ときめきのアンサンブル ~ Story of Nico   作:Kohya S.

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4. 変化のきざし

 翌日、幸い雨は降っていなかった。天気予報によると数日は梅雨の晴れ間が続くらしい。

 にこは朝早くからトレーニングに出た。

 

 公園についたものの山名は来ていなかった。時計を見るといつもよりすこし早い時間だ。

 にこはひとりでストレッチを始めたが――なんとなく腹立たしくなってきた。

 

 山名はすぐにやってきた。

「お久しぶりです、矢澤先輩」

 彼はいつものように笑う。にこはじろりと彼をにらんだ。

「遅いわよ」

「す、すみません」

 訳がわからないという顔をしながらも、とりあえず彼は謝った。

「……えーと」

 しかしμ'sに入ったことをどう切り出していいのか――にこは悩んだ。

 

「……矢澤先輩?」と首をかしげる彼。

「その、この前の話だけど……」

 にこは目をそらす。そして、素直に話すしかないわね、と決断する。

 

「……μ'sに入ることにしたわ」

 あらたまって口にするのが恥ずかしくて、にこは顔を赤らめた。

「えっ……」彼は驚きに目を見張った。「本当ですか!」

 にこは視線を戻しすこし上目遣いでいう。

「……なんで嘘つかなくちゃいけないのよ」

「すみません」と彼はまた謝る。

「あーもう、なんで謝るのよ」

 にこは我ながら理不尽なことをいっていると思う。照れ隠しだということは自分でもよくわかっていた。

 彼も困ったようすだったが、表情には嬉しさがあらわれていた。

「えっと、その、ありがとうございます」と頭を下げていう。

「べ、別にあんたのためじゃないわよ!」

「……そう、ですよね。矢澤先輩がやりたかったこと、ですもんね」

 彼は顔を上げて微笑んだ。その笑顔がすこしだけ寂しそうに見えたのは、にこの気のせいだろうか。

「ま、まあ、あんたには感謝してるわ。その、応援してくれて。……ありがと」

 最後のほうは小声だった。

「はい!」

 彼の今度の笑顔は明るかった。

 

「それで、悪いけど、トレーニングはμ'sに合流することにしたわ」

 にこはそう伝えた。

「どういうことですか」

「μ's、毎朝、神田明神でやってるのよ」

「そういうことですね……わかりました」とすこし寂しそうに彼。

「……ときどきはこっちにも来るわよ」

「はい、よろしくお願いします」

 彼は納得したようだった。

 

「あの、矢澤先輩……また、アイドルなんですよね」と山名。

「まあ、そういうことね。だからなに?」

「……ニコちゃん、って呼んでいいですか」

 彼はまっすぐににこを見つめていた。その視線が気恥ずかしくて、にこは体ごとあさってのほうを向いた。

「……勝手にすれば」

「はい、勝手にします、ニコちゃん」

 あらためてそう呼ばれて――にこは胸が熱くなった。

 

 動悸がおさまるまで待ってから、にこはくるっと振り向く。

「……あんたももう後輩じゃないんだから、その口調、やめなさいよ」

「えっ、それってどういうことですか……」

「それよ、それ。ため口でいい、っていってんのよ」

「でも……」

 彼は戸惑っているようだった。にこはだめ押しする。

「私がいいっていってんのよ」

「……はい、わかりました」

「違うでしょ」

「そうさせてもら……うよ」

「……まあまあね」

 彼は依然として落ち着かないようだったが――嬉しそうだった。

 

「……私も、あんたのこと名前で呼んでいい?」

 にこはいま思い出したように付け加えた。ただ、頬はすこし上気している。

「もちろんいい……けど、僕、名前で呼ばれた覚え、ほとんどないなあ」

 彼は面白そうにいう。

「……なによそれ」

 そういわれてみればそうね……。にこはいたずら心を起こした。

 

 親指と人差し指、小指を立てた両手を顔の脇に持っていく。

「……あなたのハートに、にっこにっこにー♥ 智也くん、これからもよろしくね♥」

 智也は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。

「うふふ……」

 してやったりね。にこは口に手を当てて笑い出した。その笑いは彼にも伝染し――ふたりはしばらく笑いあっていた。

 

 ようやく落ちついてにこは呼びかけた。

「ずいぶん話し込んじゃったわね。そろそろ行くわよ」

「はい!」

 

 にこが連絡先を聞き忘れたことに気付いたのは、帰宅してからだった。

 

        ・

 

 翌朝、数日ぶりの太陽が顔を出していた。

 自宅を出たにこは神田明神へ向かった。そこまではごく近く、歩いても数分だ。にこはゆっくりと走った。

 神田明神の男坂を朝日が照らしていた。ここに来るのも久しぶりね、と思う。

 

 男坂を上りきると花陽と凛が先に来ていた。ふたりとも練習着姿で、花陽はペールピンクのパーカーに、同じくピンク色の五分丈のパンツ。凛はグリーンのタンクトップに白Tシャツをあわせ、シアンのサルエルパンツだった。にこは音ノ木坂学院のジャージ。

 

 明日からは私も別の格好にした方がよさそうね……。

 

「おはよう」

 にこはふたりに声をかけた。

「よ、よろしくお願いします、ニコ先輩」と花陽。すこし緊張しているようだ。

「よろしくニャ」

 凛もいうがこちらはまったくの自然体だった。

「そうかしこまらなくてもいいわよ」

 にこはおもに花陽に向けていった。

 ふたりに加わってストレッチを始めた。

 

「それで、いつもどんな感じなわけ?」

「はい、園田先輩がメニューを考えてくれてるんですけど……」

 花陽が説明を始める。そのときだった。

 

「おはよう、ニコちゃん!」

 背後からの声に、にこは飛び上がった。ゆっくりと振り向くと、そこに立っていたのは智也だった。

「あんた……」

 智也はいつも通りの笑顔だった。

 

 昨日、妙に物分かりがいいと思ったら、そういうことね……。釘を刺しておくんだったわ……。

 

 にこの背中から智也のほうをのぞき込む花陽と凛。

「ニ、ニコ先輩。ど、ど、どなたですか」

 花陽の声はうわずっていた。

「んー、先輩の知り合いかニャ?」

 凛は首をかしげる。

 

「あ、小泉さん、星空さん。μ'sのサイト、いつも見てます!」

 にこの頭越しに智也はふたりに声をかけた。

「あ、ありがとうございます」

 律儀に頭を下げる花陽。

 

「ちょっと、こっち来なさいよ……」

 にこは智也のジャージの背中をつかむと祭務所のかげにひっぱりこんだ。

 

「ったく、あんた、なに考えてんのよ……」

「え、あいさつに来ただけ、なんだけど……」

 智也はきょとんとしていた。はあっ、とにこはため息をついた。

 そのまま叱責しようとして――恥ずかしい以外に理由がないことに気付いた。恥ずかしいからなんて、いえるわけないじゃない、とにこは思う。

 それも、トレーニングを見られることではなくて――ほかのメンバーに彼のことを知られるのが恥ずかしいのだった。

 

 ……もうふたりには、知られちゃったけど。ほんと、最悪よね。

 

 にこはなんとか理由をひねりだす。

「その……ア、アイドルの練習を冷やかしに来るなんて、最低よ」

「はあ」

「人知れず努力してこそ、アイドルなのよ」

 説得力に欠けると思いながらも力説する。

「……いままで一緒に練習してたのに」

 ぽつりと彼がつぶやいた。

「い、いままではアイドルじゃなかったのよ」

 さすがに無理があるとにこは思ったが、意外にも彼は目を落として小声でいった。

「その……ニコちゃんに会えなくなると思って……」

 その顔は寂しそうで、にこは胸がどきりとした。

「し、仕方ないわね。ちょっと待ってなさい」

 

 にこは急いで花陽と凛のところに戻る。話を聞きたそうなふたりを制して、近くに置いてあった自分の鞄からスマートフォンを取り出した。ふたたび祭務所のうしろへ。

 

「連絡先、教えなさいよ」

 にこはぶっきらぼうにいった。

「えっ」戸惑う彼。

「連絡するって、いってるのよ。……会ってあげるわよ」

「ほんとに?」

 彼の顔が輝いた。彼もポケットからスマートフォンを取り出す。にこは彼と電話番号、メールアドレスを交換した。

 

「だから……朝はもう来ないでよね」

 にこは、さとすようにいった。

「うん、わかった」と彼は笑顔。

「それじゃあね」

「はい」

 智也は神田明神の正面のほうに走っていった。途中で一度振り向く。にこが手を振ると彼も手を振り返した。

 にこは苦笑してから男坂のほうへ戻った。

 

「せ、先輩、それであの方は……!」

「うっ」

 さっそく花陽が食いついてきた。胸の前で両手を握りしめている。

「わ、私のファンの男の子よ。あんたたちと違って、固定ファンがついてるのよ」

 にこは腕組みをしていう。

「さ、さすがです、先輩!」

「えー、先輩の彼氏とかだったりしてー?」と凛。

「そ、そんなことあるわけないじゃない!」

 にこはいうが顔は赤くなっていた。

「そのあわてぶりが怪しいニャー」

 

 そこに階段を上って真姫があらわれた。

「ちょっとあんたたち、なにやってるのよ……」

「あ、真姫ちゃーん、ニコ先輩の彼氏がね……」

「だーかーらー、違うっていってるでしょ! もう、さっさとトレーニング、始めなさいよ!」

「はーい」

 にこの剣幕に圧倒されて花陽と凛は階段を駆け下りていった。

 

「……おはようございます、ニコ先輩」と真姫。

「おはよう」

「それで……なんなんですか、いったい」

「聞かないでちょうだい……」

 トレーニングの前から、にこはどっと疲れていた。

 

        ・

 

 翌朝もにこは神田明神へ行った。今日は練習着として、ピンク色のTシャツをサイドで結び、同系色のミニスカートに白のオーバーニーソックスをあわせた。

 初日は、ばたばたしてしまったが、その日は七人がほぼ同時刻に集まった。

 ひととおり挨拶を終える。

「今日はあの人、来ないんですかー、先輩」と凛にからかわれるが、「うるさいわね」と、にこは一蹴しておいた。

 

 海未がにこに話しかける。

「ニコ先輩に加入していただきましたが……」

 にこはうなずいた。

「まずは、私たちで考えたトレーニングメニューでいいでしょうか、先輩?」

「そうね……どんな感じなの?」

「はい、基本は中負荷の運動ですが、筋力を上げるためにインターバルを週に一、二日、入れています」

 生真面目に説明する海未。

「ふーん、なるほどね」

 にこはくすりと笑った。智也と同じこといってるわね……。

「……なにかおかしなことがありましたか?」

 海未が首をかしげる。

「いいえ、よく勉強してるわね」

「ありがとうございます」

 海未は会釈して続ける。

「そして、持久力に欠けるメンバーには、週末などに長時間、走ることをすすめてます」

「LSDね」

「はい」

 海未の顔には軽い驚きがあらわれているようだった。

「しばらく付き合うわ」

「なにか意見がありましたら、お願いします」

 海未はもう一度、頭を下げた。

 

「では、今朝のトレーニングを始めます……」

 海未がメンバーに呼びかけた。

 

        ・

 

 朝は神田明神でのトレーニング、放課後や土日は学院で練習という生活リズムにはすぐに慣れた。

 ときどき智也からは連絡があり、にこも返信を返していた。ただどうしても会う機会は減ってしまい――朝、時間のあるときに、にこが公園に立ち寄ってから神田明神へ向かったりする程度だった。

 

 そして次の曲のPV撮影の予定が近付いてきた。

 センターを誰にするかということでひと騒動あったが、穂乃果のアイデアで全員がセンターの曲を作るということで落ちついた。

 週末の音ノ木坂学院を使ったPV撮影は、穂乃果の同級生たちの協力も得て無事に終わり、Webサイトに動画が公開された。

 

 動画が公開された日の夜、にこは自室でクッションに座り込んだ。スマートフォンを手に取って智也に電話をかける。数コールで彼が出た。

 

「こんばんは、ニコちゃん」元気そうな声。

「いま、すこし大丈夫?」

「うん、平気だけど」

 思えばにこから電話したことはほとんどなかった。にこはいいよどむ。

「……その、元気だった?」ようやくそれだけいった。

「まあまあかな。……それで、どうしたの?」

「えっと、新しい動画が公開されたのよ。……私の最初のPVだから……」

 あなたに見てほしくて、という言葉は飲み込んだ。

「えっ、本当に? いま見るよ」

 ばたばたしているようすが電話越しに伝わってきた。

「ったく、いまじゃなくていいわよ……」

 彼は聞いていないようだった。すぐに「これからのSomeday」のメロディーが流れてきた。

 にこはスマートフォンを握ったまま黙って待っていた。

 

 やがて曲が終わる。

「……どうかしら」

 にこは恐る恐る聞いた。

「……すごく……よくなったね」

 彼はぽつりぽつりといった。それは無理に口にしているのではなく――感動に言葉が追いついていないのだろう。

「『START:DASH!!』もやる気が伝わってきたけど、やっぱり素人っぽかったと思うんだ。でも、今度はもっとずっと……アイドルらしいよ」

 彼の興奮が伝わってくるようだった。

「そっか。よかった」

 にこは心が温かくなるのをおぼえた。

「衣装もいいし、振り付けもそれを引き出してる。みんなすごく可愛いね」

「……みんな?」

 彼はしばらく黙ったがなにかを察していった。

「……ニコちゃんがいちばん可愛い、かな」

「ふふっ、当然よね!」

 彼もそれを聞いて笑った。

 

 彼は続ける。

「……次のライブとか、決まったの?」

「残念だけど、まだね。決まったら連絡するわよ」

「わかった」すこし間をおく彼。「……あの、今度いつ会えるかな」

「……まあ、そのうちね」

「その、僕、連絡待ってるんで」

「はいはい。……それじゃあね」

「おやすみなさい」

「おやすみ」

 にこのほうから電話を切った。

 

 最後のほう、なんかお付き合いでもしてるみたいだけど……。そんなわけじゃないのよね。あいつが馴れ馴れしいだけなのよね。

 

 にこはスマートフォンをおいた。智也の言葉を反芻する。彼に評価してもらえてよかったと思う。もちろんそれなりに自信はあったのだが。

 

 ただ――にこは練習を通して知った、ほかのメンバーのパフォーマンスに驚かされていた。歌唱や身体能力、リズム感など、スクールアイドルとしてはすでに水準以上だと思う。

 彼女たちが四月から始めたばかりということを考えると相当のものだった。それだけ彼女たちは真剣なのだろう。

 

 可愛さなら負けてないと思うけど、どうしても体力面では……体格的に不利ね。悔しいけど、それは認めないとだめだわ。努力でカバーするとして……もうちょっと、なにかやるべきかしら……。

 

 にこはしばらく悩み続けた。

 

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