「ふぅ・・・結局飯食った後もずっとゲームしちまった」
俺の部屋の机の上に置かれているデジタル時計には青色の蛍光ライトで23:32と表示されていた。あれから夕飯を食べた俺たちは、明日が休日ということもあり皆でゲームをして夜遅くまではしゃいでいたのだった。
窓の向こう側のケイの家の彼女たちの部屋は未だに電気がついている。俺はカーテンを閉めるとその窓のすぐ脇にある、俺の身長より少し高い程度の本棚の方に目をやった。昔はよく運動部の助っ人としてグラウンドを走り回っていた俺だが今はどちらかというと勉強の方に重点を置いている。そのこともあってか、俺の趣味はいつの間にか運動から読書へと変わっていた。すいせい屋の隣には『言の葉書店』いう古本屋があり、よく俺はそこで本を買っている。すいせい屋がケイ行き付けの駄菓子屋なら、その古本屋は俺の行き付けの場所なのだ。ちなみにマリーの行き付けの場所は言うまでもなく市内にある大きなゲームショップだ。そしてこの本棚には今まで俺が読んだ本が全て50音順に並べられている。しかし、一冊だけその50音に背くかのように古びた分厚い本が一番上の棚に大事そうに立てかけられていた。
表紙には色ぼけた文字で「氷帝」と書いていることがわかる。
俺は思わずその本を手に取った。
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「はい、どうぞー」
87号室と書かれた冷たい金属質のドアを数回ノックすると中から辛うじて聞き取れるようなか細い声が聞こえてきた。僕は手に持った分厚い本を思わず力んで握り締めると、深呼吸をして、それからゆっくりとドアを開けた。
「ヨリトくん、こんにちは」
そうニッコリと微笑む彼女は前に会った時より一段と小さく見えた。病室内は病院独特の医薬品の匂いが満ちていて、それでいてどこか暖かかった。
僕は彼女に踏みよると近くにあった丸椅子に腰掛けた。
「あれ、ケイちゃんとマリーちゃんは?今日は一人で来たの?」
僕はそれに黙って頷いた。彼女が「そう」と再度微笑むと、点滴の繋がれた手で僕の頭を優しく撫でた。
「僕もう小学5年生だよ。というかスズネお姉ちゃんと同い年なんだけどな」
「あはは、そうでした。ヨリトくん可愛から、ついね」
「・・・いつ退院できそうなの?」
「うーーん、6月頃には退院できると思うよ。そしたらまたヨリトくんと一緒にお勉強できるね」
「・・・そっか。あとこの本、ありがとう。全部読んだよ」
僕が手に持っていた本を彼女に返すと、彼女は「いいの、それはヨリトくんにあげます」と首を横に振った。
「それで、どうだった?面白かったかな?」
僕は2週間前彼女のお見舞いにきた時に、彼女に勧められて一冊の本を借りていた。少し古びた表紙には金色の文字で『氷帝』と描かれている。このお話は主人公である宇宙人の男性が地球人に恋をするという少し変わったラブコメディー小説だ。その主人公は生まれた時から冥王星に住んでいて、空彼方に浮かぶ地球に行きたいと願っていたのだ。そして彼は20歳になる時、遂に冥王星を飛び立ち一人で地球へと向かった。そしてその地球で一人の女性に出会い恋に落ちるのだけど、宇宙人である彼は生まれた時から変わった能力を持っていた。彼は氷を自在に操ることが出来たのだ。その事があってか、周りから「氷帝アイスエンペラー」と呼ばれ恐れられていた。そして彼は人の温かさに触れると溶けて消えてしまう。つまり彼は恋をする事ができなかった。最終章では結局彼は彼女と愛し合い溶けてしまったのだけど、その時夜空に流れた一つの彗星は彼の涙だとされた。
「うん、ちょっと文字が多くて大変だったけどね」
僕は立ち上がると窓の外の景色を覗いた。ここ秋田大学病院からは田んぼやスーパーマーケットなどの街並みの他に僕たちが住む土崎地区の綺麗な夜景も見渡す事ができた。遠くにセリオンタワーの光が見えた。窓に映る僕の顔はどこか不安気だ。僕はこの病室に足を踏み入れた時のように彼女に気づかれないように小さく深呼吸をすると一思いに彼女の方を振り向いた。彼女はベッドに腰掛けながら「?」と首を傾げている。
「ぼ、僕っ!ずっと前からスズネお姉ちゃんの事が好きでした!こ、こんな僕で良ければっ!」
もっと気の利いたセリフをここに向かう途中のバスの中で必死に暗唱したのに結局言う事ができなかった。驚いた表情の彼女の胸につながれている心電図モニターは心拍数は98と高く表示されていた。しかしそれもすぐに平常値に戻ると彼女は静かに「ごめんなさい」と口にした。
「そ、そっか・・・・そう・・・だよね」
「私はヨリトくんのこと大好きだよ」
「・・え?」
「でもダメなの。君の言う好きは多分違うの」
「そ、そんな!僕、スズネお姉ちゃんすごいと思ってるんだ!僕と同い年なのに知らないこと沢山知ってるし、病気で辛いはずなのにいつも笑顔だし、他の人に優しいし!それでいてテストではいっつも100点でしょ!?だから・・・だからっ!」
僕は思わず逆上し、病室内で声を荒げてしまった。しかし彼女はそんな僕の言葉を最後まで真摯に聞き取ると優しく微笑み返した。
「ヨリトくん。『好き』と『憧れ』は違うんだよ」
僕は何も言うことが出来なかった。
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「・・・・そうか。あれからもう6年経つのか」
彼女は今どこで何をしているのか、もう俺は知らない。本当にこれでいいのかも分からないけど、それが彼女が俺に提示した問題の答えでもあった。
もう、あんな思いをしなくてもいいように。
俺はその本を元の場所に戻すと部屋の電気を消して、眠りについたのだった。
*
「先日、ヨリトがここに来たわよね」
「ふふふ、今日はマリーちゃんが来てくれた」
ベッドの上に腰を落としながら外の景色を見ていた彼女は私の方を見ずに少し微笑んだ。
「どう?日本の暮らしには慣れた?」
「そんな話、今はどうでもいいわ。それより、彼がここに来たのか聞いているの」
私は少し強めにそういうと、彼女はやっと私の方を向いて少しだけ頷いた。
「うん、来たよ」
「・・・・なんで振ったのよ」
「それは彼が教えてくれたのかな」
「違うわ。見れば分かるもの。あなたのお見舞いに行って帰ってきたヨリトは明らかに元気がなかったわ」
「・・・彼に言ったんだよ。『好き』と『憧れ』は違うって」
「私は・・・私はあなたが嫌いだわ」
「そっか、残念だな。私はマリーちゃんのこと好きなんだけどな」
本当に残念そうな顔をみせる彼女に私は少しだけ心を痛めるが、それでも言わないといけなかった。ずっとこのままでいい筈がなかったからだ。
「・・・・あなたはすぐそうやって他人を第一優先に考える。自分のことなんて放っておいて!本当は嬉しかったのでしょう!?それなのにあなたは!ケイの事がそんなに心配なの!?そんなの優しさじゃない!ただの・・・」
「自己満足・・・・かな。確かにそうかも」
「そ、それなら」
「・・・でもね。ケイちゃんには、ヨリトくんが必要なの。私はケイちゃんが好きだから、彼には私じゃなくて彼女のことを見ていて欲しいんだ。彼女はずっと一人だった。彼にも見放されたら彼女はどうなるのか・・・マリーちゃんは考えた事があるのかな」
「で・・でも!それでもあなたはヨリトの事がっ!」
「私は強いから大丈夫だよ。マリーちゃんは私に似ているから、私の事がなんでも分かっちゃうんだね。でも、ならあなたは自分の気持ち、考えた事ある?」
しばらく病室内に沈黙が続き、彼女ただずっと私の目を見つめていた。それは威圧というより同情に近いものを感じた。
「・・・気に入らないわ」
小学5年生の私はそう吐き捨てるとドアを雑に開き、彼女の問いから逃げるようにして病院を後にした。