ときめきのアンサンブル ~ Story of Nico 作:Kohya S.
それからもにこは休養日や、母が不在で弟妹の世話をしなくてはならない日を除いてトレーニングに行った。
たいていは山名がいて合間には彼と雑談を交わした。
彼は相当なアイドル好きのようで――いままでそういった話をする相手がいなかったにこには、それだけでも嬉しかった。
音ノ木坂学院ではμ'sの六人が練習を重ねていた。にこは彼女たちが気になって仕方がなかった。
神田明神へ偵察にも行ってみた。物陰から見守るうちに穂乃果に見つかってしまったが――それも望むところだった。
「あんたたち、とっとと解散しなさい!」
にこは彼女たちにそういい放った。
これくらいで解散するようなら……さっさとそうしたほうがいいのよ。それがにこの本音だった。
ただ、わかってきたのは――彼女たちが相当に本気だということだった。
・
「あの、矢澤先輩」
「なによ」
ある月曜日、いつもの公園。その日のメニューを終えて帰ろうとしていたとき、山名がにこを呼び止めた。
「……今週、放課後どこか空いてますか」
彼はいつになく顔を赤らめているようだった。
これってもしかして、あれかしら……にこはどきっとする。
「まあ、一日くらい、なんとかなると思うけど」
山名は視線をそらしていった。
「秋葉原に新しいスクールアイドルショップができたらしいんですけど……」
「ああ、たしか駅前でしょ」
「ひょっとして、もう行きました?」そういう彼は寂しそうだ。
「まただけど」
それを聞いて彼の顔が明るくなる。
「よかったら一緒に行きませんか」
「そ、そうね、どうしようかしら」
にこはそっぽを向いて考えるふりをした。彼は期待を込めてにこを見守っている。
しかし、くるくるとよく表情が変わる子ね……。
「どうしても、っていうなら、一緒に行ってあげてもいいわよ」
「ありがとうございます!」
嬉しそうな彼。
「それで、いつがいいの?」
「えーと、水曜日は、大丈夫ですか。僕、部活が休みなので……」
「仕方ないわね。なんとかするわよ……」にこはわざとらしくため息をついて、続けた。「で、待ち合わせは?」
「五時くらいで、いいですか。秋葉原の電気街口……みどりの窓口あたりで」
「わかったわ」
「それじゃ、よろしくお願いします」
「はいはい」
にこが答えると山名は手を振って、にことは逆方向に走っていった。
にこも自宅のほうにゆっくりと走り始めた。
水曜日ね……。にこは早くも待ち遠しくなっている自分に気付いた。
まあ、これはアイドルショップに行きたいだけよね。……しかし、いっつも予定なし、っていうのは高校生の女の子としては、ちょっと寂しいわよね……。
・
水曜日の朝、季節は梅雨に入っていたが、天気は幸い今日一杯は持ちそうだった。にこは山名に念を押された。
「矢澤先輩、今日ですからね」
「わかってるわよ。あんたこそ遅れるんじゃないわよ」
彼がいつもより楽しそうなのは、気のせいじゃなさそうね。別れ際、にこはそう思った。
放課後、にこはすこし早めにつくように音ノ木坂学院を出た。電車に乗るほどの距離でもないので徒歩だった。
いったん自宅に帰って着替えようかとも思ったが、放課後にそれは不自然だろうと、にこは思った。
学院から十分ほど歩くと秋葉原駅だ。みどりの窓口あたりで待つ。山名はまだ来ていないようだった。
改札口からは切れ目なく人が吐き出されてくる。にこは改札口が気になって――目を離すことができなかった。
にこには長く感じられたが実際には数分だったろう。改札口に山名の姿が見えた。
山名は高校の制服と思われる白いワイシャツに、えんじ色のネクタイ、グレーのスラックスだった。
彼は改札を出てあたりを見渡したあと、にこに気付いて走ってきた。
「すみません、待たせちゃって」
にこは彼の姿を眺めた。制服がすらりとした体によく似合っていて――精悍な印象だった。いつものジャージとは異なる雰囲気に、にこはなぜか戸惑いを覚えた。
「ったく、遅いわよ」
照れ隠しにそういうにこ。
「でも、時間通りですよ」
「うるさいわね、すこし早く来るのが当たり前でしょ」
「すみません……」
しゅんとしたようすの彼に、にこは反省する。
「ま、まあ私も、来たばっかりだけどね」
「そうですか」
彼の顔がやや明るくなった。彼はにこを見つめたまま、しばらく黙っている。
「……なにじろじろ見てんのよ」
「制服姿のニコ……矢澤先輩もやっぱり可愛いですね……」
「ふふん、当然でしょ。馬鹿なこといってないで、さっさと案内しなさいよ」
にこはそういって歩き出す。
山名はすぐにあとを追い、にこの横に並んだ。
「あんた、高校、どこだっけ」とにこは聞いてみる。
制服には見覚えあるんだけど。
「あ、東雲学院です」
「ふーん」
たしか特進コースもある男女共学の進学校で、水道橋駅の近くにあったはずだ。こいつ、けっこう頭がいいのね、とにこは思う。
アイドルショップは駅からすぐ近くだった。
「ここですね」
「意外に小さいわね……」
ピンク色の看板が目立つ店だった。間口はそれほど広くない。店頭にはカプセルトイの自販機が並んでいた。
ふたりはさっそく店内に入った。
店内もあまり奥行きはなく狭かったが、たくさんのスチールラックが並べられ、そこには大量のアイドルグッズが陳列されていた。また壁には多くのポスターが貼られていた。
「こ、これはすごいわ……」
にこは言葉を失った。
「そうですね……」
それは山名も同じようだった。
店内には客も多く、特に、にこたちと同年代が多いようだった。またどちらかというと女子が目立った。
「この子、素敵だよね」
「あ、Midnight Catsのグッズ、みつけたよ」
そんな会話が耳に飛び込んでくる。
スクールアイドルがここまでメジャーになるなんて……にこは感慨深かった。
「A-RISE、やっぱり一押しですね」と山名。
「たしかにね」
ひとつのラックを丸々占領してA-RISEの関連商品が並んでいた。
しばらくふたりはそれぞれ無言で店内を見て回った。にこは財布の中身と相談しながらいくつかの商品を買った。山名もいろいろと買っていた。
意外に長居をしたのか外に出ると夕方の気配がただよい始めていた。
最後に店頭のカプセルトイの自販機をチェックする。その中身もアイドルグッズだった。
「なかなか楽しかったわね」
にこは店の看板を見上げてつぶやいた。
これからはこの店、要チェックね。
「あの、よかったらお茶でも、どうですか」
にこの背中から山名が声をかけた。思わぬ誘いに、にこは慌てた。胸の鼓動が落ちつくまで待ってから振り向く。
「……おごってくれるのかしら」
にっこりと微笑みかけるにこ。
「えっと、ファーストフードでよければ」
彼は赤くなり
「仕方ないわね……。どこでもいいわよ」
「はい!」
彼も笑顔になった。
すこし歩いて近くのファーストフード店に入った。山名はコーヒーを、にこはストロベリー味のシェイクを頼んだ。
二階の席からは秋葉原の大通りが見下ろせた。
「あんな駅前にスクールアイドルショップなんて、驚きました」と山名。
それはにこも同感だった。いままでも秋葉原に何軒かの店はあったが、どれも駅からは離れていて、雑居ビルの上の階のような立地だった。
「やっぱり人気なのかしらね」
「僕のいった通りですね!」誇らしげな彼。
「はあ? あんた、そんなこといってたっけ」
「矢澤先輩、覚えてないんですか……」
一転して悲しそうな顔。そういわれてにこは思い出した。たしかA-RISEのことを初めて聞いたときだ。
「冗談よ、冗談」
にこがいうと彼はほっとしたようだ。にこは続けた。
「そうね、あんたのいった通りね」
彼は嬉しそうにうなずいた。
それからひとしきりアイドル談義で盛り上がった。注目アイドルにオリジナル曲の評価、パフォーマンスの優劣など、話題は尽きなかった。
話はμ'sにもおよんだ。
「μ'sのグッズも並びますかね」
「まあ、可能性はなくはないけど」
正直なところ、難しいんじゃないかしら、今のままじゃ、とにこは思う。
おしゃべりも一段落して。
「やっぱりA-RISE人気、大きいわよね」とにこ。
「そうですね」
A-RISEの所属するUTX高校はいまいる場所のすぐ近くだ。にこは通りを眺めた。すっかり暗くなった通りを自動車のライトが流れていく。
A-RISEはにこにとってあこがれに近い存在だった。そして、今はすごく遠くにいるわ……。にこは思った。
彼はコーヒーを一口飲んだ。
「それで……矢澤先輩は……やっぱりμ'sには入らないんですか?」
にこは彼に視線を戻した。
「……突然、なによ」
「矢澤先輩なら……矢澤先輩がμ'sに入れば、きっともっと、人気が出ると思うんです」
彼は真剣な表情だった。しばらくふたりは見つめあった。先ににこが視線をそらす。
「……馬鹿なこといわないでよ……」
「でも、矢澤先輩、ずっとトレーニング、続けてますよね……。それって、どうしてなんですか」
「どうしてって……。別にいいじゃない」
沈黙が流れた。にこは彼に目をやると、今度は彼がうつむいた。
「あの……僕、もう一度、ニコちゃんのステージ、見たいんです」
「山名……」
彼は顔を上げて続けた。
「ニ……矢澤先輩なら、きっとA-RISEに負けないようなアイドルになれます!」
その強い口調に、にこは息をのんだ。
「……そんなこと、あるわけないじゃない」
ようやくそれだけいう。しかし、にこは心を揺さぶられていた。
「僕、信じてますから……」
彼はコーヒーを飲みほした。
それからはふたりとも無言だった。
「そろそろ帰らなきゃ」
にこはそういって立ち上がった。
「あ、はい」と山名も席を立った。
ふたりは店から出て歩き始めた。
「その、ありがと、おごってくれて」
「どういたしまして」
「私……歩きだけど、あんたは」
「僕もです」
「そういえば音ノ木坂中学だっけ」
ふたりは同じペースで歩いたが、身長の違いだろうか、ともすればにこは遅れがちだった。
なんか悔しいわね……。というか、多少は気を使いなさいよ、ったく。
だんだんと秋葉原の喧騒が遠ざかっていく。
神田川に架かる橋の手前の交差点で信号待ちをしながら、にこはいう。
「私、この先で曲がるから」
「あ、家まで送ります」
「いいわよ、すぐ近くだから」
実際のところ、にこの自宅のマンションはこの交差点のすぐ近くなのだが、それを明かす気にはなれなかった。
信号が青に変わった。交差点を渡り終えてにこはいう。
「じゃ、またね」
「気を付けてください。……その、今日のこと、考えてくださいね」
にこは軽く手を振った。
彼はすこし、にこを見守ってから歩いていった。
・
東京はそれから数日、ぐずついた天気が続き、にこは朝のトレーニングを休んでいた。
そんなある日、にこは練習後のμ'sを尾行してみた。
ファーストフード店での会話を盗み聞きして、練習場所に困っているらしいことや、部活申請を忘れていたことを知った。ただ、今回もばれてしまい――。
「とっとと止めることね!」
捨て台詞を残さざるを得なかったのだが。
翌日の放課後、音ノ木坂学院。
いつも通り部室に向かったにこは、部室の前でμ'sのメンバーたちに出くわした。にこがアイドル研究部の部長であることが、どこかから彼女たちに伝わったに違いなかった。
心の準備ができていないにこは必死に逃げたが――とうとうアルパカ小屋で捕まってしまった。
こんなことなら瞬発力も鍛えておくんだったわ……。遠のく意識のなかでにこは思った。
にこは仕方なく彼女たちを部室に案内した。
部室を埋め尽くすアイドルグッズに――つい先日、買ってきたグッズも加わっている――彼女たちは驚いていた。特に花陽は「伝説のアイドル伝説」に食いついていた。
彼女たちはアイドル研究部へ入りたいとにこに懇願したが――にこはうなずかなかった。
もちろん彼女たちの真剣さはわかっていた。ただ、部活として活動したいというだけで、加入を申し込んでくるところには――どうしても納得できないのだった。
にこは彼女たちを早々に追い出した。
・
まあ、悪い子たちじゃ、ないのよね……。ただ、ひたすら熱心なだけで……。
ひとりになった部室でにこは思った。
外を眺める。雨が降り続いていた。
「はあ」
にこは大きくため息をついた。
μ'sに加わりたい――正確にはもう一度アイドルとして試してみたい、それはにこの本心だった。また、彼女たちなら、にこの夢も受け止めてくれるだろう。それも確信に変わりつつあった。
彼女たちは挫折するかもしれないが、それをも受け入れるだけの強さを感じた。
やめさせようとしたのは、結局、お節介だったわけよね……。
しかし、単純にμ'sに加入するのは――にこのプライドが許さなかった。面倒な性格よね、とにこは思う。
それに、一昨年のことが、にこの心に傷を残していた。
なまじアイドルに詳しいだけに、にこは自分自身を客観的に見てしまう。容姿はともかくスタイルや体力にはどうしても自信が持てなかった。
私、アイドルとしてやれるのかしら……。穂乃果たちにくらべると、私……。
ただ――にこは山名のことを思い出した。
「信じてますから」――彼の言葉が胸の奥で温かく輝いていた。
幼いころからの夢……それを諦めるってわけ、と自問する。きっとこれが最後の機会になるだろう。
自分を信じられなくてどうするのよ……。やるしかないのよ。
にこはふたたび外を眺めた。雨は弱くなりかすかに日がさしてくる気配を感じた。
にこは右手を小さく握りしめた。
・
その翌日。今日も雨だった。
「お疲れさまでーす」
「……あっ」
部室の扉を開いたにこは絶句した。部室にはμ'sのメンバーが揃っていた。
「お茶です、部長!」と茶碗を差し出す穂乃果。
「部長!?」
思わぬ言葉に驚くにこ。
「今年の予算表になります、部長!」ことりもいう。
にこをあくまでも部長として、アイドルを目指す先輩として扱うメンバーたち。
にこのプライドを守りつつ、アイドル研究部への加入を認めてもらいたい――その作戦は明らかだった。
「こんなことで押し切れると思ってるの?」
にこは絞り出すようにいう。
「押し切る? 私はただ相談しているだけです。音ノ木坂アイドル研究部所属の、μ'sの七人が歌う、次の曲を」
穂乃果がにこをまっすぐに見つめた。
「……七人?」
先にいわれちゃったわね。ったく、誰がこんなこと考えたのよ……。せっかく頭を下げようとしてたのに、無駄になっちゃったじゃない……。
それでもその気遣いがにこは嬉しかった。これは乗るしかないわね、と思う。
「ニコ先輩!」
穂乃果があらためていう。
「……きびしいわよ」
「わかってます! アイドルへの道がきびしいことぐらい」
「わかってない! 甘いわ、あんたは」
にこはメンバーを次々と指差す。
「あんたも、あんたも、あんたたちも、甘々よ!」
にこは大きな声で続けた。
「いい。アイドルっていうのは笑顔を見せる仕事じゃない、笑顔にさせる仕事なの。それをよーく自覚しなさい!」
その説教が、嬉しさと気恥ずかしさをごまかすためなのは、きっとメンバーにはバレバレだったが――にこはそれでもかまわなかった。
メンバーたちは顔をみあわせて微笑んだあと、声を揃えた。
「はい!」
雨は夕方に上がった。
・
その日の夜。にこは自室で時計を確認する。まだ大丈夫よね……。
スマートフォンを手に取って深呼吸する。μ'sに加わったことをいちおう山名に伝えようと思ったのだ。
にこは電話をかけようとして――彼の連絡先を知らないことに気付いた。
あの馬鹿、連絡先くらい教えておきなさいよ!
自分のことを棚に上げて、にこはひとり毒づいた。
明日までお預けね、とにこは思った。彼の声が聞けなくて――きっと彼は喜んでくれるだろう――すこし寂しい気がしたのだった。