この廃都で生きた人間を見るのは久々だった。
「はぁッ、はぁッ!」
息を切らしながら走る女、所々解れながらもきちんと清潔な服を着ている辺り恐らく近辺の施設に潜伏している集団の一員だろう。女は長い髪を振り回しながら乗り捨てられた車が散乱する国道を疾走していた、その背後に感染者を連れて。
「ッ、このッ!」
女の背後から飛び掛かってきた片腕の無い感染者に、振り向き
「‥‥‥生存者か」
珍しい。
この世界で生きている人間を見るのは実に三カ月ぶり程か、最初こそ感染者より数の多かった生存者ではあるが今や絶滅危惧種であった。最低限の外出で事を済ませ、殆どは自分の要塞に引き籠っている人間、この廃都も同じく生存者同士がばったり出くわす事は殆ど無かった。
本来であれば生存者同士助け合うのがセオリーだろう、だが。
「資源は有限、雫の事もある、これは見捨てるのが吉か」
俺はオフィスのデスクに腰かけながらそう呟いた。武器はある、食料や水にも余裕がある、更には電気だって使える。けれど俺は自ら進んで生存者を助けたいとは思わない、貴重な弾薬、食料を赤の他人に分け与えられるほど俺は人間できていない。ホルスターに収められた銃器を手で確かめながら立ち上がる、最後に国道を走る女を一瞥して俺は部屋を出た。人間が襲われているのならばそろそろ周囲の感染者も音に気付き集まって来るだろう、感染者は人間を見つけると執拗なまでに追って来る。逃げる中で音を撒き散らし、その音を拾ってどんどん感染者が集まる。この悪循環から逃れられる者は多くない、運良く逃げ出せたとしても感染者の追手が居る存在を仲間は潜伏場所に入れないだろう。要するに詰みだ。雫の食糧は必要だが過ぎた数は害悪でしかない、
「まぁ、
感染者を屠る手段が無い時点で、それは儚い希望でしかないが。
「っ‥‥はぁっ、なんで、どうしてっ」
走る度に
廃れた倉庫で保存食を漁っている最中に落下した小さなランプ、段ボールの積まれた倉庫で音を出さぬ様に最大限の注意を払った私とは、何ら関係も無い場所で起きた偶然。隙間風でも吹いていたのか、或はどこからか振動でも伝わったのか。
一言で言ってしまえば、運が悪い。
「はぁはぁッ、こ、のぉッ!」
今の国道は既に放棄され、乗り捨てられた車やそれを苗床に
「ッ、嘘でしょっ」
背後を確認しながら走り続けていた私は、前方に視界を向けて呪詛を呟く。それは複数の感染者が前方より此方に向かって来ているから、一本道の国道では殆ど挟まれたと言っても良い。吐き出す息が冷たくなる、足から力が抜けて走る事をやめてしまいそうになる、けれど私は寸での所で堪えた。
― こんな所で、死んでたまるか
もはや意地だ、今日まで生きて来た私の矜持だ。
死んで行った仲間の為に、家族の為に、或は今の仲間達の為に。私が此処で倒れれば回収した保存食や飲み水を届ける事が出来なくなる、そうなれば拠点の仲間は飢餓に喘ぐ事だろう。
少なくとも、簡単に命を諦める事など出来ない。
私は国道を逸れ、周囲に乱立するビルの内の一つに飛び込む。入口の封鎖されたそのビルのガラス張り部分に突進し、ガラスを突き破って侵入した。飛び込んだ私はそのまま床を滑って転がり、勢い良く立ち上がる。一拍遅れて崩れた硝子の割れる甲高い音が鳴り響き、硝子の破片がフローリングに散乱した。これでまた周囲の感染者が集まってしまうだろう。
私の後に続いてゾロゾロとビルの前に群がる感染者を一瞥し、囲まれる前に上を目指して駆け出した。白い階段を一段飛ばしで駆け上がり、出来るだけ感染者との距離を稼ぐように努める。
一般的な感染者は階段を上ると言う行為が苦手である、大抵は躓き一階分を登るのにもかなりの時間が必要だった。勿論例外も存在するが、大抵の感染者はこの方法で距離を稼ぐ事が出来る。足元に対する注意力が散漫なのか、或は他の要因があるのかは知らないが。しかしこれは少数の感染者に対する対策でしかない、大勢の感染者が自分を追って来ている場合はそれほど階段で時間が稼げる訳ではないのだ
何故なら大挙してやってくる感染者自身が道となり、後続の感染者が階段で躓いた先人を踏み越えて来るから、感染者そのものが道を作り、数は正しく脅威となる。
「っ、やっぱり」
三階分を一気に駆け上がり、手すりに体を預けながら上がった息を整える。下の階を覗き見るとやはり、かなりの数の感染者が集まってきていた。何人もの感染者が階段で躓いているが後続の感染者は確実に近付いてきている、その先頭は既に二階の初めまで迫っていた。
床に描かれた3/12の文字、そこからビルが十二階建てである事が分かる。このまま屋上まで行っては逃げ場を失う、十一階まで上がって何とかやり過ごそう。そう考え私は階段を再び登り始めた。足は既に鉛の様で一段登るごとに体が悲鳴を上げる、そんな体を騙し騙し動かし続け、六階に差し掛かった頃。
私はその人物を見つけた。
「……マジかよ」
その声はくぐもって聞こえた、それはその筈、その人物はバイク用のフルフェイスヘルメットを着用していたのだ。その人物は六階の階段付近でバッグを手にしていた、全体的にスリムな体型、しかし所々角ばったフォルムで男性だと分かる。黒色のカバーに隠された素顔は見えない、私は基地外で遭遇する久々の人間に思わず驚愕し、硬直してしまった。そしてそれは致命的で、目の前の人物は私に黒い何かを向ける。いや、それが何かだなんて
銃だ、私は銃を向けられていた。
「ッ!」
ぞっと、背筋を悪寒が走り抜ける。明確な恐怖を突きつけられ、それも相手が人間だという事実がとてつもない恐怖感を私に与えた。
「う、撃たないでッ! 私、感染していない!」
思わずそう叫んでしまう、叫ぶ事で感染者が来てしまうとか、そういう事は全く頭に浮かんでこなかった。私の叫びに舌打ちを一つ零す目の前の男、銃を下に向けると「取り敢えず黙れ」と言い放った後、ついてねぇ、そう不機嫌そうに顔を背けた。
「何でこっちのビルに来るんだ……取り敢えずお前、俺とは違う方向へ行け」
それだけ言って男は私に見向きもせず、バッグを担ぎ上げて走り出す。私は銃口を下げられた事に安心しつつも、男が走り出した途端妙な絶望感に襲われた。それはこんな状況で同じ理性を持った人に出会えた故の安心感か、思わず彼の服を掴んで「待ってッ」と懇願してしまう。
「何だ、撃たないからサッサとどっか行け」
鬱陶しいとばかりに男は言い放つ、その冷たさに若干の怒りを感じつつも、「た、助けてよ! 銃、持ってるんでしょう!?」と言い縋った。
「馬鹿か、何百人いると思ってるんだ、弾の無駄だ、それに何故俺がお前を助けなきゃならない?」
男は何処までもドライだ。私の今まで出合って来た人たちは、例外なく避難場所を求めて彷徨っていた人達だった。だからお互いに協力し避難所まで退避させ、食料や水を分け与え、仲間として共に過ごす。しかし目の前の人物は明らかに『慣れていた』、この廃都市での生き方に。
「何でって、同じ人間でしょう!?」
「んな事言ったら感染者だって元人間だろ、俺にとってはお前も感染者も一緒だ」
そんな馬鹿な!
感染者と一緒にされたという事実が、私にとっては衝撃だった。男は私の知っている人の枠組みから大きく逸脱している、この人物を説得するのは無理かもしれない。そんな思いが頭を過る。
「くそ、声を出し過ぎた」
男は唐突にそんな言葉を口にし、力強く私の腕を引っ張る。突然の事に反応出来なかった私はそのまま倒れ込み、思わず悲鳴を上げた。そして頭上で何やら発砲音、続いて甲高いカランという音が耳元から聞こえた。
「もう此処は駄目だ、オイ、死にたくないなら立って走れ!」
閉じていた目を開き、背後を見る。すると私が先程まで居た場所に二体の感染者が転がっていた。その頭部からはとめどなく血が流れている、撃ったのだ、目の前の男が。体を支える手に何かが当たる、熱を帯びたソレ、形だけは見た事がある、空薬莢。
「何してんだッ、置いてくぞ!」
「ごっ、ごめんなさい!」
男に怒鳴られ、慌てて立ち上がり走る。男は既に先行し、背後からは大勢の呻き声が聞こえて来る、感染者が銃声につられてやって来たのだ。私はごちゃごちゃになった感情と上がった息を必死に整えながら、男の背を追って走り続けた。
最近小説の書き方を忘れて居る気がします……どうやって書いてたんだっけ。