一道は肘置きで頬杖を付き、蹴り上げるような動作で足を組んだ。
「ごめんなさい……」
「ほぉんとさー、どうしてくれんのー」
一転して椅子を奪い取り、大仰な態度で座る一道に、深々と頭を下げるリシュ。一道はそんなリシュを指差し、その指をくねくねとした動きで左右に振る。
「いきなりこんな世界に召喚されてさー、しかも戻れないってー?」
わざとらしく語尾を伸ばして嫌味ったらしく喋る一道に、リシュは腰を折って頭を下げたまま動かない。まるでお手本のような美しい礼だ、と一道は内心暢気にその様子を観察している。
「魔法。魔法あるんでしょ? この世界。だったらなんとかしてよー。俺を召喚したってことは、リシュちゃんも魔法使えるんでしょー?」
「ごめんなさい……その……その召喚に失敗して、イチドー……君が召喚されちゃったわけで、して……」
先程までの一道と同じように必死に弁明を続け、名前の読み方まで改めたリシュは涙を堪えているのか、それとも怒りを抑えているのか肩を小刻みに震わせていた。ちなみにその様子を上から見ている一道は、絶対に後者だと考えている。
一道は腕を組むと、床を蹴って回転椅子を回す。そして嘆息。
「まぁ、起きちゃったのは仕方ないしさ。ふざけるのはこの辺にして、ちゃんと話そうか」
「いや、私……真面目に話しているつもりだったんだけど……」
顔を上げて目を細めるリシュに、一道は両手を振る。
「まあまあ、俺がふざけてたのは確かだけど、それはこの傷の分ってことで」
「いや、それはあなたが悪い。全て悪い」
「…………うん、そうだね。そこは……ふざけちゃだめだね」
一道は再度、頭を下げて謝罪すると立ち上がった。リシュに椅子に座り直すように勧め、自分はベッドに腰掛ける。
太陽はすでに地平線の彼方に沈んでしまったのか、窓の外は暗く、空は西の一角に僅かに紫紺を残すのみとなっている。
しかし街は日没とともに明かりを灯し、近くのヨーロッパ風の街並みは窓から漏れる光と街灯でライトアップされ、遠くのビル郡は特に強い光で溢れ、赤や青が煌めいている。そこだけを切り取ってみると、一道には日本の街の夜景とさほど違いはないように感じる。
「んじゃ、詳しい話しを聞かせて」
手を一つ打って一道は催促する。リシュは椅子に浅く腰掛けると、床に届かない足を振り子のように揺らしながら話し始めた。
「イチドー……君が別の世界から来たなら、この世界のことは何一つ知らないでしょ。ここはデイルセニアって言って、七つの大陸からできてる世界。大陸の周囲には島もいっぱいある。私たちがいるのは中央にある、ラージ大陸」
リシュは立ち上がると、本棚から一冊の本を取り出し、開いて一道に見せた。
丁寧に塗られた地図には七つの陸地と海、小さな島々が描かれている。中央にハート型のような大陸があり、リシュがそこを指差している。
地図の上部を北とする方位記号で見て、地図の中央にラージ大陸、南東に細長い大陸があり、そのすぐ上に四角い大陸。北に二つ、やや小さい大陸があり、西から南にかけて二つの大陸が合わさったフォークのような大陸がある。
大陸ごとに文字や記号が描かれているが、どれもさっぱり読めない。英語ならある程度は読めるし、中国語やハングル、アラビア語などの特徴的なものも見た目だけなら判別可能だが、そのどれにも当てはまらない。
仕方なく、一道は地図だけで判別するしかない。
「中央って、本当にど真ん中だね」
「うん。ラージは人間が多くて一番安全な大陸。それで、今いるのがアリーナっていう国で、その首都のレツザン。それはさっき聞いたよね?」
リシュはハート型のラージ大陸の三分の一近くを占める領土の国を指で示す。唐突に増え始めた横文字に苦戦しつつ、一道は頷く。「アリーナ、レツザン」と頭の中で繰り返す。
「一度に説明しても分かりにくいから、国はこの辺ね。それで……私が召喚魔法を使ってイチドー……君を召喚しちゃったわけだけど……」
「呼び捨てでいいよ。それって、本当に俺のいた世界には帰れないの?」
一道のストレートな質問に、リシュは俯いた。明確に否定も肯定もしないが、その反応がなによりの答えだ。どうやら、本当に申し訳ないとは思っているようだ。
「まあ、そんなに気に病まなくても大丈夫だよ」
「でも……」
「だって俺、別に帰れなくてもいいし」
「え……?」
顔を上げたリシュは呆然とした様子で一道を見つめた。その顔にははっきりと、なにを言っているのか理解できない、と書かれている。
最初の鉄面皮な印象とのギャップが強すぎて一道は思わず吹き出しそうになったが、相手は本気で自分のことを心配しているのだと、どうにか踏みとどまった。
代わりに、できるだけ軽い調子で続ける。
「この世界、面白そうだし。元の世界にも未練ないし」
あはは、と笑う一道に、リシュは身を固くした。
「でも、さっき……あんなに……その、帰りたさそうにしてたから……」
「ん? あれは本当にふざけてただけだよ? 本心なんかこれっぽっちも混じってないから大丈夫、大丈夫。っていうか、ごめんね。そんなに気にしててくれたんだね」
結構、優しい子なんだな。
あっはっは! と声を上げながら、一道は内心で冷や汗を掻いていた。
顔を上げたリシュが、涙で瞳を潤ませていたからだ。本当に、最初の印象とのギャップが激しい。実は普段が冷たく見えてしまうだけで、本当は普通の子なのだろう。
もし今後も付き合いが続くようなら、その辺りは気をつけなければ、と内心に言い聞かせる。
「でも、イチドー……両親は、お父さんとお母さんは大丈夫なの? 他にも家族はいないの?」
「ああ、平気平気」
そんなの。
と、一道は変わらず軽い口調で答えた。
リシュは表情に不安さを残しながらも、一道本人からの言葉に一応は納得したのか、それ以上、執拗に謝罪をしてくることはなかった。
「それにしてもイチドー、別の世界に連れてこられたのに、やけに冷静だね」
リシュは足をブラブラさせながら、小鳥のように首を傾げる。そんな何気ない仕草にときめきつつ、一道は答える。
「んー、まあ普段から余裕を保ってようって心がけてるから……かな? それにしたって、こんな状況に放り出されて平然としてんのはおかしいか」
言った一道自身も腕を組んで首を傾げた。
この部屋で目を覚ましたときも、リシュにここが異世界で自分は魔法で召喚されたと聞いたときも、さほど驚きはしなかった。逆にリシュがベッドの脇にたってスウェットを触っている姿と、彼女の出した謎の翼を見たときの衝撃の方が何倍も大きかったくらいだ。
普通は、逆だろう。
「なあ、まだ出会ったばっかでこんなこと聞かれても困るかもしれないけど……俺って変?」
その問いに、リシュは肩をすくめた。
「変っていうか、変態」
「いや、その話は……」
「ほんと、悪夢だよ」
一道は返す言葉を失い、魚のように口をぱくぱくさせることしかできなかった。その件に関して全面的に非があるのは一道の方だ。
眉間にしわを寄せ、腕を組んで黙考する。
考えろ、考えろ、考えろ……。
「……そうだ! 俺があんな行動に出る原因を作ったのはリシュちゃんの方じゃないか! そんな際どい格好で寝起きの枕元に立たれたからもう、俺のマグナムが着火してフルバーストで――」
眉一つ動かさないまま右腕を顔の横に上げ、鉤爪の形を作ったリシュに一道は押し黙った。マグナムやフルバーストという言葉がこの世界にも存在するかは定かではないが、会話の流れで意味を察したのだろう。もっとも、言った一道にもマグナムが着火してフルバーストの意味はさっぱりだが。
しかしこれ以上言い続けたら、次はどこに傷をつけられるか分からない。
仕草だけ見れば猫の真似みたいでかわいいんだけどなぁ、などと軽薄なことを考えつつ、逸れた話の流れを戻す。
「まあ、あれだ。俺が慌てないのは、人にそういうダサい姿を見られるのが嫌だから……ってことかな?」
「……ダサい?」
「格好がつかないってこと。そういうリシュちゃんこそ、異世界から来た人間見ても慌てないじゃん。やっぱ魔法が使えると、そういうことってよくあんの?」
「うん、とりあえずちゃん付けは気持ち悪いからやめて」
「あ、はいすいません」
つい数分前の涙ぐんだ彼女を見て付けた、冷たく見えてしまうだけ、という評価を一道は取り下げざるを得なかった。しょんぼりと肩を落として見せた一道だが、リシュが涼しい顔をしているのを見てくだらない芝居をやめた。
「んじゃあ、本題。召喚するための魔法を使ったってことは、理由があるよね。失敗したってことは、俺に来て欲しかったってわけじゃなさそうだけど。なんで召喚魔法使ったの?」
異世界に召喚されたともなれば、やはり一番気になるのはその理由だ。
そう思っての問いかけだったが、いざ聞かれたリシュはなにやらそわそわと落ち着かない様子だった。
召喚の目的を話すに際して、なにか言いづらいことや問題があるのかもしれない。
仕方なく、一道は助け舟を出す。
「あれですか? 魔王倒しに行くんすか?」
「いや……そういうのはない。っていうか、いない」
「じゃー、誰にも引き抜けない剣を引き抜いて欲しいとか?」
「うん、それもない」
「んー……魔法で肉体改造して最強の生体兵器作っちゃうとか?」
「違う」
一道は低く唸った。
他に異世界召喚のテンプレってあったか?
探せばいくらでも出てくるのだろうが、一道が知っているシチュエーションのパターンはあまり多くない。それにもうここは日本ではない上に帰ることもできないようなので、新しく知識を増やすこともできない。
そもそも考えてみれば、最初に目を覚ましたのがこの質素な洋室だ。ここから魔王退治や伝説の剣を探しに旅立てと言われても、いまいち締まらない。
大きな目的があるなら、必然的にそれに携わる人数も多くなるはずだ。疚しい目的がある秘密結社のような状況なら話は別かもしれないが、秘密結社がこんな丘の上にアジトを建てたりはしないだろう。
だとするなら、彼女の個人的な理由なのではないだろうか。
「……あ! もしかして友達になって欲しいとか……そういうのじゃ……あー……」
言い終わる前に、一道の言葉は先細りになって途絶えた。口を“あ”の形に開けたまま動きを止めた一道の視線の先では、リシュが苛立ったような、物哀しいような、期待するような、あるいはそれら全ての感情がない交ぜになったような、なんとも言えない表情で外方を向いていた。
「……図星?」
「違う」
リシュの反応は早かった。語調にやや力強さが増している。
一道はなにも言わず、ただリシュに視線を送り続けた。お互いの息遣いすら聞こえそうな静寂が流れ、やがてその空気に耐えかねたらしいリシュが先に口を開いた。
「今いるここ、メルトロイ魔法学園っていって、私は一年生。それで、一年生で最初の魔法の試験を兼ねた模擬戦が近づいてきたから、そのパートナーが欲しくて召喚魔法を使ったの」
リシュは一道の方を一切見ず、ドアに視線を固定したまま捲し立てた。本人は平静を保っているつもりのようだが、頬がやや蒸気し、さらに膝に乗せた手が固く握られていることを一道は見逃さない。見逃すはずがない。
「なるほど……ここ、学校だったのか。その学校ってぇ、いつから始まったの?」
「いつからって……四の月の一日に入学式があって、そこからすぐに授業が始まる。今は五の月の十三日だから、一月半くらいかな?」
「うんうん。生徒の数と、それのクラス編成……って言って分かる? とかってどうなってるの?」
「生徒は今年入った一年生が千人くらい。学年は三学年まであって、全体で三千人くらいだったはず。一年生のクラスは一クラス約五十人で二一クラスになってるけど……」
一道の一通りの質問に答えたリシュは怪訝そうなに一道を見た。当の一道は学校全体で三千人、という数字に驚きの声を上げていたが、すぐに腕を組んでリシュを見返す。
その顔に、ニイッと擬音が付きそうな笑みが刻まれる。
「試験のためにパートナーが必要って言ったねえ? 普通に考えれば、それはクラスの中から探すはずだ。だけどリシュちゃーん、君は召喚でパートナーを得ようとした。入学から一ヶ月半経って、大事な試験も近いというのにそれに必須な相棒が見つからないということは! つまり!」
一道はガバッと両手を広げた。
「君には! 友達が! いないということだあっと!!」
語尾を絶叫に変えて、一道はベッドから床に転がった。つい数瞬前まで一道の額があった場所を、鈍色の無骨な手鋏が錐揉みしながら通過していった。
対象を仕留めそこねたリシュは、しかしそれ以上の追撃はかけず、床に転がった拍子に土下座の形を取った一道を見下ろす。
「まあ、これ以上言い訳しても無様なだけだから、素直に認める。うん、友達いないから……パートナーが……できない」
「怒りに任せて鋏投げた後に言う台詞じゃねえぞ。テーブルから取るときの動作もめちゃくちゃ速かったし」
ベッドに座り直しながら、一道はふうっと一息つく。
「パートナーになるのは全然いいんだけど、生徒じゃない俺で大丈夫なのか? あと、魔法も使えないよ?」
地球育ちの一道には、当然ながら魔法など使えない。そもそも、あの世界には存在しない、ということになっている。一道とて、魔法などの超常の存在を信じていなかったわけではないが、それに関する知識など、それこそゲームや漫画のものしか持っていない。
「生徒じゃないことについては大丈夫。こっちでなんとかする。魔法のことだけど……本当にイチドーの世界には無かったの?」
「うん、知られてる限りでは無い。あったとしても、ほとんどの人が知らずに生きてる」
リシュは「ふーん」と特に目立ったリアクションもなく、一道の情報を咀嚼した。地球で言えば、電気が存在しないと言われて平然としているような状態に近いと一道は思うが、そこは魔法世界、やはり色々な世界について知っているということなのだろうか。
それとも、単純に彼女の感情面の問題なのか。如何せん表情の起伏が少ないだけに、内心を推し量ることは難しい。
「魔法が使えないなら、まず魔法の訓練からしないと。仕方ないから、教えてあげる」
「ウソ! マジで!?」
魔法。
地球の、それも日本の子供なら、一度は誰もが夢見る憧れの異能力。それを実際に教授してもらえるとあって、一道は思わず踊り出しそうになった。
改めて、この世界に来たことが夢でなくて良かったと――いや、夢のようだと一道は歓喜した。
「よし! まだ早いけど第二の人生スタートだ!! でもさ、本当に俺でいいのか!?」
興奮が冷めずにガッツポーズを決めて飛び上がる一道は、そのままのテンションでリシュを見る。問われたリシュは目を閉じて何秒か考えていたが、目を開くと相変わらずの無表情で告げた。
「今から新しい人探してたら、本当に見つからないかもしれないし。だったらまあ、変態でもいないよりはいい」
「あっは! そうか!」
一道は満面の笑みで、リシュは仮面のような無表情で。
二人は握手を交わした。