「あれ?ケイは?」
私が買い物袋をソファーに半ば放り投げるようにして置くと、ヨリトが首をかしげた。主婦のようにエプロンを下げた彼は自分が高校生ということを忘れてしまっているようで少し哀れに見えた。
「・・・「星が綺麗だから見上げてくる」ってどっか行ったわ」
実際彼女は喫茶店を飛び出した後、そのようにメールをしているため嘘では無かった。その本文にはハートや笑顔などの絵文字が目がチカチカするほど使われおり、その数だけ彼女の『苦』が明らかになっていた。何を今更取り繕うつもりなのだろうか、それとも弱みを晒すことに対してプライドが許さないのか。
「・・・なんかあったのか」
私が思わず振り返るとヨリトは怪訝に思うわけでもなく少し悲しげな表情を見せながらシチューの煮込み具合を確認しているところだった。彼は彼女と一緒にいる時間が特に多かったからやはり何か分かってしまうらしい。
「あいつは『追い込まれる』と夜空を見上げてぼーっとすることがあるんだよ。まるで幽体離脱して本体がどっかに遊びに出かけてんじゃねえかってぐらいにな」
・・・そこまで分かっていながら、どうしてその原因が自分にあると分からないのだろうか。私は彼女に対し居た堪れない気持ちになるも、いつも通りのしかめ面を作りソファーに腰掛けた。もともと二人用のこの椅子は彼女がいないとやたらに広く感じた。
「お昼に市内のとある喫茶店に行ったのだけど、そこのマスターとケイが一悶着あったのよ」
「あぁ、あそこのマスターは昔からすごい千里眼だからな。俺がテストで悪い点取った時もすぐばれた」
けれど私はその『一悶着』の内容は言えなかった。言えばこの問題も解決するし彼女もきっと救われる。けど私もまた、スズネと同じように『ずるい人間』だからもう少しだけこのままで居たかったのだと思う。
「まぁ、マスターがケイの何を見破ったかは知らないけど、あいつもすぐ戻ってくるだろう。・・ほら、料理できたけどどうする?先に食う?それともーー」
「待ってるわ」
私は彼が言い終わるのを待たずに答えた。ただのせめてもの償いのつもりだ。
「・・・そうか」
彼は鍋に蓋を被せると、肩を回してエプロンを脱いだ。それを椅子の背もたれにかけると机の上に置かれた一冊の分厚い本へと手を伸ばしたのだった。
また古本屋から何か買ってきたのだろうか。
「心配じゃないの・・・ケイのこと」
私がテレビの電源をつけると丁度ニュースがやっているところだった。見ると市内にできた新しい美術館に持ち運ぶ予定だった歴史のあるお面が壊れてしまったらしい。
彼は腰を掛けると本を読むわけでもなくただ表紙を見つめていた。
「・・・丁度小学生になりたての頃だったかな、あいつは一度家出してるんだよ」
家出なんてどうせすいせい屋にでも行っていたんでしょうねと息を漏らしながら言うとヨリトは静かに首を横に振った。
「警察も出動した結構な騒ぎになって、結局ケイは東京駅の隅で倒れているところを駅員に発見された」
「と、東京!?」
私は思わず握っていたリモコンを落としてしまった。すると落ちた衝撃で中に入っていた単三電池がコロコロとフローリングを転がった。迷子で彷徨うにように転がった電池はヨリトの足元で止まると彼はそれを拾い上げた。
「東京って・・・小学生が一人で行けるような場所じゃ・・・」
彼は私に電池を渡すと少しだけ呆れ顔になり、
「まぁ、あいつは静岡県に行くつもりだったらしいけどな」
「それでケイはどうしてそこに?」
「あいつのお父さんだよ」
ケイのお父さんは確か彼女が幼い時に病気でこの世を去っていたはずだ。
「父親が亡くなった次の日失踪、4日後に東京で発見される。その間彼女が口にしたのはトイレの流し台の水だけだったらしい」
「・・・・」
「後であいつに聞いたんだけど『パパに会いたかった』ってさ。きっとあいつは雲の上には天国があるって信じてて、だから富士山登って会いに行こうとしたんだろうな」
私はもう何も言うことが出来なかった。テレビのニュースは気づけばエンターテイメント番組に変わっていた。一人の芸能人らしい人がマイクの前で声を荒げ、観客がそれを見て大笑いをしているが今の私はそんな気分にはなれなかった。
「その時あいつのポーチに入っていたのは、財布でも、家の鍵でもなくて、すいせい屋の小さな饅頭が二つだけだった。・・・後で聞いたら「パパお腹空いてるかもしれないから一緒に食べようって」」
ふと空が唸るような音が聞こえてきた。カーテンを覗くと遠くで稲妻が走った。天気予報では明日の朝から天気がまた荒れる予定だったけど、せっかちな雨雲はもう東北地方にまで来てしまったようだ。
すると、
「ただいまあ!」
聞きなれた元気な声がリビングにまで聞こえてきた。
「ねぇ、最後に教えて。どうしてケイはあなたのことを『後輩くん』って呼ぶの?」
私は早口でそういうと、一瞬きょとんとした顔を見せた彼は立ち上がって冷め切ってしまったシチューに火を入れると優しく微笑んだだけだった。
「ふぅ、あれ?もしかして夜ご飯待っててくれたの?」
いつも通りの彼女はいつも通りの仮面を被りながら首をかしげた。
「あぁ、今温め直してるからもう少し待ってろ。それにしてもギリギリだったな、もう少しで雨が降りそうだぞ」
いっそ先ほどのニュースみたいに、その仮面を壊してしまえば・・・
「そうなの!さっきピカッって光ったよね!」
それで彼女は救われるのだろうか?
「ったく、天気予報なんてあてにならないな」
彼は救われるのだろうか?
「あれ?マリーちゃん元気ない。あ、もしかして雷が怖いんだ!」
私は・・・・救われるのだろうか。
「・・・なんでもないわよ」
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「ヨリトお!卒業おめでとう!中学校も一緒だけど宜しくね」
赤いランドセルを担いだ彼女は先の式で受け取った卒業証書を振り回しながら笑顔で駆け寄ってきた。
しかし正反対に俺の顔は曇っていたと思う。だからか彼女は首をかしげた。
「俺にはもう近づかないほうがいい。・・・ごめんな」
「そ、そんな・・・どうして?」
彼女は卒業証書を握りしめた。
「俺はもう昔の俺じゃないから・・・」
「よ、ヨリトはヨリトじゃん!」
「やめろっ!」
俺は声を荒げてしまった。彼女はビクッと体を震わせた。
「もう名前で呼ぶな・・・それと、もうお前とマリーとは一緒に帰れない。・・・本当にごめん」
俺は居た堪れなくなり思わずその場を後にした。
すると
「こ、後輩くん!」
「は?」
俺は思わず足を止めた。振り向くと彼女はいつも通りの笑顔を見せていた。もう二年前の面影すらなくなっている。
「ほ、ほら、中学生っぽいでしょこの呼び方!私のほうがちょっとだけ誕生日早いし・・」
「ケイ・・・」
「後輩くん。私もマリーちゃんも料理できなくてさ、家事もあまり上手くないから、後輩くんがいなくなると困っちゃうんだ。だから、だからその、『お手伝いさん』として一緒に過ごしてくれないかな・・・」
彼女は優しい。俺の要望を全て叶えた上で、『したくはないけどそうしなければいけない』という俺が一番欲しい『口実』を与えてくれた。
その行為がどんなに未来の俺たちを苦しめるかも知らないで
俺は頷いてしまったのだった。
「俺は・・・・俺は最低だ」