私は張り切っていた。それは今日から夏休み明け初日の学校だからではなく、森野くんの願いを叶えるためだ。
玄関を前に私は履きなれたスニーカーに足を入れると、水色のリボンで髪を括り、それから両手で頬を軽く叩いて気合を入れた。この動作に何の意味があるのか自分でも分からなかったけど、お母さんは何かを頑張る時は決まってしていたから、それの真似っこでもあった。けれどもなんだか気持ちが引き締まったかのように感じる。隣ではマリーちゃんが黒いバレエシューズを履きながら「どうしたの?」と言った。
「・・なんでもないよ、行こう」
私がドアを開けるといつも通りに森野くんが玄関先で待っていた。
「おはよう、ヨリト」
マリーちゃんがそういうとヨリトはこちらに気づき「おはよう」と言った。
「ケイもおはよう」
・・・・よし。
「うん、おはよっ!森野く・・・ヨリトは夏休みの宿題はもう全部やった?」
夏休み中ずっと練習していた笑顔でそういうと、彼は私の変わりように何も言わずに受け入れてくれた。
「おう!当然っつーか、もう夏休み始まった瞬間に全部終わらせたからなー」
ヨリトは自信満々に行った。彼は毎日のように友達と遊びに出かけるけど、その分宿題もちゃんとやってくるしテストでは常に90点以上を取るから、そこも皆から好かれている所以なのかもしれない。私も今より勉強を頑張って友達をたくさん作らないければいけない。そうしたらきっとヨリトの願いも叶えられるし、私もずっと彼のそばで笑っていられる。
「だよねー!さっすがヨリトだ!」
「あの先生、もし私に怒ったらクビにしてやるんだから」
「マリー・・・宿題見せてやるからそれだけはやめてくれ」
そう決意して約半年になるけどそれでも上手くいかず、私はなかなかヨリトのそばに行くことが出来なかった。スズネお姉ちゃんは「いきなりみんなと仲良くなるのは難しいよ」と私を励ましてくれたことが余計に辛かった。
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日曜の朝。私が体を起こすと、外から雨音が絶え間無く聞こえてきた。昨日の夜から降り出した雨は未だに降り注いでいた。ふと枕元が濡れていた。雨漏りかななんて一瞬思ったけど、そんなことはない。私は目から溢れる涙を拭うとベッドから降りた。時々轟く稲妻はまるで今の私を責めているかのようだ。
「ケイ?朝ごはん準備できたぞ」
ドア越しに後輩くんの声が聞こえてきた。雨音のせいであってほしいけど、今日はよく聞こえない。
「はいはーい!今ちょうど起きたところ!」
「そうか、待ってるぞ」
「うん、私のおかず食べないでね!」
彼は「あほ」といつもの調子で言うと一階へ降りて行った。
「本当にアホなのはどっちだし」
私は鏡で『いつもの私』か確認すると両手で頬を強く叩いた。
「私も頑張らないと」
1階に降りるとすでにマリーちゃんの姿もあったけど、未だにパジャマを着ていて、ソファーでテレビを見ながらぼーっとしている。寝不足気味なのか若干機嫌が悪そうにも見えた。
「マリーちゃん大丈夫?」
「昨日の夜、雨音のせいで何回も目が覚めたわ」
まったく悪くのないテレビの天気予報士を睨み付けながら彼女はそう言った。私はあまり気にしなかったのだけど、もともと周りの環境に敏感な彼女にとってこの雨音は無視出来るほどの音量ではなかったらしい。
「どうして梅雨でもないのに雨がこんなに降るのよ」
「・・・土曜日の陽気のせいだろうな。ご飯食べちまうぞ」
後輩くんのその言葉を最後に、私たちはただ黙々と朝ごはんを食べ続けた。いつもなら私が馬鹿なことを言ってマリーちゃんと後輩くんが呆れ顔になってつっこむという定番の流れがあったのだけど、会話の発端である私が話を切り出さなくなっていたので、誰も何もしゃべらなくなっていた。なぜか酷く孤独感を覚えたのだった。
「そういえば、もう少しで生徒会長選挙だけど、お前らは立候補するのか?」
ヨリトが食べ終えた食器を片付けならそんなことを言った。
「する訳ないじゃない。第一、生徒会に入ったらゲームする時間が無くなるじゃないの」
マリーちゃんは一つ大きく欠伸をした。
「わ、私は・・まだ考えてる」
「あぁ、お前が出馬したら確実にお前になるからな。よく考えてからした方がいいぞ」
正直な話、私は自分に自信があるわけじゃない。
「・・・・そうかな」
「そうよ。全校生徒1000以上いるけど学校内であなたの事を知らない人は居ないと思うわよ」
それはそれで緊張する話だ。私は変なプレッシャーを感じながらもご飯を頬張った。
「んー、でも皆を引っ張っていけるかって言ったらコミュニケーション能力よりも統率力とか、いわゆるリーダーシップみたいなのが必要だと思うんだよねー」
でも迷っている理由は、本当は他にあったのだけど。それは言えなかった。
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「あーあ、ったく面倒くさいな」
今まで賑わっていた教室内がまるでテレビの消音ボタンを押したようにその一言で一瞬にして静まり返った。皆の視線がヨリトに集まっていた。しかしその彼はそんなことは気にせずにただ私の方を睨み付けていた。
「ご、ごめんなさい!」
私は思い切り頭を下げた。しかし彼の機嫌は一層悪くなったように思えた。
「別に謝って欲しいわけじゃない。どうしてお前はいつまで経ってもうじうじしてるんだよ。気持ち悪いんだが」
「・・・え」
私はその言葉を理解するのに数秒とかかった。けど分からず聞き返してしまった。スズネお姉ちゃんもマリーちゃんも、クラスの生徒も皆驚いたような表情を見せている。ヨリトは今度はわざと聞き取りやすく先ほどよりもボリュームを上げてはっきりと放った。
「ケイ。お前は気持ち悪いんだよ」
「よ・・・りと・・・」
正直、悲しいとかじゃなくてヨリトが怒ったところ、罵倒を言うところを初めてみた。それは皆も同じ気持ちだろう。だけどそれより、その初めてが私に対してであることが何よりも驚いていた。今まで必死にヨリトに憧れて、必死になって追いかけてきた。誕生日には今も髪に結びつけているリボンをくれたし、お願い事だってされた。ケーキを食べて、一緒に笑い合った時間はもしかして私の見ていた夢だったのかもしれない。
「ちょ、ちょっとヨリト!それはなんでも言いすぎなんじゃないかしら!」
マリーちゃんが最初に怒鳴った。それでもそれは気迫より戸惑いを感じる。
「んだよ、文句あんのか。もう散々なんだよ。ケイには」
「森野くんそれは言い過ぎじゃない?」「あいつってあんなこと言う奴だったのか」「なになに喧嘩?」「女子にあんなこと言うなんて・・」「宇佐見さんがかわいそう」「最低だなあいつ」
皆のヒソヒソ声がまるでエコーのように教室内に響いた。しかしそれを聞いた彼はまるで人格が変わったかのように口端を上げて歯を見せた。
「だってそうだろう?こいつ友達いないくせに、偉そうに俺に話しかけてくるんだぜ?笑っちゃうよな本当!」
「ごめんなさい・・本当にごめんなさい・・・」
私は謝ることしかできなかった。ただただ、頭を下げた。でも確かに彼の言う通りだ。半年間頑張ったけど私に友達は出来なかった。彼の元へ行けなかった。それは誰だって怒るだろう。
「もう・・俺に近づくんじゃねえよ」
彼はそう言うと、教室を出て行った。
皆は気付かなかっただろうけど、なぜかヨリトは泣いていた。
「えっと、ケイちゃん・・だっけ。大丈夫?」
「ほんとだよな。あんな最低な奴の言うことなんて信じるなよ」
「そういうお前よくあいつと遊んでたじゃんかー!」
「う、うるさい!もう目が覚めたよ」
クラスのみんなは私に同情して各々が「大丈夫?」と宥めに寄ってきた。
それがきっかけで私『宇佐見慧』には、初めて友達が出来たのだった。それも沢山だ。
それと同時に『森野頼途』からは友達と呼べるものが誰一人残らず消えていった。
そしてそれ以来、彼が他の人と仲良く遊ぶところを見た人は居なかった。