6時限目の授業の終わりを告げる鐘が鳴り、それと同時に教室内がざわめきだした。冬休み明け初日、担任の教師が出張で不在のため今日は帰りのHRがない。6時限目の教科であった国語の教師が「来週のテスト!しっかり復習してこいよ!」と声を上げているがそれが耳に入っている生徒は何人いるだろうか。まぁでも、現国なら復習するまでもないな。俺は椅子に深く座りなおすと窓の外に目をやった。4時半にもかかわらず外は薄暗く分厚い灰色の雲が覆いかぶさっていた。この二階にある2年1組の教室からはグランドと校門、それと土崎地区の街並みを睥睨できるが、外は既に高校生で溢れかえっている。
「後輩くん!かーえろ!」
小学生のように幼稚な言い草をする彼女は小さい頃からの知り合い。彼女は後輩くんと呼ぶけれど、彼女と俺は当然同い年だ。
「ケイちゃーん!私たちこれからアイス食べに行くんだけど、一緒にどう?商店街のファミレス半額なんだって!」
カバンを掲げた3人の女子高生が教室前のドアからこちらに向かって声を上げる。
「ごめーん!今日は用事があるの!それに冬なのにアイスって!体壊さないでよー!」
申し訳なさそうに謝る彼女に、女子高生達が不満そうな顔ひとつ見せずバイバイと手を振った。
「わかったー!また今度誘うねー!」
「お前、行かなくて良かったのか?」
「・・・うん、皆とは学校で遊べるし。マリーちゃん校門で持ってるって」
俺はそれには何も答えずに通学カバンを持ち上げると、彼女と一緒に教室を後にした。冬にもかかわらずグラウンドを駆ける運動部の掛け声と体育館からバスケットシューズの擦れる音、吹奏楽部のどこか間抜けなサックスの音色の他に、隣からご機嫌な鼻歌が聞こえて来る。馬の尾を思わせる彼女のポニーテールは愉快に跳ねていた。
ふと、その髪を結んでいる水色のリボンが目にはいった。宇佐見ケイはいつだって上機嫌で、迷いなんてなくて、幸せそうに見える。それも彼女のコミュニケーション能力に拍車をかけているのだろう。皆彼女を信頼しているのだ。
でもその信頼していた『彼女』が偽りだとしたら。
「あ、後輩くんこれ見て!去年の最後の方にやったテストのランキングがもう出てる」
彼女は足を止め廊下の壁に画鋲で止められた大きな模造紙に見入っている。それは彼女の言った通りテストの順位表のようだ。
「宇佐見慧・・宇佐見慧・・・・あ、あった。うわぁ、やっぱり一位にはなれないかあ」
彼女は成績優秀でずっと学年成績の5位以内に入ってるし、探すまでもない。かくいう俺の名前、森野頼途は15位と書かれていた。国語なら学年2位なのに、やはり他の教科との総合点となるとここまで下がってしまう。
「後輩くんもまぁまぁのようですねえ」
馬鹿にしたような表情の彼女は普段かけてもいないメガネをどこからか取り出すとそれをかけて上下にくいくいと動かした。くっそ、文系教科の成績なら俺の方が上なのに・・。
「早く行くぞ」
「あ、うん」
メガネをかけた元々視力の良い彼女は度が強いのかおぼつかない足取りで歩き始めた。彼女は俺の正反対で元々理系脳だけど、メガネをかけるとさらにそれっぽくなる。
「あれ?宇佐見お前メガネかけてたっけ」
廊下で友達と話していた男子生徒が首をかしげるが、彼女はそれを否定した。
「ううん。沢田くんっていつもメガネかけてくるからどんな感じなのかなーって!」
本当は「ううん。後輩くんをあざ笑うための雰囲気作りとしてかけてみただけ!」だけど彼女みたいな世渡り上手は平然と嘘をつく。まぁ、誰も困ってないしそれを聞いた沢田くんの顔が赤面してるから言わないでおいてあげよう。
「そ、そうなんだ。・・でも目良い奴かけても視界が歪むだけで危ないからやめておいたほうが良いよ」
「そうしよう!」
彼女はメガネを外すと丁寧にメガネケースの中に収めてカバンの中へと入れた。それを見ていた沢田が「あ、それと」と思い出したかのように告げた。
「3組の寺門と三浦、それから2組の内田がお前のこと探してたぞ」
なに?こいつは指名手配でもされているのか?だとしたら相当な謝礼金がかかっているに違いない。
「あ、寺門くんと三浦ちゃんは今度ある全校集会の件かな。それと内田くんは多分「生徒会長選挙に立候補してくれ!」だろうなー。また廊下で会ったら月曜日にしてくださいってお願いしといてくれないかな」
彼女は祈るかのように手を前に合わせて懇願すると沢田は戸惑いながらも「わ、わかった!」と強く頷いた。
「じゃ、じゃあ俺帰るから!また来週な!」
「うん、ばいばい。・・・・っと早くしないとマリーちゃん待たせてるんだった!」
「本当よ・・・いつまで待たせるのかしら」
「あ、マリーちゃん」
声の聞こえた後ろを振り向くと、あきれ顔をした金髪の少女が壁に寄りかかっていた。正直俺ですら気が付かなかった。
「マリー、悪い。こいつがモタモタしてるせいで」
その言葉にバツが悪そうな顔をしたケイが小さく頭を下げた。
「だろうと思ったわ。ケイのコミュニケーション能力は正直すごいと思うけど、少しは自重したほうがいいわよ。だからって友達のいない貴方みたいになれとは言いませんけど」
「ちょっと、おかしくない?なんで俺に矛先向いてるの?」
マリー。本名はもう少し長くて、マリー・マリア・フォン=ラインハルト。彼女は小学5年生の時からケイの家にホームステイとして住み着いているドイツ人だ。元々お父さんが日本人なため日本語は普通に話せるし、容姿だけドイツ人と言っても過言ではない。
「さぁ、早く帰りましょう」
彼女は腰まである飴色の髪を撫でながら踵を返して玄関へと向かい、俺とケイはその後をついていく。
「ま、マリマリ怒ってるのかな?」
ケイが困ったような表情を見せた。ここの学校の奴らはマリーのことを時々『マリマリ』と呼んでいる。多分彼女の名前のマリー・マリアからマリマリになったのだろうがそう呼ばれている本人はそれが嫌でならないらしい。現に聞くと話に入ったらしいマリマリがこちらを睨みつけている。
「ま、まぁ怒んなって。帰ったら一緒に遊んでやるから」
それを聞いたマリーは「約束よ」とだけ答えて靴棚に上履きをしまうとハイヒールの外履に履き替えた。でも正直な話俺が彼女と遊びたいだけなんだが。
「ええ、ずるーい。私も遊ぶ!」
「お前は遊んでると勝手に独自のルール作っていくから嫌なんだよ」
それに賛成なのかマリーも苦笑いをすると彼女は紺色のコンバースを履いてドヤ顔を見せた。
「・・・・私がルールブックだ」
正直言うと思った。俺とマリーは彼女を無視して玄関に出ると、先ほどより大粒の雪が静かに大地を白銀へと染めていた。
「もう1月も半ばだってのに、今年の冬は長くなりそうだな」
「その分だけ夏は暑くなるわよ」
マリーがほうっと白い息を吐くとそれはすぐに北風でかき消されるのだった。
俺たちの住む秋田市の土崎地区は東北なだけあって毎年大雪が降り鉄道会社や通勤中の大人達を困らせているが、高校生の俺たちにしてみれば寒いの一言だけだった。
「暗くなる前に早く帰ろう」
ケイはマフラーをきつく縛り直し雪の積もった大地を踏みしめた。
俺とケイは小学校低学年からの言わば幼馴染だ。昔は話すことも全然なかったがそれでも俺はこいつの存在を知っていた。家が隣だからという理由もあるのもしれないがその他のもっと大きい理由があったはずだ。なぜ俺はケイと一緒にいるのか。でも俺はもうそれすらも思い出せない。マリーは小学五年生の時に俺たちの小学校に転校してきたのだ。だからこの3人で並んで帰るのも当たり前の光景となっている。
でも俺たちはもう、変わってしまった。
体も心も大人になったのに、未だにおままごとをしているかのような違和感。仮初めの性格を担った俺たちはいつまでこんなことを続けるつもりなのだろうか。