東方喰種! 現代入りしたルーミア   作:YSHS

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 遅れてすみません、まさか一ヶ月以上も掛かるとは思いませんでした……。

 それにしてもチカレタ……。


ざけんじゃねえよオイ!誰が生かしていいっつったオイオラァ!

 【1】

 

 僕の通う上井大学は文系から理系までの様々な学部があり、その中でも薬学部は難関として知られている。で、そこに、西尾錦という僕の一つ上の先輩が所属している。

 

 彼との初の邂逅は、とても良いものとは言えない。僕が喰種と化して間もない時分、空腹に耐えかねて街を彷徨っていた折に、どこからともなく馥郁と漂ってきた甘美な匂い。それに釣られて僕は、路地裏にて喰種が人を捕食している現場に遭遇したのである。が、直後のその喰種は、突如現れた西尾先輩によって首を吹き飛ばされたのであった。西尾先輩は、ここは自分の喰場(喰種が狩りをする上で定めたテリトリィ)であると主張しだし、たまたま居合わせただけの僕にも襲い掛かったのである。が、直後に現れたトーカちゃんが彼を追い払い、僕は難を逃れて『あんていく』と出会ったのだ。

 

 だが、彼との因縁はそこでは終わっていなかったようで、後日、ヒデの紹介で僕は彼と思わぬ再開をしてしまった。当然相手は、以前に僕から受けた屈辱を(やったのはトーカちゃんだけど)憶えていて、見せしめにヒデを喰らおうとした。しかし、緊急時の防衛本能が働いて赫子が発動し、返り討ちにして深手を負わせて、またしても難を逃れたのである。

 

 ところでここからが本題なのだが、最近十四区で、喰種のゴロツキに襲われていた西尾先輩を発見したのだ。

 

 知らない顔ではないということで、何となしに、一緒に居たルーミアちゃんと協力してそのゴロツキたちを追い払って西尾先輩を助けた。

 

 彼は、以前僕が追わせたダメージから未だに回復しきっていなかったようで、具合が悪そうで、不機嫌のあまり、自身を助けた恩人であるはずの僕らに悪態までついたのだ。路地裏に放置してやりたい衝動を心の内に浮かばせながら、僕らは西尾先輩を彼の住まいまで送り届けたのであるが。

 

 その住まいに居たのが、西尾先輩の恋人である西野貴未さんだった。彼女は西尾先輩が喰種であることを承知の上で彼と付き合っているらしい。

 

 「人間として生まれたから幸せに生きられている」

 

 そう彼女は言っていた。

 

 それを聞いて僕が思ったことは、この人は人格者であるとか、西尾先輩は恋人に恵まれたとか、そういったものではなくて、ヒデは僕を受け入れてくれるだろうかという、不安と希望が綯い交ぜになったものであった。

 

 ところで気になったことがある。

 

 西尾先輩を彼の住まいに送り届けて、その際に貴未さんに危うく殴られかけたのでだが、それで僕を認識すると、

 

 「あのナルシー男じゃない……」

 

 と言っていたのである。彼女に拠れば、このあいだ上井大学にやって来た月山さんを見て、西尾先輩がナルシー野郎と言っていたらしいのである。いかに西尾先輩が人間不信であるとは言え、どうやら月山さんは結構な鼻つまみ者であることが分かった。

 

 もう一つ、――これは僕の気分の問題だが――気になったことがある。

 

 帰り道でルーミアちゃんが、

 

 「果たして、あれを生かしておくのは喰種として正しいことであるのかしらん? たとえあれが信用できる人間でも?」

 

 僕はその問いに、即座にイエスと答えた。喰種と人間の間に、そういった寛恕が生まれるのなら理想的である。

 

 高らかに切り返しはした。そうでもしないと、自分の言っていることが正しいかどうか揺れてしまいそうでもあった。でも僕の言ったことは正しかったはずだ。

 

 そうは思いつつも、僕は何だか釈然としない気持ちになった。

 

 という過去の話があった。

 

 さて、現在僕はバイト中である。が、今日は来ているだろうと思っていたトーカちゃんが、どうしてか居ない。怪訝に思って店長に尋ねてみれば、

 

 「あの娘なら、体調を崩したということで今日はお休みだよ」

 

 という事なのであった。それで店長は、

 

 「カネキ君、きみ、彼女のお見舞いに行ってあげてはくれないかな。彼女の部屋は、この建物のどこにあるかは分かるだろう」

 

 「どうしてですか?」

 

 「君が来てくれれば、あの娘もきっと喜ぶはずさ」

 

 「はあ」

 

 少し照れ臭い……ような。

 

 「また、けんもほろろに言われちゃいそうですけど……」

 

 「ははははは」

 

 店長は何故か微笑ましそうに笑った。

 

 「ふうむ、むしろ君は、トーカちゃんから好かれているほうだと思うよ」

 

 「でも僕、いつもトーカちゃんに手間を掛けさせているし……」

 

 いや、と店長は遮るように言った。

 

 「トーカちゃんがCCGの捜査撹乱する時、君が手伝いを申し出てくれて嬉しかったはずさ。まあ、行くか行かないかは君次第だ、無理強いはしないよ」

 

 話はそれっきりだった。それ以降彼は、僕にトーカちゃんのお見舞いを促すらしい真似はしなかった。それで僕は、トーカちゃんの代わりにシフトに入った入見カヤさんに訊いてみたのだが、例によって、強制とは言えない程度のお願いだけをされて、了承するか否かは僕に投げられたのであった。

 

 わざわざ僕が行く必要もないだろう。しかしながら、強制性はないとて頼まれ事を断るなんて、それも店長を無下にするのは後ろめたい。

 

 そうして悩んでいると、ツンツンと肩を叩かれた。振り向くとルーミアちゃんが居た。

 

 「私も董香のお見舞い行ってもいい?」

 

 「え? いいけど、どうしたの」

 

 「雛実ちゃんが居るだろうから。最近あまり会ってないし」

 

 「ああ、そうなんだ」

 

 あの一件の後、ヒナミちゃんは結局『あんていく』に残ることになった。僕たちの策が、紆余曲折はあったものの回り回って功を奏したおかげでもある。で、ルーミアちゃんもヒナミちゃんとは会えているはずだが、あの一件の後なだけにその回数は少ないのだろうか。

 

 何にせよ、普段は妙に達観したルーミアちゃんが折角、友達に会いたいという歳相応な様相を見せたのだから、願いは叶えてあげるべきだろう。

 

 そういうわけで、仕事終わりに僕ら二人はトーカちゃんの部屋へ向かった。部屋の前に来て、逡巡してから僕はチャイムを鳴らした。しばらくして扉が小さく開き、隙間からトーカちゃんが顔を覗かせた。

 

 「何」

 

 「ああ、うん、店長から、トーカちゃんが体調を崩したって聞いて。それで、お見舞いにでも行ってあげてって言われてさ」

 

 と、滔々と僕が答えると、一瞬トーカちゃんは眉をひそめ、

 

 「来たくないってんなら、さっさと帰ればいいでしょ。こちとら、そんな気で来られてもちっとも嬉しくないくらい機嫌が悪いんだから……」

 

 いかにも機嫌が、具合が悪そうな低い声で言われて、ここで無理に行くのは宜しくないのではないかと遠慮――というか逃げたい気に駆られた。

 

 しかし、

 

 「まあ、まあ、そんなにいきり立つことはないから」

 

 ルーミアちゃんが間に割って入ってきた。

 

 「それにさ、研だって、嫌々ここに来たんじゃないからさ。割と乗り気だったし。ああ、それと、もしかしてだけど雛実ちゃんもそこに居たりしない? 私はどちらかというとあの子目当てでね」

 

 と、彼女が行った直後に、部屋の置くからドタドタとせわしない足音が来、小さく開いていた扉が更に開かれて、トーカちゃんの下辺りからヒナミちゃんの顔が飛び出してきたのであった。

 

 「ルミちゃん、カネキお兄ちゃん!」

 

 嬉しそうな顔で彼女は、靴も履かずに出てきた。

 

 「うわあ、何だか久しぶりに会った気がする!」

 

 「うん、うん。最近あんまし会えてないから」

 

 早速、二人の少女は、他愛もない会話に花を咲かせだす。そうしてとんとん拍子に、ヒナミちゃんは自分の親友を上げたのである。勿論、トーカちゃんに一言断ってから。

 

 「ええと……、僕も上がってもいいかな。出来るだけうるさくはしないから……」

 

 部屋に上がっていく二人を見ていたトーカちゃんは、そんな僕を一瞥して、

 

 「チッ……。まあ上がりなよ」

 

 と、扉をそのままにして奥へ引き下がった。自分でも判るくらいしどろもどろ気味に僕は部屋へ入った。

 

 冬に入りかけている今の時期、現在の時間帯では傾きがちな日差しが内に入ってきて、部屋は燃えるように照っている。部屋の中央にある低い小さなテーブルに、日の光を背にヒナミちゃんは座っており、そのはす向かいにルーミアちゃんは座っていた。それで僕はルーミアちゃんの正面の所に座ったのである。

 

 「手ぶらで来たってわけか……」

 

 だるそうな面相のままトーカちゃんが、気だるげに言った。

 

 「いやあ、突然、行こうって思ったものだから」

 

 僕は、ボケた調子で喋って誤魔化そうとしたものの、トーカちゃんは呆れたみたいに僕を見るだけで何も言わなかった。傍らのヒナミちゃんとルーミアちゃんは、気づかずにお喋りを続けている。

 

 そんな微妙な空気が漂っている場に不意に響いたチャイムの音で、流れが多少変わった。

 

 「何だよ、今日は来客が多いなぁ……」

 

 うんざりした声を出しながら、トーカちゃんは玄関へ向かう。扉の開く音が聞こえてきて、次に、

 

 「よ、依子!」

 

 びっくりした彼女の声が聞こえて、何事かと、四つん這いになって僕は玄関のほうまで行き、覗き込んでみた。トーカちゃんは、来客を前にして立ちすくんでいた。その来客というのは、茶髪にボブカットの、色白で丸顔な、トーカちゃんと同じくらいの年頃の女の子だった。手には、鍋らしき物を持っている。

 

 「わざわざ見舞いに?……」

 

 トーカちゃんが切り出した。

 

 「う、うん、トーカちゃんが今日休んだものだから、心配になっちゃって。ほら、トーカちゃんってばお昼はいつもパンと水だけだし、もしかしたら普段の食生活も」

 

 「そんな気に掛けることなんてないのに」

 

 優しそうな、気遣うらしい口吻でトーカちゃんは、来客の依子と呼ばれた娘に接している。

 

 「ん? この靴……、アヤト君が帰ってきたの?」

 

 と、依子ちゃんは、置いてあった靴を見て言った。勿論あれは僕の靴だ。

 

 アヤト君というのは、誰のことだろうか。そんなことを思いつつ、再び玄関の様子を見てみると、ふと依子ちゃんと目が合った。彼女は目を丸くして僕を見ると、急に神妙な顔つきになり、

 

 「ト、トーカちゃん、もしかしてあの人……」

 

 何やら勘繰っているみたいだ。

 

 え、とトーカちゃんがこちらを振り向き、僕を認識するや否や苦々しげな表情になって、友人の方へ向き直り、

 

 「いやいや違うから!」

 

 と弁明しようとするも、その友人は聞く耳を持つ様子は無く、両手で持っていた例の鍋をトーカちゃんに差し出し、これ作って来たから彼と一緒に食べてね、と言い含めてから素早く後ろに下がり、トーカちゃんにガッツポーズを見せてから扉を閉めてしまった。一連のことを見てトーカちゃんは、呆然と、受け取った鍋を持ちながら佇んで、しばらくして視線を落としながらまた部屋の中へ戻ってきた。当然、僕とは目を合わせようとはしない。

 

 「なんか、ごめんね。うーん、変な誤解を生む事になっちゃって……」

 

 「知らん」

 

 憮然として言う彼女を前に、僕は一旦は口をつぐんだものの、その沈黙がどうにも耐え難く、

 

 「そ、それ、どうするの?」

 

 彼女がキッチンに置いた鍋を僕は一瞬見てから、言った。

 

 「どうするって、食べるに決まってんじゃん」

 

 厳かな面持ちで彼女は黙って箸を取った。

 

 「もしかしてだけど、体調を崩したのって……。もしかして……」

 

 僕を見ようとも、言葉を聴こうともせず彼女は、

 

 「いただきます」

 

 料理を口に運んだ。口に入れてすぐ彼女は、喉から空気を漏らしながら苦悶の表情を見せ、キッチンのカウンターに両手を乗せて体重を預け、下を向いた。激しかった呼吸の音はなくなり、下顎が動いている。咀嚼しているのが判った。そうして口の中の物を飲み下し、息をついた。

 

 「僕も手伝おうか?……」

 

 無鉄砲にも思わず僕が言うと、

 

 「いらねえし。これは私んだ」

 

 と、申し出を付き返して、すぐさままた料理を口に入れた。同じように苦悶と格闘し、時間を掛けてまた飲み込む。だが、三口目で彼女は、鍋の中の料理を見つめたまま固まったのだった。

 

 やっぱり僕も手伝ったほうがいいのでは、と思い僕が口を開きかけた瞬間、

 

 「ちょっと頂戴」

 

 と、横からルーミアちゃんの手が伸びて、鍋の中身を一つまみ口に入れて、視線を上辺りで泳がせながら、

 

 「うん、おいしい!」

 

 このように残酷なことを言ってのけた。

 

 愕然としてトーカちゃんはルーミアちゃんを見る。気づいてルーミアちゃんはトーカちゃんを見上げて、輝かしい笑顔で応えた。

 

 その笑顔から逃げるように、トーカちゃんは、何でもないと言う顔で再び鍋へ眼を向けて、またえずきつつも料理を一口食べた。

 

 その後、ルーミアちゃんは、この料理を食べたいと言い出した。当然トーカちゃんはそれを渋ったが、彼女一人では食べることは難しいことと、やっぱり食べ物は美味しいと思える人が食べるものだということを遠回しに説かれ、結局半分ずっこすることになったのであった。

 

 で、僕はというと、トーカちゃんに追い出されたのである。ルーミアちゃんが普通の食べ物をを食べられる様をまざまざと見せつけられて業腹だったのか、途端に悲しそうに、不機嫌になって僕に難癖を付けてさっさと追い出したのだ。

 

 建物から出ると、先ほどの、トーカちゃんの友達の依子ちゃんが居た。

 

 「あ……」

 

 彼女は僕と目が合うと、多少は驚きはしたが、すぐに納得した顔で、

 

 「こんにちは、やっぱりトーカちゃんに追い出されました?」

 

 人懐っこい笑みで話し掛けてきた。

 

 「まあ……」

 

 僕は肯定してから、話そうにも仔細を言うわけにもいかず、口ごもった。

 

 「やっぱりってことは、もしかして分かってた?」

 

 はい、と笑いながら彼女は応えた。

 

 「トーカちゃん、学校だとあまり人を寄せ付けないから。グループになって話す機会があっても、踏み込んだ会話は全然しないみたいだから」

 

 「ああ……」

 

 「そうなるといよいよ誰もトーカちゃんに近づかなくなっちゃうから。だから、トーカちゃんと仲良くなるとしたら、根気よく話し掛け続けるか、それともトーカちゃんが心を許してくれるような人がいてくれたらなって思ってて……」

 

 「うん」

 

 トーカちゃんだって、好きで独りでいようとしているわけじゃない。いや、独りのほうが楽だとは言ったり思ったりはするだろうが、概ねそれは孤独の虚しさへの慣れと逃避に因るものだろう。

 

 「トーカちゃん、アヤト君が――弟君が家出しちゃって帰ってこなくて。両親もいなくて、たった一人の弟までどこかに行っちゃって、本当は寂しい思いをしているかもしれないんです。……私がこんなことを言うのは図々しいとは思うけど、よければ、今後もトーカちゃんと仲良くしてもらえませんか?」

 

 依子ちゃんもまた、根気よくトーカちゃんと話し続けてようやくあんな間柄になれたのか。

 

 「そうさせてもらうよ、家族が居なくなる気持ちはよく解るから」

 

 僕が快く答えると、パッと彼女は顔を明るくし、

 

 「良かった! じゃあ、これからもよろしくお願いします。……トーカちゃんも、こんな素敵な彼氏さんが出来て幸せだと思いますよ!」

 

 あっ、と僕が、彼女がしている誤解を解こうと口を開くより前に、彼女は僕へにこやかに手を振りつつ雑踏の中に紛れてしまったのである。探して追いかける発想は、ありはしたもののやろうという気は起きず、仕方ないとして僕は帰路につく。すると、

 

 「あの、カネキさん……ですよね」

 

 喧騒のさなかで聞こえた自分の名前に、立ち止まって僕は辺りを見回す。もう一度呼ぶ声が聞こえ、それを頼りに見やると、

 

 「たしか、西尾先輩の――貴未さん」

 

 と、僕が認識すると、彼女はうやうやしく僕へ会釈をしてから、

 

 「あの、人肉って……どうすれば手に入るんですか?」

 

 「えッ」

 

 慌てて僕は、もっと人気のなさそうな場所へ移動するように彼女へ促した。で、その場所へ来てもう一度僕は聞き返した。

 

 「その、人肉とは一体……」

 

 「錦君の傷が、全然塞がらないんです!……。もうコーヒーでも誤魔化しきれなくて」

 

 これを聞いて、俄かに僕の身体に緊張が走った。正当防衛とは言え、その傷は僕が負わせたものだ。いわんや、あの正当防衛の件は彼女には与り知らぬものであるのだから、尚更だった。

 

 「……それで人肉を」

 

 「はい……」

 

 弱った。生憎と僕は狩りなんてものは出来ないし、かと言って人殺しを推奨する真似は出来ない。『あんていく』の貯蔵庫に例のアレはあるけども、鍵は店長が持っている。縦しんば空いていたとしても、勝手に持ち出すのは……。

 

 「あの、知り合いに掛け合ってみれば、もしかしたら……」

 

 とは言うものの、良い見通しが立っているわけではない。

 

 彼女は目を見開いておもむろに顔を上げた。歯切れが悪い僕の言葉にも、希望を見出している眼だ。

 

 「ほ、本当ですか?」

 

 「出来る限りのことはします」

 

 その期待に応えようとしたのか、僕は彼女の目を真っ直ぐ見て、明然と言った。すると彼女は希望が見えたという感じの情を顔に浮かべた。

 

 「は、はい、ありがとうございます! よろしくお願いします!」

 

 目じりに涙を浮かべながら彼女は言い、深々とお辞儀をした。数歩程下がりながら、また深く頭を下げると、その場を去っていった。その喜びようが、もし僕がしくじった場合を考えると、却って心苦しくなる。

 

 で、僕は夜分に『あんていく』に行って、例の冷蔵庫を調べてみたが、案の定鍵は掛かっていた。期待をしていたわけではないが、こうして実際に頓挫してみると、消沈するものだった。

 

 五里霧中の気で、明かりの無い店内へ戻ってきた。静謐な月明かりで青白く照らされ、影が際立つこの部屋。何も動くわけのないこの空間で、僕は視界の端に何やら動くものを見えた感じがして、ついそこを向くと、窓の外に、薔薇が添えられた手紙が置かれているのが判った。不可思議に思いそれを取って見ると、

 

 『金木君へ』と始まり、

 

 『今夜〇時にディナーを楽しもう。夕方に君が会話をしていた女性は既にお連れしている。三人で素敵な夜を楽しもうじゃないか』

 

 差出人は月山さん。

 

 僕がそれを読み終えて数瞬した頃、店の扉が慌しく叩かれた。それに釣られて僕も、慌ててその扉を開けた。扉を開けると、何かに当たって鈍い音がした。見下ろすと、西尾先輩が頭を抑えて倒れていた。

 

 「西尾先輩! 何があったんですか!」

 

 倒れている彼を無理矢理起こして尋ねた。

 

 「き、貴未が、帰ってこねえんだ……。何か知らねえか」

 

 青ざめて力ない顔だった。僕は例の手紙を見せようかどうか逡巡し、

 

 「あの、これ……」

 

 と、手紙を見せた。西尾先輩は最初こそ胡乱げに見ていたが、次第に顔をひくつかせて、怒りの形相を顕にしたのである。

 

 「何だよ、こりゃあッ!……。何でよりによって月山が……」

 

 取り乱した彼を見て、言い訳めいた口吻で僕は、

 

 「月山さんの狙いは僕です、僕が行って貴未さんを……」

 

 と早口で言うと、

 

 「俺も行く……」

 

 西尾先輩は項垂れながら言った。

 

 「でも、その体調じゃ……」

 

 「頼む……」

 

 いじらしく彼は、項垂れた体勢のまま僕の肩を掴み、言った。

 

 あんなに思ってくれている恋人を思い、やり切れないという気持ちは何んとなく解る。このまま不安を抱かせたまま残しておくのは、果たしてどうだろうか。

 

 月山さんの狙いが僕であるのなら、彼を連れて行っても大丈夫かもしれない、という安易な考えで、結局僕は西尾先輩と一緒に月山さんのもとへ向かうことにしたのである。

 

 手紙に書かれていたディナーの場所とやらは、町外れのこれまた人気の無い場所にある教会であった。中から何やらオルガンの音が聞こえてくる。おそらく月山さんだ。確信して僕は中に入った。ステンドグラスから入る僅かな光と、ところどころに灯された蝋燭の明かりに照らされて薄明るい。身廊の奥にある祭壇の上に貴未さんが横たえられている。その横隅にあるオルガンの前に彼は座っていた。

 

 「ベートーヴェンはお好きかな、……カネキ君」

 

 「月山ァ!」

 

 西尾先輩は月山さんの姿を認識するや、体調が最悪にも拘らず血を吐くような叫び声を上げた。

 

 「む? 君を呼んだ覚えはないのだが……」

 

 「貴未を返せ!……」

 

 「残念ながら、それは出来ない」

 

 オルガンの席から立って月山さんは、祭壇の前に来て、大仰に手のひらで彼女を示し、

 

 「この女性は今宵の晩餐のスパイスだ! カネキ君に、最高の鮮度で食べてもらいたいのさ。否、正確には、カネキ君“が”喰べながら、カネキ君“を”喰べたい、……そういうことさッ!」

 

 「何だ、それは……」

 

 変態としか言いようがない……。そんな気持ちが顔に出ているのが、自分でも判る。それほどの狂気。彼はそんな僕の表情をちゃんと見ておきながら、眉一片も面持ちを崩さず、

 

 「折角、君を喰べてもよいというお許しが出たのだからね……、こだわるのは当然のことさ」

 

 「お許し?」

 

 それは一体誰のお許しなんだ。

 

 「ざけンなッ!」

 

 僕がその疑問を呈するより前に、西尾先輩が、祭壇の前に佇む月山さんへ向かって突進したのだ。が、重心がぶれていて、速くはあるが覚束ない。それを月山さんはあっさりといなして当身を喰らわせ、軽々と振り回したかと思うと、会衆席に投げ飛ばしたのだった。

 

 「君はそこでオヤスミ」

 

 さて、と月山さんは僕へ目を向けた。が、その時には既に彼は僕の目の前まで、物凄い速さで迫ってきていたのである。

 

 咄嗟に僕は拳を突き出したものの、避けられ、突き飛ばされた。それも弱く突き飛ばされたようで、僕はよろけるだけであった。体勢を立て直して月山さんを見やると、彼は口元にうっすらと笑みを浮かべながら、僕に手招きをしていた。

 

 その自信満々な姿勢に、僕は怖気づいた。身構えて僕は、ゆっくりと月山さんに近づいた。僕の様子に感づいてか、ますます彼は余裕の様を見せた。

 

 様子見で軽く拳を突き出した。弾かれる。次に腹を狙った。だが身を捻ってかわされた。突き出した僕の腕を掴まれ、腹に蹴りを入れられ、顔に拳を一発。

 

 「ふむ、ぎこちないね。実際に人を殴る蹴るの経験はないようだ。いや、むしろそれが自然かな」

 

 腕を抱え込まれ、背負い投げで床に叩きつけられる。そして間髪入れずに腹へサッカーボールキックを受けた。筋肉が一気に収縮して、締め付けられる苦しみが僕を襲う。

 

 「さて、さて、さて。次はどんな攻撃をご所望かな」

 

 その瞬間の事。

 

 「普通の不意打ち」

 

 どこからともなく響いた声。月山さんの頭辺りを影が過ぎた。同時に血しぶきも。軽く着地した影の正体は、

 

 「トーカちゃん!」

 

 彼女は不敵に笑っていた。

 

 「うふ、ふふ。これは、これは……。久しぶりに、かすり傷を」

 

 目の辺りからポタポタと血を垂らしながら、月山さん。

 

 「次はそんなかすり傷で済まさねェ、そのいけ好かない顔をギッタンギッタンにしてやる。ついでに金玉ぶっ壊して使い物にならなくしてやらァ」

 

 「言葉遣いがダーティだよ、霧島さん」

 

 顔を上げた月山さんの顔は、目の辺りを真一文字に切り裂かれていた。しかしそれはじわじわと、それでいて目に見えて消えていった。

 

 「効いてない……」

 

 「それもそうさ、浅かったからね」

 

 でも、と月山さんは目を見開いて笑い、

 

 「桐嶋さん、昔の君だったら、もっと深く踏み込めたはず。どうしてそれをしなかったのか」

 

 「なあに、ただの挨拶代わりよ」

 

 「ふっ、そうかい」

 

 月山さんは一瞬目を逸らした。逃さずトーカちゃんは突っ込む、直後に月山さんは近くの会衆席を蹴っ飛ばした。大きめの破片となって来るそれを彼女はかわし、拳を突き出した。

 

 「良い反応だ!」

 

 避けつつ月山さんは喋る。

 

 「憶えているかな、僕らの初の邂逅を。君はフォーティーン、僕はエイティーン! 割れた黒曜石さながらの鋭い美しさが湛えられたあの瞳が……僕は忘れられない」

 

 「キモイッ!」

 

 トーカちゃんの足が月山さんの横っ面にぶち当たり、倒された彼は、近くにあった会衆席に上半身を預ける形となった。

 

 「それほど君に夢中だったということさ……」

 

 そろそろ僕も加勢しなければ、と、僕は立ち上がった。立ち上がると、彼女と視線が合った。一瞬だけ目を合わせ、同時に月山さんへ視線を戻す。二人がかりで襲い掛かった。

 

 だが、月山さんはトーカちゃんの脚を払い彼女の体勢を崩させる。と、彼女の体を抱えて僕に投げつけた。反射的に受け止めるて、殊の外の重さに僕は倒れる。僕の上のトーカちゃんが蹴り飛ばされた。素早く彼は僕に馬乗りになった。そして手を貫手の形にすると、僕の腹へぶち込んだ。

 

 途轍もない圧迫感を感じ、一瞬遅れて、腹を突き破られたのが判った。胴体の筋肉が瞬時にして締めつけられるのを感じる。漏れ出す空気を吐き、大声が出そうになるも、痛くて痛くてあまり出せなかった。嘔気も出てきた。

 

 「トレビアンッ! 味が絡みつくぞッ、何だこれはッ!」

 

 満悦の気を全身で表現したようなポーズを取る月山さん。そこを隙と見たか、トーカちゃんが襲い掛かる。が、あらかじめ察知していたらしい動きで攻撃は捉えられる。そうして地面に引き倒したのだった。

 

 それで出てきたのは赫子だった。肩甲骨の下辺りから、紫の帯状の物が生えてきて、月山さんの腕に巻き付いた。先端は鋭利に尖っている。

 

 月山さんは、倒れているトーカちゃんのすぐ近くまで来ると、赫子で追い討ちを掛けた。彼女は鈍く呻いた。すると彼女は首をもたげて相手を睨みつけ、脚を伸ばして股間を蹴り上げたのだ。堪らず月山さんは、赫子を引き抜き後ずさった。

 

 「クソがァ!」

 

 トーカちゃんは勢い良く立ち上がると、間を詰めて頭突きを喰らわせた。唸り声を上げて相手を担ぎ上げ、高く放り投げると、落ちてきたそれを蹴り飛ばしたのである。しばらくトーカちゃんは、身構えながらそれを見て、力が抜けたように後ずさり、僕の所まで来ると腰を落とした。

 

 「さすがに、やばいな……」

 

 「ごめんね、こういう事になるなんて。……僕が浅慮だった」

 

 トーカちゃんは鼻でせせら笑った。

 

 「構いやしねえよ。こっちはどうせ、向こうと共倒れかお前の道連れになるかもしれないのを承知で来たんだからな」

 

 にしても、とトーカちゃんは呻く。

 

 「多分、依子の料理を食ったのがいけなかったんだろうな。それに肉弾戦だと分が悪い。赫子が出せればいいんだけど……」

 

 赫子……。

 

 そうだ、赫子があれば。向こうも赫子を使ってきているのであれば、こちらもそうしなければ分が悪すぎる。

 

 だが問題は肉だ。普通の料理で体調が悪い彼女を回復させる肉が必要だ。

 

 ……いや、ある。

 

 「ねえ、僕の肉を食べてみたら、どうかな」

 

 は? と、こちらの正気を疑うような眼でトーカちゃんは見てきた。

 

 「どうなの、僕の肉で回復できる?」

 

 「出来るだろうけど……」

 

 「なら早く! じゃないと月山さんが……」

 

 僕は月山さんの方へ顔を向ける。もう彼は、今のダメージから回復して立ち上がっていた。むしろよくここまでもったものだ。

 

 トーカちゃんの方へ目を戻して僕が頷くと、彼女はためらうように顔をしかめた。

 

 「ちょっと頭どけろ」

 

 そう言って彼女は、僕の首筋へ顔を近づける。言われた通りに頭をどけると、一気にかぶり付かれた。食いちぎられ、痛みは少し遅れてやって来た。

 

 「おい、僕のだぞッ!」

 

 前から、上擦った月山さんの声が届く。見ると彼はこちらへ走ってきて、右腕の赫子を振るいだした。

 

 だが。

 

 「アホか」

 

 いきなり前に飛び出してきたトーカちゃんとぶつかりと、止められた。肩辺りから霧状に噴出される、羽のような赫子が、相手の赫子を阻んでいる。

 

 「ここにてめえの物なんてありゃしねえンだよ」

 

 月山さんを赫子越しに突き飛ばし、更に追撃を仕掛けた。拳と足の攻撃に加え、赫子をブレードのように固めた赫子による斬撃だ。間合いが空くと、羽から赫子の結晶を飛ばして牽制。その隙に間を詰めて、再度攻撃する。

 

 その攻撃を受けている当の本人の顔には、だんだんと歓喜の情が湧いてきている。

 

 「素晴らしいよ、霧島さん!」

 

 若干余裕が衰えながらも、月山さんは賞賛の言葉を、戦闘中にも拘らず放った。

 

 「赫子の相性――甲赫と羽赫の相性を感じさせない活気が、今の君には満ち溢れているッ! あの時の情景が喚起される! ああ、願ってもいないオードブル! 神に――感謝だ」

 

 月山さんは甲赫と、トーカちゃんのブレード状の羽赫がかち合った。互角のように見える。しかし、月山さんが体重を掛けたことで、彼女は仰け反った。

 

 その状態で、彼の甲赫に変化があった。帯状の赫子にヒビが入り、肥大したのだ。ビキビキと鈍い音を上げて肥大している。トーカちゃんは呻き声を漏らして更に仰け反る。肥大を終え、入ったヒビが修復されると、月山さんは一気に腕を振るった。声を発する間もなく彼女は押し返された。体勢を崩された彼女に、瞬時に彼が追撃をした。辛うじて彼女は羽赫で防ぎはしたが、あまりの勢いに吹き飛ばされた。

 

 何てことだ。明らかに火力に差がある。そこを重点的に攻められている。復調したトーカちゃんでさえ、月山さんを止めることは叶わないのか。

 

 またしても月山さんの攻撃によって彼女が吹っ飛ばされた。だが今度は少し違う。飛ばされた先で、彼女はしっかりと着地した。喰らう直前に、力に逆らわずに敢えて流されたのだ。で、その稼いだ時間を活用して、トーカちゃんは月山さんと距離を取った。敏捷性の差か、どうにか彼女自身の土俵まで持ち込んだ。

 

 だがそれでも、戦況が一転するというわけでもない。良くて五分と言ったところだ。飛ばされた、羽赫の結晶群は、甲赫の盾には歯が立たない。下手に近接すると返り討ちに遭って逆戻りになる。

 

 こちら側が有利になるような、そう、月山さんの機動力を落としてやれば。

 

 敵の機動力を奪うのは狩りの基本。いくら甲赫が強固でも、脚を失ってふんばりが利かなくなれば。そこなら羽赫でもとどめをさせるはずだ。

 

 僕は月山さんの動きを注視した。この空間内を縦横無尽に飛び回るトーカちゃんに対して、月山さんはせいぜい数メートル程飛ぶのが限度の鈍重さ。

 

 「行ける」

 

 それを口にした途端、僕の腰の内側から何やら圧迫感を感じた。皮を食い破られた痛みと共に、僕の赫子が飛び出すのを感じた。腹に穴を開けられた僕の身体とは違い、頼もしいまでに力強く蠢いていた。

 

 この安心感を得、僕は赫子を会衆席に隠して機会を窺う。心なしかさっきよりも明瞭に場の状況が見える。

 

 月山さんは、トーカちゃんが一際強い攻撃を与えると、大きく後ろに飛び退くらしい。なら、次に彼女が大技を繰り出した時が好機だ。彼女の動きを見るようにするべきだろう。

 

 一手、二手、三手。大きな攻撃こそしないが、彼女の攻撃がだんだんと激しくなっていくのが判る。攻撃に出し惜しみをあまりしていないようだ。焦りすら感ぜられる。

 

 トーカちゃんの攻撃が大振りになった。月山さん目掛けて放たれたそれを、彼は避け、大きく跳んだ。すかさず僕は、赫子に依る機動力の補助を受けて、月山さんの脚を狙って跳ぶ。ドンピシャで彼の膝に蹴りを当たった。彼の膝はちょうど向こうにあった柱とに挟まれ、小気味良い音と手応えが僕の足に伝わってきた。

 

 僕と月山さんはその場に落ちた。地面に落ちた彼のほうは、膝への苦痛にのた打ち回った。また僕も、腹の傷に負担を掛けたため、痛みでそこを動けないでいた。が、僕にはトーカちゃんがいる。既に彼女は月山さんに近づいており、追い討ちを掛けんとしていた。

 

 「終わりだ、月山!」

 

 ブレード状の羽赫が振り下ろされた。

 

 が、それは鋭い音を立てて弾かれた。甲赫に依って弾かれた。上半身だけの力で振るわれたそれは、大きな力を生むとまでは行かなくとも、重さと勢いだけで羽赫を弾いてみせたのだ。

 

 不意に攻撃を崩されてバランスを崩したトーカちゃんを、彼は片足と手で素早く立ち上がって、相手を担ぎ上げ、僕の上の落とした。彼女が落ちてきたことで僕の腹が圧迫され、血が更に出る。そこへ月山さんが、体重を掛けてのしかかってきた。

 

 「これだけ長引いた戦いで疲れた羽赫の攻撃を防げないわけがないだろう……」

 

 目を血走らせ、憤怒しているのか笑っているのかも判らない顔だった。

 

 「カネキくぅん……」

 

 トーカちゃんを隔てて僕の肩が掴まれた。

 

 「一口でいいんだ……、是非とも君を食べさせてくれ……」

 

 「ふざけんなっ」

 

 と、羽赫を振ろうとしたトーカちゃんだが、それも押さえつけられた。そうして月山さんは、おもむろに大きく口を開けて、僕に迫ってきたのである。

 

 その口が僕を喰らおうとしたまさにその時、彼の身体が急にわなななき、呻いた。ぎこちなく彼が後ろを向いた。彼が振り向いたことで、僕にも、彼を攻撃した者の姿が見えた。そこには西尾先輩が居た。

 

 「ニシキ、君……。きみは、ゾンビかい?……」

 

 憎々しげに月山さんが言う通り、西尾先輩は気息奄々の顔色となっていた。が、赫子を出すだけの体力は残っていたようで、彼の尾骨辺りから生えている赫子は、月山さんの甲赫の根元辺りに突き刺さっていた。

 

 「ああ、死んでもてめえなんかに、貴未を喰わせやしねえ……」

 

 そう言って、突き刺していた赫子を、月山さんの赫子ごと引き抜いた。月山さんの赫子は彼の肩から抜けると、空中で枯葉の如く散っていった。

 

 「こ、この……」

 

 西尾先輩に月山さんは掴みかかろうとした。が、それも、押さえつけられていた赫子が自由になったトーカちゃんによって遮られた。彼女へ視線を戻す頃には既に遅く、彼は空中に放られ、落ちてきたところを彼女の赫子によって上半身と頭のおよそ半分ほどを吹き飛ばされたのだった。

 

 床に投げ出され、ぐったりとなった。と思いきや、痙攣する具合に動いたのである。

 

 「ははっ、はは……」

 

 笑っている。顔の半分を失ってもまだなお、笑っている。その状態のまま彼は僕へ目を向けた。彼の僕への、食への執着を見せ付けられて、僕はおののいた。

 

 「カネキくん……、後生だよ……。本当に……、一口だけでも……いいんだ」

 

 それをトーカちゃんが蹴り飛ばした。そしてこう言った。

 

 「自分の肉でも喰ってろよ」

 

 吐き捨てて彼女は、祭壇の方へ歩いていった。

 

 「あとはこの女だな……」

 

 赫い眼で貴未さんを見下ろしながら、赫子を肥大させて言った。

 

 「てめえ、トーカ!……」

 

 覚束ない足取りで、それでも力いっぱい西尾先輩は走っていき、トーカちゃんと祭壇の上の貴未さんの間に割って入った。

 

 「どけ、……と言ったところでどかねえだろうな、きっと」

 

 「トーカちゃん!」

 

 僕はがむしゃらに声を上げた。それに反応して彼女は、顔を少しだけ僕の方へ向けた。

 

 「駄目だよ……」

 

 「何が駄目だって言うんだよ。私に、この女を殺すべきでないという理由があるってのか?」

 

 彼女は花で笑った。

 

 「ねえ、トーカちゃん、西尾先輩にとってその人は……僕にとってのヒデや、君にとっての依子ちゃんなんだ」

 

 話の続きを促すような佇まいで彼女は僕を見ている。

 

 「西尾先輩も、そして君も、他人を警戒して独りでい続けて、その中でやっと声を掛けてくれた大切な人だっていうのは同じはずでしょ」

 

 ――アホくさ。蔑みの眼で彼女はそう吐いた。

 

 「『あんていく』には入見さんや古間さん、四方さんに店長がいる。万に一つでも依子に私の正体が露見したその時には、……あの人たちが私の代わりに始末してくれるでしょうよ」

 

 瞬間僕は息を詰まらせた。

 

 「喰種ってのは、殊に人殺しってのはそういうもんだ、カネキ。なあニシキ、お前もそのはずだろ。お前は前にカネキを襲った時、あいつとあいつの親友との友情をを嘲笑ってたよな。親友の振りをして、いつか喰らってやろうとかそんなことを言ってただろ。それだけじゃない、お前が今まで殺してきた輩にだって大切な人はいた、その逆もまた然りだ。ここに来て、自分だけおめおめ幸せに生きていこうだなんて、そんな虫の良いこと言える立場じゃねえだろ、お互い」

 

 厳然と西尾先輩を見下ろして彼女は、冷たい言葉を浴びせ続けた。

 

 言われた当人は、自らの恋人に縋り付きつつも、その言葉を受けて悄然としたみたいに顔を伏せた。

 

 そんな彼の様子を尻目にして、ゆっくりと彼女は赫子を肥大させたのである。その気配に気づいたのか、彼はハッと顔を上げて、攻撃態勢を見せたトーカちゃんを認識し、

 

 「やめろっ!」

 

 その言葉を切っ掛けとして、羽赫から結晶が飛ばされた。しかしそれは貴未さんには当たらなかった。咄嗟に西尾先輩が、自らの恋人を自分の身体で覆って庇ったのだ。

 

 急に動かされて、その煽りを食った二人の身体は祭壇から落ちた。床に血が広がり、西尾先輩は、呼吸はあるがそのまま動かなくなった。

 

 うっ、と小さく声が聞こえた。

 

 女性の声だ。トーカちゃんの声ではない。もしやと思い、貴未さんを見ると、彼女が身じろぎするのが見えた。落ちた衝撃か、はたまた西尾先輩に護られた際に起きたのか。

 

 「ニシキ君……」

 

 自身を護ってくれた彼の名前を呼び、次に彼女は悲鳴混じりに息を吸い、

 

 「ニシキ君っ! 血が……」

 

 恋人から出るむせ返るような血の臭いに酷く慌てふためく。呼吸を乱し、どうすればよいのかも判らず、ひたすら彼の頭を抱えて顔を撫でながら呼び掛ける。

 

 その上を影が覆った。それに気づいて貴未さんは、トーカちゃんの存在に気づいた。ギラギラ、メラメラと揺曳する片翼の襲撃者を見上げ、呆けていた。ハッ、ハッ、と断続的に息を吐き続けている。

 

 しかしそれは、だんだんと柔らかくなり、落ち着いていく。そうして今となっては、こちらにも聞こえないような穏やかな呼吸となってるのであった。

 

 そのままで彼女はこう言った。

 

 「綺麗……」

 

 ギョッとしてトーカちゃんは固まった。言った本人は、自分で言ったことに驚愕し、口元へ手を持っていって視線を泳がせていた。固まったままトーカちゃんは、ゆっくりと肩を弛緩させ、据わらない首の動くままに視線を辺りに漂わせていた。

 

 僕は貴未さんを見やった。自身の頓珍漢な発言の恥ずかしさが込み上がってきているらしく、俯きながら肩を竦ませ、赤面していた。

 

 「あ……」

 

 彼女は視線を前に戻してからそう言った。何かと思い、彼女の目の先を見れば、そこにはトーカちゃんが居なかったのだった。音も無しに、忽然と消えていた。

 

 急ぎ僕は教会を出、辺りを探した。先刻の戦いの興奮の余韻に、僕の身体の感覚は鋭敏になっていて、その五感が何かを察知した。確証はない。けれども確信を持って僕はその気配を追った。気配の先は、車や誰かが来そうな道路ではなく、付近の林の中だった。やはり彼女はそこに居た。

 

 「トーカちゃん……」

 

 名前を呼ぶと、振り向いた。疲れきったという風に目をしょぼつかせ、力なく僕を見た後、再び顔を向こうに向けてしまった。

 

 「何だよ」

 

 「お礼を、言っておかないとって……。見逃してくれて」

 

 ほとんど思いつきの言葉だが、嘘ではない。彼女は自嘲と嘆息が入り混じった息を吐いた。

 

 「情けねえよ、あんなチンケな言葉で、逃げ出してさ」

 

 「でもあれで良かったんだと思うよ。あれが正しかったんだ……」

 

 事実を言うというより、説得とか、言い聞かせるという感じの口吻であった。

 

 「てめえの理想を押し付けてくんじゃねえよ、あの女は本来だったら殺さなきゃならなかったんだっ……」

 

 「まさか! 人を殺す解決の仕方が正しいなんて……」

 

 「じゃあ『あんていく』はどうなるんだよ。もしも、あの女を生かしたことで『あんていく』に迷惑が掛かったら、どうなんだよ。ヒナミも、また居場所を失う事になる。お前は、店長は古間さんに迷惑掛けて平気なのかよ」

 

 「……店長たちも、きっと協力してくれる。君の言ったようにならないように協力すれば……」

 

 「人が死ぬかもしれないんだぞ、それも一人だけじゃない、何人もだ。いや、下手すれば、死ぬよりも酷い目にだって……。てめえの良心に振り回されて、ヒナミをそんな危険なところに曝すってのか、オイ!」

 

 そのような喝破と一喝を受けて、僕は萎縮し、消沈した。何かを言おうと口を開こうとするも、結局何も思い浮かばず、ただ歯噛みするだけであった。

 

 「人を生かすってのはそういうことなんだよ、カネキ! 非道でも確実に生きる道を選ぶか、それとも勝手に仲間の命を――覚悟もしていない女の子も――危険に巻き込んででも大団円を為そうとするのか、どうなんだ!」

 

 言い切った彼女は、こちらに一切顔を向けず、肩で息をしていた。鼻をすする音が、彼女が息を吸うたびに聞こえる。

 

 「分かってるよ。無駄だって分かっててもさ、大切な人は殺されたくないだろうよ、ニシキの気持ちは解るっての。私だって、依子を死なせたくない、みすみす依子を殺させたくない」

 

 声を低く落とし、だけど落ち着いたように彼女は紡ぐ。

 

 「今はまだいいんだ、依子に気づかれるって展望はない。もし気づかれたらっていう想像はしても、そんな遠いこと、上手く想像できるわけがないじゃん。でもそれはただの逃避で、現にこうして、あの娘を殺さなくちゃならない時が来るかもしれないって思うと、怖くて仕方がないんだよ。私はどっちを殺せばいいんだ、どっちを生かせばいいんだ。依子か? 『あんていく』の皆か? そんな無責任な決断が、今出来るわけねェだろ」

 

 けどさ、と、声を震わせながら深く息を吸い込んで、

 

 「ニシキの気持ちは解るって言ったけど、今すぐ解るわけじゃない。ニシキからすれば大切でも、私からすればどうでもよくて、危険因子の女なんだ。だからこそだ。当人じゃ殺せないから、こうして空気の読めない第三者が判決を下してやる必要があるんだろ」

 

 一気に空気を吐き出した。

 

 「もうどっか行けよ、放っとけ」

 

 そう言って彼女は、近くの木に寄りかかって、肩を預けて座り込んだ。

 

 僕は少しの間まごついて、

 

 「あのさ、……もう少しだけ、一緒に居ていい? お願い、何も話さないから」

 

 返事はなかった、その代わり拒絶もなかった。だから僕は黙って彼女の隣に座ったのである。

 

 冬の寒空の下で、肌はどんどん冷えていくのに、身体は火照っていたので、しばらくは寒くなかった。何もせず、互いが傍に居るのを感じながらひたすら、空に浮かぶ月を何の感傷もなしに眺めていた。

 

 ところで後日。ルーミアちゃんが、不意に貴未さんのことについて、次のように言ってきた。

 

 「確かに、あの女の人の気持ちは本物よ。でも、初めて遭遇した喰種が自分の大切な人じゃなくて、どこかの赤の他人だったら、もっと別のことを言っていたことじゃない? そしてその気持ちを持ったまま、恋人の正体を知ったら、自分の過去の感情に引っ張られるままに評価を変えたりして……。ともかく、あの美辞麗句は、自分の大切な人に言ったのであって、喰種に言ったとは限らないとは思わないかしら」

 

 【2】

 

 『亜門鋼太郎の手記』

 

 またしても空亡(そらなき)の犠牲者が出た。今度は若い女性だ。

 

 現場は本人の住まいのアパートの部屋。あちこちに攻撃の痕が残されていた。死体のほうは、車に轢き潰された動物の如き、見るも無残に食い荒らされていた。喰種の犯行と見て警察から捜査を依頼されたCCGは、まず女性と交際していた男性を疑い、尋問した。自分の恋人が――死体の状況は伏せてあったが――殺されたと知って、当然男は動転した。だんだんと自分に突きつけられた事実を受け入れていき、ついに男は自暴自棄になって『尻尾』を出した。

 

 二十区の喰種にしては強い喰種ではあったらしい。突然であったのもあって、捜査官が何人も負傷した。中には腕の切断を要する者も出た。しかし幸いにして殉職者は出なかった。

 

 無事にこの喰種は駆逐、事件は解決に到った。そう調書に記されようとしたのだが、どうも俺には腑に落ちないことがあった。それは男の言動だ。

 

 確かに我々は、男に疑いを掛けてはいたが、鎌を掛けてはいない。それどころか、まだそんなに言葉を交わさぬ内に男に恋人の死を伝えたのだから、何もあの段階で正体を露見させる必要もないはずだ。自分の恋人を殺されたのならあの反応は妥当だが、自分で殺したのならおかしい。あれが演技だったとしても、何のメリットがあったというのだ。

 

 そういった疑問から、俺は現場の調査を続行した。その結果出てきたのが、空亡の痕跡だったのだ。

 

 赫子痕と思しきものは、解析の結果では赫子痕とは出なかった。かと言って、現場の破壊状況は生身の人間では作れるものではない。死体に残されていた歯型や指紋は、以前空亡が残した物と合致。残虐な手口も奴のものだ。これらの証拠は丁寧に残されていた。まるで我々に見せ付けようとしているかのようだ。誘導か、挑発か。だが少なくとも、私をイラつかせているのは確かだ。

 

 ところで、今回の事件は、一体どういう意図を以って為されたのであろうか。

 

 単なる気まぐれの食人という可能性もある。しかしながら、今回の事件も何某かの意図があってのことだとしたら。

 

 例えば、事件発生の前日に、とある教会で喰種同士の争いがあった。中には死体らしきものはなかったが、その代わり二種類の赫子痕が発見された。片方は美食家、もう片方はラビットだ。これは飽くまで憶測に過ぎないが、ラビットと空亡に関連があるのだとしたら、この事件と教会の件とには多少の関係がある可能性もある。

 

 畢竟これもただの邪推だ。これでは真相に辿り着くには心許ない。しかしながら、可能性が少しでもあるのなら、記憶の片隅にでも置いておいても差し支えないだろう。

 

 して、この事件の捜査をするにあたって、手始めに被害者西野貴未の周囲の人間関係をもう一度洗い直そうかと思う。

 

 【3】

 

 幻想郷に、『幻と実態の境界』が引かれてまもない頃の事。その当時、既に宵闇の妖怪は幻想郷内に入って気ままに暮らしていた。

 

 で、その彼女が今何をやっているのかと言うと、妖怪の山と呼ばれる所にて、そこに住む天狗たちと大立ち回りを演じている最中なのであった。

 

 そもそもの事の発端は、宵闇の妖怪が山に侵入したことに因るものである。否、侵入と言うより、流されてきたと言うべきか。何を思ったのか、空で風に吹かれながら、海のクラゲさながらに漂っていて、そのまま妖怪の山まで流されていった次第なのである。彼女も妖怪の山のことは知っていた。鬼を頂点、その下に天狗、河童の格差社会が築かれている所。また余所者に対して排他的で、入ろうものなら間違いなく攻撃されるであろう。それを知った上で彼女は、

 

 「まあいいか」

 

 という具合に、ちょうど山のふもとの森の上を漂っていたところを撃ち落とされたのだった。それで今に至る。周囲四方八方を、山伏の恰好をした奇抜な風貌の者たち、つまり天狗らに囲まれている。亥の刻(二十一時から二十三時)を前にして最初に彼女と交戦した白狼天狗どもは、既にその数多が、宵闇の加護を得た彼女によって昏倒せしめられており、今は急遽他の天狗も混じっての交戦であった。

 

 様々な方から襲いくる天狗らを、千切っては投げ、千切っては投げる。その動きは、彼女の途方もない生の間で研鑽されており、武術に相通じるものがあるが、似通っているだけで武術の洗練された動きとは程遠い、荒々しいものであった。相手が振るう剣を奪い、斬る、刺す。相手の攻撃に合わせて、殴ったり蹴ったりや、脚を引っ掛けてからの追い討ち。敵を一人捕まえてそれを敵に投げる。などなど。

 

 「ふむ、ふむ。それで、先に仕掛けてきたのはあなたではなくこちら側、というわけなのですね?」

 

 と、筆と紙を両手に、宵闇の妖怪の周囲を飛び回る烏天狗の少女。宵闇の妖怪から事情を聞きだしてはいるものの、その目的はこの争いを鎮めるための交渉ではない。天狗社会に於いて烏天狗とは、現代で謂う所の新聞記者を担う者たちであり、彼女も今回の件の取材として宵闇の妖怪にこうして聞き込みをしているのである。が、実を言うと本来彼女は加勢するために駆り出されたのであって、取材をするために来たのではない。ありていに言えばサボリだった。

 

 「そーなのだー」

 

 向かってきた相手の頭を蹴り飛ばして宵闇の妖怪は応えた。

 

 「けれどもこれはやり過ぎなんじゃないですかねぇ……」

 

 烏天狗の少女は周囲の惨状を見回して言った。

 

 「それに、さすがに天狗だって、鬼ほど血の気が多いわけでもないし、何もここまで争いを広げることはなかったのではないですか?」

 

 「だって喧嘩売ってきたんだもの。こっちから売ることはしないけど、喧嘩は必ず買うわよ」

 

 宵闇の妖怪はまた一人敵を捕まえ、頭と足をひっくり返して、一気にその脳天を地面に叩き付けた。

 

 「あやや、それは怖い。しかしながらどうして、撃ち落とされるくらいこの山に近づいたので? ここを妖怪の山と知っていれば、撃ち落とされる領域まで来る前に引き返すはずですが……、ひょっとしてご存じないのですか」

 

 「いや、知ってたけど」

 

 「あやややや! 知ってて入ったんですか! 十中八九攻撃されることを承知で?」

 

 烏天狗の少女はおもしろそうなものを見る眼になった。ふむふむと頷きながらひと通りのことを書き終えると、適当に別れの挨拶をしてさっさとどこかへ飛んでいってしまった。

 

 交渉役が来たのはそのすぐ後である。現場に着いた交渉役はまず、仲間の臨戦態勢を解かせ、下がらせた。その次になって、宵闇の妖怪との交渉に臨んだのである。

 

 「で、貴女はただこの山に流れてきただけであり、今すぐ攻撃をやめればおとなしく引き下がる、ということでよござんすね?」

 

 交渉役はこのように、慇懃な口調で話をまとめた。

 

 「如何にも」

 

 「然らば、こちらも攻撃をやめ、それ以降は貴女には今回の件に関することで手を出さない、それで手打ちにしましょうか」

 

 「ええ、それでお願い出来るかしら」

 

 そぞろにつまらなそうな顔で彼女が言った時であった。

 

 「ちょっと待てい!」

 

 高く、よく通った勇ましい女の声が、闇夜の中から響いたのである。俄かに辺りの天狗どもがどよめいた。それで周囲から、天狗とはまた違う、屈強な、頭から牛のような角を生やした者たちが姿を現した。そうなると天狗たちのどよめきも一層強くなる。何せ、たった今現れた角を生やしたこの者たちこそ、この山で頂点に位置すると言われている、鬼なのだから。

 

 あちらこちらの影の中から次から次にと現れ、宵闇の妖怪を取り囲んでいた天狗どもは、いつの間にか鬼に囲まれていたのだった。天狗たちは一斉に頭を下げた。それによって宵闇の妖怪は、鬼たちと目が合った。とかく連中は、宵闇の妖怪を、値踏みする眼で見ていた。彼女の方を見やりながら、隣に居る者と何やら話していたり、首を捻ったりする者もいる。

 

 「どうして鬼が出張ってくるのかしら?」

 

 それまでとは打って変わって宵闇の妖怪は、愉快そうな面相を見せて、

 

 「せっかく交渉が綺麗にまとまるところだったのに、上がそれじゃあ示しがつかないじゃない」

 

 と、ある方向へ目を向けた。視線が向けられた方に居た鬼どもは、自分の後方を見るや否やすぐさま道を開き、それへ向かって膝に手をついてコウベを垂れたのである。またもや暗闇から現れたのは、二人の、女の姿をした鬼であった。片方は、両側頭部から少々歪んだ形の角を生やした十にも満たない幼い女の子の姿をしていて、もう片方は、額から鉄火の如き赤い角を生やした長身の女性。そして二人とも手首に、鎖の付いた鉄の枷を嵌めていた。

 

 大きいほうの鬼の脇には、先ほど宵闇の妖怪に色々と質問をしていた烏天狗の少女が抱えられていた。彼女は宵闇の妖怪と目が合うと、泣いているのか笑っているのかも判らない面相で手を振った。それを見ると宵闇の妖怪は、片眉を落として微笑した。

 

 「それで、何が不服なの?」

 

 「よくぞ訊いてくれた!」

 

 小さいほうの鬼が前に出て、片手を腰に当てもう片手を突き出して言った。

 

 「私は悲しい! 実に悲しいぞ! 勝手に奥へ入っていたとは言え、警告も無しに撃ち落した挙句、やって来た連中ことごとく返り討ちにされて、あまつさえビビッて何のお咎めも無しにむざむざ帰してしまうたぁな!」

 

 口調自体は、背伸びをした幼い少女が、呂律の回らない舌で大人びた注意をしているに見える。けれども、それを聴いていた交渉役は、途端に目を剥き半ば口を開き、怯えたらしい様子で狼狽し、うそうそとしだしたのである。

 

 小鬼が、そこでだ! と言って、

 

 「この山の首領をやってる鬼の、その四天王を相手に白黒付ければ、誰も文句は無いんじゃないかい」

 

 と、大きいほうの鬼が言った。

 

 「おい勇儀、お前が仕切るなよぉ!」

 

 ピョンピョンと跳ねる小鬼。

 

 「この山の頂点である私たちに、あんたの力を示してみなよ。それならあんたも、折角来てすごすごと帰っていくなんて言わずに、ゆるりとこの山を散策できる。悪くはないんじゃないかい」

 

 「悪くはないわね。ところで、如何様にして力を示せと?」

 

 宵闇の妖怪は大鬼のほうに言った。それを見て小鬼も、チェッと舌打ちをしてむくれ、さすがに諦めたらしかった。

 

 「内容は至って単純さ」

 

 と言って大鬼は――脇に抱えていた烏天狗の少女を離して――、片手に持った大きな、一升は入りそうな盃に酒をそれいっぱいに注ぐと、

 

 「この盃に入った酒を、私に一滴でもこぼさせたらあんたの勝ち。――そら、単純だろう」

 

 気の良い風に大鬼は言うのであった。

 

 「なら、いつ始めるのかしら」

 

 「そっちの都合が良ければいつでも。合図が欲しいなら、萃香が――こっちの小っこいのがやってくれるよ」

 

 ニッと大鬼が笑う。

 

 「ぬう……、ふざけやがって!」

 

 小鬼が憤慨した。少しながら涙も見える

 

 「もういいよ、勝手にしろい! ほれ、合図は出してやる、だからさっさと始めろ!」

 

 それを見て大鬼は頷き、宵闇の妖怪に再度顔を向け、

 

 「こっちは大丈夫だとさ。そっちはどうだい」

 

 「うん、問題はないわ。合図をちょうだい」

 

 そう言って宵闇の妖怪は手で促した。確認するや否や小鬼は

 

 「はいよ」

 

 とぶっきらぼうに言って、近くにあった木を、八つ当たり気味に蹴りつけた。木は根元近くから折れ千切れ、高く飛んでいったのだった。

 

 尻目に見ていた宵闇の妖怪は、こっそりくつくつ笑う。再び大鬼に目を戻し、軽く息を吐いた。そうしておもむろに歩き出す。大鬼は盃を片手に、静かに眺める。宵闇の妖怪が近づくにつれて、ある異変に大鬼は気づいた。

 

 暗い。亥の刻を回ったとしても、ここまで暗くはならない。周囲の物が黒く霞んでいき、真っ暗闇がやがて個々を孤立させた。暗闇の中、大鬼は一瞬の気配と違和感を気取った、暗闇が晴れたのはそれの直後。手に持った盃が消えていた。すぐさま振り向き、ちょうど自分の背後で、盃を片手に背を向けて歩いていた宵闇の妖怪を見た。盃を奪ったのは宵闇の妖怪だったのだ。歩きながら宵闇の妖怪は口元に盃を当てて傾け、その酒を飲んだ。ゆったりと時間を掛けて飲み干すと、ほうっと白い息を吐いた。

 

 「まさかとは思うけど――」

 

 と、口元に薄い笑みを表し宵闇の妖怪は口を開く。ゆっくりと振り向いた。

 

 「四天王相手に、私が馬鹿正直に力ずくで向かってくるとは思っていたりはしないわよね?」

 

 盃の裏の窪みに指を引っ掛け、ふるふると回す。互いの視線が合う。耳鳴りが聞こえてきそうな静寂が流れる。両者とも無表情、そして一瞬の笑み。

 

 宵闇の妖怪はまた大鬼に背を向け、歩き出した。同時に二人の笑みは消えた。瞬間、大鬼は激しい音と共に飛び出した。相手との間を詰め、拳を振りかぶり放つ。それが当たる直前、宵闇の妖怪は剣を取り出す。それを背中に回す。大鬼の拳は剣の腹にぶち当たった。が、そのあまりの衝撃。それを受けた剣に宵闇の妖怪は押された。余波に因って、煽りを食った周囲の木々は揺れに揺れ、余波が天狗や鬼どもをのけぞらせた。

 

 彼女は背中に回してあった剣を前に振る。受けた全衝撃を預けて振るわれ、衝撃は逃がされた。剣の振るわれた先にあったモノのことごとくが破壊された。これほどの惨状を出し、ようやく宵闇の妖怪は踏み止まった。

 

 止まった宵闇の妖怪は、自らの手に持った大剣を自身の目の辺りまで持ち上げて、眺めるように見た。そこに居た者の誰もがその姿に、大剣に畏怖の念を抱いた。刻み込まれた鮮血色の奇妙な文字群、一切の光を許さない真っ黒な剣身、それと紅い刃。

 

 剣を下げて宵闇の妖怪は顔を大鬼に向ける。じっと宵闇の妖怪を凝視してた大鬼と目が合った。

 

 「鬼が約束を反故にする気?」

 

 詰問するように言うと、すまないね、と大鬼が返答をした。

 

 「けど我慢できなかったんだ。どうしても、あんたにぶつかってみたくってね」

 

 申し訳なさそうに大鬼は微笑んだ。

 

 まあいいわ、と宵闇の妖怪は剣の切っ先を向けた。

 

 「そっちが喧嘩を売ると言うのなら、喜んで買うから」

 

 宵闇の妖怪の背中から、真っ黒な翼がゆっくりと現れた。広げられると、それはドス黒かった。真っ黒で、しかしどこか赤っぽい。

 

 「恩に着るよ」

 

 「断ってくれりゃあ良かったのに」

 

 小鬼のほうは頭の後ろで両手を組み、口を尖らせて言った。

 

 聞こえない振りをしているらしい顔で、大鬼は足を広げて腰を落とし、構えた。同様に宵闇の妖怪も構えた。両者共に身じろぎ一つもせず、視線も逸らさない。須臾の隙もない。その場の者の誰もが、畜生たちでさえも息を殺している。辺り一体からは音はおろか、気配すらも消えた。

 

 長い、長い時間が過ぎた。

 

 宵闇の妖怪の姿が突如消えた。否、飛び出したのだ。文字通り瞬く間に。彼女は剣を振った。この距離だとちょうど切っ先が大鬼に当たる。上体を反らしつつ大鬼は後ろに飛び退いた。そこを狙って宵闇の妖怪が一気に肉薄する。勢いに乗せて突きを放った。回避によって大鬼の重心は後ろに寄っている。だが大鬼は、その無理な体勢から足を伸ばし、剣身の根元近くを蹴り、これを上へ飛ばした。

 

 その反動を利用して大鬼は素早く体勢を立て直した。するや否や大鬼は、出鼻を挫かれた宵闇の妖怪に後ろ蹴りを放つ。間一髪で宵闇の妖怪はそれをかわした。負けじと宵闇の妖怪も足払いを仕掛ける。それを大鬼は跳んでよける。続いて来た肘も防いだ。

 

 そうこうしている内に、宵闇の剣はすぐそこの高さまで落ちてきてた。所有者たる彼女はそれをいち早く察知していた。

 

 後ろへ飛び退いた。当然大鬼も追いかけてきた。宵闇の妖怪は蹴りを放つ。と、そこへドンピシャで剣が落ちてきた。剣は見事に蹴り足に巻き込まれ、大鬼の胴体へぶち当たった。大鬼は吹き飛ばされた。

 

 宵闇の妖怪は自らの剣を足で軽く上へ蹴り上げ、それが降りてきたところを掴んだ。手首で軽く振って調子を確かめてから、再び大鬼を見やった。相手は既に立ち上がっていた。剣の当たった所には切創はなかった。さすがは鬼の四天王である。

 

 「やっぱり、やるもんだねぇ」

 

 大鬼は軽く咳き込んで言った。

 

 「良い時代だとは思わないかい」

 

 艶やかに微笑む。

 

 「血で血を洗う最高の時代かしらね」

 

 宵闇の妖怪も同様に莞爾として微笑した。

 

 二人は同時に構えた。直後に大鬼が距離を詰める。目の前まで迫り、大鬼は右拳を繰り出した。宵闇の妖怪は避けた。左拳が弧を描いて放たれる。堪らず宵闇の妖怪は後ろへ下がった。

 

 しかし大鬼は逃がさず距離を詰め直す。そうしてまた右拳が放たれる。よけきれず宵闇の妖怪は剣の腹でそれを受けた。弱めとは言え鬼の拳。防御を崩された。出来た隙間に向けて再度右拳を打たれる。宵闇の妖怪はそれを外側に身を振って避ける。そして左拳を、伸びた相手の右腕の下を通し、下顎狙って突き上げた。が、辛うじて大鬼は顔を引かせた。拳は唇を掠めて空振った。

 

 すぐさま宵闇の妖怪は右手の剣を振るう。相手は後ろに跳んでよけた。おかげで両者の間に距離が出来たのだった。

 

 大鬼は宵闇の妖怪のこめかみ狙って右を振るう。上体を前に屈ませるように宵闇の妖怪はそれをよけ、相手の懐に潜り剣の柄頭で脇腹を殴った。強烈な一撃だ。そのまま大鬼の後頭部目掛けて剣が振るわれる。だが屈んで大鬼はそれを避けた。間髪入れずに力任せに剣の軌道は折り返される。上体を反らしつつ大鬼は後ろに下がってそれを回避した。

 

 直後に大鬼は宵闇の妖怪の剣に飛び付いた。大鬼は相手の腹に蹴りを入れる。相手の力が緩んだ。剣を奪う。

 

 宵闇の妖怪は蹴り飛ばされた。それこそあり得ないくらい。物凄い勢いで飛ばされた。

 

 そのまま彼女は、山のどこかの、急な斜面の所に叩きつけられた。轟音と共に、衝撃波で周囲の地形が歪んだ。しかし彼女に悶絶している暇などはない。大鬼が、奪った剣を、宵闇の妖怪の吹っ飛ばされた先に投げたのだ。それが真っ直ぐ宵闇の妖怪に向かってくる。彼女はその場で横に転がってよけた。剣が斜面に突き刺さり、それに因って更にそこが滅茶苦茶になった。ひとまず宵闇の妖怪は、突き刺さった剣に手を引っ掛けて、斜面のその場に留まり、様子を見始める。

 

 一方、鬼側。

 

 先ほどから、これほど白熱した戦いを見せつけられて、観戦していた鬼たちもだんだんと血が滾っていっているのだった。その中でも特にうずうずしていたのは、他でもない、萃香と呼ばれた小鬼だった。自分もあの鬼と同じで四天王の一人であるはずなのに。また、無碍に扱われて業腹なのもあった。

 

 自分も戦いたいという当て所のない気持ちがついに暴走したのである。小鬼はその気のまま、自身の能力『密と疎を操る程度の能力』を使い、周囲から岩を引き寄せた。続いて、萃めたそれを更に圧縮して、人体よりも遥かに巨大な岩を造った。

 

 「勇儀ぃ!」

 

 そしてそれを、大鬼の方へ投げたのである。名前を呼ばれて大鬼は振り向くと、いきなり巨大岩がやって来たので、思わずそれを受け止めたのだった。

 

 「何すんのさ!」

 

 と怒鳴っても、小鬼は、

 

 「やれ! やれ!」

 

 このように興奮のままに叫び散らすのみで、大鬼からの文句なんぞは最早聞こえていないらしかった。

 

 しかしながら大鬼も、戦いの中で膨れ上がった興奮もあった。何の疑問も持たず、にやりと笑うと、またしても宵闇の妖怪の飛んでいった方へ投げたのである。

 

 その岩が向かってくるのを宵闇の妖怪も当然また見ていた。彼女は剣を斜面から引き抜くと、三歩四歩ほど走って、大きく跳躍した。背中の翼で勢いを加えながら、真っ直ぐとその巨大岩に突っ込んでいった。

 

 すると何と、剣を大きく振りかぶり、巨大岩へ思いっきり叩きつけて、跳ね返したのだ。巨大な物が空気を押し退けつつ凄まじい勢いで、投げられた方へ返っていく。やはり大鬼もそれを見ていて、受けて立つとばかりに、彼女もまた意気揚々と上空へと跳び上がったのであった。

 

 空気を強靭な脚力を以って踏み固め、空中でどんどん速さを上げて巨大岩に迫る。そして巨大岩を思いっきり殴った。今しがたのと同様に巨大岩はまたしても弾き返された。それはまた弾き返され、そして更に弾き返される。このような応酬がしばらく続く。

 

 岩の返し合いをする内、次第に両者の距離は近づいていく。何回も繰り返されると、ようよう両者の距離は、岩を隔てるのみの所まで迫っていくのである。片や叩き切り続け、片やぶん殴り続ける。岩の表面に走るヒビが次第に全体を覆いつくしていく。

 

 ある時を契機に、岩の両側で両者が――見えていないはずなのに――示し合わせたかのように同時に、渾身の力を込めて振りかぶった。直後に両側からの壮絶な衝撃に挟まれた岩はついに砕けた。

 

 細かく砕けたとて、元は巨大な岩から出来た破片は大きい、それらが山の各所に降り注ぎ、これまた迷惑極まりない甚大な被害をこの山に満遍なく与える。それでもこの二人はお構いなしだった。行く手を阻んでいた障害がなくなり、晴れてぶつかり合おうとしていた。

 

  ぶつかる瞬間、大鬼は例によって拳を放った。宵闇の妖怪は刺突の構えを取っていた。だが不意にその体勢を崩す。大鬼が放った拳は宵闇の妖怪の耳を掠めた。その代わり宵闇の妖怪の足が大鬼の胴に入った。大鬼が出していた勢いは一挙に殺され、そのまま宵闇の妖怪が大鬼の上に乗っかる形で落ちていく。

 

 二人は山の裾野の、ほとんど平坦な所に落下した。落ちた所を中心に衝撃の波紋が広がった。

 

 大鬼の上に乗ったまま、宵闇の妖怪はその場で地団太をする具合に大鬼を踏んづける。大鬼は一寸地面にめり込む。更に足踏みを続ける。執拗な乱打。刹那の内に大鬼の全体が地面にめり込んだ。

 

 宵闇の妖怪は最後のひと踏みをして跳び上がり、剣を振り上げる。トドメとばかりに対象を凝視。落下を始める。落ちる勢いに乗せて剣を振り下ろした。

 

 が、止められた。

 

 大鬼の両掌が剣を挟んだのだ。

 

 両者の力が拮抗する。剣が大鬼の顔に近づく。大鬼はそれを相手側に押しやる。そうして一瞬大鬼は自身の方へ引き、一気に押し返した。いきなりの事に宵闇の妖怪は平衡を崩した。その隙に大鬼は起き上がり、宵闇の妖怪に掴み掛かる。抵抗する間もなく宵闇の妖怪は大鬼によって投げ飛ばされた。

 

 またも飛ばされた宵闇の妖怪は、今度は壁面や急斜面だとかに激突するということはなく、山のどこかに地面に着地した。足の着いた地面を抉りながらどうにか踏ん張って止まった。一息ついて、自分が剣を落としてしまっていることに気づく。が、どこに落ちたかは、あの剣の所有者である彼女には大方判る。剣の気配がする方へ進んでいくと、崖に出た。とても高い崖だ。下に広がる木々があまりよく見えない。

 

 剣の気配は近かった。剣は縁の結構下、崖の半ばより上に突き刺さっていた。覗き込み宵闇の妖怪がそれを確認すると、ふと宵闇の妖怪は目線を少々上げて、崖の下に広がる森を見た。

 

 遠くのほうで、木が異様に揺れていたのだ。まるで巨獣が荒々しく突き進んでいるみたいに、それは次第に宵闇の妖怪に近づいてきている。

 それを確認して宵闇の妖怪は、その崖の縁に立ち、倒れ込むように落ちていった。崖の壁面に足を着け、下に向かって駆け抜ける。

 

 宵闇の妖怪のもとへ向かう者は、崖の下まで来ると一気に跳び上がる。それで顔を見えるようになる。その者はやはり大鬼だった。大鬼もまた壁面に足を着け、崖を駆け上がっていくのである。

 

 宵闇の妖怪は崖を駆け下る途中、壁面に突き刺さっていた剣を引っ掴んで抜いた。同時に大鬼も攻撃の態勢に入る。

 

 その兆候が見えたのは、大鬼がとある一歩を踏んだ時であった。彼女が壁面を踏みしめると、それだけでその周囲が揺れる。それは遠くの者でさえ判るくらいに。

 

 四天王奥義『三歩必殺』。

 

 この大鬼――星熊勇儀の最後の切り札とも言える必殺の一撃。ただ三歩の――それでも相当な距離を進めるが――移動に乗せた打撃という、至極単純であり、それ故に最凶の破壊力を孕んだ一撃である。

 

 そうして二歩目が出る。

 

 今までの行動の通り、宵闇の妖怪はそれに真っ向から攻撃するつもりは毛頭ないだろう。剣を構える振りをしつつ、いつでもその壁から飛び上がって避けられるように、脚に力を入れている。

 

 三歩目が踏まれた。その瞬間であった。

 

 突如、宵闇の妖怪の背後に、何者かが近づいてきた。それを宵闇の妖怪は察知する。振り向こうとした。しかしそれよりも前に、彼女の背中に凄まじい打撃が加えられた。宵闇の妖怪は大鬼を巻き込んで落下していった。

 

 これまた破壊的な衝撃波が広がる。それを生み出した者たちは、二人して地面にめり込んでいた。

 

 「あいたたたた……」

 

 打たれた背中をさすりながら宵闇の妖怪が起き上がり、

 

 「うう……、頭がガンガンする……。あ、元からだった」

 

 と、大鬼が頭を抱えながら起き上がった。

 

 二人は、純粋な決闘に横槍を入れた張本人に、恨みがましい眼を向けた。

 

 だが。

 

 「げえッ、華扇!」

 

 大鬼が目を剥いた。

 

 そこに佇んでいたのは少女だった。両側頭部にある何かを隠すようにそこに布を被せていて、手首には、大鬼と小鬼に付いているのと同じ鉄の枷が嵌められている。

 

 その肩には、先ほど大鬼と一緒に居た萃香という小鬼が担がれていた。

 

 「いい加減にしなさいッ、この馬鹿者ども!」

 

 大鬼は苦々しげに、心底面倒臭そうにため息を吐いた。

 

 「今何時だと思ってるの! 亥の刻の鐘がとっくに鳴っているのよ!」

 

 「いやあ、悪かったよ。でもさ、ほら――」

 

 と、大きいほうの鬼が宥めようとするも、

 

 言い訳するんじゃありません! と少女は一喝した。

 

 「大体! ただの喧嘩で山を壊す事がありますか!」

 

 こういった流れで、大鬼、小鬼、宵闇の妖怪は、三人仲良くよく解らない説教を長時間もの間受ける事となったのである。

 

 端々に細かい薀蓄が挟まれている、難解な喝破を何時間も聞かされ、適当にそーなのかーとでも流そうものなら説教の量は更に増大する、さしもの宵闇の妖怪もこれには堪えた。

 

 最初では、意識せずとも言葉は聞こえているものだが、長い時間聞いていると、次第に疲労が溜まってきて言語の理解が困難になってくる。そうなった頃にようやく三人は解放されたのだった。

 

 解放されて、大きいほうと小さいほうの鬼は、ふらふらと逃げるように去っていった。宵闇の妖怪も同様に帰ろうとしたのだが、

 

 「ちょっといいかしら」

 

 少女に呼び止められた。

 

 うんざりしたように宵闇の妖怪はため息を吐いて、黙って振り返った。しかし彼女が振り返ると、少女は黙って手招きだけをして、背を向けて歩き出したのである。首を捻って宵闇の妖怪はその後に続く。しばらくついて行くと、会所と思しき所まで来たのであった。

 

 中に通されて、相手は座り、宵闇の妖怪もまた促されるままに座った。

 

 「随分と、人から怨嗟や恐怖を買っているようね」

 

 茶を出した後、出し抜けに少女はそう言った。

 

 「はて、何のことかしら」

 

 ズッと茶を啜る。

 

 「とぼける必要もないわ」

 

 と言って、少女は左右の小さな布を取り払った。

 

 現れたのは角だった。ただしそれは根元近くから折れていて、断面のみが髪の毛から覗いていた。

 

 「私には判る。あなたの周りから、あなたに弄ばれた者たちの鬼哭が聞こえる……」

 

 脅すようでもない、如何にも落ち着き払った居住まいと声音。

 

 「自分の置かれた境遇から脱しようと、あの娘たちと一緒にこの国へ来た。でもそこでも私たちは、人並みの暮らしは出来なかった」

 

 朗読するように少女は語り出した。

 

 「生きるためとは言えど、私たちは、未来永劫救いは許されない過ちを犯した。人から物や命を奪うだけでなく、その血までも……」

 

 それでも、と繋ぐ。

 

 「それらの罪はすすがれ、赦される日はいずれ訪れてくると、虫の良いことに私たちはそれを信じきっていた」

 

 それがこれよ、と、淡々と言った。

 

 「やがて私たちは殺されたわ、でもそれだけで今までの罪は拭い切れなかった。死ぬことも許されなかった私たちは、鬼としてこの世を、修羅の如く彷徨い続ける」

 

 「要するに――」

 

 宵闇の妖怪は言う、

 

 「あなたたちは謂わば悪霊や怨霊の近似であるというわけね」

 

 意地悪そうな笑みを浮かべて。

 

 ええ、と、少女は憤慨するとか慨嘆するという様子も見せず、静かに肯定した。

 

 「この罰は、自然に依ってもたらされたもの。誰かが私たちに罰を与えるために起こした現象なんかではなく、殺された私たちが勝手になったもの……」

 

 少女は少しだけ憂いの表情を見せた。

 

 「人は鬼になれるけど、……鬼は人にはなれない」

 

 【4】

 

 むかしむかしの話でございます。

 

 大陸の、ある所に四人の少女たちがおりました。血のつながりはないかもしれませんが、まるで本当の姉妹であるかのように仲むつまじいものでございました。この娘たちには名前がありません、人間以下の扱いを受けておりました。謂わば奴隷でございます。

 

 あるじに引っ張られながら色々な所を転々とし、ついには船に乗せられ、となりの島国へと渡ることとなりました。そこでその娘たちは、自らを繋いでいた鎖をなんとか外し、そこから逃げ出したのでございます。

 

 ですが、そこでその娘たちが人並みの幸せを手にすることができたかと言えば、そうでもございませんでした。物心つく前から奴隷で、身寄りのない娘らには、よすがとなる存在がなかったのでございます。それでやむにやまれず、その国で、人を襲って物を奪いながら生き延びることを選びました。その際、自分らと似たような立場に置かれた、捨てられた子供や老人を引き入れて行っておりました。

 

 そのような悪事を重ね、また次第に仲間も増え、彼女らの悪名は人々の間でささやかれるところとなりました。そのころには立派な山賊です。

 

 そうして一つの集団として固まってきた折、筆頭となっていた四人の少女の中の、末妹にあたる少女が、ここの頭になりたいと言い出したのです。上の三人の少女は多少は渋りはしましたが、肩書きだけというならと、これを許しました。

 

 けれども、それにはその末妹なりの考えがあってのことでございました。

 

 末妹は四人の中で一番小さい娘でした。当然、上三人へ、自分の弱さの負い目があったのでございます。ですから、自ら山賊の頭となることで、いざという時にみんなを護ろうとしたのでしょう。

 

 やがてその者たちは、京の大江山という山に辿りつき、そこへ住み始めました。

 

 そしてある朝、彼女らは異変に気づきました。なんと自分の頭に、牛のような角が生えていたのです。そうです、彼女らは鬼となっていたのでございます。

 

 人を襲い、初めの内は罪の意識に苛まれていたものだけど、だんだんとそれも薄れ、ついには自分らのしていることの後ろめたさを感じなくなった。それだけの罪を犯したからこそでした。

 

 ですが、こうして鬼となった彼女たちは、ようやく思い出したのでございます。

 

 これによって最も動揺したのは、筆頭四人の中で長姉にあたる少女でした。彼女は自身の頭から生えていた角を折ると、そこへ布をかぶせて隠してしまいました。

 

 自らの罪悪を思い出したその者たちは、どうにか救われたいと思い、色々と考えました。考えに考え、その果てに導き出したものが、いつか自分たちにも罪を拭う好機が訪れるかもしれないというものでした。こうして日々自らの罪を悔い改め、待ち続けていれば、必ずその罪をあがなう機会を恵まれる、と。それは奇しくも、はるか西方の地で信じられている宗教の考えと似通っているものでした。

 

 その矢先でございます。

 

 ある時、彼女らのもとに、とある一行が訪ねてきました。一晩泊めてくれというもので、彼女らは快く彼らを受け入れました。

 

 その晩はご馳走を出し、一緒になって楽しく騒ぎました。彼女らに角が生えていようとお構いなしです。それどころか、名前のない彼女らに名前をつけてさえくれました。

 

 その時彼女らは決めました。彼らこそ友として大切にすべきであると。きっとこれは、自身の罪をあがなう機会を、天の神様が恵み賜ったのだと、固くそう信じていたのでございます。

 

 けど、世界はそんなに優しくありませんでした。

 

 その夜、彼女らが寝静まった頃を見計らって、その一行は彼女らの首を刎ねました。彼らは、大江山に住む鬼を退治するためにやって来たのであり、彼女らはその鬼として退治されたのでございます。

 

 たとえ天が許したところで、彼女らによって悩まされた者たちの恨み辛みは消えません。人を殺したらその事実は何があろうとも消えません。畢竟、罪をあがなう機会を求めるのは虫の良い話であったのでしょう。

 

 彼女らが女の身であるのにも拘らず、ただひたすら殺すためだけに一行は刀を振るい続けました。よもや彼女らは、人としても女としても見られておりませんでした。

 

 その中で、筆頭の長姉だけは、腕を切り落とされながらも一人だけ逃げ延びていました。ですが、切り落とされた腕の傷が元で、まもなく命を落としました。

 

 けれども、彼女らの生はそこでは終わりませんでした。

 

 鬼となっていた彼女らは、殺されたことによって人間の肉体を失い、完全なる鬼となりました。

 

 時を同じくして長姉も、鬼として目を覚ましました。目が覚めて彼女は、失った自分の腕を捜しに行きます。そのために、自分の腕を切り落とした者を探し出し、長い時間を掛けてついに見つけたのでした。彼女は自分の腕の存在を確認すると、その者の養母に化けて襲撃し、見事腕を取り返しました。

 

 が、その時の彼女は人の身ではなかったのです。取り返したのはまだ人間の部分が残っていた頃の彼女の腕、ということは、彼女は腕を取り返していながら依然として腕を失ったままという矛盾した状態となります。

 

 こうして彼女の欠けた腕の所には、煙のような幻肢のみがくっ付けられたのでございます。彼女はこれからも、もうこの世にありもしない、失った自分の腕を捜して彷徨い歩くのでございます。

 

 あの娘たちは、どこでまちがえたのでしょうか?

 

 幼い頃より人間以下の扱いを受け、それが嫌で逃げ出したところで真っ当な暮らしもできず、生きるために無我夢中で人を襲い、その後罪悪感に駆られて、救われたいと思った。それはまことに自分勝手なことでございましょうが、それを求めずにはいられないのが人間というものでございます。

 

 天網恢恢疎にして漏らさず。




 うん、これは傑作だ!(錯乱)
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