「宇佐見さん、ちょっといいかな」
私がパソコンで来月出版する予定の雑誌の特集記事を編集していると上司が私の名前を呼んだ。コーヒーカップを片手にその人は苦笑いを浮かべている。
「はい、なんでしょう 」
「まず君の要望だけど、いきなり紛争地域に行って取材ー、なんてことは出来なくてねまずは君の実力を見るというか、まぁ感覚を掴んでもらいたいんだ」
「如何に面白い記事に出来るかってことですよね・・・」
「ん、そうそう。あ、でも捏造はダメだからね」
「・・・それぐらいはわかります」
でも正直、ジャーナリストやマスコミなんて捏造とはいかなくても大げさに書いて記事にしているんのだからどちらも変わらない気がする。
「それで、君の一発目。ドイツに行って欲しいんだ」
「ドイツ、ですか」
「そこは歴史上結構いろんな出来事があったところだからね、ネタには困らないと思う。だから上手く記事に出来るかは君次第ってことだ。その記事は来来月の記事に載せるつもりだから、見開き1ページ分でよろしく」
「・・・了解です」
私はそう言うと頭を下げた。
1週間後、私はドイツのベルリン・テーゲル空港にいた。ドイツと言ったらやはりベルリンの壁についての記事がいいだろうと踏んだ私は日本にいる間に現地の関係者に取材の交渉をし、今日その人とここで待ち合わせることにしたのだ。日本のこと・・・というか慧のことが心配なのは確かだけど娘のことは森野さんが面倒を見てくれているから今は出来るだけ仕事に専念しよう。私は両手で自分の頬を叩くと気合いを入れ直した。
待ち合わせ場所であるターミナル付近に近づくと一人の男性が駆け寄ってきた。その男の人は高級そうなスーツを身にまとい、よく見ると腰ほどの高さしかない少女と手をつないでいる。
「えっと、取材の件で連絡が入っていると思います。私、宇佐見京子と申します」
私が名刺を一枚差し出すと、それを丁寧に両手で受け取った男性はニコリと微笑んだ。
「話は聞いています。私はハルオミ・フォン=ラインハルトといいます」
「あれ?日本人・・・?」
私が思わずそう言うと、
「あ、あぁ、私、純血の日本人です。多分電話には私の妻が対応したと思います」
私は心の中で安心した。ここに来る前に必死ではしたなドイツ語を勉強していたけど正直自信がなかったからだ。私の心情をよそに彼は流暢な日本語で話を続けた。
「それで、こちらが娘のマリー・マリアです。マリー、挨拶は?」
「こ、こんにちは!」
彼女もなんら訛りのない日本語で挨拶をした。彼女の幼いところや、どこか不安そうな瞳から思わず慧と重なって見えた。私が「こんにちは」と微笑んでマリーちゃんを撫でると彼女は一瞬びくっと反応するもすぐに慣れて気持ちよさそうな顔をした。
「ところで、お昼ご飯はもう食べましたか?」
「あ、いえ、ついさっき到着したばかりですので」
「良かった。この近くに私オススメの喫茶店があるんですけど、良かったらどうですか?私もマリーもまだ昼食を食べていないので」
ハルオミさんに続いてマリーちゃんもぶんぶんと首を縦に振った。
「そうですね、行きましょうか」
私は初めての仕事にして、初めての海外のため然程の緊張はあったものの、想像より物腰の柔らかそうな人で良かったと私は思うと同時に、彼の隣を歩くドレス姿のマリーちゃんに気を取られた。彼女はどこか私と雰囲気が似ているというか、初めてドイツに来たかのように辺りをキョロキョロ見回しては「おぉ・・・」と声を漏らしている。
私たちがしばらく歩くとふいにハルオミさんが立ち止まった。
「ここです。よく妻と来るんですよ」
そこは予想に反して小振りな店で煉瓦造りの味のある喫茶店だった。ドアには『Weltraum』と書かれた看板と近くに土星の形をしたランプが掛かっている。
「ヴェルトラオムって読みます。ドイツ語で宇宙って意味なんですけど・・・店はこんなに小さいのに、名前だけがまるで大きい。そんなところも好きなんですよ」
そういうと彼は店のドアを開けた。そこには3つほど丸テーブルがあり、カウンターもある案外しっかりとした店住まいだった。丁度お昼時でもあってか2グループほどお客さんが入っているけどそれでも店はがらんとしていた。
ハルオミさんは慣れた仕草でカウンター席に座ると、その隣にマリーちゃんを座らせた。
「マスター、いつものコーヒーを2つ。それとオレンジジュース1つとサンドウィッチを3つお願い」
彼がすらすらと注文をすると、コーヒーカップを布巾で拭いていたマスターと呼ばれている男性が「かしこまりました」とだけ答えてコーヒーを淹れ始めた。
私はマリーちゃんの隣に座りながらその様子をぼーっと眺めていた。
「カウンターですみません。マスターのコーヒーは特に美味しいから少しでも冷めるのがもったいないんだ」
「・・いえ、なんか良いと思います。そういうこだわりというか・・・上手く言えないですけど」
一番最初に出てきたのは当然オレンジジュースでマリーちゃんはそれを美味しそうに飲んだ。私をそれを見てふと疑問に思う。
「そういえば、今日学校・・・とかはないんですか?」
今日は木曜日で普通ならこの時間は学校があるはずだけど、それを聞いたハルオミさんが一瞬顔の表情を曇らせた。すると代わりに答えたのはマリーちゃんだった。
「マリーね、きぞくのまつえー?とかで学校に行っちゃいけないんだって」
「?」
私が首をかしげると、ハルオミさんは彼女の頭に手をぽんと優しくおいて口を開いた。
「マリーはもともと裕福な人の家系なんです。・・・今は先祖の資産があるだけで普通の一般人なんだけど、昔のことをよく思っていない人たちも沢山いるんですよ」
私は彼の言葉でようやく理解した。確かに今はもうないにしても彼女たちに風当たりは強いのかもしれない。
「本当は学校に行かせたいんです。皆と同じように勉強させたいし、友達と一緒にはしゃいで欲しい。今日だってマリーとこんなに遠出したのは初めてですよ」
それを最後にしばらく沈黙が続くとまるで見計らったかのようにサンドウィッチと続いて湯気がたっているコーヒーが運ばれてきた。サンドウィッチはシンプルにレタスとトマト、それからガーリック風味の鶏肉が挟まっていて胡椒が効いていて美味しかった。そしてコーヒーを口に入れると一瞬にして深みのあるコクが口の中に広がり、そのくせに喉越し軽く一瞬で苦味が消えていった。
マリーちゃんが「このパン、メイドさんが作るものより美味しい!」とはしゃいでいる。
「マリー、これはサンドウィッチだよ。そういえば食べるのは初めてだったかもね」
私は、この店のことを記事にしようと決めた。それと同時に一つだけ提案が上がった。
「ハルオミさん」
「はい?」
「マリーちゃん、留学させてみませんか?」
「りゅ、留学?・・・どこにだい?」
「日本です。日本ならマリーちゃんの血縁をとやかく言う人もいないですし、私にも丁度マリーちゃんと同年代の娘がいるんです。その子は父親を小さいときに亡くしていて、今は一人で私の帰りを待っているので、もし良かったらですけど」
「・・・・ふむ」
顎鬚を撫でながら真剣に悩むハルオミさんにマリーちゃんは「りゅーがく?それは美味しいの?サンドウィッチとどっちが美味しい?」と首をかしげた。
「確かにそれは考えたことはなかった。妻と考えてみることにするよ」
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「マリーちゃーん!あーさでーすよー!」
「ーーーん」
私がうっすらと目を開けるとケイが私の顔を覗いていた。彼女はすでにパジャマから部屋着に着替えている。
「せっかくの休日だし、駅前で買い物しようよー!」
そう言いながら彼女がカーテンを開けると日光が差し込んだ。昨日の大雪が嘘だったかのように消えている。私は重々しく起き上がると大きくあくびをついた。
一階に下りると既に朝ごはんが準備されていた。ついさっき出来上がったものなのかツヤツヤの白米からは湯気が見える。
「ヨリトは?」
「後輩くんならもう帰ったよー?昼ご飯は外食するからいらなーいって言っておいた」
私は「そう」とだけ返事をすると椅子に腰掛けた。森野ヨリトはこうしてご飯だけを作って立ち去ることも少なくはない。
「まるでサンタクロースみたいだね」
私の気持ちを察したのかケイが「いただきまーす」と言って微笑んだ。
「随分と愛想のないサンタクロースね・・・いただきます」