ときめきのアンサンブル ~ Story of Nico 作:Kohya S.
梅雨が明けて一学期が終わり、音ノ木坂学院は夏休みを迎えた。
東京は例年通りの暑さで屋上を練習場所にしているμ'sには辛い季節だった。そこで夏休みに入ってそうそう、メンバーは夏合宿へ繰り出した。
絵里の提案で、先輩、後輩の区別なしに呼び合うことにしたり、海水浴や枕投げなどの定番イベントで盛り上がったりと、メンバーの絆は一層深まった。
帰ったあと電話で智也に合宿の話を報告したにこは、大いにうらやましがられた。
「いいなあ」
「ふふん、いいでしょ」
「僕も行きたか……」
「いっしょに行けるわけないでしょ!」
「……PVとか出ないの?」
「出ないわよ、馬鹿」
・
合宿が終わりμ'sは練習を再開した。朝練の開始時間は遅くなり、個人的なトレーニングにあてる時間の余裕ができたのは、にこにはありがたかった。
ただ、屋上での練習はきびしく日焼け止めと水分補給は必須だった。
そんなある日。練習が終わったあとの部室。
穂乃果と海未、絵里は家の用事があるといって早く帰り、ことりも衣装に使うレースを買いに行くといって部室を出ていき――残っていたのは花陽、凛、真姫の一年生三人と、にこと希だった。
珍しい組み合わせね、とにこは思う。
着替えをしながら希が話し出した。
「あのな、オトノキ七不思議って知ってる? この学校にも一応、こわーい怪談が、あるらしいんよ」
にやりと笑う希。
「えー、どんなのどんなの」と凛は興味津々だった。
着替えを終えた希はホワイトボードにすらすらと書き始めた。
『その一・裏山の古井戸に真夜中に氷が張る』から始まって『その七・八月の金曜の夜八時に出る女子生徒の幽霊』までの七つ。
希はご丁寧にそれぞれを解説していった。にこはとりあえず聞き流していた。
「そして、その三は……夜の音楽室にな、ピアノを弾く女の子のお化けが出るんよ。その音色に、ふらふらーっと近付いて……女の子と目が合うと、一週間以内に高熱が出てしまうんよ」と希。
「花陽、もう音楽室に行けません……」
「凛、美人のお化けなら、会ってみたいニャ!」
希の七不思議は「その七」まで進んでいき――。
「……そんで、結局、その教室で最後に、その子の姿を見た人は……」
希が低い声でゆっくりと話す。
「きゃーっ!」
花陽が可愛い叫び声をあげた。希はそんな花陽を楽しそうに見ている。
七不思議ねえ。どれも取ってつけたような……でも、その三はちょっと気になったかも。ん、そういえば、ひとりだけ黙ってるわね……。
真姫は不機嫌そうな顔で、右手の指先で髪の毛をくるくるといじっていた。興味がないのか、それとも――。真姫は意外に怖がりさんなのかしら、とにこは思った。
にこはボードに近付き指さす。
「ねえ、希。『その三』だけど、このお化け、ピアノを弾くってことは、やっぱり自作の曲なのかしら」
「うーん、どうやろね」
「もしその曲をゲットできたら、霊界からの幻の名曲ってことで、話題になること間違いなしじゃない?」
にこは笑ってみせた。
我ながらいいアイデアだわ。もちろん、信じてるわけじゃないけど……。
・
その日の夜。真っ暗な音ノ木坂学院の廊下を歩く、ふたりの影があった。制服姿のにこと真姫だった。
非常灯の青白い光がところどころに灯っていた。その非常灯と、にこの持つキーホルダー型LEDライトの頼りない明かりが頼りだ。
「もう、どうしてわたしが来なくちゃいけないのよ」と真姫。
「えー、だって会ってみたいじゃない。それに、もし運よく曲が聴けたとしても、私じゃ、採譜とかできないし」
「それで、わたしってわけ」
「真姫しかできないのよ」にこは笑ってみせる。
「もう……。でも、でたらめだと思うわ。音楽室のピアノの幽霊なんて、定番中の定番じゃない」
真姫はすこし早口で続ける。
「希ちゃんの七不思議、天神様と明神様とか校庭のカラスとか、妙にリアルなのがあるわりに……トイレの花子さんとか理科室の悪魔とか、ありがちなネタも入ってて……絶対、七つにあわせるための水増しだと思うの」
真姫は妙に饒舌だった。
「でも、もし本当だったらどうするの。私、μ'sの話題作りに使っちゃうわ。素敵な曲だったら、きっと人気も出るわよ」
にこはうふふ、と口に手をあてて笑った。
「はあっ」
真姫はため息をついた。そんな真姫の背中を、にこはぽんぽんとたたいた。
にこは、真姫といっしょに夜の学校にいるのは、ちょっとした遠足気分で楽しかった。きっとなにもなくて、ふたりで笑っておしまい、になると思ってはいたが。
ただ、にこが考えていたよりも夜の学校は暗くて、昼間とは印象がかわっていて――ちょっぴり心細かった。
歩くのにあわせてふたりの影が廊下に壁に揺れる。ライトの角度によって小さくなったり大きくなったりする影は、それこそお化けのようだった。
いつの間にかふたりは校舎の二階の奥まで来ていた。音楽室まであとすこしだ。
「ねえ、真姫。夜の学校って、もっとひんやりしてるかと思ったけど……意外に暑いわね」
歩きながらにこがいった。真姫は無言で、にこの背中にぴったりとくっついてくる。
「……ちょっと、暑いわよ」
「うん、わ、わかってるって。でも……」
真姫はそういいながらも離れる気配もない。
ははーん、怖がりさんなのね……そう思ったにこは、いたずら心を起こす。
「仕方ないわね。それならここでちょっと、私が涼しくしてあげるわ……」
にこはくるっと振り返り、あごの下にライトをあてて顔を照らしながらいう。
「おーばーけーだーぞー!」
「きゃああーっ!」
校舎に大きな叫び声が響き渡った。そのあとにおとずれる静寂。
こんなに驚くとは思わなかったわね……。にこは後悔した。
「……ごめん、真姫。大丈夫?」
「ああっ、ごめん。大丈夫よ。ちょっとびっくりしただけで……」
真姫はそういうが、顔にも、浮き足立った姿にも、動揺があらわれていた。
しばらく真姫は深呼吸をしていたが、ようやくすこし落ち着いたようすでいった。
「ニコちゃん。わ、わたし、あの、ちょっとやっぱり用事が……」
なるほど、とにこは思う。
「あ、真姫もなの。よかった、私もさっきから、ずっと我慢してたのよね。一緒に行きましょ」
にこが先に立って歩き出した。そういえば七不思議のひとつに「トイレの花子さん」があったのを思い出した。
「ふたりなら、トイレの花子さんも怖くないよね」
にこはそういったが、真姫はますますぴったりと、にこにくっついてきた。
先ににこが個室に入る。真姫はトイレの入り口で待っていた。
「いる? ねえ、ニコちゃん、そこにいるわよね。ぜったいひとりで、どこか行ったりしないでよね」
真姫が
「真姫がそこにいたら、出られるわけないわよ」
しばらくして。
「ねえ、ニコちゃん……!」
「もう、真姫ってば、そんなにせかされても困るわ」
「ごめん……」
ようやくにこは切迫感から解放された。スカートを整えようとしたとき、それは起きた。
「きゃあああーーーっ!」
真姫の甲高い叫びが廊下とトイレに反響した。にこはびくっと体を震わせた。
「なに、どうしたの、真姫」
そう呼びかけるが返事はない。ばたばたという足音。
「きゃあーっ、ママ、パパ、誰か、助けてー!」
真姫の声がだんだん小さくなっていく。
「真姫、待ってよ。私を置いてかないでよ……!」
にこはいうが、真姫には届いていないようだった。
「わたし、お化け嫌い、きらいきらい……」
とうとう真姫の声が聞こえなくなると、あたりにふたたび静寂が訪れた。
なにか起きたのかしら。まさかお化けなんてことは、ないと思うけど。まさかね……。
にこはあわてて身支度を終えた。個室から出ようとするが鍵がなかなか開かない。しばらく格闘するとようやく開いた。
個室の扉をバッと開けるがトイレのなかには誰もいない。入口にいたはずの真姫の姿はなくなっていた。
にこは急に不安に襲われた。
トイレの入口まで出て廊下の左右を見渡す。やはり誰もいない。ただ――どこか遠くからピアノの音が聞こえるような気がした。
にこは怖気をふるって廊下を速足で歩き出した。
お化けなんているわけがないじゃない。そう思いながらも鼓動が速くなり、にこは気付けば走り出していた。
足音がこだまして廊下の壁や天井には影が踊り、誰もいないはずの校舎に、なにかがいるような気配を漂わせる。
にこはいつの間にか涙ぐんでいた。
階段を駆け下りてから廊下への急カーブで、にこはよろめいて転んでしまった。
すぐに立ち上がったが思わぬ痛みがショックで――とうとうにこは泣き始めてしまった。
それでもゆっくりと走って、ようやく教師用玄関から校舎の外に出た。コンクリートの階段に座り込む。
もう、なんなのよ、いったい……。
心細さと情けなさと痛みが頭のなかをぐるぐるして――両手で膝を抱きながら、にこは泣き続けた。
にこにとっては、とても長い時間が過ぎて――。
「ごめん、ニコちゃん。大丈夫……」
温かい声が頭上から響いた。
にこは面を上げた。真姫の心苦しそうな顔が見下ろしていた。にこはほっとするとともに、最後まで気を張っていたのが解けて――。
「うわああーーーん」と大声で泣き出した。
「あんな怖いところに、ひとりで置いていくなんて、真姫ちゃんひどい……!」
にこは泣きじゃくる。
「ほんと、ごめん。わたし、ピアノの音が聞こえた気がして、怖くなっちゃって、つい……。ニコちゃん、あんまりお化けも怖くないって感じだったから……」
真姫はうつむき加減にいった。
「……そんなの、真姫ちゃんと一緒なら平気だけど、ひとりになったら別だもん」
ようやくすこし落ち着いて、にこは小声で答えた。
「あ、そこ……」
真姫がにこの膝に気付いた。転んだときにすりむいたのだろう。血がにじんでいた。
「転んじゃったみたい……」
真姫はハンカチを取り出してにこの傷をふいた。
「どう、歩けそう?」
真姫の言葉に、にこはうなずいた。にこは差し出された真姫の手をにぎった。
にこは真姫に連れられて水道のところまで行った。真姫が傷口をやさしく洗ってくれた。水は冷たくて、でも真姫の手は温かくて――心に残っていた恐怖心も洗い流される気がした。
「見たところ――傷に砂とかは入ってなさそうだから、あとは帰ってからもう一度洗って、絆創膏でも貼れば大丈夫」
真姫はたたみなおしたハンカチで傷口をしばった。にこはうなずいた。
「さあ、それじゃ帰ろ」
真姫は立ち上がった。にこは思わず真姫の手をつかんでいた。
「……」
真姫は手をほどこうとしたが、にこはますます手に力を込めた。唇をかんで上目がちに真姫を見つめる。
だって、ここで手をはなしたら、真姫がまた遠くに行ってしまう気がするんだもの……。
くすりと真姫が笑った。
ふたりは手をつないだまま、校門へ向けて歩き出した。東京の空には星はすくなかったが、東には下弦の月が浮かんでいた。
・
翌日。
練習を終えたにこは、真姫に洗ってアイロンをかけたハンカチを返した。
「ごめんね、ニコちゃん」と真姫は謝った。
「ううん、私も悪かったのよ。無理に誘っちゃって」
にこは笑って答えた。
学院を出たにこはメンバーと別れ、智也との待ち合わせにファーストフード店へ向かった。智也が買ったという新作のアイドルDVDを借りるためだった。
先についたにこは二階の席で待った。しばらくして彼があらわれる。
にこも彼も制服姿だったが、彼は手に持ったスクールバッグに加えて、見慣れない形の黒いケースを肩から下げていた。それはスクールバッグよりひとまわり大きくて、すこし細長い。
「おまたせ」と彼がにこの向かいに座った。ケースを床に置く。
「……あんた、それなによ」
「あ、これ。トランペットだけど」
「ああ、なるほどね」
にこは納得した。以前、吹奏楽部だと聞いたことはあったが、それを意識したのは初めてだった。
「部活、がんばってるの?」と聞いてみる。
「うん、高校から始めたから、まだ下手だけどね」
智也は照れくさそうに続ける。
「うちの部、人数がすくないから、秋の定演にも出ることになりそうなんだ」
「へえ、すごいじゃない」
「そんなことないけど……。よかったらニコちゃんも来てね」
「……考えておくわ」
にこがそういうと、彼は心得たというように笑った。
彼が鞄のなかから薄い紙袋を取り出した。
「はい、これ」とにこに手渡す。
にこは開けてみる。福岡のスクールアイドルグループのDVDだ。
「ありがと。……見たかったんだけど、買うにはお小遣いがきびしいのよね」
にこはため息交じりにいう。
「助かるわ」
「どういたしまして。ニコちゃんがなにか買ったら、貸してね」
「もちろんよ」
にこはうなずいた。
「それで……」
彼はすこし心配そうな顔をして続ける。
「ニコちゃん、ひざ、どうしたの?」
「ああ、これね……」
やっぱり気付かれたわね……。できれば気付かれないでほしい、って思ったんだけど……。
「別に、たいしたことじゃないわ」
平静を装って答える。
「そう? なんかけっこう大きな絆創膏だけど……」
にこは昨晩のことを――不安と、そのあとの安堵をはっきりと思い出した。泣き出してしまったことを思い出して顔が赤くなる。
「き、昨日の夜、ふたりで学院にいたとき、ちょっとびっくりして……転んじゃったのよ」
動揺して思わずそう口に出してしまう。
「えっ、夜にふたりで……?」
智也は目を見張った。
「べ、別にへんな意味はないわよ」
「……相手は誰なの?」
にこはこれ以上、話すのが恥ずかしくなり目をそらす。
「もう……誰だっていいじゃない……」
「……」
どこか不満そうに、じっとにこを見る彼。
こいつ、絶対なんか変な誤解してるわね……。真姫といっしょだった、っていったほうがいいのかしら。でも、そうするとまた細かいこと、聞かれそうよね……。
「はい、この話は終わり!」
にこは強引に切り上げた。
「……」
そのあとも智也は黙りがちだった。
ふたりは店を出た。
「それじゃあ、またね」というにこにも、彼は「うん」とだけ言葉すくなに答えて、帰っていった。
彼を見送って、はあ、とにこはため息をついたが――どうすればいいのか、考えは浮かばないのだった。
また、そのうち頭が冷えるでしょ……。
今回の七不思議のエピソードは「School Idol Diary ~西木野真姫~」に収録のものです。アニメしかご覧になっていない方もいらっしゃるかと思いましたので、にこ視点で多少細かく記述いたしました。シチュエーション、台詞等はアレンジしてありますが、ご了承ください。