「あら、ヨリーじゃない。この前買った本はもう読み終わったの?」
俺が自動ドアを潜るとアニメのキャラクターが印刷された表紙のライトノベルを読んでいる斎藤静江が小さく手を挙げた。相変わらず店の中は客が一人もいなく、よくこの店が経営出来てるなと不思議に思える。彼女は一応言の葉書店のロゴが入ったエプロンは着ているもののだらしなくカウンターに寄りかかっている。
「相変わらずだけど、なんで潰れないんだろうなこの店」
「いいのよ、あたしバイトだし。こんな暇な仕事引き受けるんじゃなかったわ」
シズエさんは秋田大学に通う大学生だ。しかし特にサークルなどに入っていない彼女は休日は暇らしくこの『言の葉書店』のバイトを受け持っていた。俺と彼女はここで知り合い、かれこれ2年ぐらいの付き合いとなる。俺のことを「ヨリー」と呼ぶのは彼女ぐらいだった。
「そういえば、今日はマリーちゃんとケイは?」
「あぁ、飯だけ作って出てきました。なんか買い物に行くらしいんで」
それを聞いた彼女は呆れ顔を作りため息をつくと、はたきで肩をぽんぽんと軽く叩いた。
「あんたさぁ、どうせなんだから一緒に行動すればいいじゃない。あんな可愛い子二人と一つ屋根の下なんて状況さ、なかなか無いんだよ。分かるかね少年。後で後悔しても遅いんだぞー」
「俺はそういうつもりであいつらと仲良くなるつもりは無いです。あくまで生活の手助けをしているだけですよ」
俺が嫌なものを全てぶちまけるかのように思わずそう漏らすと一瞬シズエさんの目の色が変わり鋭く俺を捉えた。彼女の瞳には眉間にしわを寄せた俺が映っていた。
「じゃあ君の言う『生活の手助け』が必要じゃなくなったとしたら・・・君達は『赤の他人』ってことかな」
「そういうことです」
「・・・そんな君にはこの本を授けよう」
そう言ってシズエさんが渡してきたのは彼女がさっきまで読んでいたライトノベルだった。タイトルには『僕は友達が少ない』と描かれている。表紙に印刷されている金髪碧眼の美少女はどこかマリーと重なって見えた。
「・・・馬鹿にしてるんですか」
俺が苦笑いを見せると彼女はちっちと人差し指を振った。
「この『はがない』はね、君みたいな主人公が、美少女達とハーレムしてうはうはやってるくせに『俺には友達がいない』ってほざいてる面白い話なんだよ」
「はぁ・・・。でもこういう話って内容より可愛さっていうか、俗に言う『萌え』っていうのを重視しているんじゃないですか?」
正直俺はそう言った類の小説が苦手だった。
「あたしが言いたいのはそういうこと。詳しい内容なんてどうでもいいのよ。要は燃えるかってこと、燃えたらなんでもいいのよ」
「あなたが言っている『もえる』は漢字が違う気がする」
「・・・で、何を買いに来たの?なんなら店ごと買ってもらってもいいけど」
「あぁ、『魔の山』っていうドイツの小説です」
「魔の山?聞いたことないわね」
「ノルウェイの森、読んだことないんですか?」
「な、名前なら知ってる」
「そのノルウェイの森に出てくる主人公が読んでいた小説です」
「ふーん」
シズエさんは「よっこらせ」と立ち上がるとカウンターを出て本棚の方に目をやった。やがてマ行を見つけると彼女は片っ端から探し始めた。
「すみません、魔の山って日本語に訳しただけで表紙に書かれているのは『Der Zauberberg』だからローマ字の行です」
「あ、そうか」
そういうと彼女は再び戻ってローマ字の題名の本が並んでいる本棚を探し始めた。大学生だからドイツ語は多少理解出来るのだろう。
「あんたさぁ、本もいいけど少しは友達と」
「あ、あった」
俺は表紙に『Der Zauberberg』と書かれた若干黄ばんでいる分厚い本を手に取った。言の葉書店は小さいくせにこう言った名の知られていない本の品揃えだけは市内にある大型店舗より優れている。
「人の話を聞かない・・・って何これ、全部ドイツ語じゃん」
「いや、作者ドイツ人だし、当たり前でしょう」
ちなみに作者はトーマス・マンで意外と有名なライターだ。
「そういえばあんたドイツ語読めたね・・・」
「氷帝という小説に出てくる主人公も地球に降り立った時最初に学んだのはドイツ語なんですよ。だから俺もそれに憧れて小学校の時からずっと勉強してました」
「はー、そりゃ読めるし喋れるようになるわけだ」
「まぁ、それがドイツ語じゃなくて英語だったらって後悔してますけどね」
「あたしもドイツのとある専攻を大学の授業でとっているのだけど、もしかするとあんたの方が得意かもね」
「ドイツ語分かるだけでドイツに詳しいわけじゃないです」
彼女に勘定を頼むと、お金を受け取った彼女はふと思い出したように、
「あれ?でもさ確かマリーちゃんってハーフだったよね」
「あぁ、はい。母がドイツ人です」
「じゃあ今度彼女連れてきてよー、あたし単位取らないとやばいんだ」
実際マリーも結構長いことこっちにいるし、詳しいのかは微妙なところだ。
「まぁ、時間があれば。それじゃあ、また」
「おーう、いつでも来いよー少年」
俺は本を手提げバッグに入れるとセリオンタワーを目指して歩き始めた。
太陽の日差しが暖かいがそれでも冬の朝は空気が冷たく荒んでいた。
そして俺は今更ながら先ほどの彼女の放ったタブーワードに静かに答えたのだった。
「・・・一緒に遊ぶ友達なんているかよ」
その言葉は白く色づくと北風に乗せられあっという間に儚く消えた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー。
「ここがあなたの教室よ」
教室のドアには5年1組と書かれていた。ドアを開くと先生が「はーい、それじゃあ朝の会に話していた転校生さんを紹介しまーす」と言って私の入室を促した。
「はい、じゃあ自己紹介をお願いしますね」
先生がそう優しくいうと、私は高揚とした面持ちで教室全体を見回した。私にとってこんなに沢山の人の視線が私に集まるのは初めてだった。てっきり緊張するのかと思っていたけど、それより胸の高鳴りの方が大きかった。
「マリー・マリア・フォン=ラインハルトよ!よろしくね!」
パパと必死に練習した自己紹介も難なく言えた。
それと同時に教室内が「うおー、かわいー!」「がいこくじんだ!」「かみのけきんいろ!」「なまえなげー!」と歓声を上げた。見るとケイの姿もある。今朝に「学校で会おうね」と言って別れたけど本当に同じ教室だった。ケイは私と目が合うと誰にも気づかれないように小さく手を振った。
「はーい静かにー。それでは明日から一緒にお勉強するからみんな仲良くしてくださいねー!」
皆が皆元気よく「はーい」と返事をすると先生が一番後ろの空いてる席に座るように促した。
その席に座ると隣の男の子と目があった。
するとその男の子は小さく口を開いて、
「Guten Tag.(こんにちは)」
「Können Sie sprechen Deutsch!?(あなたドイツ語話せるの!?)」
私は思わずそう言い返してしまった。しかし男の子はそれに頷いたのだった。
「Mein Name ist Yorito. Ich freue mich, Sie zu sehen.(僕の名前はヨリト。よろしく)」
私はなぜかその時、この男の子だけ他の男子と違う印象を感じた。この感覚がなんなのか経験不足で分からず歯がゆいけど、それでも彼はまるで太陽のように煌いて見えた。
「・・・・私日本語話せるし」
「あ、ごめん。ドイツ語勉強してたから思わず喋りたくなって」
しばらくすると帰りの会というものが終わり皆がランドセルを背負って家路につき始めた。
「ヨリトー!これからグラウンドでサッカーしようぜ!」
「ちょっとまて!ヨリトは俺たちと野球する予定だったんだぞ!」
ヨリトの方に駆け寄ってきた男子たちがわいわい言っていると困り顔の彼は閃いたように立ち上がった。
「よし!皆でキックベースだ!」
「おお!それだ!よっしゃ、グラウンド集合な!」
「ヨリトー早くこいよー!」
10人ほどが駆けていくとヨリトはふうっと大きく息を吐いた。
「・・・ヨリト友達たくさんいるんだね」
私はそれが羨ましく思えた。
「マリーもすぐにできるよ。目指せ友達100人!じゃ、僕が記念すべき友達第1号ってことで、よろしくな」
彼はそう言ってはにかんだ。まただ。私はその瞬間今まで感じたことのないような感覚を感じた。心臓がドクンドクンと早くなっているようだ。
すると、ケイがランドセルを持って、
「マリーちゃん、帰ろっか」
「ちょっとまてよケイ。マリーはこれからキックベースだぞ」
「えっ・・そ、そうなんだ。じゃ、じゃあ私先に帰ってるね」
「えー、ケイちゃんも行こうよ。・・・あ、あなたが転校生ね。私高宮スズネ。よろしくね」
彼女は違うクラスだったのか初めて見る顔だ。私は「よ、よろしく」と慌てて頭を下げた。
「うーん、スズネお姉ちゃんがそう言うなら・・・でも私行っても邪魔じゃないかな・・」
「邪魔な訳ないだろー!じゃあ先行ってるからな!スズネお姉ちゃん達も早くこいよ!」
ヨリトはそう言うと雑にランドセルを持ち上げて廊下を駆けて行った。
「森野くん優しいね」
「森野?」
私は首を傾げた。
「あぁ、さっきの子」
そういえば苗字は聞いていなかった。それにしてもなぜケイはヨリトを『森野くん』って呼ぶのだろうか。
「ヨリトくんは人気者だから、マリーちゃんも彼と一緒にいたら友達沢山出来るよ。・・ケイちゃんも、ね」
なぜ最後にケイの名前が入ったのかは分からないけど私はそれに元気よく頷いた。
それから間も無くだった。
『ヨリマリコンビ』と呼ばれ私はヨリトの横で学校の人気者になっていったのだった。