「ねぇ、お母さん。どうして僕にはお父さんがいないの?」
子供姿の僕はそんなことを言ってはお母さんを困り顔にさせていた。 本当は何故いないか子供心でも十分理解できていたけど、意味もなくお母さんに罪悪感を突きつけていた。
「・・・ごめんね・・・ごめんね」
「どうして?」
「私が悪いの・・・ごめんね・・・」
そんなこと聞きたいんじゃない。誰が悪いかなんてそんなのはどうでも良い。
僕はただ真実が知りたかった。知って安心したかった。知らないのはとても怖いことだから。
でも、僕はそんな自分を殺した。何回も何十回も、何百回も。姿の見えない恐怖に襲われながらも「ううん。大丈夫だよ」と言うのだった。
「それに僕には友達がいるから、寂しくないんだ」
そう思いたいばかりに、小学生の僕は友達と呼ばれるよく分からない人物を量産していった。気づけばその言葉はお母さんを安心させる精神安定剤のようになっていた。
でも、そんなある日だった。
「頼途・・・本当にごめんなさい」
理由よりも先にお母さんは頭を下げた。やめてよ。僕たちは家族じゃないか。そんなことされたら、僕たちの関係が壊れてしまう気がした。それでも僕はまた自分を殺した。自分の感情にナイフを刺して暴れないように縛った。
「ううん。大丈夫だよ」
そしてお母さんまでもが居なくなり、僕は早すぎる自立を始めた。
でも悲しんではいけない。先日ケイのお父さんが居なくなってしまった。彼女の気持ちを理解して、元気づけることが出来るのは僕しかいないのだ。
「ーーーくん?」
「・・・ん」
「後輩くん?」
「・・・ぁ、あぁ、寝てたか」
俺は座りながらも体を伸ばすと窓の外に目をやった。気づけばもう少しでつきそうだ。どうやら2時間以上寝てしまったらしい。
「大丈夫?魘されてたけど」
彼女は心配そうに俺の顔色を伺った。
「大丈夫。全裸のおっさんに追いかけられる夢だったから」
「全然大丈夫じゃないじゃん!」
俺は驚愕している彼女を横目にペットボトルを開け水を一口口に含んだ。今更小学校の時の記憶が夢で出てくるなんて、神様はドSしか居ないのだろうか。
「・・・もう少しで着くよ」
「あぁ、忘れ物ないようにな」
俺とケイが新幹線を降りると熱気という熱気が襲いかかってきた。
「な、なんだこの暑さはっ!」
俺は思わず足をふらつかせた。正直人混みとかそういうレベルじゃない。今ほど電子レンジの中でただ料理されるだけのお手軽冷凍食品の気持ちを理解したことはないだろう。インドア派の俺が唸っている横でアウトドア派の彼女は「うーん!いい天気!」と気持ちよさそうに体を伸ばすのだった。彼女の荷物も全部一緒にして俺が持っているんだが、正直役割を交代して欲しいところだ。
俺は楽しそうに辺りを見回す彼女の後ろを額に汗を滲ませながら歩き始めた。東京駅は想像通り見渡す限り人で満ちていた。さすがメトロポリスといったところか。別に嬉しくないけど。
「後輩くんはねー、普段動かないからこんなところに響いてくるんだよー」
それは少し違う。普段動かないんではなくて動く必要がないのだ。例えるならライオンと鳥の違いである。ライオンは陸上で生活しているため足腰が強い。でも鳥は走る必要はない。飛ぶ能力だけ向上させればいいわけだ。まぁそんなこと敗者の言い訳だって分かってるから言わないでおこう。余計自分が惨めに見えるだけだ。
「それで、最初はどこに行くんだ?」
そう言うと彼女は某観光スポット紹介雑誌を開いた。
「うーんと、最寄りのホテルにチェックインするのは後でとして、とりあえず着いてきて!」
一段と彼女は歩幅を大きくした。なんか彼女は今日機嫌が良さげだ。もう少しだけ荷物を持っている俺に気を使ってくれても良いんだが。
しばらく人混みの中を掻い潜るようにして進んでいくとふと彼女が立ち止まった。看板には『和田倉噴水公園』と書かれている。公園の中央では噴水が踊るように吹き出していて見ているだけでも気持ちが涼みそうだ。
「公園?」
俺が肩からずり落ちたボストンカバンを担ぎ直しながら首を傾げた時だった。
「ケイちゃーん!」
一人の少女がベンチに座りながらこちらに手を振っている。ケイもそれに気づき駆け寄っていった。友達にしては変に大袈裟だ。そう思いながらも俺は彼女の後に続いた。
辺りを見回してみるとやはり子供連れの主婦やカップルなどが噴水を囲むようにして楽しそうに駄弁っていた。
「一人でよく来れたねー!」
その少女はケイにハグしながらまるで姉のように彼女の頭を優しく撫でたのだった。
「ううん。今日は後輩くんと一緒に来たの」
ケイが少女から離れると二人とも俺に視線を向けた。すると少女は電撃が走ったように目を見開き驚いたような顔をした。俺は怪訝に思ったが数秒後には俺も同じ顔になっていた。
「スズネ・・・お姉ちゃん・・・」
高宮スズネ。成績優秀、容姿端麗、真面目、優しい、どの分野を挙げても素直に頷ける俺の幼馴染。そして、森野ヨリトの初恋相手でもあった。
「ヨリトくん・・・」
彼女と俺はまるで磁石のS極とN極のように惹きつけられその視線を外すことが出来なかった。透き通った目、不健康そうな色白の肌、かぐや姫のようなさらさらな黒髪、やっぱり彼女だ。
「二人とも改まっちゃって面白いんだー!」
ケイは「へへへ」とやんちゃに笑って見せた。
「じゃあ、あそこのコンビニで飲み物買ってくるね。二人は何飲みたい?」
「わ、私はお茶で!」
「お、俺もそれで」
すると彼女は「りょーかいしました!」と敬礼をして駆けて行った。
「「・・・・・」」
二人になり、沈黙が続いた。周りで子供達のばしゃばしゃと噴水の水をかけ合う音とその笑い声。交通機関と蝉の喧騒と俺の鼓動が辺りに満ち、俺は次第に過呼吸気味になっていった。
「こ、此処座ったら?」
彼女は少しだけ右に寄った。「ありがとう」と座るとベンチは陽の光で温められていて先ほどの新幹線の座席を思い出させた。
「・・・久しぶりだね。5年ぶり・・かな」
彼女は一つ、二つ、と指を折った。
「東京に居たんだな」
俺は彼女がどこにいるのか知らなかった。というか、知ろうとしなかった。
「こっちの中学に通ってたの。高校も勿論こっち」
「・・・体、具合はどうだ?」
そういうと彼女は「うん、カメハメ波出せそうなぐらい元気!」と元気よく肩を回して見せた。こういうのもなんだけど、彼女みたいな真面目な人が可笑しいことを言うとギャップで余計に笑ってしまう。
「ポケットからマスク見えてんぞー」
スカートのポケットから畳んで押し込まれたであろう白いマスクが少しだけ出てしまっていた。「あ、やっちゃった」と彼女はそれを奥に押し込んだ。
この時期特に日本で感染病が流行っているわけでもないし、寒いわけでもない。要するに彼女のすぐ風邪を引いてしまう体質は依然変わっていないというわけだろう。
「・・・東京に移動したのって、秋田より暖かいからか?」
「ヨリトくん、詮索は良くありませんよ」
彼女はお姉ちゃん口調でそう言った。小学校の時もよくそんな風に注意されたもんだ。
そして俺はそういう時はいつも決まってこんなことを言うのだった。
「ヨリトくん?誰だそれは。俺は『ワタナベトオル』だ」
「出た!村上春樹のノルウェイの森の主人公!」
「正解、さすがだな」
彼女ぐらいの読書愛好家じゃないとこのやりとりは出来ないだろう。小学生の俺はこんな風に『俺と彼女でしか成り立たない会話』をして今はもう感じることのない優越感に浸っていた。そしてそれをするには当然本をたくさん読まなければならない。それが俺の読書好きになった所以なのだ。
「まぁ、確かに詮索は良くないよな」
「ふふっ。・・・人は誰しも、生きるためにちょっとした秘密の行為を必要としている」
「シオドア・スタージョンの『孤独の円盤』の名台詞だな」
「うっわあ!よく知ってるねえ!」
彼女は思わずだと思うが俺の頭を撫でた。俺は「やめろ」とは言えずに平静を装うのに必死だった。
ふと彼女の手が止まった。
「私のこの体質って、手術で治るようなものじゃないんだって。風邪が引きやすくて、その度に食欲無くなっちゃって、喉が食べ物を通さなくなるの。無理やり食べるとすぐに吐いちゃうし、点滴から栄養を送らせてって・・。面倒臭いでしょ?だから秋田にいると、ヨリトくんたちに迷惑かけちゃいそうだから」
「・・・『お姉ちゃん』として、それは許さないか?」
彼女は手をそっと離すとスカートをぎゅっと握った。
「・・・うん」
俺は幼い時から彼女をお姉ちゃんと呼んでいた。年齢も同じなくせに、過去の俺は身長が俺より高かったから、大人びて見えたから。それだけの理由で彼女に勝手に責任を負わせてしまったのだ。だから、こうなったのは全部俺のせいだ。俺はスズネの頭に手を置いた。
「・・・いつの間にか小さくなったな。スズネは」
「ヨリトくんが大きくなりすぎなんじゃないかな」
「ヨリトお兄ちゃんって呼んでもいいぞ?」
「・・・後輩くん何してるの?」
気づけばケイがすでにコンビニで飲み物を買ってきていた。「はいはい、そこどいて」と俺とスズネの間に無理やり腰を落とすとコンビニの袋からお茶を取り出した。
「ケイちゃんありがとう」
「サンキューな」
買ったばかりだからか麦茶はキンキンに冷えていた。ケイは自分の分であろうスポーツドリンクをおでこに置くとお風呂に浸かったおじさんのように、
「ふぃー、極楽極楽」
「ケイちゃん、おじさんっぽいよ」
スズネも同じことを思っていたらしい。
「かき氷食べたーい。よね?」
急にこちらに振り向いて少し驚いたが俺は「そうだな」と軽く受け流してお茶を飲んだ。
「あ、そういえば今夜この付近でお祭りあるんだよ。ケイちゃんとヨリトくん、一緒にどう?」
「ええ!それは是非とも行きたい!よね?」
「え、あぁ。・・・うん、そうだな」
「屋台もあるからかき氷食べられるね!」
「私の知り合いの人が着物のレンタル屋さんやってるから、もし良かったら着てみない?」
「ええ!?・・そ、それは流石に・・・」
「あー、恥ずかしいんだー。ケイちゃんかわいいー」
「う、うー。べ、別に恥ずかしくないし。着れるし」
「じゃあ決まりだね!」
なんだか女子トークが始まってしまって会話に入れなくなってしまった。そういえば、マリーは今頃どうしているのだろうか。
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「ーーーヨリト」
「んー」
「私は・・・ケイを助けてほしいと思っているわ」
「・・・助けるって何をだ」
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「助ける・・・か。どうやらそんな必要無さそうだぞ」
上を見上げれば自己主張の激しい正午の太陽がジリジリと地面を焼き付けている。何か警告をしている・・・まるで目覚まし時計のように何かを必死に俺に訴えているような気がして、俺はそれから目を背けた。
「後輩くん、じゃあ一度ホテルに荷物置いて、準備しよっか!」
「あ、あぁ。そうだな」