陽気な魔法食いと鋼の魔女   作:シバリオン

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邂逅 Ⅱ

「一道。鳳一道と申します」

少年――鳳一道はベッドの脇のカーペットの敷かれた床に正座し、両手で正三角形を床に作ってそこに額を押し当てた。その対面、木作りの回転椅子に座す少女は一道の後頭部をじとっとした半目で見下ろしてた。

「私はリシュ・エルディーシャ。んで?」

「誠に申し訳ございません」

 リシュの「んで?」に殺気を感じ取り、一道はもう何度目になるのか分からない謝罪の言葉を述べた。

 いくら夢とは言え、女の子を犯そうとするなど男として、いや人として最低の行為だった。出来心だということを分かってほしい。

 いや、これ……夢だよな?

 一道は土下座を解いて顔を上げると、自分の頬に触れた。針で刺されたような鋭い痛みが走り、指先に水気を感じる。見れば触れた左の指には真っ赤な血が付着している。

 左の頬に四本、右の頬に一本ずつ、切り傷ができている。リシュに凶器のような右腕で鷲掴みにされてできた傷だ。

 夢でも傷はできるだろう。だが、これが夢だと証明するために頬をつねろうにも、すでに頬は切り裂かれて痛いのだ。出血までしている。

 それに、さきほどのリシュの翼。今はもう跡形もなく消えているが、あんなものが現実にあるとは考えられない。

 一道は血の付いた手から目を離し、改めて自分のいる場所を確認する。

 八畳ほどの洋室。天井は漆喰の板張りで、中央からゴシック調のランプが下がっている。これはこの空間で最初に見たものだ。壁は下半分がレンガでもう半分は白く塗られた石造り。床には一面に赤茶のカーペットが敷かれている。

 部屋のドアから見て正面の壁に大きな窓と、一道の寝ていたベッドが横向きに置かれている。ベッドの頭側の脇にはクローゼットがひとつ置かれ、足側には一人用の木作りのテーブルがある。リシュはそのテーブルから椅子を引いてきて一道の前に座っていた。テーブルの上には本や書類が山のように積まれ、ペンが散乱している。

 ドア側の壁は、決して低くはない天井まで届くほどの本棚で埋め尽くされ、大きさから表紙の色まで多様な本が詰め込まれている。

 飾り気のない部屋だ、と一道は内心で思った。機能性を重視して余分なものを廃したようだ。唯一、テーブルの上にだけ生活のにおいが漂っている。

 全く見覚えのない部屋だった。一道の部屋ではないし、一道の知り合いの部屋ということもない。

「これぇ……夢?」

「私にとっては悪夢みたいなものだけど」

「あ、はい。本当に、本当に申し訳ありません」

 何度も頭を下げながら、一道は考える。

 起きたら見覚えのない場所に、宝石のような翼と凶器の腕を持つ女の子と一緒にいる。普通に考えれば夢だ。

 セックスしようとして痛い目に遭うというありがちな夢だ。翼云々はともかくとしても、あとで思い出せば笑い話になるような出来事だ。

 だが、一道は半信半疑だった。

 頬の傷が、これは現実だと告げている。目に焼き付いた翼の美しさが、これは夢じゃないと告げている。空気の匂いや聞こてくる音が、自分で感じられる全ての情報が、ここが現実だと言っている。

 一道は立ち上がると、リシュを正面から見つめる。リシュは椅子から床に届かない足を持て余して揺らしている。本当に小柄だ。

「えー、リシュさん? 聞きたいんだけど、ここってどこ?」

 リシュは表情を全く動かさないまま、首だけを僅かに傾けた。

「アリーナの首都レツザン。聞いたことない?」

「いえ、ありません……ありがとうございます」

 一道はがっくりと肩を落とした。

 聞いたこともない。というより、そもそもおかしい。

 首都、というからにはレツザンというのは街の名前で、アリーナは国の名前だろう。もうその時点で日本ではない。だというのに、リシュとは日本語でコミュニケーションが取れている。世界で通用する日本語もあるにはあるだろうが、それは単語ばかりでこんな風に日常会話に使われるほど日本語は浸透していないだろう。

 だとするなら、これは本当に夢。

「夢じゃねえならなんなんだよ……」

「ねえイチドー」

「はい?」

 一道はやや発音の怪しいリシュに力なく答える。いきなり呼び捨てか、と思わないわけではないが、別段目くじらを立てるようなことでもないので黙っておく。

「とりあえず、これは夢じゃないから。現実。あなたがどこから来たかは分からないけど、召喚したのは私だから、それは謝る」

 ごめんなさい、とリシュは頭を下げた。

「で、あなたが元いたのはどこ? ガルドライト? ケレスパレーダ? そんな良い服作れるなら、もっと北の国?」

 なんだ、その横文字のオンパレードは……。

 一道は反応に困り、とりあえず日本に関する単語がなかったため首を横に振った。今、リシュが口にした単語も恐らく国や街の名前なのだろうが、一道はどれも耳にしたことはない。

「日本って国なんだけど、知らない?」

「ニホン……二本? ごめん、知らない」

 残念な答えだったが、それは一道にとっては案の定だった。日本語を使っているのに日本を知らないというのは、やはりおかしな話だ。

 だとするなら、やっぱりここは……

「召喚、ねー」

 一道は先ほど、リシュが口にした中で唯一聞き取れた単語を反芻する。

 一道は健全なる日本男児だ。当然、ゲームや漫画には小さい頃から触れてきたし、“召喚”という言葉とこの状況を結び付けられないわけではない。

 だがそれは、あまりにも荒唐無稽というか、現実離れした話だ。まさに、“現実離れ”。

「んま、実際に見てみるのが早いか……」

 一道は存在は認識していたものの、ずっと本能的に見ることを避けていたベッドのすぐ上の窓から外の様子を伺った。

 窓からでは見えないが、左手から差し込んでくる夕日に照らされて、世界は緋色に染まっていた。一道のいるこの建物は高い丘の上に位置しているようで、眼下の街の姿を一望できた。

 手前、丘の麓からは数回建てにもなるマンションのような洋風の建物が所狭しと立ち並んでいる。一道は詳しい知識がないが、もし誰かに分かりやすく伝えるとするなら、ヨーロッパのような建物と表現するだろう。

 そしてその先、山の稜線を覆い隠して立つのは、石と鉄で作られた高層ビルのような建物だ。数え切れないほどの尖塔が赤から紺のグラデーションに染まる空に向かって突き出している。ビル群からは黒い煙が立ち上り、直径数十メートルにもなりそうな巨大な歯車やハンマーがゆっくりと動作している。ビル同士を繋ぐ橋が所狭しとかけられ、まるでクモの巣のように見える。

 そのビル群の中を、船が飛んでいた。

 木や鉄で作られた船が、左右に羽やプロペラをいくつも付け、大きいものは巨大歯車と同じかそれ以上、小さいものはずっと小さいが、確かに船が飛んでいた。一道が知る海に浮かぶ形のものもあれば、飛行船のような形のもの、飛行機に近い膨らんだ船底を持たない形のものまで様々だ。

 船は黒い煙を煙突から吐きながら、ビルの上を回ったり、橋の下を潜っていく。

「イチドー、どうした?」

 窓の外の光景に見入ったまま動かない一道に、リシュが立ち上がってその肩を揺すった。いつの間にかベッドに身を乗り出し、窓に食らいつくような姿勢になっていた一道は、リシュの呼びかけで正気を取り戻した。

「いやぁ……まあ、来ちゃったなー、と思って……」

 あはは、と笑いながら、一道は頬の傷に手を伸ばす。すでに血は乾き、指で触れると赤黒い塊が掌に落ちた。それらを転がしながら、一道は確信した。

 ここは、異世界だと。

 

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