次の日。俺とケイは秋田新幹線に乗っていた。向かいの席の彼女は先ほど買った駅弁を口に入れながら「すごーい!速いねー!」と騒いでいる。窓の外の景色が飛ぶ中、俺はチケットを確認した。そこには『東京行き』と書かれていた。
「東京?」
「うん!私あそこ行きたいの!あきはらば!」
「・・・あ・き・ば・は・ら」
「あ・き・ら・は・ば!」
・・・・言えてねえよ。
まぁ、正直な話彼女と遠出をするのは初めてで少しだけ心を躍らせている自分がいた。別に時間が無かった訳ではないが保護者が居なかったし、留学生のマリーは遠出する場合色々な手続きがあって面倒だったのだ。ケイはいつも通りのピンク色のロゴが入った水色のTシャツにショートパンツにオーバーニーとボーイッシュな格好だ。一泊二日の予定で荷物を一つにまとめて俺が持っている。家には鍵をかけてきたし、心配する必要はないだろう。
「新幹線に乗ったの久しぶりだよー!」
そういえば彼女は一度小さい時に一人で東京に来ている。本人は静岡県に行く予定だったらしいが。
「東京は人がいっぱいいるから後輩くんは大変かもね」
弁当を食べ終えた彼女は笑顔でそう言った。人混みが苦手な人間は山ほどいるが俺はその中でもかなり重症な方だと思っている。元々人が多いところには自ら進んで行くことは無かったが中学三年生の春、駅前の店で店卸しセールの際に主婦の方の荒波に揉まれ大惨敗した記憶が有る。あの見知らぬ人の肌に触れる感触や不快な生ぬるさと息づかいが俺を行動不能にしてしまう。
「・・・東京駅まであと3時間ぐらいか」
新幹線の線路を踏みしめる微かな揺れと座席の暖かさが俺の睡魔を元気にしていった。それに、先ほどから向かい側の席に座るケイのふくらはぎが俺の足に触れていて微かだがなぜか落ち着いた。彼女の軽快な鼻歌を子守唄に俺は黙って目を閉じたのだった。
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7月、8月になると日本より少しだけ長いドイツの冬も明け、私の部屋から睥睨できる街並みも旅行客で賑わっていた。私は夏が好きでは無かった。理由は現状況にある一時帰国だ。ケイの家は決して大きく華やかな訳ではない。使用人がいる訳ではない。でもそこにいる間は私は『いい人』と自分の中で思い込むことが出来たのだ。故郷は一番暮らしやすいというけど、私の故郷はここじゃない。ここにいると罪人を隔離する牢屋の中に閉じ込められたみたいで酷く息苦しかった。
ふとノックの音が転がった。
「マリーお嬢様。お呼びでしょうか」
「・・・入って」
赤塗りの大きなドアが静かに開くとそこには燕尾服えんびふくに身を包んだ一人の男が立っていた。
「おや?お嬢様、まだパジャマ姿でいらしたのですね。今日午後4時よりマリア様とハルオミ様が出席するパーティーが御座いますが、そこにはマリーお嬢様も出席なさるんですよ?」
カズマ・フォン=ケーニッヒ。彼も私と同じようにドイツと日本のハーフだ。まぁ、そのこともあり私の使用人にパパが勝手にしたのだけど。正直な話、私はこの男が嫌いだ。
「断らせていただくわ」
「それは無理なお話です。お嬢様、いつまでも子供気分じゃ・・」
「うるさいわね、冗談よ」
丁寧な言葉を使えば何を言っても良いと思っている、まるで人の皮を被った機械だ。雑な言葉を使うくせにちゃんと他人を思いやるあの人とは大違いなのだ。
本当はこんな人私の部屋には入れたくはないけど、今日は仕方が無かった。
「そんなことより、髪を切ってくださらないかしら」
「髪?ですか」
私は大きな鏡のついたドレッサーの前に座ると「早くして」と促した。日本ではケイにお願いしていたけど、ここだとお願い出来る人がこの人以外に居なかった。
彼は手際よくすきバサミを構えると、馴れ馴れしく私の髪を撫でた。
「どのくらいお切りになりますか?」
「そうね。肩に髪がつかないくらいまでお願い」
所謂ショートカットというものだ。それを聞いた彼は困ったような顔をした。
「そんなにお切りになさるのですか?」
「だってこう腰まで髪があると暑くて鬱陶しいんですもの。お父様の許可も得ているから早くしてくださらないかしら」
パパの許可を得ているというのは全くの嘘だ。それでも私は私だけのもので、もう誰の指図も受けるつもりはない。すきバサミを構えた彼は「少々勿体ない気もしますが・・・かしこまりました」と渋々切り始めた。私は彼のそういうところも嫌いだ。「勿体無い」なんて、私はあなたの所要物になった覚えは少しもない。
街の賑やかな笑い声を横耳に暫く切っていると、不意に使用人が「ふふっ」と声を漏らした。
「随分と嫌われていますね。私は」
私は見抜かれても取り繕うつもりは一切ないから「そうよ」と冷たく言い返した。
「マリーお嬢様が中学校に上がった時からずっとお世話をしているというのに、なかなか認めてもらえませんね」
彼は悲しむわけでもなく、むしろ呆れたように言った。大人の余裕というやつだろうか。
「ヨリトとは小学校から一緒なのよ。あなたより長いわ」
だから思わずそう言ってしまった。
彼は鏡越しに一瞬ハサミを動かす手を止めて、元々細い目を少しだけ開いた。
「・・・お友達ですか」
私はそれには答えずに深くため息をついた。
「私、ここが嫌いよ」
「お嬢様はかなり恵まれているかと。3つ星シェフの料理を毎日食べられるご家庭なんて」
「だから、それが嫌いって言ってるのよ!」
私は声を上げたが、彼は以前動じた様子もなく「わがままなやつだ」みたいな顔で手を動かしていた。
「日本ではさぞ美味しいものを召し上がっていたのでしょうね」
別にそんなことはない。日本食が好きなわけでもない。ヨリトも、ヴェルトラオムのおじいさんも3つ星の称号を持っているわけでもない。
「あなたに言っても分からないでしょうけど、何事も技術が物を言うなら全部機械にやらせればいいじゃない。その方が確実だし早いし効率がいいわ。でも、そうじゃないの。優しさとか・・・あ、愛とか、そういう数式化出来ない物が一番大事な物なのよ。此処はそう言った物を感じない。ただの形よ」
「・・・成長なされたのですね」
彼はハサミを置くと代わりにドライヤーを手に取った。髪はヨリトと同じぐらいの長さになってしまった。そんな心中を悟ったのか彼は「まるで美少年ですね」と冷やかしまじりに笑って見せた。
「髪を急に短く切るなんて、『失恋した』と勘違いされてしまわないでしょうか」
わざと失恋の部分だけ強調した彼は本当に嫌なやつ。ドライヤーを止めて「髪型、似合っていますよ」なんて今更言ってもまるで社交辞令にしか聞こえない。私は立ち上がると短くなった襟足をいじった。なんだか首回りが落ち着かない。
「別に失恋なんてしてないわよ。・・・これから始まるのよ。まだ終わってなんかいない」
「・・・マリーお嬢様」
「なによ」
「髪の毛は如何致しましょうか」
彼は赤絨毯に散らかった私の髪を見ながらそう言った。
「捨てる以外に何かあるの?」
そう言うと彼は一束ずつ丁寧に拾うと、
「記念に箱にしまっておきましょうか」
本当馬鹿じゃないかしら、この男。
「それとマリーお嬢様」
「・・・なによ」
「ドレスの着付け、余裕を持ってお願いしますよ」
私は「分かってるわよ」と適当に頷いてベッドに腰を落とした。文字の読みにく大きな時計は2時半を指していた。
「・・・・最後にマリーお嬢様」
「あぁ、もううっさいわね!」
「恋敵と書いて『トモダチ』と読むのですよ」
「・・・分かってるわよ」
やはり、この男は苦手だ。