ときめきのアンサンブル ~ Story of Nico   作:Kohya S.

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8. にこと真姫と彼(後)

 翌日。練習を終えたにこは、真姫といっしょに音ノ木坂学院を出た。CDショップに行きたいという真姫に、にこが付き合うことにしたのだった。

 夕方とはいえ夏の日はまだ高く、熱気は引く気配を見せていなかった。

 

 学院前の階段を下りながら、どこへ行くか話しあった。

「新譜の品揃えなら秋葉原よね」とにこ。

「でも、ちょっと遠いのよね。それに楽譜も見たいし……」

 真姫が答えた。

「それじゃ、御茶ノ水にしましょ」

 

 階段を下りて通りを歩き出す。

「……そういえばニコちゃん、この前はごめん」

 真姫が目をそらす。

「この前……ああ、これね」

 にこは膝を指差してみせる。そこには小さな絆創膏。

「真姫は気にしすぎよ。もうすっかり大丈夫。あとも残らないと思うわ」

「……そう。よかったわ」

 真姫は安心したように、にこへ微笑んだ。

 

 淡路町から駿河台のほうへ歩いていく。

 

「このあたりに来ると、思い出すのよね。ピアノのコンクールのこと……」

 歩きながら真姫がぽつりといった。

「このへんでやったの?」

「そう、ホールが多いのよ」

「真姫は常連だったんでしょ」

「そうでもないけど……」

 真姫は指で髪の先をくるくるといじる。ボブカットですこし赤みを帯びた髪。

「中学でピアノはやめちゃって……。コンクールも、あまりいい思い出じゃなくなって……ずっと、足が遠ざかってたんだけど……。最近は、そうでもないの」

 真姫はにこを向いて続ける。

「μ'sに入って……わたし、また音楽と向き合えるようになったと思うわ」

「そっか……。よかったわね」

 にこは微笑んだ。真姫は遠くを見ていった。

「今ならいえるわ。わたし、やっぱりピアノが好き。音楽が好きよ」

「……真姫の才能が無駄にならなくてよかったわ」

 にこがいうと真姫は顔を赤らめた。

 

 まなじりの上がった真姫の瞳は、ともすればきつい印象を与えがちなのだが、微笑んだり、はにかんだりするとそれはぐっと(やわ)らいで――にこはその瞳が大好きだった。

 

 にこは真姫の手をにぎった。今度は真姫も手をほどこうとはしなかった。

 

        ・

 

 ふたりはまず御茶ノ水駅近くのCDショップに入った。売り場はワンフロアだがかなり広い。

 お目当てのCDを探す真姫に、にこはついて歩いた。

 

「なにか探してるの?」

 にこは聞いてみた。

「次の新曲に、参考になりそうなのを、ね」

「ふーん。動画サイトとかじゃダメなの」

「やっぱり、じっくり聴きたいのよ」

 そんなものなのかしら、とにこは思う。

 

 店舗の一角にはスクールアイドルコーナーもあった。残念ながらμ'sは取り扱われていなかったが――にこはなぜか智也のことを思い出した。

 

 ひととおり見終えたという真姫とともに店を出た。

 

 数歩進んで、真姫が店のほうを振り返っていった。

「ん……。なにか感じない、ニコちゃん」

「別になにも感じないけど」

「なんとなく、視線を感じたのよね……」

「あれね、きっと真姫に注目するファンがいるのよ」

 にこはにやりと笑ってみせた。

「そ、そんなわけないじゃない」

 真姫はそういいながらもまんざらではなさそうだった。

 気配は消えたようで真姫もそれ以上は気にしなかった。

 

 ふたりは駅前から、駿河台下へ向かう明大通りに出た。ここには楽器店やCDショップが数多く集まっている。次にふたりはそのうちの一軒の楽器店に入った。

 階段で楽譜を扱っているフロアまで上がる。

「ニコちゃん、退屈じゃない?」と真姫は気にするが、「大丈夫よ」とにこは答えた。

 

 けっこうこういうお店の雰囲気、嫌いじゃないのよね。楽しそうな真姫を見てるのも嬉しいしね……。

 

 しばらくして真姫は選び終えてレジで数冊の楽譜を買った。

 

 下りる途中の階をのぞいてみると数多くの楽器や機材が並んでいた。客もそれなりにいて、場所柄だろうか若い男女が多い。高校生らしい制服姿も見えた。

 

        ・

 

 ふたりは店を出てとりあえず歩き出した。

 日はかなり傾いて、あたりを赤く染め始めていた。

 

「ニコちゃん、今日はありがと」と真姫。

「どういたしまして。もういいの?」

「うん、だいたいすんだわ。……ニコちゃんは、どこか行きたいところ、ある? つきあうわ」

 真姫にそういわれてにこは考え込む。

「どうしようかしら……」

 

 にこはふと、うしろからの視線が気になった。さっと振り向いてみるが、そこには通行人がいるだけだった。

 

「どうしたの、ニコちゃん」

 真姫が不思議そうに聞く。

「誰かいたような、気がしたのよね……」

「今度は、ニコちゃんのファンじゃないの」

「それならいいんだけど……」

 ストーカーだったりしたら、どうしようかしら。

 

「それで、どうする?」と真姫。

「そうね、せっかくだから、アイドルの本でも見て行こうかしら……」

 

 にこの案内で駿河台下の交差点を渡ってすこし進み右折。裏通りへ入った。

「ここよ」

 雑居ビルの一階にその店はあった。

 

「すごいわね、ここ……」

 真姫が感嘆の声をあげた。

 秋葉原のアイドルショップとは異なり、書籍や雑誌、それも古本が中心だった。決して広くない店内に背の高い本棚が並んでいる。通路は狭い。

「二階にはグッズやポスターもあるわよ」

 にこは鼻歌を歌いながら店内をうろうろした。真姫もおっかなびっくりついてくる。

「真姫、それこそ退屈じゃない?」

「う、ううん、平気よ」

 そうはいうものの真姫にはきっと深すぎる世界だろう。にこはなるべく早く――それでもひととおり見てまわった。

 スクールアイドル雑誌のバックナンバーを買う。

 

 会計を終えたにこがふと見ると、外はかなり暗くなっていた。そして店の前の通りに、街灯に照らされた人影が見えた。こちらをのぞき込んでいるようだった。にこは急ぎ足で店の外へ出る。人影は消えていた。

 

「どうしたの、ニコちゃん……」

 あとから出てきた真姫が聞く。

「……ぜったい、誰かいたわ」

 にこは小声でささやいた。

「えっ、本当?」

 不安そうな真姫。

「次の店で捕まえるわよ。……店に入ったら、私が目立たないように外に出て、待ち伏せるわ」

「だ、大丈夫なの」

「まあ、街中で襲われたりはしないでしょ……」

「怖いこといわないでちょうだい」

 

 ふたりはゆっくりと歩き出した。

「ちょっと大きめの店がいいわね……」とにこ。

 ちょうどすぐ近くに、道路に面して複数の入り口のある書店があった。

「ここに入るわよ」とにこ。真姫もうなずいた。

 

 ふたりはひとつの入口から店内に入った。

「私、あっちからまわるわね」

 にこは真姫にそういい残して、店内を通ってもうひとつの入り口に向かった。外へ出て、店の前にちょうど止まっていたワゴン車のかげに隠れる。

 

 すこし待つとさきほどの店のほうから人影があらわれた。暗くてよく見えないが中背でやせ形の男性のようだ。あたりに気を配るようすで、書店の入り口へゆっくり歩いていく。

 

 にこも車のかげから出た。気付かれないようにゆっくりと進む。

 

 人影が書店のなかをのぞき込んでいる。にこは胸の鼓動が速くなるのを感じた。しばらく躊躇(ちゅうちょ)したが――入り口に近付いたところで背中から声をかけた。

「あんた、なにしてんのよ」

 人影は飛び上がって振り向いた。

「……ニコちゃん」

 聞き覚えのある声。

「智也……」

「気付かれちゃったね……」

 にこは拍子抜けして脱力した。そして次の瞬間、怒りがこみ上げてきた。

「……ずっと、ついてきてたわけ……?」

 低い声でいう。

「はい、そう……です」

 その迫力に制服姿の智也は落ち着かないようすで(こうべ)を垂れた。

 

 にこは智也の手をひき書店に入った。真姫のところまでつかつかと歩く。

「捕まえたわよ」

「えっ、大丈夫なの」

「……その、私の知り合いだったわ」

 そういいながら、にこは顔がほてるのを感じた。

「どうも……」と智也。

「詳しい話、聞かせてもらうわよ」

 にこは彼をにらみつけた。

 

        ・

 

 三人で近くの交差点の角にあったカフェに入った。

「あんた、おごりなさいよ」とカウンターの前でにこ。

「はい……」

 にこは真姫にも好きなものを頼むようにいった。にこと真姫はコーヒーにクロワッサン、智也はコーヒーだけ頼んだ。

 

 注文した品を受け取って三人は席に着いた。

 

「えっと、私の……友達の、山名智也」

 にこは簡潔に真姫に紹介した。

「あの、よろしくお願いします」と彼は頭を下げた。

「よ、よろしく」

 真姫は戸惑ったようすで答えた。

 

「それで……どこから付いてきてたわけ?」

 にこは詰問するような口調でいった。

「学院の前から……。昨日のこと、謝りたくて」

「はあ? なんで声、かけないのよ」

「だって、ニコちゃん、ずっとふたりで話してて」

 彼はちらっと真姫のほうを見る。

「なんか、タイミングがなくて……」

「いくらでもあったでしょ、ったく」

 にこは一口、コーヒーを飲む。これ、苦いわね……。

 

「真姫も私も……その、どきどきしたわよ。止めてよね、そういうの」

「ごめんなさい」

「ちゃんと考えなさいよ」

「まあまあ、ニコちゃん。反省してるみたいだし……」

 真姫がなだめるようにいった。

 彼は終始、落ち込んでいるようすで、にこもそれ以上、きびしくはいえなかった。

 

 にこはクロワッサンをつまんだ。チョコ味がコーヒーによくあっていた。

 

 すこし落ち着いたにこは、さとすように話す。

「でも……どうしてついて来たのよ。あとでいいじゃない」

「手をつないでて、仲良さそうで……」

 彼もコーヒーを飲んだ。心なしか上気しているようだ。

「それに、おとといの夜も、ニコちゃんが誰かとふたりでいたって、聞いたので……。ふたりは……どういう関係なのか、気になって」

「どういう関係って……どういう意味よ」

「その、女子高だし……」

 彼は上目遣いで、にこと真姫を交互に見やった。

 

 にこはピンと来た。そして思わず真姫に視線を送る。真姫もにこのほうを向くが、きょとんとしている。にこは頬が赤くなるのを感じた。

「……ばっかじゃないの!」

 にこは叫んだ。周囲の目が集まってしまい、あわてて声を落とす。

「考えすぎよ、ったく……!」

「……そうだよね」

 彼はすまなそうにいった。

 

「……どうしたの?」と真姫。

「えっと……」

 あらためて説明するのもはばかられて、にこは言葉を濁す。

「……そういう関係じゃないってわかって、安心しました」

 彼がほっとしたようにつぶやいた。それを聞いた真姫がもらした。

「……ヴぇえ」

 真姫の顔が真っ赤に染まっていく。あちゃー、気付いちゃったわね。

 

「もう、バカバカバカ。あんた、なに余計なこといってるのよ」

 そのままスルーできそうだったのに。にこは智也をなじった。

「わっ、ごめん」

 頭をすくめる彼。

「……」

 真姫は赤くなったまま無言で下を向いている。

「……その、ごめんね、こんなやつで」

 ったく、なんで私が、と思いつつ、にこは真姫へいった。

「……大丈夫、びっくりしただけ」

 真姫は顔を上げて、にこと智也に笑みを向けた。その笑顔が思ったよりもきびしくなくて――にこはすこし安心した。

 

 そのあと智也は再度謝罪し、にこと真姫は受け入れた。

 例によって彼は真姫に会えたことに感動して、真姫のことを賞賛していた。真姫も嬉しそうで、にこは心穏やかではなかったが――もういつものことだと、あきらめもつくのだった。

 また最後のアイドル専門書店は彼も知らなかったようで、にこは鼻が高かった。

 

        ・

 

 話も一段落して、三人はカフェを出た。すっかり暗くなっていた。

 

「それじゃ、今日はここでね」

 にこは智也に手を振った。

「うん、またね」

 智也は笑顔で手を振り、そのまま駿河台のほうへ去った。

 

 にこと真姫も神田方面へ歩き出す。

 ようやく日中の熱気もおさまり風が心地よかった。

 

「はあっ、疲れたわね」

 にこはため息とともにそうこぼした。

「智也くん、だっけ。ニコちゃんと仲がいいのね」

 真姫はにこへ微笑んだ。

「そうかしら……。単なるファンか、せいぜいアイドル友達よね」

「……十分、仲がいいと思うわ」

「やめてよね」

 にこは首を振ったが、不思議とそれ以上、否定する気持ちは起きないのだった。

 

 大通りをはなれて裏通りへ入るとあたりは急に静かになった。大きなビルと小さな住宅や商店が混在するエリアだ。

 

 にこは口を開く。

「……その、悪かったわね、真姫」

「ううん、いいのよ……ちょっと驚いただけ」

「ったく、ストーカー気質よね」

 にこは毒づく。

「そっちじゃなくて……」

 真姫は目をそらした。

「ああ、あれね……。ったく、なんか薄い本、読みすぎなんじゃない」

「薄い本……?」首をかしげる真姫。

 しまった、大失言ね、これは。

「……変な本でも読んだのかしらね」

 真姫はふに落ちないようだったがそれ以上は追求しなかった。

 真姫は遠くを見るような目で話す。

「でも、わたし、すこし嬉しかったんだ」

「……えっ」

「ああっ、そういう意味じゃなくて……」

 真姫は視線を戻して否定するように手を振る。

「……その、誤解されるくらい仲良くみえたのが」

「そういうことね」

 真姫はまた目を落とす。

「それも先輩となんて……わたし、高校で……ううん、中学から、ずっとひとりだったでしょ。……すこし前のわたしなら、考えられないわ」

「真姫……」

 真姫はにこへ向けて、はにかむように笑った。

「ありがとう、ニコちゃん。これからも、よろしくね」

「……こちらこそ、真姫」

 にこも微笑んだ。

 

 ふたりはどちらからともなく手をつなぎ――そのまま別れ道までつなぎ続けた。

 

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