左腕の成長日記   作:オクタニトロキュバン

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佯狂の徒

 迷宮都市オラリオとは、バベルと呼ばれる摩天楼を軸にする囲郭都市だ。多岐に分かれた通りは、紛然雑然糅然として人々が入り乱れている。ヒューマン・エルフ・ドワーフ・アマゾネス・獣人・パルゥム。種族に統一はなく、項背相望むばかりで枚挙に遑がない。誰しもがある一点のみを目指している。

 

 それこそがダンジョンにほかならなかった。

 

 オラリオの真下にはだだっ広い魔窟がある。その中では、モンスターが生まれ落ちてくる。コボルト・ゴブリン・ウォーシャドウ・シルバーバック・キラーアント・ミノタウロス。魔窟の道が途絶えなければ、モンスターの種々相に果てはない。それゆえ人々は神々から寵を賜り、轡を並べて、魔窟―――ダンジョンにおもむく。

 

 冒険者とは、ダンジョンに住んでいるモンスターを倒して、生計を立てている人間のことだ。モンスターの髄を成している魔石を、ダンジョンの管理を担っているギルドで換金。モンスターが稀に残すドロップアイテムを取引。冒険者に売るための武具を作製。ほかにも多々あるが、一般人にとっての冒険者の認識はそのくらいである。

 

 サポーターとは、冒険者を補佐して口を糊する人間のことだ。冒険者に従える荷物持ち、雑用係、鬱憤を晴らすための人形。頤指に甘んじるほかに、生きる術をもたない出来損ない。

 もっとも、これらに類するサポーターはほんの一握りに過ぎない。本来のサポーターは、非戦闘員ながらも戦いに参加して、這裏に戦利品を回収する。冒険者の武器が壊れれば、もちあわせる予備をわたす。冒険者と手を取りあって、冒険を共にする相棒。要するに、裏方を託される肝心要だ。

 

 だが彼女には、それこそ皮相の見に思えて、美辞麗句を並べてはいるが、隠約の間に皮肉めいた何かが見え透いている気がして、どこか底気味悪かった。

 

「おーい!こっち、こっち」

 

 彼女―――リリルカ・アーデは、冥々の裡に沈んでいた意識を、大きく手を振っている少年の方へ向ける。頤が上がる頃には、また知らず識らずに巧笑を浮かべていた。

 

―今日もあの人は、騙されてくれるだろう。

 

 そう考えるリリルカの胸には、麻姑搔痒の快と、隔靴搔痒の悶が、相半ばして底気味悪かった。

 

 

 

*

 

 

 

 シル・フローヴァは走っていた。行き違う冒険者の顔が鈴生りであり、同方向に歩くものはほかにいなかった。何人かは顔見知りだったため、声をかけられればそれに応じるが、こちらから時間を奪うことはしない。

 それは、彼女を嫌う人もいるかも知れないし、公私を弁えて相手にしないかも知れないし、觳觫として戦場に向かう際の気概を緩めてしまうかも知れない。などという理由でシルは声をかけなかった。それらはすべて憶測に違いないだろう。独り善がりに過ぎないだろう。それでも、シルはこの気構えを止めるつもりなど毛頭なかった。

 

―勿論、例外はいるんだけど。

 

 ふと、九十九髪にも似た白髪をもつ、赤い目をした少年が脳裏を過る。多感な彼がつくるさまざまな表情が、にわかにシルの頭をうめつくす。

 

―榻の端書き、じゃないよね。

 

 そんなことを考えていると、目的の地にまで足は運ばれていた。

 西の大通りにある酒場、豊饒の女主人。シルはこの酒場でメイドじみた店員をまかされ、それを生業としている。

 

「お早うございま~す…あれ?」

 

 叩扉の声がやかましく響いても、闃とした沈黙を破るばかりで人の声は返ってこなかった。

 しばらくするとシルは思案投げ首をもどして、隔たった机の下を一つずつのぞきこみはじめる。

 そんな彼女を見兼ねて、何者かが影を投げるかたちで後ろに立ち、一言だけ呟いた。

 

「………何やってんだい、あんた」

「ひゃっ!いたっ!…ってミアお母さん!何やってたんですか!」

「そりゃあたしの台詞だよ…」

 

 机にぶつけた頭をさすりながら見上げる先には、厳めしい顔付きに皺を寄せた、猛々しいドワーフがいた。シルを見下ろしているさまは近寄りがたい印象を与えるものだ。見慣れているシルだからこそ分かるが、怒っているのではなく、呆れているのだろう。

 ミア・グランドは豊饒の女主人を仕切る女将だ。この酒場では女性のみが働いているためか、過去に何らかがあったのか、生まれ付きなのかは判断がつきかねるが、男よりも男らしいのがミアの良いところなのだろう。

 

「どうしたんだい。あんた今日は休むって言ったじゃないか」

「ちょっと野暮用で…」

「またあの小僧かい?」

 

 図星を指されたシルが、朱を注ぐように赧然として俯くのに対して、ミアは輾然として豪傑笑いをたたえると、その背中を勢いよく押した。

 

「頑張りなよ!あんなヒョロヒョロした餓鬼は、気がついたらアマゾネスにペロッと食べられちまうからね」

「そんなこと…って、ミアお母さん。何をもっているんですか?」

「ん?…ああ、これかい?」

 

 シルの問いに、物怪な顔をつくりながら左腕を止めると、それを彼女の前に突き出した。

 

「孫の手…って言うらしいが、何分貰い物だから詳しいことは分かんないよ」

「…孫の手、ですか」

 

 孫の手と呼ばれたそれは、奇妙なことに人の右腕を模していた。肘の辺りから手首にかけて細まるかたちは、まだ若いシルでも理解できるほどに、ありきたりな構造をしていた。しかし―――

 

「この手の部分、なんだか可笑しいですね。それに少し陳臭いです」

「なんだい?あたしが婆臭いって言いたいのかい?」

「い、いえ。そう言ったつもりじゃないんですが…」

 

 シルはもう一度、その孫の手に視線を落とす。取って付けたような手の甲には、胡乱とか、怪異とか、幽玄とか、そんな言葉がしっくりくる単眼がこちらをのぞいていた。

 

「…そういや、これを渡してきたやつも、アマゾネスだったっけなあ」

 

 ミアが他意なく呟いた言葉だけが、シルの耳には残りつづけていた。

 

 

 

*

 

 

 

 婆娑として斜に映る隻影が、陳こびた叉木に投じられる。朶頤を禁じ得ないモンスターが舌舐めずりを終え、影を重ねるかたちで襲いかかる。が、影法師は二つに割られた。湿気臭い木肌の壁は、血生臭くなって極彩色に染め返される。

 大広間の辺陬に設えられた木暗がりから、ヌッと顔を覗かせた女性は、醜い人型のモンスターに囲まれる。どちらが人かは、傍から見れば分かり難い。

 肉厚な丹唇は干割れており、伸びた舌に舐め回される。女性は片靨をつくると、狂気じみた面持ちで口をひらいた。

 

「こんなしみったれた場所にぃ、わざわざアタイが出向いてやったっていうのにィ、どいつもこいつも歯応えがないねぇ~。ゲゲゲゲゲッ!」

 

 朱に染まる二本の大戦斧を左右に払うことにより、血振るいをされて鉄を露呈させる。声も斧も、頗る付きの錆びたものだった。二Mを越すであろう巨体を引きずっている。さながら蟇のようなアマゾネスだった。

 フリュネ・ジャミールは、珍しくダンジョンにおもむいて冒険者らしくモンスターと戦っていた。美の女神でありながら、主神であるイシュタルから命じられたわけでも、憂さ晴らしにモンスターを狩りにきたわけでもない。

 

 ただ、今日は何かと会える。そんな気がして、重い足を運んでやってきた。

 

 二十階層。『大樹の迷宮』。樹木の外皮に覆われた森林が、厳として存在している。第一級冒険者にとっては通過点に過ぎないが、鬱蒼とした木々はフリュネの足をとどまらせ、しばらく狩りや探りに明け暮れていた。

 

「…しっかし、こんだけ探しても、人っ子一人いないってのはどういうわけだいィ?」

 

 語尾をのばす癖を直そうともせずに逍遥をくりかえす。一振り、二振り、回転。気怠そうに二本の斧を振るうと、血肉と虚しさを残すだけだった。

 

「………何やってんだかねぇ…そろそろ帰るかァ」

 

 いつもの自分とは思えない行動に、忸怩たらざるを得なかった。踵を返そうとしたとき、空目遣いで奥を望み見ると、鄙びた木の隙間から薄らと男の相貌を仄めかせていた。二Mを少しだけ下回る、見目形の整った青年が目を細めて、闇に紛れ込んでいた。

 

「ゲッ…ゲゲゲッ…」

 

 噞喁のごとき含み笑いも普段のものとは異なっていたが、ある種の欲が醞醸するこの時ばかりは、露ほども気にしなかった。

 枚を銜むと、初一念のままに巨体を動かした。焦点は変えることなく、一散走りをする化け物に変わる。暗々裏に、ことを起こそうとしていたフリュネだったが、意図に反して大広間がズンと揺れる。男も気がついたのか否か、怖気立つ様子もなく震源の方を一眄するだけで、飄々乎とした概は揺るがなかった。

 鬼気迫るものを見取りながら、苔の発する光に褐色の肌を晒して―――男のアマゾネスは口を切った。

 

「ゲテモノを食うつもりなんてねえんだがなあ…」

 

 

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