えると、やはり。

「‥‥‥どうなってるんだよ」

 現れたのは凡そ人間とは思えない、顔の半分が食い千切られた様な、歯型を残す(おぞ)ましい顔をした女だった。恐らく教師だったのだろう、OLらしいスーツの半分は無残にも裂けている。そこから慎ましい乳房が見え隠れてしていたが、その先端はごっそりと抉れていた。

もう、これは、人間とは呼べない。

「あぁァ‥‥?」

 女の左右に忙しなく動く眼球が俺に焦点を合わせる。その瞬間、女は既に半分顔が無いと言うのに、にっこりと笑った。

「っ‥!」

 ぞくりと、本野的な恐怖を感じた。本能の警告とでも言うのだろうか、その警告の通り女は俊敏な動きで俺へと襲い掛かってきた。モーションは人間の走りそのものだが手足を出鱈目に振り回し、だと言うのに動く速度はバカみたいに早い。嘘だろ、そう口にする事も出来ずに突っ込んできた女と真正面から衝突した。

咄嗟に突き出したバッドと女がぶつかる。その拍子に女性の力とは思えない程の怪力で押し倒された、膝が俺の腹部に直撃し思わず呻く。背中から床に倒れ込んだ俺は思考の片隅で「あり得ない」と叫んでいた、体格の違いは歴然だと言うのに力負けしたのだ。突き出したバッドを挟んで女と対峙し、女の爪先が何度もヘルメットの表面を掻く。ヘルメット越しに女の血走った目が見え、人間の(かつ)て見た事の無い姿に根源的な恐怖を感じた。口元から垂れる唾液がぽたぽたと視界に垂れ(ゆが)みを作る、明確な危機、まるで猛獣に襲われているかの緊張感。口の中がカラカラに乾き、女性の口から死と言う概念が噴き出して、自分の顔面を覆う。

このままじゃ死ぬ、徐々に顔を近づけ俺を押し潰さんと襲い掛かる女の怪力に、そう思ってしまった。

先程よりも人間味の薄い感染者、俺の中で何かカチリと意識が切り替わる感覚がした。どこか薄い窓ガラス越しに世界を見て居る様な、或はゲームの操作キャラクターとして生まれ変わったの様な。こんな現実感の無い状況のせいだろうか、どこか他人事の様に俺は感じた。

一瞬バッドの力を弱めると、女はここぞとばかりに俺へと牙を剥いた。大きく開けた口に唾液が飛ぶ。その瞬間、俺は全力で女目掛けて頭突きを繰り出した。

ゴッ、と鈍い音が額の辺りから聞こえ、女の短い悲鳴が耳に届く。次いでバッドを横薙ぎに振るった、丁度良くバッドの先端が女の顔に直撃し思わず女が怯む、密着した状態で放った一撃だった為それ程力は込められていなかった。顔を抑える女の腹部目掛けて蹴りを入れ、女をひっくり返す。地面に倒れた瞬間に立ち上がり、その足目掛けてバッドを振り下ろした。バキン、と何か嫌な手ごたえと共に女の足が曲がった。折った、骨を折ったのだ。

 人間に暴力を加えていると言う感覚は無かった、何か、ゾンビ映画に出てくるモブとか、そういう世界の出来事に感じた。何度もバッドを振り下ろし女の顔面の造形をグチャグチャにしてしまう。横殴りにした瞬間に女の目玉が飛び出て、それ以降動かなくなった。

 殺したのだと理解した、だが恐ろしくは無かった。

「はぁ‥‥はぁ‥‥」

 体が熱を発してぼうっとした視界で世界を捉える、肩で息をすると濃い血の匂い、鉄の匂いがした。目の前に横たわる女性、その死体、殺人と言う二文字が俺の脳裏にこびり付くが息を吐き出して自分に言い聞かせる。これは殺人では無い、正当防衛、自分を守ったに過ぎない。何か正当化する理由が無いと、ここでバッドを取り落としそうだった。そのまま女の死体を過ぎ去り雫のクラスへと早足で進む。ふと手に持ったバッドを見ると、中央辺りが丁度凹んでおりベットリと血が付着していた。

 

 






 段々と人らしさを失っていくのと
 段々と人らしさを取り戻してくのと

 私は今だに悩んでおります
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